6月の田植え
マスター名:ほっといしゅー
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: 普通
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2010/06/30 06:42



■オープニング本文

 谷津田に差す朝の光は、丘と樹に遮られて涼しげだった。あづちは、丘と丘に挟まれた谷間の田畝を眺め、これからする作業の量に気が遠くなるような思いで満たされていた。
 細長い二つの丘陵は北側で繋がっており、木の根本ように枝分かれして腕を広げている。その両腕のあいだにある湿地を利用して作られたのが、この谷津田であった。肥沃な東房の中で、ここ甚兵衛の仁助の谷津田はかなり痩せた土地のうちに入る。丘陵を北向きに背負っているため、夏でも日当たりが悪く、水温も上がらないからだ。もちろん、東房の多くを占める魔の森と化した土地では耕作はできないため、仁助の家からも遠く、あまり旨味のないこの田も、利用せずにはいられなかった。とはいえ、面積も広く作業も楽な他の田を優先して作業することもあって、夏に入りかけた今頃になってようやく、田植えに取りかかるのが彼の恒例になっていた。
 しかし今年は、彼の思惑通りに事は運ばなかった。肝心の彼が腰を痛め、谷津田の重労働を残しはやばやと動けなくなってしまったからである。そこで彼と、彼の年端もゆかぬ子供たちは、手伝い人であるあづちへ、田植えをお願いすることになった。流浪の身で、庄の人々に日々の寝食をお世話してもらっているあずちにとっては、断れる話ではなかった。手伝い、と称しているとはいえ、もともと彼女は農家の出ではなく、こういった仕事は見様見真似でやってきたのだが、自分一人だけで、となると作業が難航するのは目に見えていた。
 不満を言っても何も始まらない。仁助だって、妻を亡くしてから一人でがんばっているのだ。田の端には既に苗代までは作られてい、可愛いとも形容できる大きさにほどよく伸びた苗が、きれいに列をなして植えられるのを、今か今かと待ちわびていた。あづちは意を決すると、履き物と脚絆を脱ぎ、膝上まで着物をまくって、田に右足を踏み入れた。
 あづちにとって、泥の中を素足で歩く感触はすぐには慣れがたいものだった。足の指のあいだを泥がすり抜ける感触に身体が震え、思わず彼女は変な声を上げた。誰かに聴かれてはいないか、と周囲を見回し――ちょうどあぜ道を歩いていた野良のもふらと目が合うと、もふらは慌てて視線をそらし、照れたように知らぬ存ぜぬを決め込んだ。聞かれてる! 相手がもふらとはいえ、耐え難い恥ずかしさであづちの顔はものすごく熱くなった。とりあえず、仕事に集中しよう、早く終わらせよう、と次の一歩を泥に下ろした瞬間、彼女は前のめりになって田へ飛び込んでいった。
 あづちが自分に起きたことを理解するまでには、しばらく時間がかかった。泥に下ろしたはずの左足は、腿まで飲み込まれてい、これは歩くと言うよりはほとんど泳ぐに等しかった。こういった深田の場合は田下駄を使うものだが、あづちにはそれがわからなかったのだ。彼女は必死になって、苗代へ向かい泥の中をもがき始めた。
 このままじゃ日が暮れるまでに終わるかどうか‥‥それ以前に、自分の体力がもつかどうか。うすうす心配に思いながらも、分厚い軟泥の中を進むこつが分かってきた矢先、あづちは異変に襲われた。足首を不意に掴まれ、田の深いほう、深いほうへと引き摺り込まれそうになって、彼女は大いに焦った。不意打ちの一撃をふりほどき、あづちが先を見遣ると、視線の先の泥が瘤のように盛り上がり、その周りが微かにうごめいている様子が、彼女の目に入ってきた。
 ――アヤカシだ! あづちはその結論に達すると、体中の血が逆流するような戦慄を覚えた。放浪していることもあって、腕にはそれなりの覚えはあるが、アヤカシは彼女には荷が重すぎる。死にものぐるいで逃げたはいいが、体中泥に絡みつかれ、何度も溺れかけながら、這々の体で田から抜け出したときには、もはや誰だか分からないくらい、頭のてっぺんからつま先まで、泥だらけになっていた。
 アヤカシともなれば、頼みの綱は開拓者ギルドしかなかった。犠牲者が出る前に、とそのまま勇んで向かったまではよいのだが、女性が泥を全身に被って、ぽたぽた滴らせながら白昼堂々と街を歩く姿は衆人の目を引いたようで、あづちの羞恥心をいたく刺激した。そして、ギルドの受付の他愛のない冗談が、彼女にだめ押しした。
「退治の依頼ですね。‥‥アヤカシが来たのかと思いましたよ」
 どうして自分だけこんな。命の危険に晒されたことと、自分の無力さ、恥ずかしさなど様々な感情がないまぜになったところに、心ない一言が来て、あづちは――涙がちょちょぎれた。


■参加者一覧
和奏(ia8807
17歳・男・志
赤鈴 大左衛門(ia9854
18歳・男・志
ラスター・トゥーゲント(ia9936
10歳・男・弓
モハメド・アルハムディ(ib1210
18歳・男・吟
一ノ瀬 彩(ib1213
17歳・女・騎
奈々華(ib1214
16歳・女・巫
朱鳳院 龍影(ib3148
25歳・女・弓
セゴビア(ib3205
19歳・女・騎


■リプレイ本文

 受付はあづちの異変に気づかなかったようで、そのまま話を続け始めた。帳簿にいろいろ書き記しながら、依頼人とおきまりのやりとりを数回した後、受付票を記入してもらうため、筆をあづちに渡そうと視線を前に向けて始めて、受付は異変に気がついた。
「さっきの言い方、何さ? 急いできたんだろうに、ひどい言い方じゃないかな」
 見ると、白髪で角を生やした、小柄な――セゴビア(ib3205)が、受付とあづちとの間に割って入っていた。あづちが気にしないで、私はいいんですよと止めるのも聞かず、さらに彼女はまくし立てていった。
「あのね、身支度できないくらい、緊急だってことは分かるでしょう? 罰としてキミ、今日はごはん抜き! いいね」
 なぜか勝手に絶食を命じられ、受付は天を仰ぎたいような気分だったが、確かに彼女にも、一理あることには間違いなかった。まあいい、自分の夕飯より依頼のほうが大事だ。受付は落ち着きを取り戻すと、あづちに一言詫びを入れ、仕事の続きに取りかかった。セゴビアも、そのままこの依頼を受けるつもりのようで、早速、開拓者たちが集められることになった。
 田んぼでの作業と聞いて、まず興味を示したのは赤鈴 大左衛門(ia9854)だった。彼はもともと農家の出のため、田植えなどはもちろん、朝飯前であった。それに、個人的な理由ではあるが、故郷で毎年行っていた田植えを今年はせずに神楽の都へ移ってしまったため、どうにも物足りなかったのだ。この依頼は、彼にとって渡りに船であった。
 普段おっとりしている和奏(ia8807)は、心中では田植えをやってみたい――というより、田んぼに入ってみたい、とこっそり考えていた。子供の頃、雨上がりの水溜まりで遊んだだけで親にこっぴどく叱られた経験があり、彼は今回の依頼を聞き、その記憶を棘が刺さっているのに後から気づくように、鮮明に思い出したのだ。これまでひと様のため家族のため働いてきた従順な彼にとって、『汚れる』ということは開拓者の仕事よりも、もっと冒険的なものであるように感じられた。
 一ノ瀬 彩(ib1213)と奈々華(ib1214)のふたり組にとっても、この依頼は滅多にない機会であった。日頃から食べているご飯に対する感謝を――奈々華のご飯はちょっと少なかったが――、農家のお手伝いをすることで表そうと意気込んでいた。その上、アヤカシが一枚咬んでいるとなれば、なおさらだ。いまだ男性に全くといっていいほど慣れない彩だが、こういう場合は、それを顧みない。
 奈々華のほうは経済的な理由もあり、特に切実だった。田植えの手伝いをすれば、稲刈りの手伝いにも声がかかるかもしれない。稲刈りの手伝いをすれば――新米を分けてくれるかもしれない!
 その一方、水田、という単語はモハメド・アルハムディ(ib1210)には始めて耳にする言葉だったので、依頼について説明するのに、若干の補足を要した。とはいうものの、自分の知っていることかそうでないかは、彼にとっては考慮の範疇になかった。自分が開拓者として人々の手助けをすることは、自らの規律である喜捨の教えに沿うものであり、彼を何らためらわせるものではなかった。
 朱鳳院 龍影(ib3148)は、アヤカシ、と聞いて少しうんざりしていた。アヤカシから逃れて山奥から下りてきたのだが、ここでも、世を騒がせるのはアヤカシばかりなり、ゆっくり過ごせるのはいつのことやら、と彼女は隣のラスター・トゥーゲント(ia9936)を見ながらぼんやりと考えていた。その彼はといえば、依頼がてら泥遊び――もとい、田植えに挑戦できるとあって、楽しそうである。見知らぬものにも物怖じせず、ことあるごと凄い凄いと発する彼の前では、アヤカシだろうと何だろうと、あまり大きな差はないのだろう(事実、龍影を見たラスターの第一声は『うわぁ、すげぇ大っきい』だった)。
 結局、各々の準備もあり、依頼が実行できるようになったのは、もうすぐ昼食、という頃になってからだった。一同はさらに、あづちに話を詳しく聞くことにした。彼女は、職員からの水浴びや着替えの勧めも固辞し、泥だらけのまま、開拓者たちを待っていた。
「ヤー、あづちさん。大変でしたね。そのハコル‥‥田んぼには、どんなアヤカシが‥‥どれくらいましたか?」
「数は‥‥よく、わかりません。大きな塊みたいなのは、ひとつでしたけど‥‥。泥が、柔らかい綱みたいなもので絡みついて、身体中ぐるぐるされて、それで食べられちゃうかと――」
 アヤカシに手数が沢山あることは確かだが、泥全体で1体ともとれる回答だった。モハメドの問いに対して、恐怖がまだ残っているからだろうか、手を胸の前でずっと合わせたまま、乾いた泥から目と口だけ動かし、消え入るような小さな声で、あづちは話していた。彼女の目から、また涙がちょちょぎれる前に、今度は大左衛門が助け船を出した。
「――そったら、泥と見分けがつかねェのは厄介だスなァ」
「ええ、外で戦いたいところですね。引っ張り出す方法があればよいのですが」
 和奏の発言をきっかけに、開拓者たちの作戦がまとまった。あらゆる手を駆使してアヤカシを畦までおびき出し、全容を暴き出した上で、袋叩きにするのだ。引き上げるまでが、勝負になりそうだった。

 谷津田までは、くねった細い畦道の連続だった。田自体も整備された短冊形でないものが多く、あらゆる面で農作業の大変さを物語っていた。途中の村にはしっかりとアヤカシへの注意を促したが、仁助の田はもともと誰も耕さないような土地であるので、それが不幸中の幸いではあった。それとは別に、道中のところどころに残っている泥のこぼれた跡が、あづちの苦労を想起させ、開拓者の同情を買っていた。
「‥‥こんなところにまで、アヤカシがいるんですね」
 和奏の言うとおり、本当に田があるのかと思わせるような、人によっては谷底、とも表現しそうな場所に、その田はあった。水面は静まりかえって、アヤカシが潜んでいるようには思えなかったが、この中からそいつを引きずり上げなければならない。ただ、こちらが確実に準備できる有利な状況は、他のなにものにも代え難かった。
 目ざとく開拓者たちを見付けた野良のもふらが1頭、興味深そうにやって来、これからの騒ぎを知ってか知らずか、のんびりと畦の一角で箱座りをした。もちろん、もふらへショーを開くわけではなかったが、開拓者は、すぐに作戦を実行した。
 和奏が周囲の気配を探ったが、やはり田にはぼんやりとした大きなまとまりを感じるのみで、複数に分かれているわけではなさそうだった。次いで、田へ向けてモハメドが奇妙な曲をかき鳴らし、それに合わせて、奈々華がアヤカシを挑発すため雄叫びを上げた。
「すげぇ! 沼から何か出てきたぞ!」
 効果は目に見えて明らかで、水田の一部が盛り上がり、泥アヤカシが姿を現したのを見、ラスターとセゴビアは弓に矢をつがえた。
「そろそろかな。遠慮なく行きますよっ」
 開拓者たちはそのままアヤカシが上陸することを期待していたが、それに先んじたのはアヤカシだった。
「うわっ、ちょっとコラ!」
 田の中から伸びてきた腕が、奈々華の脚を掴み、前へ思い切り引っ張った。たまらず彼女は、武器を取り落とし、地面に手をついた。
「奈々華ちゃん!」
「――そう来ただスか!」
 泥の中と外の差はあれ、あづちが襲われた手口と同じようだった。手をついてしまうと、もう踏ん張りは利かなくなってしまう。それに今の奈々華の装備の重さでは、泥の中から自力で脱出するのは、ほぼ不可能だった。すでに槍を構えていた大左衛門が、足元のそれを切り落とすと、アヤカシは脚を諦め、間合いを計るように、静かに畦の手前で佇んだ。
「何じゃ、この様子では埒が開かんのう。――見ておれよ」
 均衡を破った龍影のひと振りが、田に浮かぶ塊めがけて奔り、その姿をはっきりと捉えた。おそろしく速い船が通り過ぎたように、田が大きく割かれて波打ち、辺りには泥が飛び跳ねた。一撃が利いたかどうかは確認できなかったが、その刺激をきっかけに、アヤカシは伸ばす腕を増やし、いよいよ文字通りの泥仕合が始まった。
「うわぁー、行くんだ、すげぇ! がんばれ!」
 アヤカシは泥の中から腕をふるうばかりで、こちらの攻撃も有効かどうかはどうもはっきりしなかった。2、3合やりあった後、アヤカシの臆病さに業を煮やした大左衛門と龍影が、意を決して、泥の中へ挑んでいった。すかさずアヤカシの腕ががっしりとふたりを捕まえるが、それを逆手にとって、アヤカシをこのまま引っこ抜いてしまおうという魂胆だった。
「――捕まえたぞ、ほれ観念するのじゃ」
「ヤッラー‥‥何てことでしょう、こうなってはもう、力ずくですね」
 先ほどとはうって変わって、モハメドは勇壮な曲を奏で始めた。管楽器であれば、まるでファンファーレに聞こえていたに違いなかった。そのリズムに乗っているかのように、ふたりが他の腕に邪魔を受けないよう、和奏、ラスターとセゴビアの後衛3人も、たえず支援の手を緩めなかった。危険を感じたアヤカシが、腕を増やして襲いかかったときでも、ラスターの長弓がそれに応え、射貫いた。
「これが上がったらぁ、そンのでかいので、一気に頼むだスよぉ」
「はーい、お任せ! アヤカシを斬るのにはうってつけの刀ですから! ね、彩ちゃん」
「ええ‥‥刀も持ち主も、飢えてますから」
「もう、だからこれ、替えの刀が無いんってば!――どうせお腹空かせてるもんっ」
 腕に締め上げられることもなく、また泥に呑まれることもなく、ふたりは無事、畦へと戻ってきた。その光景はまるで地引き網にも似て、彩と奈々華が、それぞれの武器を構えたまま仕掛ける機会を窺い、アヤカシが完全に『陸揚げ』されるのを待ちかねていた。
 やっとのことでふたりに引き上げられたアヤカシの正体は、直径4尺あまりの、ぶよぶよとした大きな泥状の塊だった。塊から生えた何本もの腕が、それぞれ独立してのたうち回り、塊の真ん中にある、これまた大きな口へと得物を運ぶ仕組みになってい、そのグロテスクさに一同は、露骨な嫌悪感を覚えずにはいられなかった。
 ここに至って初めて、アヤカシは威勢よく唸り声を上げたが、それももはや誰を怯えさせることもできず、ただの負け犬の遠吠えにしか過ぎなかった。それにためらうことなく、グロテスクさでは負けていない刀の奈々華が、狙い澄まして強力な一太刀を見舞った。それに続き、彩が剣をアヤカシの手前に突き刺して、それを飛び越えると同時に、梃子の原理を応用し押し斬った。
 ふたつの鉄の洗礼を浴びて、アヤカシは動きを止めた。抵抗する力が急に失われたために、あやうく引き手はもんどり打って倒れかけた。しかし、これで厄介なものは片付いたのだ。
「ヤー、ショクラン‥‥助かりました赤鈴さん。これは、乾かせませんか?」
 モハメドが、まだ泥にまみれたままのアヤカシを指さして提案した。最初に切り落としたアヤカシの腕が、ぼろぼろと乾いて崩れていたのを目にしたからだ。
「ンだなぁ‥‥念のため、やっといたほうがええかもしンねぇなぁ」
 大左衛門が炎を纏った槍で薙ぐと、アヤカシに炎が燃え移り、モハメドの予想どおり、それは塵と化した。実際に、硬く脆くなるという、泥でできた日乾し煉瓦の性質を、彼はよく知っていた。こうして、このアヤカシが泥にまぎれて早乙女を襲うということは、永久に不可能となったのだった。

 残された仕事は、田植えだけであった。日の光はもう昼過ぎを示していたため、夕暮れになる前に終わらせるよう、開拓者たちは作業を急いだ。田下駄、田舟、そして泥を均すトンボを借り、実に『開拓者らしい』仕事であった。また、大左衛門から手ほどきを受けて挑んだ開拓者たちには、日頃味わえない泥の感触が新鮮であり、楽しいひとときともなった。
「すげぇー、和奏さんうまいじゃん! 何でできるの?」
「大変ですけど、難しくはないと思いますよ。‥‥ほら、こう苗をスッと取ってサッと植えて。スッとサッと。スッとサッと」
「のう、その言い方では分からんのじゃ‥‥」
「頑張って下さい。それでは農家の皆さんに、感謝もできませんよ。さあ、スッとサッとスッとサッと」
 田植えの仕方を覚えるのが一番早く、植えた列もきれいな和奏だったが、説明は同じようにうまくはいかなかった。彩と奈々華は、大左衛門に負けまいと、遅いながらも丁寧に苗を並べていた。
「おいしいお米、おいしいご飯‥‥」
「今から、収穫が楽しみですね」
 すでに技術は備わっているため、田植えとは別のところで、大左衛門は、すなわち田植え唄に夢中になっていた。天儀中を旅して回るモハメドであったが、この手の民謡を聴いたのは、今回が初めてだった。
「はぁ〜ァあ〜、夏にゃ白鷺、田螺をつつきぃ〜、秋にゃ黄金の穂が垂れる〜オラが田んぼは天儀いちぃ〜、やれドッコイショぉドッコイショ」
「ハカン、ハカン‥‥なるほど、植えながら歌うのですね。興味深いです」
 作業がはかどったのは、やはり本職ともいえる大左衛門によるところが大きかった。一同は作業が終わった後、セゴビアの持参した飲み物で乾杯し、喉を潤した。
「豊作となることをお祈りします、インシャッラー」
 泥を洗い落とし、新しい服に着替えたモハメドは、清水の杯を掲げ、祈りを捧げた。ここ天儀は、ジルベリアとは言葉も文化も違うのだが――天からの恵みが平等なことについては、それは疑う余地はない。
「何だか、この一杯のために生きてるって感じですなあ」
 セゴビアが酒杯を仰ぎ、思わずつぶやいた。心の中で、モハメドはさらに祈った。仕事の喜びについても、収穫の喜びについても、そして生の喜びについても、それは変わらなかったからだ。

 帰りがけ、ラスターはアヤカシが崩れ落ちたところに、泥にまみれた布きれが落ちているのを見付けた。ふと、何気なしにもふらと目が合うと、そのもふらは慌てて視線をそらし、照れたように知らぬ存ぜぬを決め込んだ。いったい何なのだかよく分からなかったので、彼は結局置いてきてしまったのだが、後からよく考えてみると、それは――誰かの上着のようだった。