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■オープニング本文 石鏡の北にある地域、十塚。 そこで繰り広げられたある賊を巡っての戦いから数日が経ってのことだ。 場所は須佐の町を治める天尾家の屋敷。 畳の敷き詰められた部屋で、2人の女性がテーブルを挟んで向き合って座っていた。 1人は天尾 天璃‥‥天尾家当主の娘。もう1人は天羽 扇姫‥‥以前まで須佐を治めていた天羽家の唯一の生き残りである。 こうして向き合ってからかなりの時間が経過していたが、どちらも口を開こうとしない。気まずさを誤魔化す為に天璃がお茶に口をつけるが、すっかり冷え切っていた。 「‥‥入れなおしますね」 立ち上がり、部屋を出ようとする天璃を扇姫が呼び止める。 「あいつらはどうなるの‥‥?」 あいつらとは、天羽を滅ぼした賊のことである。先の事件で生存者はただ1人を除いて全員捕縛することができたのだ。 賊は約20年前まで天羽家の護衛を務めていたサムライ氏族の伊都家を中心とした、ならず者達で構成されていた。 何故、伊都家の者が賊に身をやつしていたのかは現状分からない。賊の中でもそれを知っている者は過去の天羽襲撃事件の際に死んでいるからだ。 いや、天璃には理由を知っているだろう人物に心当たりがある。十塚最大の影響力を持ちながら、その存在を知る者はほとんどいないという人物だ。 (叢雲殿なら恐らくは知っているでしょうが‥‥) だが彼が簡単に話すような人物ではないことを天璃は知っている。 そこまで考えたところで、天璃は思考を先程の扇姫の質問に戻し、改めて座り、話し始める。 「あの襲撃事件に参加していた者は死罪は免れません。氏族を滅ぼし、町を混乱に陥れたのですから‥‥」 問題は賊の家族だ。襲撃に参加していないとしても、賊が得た財を元に生活し、賊を止めようとしなかった。死刑になるほどではないが、これも見逃せるものではない。 「非戦闘員については賊の中での立場や年齢によって、また対応が変わると思います。今はそれをどうするか話し合っているところです」 補足すると、子供達については保護することが決まっていた。見所がある子は氏族が受け入れることもあるという。 「‥‥そう」 返答を貰った扇姫の表情はいつもと変わらず無表情で、この判決に満足しているのかどうかは分からない。 再び沈黙が訪れるが、天璃は今こそがちゃんと話す機会だと決心して口を開く。 「扇姫姉さ――いえ、扇姫さん‥‥生きてらしたんですね」 「別に、昔と同じ呼び方でいい‥‥」 「扇姫姉さん‥‥」 天羽家と天尾家は家族ぐるみでの交流があり、幼い頃から天璃は扇姫を姉と慕っていた。 死に別れたと思っていた扇姫が生きていることを今更ながら実感し、天璃は涙を堪える。 「武蔵君達の亡骸は見つかりましたが、扇姫姉さんは見つからなかったのでもしかしてとは思いましたが‥‥」 「‥‥お墓、ありがとうね。私も‥‥昨日参らせてもらった‥‥」 「いえ‥‥私にとっても大事な家族でしたから‥‥」 つい、幼い頃からの天羽家と過ごした日々を思い出す天璃。先程から我慢していた涙は最早堪えられそうにない。 「ん、おいで‥‥」 扇姫が両手を広げる。‥‥昔から、天璃や武蔵が悲しみに暮れた時、それを抱きしめるのは扇姫の役目だった。 表情は開拓者達が知る無表情ではなく、天璃がよく知る優しさに満ちた柔和な笑み。 「姉さん‥‥!」 天璃は扇姫の胸に飛び込み、顔を胸に埋めながら嗚咽する。扇姫はそんな天璃の頭を優しく撫でるのであった。 そうしてどれくらい経っただろうか。 天璃は大分落ち着きを取り戻したようで、むしろこの歳になって甘えている事が恥ずかしくなり顔を赤くしていた。 「え、えと、その‥‥」 扇姫から離れようと顔を上げたところで、扇姫が告げる。 「天璃ちゃん、あなたの力を借りたい」 「え‥‥?」 目に映る扇姫の表情は、さっきまでとは違う厳しいもの。 「唯一逃げ出した襲撃犯‥‥伊都 武蔵を殺す為に」 伊都 武蔵。 天羽家を襲撃した賊の1人。天璃が父に聞いたところ、伊都家が護衛を外される頃には既に生まれており、今だと25歳ぐらいの筈と。 つい最近まで記憶を失っており、自分を『天羽 武蔵』だと勘違いしていた‥‥天璃にとっても許し難い男だ。 「しかし‥‥。力を貸すにしても、まずその男の居所が分からないことには‥‥」 武蔵は先の賊襲撃事件の際に記憶を取り戻し、逃亡してしまった。神楽の都の家にも戻っていないようで、開拓者ギルドも彼の行方を掴んでいない。 それとも力を貸すというのは武蔵を探す為に手を貸してほしいということだろうか‥‥天璃が改めてその意図を問おうとした時、扇姫が信じられない言葉を放った。 「いいえ、あの男の居場所なら‥‥既に掴んでる」 「な‥‥!?」 天璃は驚きを隠せない。 何故なら、扇姫を天尾家で保護してからは彼女は一歩も屋敷の外に出ていない。天璃にとっては心苦しい話だが、危険人物として監視もしているからその点については間違いない。 そんな彼女がどうやって武蔵の居場所を知ったというのか。 「前の戦いの時‥‥あの男が色々と持ち物を落として‥‥その中に手帳があった」 「手帳‥‥ですか?」 「どうも、その手帳は日記に近いもので‥‥あの男にとって大事なこととか、忘れたくないことが書かれていた‥‥」 勿論、それは記憶喪失初期の十塚にいた時の事も含めてだ。 「それに書かれてた‥‥。気が滅入った時は、とある場所に行けば気持ちが落ち着く‥‥と」 「‥‥確かに報告を聞いた限りではあの男は相当にショックを受けているように思えます。しかし、その場所にいる確証は‥‥」 天璃の反論に、扇姫は首を横に振る。 「そこに居る事は‥‥確認した」 先述したが、扇姫は天尾の屋敷から一歩も外に出ていない。そんな彼女がどうやって確認するというのか。 思考を巡らせた天璃はある方法に考えが至る。 「叢雲殿、ですか」 頷いて肯定の意を示す扇姫。やはり天璃が想像した通り、屋敷に住む叢雲の力を借りたらしい。 そして、叢雲がその知った情報を扇姫以外に教えるかといえば‥‥否だろう。彼は、彼にとって楽しいことを優先するからだ。 「居場所は判明した‥‥後は、殺すだけ」 だから力を貸してほしいと言う扇姫に、天璃は一先ずこう返すのであった。 「少し‥‥考えさせてください」 天璃にとっても、武蔵は憎むべき男だ。正直、個人的感情でいえば復讐に手を貸したくある。 「しかし‥‥」 それはあくまでも個人的な感情。天尾家としてはもっと大局を見据えて判断すべきなのかもしれない。 それに彼は開拓者として困っている人々を助けていた時期もある。‥‥善行をすれば悪行が消えるわけではないが、考慮しないのもどうか。 扇姫の復讐に手を貸すか‥‥それとも武蔵を助けるか。結局、天璃にその判断はできず。 ここ最近の武蔵を知っている開拓者達に、判断を任せるのであった。 |
■参加者一覧
霧崎 灯華(ia1054)
18歳・女・陰
巴 渓(ia1334)
25歳・女・泰
羅轟(ia1687)
25歳・男・サ
以心 伝助(ia9077)
22歳・男・シ
ジークリンデ(ib0258)
20歳・女・魔
リーゼロッテ・ヴェルト(ib5386)
14歳・女・陰
マハ シャンク(ib6351)
10歳・女・泰 |
■リプレイ本文 ●ネズミ捕り 開拓者達が依頼を受けてから、扇姫が行動を起こすまでの猶予は3日。 その限られた時間をどう使うかは‥‥開拓者次第。 とある街に2人の開拓者、羅轟(ia1687)と以心 伝助(ia9077)がやってきていた。 目的はこの街に現れるスリのネズミを捕まえる為だ。 今回の事件とはまったく関係ないように思える行為だが、ちゃんとした理由はある。その為にも、まずは接触し捕獲しなくてはいけない。 だが相手は過去に開拓者の手からも逃げおおせたスリであり、そう容易く捕まえる‥‥いやそれ以前に姿を見ることすら叶わなかった。 1日を無駄にし、2人がネズミに接触できたのは翌日。彼らとはまったく無関係の開拓者がスリ被害に遭ったという話を聞いて、現場に駆けつけた為であった。 それから丸一日追いかけっこした結果、なんとか捕獲に成功したのであった。 だが2人の目的はネズミに裁きを与えることではない。捕まえた理由を羅轟が話す。 「‥‥我らはある事を聞きたいだけ‥‥」 「ただのスリであるオイラに何を聞こうって言うのさ」 羅轟と伝助、2人が今知りたい最も重要な情報――それは何かを語るは伝助。 「ネズミさんが過去に盗んだ武蔵さんの手帳‥‥その中身っす」 今回の依頼とまったくの無関係と思われるネズミだったが、実はある1つの接点があった。 それは武蔵の手帳を唯一見たことがある人物ということだ。だから『武蔵が落ち着ける場所』とはどこかを知りたい‥‥そう告げる。 「いや、そんなこと言われてもなぁ‥‥」 困惑した表情を浮かべるネズミ。それもそうだろう。何しろ1年も前の事件であり、その上ネズミにとってはどうでもいい内容だったからだ。 「――だけど」 ネズミの表情が変わる。先程とは打って変わって、圧倒的上の立場が下の者を脅す際に浮かべる狡い笑み。 「‥‥解放は‥‥する」 「それぐらいは当然でしょ?」 どこまでも足元を見ている。2人の必死さから、情報は相当重要なものである事に気づいたのだろう。 勿論、羅轟と伝助にとってこれぐらいは想定の範囲内だ。2人は懐から財布を取り出し、それをネズミに渡す。2人にとっては全財産である。 「‥‥どうだ?」 「ふーん‥‥こっちの兄ちゃんは随分軽いんだね?」 こっちの兄ちゃんとは、伝助のことである。 暗に言いたい事を察したのだろう。伝助は更に死鼠の短刀を取り出すと、それもネズミに渡す。 「売ればそれなりの金になるはずっす」 「‥‥ま、いいかな。こちらとしては儲けになることは変わらないし」 財布の中身を確認したネズミは全て懐にしまい、代わりに紙と筆を取り出し、何かを書いていく。 「はい、これ」 書き終えた紙を2人に渡すネズミ。場所についての情報が書かれていた。 「手帳に地図は書いてなかったし、オイラも行った事がない場所だから正しいかはわかんないけど」 自分の知る情報は全て教えたということで、ネズミは2人に背を向けて、跳躍する。 「嘘はついていないことは保証するよ。後でまた追っかけられても面倒だしね」 その言葉を最後に、ネズミが姿を消した。 ●十塚の支配者 須佐は天尾邸。そこに依頼を受けた開拓者達が集まっていた。 今回の復讐に加担するかどうかを判断するのは開拓者達。今その場に集まっていたのは5人だが、そのうち積極的に復讐に加担するのは霧崎 灯華(ia1054)と巴 渓(ia1334)の2人だ。 リーゼロッテ・ヴェルト(ib5386)も一応扇姫に加担する心積もりだが、先の2人程積極的ではなく、せいぜい復讐を邪魔する者を排除しようと考えているぐらいで武蔵の殺害自体に手を貸すつもりはない。 ジークリンデ(ib0258)は復讐を止めたい派だが戦闘に参加するつもりはなく、マハ シャンク(ib6351)に至っては完全中立でどちらに与するつもりもない。 彼ら開拓者は応接間にて天璃から詳しい経緯を聞いていた。尤も天尾家にとって重要な機密である叢雲などについては詳しいことを一切語ってはいないが。 「ふぅん‥‥復讐ねぇ。いいんじゃないかしら。復讐は全てを奪われた者にとって当然のことよ。誰にも止める権利なんてないわ」 「復讐ね、気が済むまでやればいいんじゃないの?」 リーゼロッテと灯華の言葉にジークリンデが顔を伏せる。思うところがあったとしてもどう判断するか、どう動くかは開拓者の自由だからだ。 そんな彼女の様子を意に介さず、渓が口を開く。 「んで、姫はどこだ? 協力するんだから顔合わせぐらいはしておきたいんだがな」 「姫‥‥というと、姉さ――こほん、扇姫さんの事ですか。彼女なら今は恐らく道場で瞑想をしている筈です」 「道場っつうと、来る時見かけたあのでかいのか。んじゃ行ってくるよ」 立ち上がり部屋を出る渓。灯華とリーゼロッテもその後に続く。 部屋を出て廊下を歩く3人の視界に1人の少年の姿が映る。 長い黒髪と少女と間違えそうな中性的な外見。聞いた話が正しければ、ナギの筈だ。 ナギは3人に対して特に興味を抱いていないのか、そのまま通り過ぎようとする。 そこに、リーゼロッテが声をかけた。 「ねぇナギ、あなたはナニモノかしら?」 今までの話によると彼は明らかに天尾の中枢にいる存在といっていい。 だからこそナギはこの件について絶対何かを知っている。 「ねぇ‥‥あなたは何?」 いやリーゼロッテが興味を持つ理由はそれだけではない。 ナギは数十年前にも同じ姿で目撃されているという。だからこそリーゼロッテにはとても興味深い存在となる。 ――彼女は不老不死を求めているから、だ。 そんなリーゼロッテの問いを受けて、ナギは初めて3人に興味を持ったのだろう。足を止めて彼らを見る。 「んー‥‥随分と急な質問だけど、まぁいいや。僕は‥‥僕だよ?」 「‥‥答えになってないわね」 「だってさ。僕は世界で唯一の僕なのに、カテゴリしちゃってもしょうがないじゃない?」 質問の答えにはなってない。だが、ナギはこれ以上答えるつもりはないようだ。 また通り過ぎようとするナギに今度は灯華が声をかける。 「ねぇ‥‥あなたが黒幕?」 「なんでー?」 「当時天羽を襲って得するのは、その後釜に座った天尾家だけど、当然襲うようにけしかけたんじゃないかと疑われてしまうわ。だとするとその線は薄い。なら、誰がけしかけたのか? 内部事情に詳しくないとできないし、天羽家襲撃とこの度の一件の両方に関わる人物は限られてくる中で考えると、あなたが一番怪しいと思うわ」 それに、 「今回の復讐劇を演出してるのもあなたみたいだし」 対するナギは即答。 「うん、僕の認識とは違うなー。残念だけど」 「あら。でも小娘の戯言、お楽しみいただけましたかしら? 楽しかったなら報酬に上乗せしてね」 ナギは手を腰に当てて、朗らかに笑いながら言い放つ。 「うーん、これで報酬上乗せ要求とか面白いなぁ君。でも僕が一番好きなのはそういうのにノウと答えることだけどねー!」 まったく別のところに関して笑いながら、廊下を歩いていくナギであった。 応接間に残されたのはジークリンデ、マハ、そして天璃の3人だけとなった。 3人を除いて誰もいないことを確認してから、ジークリンデが話し始める。 「‥‥ナギ様の事について、どれだけ把握しているのか確認を取りたいのですが」 何の事か分からず戸惑った様子を見せる天璃だったが、すぐに思い至ったのか頷いて言葉を返す。 「ナギ‥‥叢雲様の偽名、でしたか」 「叢雲様とおっしゃられるのですね。では改めて確認を‥‥」 ジークリンデが問うは叢雲という存在について。 「まず叢雲様が数十年は年を取っていないことはご存知でしょうか?」 「‥‥はい」 「では記憶を失った武蔵様と一緒にいたこと‥‥いえ、それ以前から知り合いだったことは?」 「いえ、知りませんでした」 つまり、叢雲は知らせていなかったということだ。 相当昔から存在し、町を治める天尾家の支配をも抜け出す‥‥いや、むしろ逆に天尾家より上に立っていると思われる存在。 叢雲とは何なのか――その核心をつく言葉を、マハが述べる。 「人であらず、アヤカシであらず。残るのは一つ」 ――ケモノ。 天璃は何も答えない。この場合、沈黙は肯定と捉えていいだろう。 「‥‥大昔より叢雲様が介在しているようであれば気をつけた方がいいと思います」 そんなジークリンデの注意に対する返答をするのは天璃ではなく。 「一応気をつけてはいるんだがね。気をつけたところで仕方のないこともある」 いつの間にか部屋の隅にいた男性。40代ぐらいだろうか。 「父さん‥‥!? いつの間にここに!?」 「いや、最初からずっといたが‥‥」 彼の言葉によると、開拓者達が部屋に集まる前からずっといて話を聞いていたらしい。恐ろしいぐらい影が薄い。 天璃の父はジークリンデに向き直ると話し始める。 「あぁ、そういえば貴女は十塚の歴史が気になるんだっけ?」 「えぇ」 「それでは教えてあげよう。‥‥十塚にはケモノを支配する龍がいるという伝説がある。まぁ、それだけの話だよ」 ●欠落したもの ネズミからの情報を頼りに、武蔵の元へ急ぐ羅轟と伝助。 やや曖昧な情報だった為に捜査は難航を極め、彼らが目的の場所に到着したのは襲撃当日の夜明けであった。 森の中に広がる泉。朝日を反射して光る水は清く、全ての水底が見通せる程であった。水が清過ぎるせいか魚の姿は無い。 清廉すぎる泉‥‥そんな泉を前にして、岩に腰掛けている1人の男がいた。武蔵である。 「んー‥‥捕まえにきたのがお前らか。‥‥なんつうか複雑な気分になるなぁ」 近くに落ちていた小石を拾い、無造作に泉に向かって投げる。 武蔵は先程からずっと泉の方を見たままだ。だが、先の言葉から推測するにやってきたのが誰かは理解してるのだろう。 (以前の武蔵さんとは雰囲気が違うように思えやすが‥‥) 少なくとも、気配だけでその人物が誰かを当てる程器用ではなかったと伝助は考える。 だがこちらが何者か分かっているということは、自分達の事を覚えている‥‥つまり記憶喪失時の出来事はしっかり覚えているということになる。 今ここにいる武蔵は。自分達がよく知る武蔵なのか、それとも記憶喪失前の人格そのままなのか――それを確認するには、話すしかない。 最初に話しかけるは羅轟だ。 「‥‥まず始めに伝えておこう。ここには‥‥天尾家の者や扇姫殿は来ていない‥‥我らだけだ。そして、我らもまだ戦う気はない‥‥」 「んじゃ、何をしに?」 「‥‥話を‥‥したい」 それを受けて、武蔵が振り向く。あの日から初めて見る彼の顔は、 「まー、どっかに座ったら? ずっと立って話すのも疲れんじゃねぇの」 開拓者らが知っている武蔵の顔であった。 2人は腰を落ち着け、まず羅轟が賊の現状について話す。 襲撃犯は全員死罪、他の者はそれぞれの立場次第で、子供は町で保護する‥‥等だ。 それに対しての武蔵の反応はというと。 「まー、そうだろうなぁ‥‥。殺されるだけの事はやっちまったわけだし」 「実にあっさりと‥‥受け入れるのだな‥‥」 「そりゃな。悪いことしたのはこっちなんだから当然だろうよ」 悪いことをした。そう感じるだけの道徳はあるようで、最低の性格になっているのではないかと危惧していた2人は内心安堵する。 これなら続く話も問題なくできそうだ、と羅轟が言葉を続ける。 「‥‥何故、天羽家の襲撃を行った?」 問われた武蔵は、バツが悪そうに視線を逸らして頭を掻く。 「あー」だの「えー」だの言葉を濁していた武蔵だったが、羅轟と伝助の視線に耐えられなくなったのか、意を決して理由を話しはじめた。 「いや、その、なんつーか‥‥。そん時は悪い事って自覚が無くて‥‥だな‥‥」 「‥‥どういうことっすか?」 「言い訳みたいであんまり言いたくねぇんだが、親父には『これはやらなくてはいけないことだ』と教わってたしよ‥‥」 ――たったそれだけで殺人を? 記憶喪失前の武蔵の倫理感の希薄さに思わず唖然とする伝助だが、すぐにある事に気づいて武蔵へと問う。 「武蔵さん。『人を殺すことは悪い事だ』‥‥と親御さんに教わった記憶は?」 「‥‥あったかなぁ。むしろ人を殺す為の戦闘技術なら物心つく頃から仕込まれてたけど‥‥」 「戦闘技術以外に‥‥常識といえるものは教わってないんすか?」 「どっちかっていうと記憶無くしてからの俺の方が常識について知ってたと思うぜ?」 やはり――話を聞いて得心が行った。 伊都家が護衛氏族から外されたのが約20年前。話によると武蔵が4〜5歳の頃だ。 子供に教育をするのは親や周囲の人間だが、仮にその人間が教育を放棄、もしくは間違った教育を施したらどうなるか。 その結果が、殺人を悪とも思わない倫理感の欠如した以前の武蔵――。 今の武蔵がそうではないのは、3年の間に空白の知識に常識が刻まれた結果だろう。 (これは‥‥どう、なんだ‥‥?) もし武蔵の襲撃理由が酷いものであれば羅轟は彼を打ちのめすつもりであった。 もし相応の理由があれば、天尾家に出頭を奨めるつもりであった。 だが実際のところ、武蔵には襲撃の確固たる理由といえるものがなく、それ以前に親に命じられたことに疑問を持つ判断力を持たなかった。 この場合――悪いのは誰になるのか。 そこまで考えたところで、再び武蔵の言葉に耳を傾ける。 「‥‥まぁ、そんなわけで。俺は親父に命じられたから襲撃に参加しただけで。親父が襲撃を画策した理由は‥‥分かんねぇなぁ」 「聞いて‥‥ないのか‥‥?」 「あぁ。なんか天羽のやつらは滅ぼさなきゃいけないとか、なんかすげぇ憎そうにしてたのは覚えてるけど」 聞いた話だけで推測すると、伊都家の当主は憎悪が理由で襲撃したように思える。 その憎悪を抱くきっかけとは何か‥‥。恐らくは伊都家が護衛を外れた事に関するのでは‥‥と羅轟が聞く。 「伊都家が‥‥護衛氏族でなくなった理由は‥‥?」 「聞いてると思うか?」 逆に武蔵に問われ、羅轟は首を横に振るしかない。先程の話から考えて、武蔵がそういった理由を教わってるとは考えにくい。 常識を教えず戦闘技術だけを仕込む‥‥それは子ではなく道具に対する扱いと変わらず。道具には余計なことを教えない。 (‥‥そう、か‥‥) 武蔵が何故魚も住まない程清過ぎる泉を好むのか‥‥羅轟はなんとなく分かったような気がした。 情状酌量の余地があるのでは‥‥そう判断した羅轟は武蔵にある提案をする。 「武蔵殿‥‥天尾家に出頭してみては?」 現状だとただ扇姫に殺されるだけだが、無抵抗で投降すればもしや――と考えての事だ。 だが、 「あぁ、無理無理」 「何故‥‥? 悪事をした自覚はあるのだろう‥‥?」 「んー、そりゃそうなんだけどな。罰として償いをしろって言われたら、そりゃ基本なんでもやるさ」 でもな、と武蔵は続ける。 「死ぬのだけは無理だ。今投降しても殺されるビジョンしか見えねぇ。‥‥ここで躊躇無く命捨てられねぇ辺り、俺が屑なんだろうなぁ」 それは違う、と羅轟は思う。 自身の命を最優先にするのは人間として‥‥いや生物として当然のことであり、むしろ何の得も無いのに命を捨てる方がどこか壊れている。 だからこそ死を拒否する武蔵を責める事は、通常できない。 「死んだら何もできねぇもんなぁ‥‥命を奪った俺が言うことじゃねぇけどよ」 できるとすれば――。 ●最悪とは誰か 天尾の屋敷。 扇姫と彼女に加担する開拓者達は既に発っており、屋敷に残っているのはジークリンデとマハ。そして天尾家の者だけであった。 その屋敷のある部屋にマハが入る。本来、部外者は近づくことすらできない部屋なのだが、部屋の主が入る許可を与えたのだ。 「‥‥酷い部屋だな」 部屋自体は和室なのだが、天儀のものだけなくジルベリア風、泰国風のものが所狭しと乱雑に置かれておりまるで統一感のない部屋となっていた。 掃除の跡は見受けられるので女中などが掃除はしているのだろうが‥‥辺りに物が散乱してる辺り、主の部屋の使い方がよく分かるというものだ。 「報われんな‥‥」 「えー、何がー?」 マハが女中に対して、ついと同情の言葉を洩らすとそれに部屋の主が反応する。部屋の主――叢雲は和室には似合わないベッドの上で寝転んでいた。 「気にするな。‥‥しかし、どこに座ったものか」 「ここでいいんじゃない?」 自分が寝転ぶベッドをぽふぽふと叩く叢雲。マハは少し躊躇したものの結局そこに腰掛けることとなった。 叢雲は無邪気な子供のように笑いながら、マハがどんな事を話してくれるのか期待に満ちた目で見上げる。 それを受けて、マハは表情を変えずしかし楽しそうな声音で話し始める。 「おぬし、すべての事を把握して本当に楽しそうだな。しかも、自らが楽しい方向へ持っていく。私とおぬしはどこか似ている。天羽襲撃の時、おぬしは襲撃されるという事を知っていたのではないか? 知っていて放置した、それが弱肉強食、自らが関わることではないと思っていたのではないか?」 「んー、そうだね。何から言えばいいのかなぁ」 指を口に当てて考え込む素振りを見せる叢雲。しかし大した時間はかけずに口を開く。 「まず1つ。全部分かっててもあんまり楽しくないよ? 分からない事があるから楽しいものだし。全部が全部思い通りになるのも微妙かなぁ。以前のは偶々僕にとって楽しい事になったってだけで」 「‥‥何らかの手を加えたことは否定せんのだな」 「ま、何もやってないって言ったら嘘になるからねー。あ、ちなみに襲撃に関しては知ってたよ。放置の理由は‥‥まぁ、単純に襲撃されたらどうなるかが気になっただけだけど」 その結果が天羽家の滅亡だ。だが叢雲が罪の意識を感じてる様子は無い。彼が人間を超越した存在だから、だろうか。 一連の事件は叢雲が仕組んだものなのか。それが気になったマハが問う。 「おぬしが此処まで上手く運んだ物語だ。あらすじから教えてくれてもいいだろう?」 「えー、まるで僕が全部悪いみたいー。人聞き悪いなぁ」 まぁ、説明してあげてもいいけど‥‥と叢雲が起き上がる。 「んーと、始まりはなんだろ。僕が護衛氏族を伊都から天尾に変えろって言ったところかなぁ」 「‥‥それすらも、お主の命だったのか?」 「僕ね、人間が好きなんだ」 文脈を無視した叢雲の突然の言葉に、さすがに困惑を隠せないマハ。だが叢雲は気にせず言葉を続ける。 「人間の面白いところは個性があるところ。人間には知性があるからだろうけど、同じような見た目でも実は考えてることは全然違ったりするよね。そういうのが面白いから僕はケモノより人間の方が好きなんだ」 ケモノは本能で生きているのが多いせいで個性に乏しい‥‥らしい。 「でもさー。『何も学ばない、成長しない』‥‥つまり、変化が無い人間なんてつまんないと思わない? 人間は成長するからこそ人間なのに、さ」 ここにきて、ようやく叢雲が何を言いたいのかマハは理解する。 「つまり‥‥伊都家は成長を止めた。だから切った、と?」 「そういうこと。その点、天尾家は向上心があって成長著しかったしね。戦力としても十分だったから、護衛氏族の変更は妥当じゃないかなぁ」 「だが、それだけで伊都家の者を町から消すのは‥‥やりすぎではないか?」 「え?」 思ってもいなかったことを言われて、素っ頓狂な声を出す叢雲。何を言われたかのか分かっていなかったようだが、少し経ってから理解したようで笑いながら答える。 「あははは、違う違う! あいつら、勝手に町から消えたの。天羽家は別に伊都の家自体を潰したわけじゃないよ」 「‥‥何?」 「なんでだろうねー。わっかんないなぁ‥‥やっぱり人間って面白いよねー」 推測するなら、面子を潰されての意地‥‥だろうか。実際のところは死んでしまった伊都家の者に聞かないと分からないことだろう。 だがもしそうならば。たったそれだけのちっぽけな事で、多くの人間が人生を狂わされてしまった。 「‥‥報われんな」 無意識のうちに発せられた言葉。それが誰に向けてのものなのかは、マハ本人も自覚していない。 「んで伊都がどうしたのか気になって探してたら、なんか山に篭っててー。あ、武蔵と出会ったのもその時かな」 「まさか‥‥天羽襲撃を唆したのか?」 「してないしてない。せいぜい武蔵を通じて、天羽の情報を流しただけだよ。それを知った伊都がどう動くか気になってねー」 その結果が、襲撃事件。 「つまりは‥‥大体おぬしのせいか」 「むぅ、だから違うよー。僕はああしろこうしろだなんて1回も言ったことがないんだから。伊都の連中が勝手に賊になって、勝手に襲撃しただけ。そうでしょ?」 確かに‥‥叢雲が与えたのはきっかけのみ。 もし叢雲が命じなくても、天羽家が成長著しい天尾家を護衛にしたかもしれない。叢雲が情報を与えなくても、伊都家は襲撃をしたかもしれない。 結局のところ、 「誰が悪いかで言うとさ。そりゃ普通に伊都家が悪いんじゃない?」 「否定はできんな」 考えてみれば今回の事件もそうだ。 扇姫が武蔵への復讐を企むのに叢雲は一切手を出していない。 今回叢雲がやったことといえば、武蔵が記憶を取り戻す際の演出‥‥といったところだろう。遅かれ早かれ武蔵が記憶を取り戻し、扇姫が命を狙う事には変わりない。 マハは叢雲に対して抱いていた印象を変える。 「成る程‥‥おぬしは監督ではなくあくまで観客、か」 役者の芝居に影響を与える、質の悪い観客ではあるが。 何のことか分からず首を傾げる叢雲に対して説明せず、マハは最後に気になっていたことを問う。 「同じ名前の武蔵がいることについては‥‥ただの偶然か?」 伊都 武蔵と天羽 武蔵。当時の天羽家も伊都家の息子が武蔵という名であることは知っていた筈だ。 天羽の方が産まれた時は伊都家は既に町から消えている。その状況で敢えて武蔵の名をつけた理由とは。 「僕にはよく理解できないけど。どこかで出会った時に、同じ『武蔵』ってことで意気投合して仲良くなれたらいいって事でつけたんだって」 「そう、か」 親の願いもはかなく。 復讐劇は続く。 ●当主の求め 天尾邸の応接間。残っているのはジークリンデと天璃、そして天璃の父だ。 ジークリンデは天尾の中核たる彼女らに提案をする。 「伊都武蔵が賊の一人である以上、『統治者』である天尾家が捕縛して裁きを下すのが法であり統治者の責務。賊の中核であった伊都家の人間であり天羽家襲撃の真相を知っている可能性があるため、尋問し真相を究明する為にも断じて私刑を認めるべきではないかと」 それに対して返事をするは天璃の父だ。 「あぁ、うん。でも優先度としては真相よりも伊都武蔵に裁きに与える事が上だからね」 「‥‥天羽扇姫による私刑はよろしいのですか?」 「私刑じゃないよ。だって私達が認めているわけだから」 「では、伊都武蔵と依頼で関わりのある方に手紙を出し、天尾家まで助命の意志を伝えにくる方があるようでしたらその意志を汲む、などは?」 「領民でも無い人の意思を汲む理由は無いよね」 だが、その言葉は―― 「でしたら、何故今回開拓者に判断を‥‥?」 ジークリンデの問いに、天璃の父‥‥天尾家当主、秀正が答える。 「‥‥開拓者なら答えてくれるかもしれなかったからね。武蔵を生かすことにメリットはあるか。そして、そのメリットは殺すメリットを上回るか‥‥をね」 ●伊都之尾羽張 扇姫と共に武蔵のもとへ向かう灯華、渓、リーゼロッテの3人。 彼女らは復讐に加担する旨を話し、また扇姫もその言葉を信じたのか特に問題が起こることなく同行できた。 屋敷を出る段階では妨害は無く、実にスムーズであった。 目的地に向かう道中。とある森を通過する際に、1人の人物‥‥伝助と出会う。 扇姫にも見覚えがある。以前の賊襲撃事件の際にも見かけたからだ。 「何の用‥‥と、聞くまでもないかしらね」 「‥‥少し、話をしたいっす」 渓と灯華が武器を構え、リーゼロッテは特に何もしない。リーゼロッテは説得ぐらいなら少しは待つというスタンスのようだ。 扇姫は何も言わない。それを肯定と受け取ったのか、伝助は話を続ける。 「復讐するのは貴女の正当な権利っす。‥‥ですが、貴女の憎しみはその程度で晴れるのですか?」 「――何?」 伝助は語る。 討てばそこで全て終わる。幸せや希望、安らぎ全て‥‥だが同時に、苦痛も、恐怖も、後悔も、そこで終わる。 咎を抱え生き続けるのは、時に死よりも苦しい事がある。あえて相手を生かす事で成せる復讐もあるのではないか。 「あっしも咎人っすから‥‥死に逃げられぬ辛さは知っているつもりっす」 復讐を止められないなら、別の方法で復讐をしてもらう。それが伝助の意図であった。 だが、 「お断りよ」 扇姫はにべもなく首を横に振った。 「例え負の感情を得ることになろうと、生きている。それだけで私は許せない。何故なら、あの子は‥‥もうそれすらも得ることができないんだから」 だから殺す。 「殺しても晴れなかったら別の手を考えるまで。今できることは殺すこと。なら‥‥殺すのが先」 「‥‥通しはしないっす」 説得は無理だと判断した伝助が武器を抜いた。 戦いが始まる。 戦闘は一方的なものであった。まず1対4‥‥リーゼロッテが乗り気でないことを加味しても1対3だ。伝助に勝機は万の一つもない。 伝助の腹部を思いっきり蹴飛ばした渓が吼える。 「他人の復讐に口を挟むんだ、綺麗事で片付けられるか。確かに、復讐は無意味だ。まさに正論かつ正義だな。だがな、だからこそヘドが出るんだよ‥‥お前らの言葉は軽い。姫と元・武蔵に生きて欲しいなら、その先はどう二人に生きさせたい? 答えろ‥‥!!」 咳き込みながら立ち上がろうとする伝助。だが腕に力が入らないのか、起き上がる前に再び地に倒れこむ。 だが、それでも心の刃は折れず。血を吐きながらも立ち上がり、相手を睨みつける。 「誰も復讐は無意味なんて言ってないでしょうに‥‥! それに‥‥先の事なんて、まず生きてこそでしょう‥‥!?」 「知った顔して、偉そうな能書きを垂れ流すな。ただ解決を先延ばして誤魔化すなら、それこそ悪意に等しいぜ」 「知った顔してるのはどっちだ――!」 自身に渇を入れて、渓に向かい跳ぶ伝助。渾身の一撃は、しかし彼女の肌に傷をつける程度に収まる。 「は、綺麗事だけで解決できるかよ‥‥!」 再び振るわれる渓の拳。最早伝助にはそれを避ける力も受ける力も残っていなかった。 吹き飛ばされる伝助だが、心の刃は折れない。 「がっ‥‥ぐ‥‥!? はァッ――例え綺麗事だろうと、悪意と言われようと――!」 吼える。 「仲間を、友人を死なせたくないのに、理由がいるものか――!!」 「――そのへんでやめとけよ」 声がした方に振り向けば、そこに居たのは武蔵と羅轟。 「あぁ、くそっ。俺がさっさと逃げときゃこんな目に遭わすこたぁ無かったのによ‥‥!」 こんな目とは、今や息も絶え絶えの伝助のことだろう。武蔵が刀を抜く。 だが、この場で最も早く動いたのは羅轟であった。 「‥‥何、それ」 扇姫が問うのも無理はない。彼がしたのは扇姫に対する土下座だ。羅轟は土下座したまま話し始める。 「‥‥武蔵殿を殺すのに猶予をいただけないだろうか‥‥!」 羅轟の全てを投げ捨てた土下座による説得――だが。 扇姫は一瞥すると、それだけで羅轟の横を通り過ぎていった。結局、言葉で彼女を止める事は‥‥不可能だということだ。 「これはあなたが選んだことよ。精々後悔しないようにするのね」 リーゼロッテが近くの木に背を預けながら、見守る。ここに来て彼女は手を出すつもりは一切無いようであった。 灯華が武蔵にへと問う。 「‥‥で、結局あなたが襲撃した理由ってなんなの?」 「んなもん知るかよ」 まともな返答が返ってこないのは想定の範囲内だったのか。灯華は躊躇無く呪縛符で武蔵を戒める。 更に―― 「ぐっ!?」 血反吐を吐く武蔵。灯華の『黄泉より這い出る者』による効果だ。 武蔵が吐いた血を見て灯華は楽しそうに笑う。 「これで終わりじゃないわよね? 折角の復讐劇、精一杯楽しみましょ♪」 「は、こんなもん楽しめるかよ‥‥! 建御雷――!」 パチパチと小さな音が響く。恐らく武蔵の体から溢れる練力が極小の雷となって放出されているのだろう。 「ハッ!」 渓が逃走を防ぐ為に足目掛けて蹴りを入れるが、武蔵はそれを難なく受け止める。 武蔵の動きは素早く、以前のような無駄な動きが無い。記憶が戻ったことで、親に仕込まれたという戦闘技術も全て戻ったと思われる。 あっという間に灯華まで距離を詰め、刀を振るう――が。刀が彼女を切り裂く事はなかった。 「斬るな――!」 瞬脚で割って入った羅轟が身を挺して攻撃を止めたのだ。 だがその代償は大きく。頑強な筈の鎧は大きく断ち斬られ、裂かれた肉からは黒焦げた臭いすら漂う。 「‥‥斬る、な‥‥!」 斬れば戻れなくなるぞ――その意思を込めて、羅轟は武蔵を強く見る。 「くそっ‥‥!!」 それを察してか。武蔵は背を向けて走る。 「待ちやがれ!」 当然、渓が追おうとする‥‥が。 「行かせは‥‥しないっすよ」 再び立ち上がった伝助が立ちはだかった。更に羅轟も満身創痍ながら立ち塞がったことで、追撃は不可能となってしまった。 こうして、戦いは一先ずの終わりを告げる。 いつの間にか日は沈み、星が輝いていた。そんな星を見上げながら、扇姫は誓う。 「生きていれば‥‥いつかは殺せる。‥‥だからそれまでに野たれ死ぬなんて‥‥許さない」 |