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■オープニング本文 夢の中でお告げがあったという。山のいのちに感謝せよ、と。 その翌朝に、畑で甘藷をほじくり食っている猪を見つけたのだと。 それを見て老人は察したのだ、この猪こそ、感謝すべき山のいのちだと。 「冗談じゃない、じいちゃん!」 禰津翁の息子、伊哉馬が怒るのは当然だ。そんな夢の話のために、畑を猪に荒らされたのではたまらない。このまま芋を食い尽くされてしまっては、自分たち家族が干上がってしまう。芋は畜生にくれてやるために育てていたのではない、自分たちが冬を越すために作っているのだ。 「ならぬ、ならぬ。信心せよとのお告げじゃ」 「信心じゃ腹は膨れねぇよ。このまま猪を放っておいたら、数が増えるうえに、下の畑にまで降りてこられるぞ。そうなったら芋だけじゃすまないって、じいちゃんだって分かるだろ?」 「これは、試練じゃ」 「話にならねぇ!!」 伊哉馬は立ち上がり、猪の罠をしかけるべく家を出ようとした。が、禰津がそれを止めた。 木刀を振りかざして。 「どうしてもというなら、わしを倒していけ。おまえが勝つなら、わしも大人しく引き下がろう」 老人はこの齢でありながら、一級の剣の腕を持っているのだ。 「ああ、くそ! まだ手が痺れてやがる」 赤く腫れた手をさすりながら、伊哉馬は唇を噛む。あのジジイは本気で、猪を野放しにするらしい。 「冗談じゃない」 口癖になった言葉を繰り返す。 夜は暗くて出歩けず、昼間は木刀を構えた老人の目が光る。そうこうしているうちに、猪の数は3〜4頭に増え、畑の3分の1が食われてしまった。 一冬でも山のけものを里へ降ろすと、翌年から味を覚えて同じように降りてくる。今年の猪は、今年のうちに仕留めておかなければならないのだ。 老人の足を止めつつ、猪を退治する。 そのための伊哉馬の手は残念ながら足りなかった。 |
■参加者一覧
羅喉丸(ia0347)
22歳・男・泰
ペケ(ia5365)
18歳・女・シ
利穏(ia9760)
14歳・男・陰
ルゥミ・ケイユカイネン(ib5905)
10歳・女・砲
魚座(ib7012)
22歳・男・魔
アリス ド リヨン(ib7423)
16歳・男・シ |
■リプレイ本文 ●禰津 嘆かわしいことだ、と老人は思った。 山を拓けば畑が作られる。己の先祖たちはそうやって畑を広げてきた。おかげで家族が喰う以外にも蓄えができ、稼ぎが増え、更に畑を広げ、稼ぎ‥‥。禰津の前にあるのは広大な畑。自分たちも、息子夫婦も、孫たちもこれのおかげで毎日腹を太らせている。そこで見たあの夢だ。 山のいのちに感謝せよ。 あれは戒めなのだ。神に、精霊に、けものに、あらゆる命に感謝することを忘れていた己への警告なのだ。夢を見るまで、そんなことも忘れていたとは嘆かわしい‥‥。それが老人の言葉だった。 「ねぇ‥‥禰津さん」 老人の話を黙って聞いていた魚座(ib7012)が、ゆっくりと口を開いた。 「夢のお告げって、お告げなら何でも聞いちゃうの? もっと辛い試練を課してきたら従うの?」 畑を荒らす猪を野放しにすることは、誰がどう考えても間違っている。その根拠が只の夢でしかないのならば、それに振り回される禰津も、伊哉馬も不幸でしかない。 「若いの、おぬしは」 老人は言った。 「『もっと辛いとどうするか』など考えた時点で、信心は失われておるのだ。確かに、たかが夢かもしれん。けれど、戒めの機会を与えられたことは事実じゃ」 「うん、あたいのじいちゃんも、同じ事を言ってたよ!」 ルゥミ・ケイユカイネン(ib5905)の明るい声が続く。 「あたいのじいちゃんも山育ちなんだけど、常に山に感謝を捧げ、必要とするぶんだけ頂くようにしなさい、って言ってた!」 「そうか、立派な方なんじゃな」 禰津は目を細める。少女の祖父は『常に』行っていたという、己は今日まで忘れていたのだから情けない。 「お気持ちは分かります」 利穏(ia9760)は、禰津の気持ちを理解できないわけではない。何も畏れず生きろと言う方が難しいではないか。 「ルゥミさんのお祖父様の考え方も、禰津さんの仰ることも分かりました。けれど、ひとつ分からないことがあります」 禰津の眼を見る。この老人は確固とした信念を持っているのか、それとも只の盲信者なのか。 「あなたは今回の件を『試練』と仰った。試練とは、困難を前にしても努力でそれを乗り越えることと思います。ですが‥‥」 ですが、害獣をただ放っておくことの、どこに試練があるというのか。利穏の問いはこうだった。 「猪が来たことが試練ではない、わしらが持ちすぎたことが試練なのじゃ。だから山のいのちへ、還さねばならん‥‥芋を食われているのは、わしにとってそういう解釈じゃ」 どうやら話し合いは平行線だ。もっとも利穏とて、即座に説伏できるとは思っていなかった。 「あの、私もひとつ、分からないことがあるんだけど」 と、魚座が言った。 「だったら、なんで伊哉馬さんに、勝ったら引き下がるなんてことを?」 そこまで確固とした信念があるのに、何故禰津はそのような提案をしたのだろうか? 「‥‥そうだな‥‥」 「‥‥なるほど、そう言うことですか」 理由を知れば、挑まないわけにはいかない。 「ならば、私は、伊哉馬さんと意を共にする者です。伊哉馬さんに代わって、手合わせ願います。よろしいですか?」 「よかろう、頼れる人物を集めるのも、能力のうちじゃ」 利穏は木刀を構え、老人の前に立った。 ●伊哉馬 「へえーっ、このへん全部、禰津様の畑っすか?」 だだっ広い畑に、アリス ド リヨン(ib7423)は腰をぬかさんばかりに驚いた。拓きすぎたと禰津が反省するのも納得がいこうというものだ。 「ここを、ご家族だけで世話してるんっすか?」 「植え付けと収穫の時は人を呼ぶけど、ま、それ以外は身内だけだな」 利穏たちが父親の目をひいてくれたおかげで、ようやく伊哉馬は猪対策に乗り出すことができる。そして改めて畑の惨状を見、溜息をついた。収穫の時期が近づいているというのに、実る前に猪に食われてしまったのでは話にならない。 「その猪は、どっちから来るんだ?」 羅喉丸(ia0347)はぐるりと辺りを見回す。山の傾斜に添ってゆるやかな川が流れている、その両脇に畑が並び、芋の畑は一番山に近い側だ。 「この辺の土が掘っくり返されているところ、これが全部猪が鼻を突っ込んだところだ」 乱暴に蔓が千切られており、畝もめちゃくちゃに踏み荒らされていた。踏み固められた土は山のある一角に続き、そちらの方を見ると斜面にも草が踏み倒されたところが見える、ここがおそらく侵入路だろう。 「猪はいつ、畑に来てるの?」 ペケ(ia5365)が尋ねる。 「昼も夜も、人気が無くなりゃ出てきてるみたいだ。だから今の内にこの罠を‥‥」 「いいよ、わざわざ仕掛けなくても。直接退治しちゃいますー」 自信ありげにペケは、はち切れそうな胸を更に張る。たしかに、1日でも早く退治をしたい現状では、罠を仕掛けて待つなどまどろっこしいことはやっていられない。ケモノやアヤカシを相手に活躍する開拓者たちなら、猪を押さえ込むことも容易だろう。 手ぬるい畑の芋の味を覚えた猪は、きっと今日もまた現れる。伊哉馬は、彼らに任せることにした。 伊哉馬が去ったのを見届けて、アリスは気になることを調べ始めた。 なぜこんなにも、猪が降りてくるのか。 元来、猪に限らず野生の動物は臆病なものだ。人間の手が入っているところへノコノコ出てくることはない。だが、例えば縄張りの中の餌が少なくなっているのなら、餌を求めて行動範囲を広くする。 縄張りの中の餌が少なくなる‥‥つまり山が荒れているのなら、お告げもまんざら出鱈目では無いということなのだ。 「どうだ、アリス殿」 「うーん‥‥見たところ、異常はないみたいっす」 どこにでもある、平凡な里山だ。ブナやナラの木も目立ち、ちょっと歩いただけで実があちこち落ちているのを見つけた。猪が餌に困っている様子はない。となると。 「この畑が食べ放題だって、勘違いしちゃったってことですかー?」 残念ながら禰津の夢は、ただの夢であったようだ。アリスは軽く落胆した。だが、そうと分かれば自分たちのするべきことは一つだ。 「ここらで人の作物は危険だということを叩き込んでおくべきか」 そう言って羅喉丸は着ていた残無の忍装束を裏返して着直すと、けもの道の良く見える物陰に身を潜める。 「腕が鳴るですよー!」 そしてペケは、言葉どおりにふんどしを締め直していた。 ●手合わせ 伊哉馬は、こっそり家を抜け出たときと同じように、こっそり家に戻ってきた。父親は、自分が畑に行ったことに気付いただろうか、そう思って裏口に回ってみると‥‥。 「しぃっ」 丁度立っていた魚座に、『静かに』のしぐさと共に止められる。 (「なんだ?」) (「禰津じいちゃんが、利穏さんが代理になるのを認めてくれたんだよ」) 裏口は農具を置いている納屋に続く、その広い納屋が試合場となり、木刀を持った2人が睨み合っていた。互いにじりじりと円を描くように動きはするが、一歩を踏み出せずにいる。伊哉馬なら、とうに十や二十も打ち込まれているだろう時間が経ち、しかし情勢は変わらず、整った呼吸の音しか聞こえない。 (「負けられない戦い‥‥」) 利穏の額に、汗がにじむ。それは禰津も同じ事だ。若い時分に道場に通い腕を鍛えたが、この歳になっては素振りだけしかしていない。こうして向かい合うなど、何年ぶりだろう。 ふ、と昔を懐かしむ。それが一瞬の隙を生んだ。 利穏が飛び出した。 ●猪 羅喉丸のロングボウから、続けざまに矢が射られた。気配を殺して潜んでいた彼の前を、のうのうと3頭の猪が仲良く並んで現れたのだ。昨日まで食べ散らかしたところを悠然と踏み歩き、新しい芋蔓に鼻をつっこもうとしたその時に、矢は猪の腿を打ち抜いた。 『ピギイィイイイイイ!』 「ちっ、外したか」 一撃で仕留められなかったが、羅喉丸は『瞬脚』で次々と移動をし、再度矢をつがえては放つ。最初は腿に入った矢が、次は喉に、頭に。どしん、と地響きを鳴らして、まずは1頭が倒れた。 「そっちへ行ったぞ!」 まだ2頭、痛みに我を忘れて暴れる姿は、さながら暴走する戦車だ。 「逃がさないです!!」 果敢にも猪の正面に立つペケ。まさに『猪突猛進』してくる獣相手に、龍札を纏った右腕を振り上げる。 「まずは挨拶代わりですーー!!」 鉄板をも貫くという龍札パンチは、ベキッと変な音を立てて猪の眉間にめりこんだ。速度を落としつつも慣性に従って更に迫ってくる獣。ペケはそれにのしかかると腕を回し、なんとそのまま二十貫はありそうな体を持ち上げて飛び上がった。 「飯綱落としー!!」 更に1頭。 「えっ、わっ、こっちへ来たっすーー!!」 ペケみたいな大技は持っていないが、アリスも同じシノビである。負けていられないと両手に苦無を構え、猪を迎え撃つ。ぎりぎりまで待ち、かわすと同時に首と背中に苦無を突き立てた。 「くっ、このっ、止まるっすーー!」 両腕にめいっぱいの力を込めて、猪の動きを弱める。 「いいぞ、そのまま押さえてろ!」 新たに矢を装填した羅喉丸の弓が唸る。アリスががっちり抑え込んだ猪は、一本の矢も除けられず倒れるしかなかった。 ●決着 「わあい、大物だね」 ルゥミは家の裏手に積まれた山の幸に喜んだ。もちろん、無駄にすることはしない。皮も肉も脂も捨てるところはないのだ。家族の腹を満たすことも、売って金に換えることもできる。 「あたいは、獣の捌き方もじいちゃんに仕込まれてるんだよ」 小さい体で器用に包丁を振るい、大きな獣をさばいていく。3頭もの猪を分けると、これまで食われた芋のぶんを補って余りあるものが作れるだろう。 「それより、ルゥミ殿」 裏口の方に視線をやり、羅喉丸は尋ねた。利穏は試合に持ち込めたのか、その結果はどうなったのか。 「利穏さんが勝ったよ。勝ったから、根津じいちゃんは‥‥」 「い、隠居だって? じいちゃん、どういうことだよ!」 突然の話に伊哉馬が腰を抜かしそうになる。 「どうもこうも、今日から家長はおまえじゃ、伊哉馬」 「伊哉馬さん‥‥禰津さんから聞いたことだけど‥‥」 魚座は、禰津の本心を代わりに語りはじめた。 禰津の此度のことは、誰からも反対されるに決まっている事柄だと、自身でも分かっている。けれど信心をそれで容易に曲げてしまうことは許せなかった。 己の畑を、己が信じる方法で守りたい、禰津の場合はこれが山のいのちに還すことだった。 己の畑を。 なら、これが息子の畑となれば、息子の信じる方法で守ればよいだけのことだ。 『おまえが勝つなら、わしも大人しく引き下がろう』 息子の勝ちだ。約束どおり引き下がろう。 「そうさのう、道場を開いてみるのも良いかもしれんの。あとは任せたぞ、伊哉馬」 あまりに急な話に、伊哉馬の開いた口は塞がらなかった。 「つまり丸く収まったんっすね。みんなお疲れさまっすー」 |