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■オープニング本文 キエは饅頭が怖い。 こんな悪夢を見るのだ‥‥山のように積み上がった饅頭が襲いかかってきてキエを潰そうとする。払いのけても払いのけても、饅頭は次々と現れる。 脂汗とともに目が覚めて、もう饅頭は無いのだと気付いて安堵する。その繰り返しだ。 キエは一時期、『松風』という菓子屋で修行をしていた。もともと、菓子は大好きなのだ。 弟子入りした親方は、厳しいながらも熱心な人で、ひよこの彼女を根気よく育ててくれた。キエもまた期待に応えようと、寝る間も惜しんで修行した。上生菓子から駄菓子まで、拙いながらも拵えることができるまでになった。 だが、饅頭だけが作れなかった。 餡のまわりに生地をくるむ、この作業が、不器用ではないはずのキエなのになかなか出来なかった。 毎夜毎夜、練習を繰り返す。しかし一向に上手くならない。歪な失敗作の山が積み上がっていくばかりだ。潰されそうだ。払いのけても払いのけても、次々と現れる饅頭の山。 そしてキエは逃げた。何もかも放り出して逃げた。 2年前の事だ。 今にして思えば、それまでとんとん拍子に上達して、天狗になっていたのだろう。初めて壁にあたり、それを乗り越えられなかったのだ。 『松風』は好きだ。厳しい親方も好きだ。優しい兄弟子達も好きだ。それなのに、裏切るように捨ててしまった。せめて謝りたい、許されるとは思ってないが、ひとこと謝りたい‥‥。気が落ち着くにつれ、そう思えるようになった。 だが、勇気が無い。そこでキエは、もう一度饅頭を作ることにした。 これが上手く作れるようになったら、悪夢にも打ち勝てる、そう信じて。 しかし‥‥作れない。 饅頭を作る手が、恐怖で震えてしまうのだ。 また失敗したら? 歪な饅頭の山を拵えたら? 「誰か、助けて」 キエは今夜も、悪夢を見る。 |
■参加者一覧
慄罹(ia3634)
31歳・男・志
緋宇美・桜(ia9271)
20歳・女・弓
白藤(ib2527)
22歳・女・弓
春陽(ib4353)
24歳・男・巫
黒兎 空(ib6618)
18歳・男・志
サラファ・トゥール(ib6650)
17歳・女・ジ |
■リプレイ本文 ●饅頭の作り方 キエが悩んでいると聞いて、ギルドの依頼を聞いた開拓者達が集まってきた。少しでも、心の負担を軽くできないものか、そう考えて。 キエの家には、広い水屋がある。元々広かったのか、修業時代に広くしたのかは知らないが、十分な幅の作業台があり、かまどの口は3つあって、豆を煮ようが米を蒸そうが自由自在といったところだ。 今は、作業台の上に、ずらりと並べられた鍋や鉢が場を占領している。そのどれもこれもに、ぎっしり菓子の材料が入っていた。しかし、その脇には、作りかけの饅頭がひとつ転がっているだけだった。それも、白い生地の間から中身の餡が丸見えの、幼稚な粘土細工のようなものがひとつだけ。 家主は、部屋に敷いてあった布団の上に、倒れるように転がって寝息を立てていた。泣いていたのだろうか、目の周りが赤い。 キエはしばらく寝かせておこうと言うことで、皆は静かに水屋に集まった。 「そもそも、饅頭って、どうやって作るんですか?」 サラファ・トゥール(ib6650)が聞いた。売られているのを買ったことは何度もあるが、さて、これが実際にどのように作られているのかを改めて考えたことはない。 「分量なんかは、店それぞれであるだろうけど、基本はこんなもんかな」 料理が得意だという慄罹(ia3634)が、台の上に残されていた材料を指さしながら説明する。 「外側の生地は、粉と砂糖だな。これに山芋か酒粕を入れるんだけど‥‥キエのやり方だと、山芋を使ってるな」 「はー‥‥上手いですねえ」 器用に饅頭生地をこねる慄罹の手元を食い入るように見る白藤(ib2527)。彼女もまた、決して不器用ではないはずなのに、なぜか料理だけがとんでもない結果をもたらし続けている。何か呪いでもかかっているのではないかと周囲に言わしめるほどに。 「こういうのは、慣れだ」 慄罹は白藤のそれを知っている。だからこそ、今回の件も、キエの気持ちが分かるだろうと声を掛けて連れてきたのだった。 「どれ、私もやらせてもらっていいですか?」 あんまり慄罹が簡単そうに作るので春陽(ib4353)は興味を持ったのか、手を伸ばしてきた。しかし、彼の大きな手では、とてもころんとした可愛らしい饅頭の形にはできあがらない。 「ははは‥‥こんなになってしまいました」 「いいじゃねえか、俺たちが上手に作れたって、しょうがねえ」 と、黒兎 空(ib6618)は笑い飛ばした。自分たちはあくまでキエの友人であって兄弟弟子ではない。 「菓子ってのは、食って旨けりゃいいんだ」 そう言って空は、春陽の手から楕円形の饅頭を取って口へ放り込んだ。 「‥‥‥‥なんじゃ、こりゃ」 「蒸さなきゃ、おいしくないでしょう」 「何だよ、先に言えよ」 「はいはい、口直しにいかがですか?」 顔をしかめる空の前に緋宇美・桜(ia9271)が、刻んだ新香を差し出した。 「ありがてえ‥‥けど、なんでこんなモン、あるんだ?」 「長丁場になりそうですから、夕食の支度もしておこうかと思いまして」 かまどの一つには、さっそく野菜が煮られていた。 ●キエ 人の気配に気付いたのか、キエがのそのそと起きてきた。 「よぉ、起きたか」 「え‥‥まさか、本当にギルドから‥‥?」 「水くさいことは、言いっこ無しですよ」 キエのタコだらけの荒れた手を、自身の大きな手で包み込むように握り、春陽がまずは初対面の挨拶をした。まだ若いキエの手がこれほど荒れているということは、相当練習をしてきたのだろう。 「だいたいの事情は聞いてますが、詳しいことをお聞かせ願えますか?」 問われてキエは、これまでの経緯を説明した。松風の門を叩いたこと、一通りの技術を教わったこと、しかし饅頭だけがどうしても上手く作れなかったこと‥‥それらを話すにつれ、洟をすする音も混じり、ついには涙がぽろぽろ溢れだした。 「泣かなくてもいいじゃない。そんなに思い詰めたら、上手く行くものも行けなくなっちゃうわ」 まるで子供をあやすかのように、白藤がキエの頭をなでた。 「そんなに難しいものなんですか? よかったら、材料もあるみたいですし、やり方を教えて頂けません?」 落ち着いたのを見計らって、サラファはそれとなく聞いた。彼女はこう考えていた。キエは、失敗ばかりすることで、なおさら巧く作ろうとの焦りから、体中に無駄な力が入っているのではないかと。だから、ここは一旦肩の力を抜いて、違う角度から菓子に触れさせてみてはどうか、と。 「えっと、そうですね‥‥生地を薄くのばして‥‥」 やり方を教えるぐらいなら、と、少々震えながらもキエは饅頭生地を手に取った。薄く伸ばした白い生地の真ん中に黒い餡を乗せ、包むように口を閉じていく。この辺りからキエの震えは大きくなってきた。口を完全に閉じきらないまま、動きはぴたりと止まってしまったのだ。 しかしサラファはそれに気付かないふりをして、自分もやってみる、と生地に手を伸ばした。 「‥‥ああ、もう。どうやっても餡がはみ出るじゃないですか」 そりゃあこんなの、うまく出来る方が不思議だわ、と大げさに言いながら、隣に立っていた白藤にも生地を渡す。 「え、私に渡されても‥‥」 同じように白藤もやってみる。およそ饅頭とは形容できない物体が手のひらから誕生した。 「キエ、こいつらに饅頭が作れるわけ無ぇ。もっと簡単な菓子の作り方を教えてやっちゃ貰えないか?」 慄罹の突然の提案に、キエは驚いた。教える? この私が? 「そりゃいい。あんた、他の菓子も作れるんだろ? 材料が足りないなら買いに行ってやるからよ、いろんなのを作ってくれよ」 空は嬉しそうだ。どうやら彼は、ちんぴらのような強面に似合わず、かなりの甘党らしい。 「えっと、そうね‥‥いくつか作れると思うけど‥‥」 気分転換にいいかもしれない。キエは、慄罹の提案に乗ってみることにした。 ●即席菓子教室 「最初は、どんなのがいいかな?」 「茶巾絞りが作りやすいかと‥‥」 餡玉を布巾でくるんで絞っただけの形だ。銘々に材料を配り、行き届いたところでキエが実演してみせる。皆も続いて同じように作る。やはりこんな簡素なものでもそれぞれの個性は出てくるもので、例えば力一杯布巾を絞る春陽と、こわごわ絞る白藤とでは、餡玉の舌触りが変わってくる。 「あらら‥‥私のはなんともカチカチで、おいしくなさそうですね」 「私のは皿に乗せただけで崩れるのよ、食べるどころじゃないわ」 などと言いながらも、わいわいと賑やかに作業は続く。そうしていろんな形の茶巾絞りができあがると、もっと他の菓子も作りたくなる。 「キエ、饅頭生地はまだあるか?」 「あ‥‥、ええ‥‥」 『饅頭』と言ってキエがわずかに強張ったのを、慄罹は見逃さなかった。まだ少し早かったか‥‥、そう思って彼は、次の菓子の講師を自分が変わると進み出た。 「やり方はさっきの茶巾絞りと一緒だ。布巾と餡の間に、生地が加わるだけだ」 説明しながら慄罹は、布巾の上に伸ばした生地を置き、更に餡を乗せて、先ほどまで作っていた茶巾絞りと同じ動作でそれらを丸めた。 「ま、当然、絞り口のところで餡と生地がまだらになるんだけど、こんなのは絞り口を下にして置けば、不細工なところは隠れるから気にするな」 「何言ってんですか、慄罹さん、すっごい上手じゃないですか」 慄罹がすらすらとやってみせるのを、驚いたように見入るキエ。 「ンだよ、俺なんかは、素人に毛が生えた程度のモンだ。不細工のごまかし方ばっかり上手くなってるだけだよ」 謙遜する慄罹だが、キエを含め、皆が尊敬のまなざしを向けている。 「俺のことはいいから、皆も作れよ。これはまだ蒸さなきゃならないんだから、早く作んねえと食べる時間がなくなるぞ」 はあい、と元気の良い返事が響いて、再び作業が始まった。 キエを見ると、布巾を持ったまま固まっている。慄罹はそこに、手を添えてやった。 ぎゅっと絞ると、なんとも簡単に、饅頭らしきものができあがる。 「‥‥‥‥饅頭だあ‥‥」 ぽつりと呟いた。 「慄罹さーん、慄罹さん。こっち、全然うまくいきませんよー」 「ああ、力入れすぎだって」 「これはどう? 見て見てー」 講師はあちこちで声がかかり、忙しそうだ。キエは、もう一度呼び止めるのも申し訳なく思い、次は一人で作ってみた。 もう一つ作ってみる。 もう一つ。 饅頭が、次々できあがる。 「じゃあ、そろそろ蒸すか?」 そう言えば、ここ数年、饅頭を食べていない‥‥キエはふと思い出した。蒸し立ては甘くてほかほか温かくて、冷めてもしっとりと柔らかい、そんな饅頭が大好きなのに、ずっと食べていなかった。 久しぶりに食べる饅頭はどんな味なんだろう。 楽しみに待っている自分がいた。 久しく忘れていた感情かもしれない。もともと、自分は菓子が好きで、職人の道に進もうと思ったのだ。それがいつからか、作ることが苦痛になっていた。けれど、初心に戻ってみれば、こんなに楽しいことだったのか。 「お疲れ様でした。蒸し上がるまで、一服しません?」 桜が茶を出してくれたので、ありがたく受け取る。部屋中にこもった甘い匂いに埋もれていたところに、この渋さが丁度良い。 「これもいかがです? できたてですよ」 続けて出してきた器には、先ほどから煮られていた野菜が綺麗に盛られていた。 「うわあ、おいしそう。料亭に出てくる品みたいね」 それほど、上品に飾られていたのだ。崩すのが勿体ない、と言いながらも、キエは桜の煮物に箸を伸ばす。 「‥‥‥‥‥‥」 しかし、その反応は微妙なものだった。 甘すぎるのだ。 筍も椎茸も枝豆も、まるで蜜豆のように甘い。 複雑な顔をするキエを見て、桜は察したのだろう。 「見た目は上手くできたから、おいしいと思ったんですけど‥‥」 「ううん、おいしいわよ、すっごく」 かなり無理をするキエ。 「いいんですよぅ。料理って、見た目も大事ですけど、一番大事なのは、味と、気持ちなんです。そりゃあ、私の料理は見た目ばっかりで味はアレかもしれません‥‥」 けど、と、桜はキエに向かいなおって、真剣なまなざしでこう言った。 「おいしく食べて貰おうって気持ちは込めてますから!」 休憩が終わって、菓子教室の場へ戻ったキエは、そこで一心不乱に餡をくるんでいる白藤と目があった。 「熱心ですね」 「ちょっとでも上手く出来たものがあったら、おみやげに持って帰ろうかと思って」 「それがなかなか、出来ないらしいけどよ」 空は、もう十分に白藤の試作品を味わったのだろう。膨らんだ腹をさすりながら茶を飲んでいる。 「それでも、すごく上手になったんですよ。ほら、これなんかちゃんと丸くなってます」 サラファが教えてくれたそれは、確かに饅頭と呼んで許される範囲のものだった。 「これならきっと、持って帰ったら喜んでくれますよ」 「だったら嬉しいけど‥‥。今なら義弟が言ったことが、分かる気がするわ」 「義弟さんが?」 「ええ。作ったものを喜んで食べてくれるから‥‥また作ろうと思える、って」 「ま、自分のために作ったメシが不味いってのはよくある話だ。誰かのために作ってみたら上手くいくんじゃないか?」 「そういえばキエさんは、誰のためにお菓子を作るのですか?」 誰のために? キエの頭の中で、いくつもの言葉が交錯する。 『おいしく食べて貰おうって気持ちは込めてますから!』 『誰のためにお菓子を作るのですか?』 ふっと、胸が軽くなった。 ●松風へ できあがった饅頭は、綺麗に風呂敷で包まれて、キエの手にしっかりと持たれている。 緊張で何度も立ち止まって後ろを振り返る。物陰に隠れた慄罹たちが、じっとこっちを見ている。 いよいよ覚悟を決めたキエは、大きく深呼吸をして、『松風』の暖簾をくぐった。 「どうでしょう‥‥心配です」 「大丈夫だって。あの饅頭を、春陽だって見ただろう?」 慄罹は、最初にキエの家で見た歪な粘土細工を見て、あまり期待していなかった。これでは、饅頭に対する恐怖を克服したところで望む形のものを作るまでに持って行くのは時間がかかるだろう、と。 だが、キエは元々、器用な職人だったのだ。一度のつまずきで何も作れなくなってしまっていたが、なんとかそれを乗り越えられた。そうなると、元来の素質が目を覚ます。あの風呂敷のなかに収まっている饅頭は、そのままそこらの菓子屋に並べても劣らない出来映えであった。 しばらくして、キエが松風から出てきた。 どんな会話がなされたのかは知らない。 けれど、待っていた仲間達に駆け寄るキエの表情は、晴れ晴れとしたものであった。 |