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■オープニング本文 背を駆ける赤毛。それを風に靡かせ、1人の少女が龍の手綱を引く。 「緋皇(ひおう)、雷雲が見える。迂回して雷雨を回避するぞ!」 勇ましく響く声に緋皇と呼ばれた炎龍が声を上げる。 気性が荒いとされる炎龍を意のままに操る少女は、髪と同じ燃えるような赤の瞳を輝かせ、龍が進む先を見据えた。 彼女が見据える先には開拓者ギルドの本拠地が据えられた「神楽の都」が在る。 遠路遥々龍を駆って其処を目指すには訳があった。それこそ、強い意志を持って目指す訳が―― ●神楽の都 何の変哲もない昼下がり。 普段通り、剣術の稽古を終え自らの住まいに戻った天元 征四郎(iz0001)は、玄関に足を踏み入れた途端に飛び込んだ光景に息を呑んだ。 「遅かったな」 静かに紡がれる声は、本来此処に居る筈のない人物の物。それを耳に、征四郎は静かに目を逸らした。 「……修業が、伸びただけです」 「そうか」 短く返された声に、短い言葉が返る。 その後、僅かな沈黙が走り、それを屋敷に訪れた人物――天元 恭一郎(iz0229)が破った。 「実家より連絡が入った」 「……俺は、天元の家を出た身……関係ないかと」 征四郎はそう言葉を切って恭一郎を見た。 征四郎が実家を離れたのが数年前。そしてそれを良しとしなかった実家が彼を勘当し、ほぼ関わりを持たなくなって数年。 故あって、時折家の頼みは聞いていたが、それでも疎遠と言って相違ない状態だった。 「五十鈴が家を出た。そう言っても、関係ないと?」 「五十鈴、が……?」 五十鈴(いすず)とは征四郎の直ぐ下の妹で、天元家で唯一の女児だ。だからだろうか、彼の父は五十鈴を大事にしており、容易に家を出るなど出来ない筈だった。 だが、恭一郎は五十鈴が家を出たと言う。 「姿を消したのは昨晩から今朝に掛けてらしい。詳しい時間帯は不明。五十鈴の大事にしていた炎龍が共に姿を消している事から、龍を駆って家を出たようだ」 五十鈴も天元家の娘。幼い頃より剣術を学び、兄達と共に龍の騎乗法は勿論、多くの戦術を学んで来た。 故に、彼女が龍を駆って何処かへ向かったと聞いても驚きはしない。だが、誰にも何も伝えず家を出ると言うのは可笑しい。 「手掛かりは炎龍のみ……如何する」 恭一郎はそう言うと、征四郎の目をじっと見た。 五十鈴を探しに行くも行かないも征四郎の自由。彼はそう言外に告げてくる。 「……兄上は、いつもそうだ……」 征四郎は小さく息を吐くと、一度視線を逸らし、そして改めて恭一郎の目を見た。 「開拓者ギルドで情報を――」 「征四郎君、大変……だ?」 突如屋敷に飛び込んで来た山本・善治郎に天元兄弟の目が向かう。 「あ、えっと……恭一郎さんも、ご一緒、でしたか……あー……それじゃあ、他を……」 「何があった……?」 開拓者ギルド職員を務める彼が来たと言う事は、ギルドで火急の仕事が入ったか、困った事があったと言う事だ。 ならばそれを無下にする訳にもいかない。せめて、話だけでも……そう、口にする征四郎に、山本は少し思案した後に口を開いた。 「実は、此処から朱藩に向かう途中で龍が暴れてるって情報が入って。事の真偽と解決を頼もうかと思ったんだよ」 「此処から朱藩に向かう途中……兄上、まさか」 「間違いない」 2人は顔を見合わせると、小さく頷き合った。 これに山本の目が瞬かれる。 「えっと……?」 「その依頼、引き受ける……詳しい情報を」 征四郎はそう口にすると、改めて山本の話に耳を傾けた。 ●暴走する炎龍 神楽の都からそう遠くない山の頂。その周辺に炎龍の目撃情報が入って僅か。 征四郎は急ぎ龍を駆って現場を訪れていた。 「あの山の先……其処に落ちて行くのが見えたよ」 そう教えてくれたのは、付近の里の子。 子は山の頂から山間に落ちて行く龍の姿を見たと言う。龍は何かに怯えるように咆哮を上げ、炎を撒き散らしながら空を駆けていたらしい。 「……急ごう」 征四郎はそう口にして、龍の手綱を引く。 それに続くのはギルドで彼に手を貸してくれると申し出てくれた者達だ。 「……」 普段の通り表情は薄く伺えないが、龍を急かす姿から妹が心配な様子は想像できる。 開拓者達も彼と同じく急ぎ龍を駆る。そして龍が落ちる姿を目撃したとされる場所に辿り着いた時、突如赤い物が横切った。 「ッ、セイ!」 「!」 聞き覚えのある声に目が動いた。 直後捉えたのは人を乗せた龍。それも手が付けられない程に興奮して暴れている龍だ。 「……五十鈴」 征四郎はそう呟くと、急ぎ龍の方向を転換させた。 だが龍を近付ける事は出来なかった。 暴れる龍は他の龍を近付けさせてくれず、五十鈴も龍を制御する事が出来ていない。 心配する開拓者に征四郎は言う。 「……炎龍暴走の原因排除は兄上が行ってくれる。俺達は、五十鈴を無事連れ戻すだけ」 開拓者ギルドを出る際、双方で役割を決めた。 征四郎は五十鈴を暴走する炎龍から連れ戻す。そして恭一郎は炎龍が暴走した原因を排除する。 今頃、恭一郎は炎龍がこれ以上暴れないように何かしらの策を取っている筈だ。ならば征四郎は、彼との約束通り五十鈴を連れ戻せば良い。 「炎龍を傷付けても構わない。五十鈴を無事――」 「緋皇を傷付けたらぶっ殺す!!!」 「…………」 炎龍の安否は不要。そう言おうとした瞬間に響いた声に征四郎は勿論、他の面々も固まった。 今の声、暴走する炎龍の背に居る五十鈴が放った物だ。あまりに征四郎や恭一郎と印象の違う娘に、全員が面食らったように征四郎を見た。 その視線に、征四郎は僅かに苦笑を零す。 そして―― 「……すまない。出来るだけ傷付けず、炎龍と五十鈴を止めてくれ……」 そう零すと、彼は珍しく盛大な溜息を零して手綱を握り締めた。 |
■参加者一覧
北條 黯羽(ia0072)
25歳・女・陰
志藤 久遠(ia0597)
26歳・女・志
祓(ia8160)
11歳・女・サ
アルーシュ・リトナ(ib0119)
19歳・女・吟
ヘルゥ・アル=マリキ(ib6684)
13歳・女・砂
レト(ib6904)
15歳・女・ジ
六車 焔迅(ib7427)
17歳・男・砲
エルレーン(ib7455)
18歳・女・志 |
■リプレイ本文 舞い上がる炎色の龍。その背に跨り、天元 征四郎(iz0001)の妹、天元五十鈴は険しい表情で眼前に控える龍たちを見据えた。 「近付くんじゃねえ! あんたらが近付くから余計に緋皇が興奮するんだっ!」 そうは言うが、現状を考えれば早急な対処が必要なのは一目瞭然。このまま五十鈴の龍――緋皇を放置すれば今は彼女だけの被害も、周囲に飛び火する可能性がある。 「暴れている炎龍を傷付けずにとか、近づくなとか、無茶を言ってくれるよね……まあ、嫌いじゃないけどね」 クツリ。 そう笑って口角を上げたレト(ib6904)は、龍の手綱を引き寄せると一先ずの接近を停止した。 これに他の龍も足並みを揃えて立ち止まる。 「ふぅむ。あの状態でも龍を傷付けるなと言い、今度は近付けるな、じゃと? はっはっはー、気持ちはわかるぞっ」 そう軽口を零しつつも嬉しげに笑うのはヘルゥ・アル=マリキ(ib6684)だ。彼女は軽快な笑い声をそこに残し、五十鈴との距離を詰めずに上空へと飛翔した。 その姿に緋皇の首が擡げられ、上体が逸らされる。どうやらヘルゥの龍、ヤークートの動きを受けてのものらしい。 「フィアールカ、ヘルゥさんの前へ」 優しげな声が響き、菫色の龍が炎龍の動きを隠した。とは言え、やや小柄な体の龍には全てを隠しきる事は出来ない。 それでも僅かに覆われた炎龍の動きに、緋皇の動きが先の暴走段階の物へ戻ってきた。 「ありがとう」 アルーシュ・リトナ(ib0119)は菫色の龍の背を撫でて囁き、改めて緋皇と五十鈴を見た。 「色々とご事情があるようですが、まずは彼女たちをどうにかしませんと、ね」 「それが大前提であろうな。しかし主を乗せたまま我を失うとは、気性が荒い炎龍とは言え何事であろうか」 ふむ。 そう零した祓(ia8160)は、ふと視線を上空に飛ばした。 其処には飛翔した炎龍と、遠くを見据えるヘルゥが居る。彼女は青の双眼を眇めると、「やや」と声を発した。 「なんじゃあれは……まるで炎龍のようじゃな」 遠見を使用して映した出した光景。それは山間で暴れる炎龍に酷似した鳥の姿。 「炎龍に酷似した何かが原因で暴走していると……」 志藤 久遠(ia0597)はヘルゥの言葉を組んで声を発する。 「……口調と態度はともかく、朋友たる緋皇の身を案じればこその発言。今は気にせず五十鈴殿と緋皇の安全の確保に集中しましょう」 そう零し、無意識に自らの龍へ視線を落とす。そうして僅かに両の目を細めると、小さく息を吐き出し、五十鈴を見た。 彼女の龍は未だ暴走状態で手が付けられない。それに様子から察するに、到着後よりも更に暴れている気がする。 「くそっ……セイ! お前何しに来たんだ! 如何にかするならさっさとしろ!」 「中々に元気の良い嬢ちゃんじゃねぇの。ま、征四郎と似てるか似てねぇかはさておき……嬢ちゃんの仰せのまま、龍は傷付けずに迎えるんだろ?」 ニッと笑んで北條 黯羽(ia0072)が皆を振り返る。 この声と視線に六車 焔迅(ib7427)が頷いた。 「……活発な、子。今は、暴走している……から実際は、わからないけれど……あの炎龍は…よく似合っている、気がする」 「少し、何かがずれてる気もしますけど、傷付けずに……それは勿論ですとも」 そう力強く微笑んだアルーシュに、他の皆も同意して頷く。 「……ちゃんと、元の、緋皇に戻して、あげよう」 言って1つ頷くと、焔迅は駿龍の手綱を握り締めた。其処に声が響く。 「あの炎龍……乗り手の声も聞こえてないの? 五十鈴さんがいくら声をかけても、大人しくなる気配がない……」 五十鈴と同じ炎龍を伴い、エルレーン(ib7455)は眉を顰めて呟いた。 先程から、開拓者へ声を掛ける傍ら、五十鈴は必死に緋皇へ声を掛けている。しかし緋皇の気性は納まる様子を見せない。 「兄ぃ姉ぇの皆、原因はあの方角じゃ」 ヘルゥは飛翔させていた龍を皆が居る場所まで下すと、僅かに離れた山間を指差した。 「それじゃあ、あっちから引き離すように動くべきだな」 そうと決まれば行動だ。 レトはそう言葉を切り、早急に皆と作戦を立てる。そうして動き出した一考に、五十鈴の眉が上がった。 「っ、緋皇を傷付けたら――」 「あたしはジプシーのレト。よろしくな!」 元気良く響いた声に五十鈴の目が瞬かれる。 その姿を見つつ、征四郎は無言で自らの龍の手綱を引いた。 ● 「五十鈴さん! とにかく、そこから離れてほしいんだ!」 エルレーンはそう叫ぶと、五十鈴に緋皇から離れるよう願い出た。しかしこの声に五十鈴の眉が完全に吊り上る。 「そんなこと言って、あたしがここを離れたら、緋皇を殺すつもりなんだろ!」 五十鈴にとって緋皇は大事な龍なのだろう。もし自分が手を放したら、開拓者がどんな行動に出るのか不安でしかない。 その証拠に、今の声で緋皇の手綱を握る手が強くなったようだ。緋皇がそれに耐えきれず、声を上げているのが見える。 「五十鈴殿、緋皇の手綱を緩めて下さい!」 そう叫ぶのは、緋皇の下に回った久遠だ。 彼女は今にも前に突出しそうになる相棒の手綱を握り締め、表情を硬くする。そんな彼女の傍で、同じく上方に据える緋皇の動きを見守るヘルゥは「むぅ」と眉を寄せた。 「五十鈴姉ぇ……緋皇はよほど大事な朋友なんじゃな。とは言え、あのままでは危険じゃ」 この声に久遠は頷き、エルレーンは堪らずもう一度声を上げた。 「あなたがそこにいたら、緋皇くんを止められないの! 緋皇くんを傷つけたくないんだよね! だったら――」 「うるせぇ! だったら、あんたらがあたしを下ろした後で緋皇を傷付けないって証拠を見せろ!」 五十鈴がそう叫んだ瞬間。緋皇が身を返した。 向かうのは今さっき、遠ざけるために動いた場所。 「おっと、流石にそっちは拙いぜぃ」 黯羽は相棒の炎龍・寒月の手綱を引き視界に飛び込む。そうして牽制の意味で符を構えると、彼女の唇が言霊を踏んだ。 「嬢ちゃん、暗影符を使うぜぃ。しっかり手綱を握っとくようになぁ」 ニイッと上がった口角。そして言葉の通りに放たれた術に、緋皇が急停止した。 「五十鈴殿。私達は必要以上の乱暴をするつもりは元よりありません。一切傷をつけるなと仰るならその為に尽力もします」 「っ、そんな言葉――」 「これでも、信じて下さいませんか?」 「!」 五十鈴の目の前で投げられた物。それは龍の牙を覆い、爪を覆い、装甲を護る物――そう、本来なら身を守るためには必要な武器だ。 久遠は武器を失った事で普段以上に気性を荒くし、主の言う事を聞こうとしない篝の手綱を引いて制御に掛かる。 その姿に戸惑いを覗かせる五十鈴の目に、更に信じがたい光景が飛び込んで来た。 「我も傷付ける意志など無いぞ」 言って、祓の龍・雲淨も武器を外される。 次々と意志を形にして見せる開拓者たちに、五十鈴の表情が完全な戸惑いに変わった。 「こちらが下に回って受け止めに回りますので、離脱を承知して願えませんか?」 久遠はそう言葉を発すると、彼女を受け止めるために控える、ヘルゥとエルレーンを近くへ寄せる。 それに合わせ、警戒気味に緋皇の周りを飛んでいたアルーシュが龍を寄せた。 「今、五十鈴さんに出来る事は、事を早く終らせる為に緋皇さんから離れる事。私達が何をしようとしているのか、解りますよね?」 穏やかな声に五十鈴の眉間に皺が寄る。 その表情は何処となく苦し気で、何かを堪えているようにも見えた。 「おい、五十鈴! 聞こえてたら降りな! こっちで手助けするから!」 レトもサイフィスを近付けて声を掛ける。 次々と発せられる援助の声。否、声だけじゃない。行動でも信じるように促す彼等は信じる事が出来るかもしれない。 そうは思う。思うのだが―― 「様子……が変…」 焔迅の声に彼の相棒、雨林が後方に飛翔する。と、それと同時に、緋皇が火炎を放った。 暴れている所為か、四方へ飛び散る様に舞った火の粉。此れに急ぎ皆が龍を退かせる。 「焔迅兄ぃの言う通りじゃ。緋皇の様子がおかしい……五十鈴姉ぇは、手綱を離せない理由があるのじゃろうか?」 ヘルゥの声に、皆が五十鈴に注目した。 焦る様子の彼女と、暴れる緋皇。一見すれば五十鈴が緋皇を抑えるために手綱を握っているように見える。 「手綱が引っ掛かっておるのじゃろうか?」 ポツリと零されたヘルゥの声に、エルレーンは表情を引き締めた。 「ラル……気を引き締めてね!」 行くよ。そう声を掛け下から窺う様に緋皇に近付く。そうして目に留めた五十鈴と緋皇の姿に確信した。 「ヘルゥさんの、言う通り……」 五十鈴の手に絡まる様に撒き付いた手綱。暴れる緋皇を抑えるために自ら巻いたのだろう。 今は緋皇の動きに翻弄され、完全に絡まったと見える。 「あー、もう! 離せないんじゃ仕方ない! じゃあなんとかおさえなよ! サポートはするからさ!!」 レトはそう声を掛けるとサイフィスの脇を脚で叩いた。此れに相棒の動きが加速する。 一気に近付き緋皇の視界に飛び込んだ駿龍は、彼の者の攻撃が見舞われる前に回避して飛翔する。そうして再び近付くと、五十鈴の目に何かが飛び込んで来た。 「あたしも、他の皆も、自分の龍は大事さ。だから気持ちは判る」 言って、鞭に巻き付けた白き羽毛の宝珠を受け取るよう促すと、笑顔を彼女に向けた。 「――信じな。必ず助ける」 そう言った彼女に、五十鈴の手が伸ばされた。 しかし―― 「! ……危、ない」 緋皇とレトの間、其処に飛び込んだ駿龍の燐が禿げる。此れに表情を引き締めた焔迅が漆黒の銃身を緋皇に向けた。 「下がっ、て……」 響く銃声。そして緋皇の脇を駆け抜けた弾丸に、緋色の龍が奇声を上げて身を反転させた。 咆哮にも似た叫びを上げて飛来する緋皇。だがその行く手を別の龍が遮る。 「嬢ちゃん、呪縛符を使おうと思うが、どうかねぇ?」 突然現れた影に、緋皇は狼狽。無意識に振り上げた牙が眼前の影を噛み切った。 だが攻撃は厚い壁に遮られて留まってしまう。代わりに、攻撃を受け止める龍の背に乗った黯羽が符を構えると、五十鈴が叫んだ。 「駄目だ! 緋皇が堕ちる!」 「――っと……寒月、一端退きな!」 急ぎ詠唱を止めた刹那、二度目の爪が降り掛かる。だがそれを寸前の所で回避すると、彼女の援護するように別の龍が飛び込んで来た。 「降りれないのなら、疲れさせるのみです。……五十鈴さん、くれぐれも、無理はしませんよう」 アルーシュはそう告げ、緋皇の視線を奪うよう駆け抜けてゆく。此れに緋色の龍が空を仰いだ。 一気に加速して駆けてゆく龍を、開拓者の龍が合わせた様に追いかける。そうして動き出した龍を視界に、征四郎もまた自らの龍を動かした。 ● 五十鈴を説得し、彼女の龍を追いかけに掛かっても無言の征四郎に、五十鈴の目が一瞬だけ向いた。 「ッ……嬢ちゃん、前を見てないと危ないぜ」 ハッとした時には遅かった。 緋皇に振り回され気付いた時には、黯羽の龍に体当たりしていた――否、彼女が態と緋皇を受け止めたのだ。 その後方には高く伸びた木。 障害と成り得る物から彼女と緋皇を護ろうとする黯羽に、五十鈴の勝気な目が眇められる。 「……悪い」 そうは言うが、緋皇は今ので黯羽の龍、寒月に攻撃を定めようとしている。 「緋皇、止めるんだ!」 必死に叫ぶも、緋皇は聞かない。 広げた口から覗く牙が寒月の肉を喰らおうと動く。しかし緋皇の動きを止めるモノ、遮るモノは他にもある。 「雲淨、出来るならばそのまま緋皇を抑えておれ」 自らの身を硬くし、体ごと緋皇の前に差し出した祓の龍は、低く唸ってジッと耐える。 牙が燐の傍で留まり、ガチガチと鳴る中、五十鈴は何とか緋皇を引き離そうと手綱を引く。 だが緋皇は下がらない。 「五十鈴、綱は切れんのか!」 叫ぶ声に五十鈴の目が上がった。 何か言おうと口を開く。だが次の瞬間、緋皇の口から火炎が放たれた。 「雲淨、防御を――」 「ほら、こっち向きな!」 緋皇の首に巻き付いた鞭。それが火炎を放つと同時に空を仰がせる。そうして顔が完全に引き寄せられると、緋皇の翼が大きく動かされた。 「っ、凄い力だ!」 ギチギチと手の中で軋む鞭。それを必死に握り締めながらレトは限界まで引き付けようと動く。 それに祓がいま一度動いた。 「五十鈴、綱は切れんのか!」 先の問いを今一度向ける。その声に、今まで黙って開拓者の動きの補佐をしていた征四郎が口を開いた。 「大事な綱だ……五十鈴には切れない」 「……大事な」 どの様に、とも、どれだけ、とも言わず、それだけを告げ再び補佐に戻る征四郎を見、祓は五十鈴に目を戻した。 「アルーシュ、頼むよ!」 レトの声にアルーシュの竪琴が響く。穏やかに、優しく響く音色に、緋皇が声を上げた。 「呪術の為に暴れているのなら、どうか、大人しくなってください……お願い」 祈りを篭め、一節、一節に思いを乗せる。 その音色が効いたのか否か、緋皇の動きが僅かにだが大人しくなった。 「これな、ら……あの子…を、下ろせ……ううん、まだダ……メだ」 カチリ。構えた銃身が空を捉える。 焔迅はスウッと双眼を細めると、意識を引き金に掛けてチラリと緋皇を見た。 「……いま」 飛び上がる瞬間を狙い、同時に銃弾を放つ。 空に向けて放たれた弾は、綺麗な弾道を描いて駆けあがる。そして一瞬にして緋皇を追い抜き――彼の者の前で曲がった。 「!」 目の前を突如掠めた弾丸に緋皇も五十鈴も目を見開く。 そうして緋皇は奇声を上げて身を返すと、元来た道を戻り始めた。 「下……行きま…した」 急降下する緋色の龍。それを待っていたかのように下方で控えていた3体の龍が動き出した。 「よし、緋皇こっちじゃ!」 一直線に迫る龍。それにヘルゥが叫ぶ。 そして急降下する緋皇に合わせて同じ速度で急降下する龍が1体。 「五十鈴殿、手を放されませんよう!」 「っ、わかってる……」 突然の龍の動きに五十鈴は手を放しかけていた。腕に巻き付いた手綱が彼女の肌に喰い込み、薄らと血を滲ませている。 「……肉だけでは、ないかもしれませんね」 久遠はポツリと零し、炎龍を動かす。 付かず、離れず、その距離を保ちながら、いつ五十鈴が振り下ろされても良いように動く。 「久遠さん、五十鈴さん、前!」 エルレーンも彼女たちに添って動いていた。 だが、彼女達よりも前を見ていた所為だろう。直ぐに障害物に気付き軌道を修正。 森に突っ込みそうになる龍の手綱を引き、久遠は何とかそれを回避。しかし緋皇はそうもいかなかった。 「五十鈴姉ぇ!」 緋皇も必死に軌道を修正に掛かるが、主の制御外で動いている所為か上手くいかない。それに加え、五十鈴がしがみ付いているので、動きも遅くなっていた。 ザザザッ、バキバキバキ…… 枝の折れる音が響き、次いで木の葉が舞い上がる。 そして地面に叩き付けられる直前。五十鈴の視界を黒い物が掠めた。 「――――」 土埃と潰れた草の匂いが鼻孔を擽り、息が奪われる。だがそれだけだった。 「ギリギリだった、なぁ……」 背から響いた声に五十鈴が飛び上がった。 大地に横たわり、五十鈴と緋皇を護ったモノ。それは黯羽と彼女の龍、寒月だ。 見た所、黯羽も寒月も大した怪我はない。落ちる直前で緋皇と五十鈴を支えたが故だろう。 「……武器を捨てたり、身を挺したり……これが、開拓者……」 呆然と呟く五十鈴の耳に、龍の咆哮が響いた。 未だ混乱が納まらないらしい緋皇が、空へ飛び立とうとしている。それに気付いた五十鈴は急ぎ彼の龍の手綱を引き寄せた。 「緋皇、大丈夫だ……あの鳥は、もういない」 大丈夫、大丈夫。 そう声を掛け宥めようとする。それでも納まらない緋皇に五十鈴の顔が困った其れに変わった時、緋皇は再び火を噴いた。 「! 森が――」 「此方を向くがよい!」 声高く響く祓の声に緋皇の首が動く。 そうして受け止められた首に、エルレーンの龍が怒りも露わに吼えた。 「怒っちゃだめだよ、ラル! あの子、きっと怖がってるだけなんだよ!」 叫ぶ龍を嗜め、そっと背を撫でる。 その感触に自らの龍が大人しくなるのを確認して、エルレーンは五十鈴と緋皇を見た。 「私たちは危害を加えない。本当だよ?」 次々と舞い降りる龍。それらを視界に留め、緋皇が警戒を覗かせる。それでも攻撃に転じない所を見ると正気を取り戻しかけているのだろうか。 「……緋皇、声が分かるなら翼を畳め」 五十鈴がそう告げると、緋皇はようやく落ち着いた様子を見せ、皆の前で土の上に身を伏せた。 ● 「あ、あのさ……この程度の怪我、なんともない……」 「あれさね……折角、兄上に逢うのなら傷がねぇ方が良いだろ?」 「いや、あんたの方が酷いだろ……」 シドロモドロに呟き、黯羽の治癒を受ける五十鈴。その姿を見ながら、焔迅は自らの銃を丁寧に仕舞い、にこりと笑みを零した。 「やっぱり、よく……似合ってる」 緋皇と五十鈴を見比べてコクリと頷いた彼は、自身の龍、雨林を振り返りその背を撫でた。 「……お疲、れ」 口数少ないながらも労わる主人の声に、雨林は嬉しそうだ。 そんな彼の傍らでは、エルレーンもまた、自らの龍を労いその頭を撫でていた。 「ふう……結構大変だったねえ、ラル。よく頑張ったねえ、いい子いい子!」 戦場を離れれば一転して人懐っこく、そして大人しくなる龍。彼女はその頭を、背を撫でてやりながら、黯羽に治療されている五十鈴を見、そして緋皇を見た。 「……何だか、わけありそうな感じだねえ」 朱藩国から龍を駆って出て来た女の子。それだけでも何かあると感じさせる。それに加えて今回の騒動だ。あまり良いことでは無さそうな気がする。 「のう、ヤークートよ」 未だ龍の背に居たヘルゥは、小さくじゃれ付く様に頬を寄せ、龍の顔を覗き込んだ。 「どうじゃ。私の実力を認めて、そろそろ落ち着いてくれんかの?」 練習の時の飛び方と今日の緋皇との飛び方。それらを比べると、練習の時わざと今日より酷い飛び方をしているように見える。 故にそう言葉を掛けたのだが―― 「ぬぉう!?」 ぶんぶんと首を横に振るヤークートに、ヘルゥが地面に尻餅を着いた。 その姿に、祓がクスリと笑みを零す。 「なかなか良い関係ではないか」 呟き、緋皇を見る。 緋皇はアルーシュが用意してくれた水を飲み、彼女に傷の手当てをして貰っていた。 「緋皇よ、事が終わった暁には主に感謝するがよい。大怪我を負ったとしても文句は言えぬ状況ぞ」 そっと頬を撫でると、緋皇は落ち着いた様子で頬を寄せてくる。 これが本来の気性なのだろう。 久遠はその様子を眺め見ながら、最後まで我慢に我慢を重ねた篝を仰ぎ見た。 「……骨が折れましたね」 フッと安堵の笑みを零すと、五十鈴が動くのが見えた。 「……あんたらには暴言を吐いた。悪かったな」 そう言って頭を下げた五十鈴に叱責が飛ぶ。 「何故、家を出た」 静かに、それでも怒りを抑える声に五十鈴の顔が向かう。其処に居たのは征四郎だ。 「久々の対面だってのに相変わらず仏頂……ん?」 きょとんと眼を瞬いた五十鈴に征四郎の眉が寄る。何事か。そう問いたいのだろう。 「セイ……『また』縮んだか?」 ピクリと征四郎の眉が再び動いた。 殆ど表情は動いていないが、気分を害したのだけは何故か伝わってくる。 「……お前が、大きくなったんだ」 「あはっ、そっか♪ なら良かったぜ!」 五十鈴はそう言って笑うと、征四郎の頭を撫でて頷いた。 そして征四郎はと言うと、言葉を発する事に疲れたのか、長い溜息を零して口を噤み、首を静かに横に振って彼女から離れて行った。 |