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■オープニング本文 明けの日も顔を出していない程の早朝。毎朝と同じく、妻の顔を見に行く。 病床に伏せる伴侶。 そして今朝の顔、なんと穏やかな顔だろう。 微笑んでいるようにさえ見える、柔らかな顔‥‥だからこそ、もう、妻はもう二度と起きる事はないだろうと、男は悟った。 開拓者ギルドにて。 「花を集めて採ってきて欲しいだぁ!?」 係員の声は、顧客である依頼主に対して些か不適切なものであろうが、その依頼内容も依頼内容であるゆえに、ある意味の仕方無さがあるかもしれない。 「ええ。都から離れて山を少しあがった‥‥山野、小さな湖が近くにあります。水辺一体には、この季節でも多くの花が自生している‥‥本来は一般人の私が行くところなのですが、最近その周辺にケモノが出たと聞きますゆえ」 歳は三十の中頃だろうか、落ち着いた物腰と丁寧な口調‥‥だが、如何に人となりのいい御仁と言えど、余りにも詰まらない話に貴重な開拓者を動員するのも気が引ける。 「それで開拓者にお願いしたいってわけか。だがな、開拓者達やギルドも暇じゃないんだ――」 「先日、妻が目覚め無くなりました」 言葉少なく、男は言うと係員も押し黙る。そして暫くの間の後に係員は口を開いた。 「そいつは、気の毒だったな。奥さんは今、どちらに休ませているんだ?」 「葬儀屋に頼んで、今は霊安所で横にさせています」 賑やかなギルドの中のはずなのに、その二人の居る空間だけ、空気の質が違う。 「奥さん、花が好きだったのかい?」 「ええ。絵描きの端くれだった事もありまして。良く花を描いていました‥‥だからあちらに行っても描くものに困らぬよう、棺の中に出来るだけ沢山の花を一緒にしてあげたいのです」 「分かった。依頼を受け付ける。努めて早く開拓者に声を掛ける。だから奥さんには、もう暫く我慢して頂く様に伝えてくれ」 「感謝致します。それでは‥‥」 |
■参加者一覧
川那辺 由愛(ia0068)
24歳・女・陰
天河 ふしぎ(ia1037)
17歳・男・シ
野乃原・那美(ia5377)
15歳・女・シ
アルマ・ムリフェイン(ib3629)
17歳・男・吟
リーゼロッテ・ヴェルト(ib5386)
14歳・女・陰
丈 平次郎(ib5866)
48歳・男・サ
ヴァレリー・クルーゼ(ib6023)
48歳・男・志
刃兼(ib7876)
18歳・男・サ |
■リプレイ本文 「ケモノの気配は‥‥今の所、感じられないな」 周囲を警戒する刃兼(ib7876)に、川那辺 由愛(ia0068)は「そうね」と短く返す。彼女の人差し指に赤蜻蛉が止まった。 「手向けの花摘みを邪魔立てする程、無粋なケモノも居ないらしい」 見渡しながらヴァレリー・クルーゼ(ib6023)は平坦な声色。眼鏡に陽光が反射している所為で目元が見えず、刃兼には彼の感情が掴み難い。 「どーんっ」 「ぬおっ?」 アルマ・ムリフェイン(ib3629)に体当たりされた時は、流石に若干動揺の表情を浮かべただろうか。 「‥‥今度から、事前に突撃すると言ったほうがいい」 丈 平次郎(ib5866)は真顔――尤も頭巾でその顔は見えないが―――でそんな事を話すものだから、真意を測りかねる。 「ケモノは居なくても‥‥余りのんびりもしていられなそうね」 リーゼロッテ・ヴェルト(ib5386)は上天に見ながら。遠方にある雲は、黒い。 「暫くは大丈夫だけど‥‥近く、降り出すわ」 「それなら早く採りにいかなきゃ、だね。依頼人の奥さんの為にお花沢山もって帰らないと♪」 何時もの調子で野乃原・那美(ia5377)は笑う。 「そうだね、兎に角‥‥沢山の花を持って帰ろう」 天河 ふしぎ(ia1037)も、彼女の声に頷く。 感傷的になれとは言わない。だが、それにしても―― (――天儀の人達とは、こういうものなのか?) 求められる力仕事は幾らでも有る。修羅の刃兼は、己が胸の内で浮かんだ感慨、それと違和感を無視してそれに従事する事にした。 根ごと採り、湿らせた布で包み、丁寧に扱い一塊になったら荷車に乗せる。 本当に、簡単な仕事だった。 仕事と思えば至極簡単なものだった。 そうだ。只の仕事と思えば。 「‥‥どうした、ふしぎ?」 刃兼は耳に掛かる程の紫髪を揺らしながら、俯く彼に訊ねる。涅色の髪を垂らす、彼へ。 「いや、何とも無いよ。うん‥‥何とも」 「自分自身でも、良く分からないが‥‥何故かそうとは思えない」 刃兼の両の眼に見据えられ、暫くしてふしぎは漏れ出した様な声量で呟く。 「‥‥愛するって、どういう事なんだろうね」 刃兼は黙した、言葉に迷ったのではなく。 「出発前に依頼人さんに会って、挨拶をして少し話して‥‥それだけで、奥さんとお互いを大切に思い合っていたんだって分かった。だから、そんな関係に憧れと、戸惑いを感じたんだ」 ふしぎは、それが独白と分かりながらも敢えて口を止めなかった。これを外に出さないと、自分はおかしくなりそうだから。 「一花一花‥‥摘むごとに、自分の『これまで』が浮かび上がって来て‥‥無意識に依頼人さんと自分を比べてしまって‥‥何だか頭の中がグルグルして‥‥気が付いたら、花を摘む手が止まっていたんだ」 気が付けば、上天の領域には灰の雲塊に支配されていた。今にも、雨粒を落としそうだった。 「依頼人さんに沢山の花をとって来るって約束したのに、僕は‥‥」 「人が眷属は、俺達修羅よりも様々な創意に長けると聞く」 空を眺めながら刃兼は言う。 「俺は、母さんの面影を人伝に感じるだけでも充分だった。だからそうして寂しさを感じない事を心の強さと思っていて、ある種の誇りとさえ考えていたのかもな」 刃兼は先刻己が胸の内に浮かんだ違和感の原因が漸く分かった。淡白に感じられたのは、ふしぎが‥‥否、彼だけでは無い。誰もが、その胸の内の想いを包み覆って、表に出していないだけだった。 (僕も、そんな心の強さがあればこんな迷わずに――) 「だがふしぎ。君の言葉を聞いて、人間の創意‥‥その過程に生まれるであろう『迷い』にある種の羨ましさを感じた。俺もいつか、そうして強く‥‥大事に想う相手に、これから出会ってみたい。追憶の中だけでなく、この眼で見える相手に」 「‥‥ありがとう。そう言われると、何だか気が楽になるよ」 追うにしても迷うにしても、止まっている訳ではない‥‥動いている証拠に他ならない。 「しかしまぁ‥‥できることなら、母さんには生きてるうちに会ってみたかったよ。誰かの心の中で存在することはできても、当人に会うことは絶対にできない。死ぬってのは、そういう事なんだろうな」 死は、動かない。 「‥‥っ。那美ったら、驚かせないでよ」 いつの間に、背後を取られていたのか。 「ふっふ〜♪ 何となく由愛さんに似合いそうだと思ったのだ♪」 屈託の無い笑顔を返されては咎める気も失せる。こっそりと那美が、由愛の背後に近付き差したのは小さな花‥‥黒髪の上だと、よく色が映える。 「お花が似合わない人なんていないと思うのだ、女の子なら♪」 女なら‥‥か。そう、由愛は丁度何そんな事を考えていた。女として生を受けた身、今生、今際の時に自分は何を望むか。 叶うなら、愛する人の腕の中で最期の時を――それが由愛の想う、死というもの。 柄にも無くそんな事を考え、煩悶を重ねていた故に、背後の那美に気が付かなかったのかもしれない。 ふと、由愛は出発前の依頼主とのやり取りを思い出す。 「別に困窮してるって訳じゃ無いんでしょ?」 「妻の一族は賊徒やアヤカシに滅ぼされ、私は家柄を捨てて彼女と駆け落ちした身‥‥今更、呼ぶ者もいませんよ」 「後悔、している訳では無さそうね」 「ええ」 家を捨てた事自体、別段大層な事とは思わなかった。自分だってそうだ。 だが、自分は『誰かの為に』それを出来ただろうか。過去‥‥そして、今は。 軽く、髪に何かが触れる感覚。 「これなら喜恋姫って感じかな?」 那美が、今度は花冠を作っていた。其れを由愛に飾ると似合っていると囃し、まるで無邪気な少女そのままの笑顔を浮かべている。 「全く此の娘は‥‥そうやって――」 「ねぇ、由愛さん」 那美は、本当にいつも通りの喜色、満面の笑顔、何時もの口調、幼ささえ残る声で言った。 「ボクが亡くなったら悲しむ人はいるのかな?」 何の含みも無い。本当に何の比喩でもなく打算もなく、声に淀みさえ浮かべずに那美は言う。純粋にそう想い、それを今一番身近な存在に問いたかったから。 そして由愛は‥‥その細い腕を那美に伸ばし、わっしゃわっしゃと栗色の艶髪を撫でた。 「何てこと聞いているのよ。いない訳、ないでしょうに」 「‥‥あは、ボクらしくない考えしちゃったや」 那美も那美で、別にその想いや死を否定する訳でもない。もし誰かの死を眼前にすれば――親しい者なら特に――何か、感じるものがあるかもしれない。 それでも純然と生き、その刹那の積み重ね、楽しさを以って経ようと言う気持ちは確かなままだ。 だからこそ那美は今、元気に『振舞ってる』。それに気付いた由愛は、無言のまま彼女の頭を撫でずにはいられなかったのだ。 花を摘んでいると‥‥その中に、既に萎れた一輪があった。乾いている所為で脆く、アルマは慎重に‥‥そっとそれに触れたのに崩れ、花弁は地に落ちた。 こめかみの辺りがモヤモヤする。内臓がじわり、溶ける様な感覚‥‥。 冷たい。 過去の記憶が蘇ってくる。それも、目を向けたくない過去――もしかしたら今まで無意識に目を背けていたのかもしれない――が蘇ってくる。 一瞬、アルマが氷の感覚に支配されたのは枯れた花から‥‥冷たいものを連想したから。アルマは死を嫌って‥‥いや、違う。『死なれること』を嫌っていた。それは恐怖であり、それは絶対‥‥揺るがないもの。揺るぎようも無いもの。まるで、無力さを思い知らせるかの様に。どうしようもない、何も出来ない‥‥何も出来ない僕を、そうやって嘲笑うのだろう。奪って、優しい人に傷を遺して‥‥何でそんな事をするの――? そんな、俯きかけたアルマの目に映ったのは二つの人影だった。 花はあいつが好きだったな 俺は興味がなかったのによく花畑へ連れ出された 寒い国の生まれでこんなにたくさんの花は見た事がないと 日が暮れるまで飽きもせず花を眺めて‥‥ 「『あいつ』とは誰の事かね」 ヴァレリーに問われると、それまで虚空を見ていた平次郎は、鳶色の目を彼に向ける。 「‥‥分からないんだ。だが‥‥大切な人だった、それだけは分かる」 大切な人、か。 ヴァレリーは胸中のみで呟き、そして記憶を転回させて遠い過去を振り返る。遠い遠い‥‥まるで昨日の出来事の様な、遠い過去を。 周囲に飾られた花。その中に眠る、一人の女性。飾られた花に勝るとも劣らない、美しい女性‥‥見た目だけの事ではない。本当に美しい女性‥‥そう想ったからこそ、互いの一生を誓い合ったのだ。 だと言うのに、出来た事と言えばそうして最期を花で一杯にする事くらいだった。自己満足に過ぎぬと、自分で分かっていた。 「記憶に苦しめられる私と、記憶を追い求めるお前と、どちらが幸せなのだろうな」 ヴァレリーは努めて平ったい口調で言った。そうして感情を殺して述べたからこそ、そのわざとらしさから心裏を見透かされるのではないか‥‥彼は心静かに危惧する。 「さあな。思い出せない事が辛いという感情も思い出せない」 察してか、無意識か、平次郎からの返事は曖昧なものだった。 どちらがというのは判断し難いな‥‥そう呟きながら、平次郎は続ける。 「だが、大事な存在だと解っていて思い出せないのは悲しく‥‥虚しいものだ。覚えていれば記憶の中でまた会える。それが辛い事だとしても、俺はそっちのほうがいい。‥‥お前はどうなんだ。奥方の事を、忘れたいと思うか?」 「いや‥‥そうだな、お前の――」 ――言う通りだ、と、次の台詞が喉元で止まったのはアルマ第二の突撃の所為。平次郎はさりげなくかわしているが、ヴァレリーには直撃。 「突撃すると言った方が良い‥‥と言ったろうに」 「ヴァレリーちゃん!」 飛び付く様はまるで子犬の様、アルマの笑顔。体勢を立て直すと、何時もの神経質そうな顔は変えぬままヴァレリーは柔らかく、優しく彼の銀髪を撫でた。アルマも、居心地良さそうに撫でられる。 その元気さに、ヴァレリーは救われていた。そのアルマからも先程の陰りが消えていたのは、何も、澄んだ百合香の効果だけでは無い。 (うん、大丈夫。皆で笑っていたいから‥‥僕も、笑っていられるよ) 傷を知り、傷を想う者だからこそ、分かる事もある。 そうして、未来と過去を紡ぎながら時を巡るうちに‥‥いずれ、どこかで『あいつ』に会えるだろうか。平次郎はの問いに、今は秋風しか応えなかった。そう、今は‥‥。 「これだけ採取すれば、十分ね」 リーゼロッテは言いながら、摘んだ花を荷車に乗せる。根を包む布は充分に湿らせてある。この水分があれば、葬儀までに萎れる事は無いだろう。 荷車を引く刃兼も、頷く。 「ああ。これだけあれば‥‥あとは、依頼主殿の所へ行くだけだな」 「それじゃあ花も採ったし、帰らせてもらうわ」 どこか急ぐ様にしてリーゼロッテに、刃兼は思わず手を伸ばす。 「‥‥何? 人の葬式、えーと今生の別れに水差すのは不躾でしょうに。こういうのは本人たちだけで静かにやらせとくべきだと思うけど」 「先程、雨が降りそうとリーゼロッテは言っていたな」 「それが如何かして?」 「帰り道を急ごう」 「‥‥?」 「この地域の動植物を、と思い、ついでに事前に周辺の地理や予備知識を調べてきていた。今更だが、ここから真っ直ぐ林の間を抜けると街への方向へ‥‥近道になる。周辺にケモノもいなそうだと分かったし、荷車を通るに充分な広さもある道だ。そしてこの道から行くとギルドに帰る前に、依頼主殿がいる葬儀屋の近くを通る事になる」 「みんな、その葬儀屋に足を運ぶつもり?」 「参列を強制している訳じゃない。ただ、帰路上に葬儀屋がある‥‥と、言っているだけさ」 「‥‥‥」 リーゼロッテは、黙して棺に眠るその女性を見ていた。 (なんでこんな穏やかな顔で死ねるんだか) 永久に眼を開けない、されど安らかな表情‥‥リーゼロッテが当初、難色を示したのは、この表情を見たくなかったからなのかもしれない。 (穏やかな死、其れは私の研究で一番、認められないモノ‥‥認めてはいけないモノ) 彼女が求める永久、想い焦がれる永劫。それが、この形であってはいけないのだ。この形を『永遠』と認めた時、彼女の二十余年とその研究が否定されてしまう。 薄情等とは誰も言うまい。生死観に善悪は無いのだから。 (‥‥私は絶対に死なない‥‥失って堪るものか) リーゼロッテの探求は、まだ終らない。 ふしぎは、妻と依頼人を時折交互に見ては何か言おうとして‥‥それを上手く言葉に出来なかった。 (病気が苦しかったけど、奥さんはやっぱり幸せだったんだろうか‥‥) 「少なくとも私は、幸せでした」 依頼人の、言葉。心を読まれた錯覚にふしぎは肩を揺らす。揺れる碧眼に見つめられながら、依頼人は話を続ける。 「家柄を捨て、苦労しかったと言えば嘘になります。ですが私は、幸せでした」 (今は良く分からなくなってしまっている‥‥でも、依頼人さんみたいに真っ直ぐ想える気持ち、僕にもまたいつか――) 碧の双眸には、薄く露が浮かんでいた。 「後を追おうなどと考えてはいるまいな」 ヴァレリーに、依頼人は苦笑を返す。 「‥‥ここまでして頂いたのです。私自身も、粗末な真似は出来ませんよ」 「要らぬ世話だったか、失礼した。きみは、妻のよき理解者であったのだな」 そう。伴侶が何を望むか‥‥共に歩んだ者なら、分かる筈だ。だが、それを確かめさせるだけでも‥‥そう声を掛けるだけでも意味がある。 「ちょっと失礼するわよ」 言葉少なく由愛が棺に近寄る。符を構え、行使したのは瘴気回収だった。 その時由愛は、純粋に『誰かの為に』陰陽術を使った。 「生前の苦しみは、あたしが貰って行くわ。最後まで共に居てあげなさい」 それだけ言い、由愛は依頼人を背にして去る。背にしたからこそ依頼人の男の、涙を見ない振りが出来た。 「那美、飲みに行くわよ。那美がいなくなって悲しむ奴を『もう一人』連れて」 先刻、由愛が死を想う先に何故か浮かんできたのが、その『もう一人』である事に彼女自身、苦笑さえするものの‥‥悪い気分ではなかった。 「ん、由愛さんのお誘いとあらば断る理由はないのだ♪ 付き合ってあげるのだ‥‥いつまでも、ね♪」 二人が去った後、刃兼は一輪、棺に添え手を合わせた。これにヴァレリーも続き、彼女の‥‥そして依頼人の安寧を祈る。 「お前も、祈っていい」 迷う様に手を震わせていたアルマに、平次郎は言う。 「平次郎ちゃん‥‥でもこれ以上、僕が此処に居ちゃいけない、気がする‥‥僕が祈るなんて許され――」 「祈っていいんだ、お前も。死は絶対であり平等‥‥だから、祈っていいんだ」 恐る恐る、アルマは平次郎と一緒に花を添える。 過去、価値観、信条‥‥様々にあるだろうがこの時だけは、此処に眠る一人の女性とその夫の為に祈ってほしい。 愛に全てを。 |