|
■オープニング本文 急遽、荷物を陸路で運ばなければならなくなった、という依頼者の船頭を見て、いったい何を運ぶのかと彼は訝しがったが、はたして、その悪い予感は的中した。長年培ってきたギルド職員としての勘か、もしくは彼個人の直感のなせる技か、あるいはまた別の何かか、今となってはそれはどうでもよかった。 「ほかに頼める伝手とか、ないんですか。これは、ねえ」 「北面でもこの辺は初めてでよ‥‥飛脚問屋にも突っぱねられっちまうし、やりようねえや。頼むよ」 受付の、一縷の望みを繋げようとする問いに、船頭は言った。こういった開拓者ギルドと便利屋を同じ扱いにされるのは、受付の彼にとってはあまり好ましいものでなかった。しかし、ひとびとの頼みであれば聞き入れないわけにはいかないのが、開拓者ギルドでもある。 「しかたない、わかりました。承ります。‥‥ただし、『危険物』ですから、報酬については多めに設定させていただきます」 受付が折れると、船頭の表情はにわかに明るくなった。それはそうだろう、荷物が荷物だものな。調子いいなあ、などと受付は費用を見積もり、船頭に示した。 「おおっ! すまねえな。荷物はまだ河岸にあるんで、あとで取りに来てくれよ」 荷物の場所を聞いて、所定の報酬を前金で受け取り船頭を帰すと、受付はさっそく決裁用の書類をまとめだした。 依頼者は水運を営む船頭である。ある荷物を運ぶ依頼を受けていたが、航路の川がアヤカシによって封鎖されてしまったという。このアヤカシはすでに討伐の依頼が出ており、1週間もせずに、航路は安全になるだろう。しかし、船頭にそれを待っている余裕はなかったらしい。荷物のせいで急いでいるのかな、と受付は最初考えたが、ある意味それは正しかったのだ。 ――よりによって、これだものな。彼は独りごちた。船頭から託された荷物とは、何を隠そう下肥である。本来船で運ぶべき川を迂回して、奥地の河岸にある荷主へ引き渡す、というのが正確な依頼の内容であった。 その危険物――下肥は、大きな樫の樽でよっつ分だから、荷車を調達しなければならない。樽は厳重に封をされていると船頭は言ったが、それは受付にはいささか眉唾ものに聞こえた。なぜならば、受付の目の前の船頭が、微かに臭っていたからである。 この依頼、誰か引き受けてくれるだろうか? 受付はふと、そんな心配に駆られたが、賽は投げられたのだ。もし誰も名乗りでなくても、恨まないでくれよ。 |
■参加者一覧
朧楼月 天忌(ia0291)
23歳・男・サ
橘 天花(ia1196)
15歳・女・巫
巴 渓(ia1334)
25歳・女・泰
ペケ(ia5365)
18歳・女・シ
風鬼(ia5399)
23歳・女・シ
赤鈴 大左衛門(ia9854)
18歳・男・志
燕 晶羽(ib2655)
15歳・女・志
田宮 倫太郎(ib3907)
24歳・男・サ |
■リプレイ本文 受付は悩んでいた。依頼の掲示をしてそれなりの時間が経つが、引き受ける開拓者が、まだ定員の半分にしか達していなかったからだ。規定数未満の人数のまま依頼を受けさせたとしても、ギルドと依頼者の取り決め上では問題なく、双方不都合な点はなかったのだが、4つもの重量のある樽を運ぶにはやはり人数が心許ない。自分が手伝えばいいじゃないか、という良心を棚に上げ苦心した結果、しばらくののち、駄目で元々で彼は、依頼の掲示にある『荷物』の詳細を割愛し、何食わぬ顔で依頼を再び掲示した。 あろうことか、この作戦は成功した。受付はしてやったりの面持ちだったが、でも大変だけれどがんばってね、と、ほとんどいい顔をしていない面々に対し、ちょっと申し訳なさげに振る舞うことを忘れず、依頼の説明を行い、開拓者を河岸へ送り出した。道中は文句百出であるのは誰の目にも明らかであるが、まあよし、彼は独りごちた。 「うちのギルドも、ついにこんな仕事まで請け負うようになっちまったのか‥‥」 切羽詰まった商人の願い事とはいえ他に類を見ない仕事を前に、朧楼月 天忌(ia0291)の頭の中を、開拓者ギルドはこの先生き残れるだろうか、という不安がよぎった。田宮 倫太郎(ib3907)はというと、あまりに予想外の結果のため、どちらかといえば自分が騙された被害者に近いのではあるが、仕事運の悪さをことあるごとにぼやいている。 「本当にうまい話はないと聞きますが、まさかこんな仕事とは。よりによって、ねえ」 「まあ‥‥ね、なんとかなるでしょう、最後には。どちらにせよ、承った以上はやるしかありませんな」 一方で風鬼(ia5399)は、道中考えられる障害をどうやって排除するか、について早くも考えを巡らせていた。といっても、それは荷物をどのように使って、という前提があるいたずらみたいなものだったので、あまり建設的ではないかもしれない。また、橘 天花(ia1196)は依頼の真相を聞かされても、祖母と約束したこともあって前向きな姿勢を崩さなかった。たすき掛けが、その気合いの入れようを如実に物語っている。 「そうですよ! どんな仕事も選り好みはしないほうがいいです。終わったら、みなさんの着物も洗ってあげますから、ね?」 「いや、それで済むワケでもねえんだよな‥‥」 士気を鼓舞しようとする天花であったが、天忌にとっては服の汚れと臭いが落ちれば大丈夫、という問題でもなかった。はねてもいけない、飛び散らせてもいけない。もちろん、死んでもこぼすものか。彼の決意は、運ぶものが運ぶものだけに、いやに固かった。 荷物の量からすると、受付の示唆するとおり、荷車が必要であることは間違いなかった。樽であるから転がしても運べないことはないが、何かの弾みで壊れた場合、待っているのは依頼の失敗と、掛け値なしの惨事である。あらかじめ樽の大きさに合わせ、2台を巴 渓(ia1334)と赤鈴 大左衛門(ia9854)のふたりが、それぞれ調達を買って出ていた。賃料も、依頼の報酬から控除しても十分事足りる。 「ギルドから、貸与してもらえるのならばよかったんだがな」 投げっぱなしの職員の姿勢に、渓は淡々と文句を口にした。この依頼に表情を変えずにいられたのは、このふたりくらいである。渓は農家のために、誰かがやらねばならないこと、と完全に仕事と割り切ってい、また大左衛門は農村の出であり、子供の頃からの付き合いであるので、これくらいのものなどもはや慣れっこである。首ぃ長くして待っとる、百姓らン為にけっぱるだスよ。故郷でした畑仕事を思い出し、彼はちょっと懐かしい気持ちに浸った――もちろん、思い出の中で運んでいたのは『樽』ではなかったが。 ペケ(ia5365)と燕 晶羽(ib2655)は、樽に巻く筵を抱え、運んでいた。臭いや中身の飛散と、雨水の侵入を防ぐのが主な役割である。樽が大きいため筵も非常にかさばり、ペケはほどけた下帯をなおす代わりに、身体に巻き付けたりしていた。 これも修練、とはいえど、これほど不快なものはそうそうない。ただ、これは自分でも分かっていることなのだが、もとは報酬目当てで受けた依頼なので、依頼人に文句を言うのは筋違いなのである。筵を運びながら、晶羽は怒りをぶつける矛先がないまま、苛立ちをあらわにしていた。これを抑えるには、早く終わらせるほかにない。慎重に運べば、こぼすはずなどないのだ。 一同は河岸に集まり、そこで荷物の引き渡しを受けたが、しっかり蓋がしてあるのにもかかわらず例の臭いがすることに、彼らは衝撃を受けた。宛先の荷主にはすでに陸路で送ることを申し渡しているとのことで、開拓者の仕事は、荷物を無事に送り届けるだけである。さて、子供の背丈よりもある大きな樽4つを前にして、大左衛門は躊躇せず、荷物に取りかかり始めた。 「ワシも郷じゃ畑に撒いとっただスが、郷のモンが少ねェからどうしても足りねェだスてなァ、って‥‥うン? なンで皆ァそったら離れとるンだスか?」 臭いにまだ慣れず、当たり前のように動ける大左衛門を遠巻きにしていた同僚を見て、彼は皆の視線が何を語っているかに気がついた。 「ははァ、そうだスな、まンず下肥が本物かどうか確かめにゃならんだスな? どれ――」 おいやめろ、と言いだしたのが開拓者か周囲の商人だったかについては些事である。彼が樽の鏡蓋を思い切り開けようとしてはじめて、開拓者は動き始めた。直後に起きた、ちょっとした事件を防ぐには、それは少し遅すぎた。 「こんろ(今度)も何かあっらら(あったら)、ろう(どう)しましょう」 頬被りをしくぐもった鼻声で、倫太郎がつぶやいた。一同は樽を河岸から引き上げ、荷車に乗せ、さらにおだてたりすかしたりして手伝いに来てもらったもふらさまに曳かせていた。樽ふたつが筵を被せて荷台に並べてある様子は、まるで中身が違うように思わせるものであった。臭いもそれほど気にはならないのだが、口以外で呼吸をすることを彼はすでに放棄していた。 河岸で大左衛門が蓋を開けてしまった以外は、今のところ順調な足並みであった。できるだけ最短距離、あるいは状態の良い街道になるよう経路を選び、風鬼を街道に先行させ(晶羽や倫太郎は羨ましがったが)様子を調べさせるほか、途中ぬかるみや坂道などでは全員が協力し、押したり引いたりを繰り返しながら、街道を進んでいた。途中どうしても避けられないもの――宿場や茶店など――は、わざわざ風下の街道を迂回して遠慮した。 「くふふっ、私こぼすなって言われると、ついやっちゃうんですよね」 「言うな! あってたまるかよ、ホントに勘弁だぜ‥‥?」 ペケが自分の体験を思い出し、思わせぶりに笑う。彼女よろしく上着を脱ぎ、荷車の脇を固めている天忌が唸って、嫌な予感を振り払おうとした。臭いだけなら百歩譲ってよしとしよう。だがそれ以上には耐えられない。このまま無事に終わってくれ、という彼の願いはしかし、哀しいかな、叶えられることはなかった。 怪しい気配を察知したのを風鬼が伝えたのは、もうすぐ日が傾き始めるときであった。アヤカシではないところから盗賊であるのだろうが、待ち伏せをかけているようで詳しく調べるまでには至らなかった。ただそれでも、この荷物を通す以外の選択肢はない。そのまま進むといよいよ、盗賊の放つ威嚇のための矢が樽に刺さり、敵の出現と樽への揺さぶりという緊張が、周囲を包んだ。 「マジか!? マジでこれ盗むんか!?」 次々と姿を現す盗賊の表情を見、天忌は忠告したが、その叫びは空しく響くのみだった。金に目がくらんだものほど、話を聞かないものはない。筵を巻いて大事に運ばれる樽、はよほど魅力的に見えるらしく、盗賊たちは聞く耳を持っていなかった。こうなってしまっては、もはや開拓者本来の仕事である。これを運ぶのにどれだけ苦労したと思っているんだ。 誰とも言わず、開拓者は武器を手にした。そして、天花の神楽舞を起点として、鬱憤を晴らすかのごとくそれぞれが思い思いに盗賊へ飛びかかっていった。 「お前らの実力は、だいたい分かった。どうする?」 荷車を囲んでいる盗賊に、一足飛びで拳を見舞い、渓が問うた。開拓者たちを手伝うという選択肢もあったのだが、もっとも、手練の開拓者にその回答を示すためには、彼らでは力不足であるのは否めなかった。晶羽もサーベルは抜かずに、鞘をつけたままあしらっている。邪魔をするのならば容赦はしないが、こんな下らないもののために命を取るのも、ばかばかしく思えたからだ。大左衛門の懸念である、荷主の商売敵でもなく、槍で叩き伏せてしまえば、あとは命からがら逃げ出すのを見送るばかりである。いちばん大暴れしていたのは、決意も固い天忌であった。薄着で果敢に飛び込む様子はまさに鬼気迫るという形容がぴったりで、彼の雄たけびと剣技は、盗賊の樽への執着を断ち切らせるのに大いに貢献した。 大勢は戦う前から決していたようなものであるが、しかし、数に勝っていた盗賊は(開拓者から見れば)とんでもない暴挙に出た。功名心にあふれるひとりの仲間が、剣戟の隙を突いて樽を奪おうとしたのである。持ち運べるものでないので、積み荷を暴き、そこから移し替えて少しでもくすねようとしたのだろう。 「思い違いとはいえ‥‥滑稽だな」 渓はそれを止めることもできたが、どうなるか面白そうなのでそのままやらせることにした。縄をほどき、筵を剥がして蓋をこじ開け、中身を確認した彼は――中空のある一点を、誰かに見られているのを見返すかのように見つめ直した。彼は中身が、酒か味噌だと本気で思い込んでいたようで、しばらくの間事情が理解できず、荷車の上で立ち尽くしていた。 「下肥を奪いに来る盗賊がいるなんて、初耳ですよ? 普通いませんよね?」 ペケがその瞬間を逃さず、飛び上がって彼に手刀を決めた。それに追い打ちをかけるように、荷車に登った倫太郎が――彼の頭を樽に押し込み、肥に沈めた。 「人の荷を奪おうだなんて、反省しなさい、反省っ」 彼らが人の話を聞いていれば、あるいは、彼らにもう少し運があれば、こうはならなかったのかもしれない。 頭からかぶった臭いがひどいこともあり、残った盗賊は手伝いとしては役に立ちそうもなかった。荷物はほぼ無事であったが、次に何が起こるのかと天忌は戦々恐々である。風鬼が何も伝えてこないことが開拓者にとっていちばんよいニュースなのであるが、またしてもその希望は崩れ去った。 「たくさんです。あれは手に負えませんな」 「もふらさまの群れ、ですか?」 天花の確認に、風鬼は頷いた。街道を、もふらの群れが占拠しているとのことだった。普段からなにごとか考えを巡らせ、誰かの度肝を抜こうとしている彼女ではあったが、これは機転だけではどうしようもない。その風鬼が対処できないほどのことであるから、天花はどれくらいのものか考えると気が滅入ったが、実際に見てみると、その光景には一同目を見張るばかりだった。 「そんな馬鹿な‥‥」 あまりの光景に、倫太郎は肩を落とした。放牧中のもふらが100頭近くい、円形の密集した群れがなぜか街道を完全に塞いでいた。休んでいるのか食後なのか理由は定かではないが、それらが全員、これっぽっちも動こうとしないのだ。10頭程度なら荷車のときのように根気よく話しかけて説得すればいいが、群れの数はその比でない。また、動くまで待っていては日が暮れてしまう。このまま荷車のことも忘れ、もふらにまみれてもいいかなとも思えたが、彼らは残念ながらそうはいかなかった。 もふらを追い払わなければならない。大量に、しかも穏便に。 このときすでに、焦燥する開拓者の頭の中にはある解決法が浮かんでいた。しかし、実際にそれをしていいのかどうか判断するのには多少の時間を要した。特に天忌はそれを拒否し、やるんだったら自分以外で、という主張を最後まで翻さなかった。しかし、彼らの疲れきった頭ではこれ以上に最善の方法を思いつけず、また街道でない場所を迂回するのも地面が柔らかく、時ここに至って非現実的であった。もちろん、暴力を振るうのは御法度である。 「邪魔、片付ける」 会議の締めくくりに、ため息をつくように発せられた晶羽の一言をきっかけにして、みたび樽の封印は解かれることとなった。ただし、蓋を開けただけではもふらの反応が鈍いため、今回は『お供え』をするのだ。箒のように小枝を数本束ね、樽の中に浸してもふらにお持ちすると、発想の転換というか当然の帰結というか、これまで押しても引いても動かなかったもふらが嫌々ながらも重い腰を上げ、動き始めた。見る人によっては嫌がらせに近い行為ではあるが、この樽の中の災害そのものを、そこらじゅうにぶちまけるよりは格段にましである。それに、7人がかりならば、もふらの群れを効率的に動かせそうだった。 「いわゆる小枝の肥、だスか‥‥?」 自分たちはいったい何をしているんだろう? 一抹の罪悪感を感じつつ、大左衛門はつぶやいた。枝から地面に滴ったものが牧草の養分になるので、これで埋め合わせできる、というのがせめてもの償いだった。今後もふらに嫌われたりしないかどうか、というのが不安ではあったが。 群れを街道から退け、最後の一押しで目的地の街に樽が届けられたのは日暮れを過ぎてからだった。河岸の指示された場所で荷主を捜すと、どうやら商人でも農民でもなく、北面志士のようだった。下肥を志士がいったい何に使うのか一同訝しがったが、訊いたところで教えてくれそうにない。農家への配給ということも考えられるが、別の用途があるとしたほうが自然である。 志士にありがちな堅苦しい検収のあと、荷主は最後に、樽を地面に下ろすよう伝えた。これで引き渡しは完了である。この後はこの町でみな思い思いに休むことにしたため、気が抜けていたらしい。荷物を下ろす際、樽から中身をこぼすことはなかったが、ペケはふんどしの端を樽の下敷きにしてしまった。その事実を知らずに彼女は歩き出し――開拓者たちが気づくまでには、しばらく時間がかかった。 |