|
■オープニング本文 東房国。 ここは広大な領土の三分の二が魔の森に侵食される、冥越国の次に危険な国だ。 国内の主要都市は、常にアヤカシや魔の森との闘いに時間の殆どを費やしている。 そして東房国の首都・安積寺より僅かに離れた都市・霜蓮寺(ソウレンジ)もまた、アヤカシや魔の森との闘いが行われていた。 ○ 霜蓮寺の傍にある山――餓鬼山。 ここに魔の森が迫ったとの報を受けたのが二週間以上前のこと。 その後、調査に向かった僧が次々と命を落とし、それを率いていた霜蓮寺のサムライ、月宵・嘉栄が開拓者に助けられ下山したのが数日前のことだ。 「遭難した兵が多く、山を焼く事も出来ず、アヤカシの調査も進まない‥‥ですか」 嘉栄の捜索が行われるのと同時に、霜蓮寺の僧と北面の志士で、山に掬う餓鬼の一掃に出た。 しかしそれらは失敗、それを記した報告書から顔をあげると、彼女は小さく頭を振った。 「‥‥このままでは、もっと被害が出るでしょうね」 そう口にして思い出すのは、餓鬼山に入った時のことだ。 僧を率いて山に入り、調査を勧めていく途中で、統率に問題が出た。 餓鬼と思っていたアヤカシの異様なまでの強さ、それに対応しきれなくなり連携が崩れた。 「もっと巧く行動していれば‥‥」 今までに戦死した仲間がいない訳ではない。 率いた隊の中で亡くなった者がいない訳でもない。 ただ‥‥一度に、しかも短時間に、あれだけの仲間を失ったのは初めてだった。 しかも隊の人数は必要最低限に留めていた為、いざとなれば守ることも出来た。 しかし、実際には出来なかった。 辛うじて守れたのは、2名の僧のみ。それを思うと溜息しか零れない。 「――とにかく、今は餓鬼山のアヤカシを如何にかするのが先決。後悔は後でいくらでも出来ます」 そう口にすると、自らの足に視線を落とした。 餓鬼山で負った傷は、治療の甲斐もあり大事には至らなかった。 完全に治癒すれば傷は残っても、動く事に支障はなくなる。 だが今は完治の前であり、歩く度に痛みを伴う。普通ならば、歩くこと自体を拒否してしまうかもしれない。 しかし彼女は、報告書を机に置くと静かに立ち上がった。 気力を振り絞り、見た目には何の支障も無いように歩いて行く。 そうして部屋を出ると、彼女の足が止まった。 「嘉栄様、どちらへ?」 部屋の両脇を固める僧が声を掛けて来たのだ。 彼らは嘉栄の行動を監視する為にそこに居る。 無事に戻った彼女の体調を心配して、彼女が無茶をして部屋を飛び出さないように心配して、久万と統括が用意した。 「ご用事でしたら、我々が‥‥」 「久万殿の所へ。お話したい事があります」 2人の配慮はありがたい。だが、今の嘉栄にはその待遇が辛かった。 本来なら、僧を失った責任を追及され、然るべき処分を受けるべき自分が、それを受けることなくこの場にいる。 そう思うと、胸が痛んだ。 「通っても良いでしょうか?」 そう言った嘉栄に、僧は顔を見合わせると、彼女を間に挟んで歩き出した。 「呼べばこちらから向かったというのに‥‥」 久万は部屋を訪れた嘉栄を見て、早々に椅子を引き寄せると、そこに座るよう勧めた。 「普通に歩く事は出来ます。それよりも‥‥報告書を読ませて頂きました」 「ああ‥‥そう言えば、暇潰しにと渡したのだったか」 言って、自らも腰を据える。 その上で彼女の足に目を落とすと、やれやれと言った様子で視線を戻した。 「餓鬼山のアヤカシ‥‥あれは明らかに餓鬼ではありません。早急に調査を行い、然るべき対応を取るべきです」 餓鬼山で対峙したアヤカシは、確かに餓鬼に似ていた。 しかし体躯、戦闘能力、行動を見る限り如何しても餓鬼であると言い切れない。 「あのようなアヤカシが餓鬼山に出た事例が過去にありますか? 少なくとも、私は聞いたことがありません」 「‥‥しかし、霜蓮寺でそれを調べるには、人手の問題がある」 霜蓮寺の人手不足は、ここ数日で特に酷い状態になっていた。 援兵が北面から送られてくるものの、それでも数が足りない状況にある。 「それでしたら、私が調査に――」 「駄目だ」 自分が調査に行く。そう口にしようとした嘉栄を、久万は透かさず遮った。 「嘉栄はここに残り、今後の指揮にあたって欲しい。もし、調査に行くのであれば私が行こう」 真っ直ぐに目を見て言う久万に、彼女は大きく頭を振った。 「久万殿、これは私のお願いでもあります」 珍しく眉間に皺を寄せ、瞳を見返す嘉栄に、久万の眉が上がる。 「霜蓮寺の僧を連れて調査に行き、そこで尊い命を多く失いました。私はその責任を、まだ果たしていません。出来ることならば、まずは責任を果たす機会を、私に頂きたいのです」 「‥‥戦場において人が命を落とす事は珍しい事ではない。全てのことに責任を負い、今するべき責務を放棄することの方が、問題だと思うが?」 久万は嘉栄に指揮を取れと言った。 しかし彼女はそれを断り、別の任に行きたいという。しかも、自分のために。 久万はその事を指摘したのだが、嘉栄はそれに対して答えを決めていたようだ。 迷うことなく久万の目を見て言い放つ。 「無事に調査終え戻って来れば、責務を放棄したことにはならないかと。3日‥‥いえ、2日で構いません。餓鬼山へ調査に行く許可を頂きたいのです」 「‥‥その間、統括には如何説明する」 「寺に篭り、自らを見つめ直している‥‥とでも、お伝えください」 「‥‥通じると思うのか?」 「無理かもしれません」 苦笑した嘉栄に、久万はやれやれと頭を抱えた。 嘉栄が頑固なのは今に始まったことではない。そしてそれが始まれば、余程のことがない限り考えを曲げない事も知っている。 久万は大袈裟に息を吐くと、呆れたように彼女を見た。 「わかった。では2日だけ時間をやる。ただし、その期間に必ず帰還することと、開拓者を連れていくこと。これが条件だ」 「それは‥‥」 言葉に詰まった嘉栄の言いたいことは分かる。 資金難の霜蓮寺に、そんな金を出す余裕はないのだ。 「金ならば出そう。まだ余裕はある」 言って肩を竦めてみせた彼に、嘉栄の目が思案気に落ちた。 そして考える間を持って呟く。 「いえ、今回は私が出します」 「そう言うわけにもいかんだろう。結構な金額だぞ」 「生憎と、武器を買う以外にお金を使ったことがないのです。ですので、資金でしたら大丈夫です」 自身を持って言う嘉栄に、「それもどうなんだろうな」と苦笑する。 しかし言い出したら聞かない彼女のことだ。 何度言い合いをした所で、最終的には彼女が資金を出すことになるのだろう。 その証拠に、傍では既に紙と筆を持って依頼の内容を書き記し始めている。 その文字は、几帳面で綺麗な、彼女の性格をそのまま表すような字だった。 |
■参加者一覧
高遠・竣嶽(ia0295)
26歳・女・志
氷(ia1083)
29歳・男・陰
珠樹(ia8689)
18歳・女・シ
和奏(ia8807)
17歳・男・志
百地 佐大夫(ib0796)
23歳・男・シ
将門(ib1770)
25歳・男・サ
煉谷 耀(ib3229)
33歳・男・シ |
■リプレイ本文 餓鬼山に日が射し始める頃、山道の前に数名の開拓者が集まっていた。 「責任か‥‥その言葉が縛鎖として巻きついている間は、思う働きなどできぬ」 黒の髪と耳を風に揺らし呟くのは、煉谷 耀(ib3229)だ。 彼は無言で山を見据える嘉栄を見止めて息を吐く。 今回と、先日の依頼の内容を踏まえれば、彼女の心情など簡単にわかる。 「今の意識で無理を押し通せば、いつか雁字搦めになり動けなくなる」 彼には彼なりに思う事がある。 だが今それを口にはしない。何故なら、彼女が悩むものの答えは他人から教えられる物ではないからだ。 耀は今一度彼女の姿を確認し、目を外した。 そこに嘉栄の言葉が響く。 「この度は、御足労頂き有り難うございます」 自国の為に集まってくれた者への例の言葉、それを耳にした和奏(ia8807)が首横に振る。 「アヤカシの脅威はいずれの国でも1番の懸念事項だと思いますので、お手伝いできることがあれば嬉しいです」 そう言って僅かに笑んで見せると、続いて将門(ib1770)が声を掛けてきた。 「よぉ、久しぶりだな。怪我の具合はもう良いのか?」 先日、嘉栄を助けた彼は、彼女が負った傷を知っている。 その時見た傷は、容易に治るものではなかった。 しかし―― 「ええ、完治しております」 告げられた言葉に、足元に視線が向かう。 見た目は普通だが、今のは確実に嘘だ。 そう思うのは何も彼だけではない。先日依頼を一緒した面々は皆、そう思っている。 「‥‥そうか。まあ、無理すんなよ」 本人が「完治している」と言うのであれば、それ以上触れるつもりは無いらしい。 その気遣いに嘉栄が目を伏せると、何処からともなく気の抜けた声が聞こえて来た。 「相変わらずここいらは魔の森が幅を利かせてるんだなあ」 ふぁっと息の漏れる声に、嘉栄の目が上がった。 そこにいたのは、眠そうに山を見る氷(ia1083)だ。 彼はだるそうに目を瞬くと、自分を見る嘉栄に視線を向けた。 「まあなんにせよ厄介なのが出てきたみたいだし、依頼料分は働かないとねぇ」 「厄介なのとは、変異したアヤカシですね?」 氷の言葉を拾って、高遠・竣嶽(ia0295)が問う。 彼女も先日嘉栄を助けた者の1人だ。 山を見据える彼女の脳裏に過るのは、先日目にした餓鬼モドキ――モドキの姿。 普通の餓鬼よりも身の丈があり、動きも速かったそれを思い出し息を吐く。 「原因を突き止められれば、今後の役に立つかもしれませんか――‥‥我が祖国もあるいは似たような状態かもしれませんし、ね」 口にして目を逸らす。 東房国よりも魔の森の被害が深刻な冥越、そこを思う彼女の内心は複雑だろう。 「しかし、変異種の腹が大きいと言うのは何かしら関係があるのでしょうかね‥‥」 呟き考えるが、その答えは不明だ。 「今はいくら考えても無駄よ。はい、地図」 考え込む、竣嶽の元に差し出された地図。 それを辿るように顔を上げると、見つめる赤の瞳と目が合った。 「現段階で確認されてる魔の森の境界線、書いておいたから‥‥」 そう言いながら珠樹(ia8689)は目を外した。 彼女の手渡した地図には、大よそではあるが魔の森の境界線が記されている。 それを確認する嘉栄を見て、彼女は言う。 「それにしても、自費で依頼とは‥‥本当、生真面目なサムライだこと」 口元を覆うマスクを引き上げ呟く彼女に、嘉栄の目が瞬かれる。 「まぁ、乗りかかった船ってことで‥‥前の餓鬼も気になるしね。手は貸すわよ」 言って言葉を切ると、珠樹は皆の元を離れて行った。 そこに嘉栄の横を通り過ぎようとした百地 佐大夫(ib0796)が、思い出したように足を止める。 そして僅かに考え、声を潜めた。 「‥‥無理は七割くらいでやめとけよ?」 そう囁き離れて行く姿に、嘉栄の目が振り返る。 直接は言えないが、それでも無理する嘉栄の気持ちを汲み取って寄こした心配する言葉に、苦笑が漏れる。 「‥‥肝に銘じておきましょう」 そう口中で囁くと、彼女は共に山へ向かう仲間と準備に取り掛かった。 ● 山での調査は2つの班に分かれ行われることになった。 班分けはこうだ。 交戦を避け出現原因を探る隠密班と、積極的に交戦しモドキの情報を集める戦闘班。 そして嘉栄は、竣嶽、氷、和奏、将門と共に戦闘班として山に足を踏み入れた。 そして今は、出発前に手渡された地図を手に、山道を進んでいる。 「煉谷さんからお聞きしたモドキさんの特徴は、大きい、腹が出ている、速い‥‥こんな所でしょうか」 和奏は事前に聞き止めて置いたモドキの特徴を口にする。 出発前に出来るだけ情報を――そう思い、前回餓鬼山に足を踏み入れた面々に話を聞いておいたのだ。 「先日は夜にモドキさんと闘ったのでしたよね。昼間だと出現率は抑えられているのでしょうか?」 現在の時刻は昼を過ぎた頃。 入山前には山の陰に隠れていた陽も、今では頭上を通り越し、温かな光を注いでいる。 「その可能性はあるかもな。現に、未だ一体のモドキも現れていない」 将門はそう言いながら辺りを見回す。 彼の言うとおり、山に入りだいぶ過ぎたと言うのに、未だに一体のモドキとも遭遇していない。 それはこの時刻が問題なのか、それとも山道を歩いている事が問題なのかわからない。 確実なのは、モドキが現れていないと言う事だけだ。 「ここは1つ、険しくなりなすが道を逸れましょう。地図を随時確認して、帰り道がわからなくならないように気をつけて行きましょう」 竣嶽はそう言うと、草木が生い茂る森に足を踏み入れた。 「ん? ‥‥瘴気が濃くなったかな?」 後方を歩き周囲に気を配っていた氷が、逸早く瘴気の濃度の変化に気付いた。 山道を歩いている時にも、瘴気の濃さは気になっていたが、そこを逸れた途端に一気に濃くなる濃度に目を瞬く。 「瘴気が目に見えるようですね」 そう口にした和奏の例えは正しい。 先ほどまでは木漏れ日が射し、明るかった辺りが、一気に影を誘い暗くなったのだ。 明らかに居心地が悪くなった空間は、人にとって毒となる瘴気が溢れ返っている。 「そろそろ現れても――‥‥アレは」 竣嶽に足が止まり、それに合わせ他の皆の足も止まる。 そして物陰に身を潜めると、全員が自らの武器に手を添えた。 「あれが、モドキさんですか」 距離はだいぶある。 木々を掻き分け歩くのは、大人よりも長身の生き物。 形は人に似ているが、大きく膨らんだ腹が明らかに人ではないと言っている。 「ずいぶん栄養摂ってるみたいだなあ。なに食ってんだ?」 氷ののんびりした呟きに、同じく腹を気にしていた竣嶽が目を向ける。 「変異種の腹が大きいと言うのは何かしら関係があるのでしょうかね‥‥単純に瘴気の量が多い等も考えられますが‥‥あるいは‥‥」 「――共食いだったりして」 ぼそりと零された言葉に、ゾッと背筋が寒くなる。 「そうだとすれば、放っておけば退治の必要はないかもしれませんね。ですが、待っている余裕はありません」 嘉栄の言葉に皆が無言で頷く。 その時だ、突然草を割る音が大きくなった。 「マズイ、気付かれた!」 「結構距離がありますね‥‥音、いえ、匂いでしょうか?」 声は仲間内でギリギリ聞こえる程に小さかった。 それが届いたのであれば相当な聴覚である。そして、距離も程良く離れていた為に、臭いで察したのであれば、嗅覚は異様に良い事になる。 「どちらにしろ、厄介ですね」 竣嶽はそう言うと、刀「泉水」を構えた。 踏み込みを深くし、上体を低く構える。 そして、勢い良く突進してくるモドキの腹部目掛け一気にそれを抜き払った。 ――ガンッ! 鈍い音が響き、彼女の手を緩い痺れが襲う。 その間に腕を振り上げたモドキが、彼女目掛け腕を振り上げた。 その動きは速く、間合いを取る余裕がない。 「物理攻撃は不利――では、これは如何でしょう?」 刀「鬼神丸」を抜き取った和奏は、白く澄んだ輝きを纏う刃をモドキに振るう。 ――‥‥ッ! 腕を強打した梅の香り漂う刃が、僅かに肉を抉って弾かれる。 「これは‥‥あまりに、堅過ぎませんか?」 肉を覗かせる場所から瘴気を放つモドキは、与えられた攻撃に動じる様子は無い。 むしろ刃を向ける開拓者たちに、より牙を剥いて腕を振り上げる。 「おっと、させないぜ!」 注意が完全に竣嶽と和奏に向く中、将門が透かさず咆哮を放った。 それにモドキの動きが止まる。 「和奏様、今です!」 「了解しました」 目にも止まらぬ速さでモドキに向けられた刃、それに合わせるように放たれた風の刃が、同時にモドキの胴を斬った。 2つの攻撃を同時に浴びたモドキの身が揺らぎ、上半身がゴトリと落ちる。 「げっ‥‥まだ、動いてる」 氷の言葉に全員が息を呑む中、モドキは僅かに抵抗を見せた後動かなくなった。 「‥‥痛みがないのか?」 将門の声に思案気に視線が落ちる。 しかし考えている暇はなかった。 「次が来ます!」 嘉栄の言葉に皆の目が森の中に向かう。 そこに居たのは複数のモドキ。それを目にした彼らは、一斉に地を蹴った。 そしてその姿を見ながら、氷が呪殺符「深愛」を構え呟く。 「怪我したら無茶すんなよ〜」 気の抜けるような声だったが心強い。 その声を胸に戦闘班は、より多くの情報を得るためにモドキとの戦闘を再開した。 一方、隠密班は珠樹、佐大夫、そして耀の3人のシノビで構成されていた。 元より隠密性の高い彼らは、モドキの目を掻い潜りながら、森の中を進む。 そしてあと少しで山頂、と言う所で戦闘を行く耀の足が止まった。 「ここまででモドキの数は確実に増えている。この上に何かあると考える方が良いだろう」 耳は常に周囲の音を探っている。 それ故に、近付く者があれば随時その場を離れるよう、工夫して戦闘を回避してきた。 お陰で未だ余分な戦闘を行わずに済み、今も調査にのみ労力を払う事が出来ている。 「陽が落ちかけて、数も増えてる。より注意して進む必要があるだろうな」 佐大夫はそう言葉を加え、視界の悪くなった周囲に対応するよう目を細めた。 そうして凝らした彼の目が瞬かれる。 「珠樹‥‥アレは何だ?」 「――木の壁、かしらね‥‥」 これから進もうとする山頂への行く手。 それを遮るように立ちはだかる植物に、声を掛けられた珠樹の目が瞬かれる。 幾重にも絡まり出来上がった自然の壁は、この先への侵入を拒否するかのようだ。 「怪しすぎるわね」 ポツリと零された声に、耀が前に出る。 獣の耳をしきりに動かし警戒しながら壁に近付くと、注意深くそれを見据えた。 「罠の発見を主として鍛え上げた忍眼だが‥‥」 果たしてこの壁に有効なのかどうか。 半信半疑で探る。 その間にも、珠樹と佐大夫は聴覚を最大限に広げて僅かな物音も逃さないようにと気を配る。 そもそも、先ほどから彼らの耳には嫌な音が届いているのだ。 草を割る音、草を踏む音、そして呻き声の様な音。 それは確実に草の壁の向こうから聞こえている。 「‥‥何かわかった?」 珠樹の声に耀の目が上がった。 緩やかに振られる首に結果は瞭然。罠らしきものは何もなかったと言うことだ。 つまり、この壁は本当に自然に出来た物であり、その原因はこの向こう側にあると言うことだ。 「この向こうに何かがあるのは確実だろう。それも、良くないモノがな」 佐大夫の言いたい事は分かる。 この向こうには今回の調査対象がいる――そう言うことだ。 「ここ‥‥抜けられない?」 「切れ目があれば可能だろう。ただそれを探す時間が惜しい」 呟く珠樹に耀が応えると、3人は黙り込んでしまった。 そして―― 「一旦、皆と合流した方が良いかもな――っ!」 そう佐大夫が口にした時だ。 ――バサバサッ! 草の音が響くと同時に、植物の壁から巨大な手が飛び出してきた。 それを寸前の所で交わして飛び退いた3人は思わず目を見開く。 「ちょっと‥‥まさか、出てくるとか言わないわよね」 珠樹の声に全員の背筋に寒い物が走る。 そうしている間にも、壁から伸びる手の数が増え彼らを圧倒して行く。 流石にこの状況は拙い。 「逃げるわよ!」 そう言うと、珠樹は呼子笛を吹いた。 辺りに響き渡る甲高い笛の音。その音を確認すると、3人はその身を返し山を下りて行った。 ――ピー‥‥ッ。 笛の音が響いたのは、頭上に月が昇った頃だった。 辺りが闇に覆われるごとに増えるモドキ。 その最後の一体を、破壊力を付加して放った刃で斬り捨てると、将門は山頂を見上げた。 「何か貴重な情報が手に入ったのか」 口にしながら、瘴気の付着した刃を払う。 その上で珠刀「阿見」を鞘に戻すと、彼は同じく刀を鞘に納める仲間を振り返った。 「一度合流するで良いか?」 「ええ‥‥こちらも、重要な情報は手に入りましたので」 モドキの喉元から刃を引き抜いた竣嶽の声に、他の皆が頷く。 「これで少し休めるかねぇ」 ここまで回復に専念していた氷は、既にくたくたに疲れきっている。 そろそろ休憩に時間を割きたいところだが、溢れるモドキを見る限り、その余裕すらない。 「とにかく戻りましょう。時間はまだありますし、戻ることも可能でしょうから」 和奏の声に異論を唱える者はいなかった。 そして一行は、モドキに注意しながら山を下りる事になった。 ● 「山頂付近のこの場所‥‥ここに、植物の壁がありました」 耀はそう言うと地図に筆を落とした。 それに合わせて珠樹は、進むにつれて増えて行ったモドキの様子を皆に報告する。 「昼間は活動が弱い印象を受けたわね。後は、壁の向こうには確実にモドキがいるわ」 「しかも大量にな」 珠樹の言葉に佐大夫が付け加える。 今思い返してもゾッとする光景だった。 見えた手だけでも相当の数がいる事が考えられる。 「今のまま向かっても、全てを退治できる見込みは無い。万全の対策が必要‥‥そう言うことだろうな」 佐大夫の声を聞き、嘉栄は僅かに視線を落とした。 そこに戦闘班の面々も報告を加える。 「モドキさんは、どうも痛みを感じてない様子でした‥‥どれだけ斬っても、向かって来ましたし」 「ああ、真っ二つにされても動いてたしな」 和奏の声を拾い、将門が呟く。 「しかし喉には痛覚があった様子‥‥そこを狙えが攻略は容易くなるかと思います」 どれだけ攻撃をしても堪えなかったモドキが、唯一怯んだ場所――それが喉だ。 それを知った後は、喉を中心に攻撃を加えて退治したので情報に間違いはないだろう。 「とりあえずここまでかなあ」 氷の呟きに、皆の目が落ちる。 出来る事なら発生源に向かいたいが、このまま向かうのは無謀だろう。 「一度、霜蓮寺に戻りましょう。出現場所、対策方法が分かっただけでも十分です」 「ん‥‥またなんかあれば呼んでくれい」 氷のその言葉に僅かに頷き、嘉栄は開拓者と共に山を下りて行った。 |