老犬 茶々
マスター名:江口梨奈
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: やや易
参加人数: 7人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2013/06/24 21:42



■開拓者活動絵巻
1

九葵唯斗






1

■オープニング本文

 権八にとって茶々は、ただの飼い犬ではなく親友であり、妹であり、頼もしい相棒だった。
 8歳の時、従兄の家で産まれた子犬を貰ってきた。茶色い毛の、ただの雑種だ。脚が太く、でかくなるだろうなと思っていたら案の定で、しかし母犬に性格が似たのか温和で、権八の言うことをよく聞く利口な犬だった。ある時、その温和な茶々がやけに吠えるので何事かと思ったら、納屋に米泥棒が入り込んでいて、そやつの首根っこをくわえて押さえつけているところであった。その頃に近隣の村を荒らし回っていた連中の一人で、この大捕物がきっかけで芋づる式に全員捕まえられたらしい。
 茶々が付けていた首輪は、この時に感謝と名誉の印として村一同から贈られたもので、選んだ人間もなかなか美意識の高い人だったのだろう、茶々の茶色の毛によく映える綺麗な赤い首輪だった。

 茶々も20歳をもうすぐ迎えようとしていて、毎日寝て過ごすことが多くなった。大きな体は相変わらずだが、肉が薄くなって一回り小さくなったようだ。よその犬が散歩の途中に庭先を通る、それに向かって頭を起こし、軽く鼻を鳴らしてまた寝る、そんな繰り返しであった。
 真夜中、その茶々が、狂ったように吠えた。米泥棒の時の比ではない。かつて家族の誰も、茶々のこんな声を聞いたことはなかった。権八も驚いて部屋を飛び出すと、10尺はあろうかという毛深い影が蠢いていた。茶々はそれに向かって、牙を剥き出しにしていたのだ。
 熊‥‥? いや、違う。熊に似ているが違う、これはもっと凶暴なもの‥‥ケモノだ!!
 父親は大慌てで村の櫓に登り、必死で警鐘を叩いた。村中が起きだしケモノから遠い位置へ逃げる。権八も母親の手を引き、皆と同じ方へ逃げようとしたが。
「先に行っててくれ、茶々が‥‥!」
 そう言いかけた時だ。ケモノの目が権八を捉えた。明らかに、目標を権八と母親に定めて近づいてくる。
「あ‥‥あ‥‥」
 体が思うように動かない。頭の中が真っ白になる。だが次の瞬間、ケモノが小さく唸った。
 茶々がケモノに飛びかかったのだ。

 ケモノが舌なめずりをしたように見えた。
 牙の並ぶ口を開け、向かってくる茶々を迎えた。
 茶々の体は地面に倒れ、赤い首輪はケモノの下顎に嵌り、そして頭は空を飛んだ。

「なにしてる、早よ逃げんか!!」
 隣家の親父が権八の腕を引っ張った。後のことは覚えていない。

 長く続く混乱。夜が明けて村に戻ってみると、権八は惨状に膝をついた。納屋はすべて崩れ、母屋の壁もヒビが入っている。隣の家では鶏小屋が食い散らかされ、別の家では今年に売るはずの芋の全てが無くなっていた。
 否、権八が崩れ落ちた理由はそれではない。
 犬小屋の周りに『何もない』のだ。
 脚の一本も、骨のひとかけらも。
 あの赤い首輪も。

 ギルドはすぐに、この凶暴なケモノ退治の依頼を受け付けた。


■参加者一覧
悪来 ユガ(ia1076
25歳・女・サ
ルオウ(ia2445
14歳・男・サ
奴延(ia4183
22歳・女・サ
レイア・アローネ(ia8454
23歳・女・サ
ツツジ・F(ic0110
18歳・男・砲
御空寺 托(ic0689
26歳・男・陰
神樂坂 璃々蝶(ic0802
17歳・女・シ


■リプレイ本文

●ケモノ
「でけぇ‥‥」
 決着をつけるための場所として選ばれた、植え付け前の畑で待ちかまえていたルオウ(ia2445)は思わず声を漏らした。10尺というのは、誇張ではなかったようだ。神樂坂 璃々蝶(ic0802)の放つ『水遁』が作る水柱に追い立てられ、繁みから姿を現したケモノは、松明で照らされた広い空間にとまどうことなく、寧ろ『餌』が更に並んでいることを喜ぶように猛々しく吠えた。
「おい、あれは‥‥?」
 明かりの中でハッキリとケモノの姿を見て、ツツジ・F(ic0110)は気が付いた。ケモノの下顎に嵌っている、赤いものに。
「なんだ、余計な小細工は必要なかったってことだな」
 御空寺 托(ic0689)は笑った。
 倒して、取り戻す。それに全力を注げばよいのだ。
「待ってろよ。茶々、権八!!」

●権八
 依頼を受けた開拓者たちが村へ入ったとき、その惨状に血の気が引く思いだった。巨大な戦車が通り過ぎたように踏み荒らされた田畑、崩れた家屋、折れた木々。しかし即座にこうして開拓者が来てくれたことに村人は素直に感謝し、取り囲むように集まって、自分たちが見たケモノのことを教えてくれる。
「そんな大きなケモノに襲われて、誰も死んでないのか。よく逃げられたものだ、不幸中の幸いだな」
 レイア・アローネ(ia8454)が慰めた、が、さっと皆の顔色が変わった。何か触れてはいけないことだったか、と思っていると、村人の一人がぽつりと言った。
「‥‥茶々のおかげだよ、な」
「あいつが教えてくれなかったら、どうなっていたか」
「米泥棒の時といい、本当に賢い犬だよ」
「茶々とは?」
 レイアが更に詳しく聞くと、彼らは勇敢な茶々という犬の話をはじめた。
 村の皆から愛され、もうすぐ天寿を全うしようかとしていた老犬。それがこの災禍の、唯一の犠牲者であった。
(「死するは天命、必滅は天然自然の理、逝けばそれまでなれど‥‥」)
 村人の話を目を閉じて聞いていた悪来 ユガ(ia1076)は独りごちた。命あるものは必ず死に、その時というのは運命なのだ。
 なのだ、が。
「釈然と、しねえな」
 目を開く。さて、ただのケモノ退治だと思っていたが、どうやら大事な仕事が与えられたようだ。墓に入れるなにかひとつでも見つけてやらねばこの気は収まりそうにない。それは他の仲間達も同じで、誰一人、余計な仕事が増えたとは思っていなかった。
「権八とか言ったか?」
 奴延(ia4183)がひときわ暗い顔をしている男に声をかけた。
「いいか、おまえが仇討ちとか考えるなよ。ここは私たちに任せておけ」
 もちろんです、と権八は頷いた。化け物の前で足がすくんで動けなかった、そのせいで取り返しのつかないことになったのだ。あれの二の舞などごめんだ、と権八は言った。
「けど、俺の代わりに、ぶん殴ってくれ。俺が殴りたいんだけど、震えが止まらないんだ」
 見ると、権八の体は、怒りと恐怖とで未だ小刻みに震えていた。さぞ、悔しかったのだろう。
「だったら開拓者さんよ、わしの分も頼まれてくれ。うちの犬と茶々は仲が良かったんだ」
「じゃあ、私もよ。散歩の途中で茶々の頭を撫でるのが日課だったんだ」
「俺も頼む」
「私も」
 村人が次々と、茶々への思いをぶつけてくる。彼らがいかに、この『家族』のひとりを愛し、そして失ったことを悲しんでいるのかが痛いほど分かる。開拓者たちは、全員の拳を受け止める。
「任せとけっ、仇は俺たちが絶対にとってやるからな!」
 頼もしいことを言う開拓者たちに、村人達は歓喜した。

●捜索
 ケモノ退治には十分な人数が集まっている、ここは3手に別れて、それぞれで山狩りを行うことになった。悠長にまた現れるのを待っている暇はないのだ。見つけた者は深追いをせず、寧ろ追わせて戦いやすい場所へ誘導する、それが大まかな作戦となった。
 皆がそれぞれ、囮になる餌を持ち、別方向へ向かう。奴延はそれを見送るように、ある畑の真ん中に座り込んだ。
 山があり、川があり、鳥がさえずり、風が吹く‥‥ここはどこにでもある穏やかな村で、つい先日に惨禍があったとは、言われるまで誰も気付かないだろう。奴延は、だだっ広い畑の真ん中で、そんなことを考えた。収穫を終えたばかりで今は何も植わっていない、決戦に丁度いい畑だった。持ち主は、「ケモノの死骸でも埋めりゃ、いい肥料になるぞ」と、快く貸してくれた。
「奴延」
 声をかけられて、振り向いた。ユガが立っている。同じ拠点に集う、気心の知れた仲だ。
「おまえは呑気に日向ぼっこしながら、ケモノがくるのを待つつもりか?」
「のろいおまえを待ってたんだよ」
 口が悪いのはお互い様だ。いつもと変わらぬ調子の会話を交わし、奴延は尻の埃を叩き落としながら立ち上がった。
「行くか」
 ここへケモノを引きずり出してやる、そう決意して二人はケモノの残した痕跡をたどりはじめた。

「よお、ツツジ。さっきから俺らの周りを跳ねてるあのシノビだけどよ、あれ、何歳か聞いてるか? ばーさんみたいな喋りかたしてよ」
「聞こえておるぞ、托どの」
「うわ、聞いてやがったよ。どこにいるんだ? あの枝の上か、そっちの幹の後ろか?」
「ほっほっほ、おぬしら若造に気取られるような鍛え方はしとらんわい」
「だから何歳なんだよ」
「‥‥ずいぶんと饒舌だな」
 依頼と関係のない話を続ける托を、ツツジは不思議に思った。顔合わせをしたときにこの男は、こんなに喋るようには思えなかったのだが。
 と、それまで陽気だった托の表情が暗くなった。
「悪ィ‥‥黙ってると、考えちまってな」
「何をだ?」
「茶々とかいう、犬のことだよ」
「ああ‥‥」
 ツツジも俯いた。彼も小さい犬を飼っている。それがもし‥‥と考えると、権八の気持ちは痛いほど分かる。
「なんとかしてやりてーよ‥‥。それで思ったんだけどさ、勲章の首輪があったらしいじゃねえか。それを作るってのは、どうかな?」
「偽物を作るってことか? そんなことをして、権八が喜ぶとでも」
「ああ、ああ。聞かなかったことにしてくれ。てめぇらは、何も知らない。俺ひとりがやるんだよ」
 しばらく、二人の間に沈黙が流れた。と、頭上から璃々蝶の笑い声が降ってきた。
「若い者はせっかちでいかん。まずはケモノを見つけること、それが一番じゃろうて」

 巨大なケモノとはいえ、それの潜んでいる山は更に広い。狸や鹿や普通の熊がそれぞれに暮らしており、それを育む圧倒的な量の実りがある。ルオウとレイア−−彼らもまた、同じ小隊に属している−−は、鶏の肉と血を詰めた袋を下げて、繁みの中を歩いていた。この匂いにつられて、ケモノが寄ってくればいいのだが。
「分かってはいたが、臭いな」
 暑さで傷みも早い、絞めたばかりの鶏は早くもどす黒くなっていた。 
「私らの匂い消しになって、丁度いいだろう」
 果たして、ケモノが人間の匂いに警戒するものかどうか分からない。けれど、この強烈な肉袋の匂いの主張の激しさは、他のものの存在を隠すのに十分だった。その証拠に、すでにいくつかの動物が近寄ってきて‥‥ルオウたちと目が合っては逃げていく。
「ははっ、今のはイタチだな、可愛いもんだ」
 小さな生き物の気配も、彼らは敏感に拾っていった。辺りを注意深く見て回り、巨大な生き物が動いた痕跡を捜していく。所々に見つける、猪の牙跡、熊の爪跡。
 そして、ぞっとした。
「‥‥この、木のへし折り方を、どう思う、小隊長?」
「『小隊長』は止せよ」
 笑いながらも、緊張が走る。なぎ倒された草木は、山の更に奥へと道を作っていた。

●発見
 化け物は近い、誰もがそう感じていた。だが、だいぶ陽も傾いてきている。元来、獣というものは夜に活発に動くものだ。昼間以上に、森じゅうがざわめいている。ましてやここは、ケモノの縄張りのど真ん中。奴延は、ごくりと唾を飲んだ。
「さすがの『鵺』も、今夜の闇は恐ろしいか」
 ユガがからかうように言うが、その声が強張っているのが伝わる。ケモノをいくつも見てきた開拓者なら分からないはずがない。
 化け物は近い、それも、やつらに有利な形で。
「見つけるのが先か、見つかるのが先か‥‥」
 と、その時だ。けたたましい呼子笛が響き渡った。同時に吹き上がる水の柱。
「あれは!?」
「璃々蝶の『水遁』だ!」
 となると、呼子笛を鳴らしたのは托だ。即座に、彼らの今いる位置を測り、ユガは『咆哮』を轟かせた。
「気付け、こちらに‥‥!」
 バキバキッという、木々の踏み倒される音、微かな地響き、それらがユガたちに向かってくるのを感じた。
「よし、走るぞ」
 奴延の用意した畑へ向かって走る。
 水柱、破壊音、囮の咆哮、それらが一直線に並び、まっすぐ畑を目指す。

「用意は出来ているぞ」
 一足先に畑へ到着していたレイアとルオウは、松明を灯し、迎え撃つ体勢を整えていた。
 不自然に揺れる木々、益々大きくなる地鳴り、それを発する一点に開拓者たちは、それぞれの武器を構えた。
「‥‥お前に罪はない、お前はただ、腹を減らしただけだ。
 だからお前に恨みを持つのは、人間の傲慢かもしれん‥‥」
 レイアは呟く。しかし、キュッと唇を噛み、同情を捨てる。
「それでも‥‥お前のせいで悲しんだ心と失われた命がある、だから−−−−!!」
 そしてついに姿を見せたのは、太い前脚に鋭い爪を持つ、毛むくじゃらのケモノだった。

「鬼ごっこは終わりだ。こっからは狩りの時間っ!」
 待ちかまえていた者と、追ってきた者が挟み撃ちにする形で、ケモノの周りを取り囲んだ。しかし、ケモノにとってみれば、己の身の丈の半分ほどしかない小さな人間がいくらいようと脅威ではないらしく、興奮を収める気配はない。寧ろ牙を剥き、後ろ足で立ち上がり、力を誇示するように大きく吠えた。
「その程度か!!」
 負けじと、奴延が『咆哮』を放つ。ケモノの注意が彼女に向いた。
 それはすなわち、他の者に背を向けたことになる。
「そんなだからおまえは、畜生なんだよ」
 『鬼女』は容赦しなかった。忌々しいケモノから赤い首輪を切り離すため、脳天をめがけて『天墜』を振り下ろす。ボキッと鈍い音がして、ケモノがよろめく。
「権八、それから村のみんな‥‥あんたらの無念、間違いなく晴らしてやるぜ!」
 ルオウの刀が止めを刺すように、首から脇へ斬り下げた。
 二つに分かれたケモノの体は、二度と動くことはなかった。

●墓
 小さな塚に、小さい石、その石に赤い首輪が掛けられた。
「どうせなら、家族に看取ってほしかったろうな‥‥」
 ツツジは思った。この穏やかな村で、穏やかな家族に囲まれて、そして安らかに眠るはずだった。それがどこで間違ったか、残されたものはこの首輪ひとつ。
「家族、か‥‥」
 離れて暮らす父親のことを思い出した、が、すぐに振り払った。
「托、あとは任せた」
「おうよ」
 身形を整えた托が、茶々の墓の前に立った。
「俺は坊主だからな、きっちり弔ってやらぁ」
 まさか毎日聞かされてきた腹の膨らまない経が、こんな時に役に立つとはな‥‥そう思いながら托は、経を読み始めた。
「あたしは、念仏は性分じゃねえからな」
 代わりにと言ってユガは、歌を詠んだ。

 君がいぬ 地平の彼方 茜空 姿かさねる まろき夕日に

 権八は泣いていた。
「すっげえ悲しいだろうけどさ、茶々はあんたを護りきった。‥‥あんたは茶々の勇気の証だろ、だから弔ってやってから無理でも元気だそうぜ。な?」
 慰めるルオウに、権八は首を振る。
「違うんです、‥‥違うんです」
 悲しいのではない。
 親友であり、妹であり、相棒である茶々を、皆もそう認めてくれて、こうして手を合わせてくれる、それが何より嬉しいのだ。
 何度も礼を言う権八。
 そして、どんどん托の経に、鼻水をすする音が混じってきた。