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■オープニング本文 菜乃花屋政種は悩んでいた。目の前の商品に、である。 商いの理論としては、舶来のものは人々の需要が測りかねるため、常に不良在庫を抱える危険を伴う。だから本当のところ、彼はこの商品は仕入れたくなかった。仲買人の意見も意に介さないつもりでいた。 しかし彼にはひとつだけ誤算があった。まだ16になったばかりの一人娘、緋夏がこれを売ろうというのだ。近頃の彼女は商いに対して頭角を現しはじめ、そのあふれる商才を垣間見せることもしばしばあったが、いくら彼女のひらめきがすばらしかろうとも、こればかりは彼は賛成できなかった。 そもそも、彼が娘に対して期待することは商売の手伝いなどでなく、いい跡取りを捜し出してくること、この1点のみであった。いまどきその考えはいささか封建的かもしれなかったが、しかし先代である政種の父は、彼が今の緋夏と同じ歳に卒中で死んだ。今年で政種は齢42を数えようとするが、彼に残された時間もまた、もう長くないかもしれないのだ。父親の目から見ると、菜乃花屋の暖簾を後世に伝え残すためには、緋夏の実力では、たぶん、力不足だった。 「無理だよ、これは。売れないよ」 仲買人との商談の際、彼はため息とともに緋夏に伝えた。彼女はそれを聞くと、父親にきっと向き直って、言い放った。 「これは重要な商機なの。これを逃すと、後れをとっちゃう」 「そうは言っても、この値は張るぞ」 彼は粘り強く反論した。政種が乗り気でない理由は、舶来品だからという理由だけではない。そもそもこれが、2月の14日という特別な日のためにあつらえた商品だというのだ。1年で1日だけしか使えないものでは、売れ残りはすぐ値崩れしてしまう。それに、元々の単価も、神楽の都で手に入るお菓子としては、かなりの高級品なのである。 「だからこそ勝負に出ないと」 緋夏はそれを聞いてもひるまなかった。政種はあれこれと、彼女を説得しようと試みたがことごとく失敗した。筋の通った意見ならば、いつもの彼女であれば素直に容れるはずだったのだが、今回は勝手が違っていた。彼が、これほどまでに頑固な自分の娘を見るのは、初めてかもしれなかった。 はたして、店の倉庫にはくだんの品物が運び込まれた。政種は、理由はともかくとして緋夏がこれを売ることに拘っているのではないか、と考えるようになっていた。この商品に何か特別な意味でもあるのだろうか、と頭を捻ってみたものの、そもそも舶来品の知識など彼の頭に入っているはずもなく、それはやはり、彼女自身に尋ねてみるほかなかった。――残念ながら、彼にはできなかったが。 このような場合、親の心子知らず、子の心親知らずといえるかどうかはわからないが、緋夏は父の頭の鈍さにほとほと手を焼いていた。歳暮や中元など、特別な行事にかける品物選びがいかに重vなのかは、十分わかっているはずなのだろうけど、彼は、前例がないものを警戒しすぎるのだ。神楽の都の商店街を通り過ぎながら、彼女はひとり、戦略に余念がなかった。 それにしても、緋夏は思った。政種はまだ、自分の先生のつもりでいるらしい。それが彼女のお気に召さないところでもあった。あの人は自分が正しくて、わたしが間違っているのだと信じて疑わない。その甘い考えをぶちこわしたいとも、彼女は考えていた。 しかし、そうであってもやはり彼女の関心は、その日の行事そのものに向けられていた。政種がわからなかったそれは、女性から男性へチョコレートを渡すという、ごく簡単な行為に秘められた想いである。しかし、それが年頃の男女にとっては、今後の人生を左右するかもしれない運命の1日であることには微塵の狂いもない。その巡り合わせに、自分が手を貸すことができるとは、なんて喜ばしいことであろうか。 彼女がやたらと意気込んでいるその理由は、仕入れたチョコレートにあった。帝国産のものは天儀の都でもよく見かけることができるが、これは帝国秘伝といわれる『惚れ薬』入りなのである。もちろん、政種に言ったところで信じるわけなどないだろうから、緋夏はそのことを伝えていない。 彼女は梱包から、きれいな桃色の包み紙で包装された商品をひとつ取り出し、中身を開けつまみ食いした。――美味しい。口の中に溶ける味はいわゆるチョコレート以外のなにものでもなかったが、彼女の胸は熱くなり、眉間と鼻孔のあいだで、なにか高揚した気持ちが溢れるような気がした。 菜乃花屋にとっても、きたる2月14日は運命の1日になるであろう。彼女は万全を期すために、最後の手段として、開拓者ギルドの門を叩いた。 |
■参加者一覧
十野間 月与(ib0343)
22歳・女・サ
ティア・ユスティース(ib0353)
18歳・女・吟
十野間 修(ib3415)
22歳・男・志
長谷部 円秀 (ib4529)
24歳・男・泰
如月 太一(ib6171)
20歳・男・サ |
■リプレイ本文 菜乃花屋の倉庫で、開拓者の前に現れた菜乃花屋緋夏は、その隣にいる父親とは対照的に、自分の商売に対する意気込みを存分に見せつけていた。彼女は、商品の内容から数量、価格など、子細に至るまでてきぱきと説明をこなしていった。 商売人として、開拓者たちからは何の問題もないように見える緋夏だったが、それでも父親はいい顔を見せないようだ。彼女の説明が終わった後、脇に控えていた彼は口を挟んだ。 「おまえ、ギルドの方々にまでこんなご迷惑を‥‥」 ご迷惑という単語に、緋夏は過敏に反応した。 「あのねえ。これは正式な依頼なの。わたしが、開拓者さんにお願いしたんだから」 「――報酬もおまえが出すのか?」 「あたりまえでしょ。子供の遊びだとは思わないで」 これまでにも、緋夏には手伝いをしてもらった報酬としての給料は渡してきたのだが、それを自分の商売のために取っておくということは、政種には思いもよらぬことである。加えていつになく威勢のいい啖呵を切られ、政種は何も言えなくなってしまった。その様子はまるで、今まで半人前扱いされ溜まりに溜まった鬱憤を、一挙にぶつけているかのようでもあった。 「だから、ここはわたしに任せて。ね、お父さん」 お父さん。最後の最後にだめ押しの呼びかけを食らい、とうとう政種は白旗を揚げた。いつの間にか、親の扱いが上達しているような気がした。彼は、こんな感じで跡取りを連れて来てくれればなあ、とは思ったが、そこは政種も商売人である。ぐっとこらえて、取引をきりだした。 「わかったよ。ただし、売れ残りが出たら‥‥そうだな、お見合いをしてもらおうかい」 もちろんふたりの間に流れる血は争えないようで、緋夏はひるまない。 「はいはい、どうぞ好きなだけお相手、探してください。どうせ売り切りますから無駄ですけど」 そろそろ泥仕合の様相を呈してきたようで、如月 太一(ib6171)が素早く割って入り、ふたりをなだめた。この親子については、相性がいいのか悪いのか、すぐには判断できそうもない。いがみ合ってほしくはないが、どうして、こう‥‥。 「まあまあ、落ち着いて。娘さんの商いにかける情熱もわかります。どうでしょう、ここはひとつ、わしらに任せてもらえませんか」 続いて、ティア・ユスティース(ib0353)が不安を和らげるよう働きかける。 「バレンタインデーについては、私たちがよく理解しています。神楽の都の人々も、この日の大切さをきっとわかってくれるはずです」 政種の心の中では、商品が売れてほしい気持ちと、売れずに緋夏が商売から手を引いてほしい気持ちとのせめぎ合いが続いていた。ここは開拓者に諭される形となって、政種は矛を収めたが、店へ去る彼の後ろ姿からは、まだ納得がいっていないように見受けられた。 ともかく、倉庫に残されたのは開拓者たちと緋夏だけになったので、2月14日を迎えるにあたっての販促会議がとりおこなわれた。しばらくの間、あれこれと案を出しては消しを繰り返し、具体的な戦略としてまとまったのは、もう日も暮れかけた頃であったため、5人は明日からがんばろう、という緋夏の呼びかけに応じ、この日は解散となった。 翌朝、開拓者たちは戦闘に臨むというまでにはいかなかったが、それなりの気合いを抱いて、菜乃花屋へ参集した。 サクラ用の衣装や小物をわざわざ持参した明王院 月与(ib0343)には、つい熱が入ってしまう緋夏の気持ちをよく酌んでいた。年頃の女の子にとっては、些細なこと――例えそれが外国の言い伝えからきた新しい行事であっても、想いを実行に移せる機会が必要なのだ。それに、このような機会は、少なすぎても、多すぎてもよろしくない。だから、他に大きなことのない2月には、かえってふさわしく、合理的なのである。そういう判断もあり、この依頼を手伝うことにしたのだった。ただし、彼女がこの依頼へ対して思うところは、また別の場所にあるのだけれど。 その主な場所である十野間 修(ib3415)は、依頼の話を聞いて当初驚いたものだ。売り子や営業では、志士としての実力など見せられるわけがない。ただ、昨日の会議で恋人役のサクラを、と決まったときに、月与がなぜ自分を依頼に誘ったが見え、事情が飲み込めた。 そういうことなら――と、彼はひと思案した。提案に乗るだけでは面白くないから、もっと工夫を凝らしたものにすべきだろう。それが相手を驚かせても、売り上げにつながるのならば問題ないはずだ。そう考えると、彼の口元は自然とゆるんだ。その笑みは、いたずらを思いついたときのそれと、大差はなかった。 この依頼は、長谷部 円秀 (ib4529)にとっても滅多にないものだった。それだけに、ぜひとも成功させたいという想いも強く、チョコレートという食べ物だけでなく、バレンタインデーという舶来の習慣を、天儀に根付かせることも目標のひとつとして捉えていた。いつの時代においても、新しい風は必要とされているのである。 その新しい風のため、開拓者たちは計画を実行しだした。まずは店に並べる看板や張り紙、陳列する棚などの製作からである。これは商品をおもに誰に買ってもらいたいかを決める重要な要素であるから、当然、若い女性向けということで決定された。 それに従い、看板から値札、台の敷き布にいたるまで統一された色彩――桃色を基調とした春を思わせる色合い――を使い仕上げていく。また、店頭に立てる幟は修が恋愛譚を絵巻にしたものを柄に選んだ。製作自体はおおむね順調であったが、たまに太一が『桃色はラブラブの色』『チョコは溶けやすい方がいい』などと、柄にもないことをつい口にし、それが開拓者たちの笑いを誘った。 こうして、店頭で売り出せるようになった頃には、当日まで残すところ1週間程度となっていたが、これから、どれだけ周知できるかが鍵となる。幸いなことに、菜乃花屋の知名度は神楽の都でも割と高く、刷り上がったチラシは配れば配るほど、それだけの反応が返ってきた。 「14日のバレンタインデーを知っていますか? 思い人へ感謝の気持ちを込めた贈り物に、菜乃花屋のチョコレートはいかがでしょう」 「14日、ねぇ‥‥」 チラシ配りを担当した円秀は、それに加えて商品を試供品として配ることもし、客を呼び込むことに貢献した。まだ完全にチョコレートが普及していない天儀においては、味を覚えてもらうために、試食してもらうのが一番の近道のうちのひとつであろうことは、想像に難くなかった。 一方で、神楽の都へ繰り出した月与と修のふたりは、2月14日が差し迫ってくるのに連動してひと芝居ぶち、チョコレートの効能(?)を衆目の元へ、白昼堂々と見せようとした。 彼女の用意した衣装は3種類で、それと整合するように店の展示も変えるという、徹底ぶりである。もともと、サクラ自体さりげない演出なので、同じ芝居を2回見られることのないように、場所も時間帯も周到に変えることは欠かさなかった。 菜乃花屋の前、茶屋や甘味処、あるいは目抜き通りのど真ん中で、その仲のよさを発揮するふたりは、やはり目立つものである。『過去に同じチョコレートを贈って結ばれた』、『チョコレートを食べて仲直りする』、『初めてチョコレートを贈ったらとんとん拍子に進展する』、などと趣向を凝らした設定を披露したが、その最中に修がやたら積極的に抱きしめたり、口づけしたりするのは月与にとっては予想外だった。衆人環視のなかそういうことを行うのはこの上なく恥ずかしかったが、それでも彼女にとっては、嬉しいものであったことはいうまでもない。 時をほぼ同じくして、ティアは持ち前の歌声で、チョコレートの売り上げを伸ばそうと、街角を渡り歩いていた。その歌詞に巧みにチョコレートを織り交ぜ、2月14日はそういう日であると印象づけるためである。 『これは、恋するある乙女の物語。民の安寧を願い、おのが幸せを捨て、騎士の道を選んだひとりの姫なり。いつしか心に姿を宿し人、彼を想えば胸高鳴り、頬染まる。されど幾多の戦場を駆けし勇猛なる戦乙女も、その想い、告げる事叶わず』 その歌はジルベリアの女騎士の物語で、奥手の彼女がチョコレートによって結ばれたあらすじとなっていた。その中でも強調して伝えられているのは、自分の思いを伝えることが難しい場合に、チョコレートを渡すという簡単な行動に置き換えて(悪くいえば、便乗して)それを遂げるという、バレンタインデーの行事の趣旨である。歌の中では、それが『恋の精霊が届ける秘薬のチョコレート』とされており、それが今回売り出す商品にちなんで、またもうひとつの強調点ともなっている。街頭での歌ではあったが、聞き惚れる客もおり、持ち合わせたチラシは短時間のうちにはけてしまった。これは嬉しい誤算であった。 2月14日の当日になると、ティアはまた店内でも音楽を演奏し、買いに訪れる客の気持ちを高ぶらせた。『ためらわずに』『恋する気持ちを偽らないで』との彼女のメッセージが、その曲には込められていた。 街中ではふたりの小芝居を継続するほか、店内には円秀と太一と緋夏が、会計や呼び込みで大わらわであった。店外での呼びかけやチラシが功を奏し、神楽の都全域から菜乃花屋へひっきりなしに客が訪れていた。 その人手に負けないよう、ことさら太一は口上を張り上げていた。 「これ、そこゆく美女のかた。ばれんたいんでーにちょこれーとを贈ってみませぬか」 「このちょこれーとは効果てきめん! 家内安全に夫婦円満!――や、まだそれは早うござったか」 など、口々に効果を喧伝して店内に呼び込もうとしたほか、入りきれなくなった行列の処理なども、彼と円秀が交代であたっていた。店内に何人入ったかを具体的に数えられるものではないが、これくらいお客が訪れていれば、売り上げとしては上々となるはずである。できるだけ楽しもうと円秀は考えていたが、この混雑は、さすがにこたえたようだった。 夜になり、店を閉めて勘定してみると、はたして計画は大成功に終わった。そもそも、日が傾き始める前には在庫はほとんどなくなってしまったので、それ以前から結果は明白であった。緋夏の買い入れたチョコレートは、すべて想いを乗せるために新たな持ち主の手に渡り、すぐにその思い人の手に渡されたはずである。ここまできれいに売り切ってしまうとは、緋夏本人すら想像できなかった。開拓者に対し、彼女は丁寧に礼を述べた。 「ありがとうございました。おかげで、まだ商売を続けることができそうです」 「贈り物を胸に、不安と期待に心躍らせその日を指折り待つ‥‥贈る相手はいないかもしれませんが、緋夏さんもそれと同じ気持ちで、一生懸命売っていらしたんですよね」 本当は、緋夏も商売が続けられなくなることが、きっと怖かったに違いない。ティアの褒め言葉に、思わず彼女は照れ笑いを浮かべた。こうやって父親に褒められたことは、ほとんどないといってもいい。 お互いの苦労をねぎらっていると、話を聞きつけた政種がやってきた。彼は申し訳なさそうな表情で、自分の娘を商売人として、見くびっていたことを謝った。 「わかってもらえれば、それでいいの。はいこれ」 ばつが悪そうにしている彼に向かって、照れもせず娘は言い、そしてチョコレートを渡した。彼のためにひと箱だけ取っておいたものだった。 「試しに、食べてみてよ」 言われるまま、政種は包みを開け、4つ入りの丸っこいチョコレートをひとつ、ひと思いに口へ放り込んだ。 「――うまいね、これ。なんていう酒だい?」 当たり前のことかもしれなかったが、緋夏はまだ、酒の味を知らなかった。 |