|
■オープニング本文 神楽の都での出来事は、あるじが壱師原に帰還するとすぐ、家臣の知るところとなった。開拓者の護衛がなければ、おそらく大事に至っていたであろうことは想像にかたくなかったが、家臣団の反応は至って落ち着いたものだった。 実際のところ、誰があれを仕組んだかについては、家中のものには大方の予想はついていた。そのきっかけが、東房の情報筋からの提案ではあったのだが、東房の『彼女』よりはよほど、現実的に考えて可能性が高い。 もちろん、『彼女』が首謀者と内通していたと仮定しても、最初の襲撃が失敗に終わった以上、今後は警戒されてしまうことでその優位性は何も意味をなさなくなる。だから久賀綾継は、今後の指示を手紙に書く際、『彼女』に事件のことを知らせようとしなかった。この事件は『彼女』が首謀者と繋がっていなければ、もともと知らせる必要のないことであり(わざわざ知らせて負い目を作らせることもない)、また繋がっているとするならば、お互い知っていることが自明となるため、その話を出さないことがかえって明確な意志の主張となるのだ。 綾継は彼のあるじにそのことを具申した。あるじは事件のことなどなかったかのようなそぶりで、黙ったまま頷いた。 あづちは、足首ほどの深さまで積もった雪に悪戦苦闘しながら、丘陵地に向かっていた。 町医者の彼から紹介された老桜守の依頼で、彼の代わりに、もうすぐ春を迎える桜木の見回りと施肥を依頼されたのだ。桜守どのはこのところ長患いで、秋から冬にかけてはまったく、桜の元へは足を運べなかったらしい。 桜守どのいわく、木にもいろいろな病気があるとのことだった。典型的なものは、小さな枝が竹箒のように密集し、木を弱らせるもの。そのほかにも、根に大きな瘤ができたり、葉に白斑ができたりなど、木々は四季を通して脅威にさらされていると、彼はあづちに語った。 その桜の丘にあづちが辿り着いたのは、朝に村を出て昼過ぎのことだった。 桜守どのが書いて寄越した図面を見ながら、彼女は丘の周囲を一巡りした。丘のほぼ全体が桜の木で占められており、春はさぞかし華やかであろうと、あづちは想像した。この規模ならば、東房の外からでも、足を運ぶ観光客がいるに違いない。 その後、あづちは桜木を一本一本確かめる作業に入った。いろいろな樹齢の桜が乱立している中、たしかに一部の桜に、まるで鳥が巣を作ったように大量の小枝がある部分が見つかった。これは折を見て切除しなければならないが、あづちの目からは、枝だけが何か別の植物のような気がし、ことさら気味が悪かった。 さらに奥へ進むと、小枝の密集している部分が、木々のあちこちに見かけられるようになった。もしかして、これは深刻な状態になっているのではないか、と足早にあづちが調べていくと、丘の頂上付近の、大変奇妙な大木にたどりついた。 この桜は丘に植えられている他のものと違い、枝のすべてが竹箒になっていた。これが桜の木、と言われてもにわかには信じがたい。あづちは足を止め、木のてっぺんから根元まで、ゆっくりと眺めた。他の木にはないいやな雰囲気を、この木は持っていたのである。ただの木の病気ではない何か――それが樟気だと気づくまで、あづちにはほんの少し時間がかかった。 その少しの時間は、あづちを危険に晒すのに十分なものだった。次の瞬間、雪の積もった地面から、何か鋭いものが飛び出し、彼女の足に絡みついた。それは見た目からは根っこのように思われたが、木の根が本来は固くごつごつしているのに対し、彼女を捕らえたそれは、しなやかで弾力に富み、そして表面は粘液で覆われていた。 またか! 次々と雪の下から這い寄り、あづちをわがものとしようとする根と2、3合格闘すると、彼女は持ち前の運動神経を発揮してするりとその包囲から抜け出した。根っこが追い打ちをかけようとしたときには、すでに彼女は状況を把握し、そのまま、振り向かずに村へと駆けていた。途中雪と坂道のせいで、派手に転んだりもしたが、彼女が少し離れてからは木の根は襲ってこなくなった。 それにしても、わたしは疫病神か何かだろうか? あづちはそう思わずにはおられなかった。行く先々でアヤカシと出会うのである。もし私のこの運命が、神様か何かの考えたものだとすれば馬鹿馬鹿しすぎる。彼女は、アヤカシに襲われることにはもう慣れてしまっていたが、毎回毎回この調子であることに対しては、思わず涙がちょちょぎれた。体面上『手伝い人』を自称する彼女ではあったが、自分のほんとうの仕事はほかにあるのだ。 最近届いた手紙の文面を、彼女は思い出していた。『石鏡ざらめ〇壱五八匁 状態よし』。 ――わたしの状態はいつもこんなですよ! |
■参加者一覧
鴇ノ宮 風葉(ia0799)
18歳・女・魔
染井 吉野(ia8620)
25歳・女・志
鞘(ia9215)
19歳・女・弓
赤鈴 大左衛門(ia9854)
18歳・男・志
白藤(ib2527)
22歳・女・弓
浄巌(ib4173)
29歳・男・吟
長谷部 円秀 (ib4529)
24歳・男・泰
椿鬼 蜜鈴(ib6311)
21歳・女・魔 |
■リプレイ本文 開拓者ギルドにて、ふたたびあづちと面会した赤鈴 大左衛門(ia9854)は、その姿を見て安堵した。ひどく痛めつけられていた以前と違い、最近はアヤカシから逃げるのにも慣れてきたようである。 「毎回、すみません」 あづちはうつむき気味に、ぼそりと小さな声で言った。それはいつもいつもアヤカシ騒動を持ち込むことからくる後ろめたさのせいであったのだが、逆に言ってしまえば、アヤカシであればなおさら開拓者の仕事である。 「気にせんこったス。早ェとこ見つけてくれるお蔭で、他に被害が出ねェで済ンどるンだスから。先触れと思うたらええだスよ」 大左衛門はそうねぎらって、あづちの肩に手を添え、軽く2、3回叩いた。こういうのには相変わらず慣れない彼女は、まだ何か考えているようで、うつむいたまま口をつぐんでいた。 開拓者たち一同は、あづちの案内で依頼人の桜守のもとを尋ねた。いまだ床に伏せっている桜守の翁は、開拓者の来訪をことのほか喜び、気丈にも上体を床から起こして出迎えてくれた。 「ようく来てくだすった。老体ゆえ何のおもてなしもできんがの‥‥」 「いいえ、お気になさらずに。それより桜の木ですが」 染井 吉野(ia8620)が水を向けた。花見の主目的である桜の花のことは一般によく知られてはいるものの、樹木自体の知識になると、開拓者とて素人に変わりはない。本来なら、桜守どのにご足労いただきたいところではあったが、体調がすぐれぬでは致し方ない。そのため、開拓者たちは、桜守殿の教えひとつひとつに耳を傾けた。 「――ほほぅ、『桜切る馬鹿梅切らぬ馬鹿』っつぅて聞くだスが、まあ、切っちまってええンだスなァ」 大左衛門があっさりとまとめた。桜の手入れは、思っていたよりも簡単ではあったが、弱りやすいので注意しなければならない、とのことだった。病気が流行って土にまで広がってしまうと、その土地には桜が育たなくなってしまうとの話もあり、開拓者はことの深刻さに少し驚いた。 「うむ、病に罹ったものは早々に切り落とすのだ。すまんな、細こうて」 「なに、桜花咲き誇れるなら、この程度安いものよ」 浄巌(ib4173)は深編笠の向こうで軽く笑った。むやみに傷つけてはいけないが、患部はひとつ残らず取り払わなければならない。最後に、手入れのための道具と、枝を切り落としたあとの切り口、もしくは傷ついてしまった部位に塗る薬を渡され、開拓者たちは桜の丘へ向かった。 桜の丘、とはいえ、冬は雪が積もる場所である。曇り空の下で雪はまだあらかた残っており、もうすぐ来るであろうが、雪解けのための春の日差しを待ち望んでいた。大左衛門は雪が眩しくならないように目の下に墨を塗った(滅多に見られない光景ではある)が、幸いにもその心配は的中することがなかった。 あぜ道から丘に向かう入り口に、子供の背丈ほどの石碑が設置されていた。長谷部 円秀 (ib4529)が近寄って碑文を見ると、天儀歴962年とある。かつてこの丘に、北面から贈られたという桜をはじめて植樹するとき、ギルドができて間もない開拓者たちの手を借りた、と桜守の翁が言い伝えのように話していたことを彼は思い出した。実際にそんなことがあったかは定かではないが――もしかしたら開拓者ギルドが主体的に行ったのかもしれない、微妙な関係を保っている北面と東房が、表面上だけでも『仲直り』したことを周知させるのには、それはたしかに有効ではあろう、と円秀は推測した――、もし翁の話が本当だとするならば、これは自分たちにも関係のある桜なのである。感慨深げに碑の前で佇む彼を見、白藤(ib2527)が何か書いてあるのか、声をかけた。 なに、ちょっとした由来ですよ。彼はきびすを返し、待っている一同の輪に加わった。桜の花のためならば、今回は刀を振るうことも彼は厭わないつもりだった。 遠目からもよくわかったが、その丘は全体に桜の木が植えられ、それを数えようとすることが無謀であろうことは、誰の目にも明らかだった。アヤカシ退治と手入れについてかかる労力を考えると、日暮れ前に終わるかどうかについて、誰も確信が持てなかった。 「お花見一番乗りぃ‥‥なんて言ってる場合じゃなさそーね、これ」 丘をぐるっと眺めつつ、これから始める作業の量を考え、鴇ノ宮 風葉(ia0799)は呟いた。作業の効率化のため、彼女はまず丘全体を探知し、アヤカシがどの辺りにいるか当たりをつけようと提案した。こういう煩わしいのは、まとめて処理するに限る。結界を張り、丘のふもとから螺旋状に異動しながらアヤカシをいぶり出す作戦だ。そのあいだ、周囲の警戒は鞘(ia9215)が買って出た。 話によると、あづちは頂上付近のある大木で襲われたとのことで、それまではアヤカシと出会うことはなさそうだった。開拓者たちはアヤカシをふたりに任せ、まず病気の木を探すことに傾注した。 「美しき桜をかように醜うしよるとは‥‥けしからん」 アヤカシのせいか、それとも自然の病気かははっきりしないが、さっそく箒のようになった枝――翁曰く、『天狗の巣』と表現するそうだ――を発見し、椿鬼 蜜鈴(ib6311)が憤りの声を上げた。このようになってしまった枝はもう花をつけることはなく、しだいに木自体を衰弱させていってしまうと桜守どのは話していた。標高が上がるにつれさらに箒状の枝は増え、桜の開花を毎年待ちわびる人のことを考えると、白藤は気が引き締まった。これをこのままにしておくわけにはいかない。 あづちの説明通り、ある一定の場所から先は瘴気がはっきりと感じられた。その気配の強さに比例して、病症が現れた木が増えていることも同じである。開拓者たちはおそるおそる、アヤカシのいるであろう木へと近づいていった。 途中、大左衛門があづちに、アヤカシのことを尋ねていた。どういった外見で、どのように襲いかかってくるのか、など。彼女はひとつひとつの質問に答えたが、木全体が天狗の巣のようになった個体が、まるで触手のように根を器用に操って捕まえようとしてくる、と聞いた途端、開拓者の間に動揺が走った。 風葉の結界で調べた結果、アヤカシは例の大木だけのようである。おそらくは、その木が中心となり瘴気をまき散らしているのだろう。放置しておけば、いずれすべての木が同じようになってしまうに違いない。もちろん、花見客が襲われてしまうことも十分に考えられることである。自然や生命といったものを尊ぶ巫女である風葉にとって、このようなアヤカシはなおさら残しておくわけにはいかなかった。 触手を避けるため、開拓者は大木を遠巻きにして対峙していた。ひと息に燃やしきれれば楽ではあったが、周囲に燃え広がる可能性を考慮すると、それは難しい選択である。攻撃の被害を防ぐため、援護を受けて前衛をつとめるものが一気に距離を詰めることにした。もちろん、円秀と大左衛門は、あづちに前へ出ないよう釘を刺すことは忘れなかった。 「では、参ろうや」 笠を上下させ合意を確認すると、戦いの火蓋を切るかのように、浄巌が笛を奏でた。その音色に乗って、風葉、吉野、大左衛門と円秀の4人が大木目指して駆けだした。 開拓者の人数が多いこともあってか、桜の攻撃は、あづちの説明を軽く上回る規模であった。雪の積もる地面の至る所から、足を捕まえようとするだけでなく針状の根を付きだし、串刺しにしようとするものも見受けられた。開拓者たちはそのすべてをかわしきることができず、突撃の勢いはゆるんだ。 「く‥‥好きなんですよね、桜は」 最初に幹に達したのは、こまめに横に動きアヤカシを攪乱した円秀である。相手は『桜』の木ではあるが、この際、場にふさわしいかどうかは考慮の他であった。彼の太刀筋のあとには紅葉のような光が飛び散り、アヤカシに傷を負わせたことを示していた。 大きな動きで肉迫する円秀と比べると、風葉はそれよりも余裕のある動きを見せていた。彼女の放つ炎はアヤカシと人間にしか感じることができないため、丘の他の木を全く気にすることがなく放てるのである。危険を冒してまで射程に捉える意味は、十分にあった。 「あによ! 悪なんだからさっさと滅びなさいよ!」 「――おっと、あまり無理するでねェだスよ!」 ふたりと比べると、大左衛門と吉野はやや守備的な動きをしていた。後方での支援に支障が出ないよう、次から次へとわいて出る根を切り伏せていたためである。大左衛門は、足を止めたうえで根を待ち構え、居合いを用いて飛び出すそばから斬り落としていった。また吉野は、強烈な踏み込みと共に、斜め後方に開いたところから回転させて振り下ろす強烈な太刀を、根に惜しみなく浴びせていた。 「せめて花でも咲いていただきませんと」 後方の開拓者たちも、それを補佐しようと忙しく動いていた。4人の死角から襲いかかる根については、蜜鈴がしっかりと火球をぶつけ、それぞれの受傷を防いでいた。弓を持つふたりは連携し合い、鞘が根へ、白藤が幹へと、正確無比な弓箭の腕を見せつけた。 また、演奏を続ける浄巌も、合間に符を放つなど、戦線の下支えに欠かせない働きをした。月に叢雲花に風とて、捨て置くわけにいかぬもの、桜の花見出来ぬは困る、困るとあらば開拓者。彼の軽妙な都々逸は今日も冴えていた。 緒戦では優勢に見えた開拓者であったが、途中、箒状の枝がずるりと、すべて垂れ下がるようになって状況は一変した。地面からの攻撃に加え、頭上から枝が襲いかかってきたため、一時的に対処できる能力を超えてしまったのである。 「これはまた、ずいぶんと醜き‥‥」 煙管を吸うのも忘れ、蜜鈴は扇で顔を隠し視界に入らないようにした。また鞘は、『キモい』を連発し、自分の感情を言葉に出すことをためらわなかった。 端から見てそうだったのであるから、目の前の人間にはたまったものではない。前衛は枝(だった触手)の届かない場所まで距離を取ったが、雪のため深靴を履いていたとはいえ、他の桜に気を取られて動きが鈍っていた吉野が、柔らかくなって液体を滴らせている枝へと捕らえられた。 「これが、触手というものですか」 最初はまだ彼女も冷静だったが、桜の幹がぱっくりと割れ、その奥から牙や舌、口内の赤い粘膜が見えるとさすがに焦り、逃げだそうともがきだした。しかしその枝とは全く違う、滑りやすい感触とその数の多さに、吉野は自分だけではどうすることもできなかった。彼女を助け出すには、口に放り込まれる寸前に、ふたたび肉迫した風葉の放った炎が、枝の一部分を焼き払うまで待たなければならなかった。 「あんた、無事‥‥でもなさそーね」 「いえ、怪我はないのですけれど‥‥」 もみくちゃにされひどい有様の吉野を見、風葉は少し同情した。ようやく4人は枝の影響から逃れられたが、枝と根の動きはいまだ活発で、幹に打撃を与えるのはさらに困難となっていた。しかし、桜が口を見せたことで、白藤の頭の中にはある案が浮かんだ。 「鞘さん、あの口を狙いましょう。幹よりは効果があるはずです」 「そ、そうね、こんなやらしいアヤカシはさっさと退治しないと。ほんとに」 「ええ、桜を楽しみに待っているかたのために‥‥」 ふたりそろって狙いを構え、白藤は4人に向かって叫んだ。 「円秀さん! 今から撃ちますから! 1、2、3!」 真っ赤な口を正確に射貫く進路で、2本の矢は放たれた。鞘の矢は細い枝の房に弾かれて届かなかったが、その間隙を縫い、白藤の矢が口内へ吸い込まれていった。 「一気に祓う‥‥今だ!」 矢を食らったアヤカシが、幹ごと大きく仰け反るのを見て、円秀は好機を悟った。つづく3人も、後衛の2人もそれに後れを取ることなく、弱った桜へと殺到していく。 この一連の流れにより、このアヤカシに対する決着はついた。最終的には円秀の、やはり場を顧みることのない、『梅』の香りが仄かにする太刀筋によって、引導は渡されたのである。 アヤカシ退治での疲労がとれる間もなく、開拓者は桜の手入れに取りかかった。あづちの指示のもと(高所での危険な作業をさせるのは忍びなかった)、病巣を切り落とし、薬を塗る。単純な作業でも、丘全体の木について行うには相当の手間がかかった。開拓者たちは、桜守の苦労を身をもって感じ、見えない功労者に敬意を表した。 残念だが、力尽きたアヤカシのあった桜は、消毒も兼ね慎重に焼却された。その個体が一番の古株のようであったが、実体がアヤカシのものとなってしまっては、他になすすべはない。同じく、箒状の枝となっている部分も切り取られ、まもなくそれらも焼き払われることになった。 その炎と、桜守どのの言いつけ通りに木の手入れを行う開拓者を尻目に、風葉は雪のまだ残る丘をぼんやりと眺めていた。桜かあ。自分たちの仕事によって、また花見が開けるようになったことは間違いない。花見は楽しいものだ。とはいっても、あたしは花より団子かもしれないのだけれど。 すべての作業が終わったのは、夕暮れをとうに過ぎ、暗闇が丘を包み込んだ後であった。しかし、開花の時期ともあれば、この丘は夜でも賑わうことになるだろう。あづちが桜守の翁に代わり、礼を述べると、開拓者はそれに対して、口々に桜が楽しみと、翁に言伝をしてもらうよう頼んでいた。 「桜が咲いたら、兄弟つれて絶対に花見に来ますから!」 白藤はさっそく花見の予定を入れることに余念がなかったが、他の面々とて、この丘を桜が包むことを待望しているので、特段彼女だけを咎めだてるものでもない。天儀において桜とは、おおむねそういった存在なのである。 「さて‥‥桜の咲く時期が楽しみですねぇ」 「なんじゃ、桜が咲いておらんのに花見か。おんしも用意がよいのう」 蜜鈴がこっそり、円秀の天儀酒を持ち込んでいたところを見つけると、まこと気が早いものよ、と浄巌は笑った。しかし、この丘に咲き誇る桜を思い浮かべるのは、それほど気が早まったものではなさそうである。 すでに枝に宿した蕾が膨らみはじめ、春の近さを物語っていた。 |