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■オープニング本文 森の向こうで立ちのぼる黒煙の、その異変に村人が気づいたのは、兆しが現れてから数日過ぎてからのことであった。 はじめは誰もが、誰かが野焼きをしているのだと疑わなかったのだが、いつまでも同じ場所から煙が立ち上っているのを見れば、何かがおかしいと感づくのは自然な流れである。庄屋は寄り合いを開き、誰の火の不始末か問いただそうとした。しかし、その席にて誰もが口をそろえて身に覚えがないと申し開いたため、庄屋はこの現象の調査に、すっかり傷から回復した、甚兵衛の仁助をはじめとする村の若い衆を数人、改め役として現場へ向かわせることにした。 しかし、村の誰であろうと、何が燃えているのかを想像だにできなかった。黒煙は近寄るにつれて濃さを増し、まるで山火事のような様相を呈していた。しかし、やはりその煙から、広範に燃え広がる兆候は見られなかったのである。 ようやく火元の近くまで辿り着き、仁助は仲間とともに足を速めた。こういうとき、あづちがいてくれればなあ。日々の糧と引き替えに、こういった改め役のまねごとをしていると彼女は語っていたが、人材というものは必要なときに不在なのである。 はたして、藪をかき分け辿り着いた仁助たちを待ち構えていたのは、大きな炎だった。たしか、仁助の記憶では、ここは小さな池だったはずである。しかし、けして大きくないその池の水面は、すでに黒い泥のような液体にすり替わっており、ちょっとした風では波立ちそうにない無粋なものとなっている。その池の中心では泥がぼこぼこと煮立ってい、そこから煙と炎が大きくなったり小さくなったり、まるで呼吸するかのように揺らめいていた。また、池の周りは、草が焦げたように、一様に枯れ果てていた。 その場にいた全員が、その光景をにわかに信じることができなかった。若い衆のひとりが、水辺(であったであろう場所)に男が倒れているのを見つけ、近寄った。それはこの村の人間ではないようだったが、すでに息をしている気配はなかった。 「おい、見てみろよ、泥だぜ」 彼を介抱した男が声を上げた。かつて自分たちと同じ若い衆であった男の顔には、べったりと黒い泥のようなものがこびりついている。それを見、仁助はいやな予感がした。 「なあ、ここはその筋のひとに頼んだ方が――」 仁助がそう言いかけたのを遮るように、池の炎が大きな音を立てて吹き上がった。その炎は、先ほどまでただの炎だったのだが、いまでは人影のような形になり、仁助たちの方を向いて立っているようにありありと見て取れた。こちらを見ている! 仁助のいやな予感は、にわかに恐怖へと変わった。 次の瞬間、そのひとがたが腕を伸ばしたかと思うと、水鉄砲を撃ったかのように炎が伸び、横たわる男の脇にいた改め役のひとりに命中した。すると炎は爆発的に燃え上がり、彼は立ち上がることもできず、瞬く間に炎に包まれた。 燃えさかる炎で肉が爆ぜる生々しい音と、彼の断末魔の悲鳴を合図にして、改め方は一斉に逃げ出した。こんなときにひとりが足を取られて転び、転んだ仲間を救出しようとしたものは、みな炎の餌食になった。あわせて4人が、池から帰ることができなかった。 この惨状の前に、仁助はなりふり構わず、後ろを振り向くことさえせず、村へ逃げようとしていた。あづちがひとりで手伝い人の仕事をしていると聞いたとき、彼はそんなに簡単なものなのか、と不思議に思っていた。しかし、恐ろしい出来事に直面し、今ではこれがひとりでできるほど簡単なものではなく、あづちの能力もさることながら、仲間を気にしていては命が持たないものなのだと、悟った。 |
■参加者一覧
天津疾也(ia0019)
20歳・男・志
柊沢 霞澄(ia0067)
17歳・女・巫
からす(ia6525)
13歳・女・弓
赤鈴 大左衛門(ia9854)
18歳・男・志
リーゼロッテ・ヴェルト(ib5386)
14歳・女・陰
マリアネラ・アーリス(ib5412)
21歳・女・砲
セシリア=L=モルゲン(ib5665)
24歳・女・ジ
りこった(ib6212)
14歳・女・魔 |
■リプレイ本文 開拓者が村へ辿り着き、話を聞きに訪れたとき、当の仁助は憔悴しきっていた。自分の腰にアヤカシがいたときは、全身を巡る痛みと虚脱感に耐えるのに必死になっていたためわからなかったのだが、アヤカシの犠牲になるということを眼前で目撃し、当時の自分が、どういった立場にあったのかをあらためて思い知ったのだ。 今回自分が生き残ったのは、おそらく全くの偶然だろう。逃げ遅れず、また仲間を助けようと余計な色気を見せず、そしてアヤカシが自分のことを狙わなかったことが重なったため、このような結果となったに違いない。そう考えると嫌でも、自己の無力を感じてしまうのである。 しかし、たとえそうであっても、アヤカシに襲われて怪我すらせず生還したことは不幸中の幸いと言わなければならない。あまり落ち込まないことです、と、縁側に腰掛け、肘を突いてうなだれる仁助に、柊沢 霞澄(ia0067)はいたわりの言葉をかけた。 同様に、赤鈴 大左衛門(ia9854)も仁助の無事を喜び、村人の仇をとる、と約束して彼を励ました。腰の怪我の治療に、このふたりが携わっていたことを覚えていた仁助は、開拓者の激励の前に意欲を取り戻したようだった。一通りの説明が終わったあと、仁助は道案内をみずから買って出たのである。少しずつ、自分ができることから始めていくことが、立ち直るきっかけとなるのだ。 「ありがてェだスよ。もちろん仁助さぁのことはけっぱって守るだスが、あまり前に出ねェで欲しいだス」 礼を述べる大左衛門に対して、仁助は気を奮って肯いた。そこに大左衛門は、彼の覚悟を見た。 村を出て間もなく、開拓者たちは森から上る黒煙を目の当たりにすることになった。あれだけ目立つ煙が何日も出続けているとなると、たしかに尋常ならざるものを感じる。一同はこの異常事態に気を引き締め、仁助の案内に従って火元を目指した。 一度仁助が通った道であったはずだが、彼はときたま次に進むべき進路を思い出せなかった。そのたびに彼は謝ったが、よほど急いで逃げ帰ったのだろう、開拓者たちはそのことを責めようとはしなかった。 池に着く直前には、仁助を最後尾におき身の安全を確保させた。かつて池であった沼の周りには、まだ延焼する様子は見受けられなかった。ただし、炎の熱によってか地面はひどく乾いており、真冬の空っ風が吹いてしまえば、すぐにでも燃え移りそうな気配さえした。 「やれやれ、段々暖かくなってきたとはいえまだ焚き火は歓迎やが‥‥あないな火は勘弁やな」 遠巻きに沼の様子を眺め、天津疾也(ia0019)はぼやいた。仁助の証言通り、人の大きさほどの炎があかあかと燃え上がっているのが確認できる。その数ひとつ。 今回、開拓者は無理に近づかず、射撃を中心にした作戦を組み立てていた。仁助の証言から、炎は池の中心から動かないとみたのだ。とはいえ、万全を期すためにはある程度の近さから、アヤカシの影響を探らなければならない。アヤカシが炎だけの存在とは限らないため、池に溜まる泥についても調べる必要があったのだ。 「泥の中から炎たぁ、珍しい話だねェ」 火打宝珠式前装銃を用意しながら、マリアネラ・アーリス(ib5412)は相手を見据えたが、本当にそれだけを狙えばいいのか、確証は得られなかった。泥に瘴気がありそこから炎が生まれたのか、それとも炎の瘴気が泥を作り出したのか。ただ、あまり彼女はそれについてそれほどの関心はなく、準備が整うと、ためらうことなく銃口を炎へ向けた。そして、断罪開始、と彼女は小さく呟き、引き金を引いた。 静かだった森に銃声が響いた。マリアネラの銃弾に後れをとらないよう、セシリア=L=モルゲン(ib5665)がすぐに式を解き放った。式は蛇の形をとり、主人の持つ鞭のようにしなやかな動きを見せながら、炎にかぶりついた。 「ンフっ、いけないコには、たぁっぷりおしおきしてあげるわねェ」 そのはじけそうなくらいの肉体がくねくねと動いて命令するのと同調し、蛇が炎を締め付け、攻めたててゆく。長い攻めに式は耐えきれず燃え上がったが、炎はその攻撃に大きく揺らめいた。 「ふふ、今ね、食べちゃいなさい」 同じく蛇の形をとった式を、リーゼロッテ・ヴェルト(ib5386)がけしかけた。セシリアの式とは違って、この蛇には大きな牙が生えている。炎は一見実体がないようにも思えるが、それがアヤカシならば、瘴気は間違いなくその餌となるのだ。炎は動きが鈍ったところに一撃を受け、この2種類の蛇は、以降も連携して息のあった攻撃を繰り返した。 開拓者に対してアヤカシは、この距離からでは炎を投げつけるしか手がないようだった。ただし、火の玉を投げつけてくるのではなく、炎で燃えさかる液体を放ってきたため、その処理は一筋縄ではいかなかった。りこった(ib6212)が石壁を作っていなかったら、足を止めて狙いをつけることなどできなかっただろう。からす(ia6525)と疾也もその壁の恩恵を十分にあやかって、矢を炎へ向け放っていた。 戦闘は開拓者の計算通りに運んだと思いきや、実際はいつまでも決着がつく兆しは感じられなかった。攻撃は有効なように思えたのだが、生命力が無尽蔵にあるかのような振る舞いに、次第に開拓者は猜疑心を持つようになっていた。 おかしい‥‥よく調べないといけませんね。精霊力を集積する手を休め、霞澄は壁からおそるおそる顔を出した。結界が届く範囲までは約5間程度だが、援護がなければ危険である。彼女が支援を要請すると、りこったと大左衛門が名乗りを上げた。もっと奥まで足を伸ばして、壁を岸ぎりぎりに置き、そこに隠れるのだという。 「ほれ、こっちや! 当ててみい!」 それに残りの開拓者たちが応じ、アヤカシの注意を引きつけることとなった。りこったの置き土産である石壁から、先ほどよりもわざと露出するように、開拓者たちは攻勢に転じた。疾也に至っては壁の陰から完全に離れ、みずからの足さばきのみで炎から身を避け続けた。いまや炎は、囮となっている後方の開拓者に釘付けになっていた。 「今だよ! 走って!」 3人の開拓者は、機を見計らっていたりこったの合図で一斉に、沼へまっすぐ駆けだした。開拓者が近づいてくることに炎が気づいたのは、3人が走り出してすぐのことだった。しかし、沼の岸まで肉迫するには、十分な時間が与えられたのである。りこったは、かろうじて炎の前面に、壁を設置することに成功した。 目の前に壁を置かれた炎は、挑発だと勘違いしたのか明らかに怒ったように、勢いを増し吹き上がった。狙いをすぐそちらへ向けると、怒濤のように炎が壁へ放射されたが、しばらくは持ちこたえてくれるはずである。 炎と石壁の後ろで霞澄が結界を張り、大左衛門は目をつむったまま心を凝らした。そこでふたりが読み取ったものは、これまでの暖簾に腕押しだった違和感を消し去るものであった。炎はアヤカシの従属物であって、アヤカシそのものは足下の泥の中に隠れているのである。その本体がなにものなのかはわからなかったが、正しい狙いについては、開拓者にはこれではっきりした。 「――下を狙うだス、足下!」 大左衛門が後方に指示したのと同時に、炎に耐えられるはずだった石壁が大きな音を立てて割れ、そこから崩れ始めた。開拓者にはわからなかったが、アヤカシは石壁を炎できつく熱したのち、沼の冷たい泥を壁に投げつけたのだ。その温度の差は、破壊するのに十分な歪みを石壁にあたえ、すぐに壊すことができたのである。 壊れる際、細かく崩れた壁の石が勢いよくはじけ、大小のつぶてが開拓者へしたたかに打ち付けた。とっさに追加の壁を作ることができず受傷したりこったは、苦し紛れに光の矢を炎の足下へと打ち込んだ。それは泥の中に吸い込まれた後、一瞬だけ炎が消え、またすぐ炎が現れた。次に現れた炎は、さらに燃えさかり、怒り心頭に発することを表現しているかのようだった。 「利いてるみたいだな、‥‥よし、待ってろよ!」 その一部始終を見たマリアネラが、すかさず、銃弾を泥の中へ撃ち込んだ。やはり効果は上がったようで、りこったたちを狙う攻撃の手はこれによってゆるめられたことになる。 「おや‥‥助かっただス!」 その隙を突いて、大左衛門は霞澄とりこったを大急ぎで連れて戻した。石壁の崩壊で負った怪我は、霞澄だけでなく、急遽リーゼロッテも手当に回った。火傷と打撲の複合傷で、手早い処置が必要と判断したためだ。 「大丈夫? ひどいわねぇ。痕でも残っちゃったらどうしてくれるのかしら」 その一方で、正しい狙いを得ることで、攻め手も勢いを取り戻していた。 「まったくやで。びた一文にもならん焚き火は、とっとといねや」 この泥が、実は油ではないかと疾也は警戒していたが、時ここに至って細かいことは気にしていられなかった。彼の渾身の力で放った矢は、桜色の淡い光を帯びていた。これを食らうと、炎は人の全身を姿取ったものから、恐ろしい形相の顔へと変化した。開拓者たちをにらみつけ叫んでいるかのように見え、まるでアヤカシの代弁者にも見て取れた。 それを苦悶の表情と読み取ったセシリアは、吸い上げた瘴気に満たされたこともあり、思わず歓びの声を上げ、うちふるえた。もっと『楽しく』してあげないと――彼女は嗜虐的なその動きにさらに拍車をかけ、霊体の式を炎へとけしかけた。式に絡みつかれた炎の顔から、明らかに痛苦がにじみ出ていた。 開拓者の攻勢の間も、からすは炎をじっと見つめていた。本当の弱点はどこかを見極めるためだ。泥の中に本体があるというのだが、それが炎を生じるとはいったいどういうことなのか。 しばらく炎と沼の水面を眺めていた結果、彼女はあるひらめきを得た。それは炎の下の泥に小さな穴が開いていることに気づいたためで、炎が揺らめくたびに、この穴が細かく振動するのだ。この穴の中には燃える何かが詰まっているに違いなかった。それを狙って散らせれば、炎の勢いは大幅に弱まるはずだ。 検証のため、彼女は泥へ鳴き矢を放った。金切り声のような甲高い音を響かせて飛んでいく矢には開拓者のみなが驚いたが、泥に刺さってからの反応はさらにみなを驚かせることになった。大きく泥が飛び散ったかと思うと、それとともに炎がばらばらに分かれたのである。穴のあった場所から離れた炎はすぐ消え、はたして小さな炎が穴の上に残るのみとなった。 「最期は私が取る」 からすはそう宣言し、今度は怨念を込めたどす黒い矢を放った。 「――汝が焼いたものたちの怨みに沈むのだ」 鏃にまとったその黒い靄は、小さな炎を吹き飛ばし、最後に残った瘴気さえもかき消した。こうして、この池は再び平穏を取り戻したのである。この戦いで炎の槍があちこち飛び交ったが、燃え移った周囲のものに対しては、火足に先んじて、霞澄があらかじめ用意していた布と水で安全に消し止めた。 はたして炎は収まったが、池を埋め尽くすほどの泥はいかんともしがたかった。残された泥自体に瘴気はなく、もともとアヤカシから生み出されたものではないようだった。おそるおそる大左衛門が調べてみたが、植物の繊維や残骸が混じっていることから、おそらく泥炭かと思われた。これは村にとっては朗報である。水分も多く、なぜわき出てきたかの理由は定かではなかったが、これは乾かせば燃料として利用ができるはずだからだ。これは、帰ってから村に報告するつもりであった。悲劇ではあったが、この泥炭が収入となれば、少しは被害も軽くなるだろう。 この場を後にする前に、犠牲者の埋葬をマリアネラと霞澄が提案した。マリアネラは、安全な場所にいた仁助を呼びつけ、作業を命じた。 「ほら仁助、てめぇも手伝えよ。てめぇがやんねェと話になんねーぜ」 そのマリアネラの格好と言動の差に戸惑いながらも、仁助は5名分の墓をこしらえ、献花した。そうしてすべてが済み、しばらく仁助はぼんやりと突っ立っていたが、リーゼロッテに呼びかけられ、はっと我に返った。 「――わかるわよ。死ぬのが怖くない人間なんて、いやしないんだから」 そして霞澄のひとことが、完全に上の空から彼を引き戻した。 「落ち込んでいては、きっとあづちさんも気に病みますから‥‥」 そう、そうなのだ。 いったいあづちは何者なんだろうか。 いくら人助けのための『手伝い人』とはいっても、こんな生命の危険をすすんで引き受けるだろうか? 切り抜けられる自身があるのだろうが、そうなると、それはすでに常人の域を超えていることになる。怪我で世話になったときにうっすらと芽生えていた恋心(男手ひとりで子を育てるのも、なかなかに大変なのである)のようなものは、この事件できれいさっぱり消え失せていた。いくら好みに合致していても、あづちには越えられない壁のようなものを感じたのである。 あれくらいの才能があれば、きっと引く手あまたであろうことは想像に難くない。だのに、なぜ『手伝い人』のままでいようとするのか。人びとには感謝されこそすれ、死と隣り合わせの苦労、ひいては苦悩が報われるとは、仁助にはこれっぽっちも思えないのである。彼女が、何人の命を犠牲にして今のようになったかを考えると、正直ぞっとしなかった。 今の仁助に考えられるあづちの正体は、もともと開拓者だったのか、アヤカシが化けたものか、もしくは‥‥。 「仁助さぁ、大丈夫だスか?」 難しい表情に気づいた大左衛門が、助け船を出した。仁助は何でもないよ、と答え、考えるのを途中でやめ、そして他愛のない冗談を思いついた。 ――あづちは北面が嫌いだから、東房にいるんだ、きっと。 北面も東房も、もう春はすぐそこである。 |