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■オープニング本文 前回のリプレイを見る ● 太陽が西に沈もうとしている頃、正澄は枕元から聞こえる物音で目を覚ました。 「なん、っ――!?」 視界に入ったものを見て、正澄は病体に鞭打ち即座に布団から飛び起きる。 ふらついた体は部屋の隅へ。外へ逃げたかったがそれを許さぬ存在が目の前に居た。 「何だお前は……!?」 先程まで正澄が寝ていた布団の傍に、1人の青年が何をするでもなく立っていた。 禿頭の青年の笑顔は温和な印象を抱かせるものだ。殆ど閉じているに等しい細い目がそれをより強める。 だが正澄の生存本能は警鐘を激しく鳴り響かせていた。 ――こいつ、人間なのか……それとも!? 青年は目に見える瘴気を発していない。だがそれだけで人間だと断定するには不気味すぎた。 だからこそ、正澄は再度問う。 「お前は、何者だ!」 「――何者と、聞かれましても困りますね」 禿頭の青年はその外見印象に違わぬ穏やかな声色で答える。 「名乗る名前は人から奪うことにしておりますので」 「――!!」 返答を聞いた正澄は迷わず動いた。 すぐ傍の棚を開け、中に隠していた護身用の銃を手に取り、撃つ。 そこに躊躇はない。そうしなければいけない存在だと理解したからだ。 だが、 「っと、これは随分といきなりですね……」 「ちっ……!」 胸の前で軽く手を握る動作をした青年が、見せ付けるように握った手をゆっくり開く。 そこから零れ落ちた弾丸が畳の上に転がった。 「まぁ、あなたの危惧は正しいですよ、正澄さん」 「俺の名前を……!?」 「えぇ、知っています。識っていますとも」 青年が1歩ずつ歩を進める。 正澄まであと3歩という距離になったその時、部屋の外から慌しい足音が近づいてきた。 「正澄様! 今のは一体!?」 先程の銃声を不審に思ったのだろう。この家で暮らすメイドからくりが襖に手をかける。 「逃げろ瑠璃!!」 「――え?」 正澄が声を張り上げた直後、青年が手を軽く振るう。 放たれたのは瘴気の弾丸。青年にとっては息を吐くのと大して変わらない攻撃。 だが、その瘴気の塊は襖を紙切れのようにあっさりと吹き飛ばす。その向こう側にいた瑠璃ごとだ。 「がっ!?」 吹き飛ばされた瑠璃は二度ほど庭を跳ねてから屋敷の塀とぶつかり、止まる。 地面に倒れた瑠璃が起き上がる様子は無い。指が微かに動いていることから、辛うじてまだ生きていることは分かる。 「あぁ、やってしまいました。まぁ、手早く済ませるとしましょうか」 最早動けない瑠璃に興味は無いのか。青年は再び正澄へと向き直る。 ――手早く済ませる、か。 先程の銃撃や今の瑠璃への攻撃。十分に物音が立ってしまっている。 だから人が集まる前に用を為そうというのだろう、と正澄は推測する。 そして目の前の男が零した言葉の意味を考える。 『名前は人から奪う』 それから導き出される結論は――簡単なものだ。 だから、 「わりぃな、糞アヤカシ」 アヤカシが瘴気を放った隙に確保していたもう1丁の護身銃を構える。 「てめぇの目的は果たさせない」 覚悟を決める。 「それに……死ぬ時は、笑って死ぬって決めてるからよ」 「待ち――」 アヤカシが止めるより先に、正澄が引き金を引く。 破裂音。 部屋には、血と脳漿が飛び散った。 ● 「あぁ……やられました」 アヤカシらしく恐怖と共に喰うより、寝てる間に済ませればよかったとアヤカシは素直に省みる。 仕方が無い。ここは時間がかかるのを大人しく受け入れよう。 時間さえあれば、憑依した人間の記憶はいずれ完全に再生できるのだから――。 青年の形を取っていたアヤカシが崩れていく。粘度を持った液体のような黒い霧へと。 霧が正澄の死体に覆いかぶさる。ぐじゅる、ずりゅう、と絡めるような溶かすような音が辺りに響いた。 ● 三成にとって悲劇だったのは、屋敷に帰った直後に激突音が聞こえてしまったことだった。 だから、兄のもとへと急いでしまった。庭で倒れている瑠璃が目に入ってしまったのもまずかった。 だから、兄の部屋を覗いてしまった。 だから、見てしまった。 「よっす。おかえり、三成」 血と肉片がこびりついた部屋で、顔の無い兄が嗤っているのを。 「う、ぷ、ああああああああああ!?」 こみ上げる吐き気に逆らうことができず、慟哭と共に嘔吐してしまう三成。 それを見た兄は、下顎より上が存在しない顔で、しかしいつもの口調で軽口を叩く。 「おいおい、吐くのは俺の仕事だろうに。瑠璃は……あー、俺が吹き飛ばしたんだっけ」 困ったように笑う正澄の残骸に、三成に同行していた開拓者が問う。 お前はなんだ、と。 「俺? おいおい見て分かるだろ。一正澄だ」 正澄と名乗った存在は、そう告げると庭に出て、塀を越えていった。 逃げる正澄を追おうとする開拓者を、別の開拓者が止める。 何故、と問う前に理由をその開拓者も理解した。 ――屋敷が囲まれている。 屋敷内の瘴気の気配は、刻一刻と強くなっている。 更に死の呻き声が辺りに響く。 「――!」 開拓者達が目にしたのは、壁をすり抜けて部屋に集まる半透明の幽霊。 幽霊が金切り声を上げると、それだけで開拓者達の魂を削っていく。 勿論、その場にいる三成も。 「ああああぁぁぁ!!!?」 頭を抱えてうずくまる三成。 このままだと三成が死ぬのは明白――そう判断した開拓者達は、幽霊の迎撃を選択した。 ● 一家屋敷へのアヤカシ襲撃の報は朝廷の豊臣雪家にも伝えられていた。 「被害は」 「現在確認されているところでは、一正澄が有り得ざる動きで去っていく姿が見られたと……。恐らく、憑依されたかアヤカシ化したか――」 「な、に――?」 憑依か。アヤカシ化か。 どちらにせよ正澄が殺され、その体をアヤカシに利用されているという情報を受け、雪家の思考が完全に停止する。 「――」 表情を他人に見せぬよう顔を片手で隠して呼吸を数度。 今は思考を止めている場合ではない。 幼馴染を失った悲しみに浸るよりも、アヤカシへの怒りを燃やすよりも、冷徹に判断を下すのが自身のやることなのだ。 「……私の独断で今すぐ動かせる兵を全て、一正澄の追撃に向けよ」 「全て、ですか? 一家はまだ襲撃されているようですが」 「全てだ」 それはつまり、三成や街の防衛よりも正澄を討ち果たす事の方が優先度が高いということだ。 雪家にとっては当然の判断だ。何故なら、 ……正澄の持つ記憶。それをアヤカシに渡すわけにはいかん。 一正澄は、朝廷の元重臣であった。 彼が朝廷に勤めていた際の情報閲覧権は雪家に近しいレベルであり、今もなお朝廷が民衆に秘匿している数々の情報を正澄は知っていた。 それをアヤカシに渡していいわけがない。 ――あやつが重臣であった事を知る者がごく限られているからといって、護衛を軽視していたのが裏目に出たのう……。 感情を排しようとしても、雪家の心に後悔の念が圧し掛かるのであった。 |
■参加者一覧
朝比奈 空(ia0086)
21歳・女・魔
羅轟(ia1687)
25歳・男・サ
水月(ia2566)
10歳・女・吟
春原・歩(ib0850)
17歳・女・巫
ケロリーナ(ib2037)
15歳・女・巫
禾室(ib3232)
13歳・女・シ
緋那岐(ib5664)
17歳・男・陰
バロネーシュ・ロンコワ(ib6645)
41歳・女・魔 |
■リプレイ本文 ●救助 試練を終えて帰ってきた三成と開拓者達の目の前に広がるは惨劇。 その惨劇の被害者か、もしくは主は。自らを正澄と名乗ると、颯爽と屋敷の外へと駆け出していった。 「正澄殿!?」 あまりに唐突な展開に羅轟(ia1687)は半ば混乱しながらも呼びかけるが返事は無く。追おうとする足を、周囲の状況を見て止める。 「……一先ず……切り抜けねば……ならんか……!」 瘴気と共に現れる幽霊アヤカシ。更に、 「あ、ああああ、あああああああ――!!?」 慟哭と共に崩れ落ちて動く気配を見せない三成。これを放っておくとどうなるかは火を見るより明らかだ。 羅轟と同じく目の前で起きた事が把握できず、おろおろしていた水月(ia2566)も三成の様子を見て気持ちを切り替える。 ――守らなくちゃ! この状況を打開できるのは自分達だけなのだ、と。 朝比奈 空(ia0086)もこの状況に思うところはある。だが、それを考えるのは後だと思考の片隅に追いやる。 「今する事は悲嘆する事ではなく、行動する事です」 空の着ている千早が燐光を発したかと思うと、強力な電撃が幽霊の1体に向けて放たれる。 アークブラストの雷を浴びて呻き声を上げる幽霊に、間髪入れず再び電撃が叩き込まれることで、幽霊は瘴気となって崩れていく。 「とりあえず消えて頂きましょう。構っている暇も無いので」 「同感です。ですが――!」 バロネーシュ・ロンコワ(ib6645)がムスタシュィルを展開する。範囲的に分かるのはせいぜいこの部屋に入ってきた幽霊の存在ぐらいだろう。 尤も目視がしにくい半透明の相手だから目視しなくてもその存在に気づけるのはありがたいと言える。 できれば敵の配置などを知りたかったところだが、ムスタシュィルはあくまで『誰かが侵入したことを知らせる魔法』でしかなく、敵がどこに居るかやどこから現れたなどを知ることはできない。 「こうも次々と現れるようであれば、構わざるを得ない状況になるかと……!」 「……街中にアヤカシとは物騒な世の中になったもんだな」 険しい表情の緋那岐(ib5664)が幽霊の1体に魂喰の式を飛ばしながら、誰に聞かせるともなくぽつりと呟く。 普段の彼と違い、その雰囲気に余裕は無い。軽口を発することもなく黙々と敵に攻撃を続ける。 ――アアアアアアアア!!!! だが、緋那岐の式をするりと抜けるように近づいた幽霊が呪いの声を上げた。尤も開拓者達には聞こえない。 「あがっ、うあ、ああああ!?」 しかし呼応するように苦しみの声を上げる三成。三成の頭にだけ抉るような呪声が届いていたからだ。 「それ以上は……許さん!!」 羅轟が声を上げる幽霊に対して大上段から刀を振り下ろす。 水を斬ったかのような感触。だが効果はあったのか、幽霊の体は更に薄れて消えてゆく。 倒した。だが、羅轟は幽霊の特性を改めて実感し歯噛みする。 ……厄介な! まず1つ。半透明で視認しにくい存在故に攻撃を外しやすい事。本来『見えているなら必ず当たる』魔法ですら、その目測を誤り外してしまうことがある。 次に2つ目。壁を殆ど無視して部屋に現れること。全方位に気を配らなければいけない。 最後に3つ目。 「ああぁっ、がぇっ……!?」 再び痛みを叫びで訴える三成。すぐ傍に幽霊の姿は無い。 「させない……の!」 水月は声を上げていたと思わしき幽霊に対して闘布を翻し、攻撃を加える。 続けての空のアークブラストが彼の幽霊を消滅させると、三成の苦痛の声が少し収まる。 幽霊が三成に対して攻撃を加えるには、近づく必要がなくこの部屋に入ってくるだけで十分射程圏内なのだ。 一番厄介な点と言えるだろう。 これら3点を鑑みて、ある方針を導き出す。 「ここに留まるのは、危険なの……!」 屋敷から脱出し、三成を避難させてから幽霊の対処をするというものだ。 その為に―― 「しっかり! 今は、立って!」 蹲ったままの三成の肩を掴みながら声をかけるは春原・歩(ib0850)。 先までの三成が攻撃に耐えられていたのは、彼女が神風恩寵で傷を癒していたお陰でもある。 だが彼女の呼びかけに応えることなく、三成は声にならない声を漏らすだけだ。 ここから抜け出すには、三成も連れて行かなければならない。その為にも、三成には立ってもらわないといけないと歩は呼びかけを続ける。 (とても辛いと思う。私の想像するよりも、ずっと……。でも、今、動かないと死んじゃうから……) だから、三成の顔を手で無理矢理上げさせる。 「立って! あなたのお兄さんは、きっと戦ったんだ、頑張ったんだよ? それなのにあなたが負けてどうするんだよっ!」 自分の足で一緒にいって欲しいから。厳しく悲しい現実だからこそ、理不尽に負けて欲しくはないから。 だから、酷だと思っても歩は声をかける。 だが、 「あっ、ああ、うあ、あああああぁ……」 三成は応えず。虚ろな目でどこかを見るだけで。 「――っ!」 「やめとけ」 正気に戻す為、その頬を引っ叩こうとした手を、緋那岐が掴んで止める。 「今のみっちゃんには無理だ。……担ぐなら手伝おう」 「……っ。分かった、よ」 されるがままになっている三成を2人は協力して担ぐ。 「準備ができましたら、まずは庭へ!」 行く手を阻む幽霊にアイシスケイラルを放ちながらバロネーシュが叫ぶ。 庭に1体のからくり――瑠璃が倒れている。彼女を放置すれば、まず間違いなく幽霊に殺されてしまうだろう。 瘴気漂う庭には、やはり幽霊が5体程蠢いていた。 「我ァァァァ――どけェ!!」 羅轟が絶叫と共に庭に駆け出し、目の前の幽霊達を回転斬りでまとめて 薙ぎ払う。 そこに後衛組が魔法を叩き込むことで一気に瑠璃までの道を作る。 「っ、これは……!」 直後。開拓者達の頭の中に、それぞれ金切り声が響く。幽霊の呪声だ。 三成を優先して攻撃していた幽霊達であるが、一連の攻撃で開拓者達も狙うべきだと判断したのだろう。 「だけど……! むしろ、好都合、なの!」 激しい頭の痛みを感じながら、水月は仲間を守る精霊の歌――天鵞絨の逢引を奏でる。 痛みが和らいだのを感じながら、バロネーシュは同意して攻撃を続ける。 「私達が狙われるということは、三成さんへの攻撃が減るということですからね」 それに、三成に対しては脅威である攻撃も開拓者達にとってはそこまでではない。 空は精霊壁で痛みの殆ど弾きながら、部屋の方から庭に向かおうとする幽霊を、白く澄んだ気を纏った千早を翻すことで浄化する。 「沈みませんよ、この程度では」 こうして、庭に蔓延る幽霊はとりあえずの対処ができた。 だが倒れた瑠璃は未だ目覚めず。幽霊は変わらず湧き続ける。 次にすべきは瑠璃を運ぶ準備を終えて、屋敷から脱出することだ。 ●絶望 正澄が塀の外へ出た直後。 その姿を屋敷の外から見かけた者がいた。ケロリーナ(ib2037)と禾室(ib3232)の2人である。 「え、いまのは……?」 一瞬呆気に取られつつも、2人はすぐに異常事態であることに気づく。 「追うのじゃ!」 走り去る正澄の背を追い、駆ける。 ちょうど街を抜けて薄暗い森にさしかかろうという頃、正澄が足を止めた。 「ふっ、可愛い女の子に追いかけられるとはこれもいい男の宿命か……!」 振り返り、いつもの正澄の声色と口調で、いかにもな軽口を叩く。 だが発したのは、下顎から上が存在しない、血と肉と骨が露出した顔のようなもの。 その違和が禾室とケロリーナの絶望を煽る。明らかにアヤカシだ。 「その声……正澄おじさま……!」 「おう、そうだぜ」 ケロリーナの言葉をあっさり肯定する正澄。 やはり目の前のアヤカシが正澄を殺し、体を奪ったという事実がはっきりと突きつけられる。 ……それだけではないですの〜。 アヤカシはあくまでも『正澄』として振舞っている。それは正澄の記憶や人格を利用しているということだ。 そして、あの顔。 記憶を奪うアヤカシを前に、正澄が自決したのではないかと思わせる姿。 ――アヤカシから記憶を守る為に正澄おじさまが覚悟したならば、けろりーなも覚悟を決めたですの。 ケロリーナが杖を構える。 「お、やる気か。ま、俺もいい加減追いかけられるのは鬱陶しいしな」 「……っ!」 広げた正澄の両手に黒紫の瘴気が宿ったのを見て、禾室が前に立つ。 戦いが、始まる。 一方的な蹂躙を戦いと呼ぶのであれば。 「あなたなんかに正澄おじさまを穢させはしない!」 ケロリーナが必滅の魔法、ララド=メ・デリタを放つ。 アヤカシを倒すのは無理だとしても、正澄の遺体を消滅させることでアヤカシの企みを阻止しようとしての一撃だ。 灰色が正澄を包み込む。並みのアヤカシなら、これで朽ち果てるだろう。 だが、 「っつぅ〜、今の結構痛かったなー」 「なっ……!?」 平然と立っている正澄の姿があった。 ダメージが無かったわけではない。しかし消滅には程遠い――! 「んじゃ、次の俺の番な」 正澄が軽い動きで瘴気の弾丸を放つ。撃たれたと禾室が認識した直後、彼女の体が大きく吹き飛んでいた。 「あぐ!?」 油断は、していなかった。 だが、それでも実際に一撃を食らうまでは分かっていなかったのかもしれない。 ――いかん! こやつは、わしら2人だけで戦ってよい相手ではない! 試練に同行した8人全員で、ようやっと『戦うことができる』レベルの相手だ。勝てるとは断言できない。 少なくとも。確実に言えるのは、このまま真っ向から戦えば殺されるということ。 「きゃあああ!?」 ケロリーナにも続けて瘴気の弾丸が放たれたのを見て、禾室は思考を即座に生き残る為のものに切り替える。 「……っ!」 武器を捨て、狼煙銃を空に向かって撃つと、正澄へと告げた。 「お主を追っておるのがわしらだけと思うたか? 直に狼煙を頼りに他の者達もやって来るぞ!」 ハッタリだ。 「ふぅーむ……」 禾室にとって幸いだったのは、実際に正澄を追いかけている兵があったこと。それを正澄が感知していたことだ。 つまり、正澄にとっては事実である。 「ま、いっか。別にお前達を殺すのが今日の目的じゃないし」 正澄がくるりと踵を返す。 そのまま去ろうとする正澄だが、何かを思い出したように上半身だけ振り返る。 「あ、だけどまた追いかけられても面倒だから、今日のとこはお前らも帰ってくれよ?」 言い終えると同時に正澄が指を2回弾く。 ――え? 瞬間。禾室の心は侵蝕された。 「ひ、い、いや、いやじゃ……あ、ひぅっ……!?」 感情が、本能が、正澄から逃げろと訴える。 どれだけ理性で制御しようとしても、彼女の体は本能に従い正澄から逃げ出していた。 それはケロリーナも同様で。 「い、いやですの……! こわいですのぉ……!?」 言い得も知れぬ恐怖に支配された心は、怒りや悲しみを追い出し、理知を失わせ、体を動かしていた。 必死に逃げる少女達を、正澄は悠々と見送るのであった。 正気に戻った2人は、ケロリーナの術で体を癒してから、風信を受けて派遣されたという朝廷の兵と合流する。 だが、彼らも正澄を見失ってしまったとのことだった。 ●脱出 場所は再び一家屋敷に戻る。 倒れていた瑠璃を無事保護し、屋敷脱出に向けて動きだしていた。 瑠璃に応急処置を施して動けるようになれば、ある程度は動きやすくなったのだろうが。 「……戦闘の真っ只中で修復は……無理か!」 というわけで、瑠璃は羅轟が担ぐ形になっていた。 逃げる準備は整えた。そうなると次の問題は、 「どこに逃げますか、なの……!」 道を確保するため、水月は氷龍の式を呼び出し、一掃させる。 そこにアイシスケイラルを叩き込みながらバロネーシュが提案する。 「豊臣邸はどうでしょう?」 「戦力が置かれているところに向かうのは悪くないと思いますが……」 アークブラストを放ちながら、一考する空。確かに豊臣邸なら護衛戦力は十分だろう。 だが、豊臣邸は遭都にあり、とてもここから向かえたものではない。 「では……最寄のギルドだ……!」 次善の策として提案されるは近場のギルドだ。戦力がある可能性も高く、三成らを保護してもらうにも良い場所だろう。 こうして、開拓者達はギルドへと向かったのであった。 包囲を突破した開拓者達がギルドへと駆け込むのはそう難しいことではなかった。 戸惑う受付係に、三成と瑠璃の保護を頼むと、開拓者達は屋敷の方へと戻る。 こちらを追いかけてきた幽霊アヤカシは全て消滅させた。だが、 「あぅ、幽霊が……!」 水月の目に入ったもの。それは追撃を諦めた幽霊達が手近なところに襲撃を加えている様子であった。 「さっさと片付けなきゃ被害が広がるか」 緋那岐は人魂を飛ばし、幽霊の分布を調べると仲間達へと伝える。 幽霊討伐に是非もなし。 「……八つ当たり……せねば……気が済まん」 三成を苦しめた根源はここにはいない、が。だからといって大人しくもしていられないと羅轟は刀を振るう。 「――全て、斬り捨てる」 幽霊を全て討伐してからギルドで合流する一同。また、幸いなことに死人は出ていない。 「三成様!」 まず真っ先に三成のもとへ向かう歩。 その三成は、屋敷にいた時のように声をあげるでもなく、無言のまま。 「……」 その瞳はどこも見ていない。 そんな三成を歩は優しく抱きしめながら言う。 「頑張ったね。辛かったよね、悔しいよね? もう、泣いてもいいんだよ」 ……だが反応は無い。変わらず、無言のままだ。 「三成、様……」 三成の心は、完全に閉ざされていた。 精神を壊さぬための防衛反応。それが感情放棄。 「う……くぅ……」 そうせざるを得ない程の心の傷とは如何なるものなのか。それを想い、歩は涙を零す。 泣けない三成の代わりのように。 「瑠璃は?」 「ギルドにいる技術者総出で修復中とのことです。スペアパーツも全て提供しましたし、なんとかなるとは思いますが……」 バロネーシュはギルドの人間に聞いたことを伝える。 緋那岐は少し難しい顔をして、瑠璃の今後を懸念する。 「……からくりの理念を考えると、動けるようになったら無茶しかねないな」 瑠璃の動きに気をつけるよう、その場にいた者に伝える。迂闊に煽るような事を言わないように、とも。 「しかし、何が起きたのかね……一体」 緋那岐の疑問はこの場にいる者共通のものだ。時の蜃気楼で幻視できれば分かるかもしれないが、この場にその術を使える者はいない。 「うぅ……まだあたまのなかぐるぐるなの」 頭を抱える水月の様子が、開拓者達の混乱を端的に表しているといってもいい。 とにかく、分からないことばかりだ。 何故正澄の体を狙ったのか。 アヤカシはどこに逃げたのか。狙いはなんなのか。背後に何者かいるのか。 ただ分かっていることは。 ――アヤカシを許すことは、決してない。 |