おいてけぼり(氷)
マスター名:ほっといしゅー
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: 普通
参加人数: 5人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2011/03/09 21:34



■オープニング本文

「置いてけぼりにしていくぞ」
 彼が友人の台詞を聞いてから、すでに数刻の時間がたっていた。降り始めたばかりと思われた雪は、山の天気の例に漏れずすでに吹雪に近い勢いとなってい、日が暮れたかどうかも定かではない。辺りが薄暗くなってはじめて、彼は事の重大さに気がついた。
 今日、彼とその友人は、山あいの中程にある湖の真上で釣りを楽しんでいた。東房ではかなり雪の多い地域として知られるここへは、湖面に厚く氷が張り、冬場は穴釣りができるとあって、一部で足しげく通うものもあった。彼らもそのうちの一部である。
 気温が先ほどと比べて、明らかに下がっていた。友人の忠告に従い、早く帰ればよかった、と後悔してみても後の祭りである。片付けの合間、みるみるうちに暗くなっていくのを感じ、彼は慌てはじめた。釣りのさなかはけして物音を立てることのないようにしていた彼であったが、なりふり構わず道具をしまい、その寒さに頻繁に足踏みした。
 しかし、彼は自分の魚籠をのぞき込むことに関しては余念がなかった。遅くまで残っていたおかげで、今日の釣果は上々なのだ。まあ、これならいいかな。揚げ物、煮浸し、なます、といった、釣った魚のおいしい行く末を思い浮かべ、その忙しいそぶりとは裏腹に、彼の腹積もりは暖かく、顔には笑みを浮かべていた。
 早く山を下りよう、彼がそう思ったときだった。時折強く吹く風の音に混じって、釣りのために開けた穴からなにか音が聞こえてくるのに、彼は気づいた。
 釣り針は先ほど片付けたため、魚がかかったということはあり得ないはずだ。だが、もし魚がすぐ近くまで寄ってきたとすれば――ほぼ暗闇に近くなっている湖上で、彼は、いるかな、と穴をのぞき込んだ。
 のぞき込んだ彼の頭を、穴から飛び出したなにかが掴んだ。掴んだ、というよりは包み込んだ、といった方が正しい。彼にはわからなかったが、それは不定形で、どす黒く色がついていた。暗がりの中、やっとの事で保っていた彼の視覚はそれで途切れ、もう光を見ることはなかった。最期の悲鳴すら、閉じられた中でくぐもって響くだけで、雪と風の音にほぼかき消されてしまった。
 そのすぐ後、とんでもない力で、彼は穴へ引き込まれた。引き込まれる際、氷の穴の径が彼の身体で押し広げられる割合より、穴の縁で彼の身体が削り取られるか、氷となにかで彼が潰されるかした割合の方が多かった。そのため、彼が穴を通り抜け、水中にいるなにかの眼前に姿をさらしたときには、彼自身は原形をとどめていなかった。
 次の日、彼が帰らなかったことを不審に思った友人が湖を訪れたときには、彼の姿はもはやなかった。穴から広がる亀裂とその周囲が、凍りついた血で鮮やかに彩られるのみだった。これはアヤカシの仕業に違「ない。このような経緯で、この湖は開拓者ギルドの知るところとなったのである。


■参加者一覧
橘 天花(ia1196
15歳・女・巫
ペケ(ia5365
18歳・女・シ
赤鈴 大左衛門(ia9854
18歳・男・志
琉宇(ib1119
12歳・男・吟
モハメド・アルハムディ(ib1210
18歳・男・吟


■リプレイ本文

 この時期になってなお、白銀の世界にはらはらと雪が舞っているのを見るにつけ、すでに春先が見え隠れしている、海岸沿いの穏やかな東房の風景が懐かしく感じられて、開拓者たちはあらためて、海の持つ影響力を思い知ることとなった。好事家たちの話では、冥越から来る冷たい風と、東の海から来る湿った風が相互作用し、ここに大雪を降らせるのだという。
 いくら釣り場までの道ができているとはいえ、この雪の量は異常だ、とこの場の誰もが感じていた。今は晴れているから、かろうじて道とおぼしき平らな連続する空間があるのが見える。ここからさらに雪が積もってしまえば、その道すらたどれるか危ういのだ。
「こンなところサはるばる来るなんて、ほんと釣りキ‥‥釣りが好きなんだスなァ」
 防寒具から顔だけを外に見せ、赤鈴 大左衛門(ia9854)はぼやいた。とはいえ、極度の釣り好きを身近に知っている彼には、その気持ちも少し理解できる。きっと今回の被害者も、三度の飯より釣りが好きだったのだろう。もともと危険な場所ではあるが、それでもその楽しみを無下に奪われていいはずはない。
 橘 天花(ia1196)はいまだに、依頼人から状況を聞いたときの衝撃が収まらなかった。氷上に残されていたのは血痕とわずかの肉片のみ。おそらく、の話ではあるが、それ以外はすべて、釣りのために開けた小さな穴から吸い込まれてしまったのだ。おしなべてアヤカシというものは人様に対してひどいことをするのだが、今回のようなやり口は、彼女は聞いたことがなかった。毛皮のもつ柔らかな印象とは対照的に、彼女の内心は憤っていた。
 くだんのアヤカシであろうものの惨さについては、ペケ(ia5365)は十分割り切ってはいたが、この身を切るような寒さについてはいかんともしがたかった。防寒着を着込んだ姿は、実質的にはなんの影響もないようだが、シノビの心理的にしっくり来ないのだ。こんどはもっと暖かいところの依頼がいいなあ、と思いつつ、彼女は前をゆく仲間の足跡めがけて、足袋を下ろしていった。
 開拓者たちが湖に到着したのはまだ日も高い頃で、冷たく流れる雪まじりの風さえなければ、この一面の銀世界が少しは楽しめたかもしれなかった。安全を確認し、一同は犠牲者の釣り穴を探そうとしたが、折からの積雪で隠れてしまったらしく、それらしきものは見あたらなかった。
「ヤー。みなさん、サラーマ‥‥安全なうちにとりかかってしまいましょう」
 釣りの状況から、アヤカシらしき存在が現れたのは夕方から夜半にかけてと思われるため、持ち寄った道具を用いて日中のうちに作業し、夜に備えることとなった。作業はモハメド・アルハムディ(ib1210)と大左衛門を中心として進め、残りの面々は念のため、アヤカシにすぐ対応できる体制をとりながら、ふたりを手伝うという作戦で合意をみた。
「おじさんを釣りの穴に引き込んだってことは、氷を破る力はないってことかな」
 防御用の壁を作るのに、琉宇(ib1119)は土嚢に(やっとのことで地面を掘り当てた成果である)土を入れながら、相手の予想をした。その意見には、大左衛門はやや懐疑的であった。
「どうだスかね。話によると、穴から無理矢理引きずり込まれたらしいだスから、その点では非力とは限らんだスよなァ」
 モハメドも大左衛門ももしもの時のために、命綱を腰に巻き作業にあたっていた。生死がかかわることであることだけではなく、もし生き延びたとしても、凍傷を負ってしまっては、その後の活動に支障が出るのだ。そのため、開拓者はここに来る前からであるが、防寒にはとくに気を使っていた。
 その一環として、アヤカシ察知のための結界を張るかたわらで、天花は焚き火の管理に余念がなかった。この火が、開拓者を窮地から救い出す最後の糸口となるかもしれない。そう考えると、彼女の薪のくべ方は自然と勢いを増していった。
 アヤカシの陰を気にしながらの用心深い作業ではあったが、工程はおおむね順調であった。開拓者たちの切り拓いた場所を一見すると、雪深い湖岸に、ちょっとした野営所ができたように見えた。雪よけの天幕と焚き火、そしてそれらを風からしっかり守る土嚢の壁。ほかに寝床さえ用意できれば、しばらくはこの場所に滞在できそうでもある。もちろん、アヤカシ退治だろうと釣りだろうと、この場の誰もがそれをしようとは考えていないのだが。
 足場が固まり、いよいよ開拓者たちは氷に穴を穿つ作業に取りかかった。ただし、穴は釣り用のものよりも大きく開けなければ、きっとアヤカシには手が出せない。琉宇が指摘したとおり、小さな穴から釣り人を襲ったのは、きっと本体ではなく腕のようななにかなのだろう。おびき寄せるか捕まえるかして、水面から顔を出させるために、開拓者は知恵を絞り出した。
 まず氷の表面に、鶴嘴を用いて丸く溝を掘る。次はその溝に数カ所、楔を打ち込みひびを入れ、最後に、柄を数本縦に伸ばした杵のような土木工事用の転圧機を用い、氷を一気に打ち抜くのだ。モハメドの作業を見、なるほど、と大右衛門は思った。確かに、北面の開拓地で、あれと同じものを使って堤防を均しているのを彼は見たことがある。かすかな記憶をたどると、人夫から、たこ、と呼ばれていたのを思い出した。
「いち、にーの、さんだス!」
 たこを2個使って、氷の両端をモハメドと大左衛門が同時に勢いよく叩くと、水に沈み込む音を立てながらその部分がきれいに抜けた。抜け落ちた氷を悪戦苦闘の末どけると、そこにぽっかりと、1坪くらいの円形の水面が現れた。穴から覗いて見える湖の奥は濃い藍色で、深さがわからないのが、なおさら不気味に感じられた。
「アーヒ‥‥まるで、ジャヒームのベルバブ、地獄への扉が開かれたみたいですね」
 アヤカシの気配は、幸いにもまだなかった。いったん、開拓者たちは集まって、開いた穴をしばらく眺めていた。
「ちょっと、それは縁起でもないですね」
「ラーキン、しかし‥‥落ちるとカタァル、危ないですよ」
 モハメドの比喩に対し、天花は苦言を呈した。落ちたときのことは容易に想定できる。だから余計、そういうせりふは耳に入れたくなかったのだ。
 退治に必須である穴も完成し、5人がすることは、日暮れを待つのを残すのみとなった。ここまでは何の問題もなく進んでいたが、日が傾くにつれ天候が悪化してきたのは、開拓者にとっては悪い兆候だった。日没を迎えるときには、すでにたいまつに火がともされ、5人とも簡易の野営地に篭もって夜を迎えた。
「さて、そろそろいいんじゃないかな」
 なかば吹雪いている中で気配を逃すまいと耳を澄ませいたペケが、作戦の開始を促す。横殴りの雪にめげずに開けた穴まで出向き、琉宇とモハメドは演奏を始めた。アヤカシに聞かせるための音楽だ。水中でもできるだけ音色が減衰しないように、琉宇はわざとリュートの弦をゆるめ、1段低い音階で奏で始めた。
 一同の縄張りに、それが足を踏み入れたのは、演奏が始まってからまだそれほどの時間は経過していなかった。天花の結界に、深いところで大きななにかがひっかかり、それが少しずつ、様子を確かめるように水面へ向かって浮上してくる。穴の縁から少し離れたところでは、囮として大左衛門が釣りをする振りをしていた。もちろん、足下には、水中からではわからないが、しっかりと槍が用意されている。
 はたして、それは大左衛門が気配を察知してすぐ、穴の縁に姿を現した。まずは前足を縁にかけ、次の瞬間全身を投げ出すように、氷の上に飛び上がった。
 巨体からくる印象とは全く逆の素早い動きに、大左衛門は危うく潰されかけた。かろうじて避け、振り返ってそれを見ると、それはまるで大きなあざらしのように見えた。ただ、それはあくまで見た目が似ているだけであって、赤黒くやたらぶよぶよする柔らかい身体であること、頭であろう位置についている口が円形に伸縮するものであること、腕が伸びて彼の足を掴んだことに気づくと、そんな気分はきれいさっぱり吹き飛んでしまった。明らかにアヤカシである。
 今回はしりもちをついただけで済んでいたが、もし、このとき大左衛門が命綱を身につけていなかったら、最初の一撃ですべて水中へ持って行かれてしまったか、大きなその口で食いちぎられてしまっただろう。本来は食肉の余った血を使って、できるだけアヤカシを穴から引き離す予定であったが、足首をがっちりと掴まれてしまっていたので、彼はこの計画を変更せざるを得なかった。それでも命綱のおかげで、すぐ体制を立て直し、彼は釣り竿から槍へと武器を持ち替えた。
 攻防は大左衛門の足首を中心とする、綱引きのような形になって行われた。天花がそれを応援するかのように舞を踊り、大左衛門の武器に精霊の加護が与えられた。そして大左衛門が至近距離で槍を突くのに対し、琉宇とモハメドは楽器による演奏で支援に徹していた。
 しばらくは一進一退を続けていたのだが、彼の足首がそろそろ限界に達しようとしていたとき、苦し紛れに力一杯突き通した槍の一撃が、アヤカシの口から入り喉深く突き刺さった。たまらず足を離したアヤカシは、危険を感じ水中に戻ろうとしたが、ちょうど刺さった槍が引っかかり通ることができなくなっていた。
 それを見た開拓者たちは、一気に攻勢へ転じた。ペケがあらゆる方向からアヤカシを斬りつけるさなか、大左衛門が引っかかっている槍を再び掴み、無理矢理に捻ったり捩ったりして、ついにアヤカシを穴の外へとねじりだした。
 水中では素早く動けたかもしれないアヤカシでも、こうなってしまってはまさに俎の鯉である。開拓者たちの勝利を最終的に決定づけたのは、モハメドと琉宇の絶妙の協和音による、重力を操る旋律であった。
 瞬間的に強烈な重力に晒され、アヤカシはその柔らかい身体を保つことができなくなり、みずから瓦解を始めた。瓦解と言うよりも溶解に近かったが、樟気を吹き出しながらぐずぐずと崩れていくさまは、ふたりの旋律にはっきりと手応えがあったことを示していた。
「足、大丈夫ですか?」
 その一部始終を見届け、けりがついたのを確かめると、天花は大左衛門を治癒するため駆け寄った。長時間にわたって掴まれていた右足首は、濡れたアヤカシに触られていたことと血流が阻害されたことでかなり冷えてはいたが、凍傷までには至らないようであった。それでも痛みは相当のもののようで、手当のため天花の手が触れるたび、彼は悲鳴を上げたり呻いたりしていた。
 開拓者たちが大左衛門の足が温まるのと、天候が回復するのを待っていた結果、夜半近くになってようやくその機会が得られた。月が顔を見せ、照らされた白銀の世界は青白く、また別の世界を眺めているようでもあった。
 帰り際、天花は麓で手折ってきた寒梅の花を穴に沈め、犠牲者を弔った。被害はあったものの、この湖の静かな秩序はまた、保たれるはずである。こういうところは、穴場のままひっそりと残された方がいいのかもしれない、釣りのことをあまり知らない彼女にはそう思えた。
 月夜の青白いしじまの中で、琉宇とモハメドが奏でる鎮魂の旋律だけが、静かに響き渡っていた。