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■オープニング本文 「ああ、こんにちは。――どうぞ」 来客に気づくとギルド職員は台帳から視線をあげ、訪問者の女性を窓口の目の前へ案内した。 「はい。この受付票に、お名前をお願いします」 目の前には女性が立っていた。変わったところと言えば左腕をぐるぐる巻きにした包帯くらいで、あとは町娘か村娘と大差ない、地味な色合いの着物を身につけていた。帳面から紙を引き抜き、筆に墨をつけ、受付の彼は相手に渡した。――そういえば。彼は依頼者の顔に見覚えがある。確かよく依頼を持ってくるひとで、いつかは全身泥だらけで、ずっと待っていたこともあったっけ。名前は確か、あずさか、あづみか‥‥受付は彼女が記名するところを、そっと窺った。そうだ、あづちだ。彼は立て板の水のように、説明を始めた。 「ありがとうございます。では次に、依頼の内容ですけれど、まず私がさわりをお聞きしまして、開拓者がお客様の依頼を承れますかどうか、まずわたくしどもギルドで判断いたします。それから開拓者へ依頼を回すことになりますが、よろしいですか」 あづちは頷き、筆を受付に返した。筆を受け取った彼はいつもの流れどおり、依頼の聞き取りを始めた。護衛を頼みたいんです。誰を護衛するのでしょう? わたしです。どちらまで? 北面までの往復なんですけど。 北面ですか。そこで受付の口はいったん止まった。船の切符を頼むようなあづちの口ぶりだが、実のところ東房と北面の国境には関所が多く、通行手形がなければ通過は許されない。特に最近は、アヤカシの影響のためか東房からの流民が増え、石高を維持するために不動寺の高僧も神経を尖らせているのだ。開拓者ギルドなら許可は出すことはできるが、手形の乱発は控えるよう申し合わせてある。開拓者だけで用事が足せないかどうか改めて訊いたが、彼女はどうしても、自分の足で行くのだと言い張って譲らなかった。 あづちが言うことには、なんでも、北面のある場所に生えている草花の球根を採ってこなければならないらしい。加工して生薬に使うとのことだが、株によって薬効に差が大きいことから、彼女自身が球根を見繕う必要があるとのこと。ギルドへ正式に申請すれば、それくらいの理由であれば目的を限定して手形は交付できなくはなさそうだと彼は判断はしたが、しかし、手形の話はあづちのほうから辞退してきた。 「関も番所も通らなくて済む道を知ってますから、そちらへ」 それで護衛を頼みたかったのか。山伝いの田舎道ならば、巡察の北面志士に呼び止められることもない。受付は合点がいった。ただやはり、開拓者の同道があるとはいえ危険な道には違いなく、つい先日も、山奥の村へ向かう道中にアヤカシが出たとの噂が流れ着いて、つい最近調査から帰ってきたばかりなのだ。もちろん、ほかの道にもアヤカシが出てきているかもしれないことは容易に予想できる(もちろん、賊の類の可能性も否定できないが)。ただそれも、あづちは意に介さないようだった。ともかく、彼は受付票の所定の箇所に、残りの項目をさらさらと書き込んで、依頼としての体裁を整えていった。 「人数は――ええ、それで報酬は――はい、承りました。では正式に受理されるまでお待ち下さい」 受付が後ろへ下がり、あづちは待合室の椅子に腰掛けると、ほっと大きく息をついた。まだ左腕は完治していないが、治癒を待っていては間に合わないだろう。今回は個人的に、開拓者の力を借りるほかなさそうだった。彼女は窓から外を見遣った。仁生の街には夏の余韻はまだ残っているが、夕暮れの風は次第に秋色を帯びてきていた。 もうすぐ秋分である。 |
■参加者一覧
空(ia1704)
33歳・男・砂
ブラッディ・D(ia6200)
20歳・女・泰
赤鈴 大左衛門(ia9854)
18歳・男・志
久野(ib0267)
26歳・男・陰
西光寺 百合(ib2997)
27歳・女・魔
リリア(ib3552)
16歳・女・騎 |
■リプレイ本文 開拓者の中に、あづちは赤鈴 大左衛門(ia9854)と西光寺 百合(ib2997)の見慣れた姿を認め、表情をほころばせた。彼女の左腕に巻かれた包帯はまだ取れなかったが、傷の予後は良好とのことで、自由に動かせるくらいには回復しているようだった。さっそく、開拓者たちは今回の依頼について説明を受けたが、何の変哲もない護衛の依頼だったにもかかわらず、あづち個人からのお願い、という点は各々の目に奇妙に映った。さらに詳細を聞くと、その奇妙さは輪をかけてひどくなった。 それは北面のある場所まで薬になる球根を採りに行く、というものだったが、奇妙なのはその道のりである。関所や街道を避け、野道山道を伝って国境を越えようというのだ。 「何でわざわざ、そんな田舎道通るんだか。素直に関所通ッといた方がいいんじャねェの?」 空(ia1704)はその奇妙さに、率直に問い質した。北面と東房を繋ぐ街道のうち、きちんとした街道ならば、アヤカシの出る可能性も少なく、盗賊に襲われたとしても、6人もの用心棒は必要ないだろうに。それは百合も同様に思っていたことである。東房の役人が通行手形を発行してくれないのならば、開拓者ギルドが身分保証を受けることもできたはずだが、あづちはそれを拒否したらしい。どのような意図があってのことなのか、彼女には不思議でならなかった。 それらの疑問には、あづちが直接回答した。突き詰めて考えると、あづちは『好ましからざる人物』ではないかとも百合には思えたが、それは別の意味で正しかった。まずこのようなしち面倒くさいことになった大前提として、あづちがどこの人別帳にも載っておらず、無宿扱いとされてしまう事実が存在した(正しくは手伝い人あづちではなく、無宿人あづち、ということになる)。その状態でギルドの手形を使用したとしても、関所を通った『あづちという名前の若い女』が、東房と北面のどちらにも籍を置いていないことがいずれ発覚してしまう。関所を通過するときは何のお咎めを受けなかったとしても、その後双方はあづちを捜し出そうとするにちがいない。基本的に無宿人は何らかの咎めを受けることも多く、また地元への無用な混乱を招くため、それだけはどうしても避けたいのが彼女の考えだった。 「ふん、北面志士に因縁があったってことでもねェのな。それもそうか。まァ、田舎道を通るからこそ俺は来たわけだが――北面じゃなきゃだめなのかね?」 再び空が問うたが、これにはあづちはすぐ首肯した。彼はもと志士の身であったから、過去の同業者に会うのは死んでも御免、というくらい拒絶反応を示すのである。ただ、彼女はどうしても、とこの点は譲らなかった。北面に大量に群生しているところがあるので、そこから分けてもらうのだという。こればかりはいかんともしがたく、一行は北面へ向け、開拓者ギルドを発った。 道の周りの田はすでに稲刈りは終えており、すでに二番穂の芽が青々と伸び始めていた。神楽の街の店先ではそろそろ新米が売りに出されるだろう。日差しはまだ強かったが、風は涼しげで、少しずつ秋のものとなっていくのは誰にとっても明らかだった。空の持つ扇子も、もう少しで扇ぐ必要がなくなるはずだ。 「ねえあづち、薬ってなんの薬?」 しばらくはあづちの指示に従い黙々と道を進んでいたが、その退屈さにしびれを切らせたのか、ブラッディ・D(ia6200)が尋ねた。そういうのわかんないから、ちょっとは興味あるかも。初めて耳にするものについて、そのままにしておくことは、今回彼女には我慢できなかったようである。 「球根が生薬になる、というと‥‥半夏、石蒜、貝母、山慈姑‥‥色々ありますね。どれなんでしょう」 開拓者を務めるかたわら、薬種商を営む久野(ib0267)が、薬草の話とあって口を挟んだ。彼にとっても、こういった情報交換の機会は滅多になく、色々と話を聞きたいという思いがあったのだ。百合もリリア(ib3552)も話を聞きたいと申し出たため、会話はさながら、寺子屋の課外授業のように賑やかになった。 「わたしが採りに行くのは、いちしの花の球根なんです。球根といっても、本当は根っこではないんですけど」 「聴いたことない名前ね」 『いちし』というのは天儀の言葉の中でも、ほとんど使われない単語のようであった。聞き慣れない単語に、リリアは首をかしげた。 「リリアは知らないんだ。空は?」 口には出していないが、知っていると言わないあたり、ブラッディもそうなのだろう。急に話を振られて、空はうろたえた。 「何でェ。俺が知るわけねえじゃねェか。それより誰に使うんだ? その怪我で採りに行くなんざ、よっぽど大事な奴でも居るのかァ?」 薬草にはそれほど深くは興味はなかったし、種類や効能も他の誰かが訊くと思っていたから、彼が出せる質問と言えば、動機に関係することである。空の思わぬ疑問にも、しかし、あづちは平然とした態度をこれっぽっちも崩さなかった。 「そりゃあ自分にですよ。わたしはまだ無宿の身ですから」 「じゃあ、ほら、身許を引き受けてくれる人とか、いねェのか?」 人によってはプライバシーに関わる微妙な質問であったが、手伝い人にはそんなもの、あってなきがごとしである。笑いながら、彼女はそうだといいですねと、やんわりと否定した。現実的には、開拓者にでもならなければ、無宿の咎は晴れそうにもない。 「そうだ、あづちさん。どうしてお医者さまに――」 「――ああ、思い出しただス!」 ちょっとした沈黙ののち、ふと百合が思い至って尋ねようとしたが、それを遮って、今まで黙って考え込んでいた大左衛門が急に声を上げたため、全員の注目が彼に集まった。 「いちしの花って、彼岸花ァ指して、おっ師ょ様ァ昔の偉ェ人の歌ァ詠ンどらしただスよ!」 最初からそう言ってくれれば、皆も分かったのだろう。大左衛門の言うとおり、あづちは彼岸花のことだと悪戯っぽく説明した。いちしの花を詠んだ歌は彼の師の言うその一首しかなく、本当にそれが彼岸花かどうかははっきりとしないが、通説としてはそのようになっているのだ。 「けンどありゃァ、毒だっつぅて田ン畔の土竜避けやら墓場の狐避けに植えとるぐれェだスに‥‥それが薬になるンだスか?」 「ええ。薬と毒は、表裏一体みたいなものですよ。石蒜は――」 そこまで分かれば、あとは久野の領分でもあった。彼岸花の球根は生薬としては石蒜と呼ばれてい、その球根をすり潰し、ひまし油で練って湿布とする処方は、あづちの説明と一致している。効能は、もちろん毒抜きせずに食べると命に関わることは間違いないのだが、諸処の炎症を鎮めたり、むくみをとることができるのだ。ただ、当初空が訝しんだように、わざわざ別の場所に採りに行くなどということは、彼は聴いたことがなかった。彼岸花なら、その辺の畦道に咲いているものでもいい気はするのだが。 その秘密は、あづちの持つ帳面に隠されているようである。彼女いわく、市井に広く流通している薬草の便覧らしく、これを見て調合や処方をしているとのことだった。久野は仕事柄こういったものをよく目にするが、あづちの持っているものもその一種なのだろう。中身が気になったので、彼は街で見掛けたら読んでみようと決めた。 今のところ道中は何ごともなく、一行は北面との境へ少しずつ近づいていた。といっても地図上に線が書いてあるだけで、道なき道に近いこの山道には、それを示すようなものは何一つない。あたりには宿場も人家もなく、休むには野営をしなければならなかった。むろん、それは開拓者の重要な仕事のうちのひとつであり、抜かりはなかった。 目的地は北面の端に位置しているので、国境を越えてしまえばもうすぐだとあづちは話した。ちょうど国境付近が小高い丘陵の尾根となっており、そこからは下り坂ばかりである。下り終えた先にそれがあるとのことで、一行は歩みを速めた。 「あっ、あれかな」 「え、リリア、どれ?」 「ほら、あの陰――」 「ほんとだ。たくさん咲いてる」 今回の依頼の目的地――彼岸花の群生地を真っ先に見付けたのは、リリアである。普段の天儀では数十本単位くらいで咲いているものをよく見掛けるが、それが赤色の帯となっているのが遠目にもわかるのだ。それに気づき、ブラッディも先に見ておこうと、慌てて背丈を彼女に合わせようとかがんだりした。 「おいおい、ふたりしてずいぶん元気じゃねェか。まあ、道中なんも出なかったし、今回は楽で――ん?」 空が二人を笑い飛ばそうとした瞬間、意識の隅っこに気配を感じ、彼は舌打ちした。聞き耳を立てると、この世のものでないものが蠢くような音が、かすかに聞こえる。途中出ねェから観光気分だったが、こういうことか。 「おやおや。先客のようだぜ」 群生地までは距離があるため、まだ気づかれてはいないようだ。今の状態のままであれば奇襲も不可能ではないため、まず大左衛門がアヤカシの居場所を掴み、アヤカシがこちらを発見する前に、一気にブラッディと空が距離を詰める作戦を開拓者は選択した。後衛は百合と久野、そしてあづちであり、それを大左衛門とリリアが守備するのだ。初撃でどれだけの被害を与えられるかによって、その後の展開は左右されるだろう。 いまだ、アヤカシは彼岸花の群生の中で、じっと身を潜めていた。一同は群生地の端まで来て、アヤカシと一戦交えねばならないことをふと忘れてしまうくらいの、彼岸花の大群に圧倒された。何町歩かはあろうかというこの眼前の草地を、全て赤色が埋め尽くしている。 「――あの沢のところだスなァ。幸い、一体しかおらんだス」 「あのへん? まず俺が行って、そのあとに空?」 「ああ。ま、同時に出たところでそっちが先に一撃かますだろうがよ」 大左衛門の示す場所には何もないように見えたが、アヤカシがいることには違いない。空に先んじて、ブラッディが瞬発力を駆使しアヤカシとの距離を詰める。近づくと、彼岸花の奥に地面でない何かを捉え、先制の突きを放った。それをきっかけに、開拓者たちはアヤカシの排除に動き出した。 ブラッディの拳を受けアヤカシは、そうなっているとは誰も思ってはいなかったが、伏せていた身体を立ち上がらせ開拓者を威嚇した。大きさは2間近くあり、足とも手ともつかないようなもので立ち上がっていた。背中がそれまで彼岸花の生えていた地面であり、彼岸花が実物なのか偽物なのかははっきりと分からない。特徴的なのは開拓者に見せつけている腹部で、全体が彼岸花のような真っ赤な色を呈していたが、それは花びらによるものではなく、ぶよぶよとした肉塊の色だった。口のように蠢く穴の周りの襞が彼岸花を模した形になっており、その形と動きは気持ち悪い以外のなにものでもない。 「うへッ、こんなノが相手かよ、やっテらんねェなコイツ! せイぜい虐めテやるかラ覚悟しテオけよ!」 目の前で大変なものを見せられた空はたまらず、考えうる限りの悪態を乗せ、返す刀でまた切りつけた。傷口からわき出す瘴気が、それがアヤカシであることを確と証明している。アヤカシが怯む間もなく、久野の呼び出した蛇が躍りかかった。絡みついて身動きを取れなくするのが目的だったが、お互いが軟体であるためか、思ったより効果は上がっていないようである。百合の呼び出す雷は、その外見からは有効だったかどうか判断が付かなかった。 開拓者の先制攻撃は終わり、おもむろにアヤカシが牙をむいた。赤くぶよぶよした腕を何本持っているか分からないくらい、空とブラッディそれぞれに目掛け、器用に振り回した。手数で勝るアヤカシに対応しきれず、二人は多かれ少なかれ打擲を受けることになった。しなやかな腕と思いきや、中に鋼の芯でも埋め込まれているような硬さをもってい、打撲は避けられそうにない。後衛も無関係ではなく、地面から急に飛び出し、リリアと大左衛門の護衛する対象かそうでないかにかかわらず、足に絡みついて動きを封じる腕に格闘を強いられることとなった。 この周辺で何本もの彼岸花がなぎ倒されたが、これはアヤカシが存在することによる不可抗力だろう。この荒れ模様を収拾させるには、今しばらくの時間といくつかの生傷を要することになった。最終的には、空の牽制に呼応したブラッディの、食べられそうになるくらい懐に入り込んで放った正拳が、アヤカシの身体を貫きまたもとの瘴気へと戻させたのである。 戦いの直後はまだ息も絶え絶えであったが、体力を回復し怪我の手当をしてからは、開拓者たちはいちしの花を十分に堪能した。中心から放射的に伸びる神秘的な形から来るこの光景に、久野は『かの岸』にたどり着いてしまったような気がし、この世のことどもとそれ以外について、とりとめもなく考えを巡らせていた。しばらくして、あづちは踏み散らかされた花のうち、潰れていない球根を持って帰ろうと皆に提案した。件のあんちょこが土で汚れており、いつの間にか、彼女は目的の株を掘り当てたようである。 「これか‥‥これがどうなんのかなぁ」 花がついていることを除けば、一見野蒜と間違えそうだった。じっと見つめているブラッディを、気にかけた久野が制止した。彼女は別に食欲を発揮したわけではなかったが、食べたら野蒜どころの騒ぎではないのだ。 ところで、ここに自生しているものは彼岸花だけではなかった。付近の沢に、久野は黄檗の木、百合は苦艾の群落を見つけ、距離は遠いものの採取地の候補に加えることができた。また、大左衛門は蒲の穂をあづちに渡した。蒲の花粉は傷薬にもなるが、これは皮を剥がれた兎を助けた、という伝承にちなんだ洒落である。彼の屈託のない笑顔を前に、あづちは微笑み、礼を述べた。 最後に開拓者たちはちょっとした土いじりをし、戦場となった地面を均した。荒らされたのはごく一部であるから、いずれまたここにも花は咲くだろう。 開拓者がギルドへ戻り、次の依頼を受けるときには、もう今年の花は散っているはずだった。しかし、また来年もお願いできますか、というあづちの問いには、皆まんざらでもない表情で、それも悪くない、と思うのであった。 開拓者が群生地にてアヤカシを退治した翌日、秋分を迎える日に、二人の男女がここを訪れた。名目では巡察ということになってい、それぞれ派手な甲冑を身につけていた。二人はある場所へ迷わず向かうと、地面を掘り、1冊の帳面を見つけ出した。そして、その帳面があらかじめ埋めておいたものでなく、あづちの書き込みがなされているそれと取り替えられていることを男が確認し、丁寧に汚れを払って懐へ仕舞った。 いちしの花が咲く原というのが、この地を名付けることとなった語源である。 |