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■オープニング本文 富夫は隣村のマリと恋仲であった。 だが、二人の家は商売敵として反目し合っている、とても許される仲ではない。そんな古風な理由から、二人は人目を忍んでは、小高い丘のてっぺんにある木の下で逢い引きを続けていたのである。 と、うまく隠していたつもりの二人だが、とうの昔に親にも弟妹にも筒抜けなのだった。まだ具体的な結婚話が出ているわけでもないのに反対するなど勇み足であるし、どちらかが家を出てもまだ跡取り候補は残っているのだ、やかましく騒ぎ立てる方がみっともない、そう考えて何もせずにいた。 一方、常ににやけ顔の兄と違い、富夫の弟・知夫は実にうまく己の心を隠していた。彼が兄の恋人に対して淡い気持ちを抱いているなど、誰も思いつきもしていなかった。 ある日、富夫と父親の関係する大きな商談があった。仕事をしながらも兄は、しきりに時間を気にしている。ああ、これは今日は待ち合わせをしていたのだな、と知夫は察した。 この様子ではしばらく兄は店を出られまい、それを知って知夫は、僅かに色気を持ってしまった。 今なら、木の下で待っているマリに誰にも邪魔されずに逢えるだろう。後に兄に咎められても、気を利かせた伝達係のふりをすればごまかせる、そう考えついた知夫は悠々と出かけていった。 数時間の後。 待ち合わせの時刻に大幅に遅れた富夫は、息を切らせて丘の上を目指した。 立っている人影を見つけて、声をかけようとした。 「待ったかい、マリ‥‥」 人影の正体がはっきりするにつれ、みるみる富夫は青ざめた。 立っていたのは、赤く汚れた知夫。 そして足下には、着物ごと胸を切り裂かれ、血を流してぴくりとも動かないマリ。 「知‥‥夫、マリ‥‥、な、んで‥‥?」 「うわああああああ!!!!」 兄を突き飛ばして、弟は森の中へ逃げた。 いったい、何が起こったのか。 とにかく恋人を助けなければと、追うよりも先にマリに駆け寄る。僅かに胸が上下しており、まだ息はあるようだ。 富夫は、そこから先のことは覚えていない。どうやってマリを連れ、彼女の家へ戻ったのか。帰らない弟の行方についてどう答えたのか。富夫が落ち着いて話が出来るようになったのは、医者が「もう大丈夫」の言葉と共に帰り支度をしていた時で、もう日付の切り替わる頃だった。 「それで、あんたの弟がやったのか!?」 目を血走らせたマリの父親が、富夫を睨み付けた。 「まさか!」 「じゃあ何で逃げた!? 手込めにしようとして抵抗されたとか、だろう? 貴様といい、弟といい、なんてふしだらな兄弟だ!」 「知夫はそんな男じゃない!」 「うるさい! それも捕まえてみれば分かることだ。うちの者に山狩りをさせているからな、時間の問題‥‥」 「旦那様!!」 言いかけた時、使用人の一人が飛び込んできた。いい報せかと思ったがそうではないようで、父親は顔をしかめた。 「旦那様、ケモノです! ケモノがいやがりました。猫だか虎だか、とにかく眼の光るおっかないヤツです」 厄介な報告を聞いて唇を噛む。 「だったら専門家を急いで呼べ!! いくらかかっても構わん、娘をこんな目に遭わせたやつをふん捕まえろ!!」 マリはまだ目を覚まさない。 富夫は隣で見守る権利も与えられず、重い木戸が後ろで閉められる音を虚しく聞いていた。 |
■参加者一覧
葛葉・アキラ(ia0255)
18歳・女・陰
江崎・美鈴(ia0838)
17歳・女・泰
シュヴァリエ(ia9958)
30歳・男・騎
紫焔 鹿之助(ib0888)
16歳・男・志
小(ib0897)
15歳・男・サ
アリスト・ローディル(ib0918)
24歳・男・魔 |
■リプレイ本文 ●知夫の兄 騒々しい夜が終わった。 陽が昇りきる頃には、すでに準備を整えた開拓者達が邸前に揃っていた。マリの父親は開拓者を知らなくは無かったが、それでも集まったのが若造や華奢な女達であることに、不満を隠そうともしなかった。 「もっと、こう、屈強な連中はいなかったのか‥‥」 頼りない、と言いたいのだろう。視線の先にいた小(ib0897)は、己の姿を責められたようで胸が痛んだが、父親の不信を吹き飛ばすためにもその目を力強く見返した。 「まあいい。うちの大事な娘を傷つけた不埒者が山に逃げ込んでいる。西屋の次男だ。兄といい弟といい、恥知らずな男共だ! そもそも、あそこは商売のやり方からして汚いのだ。素性の知れんモノに高値を付けて‥‥」 「いいから要点をかいつまんで話せ!」 アリスト・ローディル(ib0918)は苛立ちを露わにした。まったくこの父親は、山狩りをさせるために自分達を呼んだのか、それとも商売敵の愚痴を聞かせるためなのか。依頼主は取り繕うように咳払いをした。 「つまりだ、猫みたいなケモノがいるらしいので、あんたらに任せる。頼んだぞ」 「ああ。この脳漿の全てを以て解決に尽くそう」 宣言しながらアリストは、持っていた杖をガッと地面に打ち付け、くるりと踵を返した。 開拓者達を見送る人影が邸の中に消えたのと入れ替わるように、塀の陰から一人の男が姿を見せた。 「あ、あの‥‥」 声を潜めて、すこし怯えるように呼び止める。 「あの、東屋さんに呼ばれた開拓者さんって、あなた方ですか?」 「ん? そうやけど」 代表して葛葉・アキラ(ia0255)が答えた。男は、西屋の長男で富夫という者だ、と身分を明らかにした。 「ああ、あんたが依頼者の言うてた長男さん? えらい嫌われとるみたいやなあ」 アキラがそう言うと、富夫は困ったように額の汗を拭う。 「ええ、まあ。しかし、東屋さんは僕の話は聞いてくれませんし‥‥」 富夫は落ち着いて、もう一度自分が見た光景のことを彼らに伝えた。 「なんとも、面倒な事になってんな」 経緯を聞いて、シュヴァリエ(ia9958)は溜息をつく。傷を負った女と逃げた男、状況だけ見れば、弟の知夫が何か関わっていると疑いたくなるのは仕方ない。 「そもそも、何で逃げたんだと思う?」 シュヴァリエは逆に聞いてみた。マリの父親の言うとおり、手込めにする気だったのか? 「そんなことはありません!! 弟はそんな、欲情だけで動く単純な男じゃありません。そもそも、マリにあんな傷を負わせられるほどの大きな刃物なんて持ってるはずがありません!!」 必死で弟の無実を訴える兄の姿に、 紫焔 鹿之助(ib0888)は心を揺すぶられ、両の眼から流れる涙を止められなかった。 「ちきしょうめ! 俺ぁ信じるぜい、てめぇの弟のことはよ!」 鼻をすすり、涙を無理矢理止めて、鹿之助は富夫の肩をつかんだ。 「東屋のクソッタレのクソ親父のことなんざ気にするな。俺らが間違いなく弟を見付け出して、てめぇに会わせてやっからよ」 「頼みます! 本当に、頼みます!!」 嬉しい鹿之助の言葉に、富夫は表情に明るさを取り戻し、深々と頭を下げた。 ●山狩り 江崎・美鈴(ia0838)は困惑していた。 只でさえ人見知りの激しい性格であるのに、今回の仕事に知っている顔が無い。いや、唯一、鹿之助なら馴染みであるが、その彼は張り切ってどんどん先頭を突っ切っている。 「浮かない顔だが?」 スカルフェイスの大男に不意に声をかけられ、思わず美鈴はフーッと息を噴いて毛を逆立てた。 「な‥‥?」 「あ、失礼‥‥」 飛び出た爪を押さえ、仕事に専念せねばと自分に言い聞かせ、シュヴァリエの方に向き直る。 「いや、事件のことを考えていたのだ。ケモノまで出てきたというのでな」 「同じだ、俺もケモノのことが気にかかる。マリ嬢の怪我と時を同じくして現れたとなるとな」 実は二人の考えは一致していた。 マリを襲ったのは、ケモノではないのか? 「何にせよ、本人から聞いてみないことにはな」 問題の丘のてっぺんに着いて、小は辺りを見回した。マリが目を覚まさない以上、全てを知っているのは知夫である。捜し出して、話を聞かなければ。 おそらく、動転しているだろう。一晩も逃げれば疲れて遠くには行けまい、きっとすぐに見つかる、小はそう考えた。 その前に、手がかりを調べなければ。 まず、マリの倒れていた場所を捜した。いやに赤黒く土の濡れている部分がある、これがそうだろう。 その周辺に、踏み潰された草。楕円の形は草履だろうか。 大きな塊が土の上を擦ったような跡がある。血の位置から考えるに、マリが何かに突き飛ばされ、ここまで吹っ飛んだのだろう。 そして大きな獣の足跡。 「‥‥なあ、これ、2匹いないか?」 鹿之助が小の顔を見る。小も頷いた。 足跡は2種類あった。 丸い、しかし瞬発力のありそうな、土を蹴り出す足跡。 蹄を持った、固く踏みしめた足跡。 この2種類の足跡が、同じ場所に乱雑に重なっていた。 「争ってる‥‥?」 飛び散った茶色い獣の毛。 勝者はどちらだったのだろうか。 大股の草履の跡は、折れた草の茎の方へと続いている。 「逃げたことを隠す余裕も無かったということか」 アリストは逃亡者の小心ぶりを半ば呆れているようだった。知夫の行いは何もかもがその場しのぎの思いつきなのか。気を落ち着けて山を降りればこんな大騒ぎにならずに済んだのに、いろんなことを取り繕おうとして身動きがとれなくなっているのだろう。 アリストの分析は冷静で的確だ。だからこそ、知夫が姿を見せられなくなっている理由が分かる。 彼に必要なのは、真実の証明だ。 「ほな、こっち方向を手分けして捜してみよか」 と、アキラは呼子笛を出した。 「他に誰か、笛は持ってへん?」 「あ、おいらが」 「これで二手になれるな。合図、決めとこか」 アキラは笛を軽く吹いた。音に濁りはない、もっと強く吹けば広い範囲に届くだろう。 「ケモノを見つけたら1回、知夫を見つけたら2回、それ以外なら3回、でええな?」 「それでいこう」 アキラはアリストとシュヴァリエ、小は鹿之助と美鈴と、それぞれに別れて捜すことになった。 ●ケモノ その頃の知夫は、岩がいい具合に平らになっているところに座り込んでいた。何度か転んだのだろう、服は泥だらけで、体にいくつも擦り傷があった。 一睡もしていない。出来るわけがない。目の下には隈が出来ている。 マリが死んでしまった。 殺したのは自分だ。 そんな思いが頭を駆けめぐっている。 「俺のせいだ。俺のせいで‥‥‥‥」 ぶつぶつと独り言を呟く彼の背後に、鋭い爪を持つケモノが、音も立てず近寄っていた。 その時だ。 甲高い笛の音が響いた。 1回。 少し遅れて、2回。 「はァッッ!!」 猛々しい声と共にシュヴァリエが飛び込んだ。巨大な斧を振り下ろすと、ケモノは避ける間もなくそれをまともに喰らった。 「あんたは隠れてろ」 すぐさま小は知夫の体を引っ張り、物陰へ連れていく。知夫は、いったい何が始まったのか、咄嗟に理解出来なかった。 しかし、目の前にいる真っ黒のケモノを見て、わなわなと震えだした。 「こいつだ! こいつがマリ姉ちゃんを!!」 シュヴァリエに吹っ飛ばされ、後ろの岩にぶつかる‥‥かと思いきや、ケモノはくるりと体勢を変え、地面に着地した。 「猫‥‥豹か? 可愛げのない顔をして」 確かに傷を負わせたはずなのに、眼の光るケモノは戦意を削ぐことなく、寧ろ己を傷つけた不遜な輩に報復せんと牙を剥いた。 「アラブルタカノポーズ!」 それに対抗すべく美鈴は、両手を高く掲げ、荒ぶる鷹の姿、というよりも目前のケモノより更に大きな猫の姿を模して怯ませる。が、構わずケモノはにじり寄ってくる。 「なんでぇ、効いちゃいねえじゃねぇか!」 「ふにゃ〜。覚えたてだったんで、つい」 飛びかかる牙は鹿之助の『河内善貞』が止めた。ケモノは、構わずそれを噛み砕こうとする。 その動きが急速に鈍くなった。アリストのフローズがケモノを止めたのだ。 「どぉぉりゃああああ!!」 力の限り、鹿之助は刀を引いた。 ケモノの上顎と下顎が離れるまで。 ●真相 「どや、落ち着いたな?」 アキラは知夫の手を握り、濡らした布で擦り傷を洗ってやる。徐々に呼吸が整ったのを見計らって、努めて静かに声をかけた。 「安心しな。マリは命に別状はねェみたいだとよ」 それを聞いて知夫は、文字通り崩れ落ちた。ほっとしたのか、声を出して笑う。 「そろそろ話せるか? 何があったのかをよ」 知夫の話はこうだ。 マリと逢った知夫だが、口説いたり抜け駆けすることも出来ず、口実のはずの兄の遅刻を伝えるだけしかできなかった。それ以上、艶っぽい話に展開もせず、だらだらと適当なお喋りをしていたのだ。 そこに、真っ黒いケモノが姿を見せた。慌てて逃げようとしたその時に。 「俺は、マリ姉ちゃんを突き飛ばして逃げたんだ」 もつれる足で何かを蹴った感触があった。振り返ることも出来ずに走って走って、ようやく逃げ切った時には、二人で逃げていたはずなのに一人だったのだ。 用心しつつ、元の場所へ戻ると‥‥ああ、倒れたマリの胸元から、血が溢れているではないか!! いくら押さえても止まらない血を見て、もうマリは死んだと思った。 自分のせいで! 「‥‥少なくとも、あなたが斬りつけたのではない、ということですね」 アリストが念を押した。ここが一番大事なのだ。 マリを傷つけた犯人は、知夫ではない。 「その言葉、証明してやる。だから一緒に山を降りろ」 アリストは、シュヴァリエが縛り上げたケモノを指さして言った。 ケモノの爪は、まるで刃物のように鋭く光っている。 ●マリ 全員が揃って東屋に戻ってきた時、丁度マリが意識を取り戻したということで、邸中がてんてこ舞いになっていた。 それでも、開拓者達が知夫を見つけてきたということで、主が飛び出してきた。 「よくぞ捕まえてくれた! わしがそいつの首を刎ねてやる!!」 興奮する父親を、美鈴とアキラが二人がかりでなだめすかす。 「お医者様は来とるんやな? ぜひ調べて貰いたいモンがあるねん」 「そうそう、マリちゃんを傷つけた凶器かもしれないのー」 「凶器?」 父親の前に、ケモノの爪がドカッと無遠慮に置かれた。 医者は、マリの傷について、こう言った。 「かなり大きな刃物で‥‥斧や、鉈といったものでしょう。それも、角を使って、深く抉るように切られてますね」 「それは、これか?」 「ああ、まさにこれです」 あっさり認める医者の言葉に、父親は、怒りのぶつけ処が無くなって拍子抜けしてしまった。が、すぐにもう一つの話を思い出して怒りを思い出す。 「突き飛ばして逃げただと? きさまのせいで!!」 さて、マリが目を覚まして話が出来るようになって、新たな事実が判明した。 「イノシシが出てきたのです」 「へ?」 知夫と逃げようとした時、どういう偶然か、二人の間に入るようにイノシシが飛び込んできた。マリはそれに吹っ飛ばされたのだという。 「転んだ方向にケモノがいて、胸に爪を立てられて‥‥そこからあとは覚えていません。でも、これだけは言えますわ、お父さん」 マリは、はっきりと証言した。 「知夫くんは私を突き飛ばしてはいません」 ともかくマリが無事だったということで父親はなんとか落ち着いて、富夫も、弟の濡れ衣が晴れて安堵した。 「まったく、そもそも何でおまえは、あそこにいたんだ?」 「‥‥散歩のつもりだったんだけど」 弟はひとつだけ嘘をついた。 「くだらん、これで終わりにさせて貰うぞ」 全ての解決を確信して、開拓者達は村を後にした。 他人の恋路などには、全く興味はないのである。 |