赤龍失踪す
マスター名:朝臣 あむ
シナリオ形態: シリーズ
EX :危険
難易度: 難しい
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2012/05/13 01:04



■オープニング本文

前回のリプレイを見る


●赤龍の痕跡
 開拓者ギルドに足を運んだ天元 征四郎(iz0001)と天元 恭一郎(iz0229)は、職員の山本・善治郎の前で厳しい表情で眉を寄せていた。
「海道・曹司……確かに、開拓者名簿に名前はあるけど、僕より恭一郎さんの方が詳しいんじゃないかな?」
 そう口にした善治郎は、先程まで開拓者名簿を調べていた。
 その内容は、海道・曹司(かいどう そうじ)と言う人物の所在及び、在籍の有無だ。
「確かに、僕の方が詳しいでしょう。ですが今も開拓者として名を連ねているかは、些か……」
「その点は問題なくこっちでわかりましたけど……何で急にこの人物を――ま、まさか、コイツが道場、んぐぐぐむぐ」
 行き成り大きな声を放った善治郎の口を、恭一郎の手が塞ぐ。そして善治郎の顔を覗き込むと、呆れたように息を吐いた。
「その接点は未だありません。ですが、妹の五十鈴が姿を消した際、彼が関わっていたとの情報が入ったのです」
「ぷはっ……何、五十鈴ちゃんまた居なくなったの?」
 然して驚いた様子もなく問う善治郎に、今度は征四郎が頷く。
「今朝、道場襲撃の情報がないかと、ギルドへ行ったきり戻らない……心配で見に来たら不在な上、嫌な噂も耳にした……」
 五十鈴が家を出たのが明け方。
 そして今は夜の帳が下りて久しい頃。彼女が姿を消して半日は経っている。
「でも、単純にまだ探してるとかは無いんですか?」
「残念ながら。五十鈴は僕と約束をしていましたので、それを違える事は無いと思います」
「約束?」
 どんな。
 そう問いかける善治郎に、問いを向けられた恭一郎ではなく征四郎が口を開いた。
「……兄上は、怒らせると怖い」
 要は、戻って来なければ罰を与える。とでも言われたのだろう。
 その罰の内容は聞かない方が良さそうだ。
「兄上。もう少し、海道の情報を探りますか……?」
「それに関しては此方で調べる。浪志組の者が何か知っているかも知れないしな」
 そもそも海道は、浪志組発足以降、何度か彼等の仕事を邪魔している。とは言え、彼自身が邪魔をしていた訳ではなく、彼に雇われた者が彼に変わって行っていたに過ぎない。
「元々、浪志組発足に反発していた人物……五十鈴を攫ったのも、浪志組に属する者への嫌がらせか……それとも、他の何かか……」
 とは言え――
「真田の理想に異を唱える者を放っては置けん。それに、五十鈴に関しても然り。至急、情報網を使用し、五十鈴と海道の形跡を追おう。予想が正しければ今頃は――」

●行く手を阻むモノ
 空を行く、飛空船の甲板。
 手摺に凭れて雲海を眺める征四郎は、海の先に在る筈の朱藩国の存在を見据え、息を吐いた。
「浪志組を邪魔する者が、五十鈴を……そして、奴等は、朱藩国へ……」
 五十鈴を攫ったとされる海道曹司。彼は浪志組に反発し、幾度となく妨害行動を行っていた。
 そして今、彼は五十鈴を伴い朱藩国へ向かっている。
 これが恭一郎の集めた情報だ。
「……兄上への嫌がらせに五十鈴を使う、か……方法は卑怯だが、腕は、確かだろう……」
 五十鈴は決して弱くない。
 その彼女を人目に付く場所で一瞬にして攫った。その腕は確かに侮りがたい。
 征四郎は憂い気に目を落すと、飛空船の周囲を飛ぶ数体の龍へ目を向けた。
 其処に居るのは恭一郎と、彼が集めた開拓者だ。
「兄上の予想が正しければ……恐らく、そろそろ……」
 そう口にした時、予想していた事態が起きた。
「――敵襲! 敵襲! アヤカシの群を前方に捕捉!!」
 警戒音と共に響き渡る声に、征四郎の目が上がった。
 その先には、飛空船の進行方向を塞ぐように無数の黒い点がある。
「来たか!」
 征四郎はそう叫ぶと、急ぎ駆け出した。
 そして戦闘に適した甲板の中央に飛び出すのだが、其処で彼は思わぬものを目にする。
「これは……」
 甲板に立つ無数のアヤカシ。
 アヤカシが来たとの情報からてっきり飛翔できる敵だと思っていたのだが、実際に其処に居るのは翼も何もない、陸に居る筈のアヤカシばかり。
「アヤカシの襲撃、と言うのも奇妙だが……これも、奇妙な話だな……」
 呟き、征四郎は彼と共に飛空船に乗り込んだ仲間を見た。
「空の敵は兄上達に……俺達は、飛空船を守る……!」
 そう叫ぶや否や、征四郎は刀を抜き取り、アヤカシの群に斬り込んで行った。


■参加者一覧
北條 黯羽(ia0072
25歳・女・陰
志藤 久遠(ia0597
26歳・女・志
祓(ia8160
11歳・女・サ
アルーシュ・リトナ(ib0119
19歳・女・吟
ヘルゥ・アル=マリキ(ib6684
13歳・女・砂
レト(ib6904
15歳・女・ジ
六車 焔迅(ib7427
17歳・男・砲
エルレーン(ib7455
18歳・女・志


■リプレイ本文

 飛空船の決して広くはない甲板の上。
 其処へ現れた無数のアヤカシに、乗組員らは狼狽を隠せない。
 事前に天元兄弟から襲撃の可能性を示唆されたとは言え、この状況は予想の範囲外だったようだ。
 船を制御する手を止め右往左往する様子に、ヘルゥ・アル=マリキ(ib6684)が声を上げる。
「乗組員の皆は、私達を信じて操舵に専念して欲しいのじゃ!」
 言って、短筒の引き金を引く。
 ヘルゥを含めた開拓者は、まず自らの置かれた状況把握に専念していた。
 本格的な戦闘は現状を把握してから。そして安全を確保できる位置を確保する所から始まる。
「しかし、こいつらどこから出おった」
 ヘルゥが疑問を持つのも無理はない。
 この場に居る敵はどう見ても陸上に存在すべき敵。二尾狐も氷兎も、いずれも空を飛ぶ事など出来ないのだ。
「ここは陸じゃねぇってのにな」
 何処から入り込んだ。そう言葉を濁して呟く北條 黯羽(ia0072)の表情は若干だが険しい。
「雲ん中に、アヤカシを運んできた何かが潜んでる……とかぁ、想像逞しくしたくはなるが」
 ふむ。
 黯羽は1つ息を吐き、空を見上げた。
 その時だ、彼女の目に思わぬモノが飛び込んでくる。
「ありゃぁ、小雷蛇か……厄介なもんが潜んでやがるな」
 雲の中を泳ぐ生き物を捉えた。
 元々雲の中に潜む事の多い敵だが、此処で陸上のアヤカシと現れたのは偶然とは考えにくい。
「本当に想像が逞しくなるなぁ」
 クツリと喉を鳴らし、黯羽の手で数枚の符が広げられる。その上で陰の術を放つと彼女は全体を大きく見回した。
「なんで兎が空にいるのさ!」
 そう叫んで苛立つのはレトだ。
 そもそも彼女は今回、飛空船に乗り込む前から怒りを隠さずにいた。その理由は勿論ある。
 それに今回、この場に立つ者の多くが苛立ちを抱えているのは事実だ。
「浪士組の揉め事など我は知らぬ。興味も無い。だが、五十鈴が巻き込まれたとあっては、話は別ぞ」
 朱の大きな槍を小柄な見ながら使いこなす祓(ia8160)は、そう言葉を零して目の前の敵を突く。
 そう、開拓者達の苛立ちの原因は五十鈴が攫われたと言う事実に対して。
「天元の道場が狙われているのなら、五十鈴殿も狙われていても何ら不思議はなし……不覚を取りましたね」
 祓の声を拾った志藤 久遠(ia0597)が、苦々しげに呟き踏み込みを深める。そうして前方の敵に一撃見舞うと、祓の持つ槍よりも遥かに丈のある槍を振り下ろした。
 其処へ新たなアヤカシが迫るが、其れは彼女の間合いに飛び込む前に撃ち払われた。
「……征四郎さんの、説得も…終わり、何とか、なったと…ほっとしていた……所で、この、問題」
 硝煙の上がる筒を構え直し零す六車 焔迅(ib7427)は、表情険しく新たな敵に狙いを定める。
 普段口数が少ないものの、誰よりも感情を顔に出す事が多い彼は、この場の誰よりも怒っているように見える。
 そしてそれは彼の次の言動でも伺う事が出来た。
「……つまり、土手っ腹に…風穴を開けてほしい…と、いう事ですね。その人」
 言って「ふふふ」と怪しい笑い声を零した彼へ、今まで共に闘ってきた仲間がギョッとして振り返る。
「ふふふ、さぁ……追いかけ、ましょう追いかけま、しょう。立ちはだかるもの…は、全て粉砕……するのみ、です」
 そう零すと同時に放たれた弾は、前方を塞ぐ敵を撃ち抜く。
「こんな風に……今目の前、にいる…アヤカシと、かね」
「まったくだ! 身内を攫って利用するってやり口は許せない! やりかたが汚いにも程があるってんだよっ!」
 掛かって来い!
 そう言わんばかりにレト(ib6904)が斬り込んでゆく。その姿は冷静とは言い難い。
 それでも今の所劣勢に見えないのは、他の面々が確りと彼女たちの援護をしているからだろう。
「若いってのは良いねぇ」
「黯羽さんも、充分お若いですよ」
「勿論そのつもりさね……まぁ、血気盛んなのは良いことだぁが、前に出過ぎるのは考えものさ」
 援護できる範囲は限られている。
 それに自分らが戦いを繰り広げるこの場所は地上ではない。足場も悪く、戦いに適しないのは必然。
「そこの方、急いで船内へ!」
 アルーシュ・リトナ(ib0119)の声に、甲板に残っていた乗組員が動き出す。其処へ当然の様にアヤカシが迫るが、勿論それを許す彼等ではない。
「いまの内に、はやく中に入って!」
「は、はい!」
 蒼く輝く刀身を構え直し、乗組員を背に庇う形で立ったエルレーン(ib7455)は眉を潜める。
「すっごくめぐりあわせが悪いのか、そうでなきゃ……これも何かの悪巧み?!」
 そもそも条件が合い過ぎる。
「五十鈴さんが攫われたこともだけど……なんだかやっぱり、嫌な感じなの!」
 言って背後の扉が閉まると同時に飛び出す。
 俊敏な動きで一閃を見舞うと、彼女の周りに他の仲間も集まって来た。
「入り口はここだけでしょうか?」
「この甲板に関してはそうなる」
 アルーシュの声に天元 征四郎(iz0001)が答える。
 それを耳にしながら、レトは目の前の敵全てを見るように見回した。
「あの変な狐は2匹……兎はちょっとわかんないけど……」
 彼女の言うように二尾狐の数は2体。その前や後ろを塞ぐように立つ氷兎は複数。
 その数は少し減らしたにも拘わらず未だに不明と言った所だろうか。
「耳使って空でも飛んだのかよ」
「いえ、それはないかと」
 ボソリと呟き出された声に久遠が透かさず訂正の手を伸ばす。それに頬を僅かに赤く染めると、レトは武器を構え直した。
「じょ、冗談に決まってるだろ!」
 慌てて叫んでチラリと目を向ける。
 その時の久遠の表情は真面目そのものだ。
「にしても、追跡の妨害がアヤカシとは、ただの反体制では済みそうにありませんね。陸上型のアヤカシというのも気になりますし」
 彼女の言う事は尤もで、他の皆も抱えている疑問だろう。
「本当に、何故……が、募るばかり」
 五十鈴の無事は気になる。
 気にはなるが今すべき事は彼女の安否を気にして無茶をする事ではない。
「とにかく……まずはこのアヤカシ共を退けねばならぬな」
「そうじゃな」
 祓に応えつつヘルゥは先程の征四郎とアルーシュの遣り取りを思い出していた。
「この甲板の出入り口は1つ。ならば此処に陣取った上での戦闘が一番な気がするが……」
 流石に他の出入り口を塞ぐには手が足りない。下手に戦力を分散して力不足になっても困る。
「他の場所も気になるが、止むを得ないか」
 そう零し、祓は槍の先端を敵の中心部へ伸ばす。そうして両の足を肩幅以上に広げると大きく息を吸い込んだ。
 それに習い、他の者達も構えを取り直す。
「取り敢えずは船に乗ってきたアヤカシ共、全て滅相してやるさね。タダ乗りは駄目だぜぇ?」
「奇襲で奪われた戦の流れをこちらに引き寄せるぞ!」
 黯羽とヘルゥの声。
 この声を皮切りに長い闘いが幕を切った。


 甲板を受け尽くす勢いで現れたアヤカシ。その出現先は未だ不明。そもそもこれだけの数が湧くには飛空船は狭過ぎる。
「本当に、何処からこれだけの数が……」
 アルーシュは皆の最後方から呟く。
 その視線は前方で闘う仲間を含め、その先に居るアヤカシも捉えていた。
 出来るだけ全体を。出来るだけ全てを見、そして皆に報告しようと努める。
 しかし情報はあまりに少ない。
「アルーシュ殿、せめて数の把握だけでも出来ませんか!」
 前衛から飛ぶ声は久遠の物だろう。
 確かに数だけでも把握できれば状況は変わる。全てを倒すまでの時間、力配分なども考慮して闘う事が可能だ。
 だがその声に、アルーシュは焦りを浮かべて首を横に振った。
「……わかりません」
 悲壮感含めて呟く声に、久遠の槍が敵の喉を突き上げて唸る。その表情目は極めて険しい。
「消耗戦は明らかに不利。此方に利のある闘い方をしなければ、戦闘は長引くだけになるでしょう」
 久遠の言葉は敵全体を捉えての感想だ。
 目の前で氷の礫を形成して飛ばす兎は大した問題ではない。数こそ不明だが確実に倒してゆけば何時かは終わりが見える。そう感じさせる程度の戦闘能力だ。
 だがそれはこの敵だけが居る場合を指す。
「っ、コイツ、重い!」
 うねりを効かせて飛ばした鞭。その先に氷兎を巻き付けて引き寄せたレトの眉間に皺が寄る。
 見た目の可愛らしさと丸さ。其処から導き出したのは「見た目通りの重さ」という答えだ。
 しかし見た目通りであれば氷兎はかなり巨大。鹿ほどの大きさがある体はそれなりに重く、単純に手繰り寄せられる物ではない。
「せめて、遠くへ飛ばせればっ」
 腕全体に力を篭めて絡め取った敵を振り上げる。そうして甲板の外へ放り出そうとしたのだが、重さに巻けた鞭は甲板に氷兎を強く叩き付ける。
「――ッ!」
 その瞬間、飛空船が僅かに揺らいだ。
 そう、此処は空の上。
 飛空船はかなりな高度を早い速度で進んでいる。つまり、安定感もなく、平行に飛ぶ可能性も極めて低い状況にあるのだ。
「大きな衝撃は控えた方が良さそうです。とにかく、兎を少しでも減らして下さい」
 アルーシュの言葉に皆が従おうと動く。
 だがこの場での不利な条件はこれだけで納まらない。
「…あの、敵……危険…」
 銃口を前方に向け、焔迅は氷兎の後方を捉えた。
 氷兎を壁としてまるで護られるように存在する狐。二尾を揺らし、悠然と前を見据える敵は、時折奇妙な動きをして前衛を援護している。
「ぬぅ……あの狐、回復しておるのじゃ」
「……撃て、る?」
 彼等が今いる場所は、甲板に存在する唯一の入り口傍。そして二尾狐が居るのは彼等の延長線上の先。敵の壁の更に奥になる。
「ちと、距離が足らんが……試してみるのじゃ。焔迅兄ぃも可能なら、頼むのじゃ!」
 言うや否や、ヘルゥの小型の短筒が火を噴く。左右に握り締めた武器、それぞれから繰り出される弾は真っ直ぐ敵の陣へと飛んでゆく。
 だが、弾は届かない。
 それどころか二尾狐の前に陣取る氷兎によって阻まれてしまう。と、其処へヘルゥの放った弾とは別の弾が飛んで来た。
「……邪魔だ、から…消、えて……」
 ヘルゥの言葉に従い、弾に練力を篭めて銃撃を放った焔迅の攻撃だ。
 彼の攻撃はヘルゥよりも遥かに射程が長い。故に氷狐の間を縫うように走る弾は、更に先へと駆けて行った。
 そしてもう少しで二尾狐に到達する。そう思った時、再び氷兎がそれを遮った。
「まるで狐を護る様に動いているようだ。やはり先に此れ等を倒さねばならないと言う事か」
 骨の折れる作業になりそうだ。
 そう零す祓に続き、エルレーンも唸る様に頷く。だがその目は若干、怒気よりも戸惑いが強い。
「かぁいいような、気もするけど……けど!」
 握り締めた武器の柄。
 先程から応戦はするが、その度に別の感情が彼女の邪魔をする。
 確かに氷狐は可愛い。
 大きさこそ不気味だが、真っ白なふわふわの毛に、丸く角の取れた体は女性ならず、子供達も一目見たら「可愛い」と零す程に。
 しかし実際の所は見た目に反して攻撃的。現に今も、多くの氷の礫が甲板を行き来している。
「うぅ……しかたない。しかたがないの!」
 自らに言い聞かせるように放つ声。
 そうして顔を上げた彼女の目に決意の色が浮かんだ。
「――……じゃまをするなら、ゆるさないんだから!」
 蒼い刀身に纏わり付いた炎。それを、地を掻く様に振り上げると、刃が氷兎の懐を突いた。
 重い音と共に崩れ落ちる兎。だが敵は崩れる仲間を見ても躊躇いも戸惑いも見せない。
 徐々に瘴気へと還る仲間を足蹴に開拓者との距離を縮めに掛かれる。
「徐々に押されてる、か?」
 後方で戦況を把握し、適時援護を行っていた黯羽が呟く。そして彼女の手にある黒く沈んだ符が唇に寄せられると、細く柔らかな陰が紡がれた。
「こっから先へは通さねぇぜ」
 当初の予定では初期の段階で敷くはずだった物。それを遅れて召喚する。
 甲板の上に次々と現れた黒い壁。其れがアヤカシの足を止める。
「ヘルゥ、祓。もう少し後ろに下がってくれるか?」
 彼女たちの立ち位置は船内へ続く入口の直ぐ傍。けれど其処までの距離は僅かに離れている。
 つまり黯羽は、彼女達にもっと扉に近付けと言っているのだ。その理由は彼女達が動いた直後に判明する。
「あぁ、其処で良い……もう少し、壁を作るぜぇ」
 言葉と共に黯羽の頬を風が撫でる。
 その瞬間、新たな壁が出現し彼女を、そして開拓者達の視界を遮って行く。
 そして黯羽の陰の音が止まる頃、甲板には1つの道が生まれていた。
「おお、これならば狙う敵も狭まり、来る敵の数も制限されるのじゃ!」
 歓喜し声を上げたヘルゥの言うように、敵は壁を縫うようにして奥へ遣ってくる。
 その数は道を通れるだけの数のみ。
 つまり、其処を進んでくる敵を順次倒せば良いのだ。
「焔迅兄ぃ、行くのじゃ!」
「……うん……任、せて……!」
 次々と繰り出される攻撃は的確に敵を倒してゆく。
 それは何も後衛陣の壁の先だけでの出来事ではない。彼等の前で繰り広げられる前衛での戦いも、後衛と同じく確実に進んでいように見えた。
「何なんだ、こいつ等!」
 思わず声を上げたレトに、征四郎も思わず頷く。
 それに更に同意するよう息を吐いた久遠は、長い槍の先で複数の兎を払い除け、眉を潜めた。
 その目は注意深く周囲に飛んでおり、まるで何かを探しているかのようだ。
「数が、一向に減りませんね……これは如何言う事なのでしょう」
 そう、氷兎は確かに倒している。
 しかしその数は何故か減っていないのだ。
「なにか、嫌なものを相手にしてるみたい……すごく、嫌なかんじ……」
 エルレーンも彼等と同じ意見のようで、不安げにそう零して皆と背中を合わせる。
 正直、この状況は良くない。
「皆さん、出来るだけ多くを私の直線状に集めて下さい。一気に討てれば違うかもしれません」
 久遠の声に皆が動く。
 アルーシュも皆の動きを目で追いながら、適時回復を施してゆく。そしてその目は常に二尾狐を捉えられるように動いていた。
「あの狐……回復、だけなのでしょうか……」
 それとも、他にも何か。
 そう思案した時だ。
 二尾狐の尾が細かく震えだした。その動きは今まで目にしたことの無い物。
「皆さん、気を付けて下さい……!」
 厳密に何に。それは分からないが、警戒する旨は伝える事が出来た。
 そして異変は直ぐに起きた。
「――ッ」
 黯羽の眉間に皺が寄った。
 その直後、甲板を埋め尽くさん勢いで現れていた黒の壁が消え去る。そして一気に氷兎たちが襲い掛かって来たのだ。
「……っ、黯羽さん!」
 駆け出したアルーシュに氷兎が突進してゆく。しかし征四郎と祓が敵の体を受け止めると、彼等は迷う事無く斬り掛かって行った。
 その間に、アルーシュは黯羽に辿り着き、彼女の異変を探る。
「……術が、封じられている?」
 状態異常の一種だろうが、まさかこれだけの射程があったとは。
 アルーシュは急ぎ癒しの術を施そうとした。
 だが直後、雷音が響き渡る。
「!」
「アルーシュ、さん……危、ない……!」
 急ぎ焔迅が反応したものの僅かに遅かった。
 遮蔽物の無くなった場に雷撃が見舞われる。それはアルーシュと黯羽の腕を貫き、甲板にぶつかった。
「皆、捕まるのじゃ!」
 咄嗟の揺らぎにヘルゥの檄が飛ぶ。
 しかしこの中に反応出来た者が何人いただろう。勿論、アヤカシは何の反応も出来ていない。
 衝撃で揺らいだ船が大きく機体を傾かせる。そして数体の氷兎を地上に落し、船は緩やかに態勢を立て直した。
「今の雷撃、空……?」
「……小雷蛇で間違いない」
 姿は確認していたが、雲から姿を現さずに攻撃を見舞うとは思わなかった。
 先程まで綺麗に固まっていた開拓者達が、散り散りに甲板に位置取っている。この状況は極めて厳しいと言えるだろう。
 それでも諦める訳にはいかない。
「……今、治します」
 雷撃を受けた衝撃は消えない。
 それでも痛みを堪えて黯羽に掛かった術を解くと、アルーシュは前を向いた。
「この船は……護ります」


 至る所で崩れ落ちる氷狐。中には小雷蛇の姿も見えるが、未だにアヤカシの数は減らない。
「っ……流石に、疲れが見えてきましたね」
 陣形を崩され散り散りになった状態で闘い続ける彼女等の疲労は限界寸前。初めは攻撃を巧く回避出来ていたが、時が経つにつれその動きは鈍り、徐々に傷が増えてゆく。
 久遠は大槍を頭上で一回転させると、その事で生じた遠心力を利用して一気に槍を振り下ろした。
 断末魔の叫びと舞い上がる氷の欠片。
 それらを視界に肩で息を吐く。
「……はあ、はあ……二尾狐は、まだ……」
 前衛の彼女達に二尾狐を攻める術はない。故に後衛の仲間に攻撃は任せるしかないのだが、陣形を崩された事で後衛も前衛も区別が付かなくなっている。
 此れが戦闘の長引く原因となっていた。
「攻撃が当たる度に回復してる。限界ってのはないのか」
 風の刃で出来る限り攻撃を見舞う黯羽だが、その度に傷を塞ぐ敵に辟易してくる。とは言え、彼女がこうして攻撃を繰り返しているお蔭で、状態異常等の攻撃が来ないのだ。
 ある意味重要な役割を言えよう。だが、それだけで倒せる敵でもないと言う事は、充分見えてきている。
「ヘルゥ、焔迅、そろそろ動けねぇか?」
 ヘルゥと焔迅はそれぞれ別の場所で敵の対応に当たっている。そんな彼等も負傷をし体力的には限界寸前だ。
 それでも聞こえてきた声に、2人はすぐさま反応を返した。
「祓、あと少しじゃ。いま一度、呼び寄せてくれんか?」
「……無茶を言う。だが、やるしかないのであろう」
 ヘルゥは祓と共に船内への入り口から離れずに済んでいた。故に、2人は甲板からの侵入を阻みつつ、小雷蛇の対応を行っていたのだが、その方法が若干無茶な物だった。
「お主らの相手は此処に居るぞ!」
 空高く放った声に、雲の中で何かが蠢く。
 その瞬間、数体の羽根を持つ蛇が甲板目掛けて急降下してきた。それにヘルゥの短筒が向けられる。
「今度は3体……落せて、2体じゃ!」
「に……仕方ない。此処は耐えるしかあるまい」
 素早く打ち込まれる銃弾。しかしその弾は2体の小雷蛇を撃ち抜くのみ。残りの1体はヘルゥと祓を目掛けて飛んで来る。
「――」
 2人の息を呑む音が聞こえ、双方が雷撃に耐えるのが見える。正直、有効な方法とも思えないが、敵は確実に誘き寄せる事が出来ている。
 だが敵は未だ残っている。
 雷撃を見舞った小雷蛇は再び上空に昇って攻撃の機会を伺おうと動く。だがそれを焔迅の銃撃が遮った。
 空高く飛ぼうとするその前に次々と弾を撃ち込み逃げ場を塞いでゆく。そして右往左往と行き場を無くした敵が下へと意識を向けた時、音の圧が敵を囲んだ。
「これ以上……皆さんを、傷付けさせません……!」
 紡ぎ出される重低音に、敵の体が空中で押し潰されてゆく。そしてまるで塵の様に小さくなるまで潰されると、敵は漸く解放された。
 其処まで見届け、アルーシュの膝が着く。
 皆の回復役を担い、出来るだけ多くを助けようと動く彼女もまた、限界寸前。
 それでも気力を振り絞って立ち上がると、彼女は二尾狐とその前を護る氷兎を見た。
「……新しい私のひっさつわざ……喰らって吹き飛んじゃえ、悪いうさぎさんたち!」
 刃に炎を乗せてエルレーンが一気に踏み込む。その瞬間繰り出された一閃が、炎の月を描き出す。
 そうして目の前の氷兎を討ち払うと、彼女の肩も他の皆と同じように大きく上下に揺れ動いた。
「だめ……まだ、倒れ、られないの……」
 彼女の意識は此処以外の場所へも向けられている。その事も彼女を疲れさせる要因になっているのだろう。
 このアヤカシを招いた誰かが潜んでいるのではないか。出来る事ならその存在を探したい。
 だが、その想いとは裏腹に、生き物の気配が多いこの場所で、心の眼は多くを捉え彼女を混乱させていた。
 気配を多く感じるが故に、気が分散し、余計に疲労感を招いているのだろう。それでも探る事を止めない彼女に、征四郎は出来るだけの注意を払い戦闘に加わっていた。
 その耳に、僅かな呟きが届く。
「五十鈴さんをさらって、自分たちの有利なようにしたい人がいるのか……」
 だとしたら許せない。
 卑怯な手段を嫌う彼女だからこそ強く思う事。そして五十鈴の真っ直ぐで純粋な想いを知っているからこそ、予定に敵の行動が許せない。
「――助けるよ」
 意志を込めて呟く声に、征四郎の目が僅かに伏せられた。
 それでも何も言わずに彼は刃を振るって行く。そして次いだエルレーンの声を耳にした時、彼とそれを偶然にも耳にしたレトが彼女の援護に入る。
「私は剣、私は盾……卑劣な連中なんて! 私が断ち切ってやるッ!」
「ちょっと、前に出過ぎだって!」
 慌てた様に近場の柱に鞭を巻き付けたレトは、自らを柱の傍に引き寄せると、その力を借りて一気にエルレーンの傍まで飛躍した。
 そして彼女の隣に立って迫る氷兎を薙ぎ払う。
「1人で走んないで、皆で走ろうよ」
 此処に居るのは1人じゃない。そう声を掛けるレトに、エルレーンは目を瞬き、僅かに頷く。その上で彼女の動きを見ながら一歩を踏み出すと、兎の群へ斬り込んで行った。
「わかってないじゃんか!」
 そう叫び、レトも兎の中へと進む――と、その視線の先に同じく兎を相手にする久遠の姿が見えた。
「ねえ、あっちに集まる様に闘ってよ?」
「……わかった」
 チラリと動いたエルレーンの目も久遠を捉える。そして久遠もまた、エルレーンやレトの動きを視界に留め、彼女達の狙いを読み取っていた。
「……六車殿、東條殿……攻撃の、準備をお願いしますっ」
 脚を大きく踏み出し腰を低く構えた久遠の声に、黯羽と焔迅も攻撃の準備を整える。
 彼らが見据えるのは勿論、氷兎の先に居る二尾兎だ。
「はんっ! 当たるかよ!」
 疲れは限界だろうに、ギリギリの所で攻撃を回避して敵を導くレト。それに合わせて出来る限り彼女の方へ敵を導きながら斬り込んでゆくエルレーン。
 そして複数の敵が久遠の直線状に集まると、彼女の槍が風を纏い振り下ろされた。
「これで、好機を掴むッ!」
 まるで小さな竜巻の様に放たれた風が、真っ直ぐに目の前の敵を呑み込んでゆく。そうして出来た僅かな穴に、黯羽と焔迅の気が向かう。
「これで終いにするぜぇ」
「……この……一撃、で…終、わらせる……」
 空間を縫って迫る風の刃。
 それを浴びた瞬間、二尾狐の尾が揺れた。だが敵は回復を見せない。
 その理由は胸に空いた穴だ。
 一撃に重きを置き、出来るだけ力を送り込んだ弾を放っ焔迅の攻撃。それが見事功を制した。
 結果、二尾狐は声もなくその場に崩れ落ちる。こうなると残るはもう1体の二尾狐のなのだが、その姿を確認する前に、彼等はある異変に気付いた。
「……氷、兎が……減った……?」
 そう、視界に無数に存在していた氷兎が減ったのだ。それもかなりの数が。
「原理はわからねぇが、狐を倒しゃぁ兎が消えるのか。なら一気に畳みかけるぜぇ!」
 この声に、開拓者達は最後の力を振り絞り、二尾狐に戦力を傾け、最後の闘いに力を注いだ。


 辺りが静寂に生まれる。
 その中で響く息遣い。荒く疲れ切った息を上げる開拓者達は、一様に膝を着き、疲労困憊した様子で肩を揺らしていた。
「……、…全部…片付けたのじゃ」
 ヘルゥはそう零してドサリと腰を下した。
 立つのも億劫。本来なら今すぐにでも五十鈴を助けに向かいたいが、体がそれを許してくれない。
 そしてそれは彼女だけでなく、全て者がそうだった。
「荷の、確認をしなければ……ッ!」
「……確認は俺が行く」
 立ち上がった反動でよろけた久遠の肩を抑えて言ったのは征四郎だ。
 彼の足は比較的真っ直ぐに立っている。拾う状態も他の者に比べれば少ないだろうか。
 しかし、その様子に黯羽が口を開いた。
「大人しくしてな」
「そうです……征四郎さんも、傷…浅くない、ですよね……?」
 そう、アルーシュの言うように征四郎の怪我も浅くはない。ただ平然と立っているように見せているだけなのだ。
「……征四郎くんは……1人で、動いじゃだめ……あぶないかも、しれないから」
 天元流の次男が亡くなった事件から始まった今回の騒動。次に道場が襲撃され、彼の兄や父親が襲われ、今度は五十鈴が攫われた。
 征四郎が危なくないと言う保証はない。
 故にエルレーンはそう声を上げたのだが、征四郎は静かに言い放つ。
「俺が狙われる事は、ない」
「何、その自信。どこからくるわけ?」
「……俺は天元流の道場と関わりを断っている」
 レトの問いに応えた彼の表情が暗い。
 戻る事を決意しても心の中まで整理する事は出来ないようだ。
 そしてその様子に声を掛けようとした焔迅の目が上がった。
「何か……みんな伏、せて!」
 この声に皆が一斉に身を伏せる。と、直後、彼等の頭上を鋭い光が駆け抜けて行った。
「……存外、鈍い訳ではなさそうですね」
 突如響いた声に全員の目が飛ぶ。
「おんなの、ひと……?」
 先程まで無数のアヤカシが居た甲板。その柵付近に女性の姿が見える。
 白と藤色の着物を纏う優しげな紫の双眸を持つ女性。黒の髪に藤の花を差したその人は、甲板に腰を据える開拓者達を見据えて言い放つ。
「聞いていた話より腕がたつようですね。ですが所詮は人間。数に頼らなければ数を討つ事も出来ないとは……情けないこと」
 声は穏やかだが目や言葉に優しさはない。
 そもそも此処にいる事自体が不自然で、先の攻撃に似た光も彼女の物と考えるのが妥当だろう。
「数で襲ってきて良く言うぜぃ」
「襲ったのは私ではありません。差し向けはしたかもしれませんが」
「そう言うのを襲ったと言うんだろ!」
 レトの叫びに女性は冷たい息を吐く。
「此処にも、粗野な女がいるのですね……天元征四郎、貴方はもう少し周囲の女性の品位を考え、指導すべきではありませんか」
「何者かは知らんが、何も知らず失礼な事を言うでない! レト姉ぇはとっても優しいのじゃ。侮辱するでない!」
「……ヘルゥ」
「成程。確かに私は貴方がたの事を知りません。故に、先の発言は一部ですが撤退致しましょう。申し訳ありませんでした」
 頭こそ下げないが、素直に謝罪した女性へ、皆の目が面食らったように瞬かれる。
「……あなたは、いったい」
 突然現れ、アヤカシを差し向けたと言う女性。
 危険なはずなのに、敵に簡単に謝罪を向ける彼女は何者なのか。
 アルーシュの問いに、女性は静かに言う。
「私は藤姫と言います。以後、お見知りおきを」
「五十鈴ちゃんを、攫っ、たのは……藤姫……?」
「はい。私が攫いました」
「!」
 あまりに素直な答えに、言葉を失う。
「天元五十鈴は海道様の傍に居ります。かなり粗野で躾のなっていない小娘ですが、海道様にあの娘を傷付ける意志はありません」
 今の所は、ですが。
 藤姫は零し、征四郎を見た。
「先程の闘いで貴方の力を見せて頂きました。正直、私には期待外れとしか言いようがありません。貴方がもし朱藩へ足を踏み入れるのであれば、命の保証は無いものとお考え下さい」
 彼女はそう言葉を向け緩やかに空を見上げた。
 其処に大きな影が差す。
 其処に居たのは龍に似た大きな鳥。先程飛空船を襲おうと上空を飛んでいた鳥アヤカシの内の一体だ。
「生き延びたのは貴方だけですか……つまり、あちらの戦力は予想の通り。やはり天元恭一郎の方が脅威に成り得ますね」
 微かに呟き出した声に征四郎の眉が寄った。
 しかし藤姫はそれを振り返らずに鳥龍に手を伸ばすと、その背に飛び乗り、その上で開拓者を見下ろした。
「では大変お騒がせ致しました。失礼致します」
 響く羽ばたきの音。
 その次の瞬間には、藤姫は姿を消していた。
 後に残されたのは、傷付いた開拓者と物言わず黙り込んだ征四郎のみ。
 彼等は間もなく、朱藩国に足を踏み入れる。