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■オープニング本文 お嬢様が物憂げに言った。 「水ようかんが食べたいですわ」 隣にいたばあやは、そうですねえと相槌を打った。 「板場に伝えてまいりますわ」 しかしお嬢様はふるふると首を振る。 「うちのじゃつまらないわ。去年に叔父様からいただいた、あの店のがいいわ」 今日はやけに暑い日だった。まるで夏のようだ。さらに1週間は続くだろうと予想されている。 ナミルお嬢様ははしたなくも、着物の裾を捲って膝小僧も露わにし、ぱたぱたと扇いでいるが、それでも暑さはいっこうにひかず、しきりに帯や襟元を弛めようとする。 「なんていう名前だったかしら、たしか、『松風』‥‥。あそこの水ようかんは、なんともいえない美味でしたわ」 ナミルは目を閉じて、1年近く前に食べた味を思い出す。たしか8月頃だったか、叔父の手土産で貰ったものだ。竹の器に入っていて、匙も竹を削った可愛らしいものだった。ひと匙すくって口へ入れると、ひいやりと冷たく、サラサラと溶けくずれ、小豆と砂糖の風味がのぼせた体を引き締めてくれた。 「買ってきなさい。松風のじゃなきゃダメよ」 お遣いを任された丁稚のウキジは手ぶらで帰ってきた。ばあやは遣いも満足に出来なかった少年を怒鳴りつけたが、少年も困ったように言い返す。 「松風のご主人が、水ようかんは8月のもので、今は作ってないというのです」 「だったら作らせなさい」 二人の会話を聞いていたお嬢様が、割って入る。 「わたくしはどうしても、松風の水ようかんが食べたいのです。1日2日ぐらいは待ちましょう、幾らかかってもいいから、作らせなさい」 またお嬢様のワガママが始まった‥‥ばあやと丁稚は、毎度のことに溜息をついた。 さて一方の松風の亭主であるが。 彼は彼で頑固な男であった。 「無いなら作れだって? 野暮なことを言っちゃあいけない。あれは真夏の、暑い盛りにキンキンに冷やして食べるもんだ。今の季節は、わらび餅やういろうみたいな、ほんのり冷たいもので初夏を感じる、それが正しい菓子の味わい方よ!」 「お金なら出しますから」 ウキジが何度も頭を下げるが、真面目な菓子職人の旦那は頑として首を縦にしない。 「分からない小僧だな、金の問題じゃないんだよ。そりゃ、今日は暑いかも知れないけどな、まだ8月の暑さじゃねえ。こんな時に水ようかんを食べたって、お嬢様の期待しているような味にゃならないよ」 さあ丁稚は困った。 これ以上菓子屋を説得する材料も持たず、とぼとぼ帰路につく。帰ったところでお嬢様も納得はしないだろう。いっそ、持たされた金でならず者でも雇って松風を脅してしまおうか‥‥そんなことまで考えてしまう。 と、ウキジの足が止まった。 開拓者ギルドの前だったからだ。 「‥‥おいらの悩みなんて、馬鹿馬鹿しいって一蹴されちまうのかな‥‥」 それでもウキジは、なんでもいいから解決策を見つけたかった。 |
■参加者一覧
天津疾也(ia0019)
20歳・男・志
ルオウ(ia2445)
14歳・男・サ
上條紫京(ia4990)
24歳・女・陰
ブローディア・F・H(ib0334)
26歳・女・魔
葵・紅梅(ib0471)
25歳・女・ジ
伏見 笙善(ib1365)
22歳・男・志 |
■リプレイ本文 ●悩めるウキジ 仕事完了の報告と新しい仕事を求めてルオウ(ia2445)は今日も開拓者ギルドを訪れていた。依頼を出す者、受ける者、開拓者としての登録に来た者、旅支度の便利な商品を売り込もうとする者‥‥ここはいつも誰か彼かでぎゅうぎゅうに詰まっている。 ただでさえ最近は夏のように暑いのに、こんな人混みに揉まれてはのぼせてしまう。ルオウは据置の腰掛けに座り込むと、ありがたい事にここには冷やされた薬罐がある、中の水を湯呑に移し、それを一気に飲み干した。 「私にもいただけます?」 声を掛けたのは同じ理由で人混みから逃げてきた葵・紅梅(ib0471)だった。掌を団扇代わりに扇ぎつつ、受け取った水をやはり飲み干した。 「なんて暑さでしょう、まさかもう夏が来たとでに言いますの?」 紅梅もまた人いきれにやられたらしく、辟易した様子でルオウの隣に腰掛けた。 ギルドの窓口は、相変わらずごった返している。依頼の説明を受ける開拓者が列をなし、それはもう一刻近く動いていない。並び直す気にもなれず、二人はそのままそこで他愛ない世間話を始めていた。 「なんや、えらい別嬪をひっかけとるやないか」 友人の顔を見つけ、遠慮の無い口調で声を掛けてきたのは天津疾也(ia0019)とブローディア・F・H(ib0334)だった。そんなんじゃないよ、と笑いながら否定するルオウ。 「疾也たちも、仕事を探しに来たのか?」 「ああ。せやけど、アカン。今日は不発やで。あの行列に並ばんかった、あんたらは賢いわ」 「この人ったら、報酬の項目を見ただけなんですよ」 「そこが一番大事やないか」 ブローディアの言葉にすかさず反論する疾也。 「ま、とにかく。別嬪と逢い引きするンに、水もつまらんやろ。茶でも飲みに行くか?」 「そうだな、仕事探しは、もうちょっと人が減ってからにするか」 4人の意見が合致して、ギルドを出て行こうと立ち上がった、その時に後ろから呼び止められた。 「この方の依頼を受けて下さったら、ところてんを御馳走してくれますわよ」 上條紫京(ia4990)と、依頼主となるウキジであった。 「どうしたんだよ、暗い顔して。何があったんだ?」 「実は‥‥」 少年は溜息と共に語り出した。 「‥‥つまり、お嬢様のワガママに困っているわけなんですね?」 一部始終を聞いたブローディアは呆れた。職人のこだわりがあって作らないものを金に飽かせて作らせようだなんて。 「ふふっ、お嬢様のためにこんなに真剣になっちゃって。甲斐甲斐しくて可愛いわね☆」 紅梅がウキジの頭を撫でようとすると、少年は顔を赤くしてそれを振り払った。 「私としては、そのお嬢様を叱りつけてやりたいのですが」 「紫京さん、それは困ります!」 「と、ウキジ様が仰ってるので、皆様のお知恵を拝借したいのですが」 紫京が改めて、他の仲間達の顔を見回した。 「うーん、難しいなあ‥‥。そんなに食べたきゃ、自分ちで作りゃいいじゃん。作れる板前がいるんだろ?」 「松風さんのじゃなきゃ、ダメだって言い張るんです」 「そんなに味が違う物なのかしら? そう聞くと、私も食べてみたいですわね」 紅梅は目を閉じて、味を想像してみる。上品な甘さで、とろけるような柔らかさで、きっと頬が落ちてしまうのだろうと。 「でしたら、私が松風さんにお願いしに参りましょう。お金でだめなら、別の手段もあるものよ。例えば、ねえ」 言いながら紅梅はウキジに体を近づける。柔らかいもので顔を塞がれたウキジは、真っ赤になってひっくり返った。 「そんなのが通じる相手かな?」 「まあ、よほど松風のご主人がうぶじゃないかぎり難しいでしょうね」 けらけら笑う紅梅。ウキジはすっかり彼女の玩具だ。 「あーもう面倒くせぇ。要するに暑うせぇ、ちゅうことやろ? だったら暑くしたらええやんか」 疾也がなんとも明確なことを言ってのけた。軽い冗談のつもりであったが、その提案は全ての問題を解決させるものであった。 少々の溜飲を下げるという意味に於いても。 ●正しい水ようかん 「蒸し風呂、ですって?」 丁稚がお遣いの品の代わりに連れて帰った客人が突飛なことを言い出したので、ナミルは思わず聞き返した。 「左様でございます。ナミル様には最高の味を召し上がって頂きたいのですが、それには状況が整っておりません。今のままでは、たとえ松風の腕が一級でも、その味わいは二級、三級となるでしょう。ナミル様にとてもそんなものを召し上がって頂くわけには参りません」 「ううん‥‥」 紫京の演説は滔々と続く。 「そもそもお考え下さい。松風の水ようかんと、そこいらの店のものと何が違うのかを。ナミル様がそこいらのもので満足なさらないのは、それほどまで松風のが美味だったのでしょう。しかし、松風が作っていたのは8月のまさに暑い盛り、それ以外の時に召し上がったものは時期を外していたことでしょう。それではどんなに上等なものでも、貴女をご満足させるには至りません。それは松風でも同じこと。このままでは貴女は松風に失望してしまいます」 隣で聞いていたウキジは感心するばかりだった。よくもまあ、表情ひとつ崩さずに論ずることが出来るものだ。ウキジは、紫京のとんでもない提案にお嬢様が怒り出すのではないかとはらはらしたが、ナミルは長い演説によって生じた足の痺れの方が気になってそれどころではないようだ。紫京は涼しい顔で、正座の足を全く動かさずに更に弁舌をふるう。 とうとうナミルは我慢出来なくなって自分から話を打ち切った。 「ああ、もうよい、分かったわ。つまりわたくしに、風呂に入れと言うのでしょう? ウキジ、湯殿の用意を‥‥」 「いいえナミル様。貴女のために特別にこしらえた風呂を、庭に用意させて頂いてますわ」 紫京はにっこりと微笑んで、お嬢様よりも何倍も優雅に立ち上がった。 庭は準備万端、整っていた。 板で四方と天井を覆い、人が数人入れるほどの囲いを作って、その中には腰掛けを置いた。 「よく焼けましたわよ」 ブローディアの足下で火が熾され、大きな石が2つ3つ焼かれている。 「よっしゃ、運ぶで。重いから気ィつけーや」 それを囲いの中に置き、石に水をかける。 ジューッと激しい音と共に蒸気が吹き上がり、瞬く間に囲いの中の温度が上昇した。 これがお嬢様のために用意された、特製の蒸し風呂である。 「‥‥これに入れと?」 そばに寄るだけで汗が出てきた。ナミルは眉をしかめる。8月の気候の再現のためにとはいえ、暑すぎやしないかと。 「これが夏以外に水ようかんを食べる時のしきたりなのです。守らないと呪われます」 「呪いですって、ばかばかしい」 「恐ろしい呪いですわよ。水ようかんがみるみる体に吸収されて、お腹や二の腕がさぞご立派になるでしょうね」 西瓜みたいな胸と、その半分の厚みしかない腰を持つブローディアにとんでもない呪詛を吐かれてしまった。胸と腰が同じ太さのナミルにとってこれ以上恐ろしい呪いはない。 「ええ、ええ! 入ってやろうじゃないの」 「私もご一緒させていただくわ。座ってるだけじゃ退屈でしょうしね、話し相手も必要でしょう」 こうしてナミルは紅梅と、脳味噌が沸騰しそうな蒸気の中へと入っていった。 真っ赤に焼けた石は全く冷めず、もうもうと蒸気を出し続ける。 「‥‥もういいでしょ?」 入って数分とたたないうちに、ナミルはもう出ようとする。しかし紅梅はそれを引き留める。 「ご存知? 汗をかくと痩せるんですってよ」 座り直すナミル。しかしその我慢も長くは続かない。 「‥‥もういいわ、もういいでしょう」 「あらあら、もう降参ですの?」 またもや座り直すナミル。どうしたわけか、紅梅より先に出ては負けのような気がしてきた。 それからも、出ようとするナミルをあれこれ言って引き留める。 からっからになるまで汗を搾り取ってやりたいのだ。せっかく水ようかんを用意しているのだから。 ●水ようかんが食べたいわ もうだめ! という弱り切った悲鳴と共に、ナミルは囲いから飛び出した。全身から流れ出た汗で、襦袢がぐっしょり濡れている。外の暑さを夏のようだとさっきまで言ってはいたが、蒸し風呂に比べるとなんて涼しさだ。 「はいはい、こっちに座って座って」 疾也はすかさず日陰の椅子にナミルを座らせ、団扇で扇いでやる。しかし、その程度で体温はいっこうに下がらない。 「お待たせ! いよいよお楽しみだよ」 ルオウは竹の器と竹の匙を握らせた。器の中は艶やかな小豆色で満たされている。 器を持った左手から、すうっと熱が消えていった。冷えているのだ。水ようかんはキンキンに冷えていた。 ひと匙すくって、口に含む。 ああ、自分はこれが食べたかったのだ! お嬢様はたいへん満足した。言いくるめられて蒸し風呂につっこまれた事も忘れて満足した。開拓者達も相伴する。水ようかんは大変美味なものだった。 「ルオウ、あんた、松風を説得したんか?」 疾也が尋ねると、ルオウは人差し指を己の唇に当てた。 「ここの板場に頼んで作ってもらったんだ」 「なんや、美味いモン作ってくれるやないか。お嬢様は何が不満なんや」 「お嬢様は、そんな方なんです」 ウキジは申し訳無さそうに頭を掻いた。 |