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■オープニング本文 カステラという焼き菓子をご存知か。 卵と砂糖がたっぷりと入った、しっとり甘く柔らかい菓子だ。滋養強壮にすこぶる良し、病に臥せっていてもこれを食せばたちどころに治り、産後の肥立ちが悪くともみるみる太り、少々のかけらがあれば日頃の疲れなど吹き飛んでしまうだろう。 しかしこれが、作るのはなかなか難しい。素人が作ればガチガチに固く、石のようなものが出来上がってしまう。綿のようにふんわりと焼き上げてみせてこそ、売り物として並べる価値が出てくるのだ。 『みつや』が評判なのはそこだ。この店で売られているカステラはどこの店のものとも違う。とろける蜜をそのまま焼き固めたような、はかない口当たりのカステラだ。凄腕の先代が生み出すこのカステラは店の名を一気に高め、その技を忠実に受け継いだ息子が変わらぬ味を作り続けている。 自己紹介が遅れました。私は亜恋と申します。夫と二人で、生菓子から駄菓子まで節操なく作る小さな菓舗を営んでおります。 夫の名前は光谷ライチ。そう、父はみつやの先代。2代目のレイシは夫の弟です。 ですが夫はここ十年以上、みつやには戻っていません。父親の不興を買ってしまい、それきりです。 不興の原因はこの私です。みつやの2代目として仕込まれていたライチは全てを捨てて、田舎菓舗の娘である私と一緒になったのです。申し訳ないと思いましたが、彼は菓子職人としての腕を振るえるなら場所はどこでも同じと言ってくれました。その言葉どおり、私どもの店は今までつつがなく商えております。 先日のことです。お客様からご注文をいただきました。カステラをお求めとのことです。長くこの店をやっていて、初めてのご注文でした。 ライチは作ります、が、納得いくものが焼き上がりません。みつやの最高の味を知っている彼にとって、彼が作るカステラは遠く及ばない仕上がりとなるのです。 この注文を受けてから、夫は毎晩取り憑かれたようにカステラを作り、失敗作の山を作ります。私からすれば柔らかく美味と思うのですが、夫にとっては失敗作なのです。 夫が求めるものは、みつやの味‥‥けれど、本来の2代目を奪った女が、秘訣を教えてくれとのこのこ行くわけには参りません。 開拓者の皆様へお願いです。誠に勝手なお願いですが、どうぞ、みつやのカステラの秘密を調べて下さい。何卒、何卒。 |
■参加者一覧
巴 渓(ia1334)
25歳・女・泰
和奏(ia8807)
17歳・男・志
モハメド・アルハムディ(ib1210)
18歳・男・吟
アリス ド リヨン(ib7423)
16歳・男・シ |
■リプレイ本文 ●亜恋 気に入らない依頼だ、と言ってのけたのは巴 渓(ia1334)だった。 「料理人として道を踏み外す行為だろう、亜恋って依頼主はいいとしても、そいつの旦那はどうなんだよ」 同じく料理を好む者として、よその店の味を盗むなどという依頼は、その盗まれる店に対する侮辱だと、渓は怒りを露わにしている。依頼主の夫もかつては老舗の菓子職人だったのだ、妻のそのような行為を果たして許すのだろうか。 口にこそ出していないが和奏(ia8807)も同じ気持ちだ。亜恋はいったい、どんなつもりでこの依頼を出したのか。夫と実家を不仲にさせた原因が自分だとの自覚があるからみつやと直接関わりたくないのだろうか。自分は頭を下げず味は盗む、だとすれば、なんと打算的な考えだろうか。 「ナァム、ということは、ただカステラの味の秘密を調べても、根本的な解決にはならないということなのですね」 モハメド・アルハムディ(ib1210)は深く頷いた。ただ作り方を調べるだけの単純な依頼と考えていたが、なかなか奥が深そうではないか。 「とめたいんっすね」 そう呟いたのはアリス ド リヨン(ib7423)だった。 「とめたい?」 「うん。悩み苦しんでいるご主人様をとめたい一心なんじゃないっすか? そう思うと、亜恋様も悩んでるんでしょうね」 「その旦那も旦那だぜ。実家の味にとらわれちまって」 渓は考える。亜恋の店は小さい菓子屋かもしれないが、腕を振るえるならどこでも同じと自分で言ったのではなかったか。未だ実家の味と比較してどうこうなどと、未練がましいにもほどがある。 「そのあたりは、亜恋さんが言っているだけのことですからね、ライチさんご自身がおっしゃってるわけではないようですし」 ともあれ、まずそこを確認しようと、和奏はライチのカステラを食べさせてもらうことを提案した。皆に異存はなく、揃って亜恋を訪れることにした。 小さい店の雨戸は閉まり、休業中の札がかかっている。顔を見せた亜恋は、目の下に隈を作り、顔色もよくなかった。かなり疲れているようだ。依頼を受けた開拓者だと告げると、どっと涙を溢れさせた。 「わざわざ‥‥ありがとうございます‥‥」 洟をすすりながら、深々と頭を下げる。 「亜恋様、どうか落ち着いて下さい。俺たちできっと、悩みを解決してみせるっす」 「そのためには、まず旦那のカステラを食べさせてくれ。あと、この店での作り方も教えて貰うぜ」 もちろんですと亜恋は答え、皆を奥の部屋へ案内した。 部屋までの通路は厨房の脇を通っており、そっと覗き見た中ではライチが目を爛々とさせて引き釜と向かい合っていた。 「ずっと、あんな調子なんです」 ライチはこの人数の来客に気付く様子もない。開拓者達は黙ってそこを通り過ぎた。 しばらくして、亜恋が失敗作のカステラを運んできた。 何日も同じものを焼き続けて、その数は膨大となり、盆の上にはカステラの山が出来ている。 「アーヒ、なんて量でしょう」 その数にモハメドは驚きの声を上げた。まさかこれほどとは思っていなかった。 「さっそく、いただきますね」 和奏が盆の山に手を伸ばし、他の者もそれに続く。しっとりと柔らかく焼きあがった、上等のカステラだ。 「これが全部、失敗なんすか?」 アリスが不思議がる。十分に、いやそれ以上に美味なものだ。 「こっちも、こっちも、これも‥‥どのカステラも美味しいっすよ」 幾つかのカステラを食べてみたが、どこにも失敗作があるとは思えない。 「作り方は?」 「卵の黄身と白身を分けて泡立ててます。‥‥おそらく、みつやと同じ作り方かと‥‥」 今までこの店でカステラの注文を受けたことはない。にも関わらず、ライチはすぐに作ることが出来た。元々知っていた手順があったからだろう。 父親に教わった配合の材料で、父親に仕込まれた作り方でこしらえる。 しかしライチは失敗という。 ならばみつやのカステラは、これよりもっと美味だというのだろうか。 ●みつや 上等のカステラを並べるみつやは、店は今日も買い求める客で賑わっている。和奏と渓も、まずは客としてそこへ入ってみた。 「中でも食べられますか?」 和奏が聞くと、店の者は「もちろんです」と、隅にある床机をすすめた。同じ注文をする客は多いのだろう、手慣れた様子で茶も運んでくれた。 「しっかりしてるな、さすが老舗だ」 世辞でも何でもなく、渓は言った。味だけではなくきめ細やかな心配りが、みつやを人気の店にしているのだろう。 「ではその老舗の味をいただきましょうか」 口に入れる前から甘い香りがする。表面の焼き色にはムラが無く、断面は食欲をそそる見事な卵色。触るとしっとりしており、まるで直前まで蜜にでも漬けていたようだ。‥‥確かに美味そうだ、けれど、ライチの作るものと大きな差があるようには見えない。 「味の違いは‥‥?」 和奏は一口囓り、困ったような顔になった。 違いが分からないのだ。 「渓さんは、いかがですか?」 「そうだな‥‥。そっちも食べさせてくれ」 「え? 同じものでしょう」 しかし渓は、和奏の皿にあるカステラにも手を伸ばした。」 2人がみつやの味を確かめているのと同じ時刻にモハメドは、包み紙を持って出てきた客の一人を追い、店からだいぶ離れたところで声を掛けていた。 「ヤー、ご婦人、お尋ねしたいのですが」 立ち止まってくれたことに丁寧に礼を述べ、モハメドは続けてみつやの評判を問うた。 女はこの店がかなりの気に入りらしく、頻繁に買っていると答えた。 他にも数人に同じ質問をしてみたが答えは同じで、みつやは代が変わっても味は変わらず、たいへんに信頼を得た店であるのは間違いないようだ。 続けてモハメドは、作り手の名を伏せて、ライチのカステラを彼女たちに試して貰った。みつやの味をよく知る客の舌が、ライチの味をどう評価するのかと。 「‥‥おいしいわよ。みつやの味に近い、近い」 「上手じゃない、売れるわよ」 「最初に教えられなきゃ、みつやかと思っちゃうかもね」 意外な反応だった。ライチのカステラが不味くはないのは分かるが、みつやの味と限りなく近いと認める者の数がこんなに多いとは。 「‥‥味は、確かに近いが‥‥何て言うか、あっちのはまちまちだな」 料理の得意な渓は味わう方にも気を抜かない。全神経を集中させてみつやカステラを味わう。 「どういうことです?」 「盆に山盛りあったあのカステラは、ものによって味が違ってた。でもこっちのは変わらねえ‥‥安定感があるというか‥‥」 美味い不味いではないところに違いがある。そして渓が下した判断は、やはりみつやの方が勝る、というものだった。 「材料にさしたる違いは無いな。違うとすれば、やはり作り手の腕か‥‥」 と、渓は立ち上がり、売り子にずかずかと近づいた。 「ここのカステラは美味いな! ぜひ作り方を教えて貰いたい!!」 きょとんとする売り子に、畳みかけるように和奏が乗り出す。 「カステラを食べる機会は今までにもありましたが、こんな美味しいカステラをいただいたのは初めてです。よそとどこが違うのでしょう?」 2人が大きな声で騒ぎ出したので、店にいた他の客が振り返るのはもちろん、奥にいた職人も何人か表に顔を出してきた。すかさず渓はその一人を捕まえてあれこれ尋ねる。 「特別な材料でもあるのか? 隠し味でも使うのか? 焼き方のコツとか?」 もちろん、これでカステラの秘密が聞き出せるとは思っていない。彼女たちの目的は、店で騒ぎを起こすことだ。 そしてこの隙に、シノビのアリスが店の天井裏へ潜り込んだのだった。 天井裏からアリスは、カステラの作られる行程を見続けた。 表の騒動に耳も傾けず、黙々と作っている職人が残っていた。 卵を黄身と白身に分ける、それぞれを泡立てる、たっぷりの砂糖を入れる、粉を入れる、型に流して天火で焼く‥‥。 亜恋から聞いた手順と同じだ。 厨房にいるライチとよく似た顔の職人は、慣れた手つきでカステラを作っていく。 長く修行をしたのだろう、体力の要りそうな、難しそうな作業も淡々と動作に無駄なくこなしていく。ほれぼれする、見事な働きっぷりだ。 職人の動きを見ながらアリスは、亜恋の店で見た、あの切羽詰まった表情でカステラに向かい合っていたライチの事を思い出していた。 表の店では、相変わらず客と売り子が押し問答を繰り広げている。 「おやおや、賑やかですね」 騒ぎを聞きつけて、奥から初老の男性が顔を出した。「大旦那様」と売り子が呼んだところを見ると、この店の初代、ライチの父親に間違いない。 「ああ、騒がしくしてすまない、けどどうしても、おたくのカステラが美味い理由を知りたくてな」 「それはそれは、ありがとうございます。ですが、大したことはしておりませんよ」 穏やかな口調で、初代は言った。使っている材料は粉と、たっぷりの卵と砂糖。広告に書かれてあることが全てだと。 「昔からずっと、同じ材料で同じ手法で同じものを作り続けているだけです。馬鹿正直に同じ事を繰り返してる、それだけでございますよ」 ●カステラのひみつ 4人がそれぞれ調べて、結論が出た。 ライチの作るカステラとみつやのカステラの違いは、10年という年月だ。 一流の技を教わっておきながら寝かせてしまっていたライチ。 技を受け継ぎ、毎日同じものを作り続けてきたみつや。 けれど、それも微かな違いでしかない。寧ろ、ライチは長く離れていながら、みつやの味を再現出来ていると言ってもよい。 「ライチさんの作るカステラは、みつやに引けをとらない出来だと、誰もが認めました。それなのにライチさんが納得しないということは、思い出の味だから越えられないということでは?」 和奏の言葉に、亜恋はようやっと理解した。ライチがみつやへのわだかまりを解さない限り、納得するカステラは作れないのだと。 「あの、大きなお世話かも知れないっすけど」 アリスが口を開いた。 「俺、レイシ様に会ってきましたよ」 アリスは、あの所作の美しいみつやの2代目と話をしてきた。 一心不乱にカステラに向かう2代目は、兄への恨み言があるのだろうかと。 レイシの答えはこうだ。 一時の気の迷いなら怒りもするが、みつやの後ろ盾も使わずに嫁さんと一緒に菓子職人として精進してるなら、何の恨みがあろうかと。 「ただ、親父は複雑みたいだけどね」 そう付け加えた。 「みつやさんに関わる話をどうされるかは、ヤタワッカフ・アライクム、あなた次第だと思います」 と、モハメドは言った。どんな結論に至ろうとも、自分たちは出来る限り協力するつもりだ。 「‥‥長く、不義理をしてしまったわ」 申し訳なさそうに、亜恋は言った。しかし、いつまでも続けてはいられない。 いつかは、いつかは、と思っていた。その『いつか』がやっと定まったのだ。 「皆さん、ありがとうございました」 憑きものが落ちたような、晴れやかな表情の亜恋だった。 |