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■オープニング本文 祁瀬川家の松の内は、その家中の印象から世間が考えるほど、慌ただしいわけではなかった。 とはいえ、のんびりと仕事を休むような余裕がないのは確かであり、当主・祁瀬川景詮は今年も例にもれず評定をきっちり年頭に開いている。さりながら城内に穏やかな時間が流れる理由は、それから年中働きづめになる事態を避けるという口実で、景詮自身が芹内王に挨拶言上にまかりこすために仁生へ赴くところにある。その当主不在の間が、鬼の居ぬ間に洗濯よろしく、ひとときの安寧が領内に訪れるときなのだ。 鬼の居ぬ間、とは人聞きは悪いが、もちろんこの事実上の休みについては景詮も当初から織り込み済みであった。他方で領内へは、有事に対応するために部下をことごとく残してあることから、景詮の道中はいち領主のものとは思えないほど、簡素なものである。 久賀綾続は、あるじのいない城内で、一通の手紙を眺めていた。当家の伝統とも言えるいつもの正月の過ごし方だったが、そのどこにでもあるような手紙が、今年の恒例行事を様変わりさせる原因となった。 「おう、どうなされたか」 呼び出しを受け、小槙元綱が彼の部屋を訪ねた。仕事の話か、と元綱は思ったが、面と向かっても綾続がそれらしい素振りを見せないため、彼は呼び出した意図を測りかねていた。 「これを読んでくれ」 「なんですかな」 手元の手紙を、綾続は元綱へと手渡した。それをひっくり返し、元綱が裏書を見ると、ただ一言『石鏡ざらめ〇壱五八匁納入の段』とある。しっかりとなされていた蝋付けの封は綾続が開けたというから、覗かれた心配はなさそうだ。 しかしその内容は、家臣の注目を集めたにもかかわらず、景詮を正月休みに息抜きさせてはどうか、という他愛のない提案だった。賛同するのはやぶさかではなかったが、この外野からの唐突な申し出に、元綱は首をかしげた。 「――これは、たまには、という心遣いで?」 「うむ、今なら開拓者に頼めるだろうからな」 アァ、成る程。考えを巡らせ、元綱は納得した。ここ半年で、祁瀬川家と開拓者ギルドとの心理的な距離は大きく縮まっている。これももとはアヤカシや盗賊団などの騒動が原因であるが、騒ぎが収まってからは、評定で言及されたとおりかえって望ましい方向に影響が現れているといえた。 開拓者たちには、綾続も元綱も、もちろん景詮も、今年も折につけ仕事をしてもらおうと思ってはいたが、新年早々はいささか不躾ではあるかもしれない。とはいえ、景詮が壱師原の外へ出る機会など、年頭の挨拶以外には考えられなかった。背に腹は代えられぬ、というわけである。 「まあ、悪い話ではありませぬな」 元綱は頷いた。他の家臣もおおむね反対はすまい。旅にかかる費用はもちろん私費ではあるが、それ以前に、これを景詮自身にお伺いを立ててしまっては雷を添えて却下されることが目に見えていたので、根回しのうえ秘密裏に開拓者ギルドへ依頼された。目的地は神楽の都、開拓者のお膝元ならば不安はないというわけだ。旅程については何の条件も付さなかったため、良く言えば一任、悪く言えば丸投げである。 |
■参加者一覧
風雅 哲心(ia0135)
22歳・男・魔
水鏡 絵梨乃(ia0191)
20歳・女・泰
羅喉丸(ia0347)
22歳・男・泰
村雨 紫狼(ia9073)
27歳・男・サ
赤鈴 大左衛門(ia9854)
18歳・男・志
モハメド・アルハムディ(ib1210)
18歳・男・吟
長谷部 円秀 (ib4529)
24歳・男・泰
袁 艶翠(ib5646)
20歳・女・砲 |
■リプレイ本文 神楽の都とひとくちに言っても、それなりの広さがあり、数日のうちに全てを見て回ることは難しい。そのため依頼人は開拓者の力を借りようとしたのだろうが、開拓者だからとて神楽の都の全てを知っているか、というとそういうわけでもなかった。 案内する相手を迎える前に、開拓者たちは打ち合わせを行ったのだが、特段これといった施設は、実のところ話題に上らなかった。もともと歴史も比較的新しい街であるため、定番の観光地はないに等しいのだ。ただ開拓者という立場からすると、普段の生活では見られないような場所を訪れることも確かであり、それならそれらを中心に案内しよう、という流れにはなっていた。 「神楽の都って、実はと言うと、おばさんもじっくり観光したことはないのよね」 袁 艶翠(ib5646)がぽろりと本音をこぼした。仕事場、という意識が強い開拓者特有のものかもしれなかった。もちろん、それは彼女に限ったことではない。 「そうですね、私たちももう一度ゆっくり見るのにいい機会です」 客人をもてなすには、自らも楽しまないと――長谷部 円秀 (ib4529)はせっかくの機会を有効に使おうと考えていた。彼は見所を探すため、紹介しようと思っていた場所を先に下見しておいたのだが、今まで気付かなかった点に気付かされ、逆に自分が観光している気分になったものだ。 場所の選定に難航はしなかったが、それ以外について、村雨 紫狼(ia9073)には腑に落ちない点が多かった。 ――堅すぎんぜ、これ。 確かに相手はどこぞの領主であるから、社交上気をつけなければならないことが多いのはわかる。しかし、それを恐れていては、道中何も会話できなくなってしまうかもしれない。はたして、それを『楽しませる』とか『もてなす』と言うのだろうか? 失礼を承知で、飛び込んでいかないと。 そうやって開拓者が頭を悩ませているころ、当の祁瀬川景詮は珍しく、自分を案内する久賀綾続の後ろ姿を見ながら、困惑していた。 観光を楽しんでこい、とはどういう風の吹き回しか。気遣ってくれるのはありがたいが、そこまでしてもらわなくても問題ないというのに。そもそも当主の座に着いた時点でそれは諦めていたので、いまさら与えられてもどう扱っていいか困るのだ。 景詮は結局、自分だけが休んでいるのも気に食わなかったので、祁瀬川家の蔵に保管してある味噌と糯米を領民に振る舞うよう指示はしたが、それで落ち着くまでは至らなかった。もちろん、そのまま開拓者たちと面会することになったので、居心地の悪さも大差なかった。 「明けましておめっとさンだス、壱師原の殿様」 「――ああ」 最初の挨拶は、顔見知りである赤鈴 大左衛門(ia9854)がつとめたが、みな立場の差を意識してしまい何ともぎこちない。後は頼みましたよ、と付き添いの綾続が退出すると、ますますその雰囲気が強まってきた。そもそも付き人さえ、あるじの趣向を理解していないのだ。どうすればいいのか、全くの手探りである。 「そんじゃ、飛空船の時間もあるこったス、そろそろ――」 大左衛門が無難に場を取り繕おうとしたとき、見かねた紫狼が声を上げた。 「だああっ、オメーら堅い、堅いよ。マジガッチガッチだぜー? 頼むから誰かしゃべれっての〜!」 「ラーキン、ですが‥‥」 それなりにやんごとなき人物ではあるのだから、とモハメド・アルハムディ(ib1210)はたしなめたが、彼もこの空気を息苦しいと感じていたのも事実ではある。できるだけ穏便に済ませられれば、という彼の思いとは裏腹に、紫狼は同じくらいの背丈の景詮に、直球を投げつけた。 「おまえさんよぉ、なーんか見た感じ無愛想みてーだけどさ、やっぱ女の子のおしゃべりとか、実はすんじゃね?」 「女の子? この私が?」 景詮は、まるで自分がアヤカシと間違えられたときと同じくらいの突拍子のなさで、目を丸くした。 「そうだろ。カゲアキだっけ? ンな名前だけど、女の子じゃん」 そのままの表情で、女の子という台詞にしばらく想いを巡らせていたが、ふと口元が緩むと、景詮はやおら笑い出した。 「ふふっ――私が女の子か。いいじゃないか、面白い。ははは。とうの昔に捨てたと思うていたがな。あははは」 それがどう笑壺に入ったかはわからないが、『彼女』は次第に声を大きくし、開拓者たちの目の前で、しばらくの間笑い続けた。立ちながら腰を折り曲げ、腹を抱えるくらいの大笑いだったのだが、その笑い方は、ちょうどこの時期に吹きすさぶ木枯らしのように、冷たく乾いていた。 それからは、今までの堅苦しさが嘘のように、柔らかな雰囲気になった。景詮が饒舌に、開拓者のことや飛空船のことなど、あれこれと訊いて回るようになったからだ。飛空船のことについては円秀がそつなく答えたが、質問を勘案してみると、後学のためもあるだろうが、単純な興味によるところの方が大きそうだった。 飛空船が神楽の都に到着すると、開拓者による観光案内は、早速開始された。 まずは、飛空船が発着する港にほど近い、また別の『港』である。ここには開拓者の朋友が羽を休めており、もちろん皆の朋友も例外ではなく、モハメドと円秀が案内することとなってはいたが、皆の相棒たる朋友を順番に紹介する運びとなった。 「――壱師原には、龍はいないんでしょうか?」 円秀の問いに、景詮は頷いた。壱師原の現在の経済力では龍を養えるだけの余裕はない、というのがその答であるが、景詮の興味は壱師原の国力よりも目の前の朋友に向いていた。 「ヤー、個性的な相棒をもつことが、開拓者は多いですね」 さまざまな朋友の厩舎を回りながら、モハメドが注釈してゆく。その中でも景詮の気を惹いたのは、他でもない人妖であった。おなじく人妖を相棒とする羅喉丸(ia0347)が、その様子を見かねて声をかける。 「‥‥おい、どうした」 「何だ?」 景詮は何でもない素振りだったが、その目つきはまるで食い入るようでもあり、景詮のそばにはあまり置いてはいけないものであることは、その場の全員がうすうす感じるものであった。 「変なものでもあったか? さっきからずっと見ているだろう」 「そんなことはない。見始めたばかりだ」 「ラ、ラ、だめです景詮さん。他の予定もありますから」 一同の説得にもかかわらず、景詮はその後しばらくの間、人妖の前から離れようとはしなかった。ここでしか見られないから、というのがその言い訳だが、その虜になって壱師原を質に入れられては開拓者も困るので、ここは景詮に涙を飲んでもらうしかない。 港をあとにし、神楽の都の目貫通りへ向かう前に、紫狼の提案で一行は着物屋に寄っていくことになった。彼に言わせると、参勤の時の狩衣や普段の直垂は、ここ神楽の都にはあまり似合わないらしい。もちろん、着物と言っても帝国風のあつらえで、ここは艶翠と水鏡 絵梨乃(ia0191)に見立ててもらうことになった。 方針は、景詮の年齢よりもやや低めのものとした。最終的には景詮の体型に合うものをいくつか買い上げたのだが、帝国女中の着るお仕着せを意識した上下一式を身につけたときなどは、その長身をきつく締め、輪郭をはっきり際立たせるような格好になってしまい、道徳的な問題から冗談でも笑えなくなってしまった。ただ、そういった騒ぎはあっても、景詮は嫌な顔ひとつせず、かえって楽しんでいる風さえ見せていた。 余所行きの装いに着替えたあとは、開拓者御用達の万商店へと一行は繰り出した。羅喉丸の緻密な根回しのおかげ(朝廷や開拓者ギルドの重鎮すら念頭に置いていたのだ)で、優先的に商品を見せてもらえる手筈がすでに整えられていた。領主たるもの、見聞は広くなくては。羅喉丸に抜かりはない。 万商店の客足はほとんどが開拓者ではあったが、その活気が天儀屈指のものであることは紛うことなき事実である。 「壱師原も、活気が出るといいですね」 人混みを眺める景詮に、円秀がぼそりと言った。景詮は、ああ、と小さく答えただけだった。壱師原の干拓事業が成功し、たとえ人口が増えたとしても、これには遠く及ばないだろう。これくらいの活気を見せるときは――出陣のときしかない。 最初景詮は、自分の屋敷に勝るとも劣らない大きさの『武器庫』にただただ圧倒されるばかりだったが、帝国や泰国の舶来品、宝珠の埋め込まれた綺羅星のような武具を前にすると、また食い入るように眺めていた。そのなかでも、銃の品揃えは、景詮のお気に召したようだった。 「あたしはやっぱり長銃でなるべく長いのがいいけど、祁瀬川さんはどうなのかしら?」 品定めする景詮に艶翠が訪ねると、返ってきたのは意外な答えだった。 「造りやすい方がいい。お主らのような開拓者でのうても撃てる、もっと簡単なものだな」 自分が使うことを前提としていない返答に、領主ってこういう考え方をするんだ、と艶翠は思った。ただ何のために使うのかは、彼女はそれ以上考えを巡らさなかったが。 「何か気に入ったものがあれば、記念に買っていったらどうだ?」 風雅 哲心(ia0135)の勧めもあり、景詮は精巧な象眼が施してある短銃を選んだ。壱師原でよく見られる火縄式のものでなくて、それよりも進んだ燧石式のものだった。 「そんな小さな銃でいいのか?」 「うむ。帝国の銃はどれも肩当てがあるだろう。あれが邪魔でな」 銃床があった方が楽に撃てるのではないのか、という哲心の問いには、甲冑を着けていると使えない、とのことだった。ふうん、そうなのかね、と彼は訝しがったが、試しにと頬付けで銃を構えている景詮は、なるほど板に付いているようだった。 艶翠はまた、鍛冶屋も案内した。武器の改造をおもに担っている場所だが、緊張感が漂っている。 「武器を強くするのに改造もいいけど、日々の手入れも大切なのよ。いいものでも、扱いが荒いと――」 彼女は鍛冶屋の片隅に大量に積み重なっている、くず鉄を嫌々指し示した。 昼食は哲心の選んだ、安くて美味しいと評判の軽食屋を案内した。ここは開拓者だけでなく、市民も多く利用する人気の店である。彼は景詮が、しきりに開拓者という存在を意識していることが気にかかってい、注文の品が到着するやいなや、単刀直入に始めた。 「これが庶民の味、ってやつだ。いいか景詮、あんたは開拓者開拓者とよく言うが、俺たちは決して特別な存在じゃない。食うものや食いに行く場所も、他のやつらと一緒さ」 彼にしてみれば、領主という存在の方がよほど特殊である。出来合いの昼食を飲み込みながら、哲心は続けた。 「仕事上、市井の人から学ぶことも、意外と多いんだ。あんたはどうだい?」 景詮は怪訝な顔をした。その瞳の奥に映っていたのは、これまでの十数年、人の上に立つべきものとしての教えを受けたことからくる、そんなことがあるのかという戸惑いであった。この壁がもし取り払われるようになったとしても、一朝一夕で済まされるものではなかった。もし景詮が領主でなくなれば、その限りではないのかもしれないけれど。 昼食を十分食べ空腹を満たした一行ではあったが、午後は食べ歩きをすることになってい、まずは絵梨乃が名乗り出た。 「さて、ボクのお薦めは‥‥こっちこっち」 目貫通りから細い路地を分け入って、ひっそりとした裏通りにその甘味処はあった。甘味処とはいえ、提供しているのは豆かんただ1種類である。絵梨乃の話によると、神楽の都で始めて豆かんを供した店とのことである。到着したときには、ちょっとした行列ができていたのが景詮には驚きだった。ものを食べるのに並んだことなどなかったからだ。 「そのへんの蜜豆と違って、ここはお豆が美味しいんだ」 彼女の言うとおり、柔らかく炊けた赤豌豆と黒蜜の味がほどよく混ざり、控えめで上品な味わいとなっていた。寒天の清涼感が加わったこともあって、甘いものはそれほど得意でない(辛党なのだ)景詮だったが、これなら飽きずに食べられる、と太鼓判を押した。 「ここ、初めての人間には見つけるのが難しいんだぞ」 「そうか――借りを作ってしまったな」 ちょっと得意げに、絵梨乃は話した。 「また来るかい?」 「ああ、気に入ったよ」 甘味のあとは、モハメドがお茶の店を案内してくれるという。しばらく神楽の通りを右に左に歩いていると、天儀風でも、帝国風でもない建物がちらほらと見られるようになった。すれ違う人々も、見慣れない格好が多くなってきている。 「このあたりは、泰から来た人が多く住んでいますね。この先にカホワの店が――ナァム、あれですね」 彼の指差す茶屋は、天儀でも珍しい種類の茶に似た飲み物を扱う店であり、開拓者のちょっとした穴場でもあった。泰国の南方の土地からのみ採れる、特別な豆を煎って挽いたものから淹れられた茶のような飲み物で、独特の苦みと酸味、そして芳醇な香りがあるという。 「ヤー、景詮さん、いかがですか」 モハメドに、こんな飲み物は始めて、と景詮は珈琲豆の詳細を教えてもらったが、天儀のような『寒い』場所ではほとんど育たないとわかり、しきりに残念がっていた。水稲以外にも何か作物を育てられないか、そういう考えから景詮は尋ねたのだった。 「アーヒ、それは残念ですが、ここに来ればまた飲めますので」 「‥‥そうだな」 茶屋を出ると、日はだいぶ傾きかけていた。今日の日程の最後に、大左衛門は町外れの丘に登ろう、と言い出した。 「神楽の都が、一望できるんだスよ。初めて見たときは驚いただスからなぁ」 ふもとの神社で開かれていた酉の市を抜け、丘の頂上にたどり着くと、彼の言うとおり、広大な平野を埋め尽くす建物が、眼下に広がっていた。壱師原でもこうやって領地を俯瞰できる場所はなかったし、その上、その建物のひとつひとつにひとが働いていたり住んでいたりすることが、景詮はにわかに理解しがたかった。 「‥‥これが都というものか」 「そうだス。凄いだスよな」 ひとの集団を眼前にして、景詮の思考は自然と、神楽の都を統べる為政者に移っていた。いまは壱師原という地方を治めるだけの田舎領主ではある。もし、もしも仮に、この都――そしてこの天儀が自らのものになるとしたら、この下界の数多くのものどもに、いったい何をするべきなのか? 「――おーい、詮たん、日も暮れるし、考えごとしてると置いてっちゃうぞ」 一瞬自分の事とは思わなかったが、紫狼に呼びかけられ、景詮は我に返った。熟考の間にだいぶ時間が経っていたらしく、太陽は夕日となって西の地平へ近付いているところであった。 大左衛門と羅喉丸が、首尾よく宿を手配しているとのことだ。景詮は一瞬表情が普段通りに戻りかけていたのを抑えて、開拓者のあとを追っていった。 神楽の都がまた、ひとびとを抱いたまま、眠りにつこうとしていた。 |