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■オープニング本文 東房の岩がちな海岸が、魚介類の生息に適したものだということは、朝廷への献上物からもわかるとおり、歴史的に認められているところであろう。この漁村もそれにあずかり、人びとは漁を生業とし、日々を営んでいた。 男たちが船で海に出ている間、女たちは海女として、家計の足しにするための漁を行う。家計の足しとはいえど、鮑をはじめとする上級の海産物などは高い値で卸せるため、まったくの手作業ではあっても馬鹿にできるものではなかった。 彼女も、そうやってこの村で暮らしてきた海女のひとりであるが、今年は少し勝手が違った。梅雨明け早々、老いた母が暑さで参ってしまったのである。父と夫は漁へ出なければならないから、母の看病をし、かつ、自分も漁に出なければならなかった。ちょうど漁は海胆が解禁となったばかりで、この時期を逃すのは、正直言ってかなりの痛手である。 今年の夏は収入を諦めるべきか――そう悩んでいたところに現れたのが、『手伝い人』と称するあづちであった。 しばらくの宿と引き替えに、漁の手伝いをする、と彼女とあづちは約束した。本来ならば、あづちに母親の看病をしてもらうつもりであったのだが、どういうわけかあづちは漁をしたい、と主張した。危険なことを代行する、というのが手伝い人の信条らしく、彼女には、それを断る理由も乏しかった。 実際のところ、あづちに漁がつとまるのか当初から彼女は気がかりであったが、身のこなしは敏捷で、海流に負けることなく泳げるあづちを見、その心配は初日で杞憂と化した。その日の収穫も上々で、はたして当面は、彼女の母が元気になるまで、あづちが代わりに漁を行うこととなった。 「おつかれさま。どう?」 漁から帰ってきたあづちへ、彼女は声をかけた。あづちは伝統的な海女の磯着ではなく蛟の水着を身につけていたが、それでも体温の低下は防げず、いつも準備してある庭の焚き火にそそくさとあたっていた。 「ちょっと、少なかったですね」 あづちは返事と一緒に、漁獲の入った桶を彼女に手渡した。――これくらいなら。それに、手伝ってもらっているんだし。漁をねぎらい、彼女が熱いお茶を淹れてあげようとしたとき、不意に来客があった。夫の組合の仲間である。 「おう、こんちわ。旦那とおやっさんは?」 「あら、早いね。今日はまだ向こう」 彼女の答で、彼は胸をなでおろした。不思議に思う彼女へ、漁師は釈明した。 「そうかい。いやね、沖で鱶だか鯱だかが暴れてるって話よ。なんでも、ありゃアヤカシじゃねえかってことになってな」 彼の台詞を、あづちは聞き過ごせなかった。あづちがいたことに漁師は気づかず、その反応に驚いたようだった。 「――なんだ。手伝い人さん、いたのかい。じゃあ話は早いな」 「はい。開拓者を呼んできます」 あづちの提案を、その漁師は呑んだ。 「おう。組合からも頼むって伝えておいてくろ。それにしても、変なことが起こったもんだよ。俺ぁこんな話初めてでよ」 着替えもせず、そのまま開拓者ギルドに向かおうとしたあづちは、足を止めた。 「あたしも。なんでだろうね。――あれ、大丈夫かい?」 頭を抱え、あづちがその場でしゃがみ込んでいるのに彼女は気づき、駆け寄った。見ると、流氷の浮かぶ海で泳いだんじゃないかと思うくらい、顔色が青ざめている。貧血か熱中症かと思われたがそうではなく、助けの手を拒んだ彼女はすぐに立ち上がり、今までになく弱々しい声で、行ってきます、と言った。 |
■参加者一覧
羅喉丸(ia0347)
22歳・男・泰
和奏(ia8807)
17歳・男・志
ジークリンデ(ib0258)
20歳・女・魔
朽葉・生(ib2229)
19歳・女・魔
鳳珠(ib3369)
14歳・女・巫
アナス・ディアズイ(ib5668)
16歳・女・騎 |
■リプレイ本文 鳳珠(ib3369)があづちの異変に気づいたのは、依頼の説明が終わってからのことだった。普段であれば、なにをするでもなく、そのまま開拓者ギルドをあとにするのだが、今回の彼女の様子は、顔馴染みに違和感を覚えさせるには十分のものであった。 依頼へ向かう際、ギルドの相談室からあづちはいつも最後に退室していたのだが、その際、ふとひとりになった瞬間、部屋で大きくため息をついたのを、鳳珠は見逃さなかった。妙な格好(全身水着とか、泥だらけとか)で依頼をすることはよくあったが、今日のように肩を落とし、うつむいている彼女の様子は、これまででは見られなかったからだ。 目的の村までの道中、あづちは普段と変わらない調子を見せ、開拓者と言葉を交わしていた。もっとも、最初のため息を踏まえると、それは無理して繕っているようにも見えてしかたなかったのだけれど。 漁村では、開拓者たちは目撃者に会うため、まずあづちがお世話になっている漁師の家を訪ねた。まだ旦那は海から上がっておらず、夕餉の準備をそろそろ始めようとする海女のかみさんが応対した。かみさんは、こんなもんしか用意できないけど、と突然の来客に嫌な顔ひとつせず茶を供し、質問に答えた。 「今まで、こんなことはなかったのか」 「当たり前だよ。話には聞いてるけどさ」 羅喉丸(ia0347)に続き、ジークリンデ(ib0258)がこれまでに経験した、海でのできごとを尋ねた。今回に繋がるなにかの手がかりを期待したが、彼女の半生は平穏そのもので、開拓者に関わることのない生活を続けていたのだった。 この羅喉丸の率直な問いに反応したのは、かみさんよりもあづちの方だった。後ろに立っていた彼女は、その場の全員がわかるくらいに息を引き、表情を硬くさせていた。見かねて和奏(ia8807)が小さく声をかけた。 どうしました、大丈夫? ――大丈夫です、気にしないで。顔の前で手を振って否定の意味を表し、あづちはこの場を取り繕おうとしたが、かみさんのきわめて常識的な気遣いによって、その思いはかなわなかった。 「そういえば、やにわに調子悪くしたみたいだったけど、もうよくなったかい?」 ものごとがことごとく彼女の思惑とは違う方へ進み、おかげさまで、としどろもどろになりながら、今は元気、と答えた。かみさんはあまり気にしていなかったようだったが、あづちが気分を悪くした瞬間については、逆にしっかりと開拓者たちの知るところとなった。 日も傾きはじめ、そろそろ目撃者も帰って来るのではないかというかみさんの示唆があり、開拓者たちはかみさんの家から港へと向かった。かみさんに事件を伝えた漁師も含め、港か漁協なら、たいていの漁師は見つかるはずだ。 アナス・ディアズイ(ib5668)は道すがら、先ほどのあづちの反応について考えていた。無理はなさらないで下さいね、と声はかけたが、アヤカシらしきものが出現したこととあづちが体調を崩したのがまるで同時期のことのように思え、これはいったいなにを意味するのだろうかと裏を探っていたのだ。 あづちの様子については、羅喉丸はさらに考えを煮詰めていた。ある考えにいたった彼は、思い切って直接あづちに問い質すことにした。本当は彼女の知り合いに聞くべきなのだろうが、各地の宿主以外、手伝い人として各地を放浪しているあづちに知人なるものはほとんどいないであろうし、また彼女もそうあるべく振る舞っていたからだ。 「調子が悪くなったのは、いつ頃から?」 この質問にあづちは慌てて、その疑問を封じた。 「そうなのか? おばさんがああ言ってたじゃないか」 それでも、あづちはかたくなに否定するばかりであった。羅喉丸は考えの前提を覆され、深読みしすぎだったかと頭をかいた。 「今回の件と体調が関係してるって踏んでたからな」 「というと?」 「出てきたのが、あづちさんの知り合いのケモノじゃないかって」 まさか。それを聞き、あづちは勢いよくかぶりを振った。そんなきれいな話じゃない、わたしはそんなに友達いませんから。自嘲とも感じられる台詞を、彼女は口にした。 「そうなのですか。私は、あなたがあの海女さんに恩返しを――」 「わ、わたしは人間ですからね? そういうことじゃ、そういう話じゃないんです」 ジークリンデの言うとおり、世話になったことへの恩返しはもちろんするつもりだが、この文脈では昔話のような、かつて助けられたことに対しての『恩返し』を示しているのだろう。予想外の方向に発展し、あづちはちょっと吹き出してしまった。 かみ合わない会話に、朽葉・生(ib2229)が口を挟み、聞き込みへ集中するよう促した。アヤカシであるか、あるいはそうでないかは、今までの情報ではあまり役に立たないのだ。また和奏(ia8807)は、現れたものが鱶――つまり、鮫のことである――か鯱かでまた大きく異なるであろうことを指摘した。鯱ならば、魚である鮫と違いケモノだということも考えられる。羅喉丸やジークリンデはケモノの線から推理したようだが、あづちと関連している可能性は薄そうだった。 あづちの様子が変なことについて一同は謎に思いつつ、漁協や港での聞き込みを開始した。目撃情報は多く、実際に襲われた漁師にも話を聞くくとができた。 「私は海にはあまり詳しくはないんですが‥‥普通の鱶や鯱も相当大きいと聞いたことがありますが、今回のアヤカシはどうでしたか?」 「大きいね。100貫はいくんじゃないかね。竿じゃあ釣り上げられないよ。あの勢いだと、網もだめかもしんねえな」 朽葉の質問に、漁師はここからここくらいまでの大きさ、と全身を使って表現した。陸上の動物より、はるかに大きな体長であった。数人の漁師の証言から、単体で漁村の近くの浅瀬から漁場までの海底をさまよっているらしいことも、わかった。 その一方で、聞き込みを続けるかたわらで、和奏は気づかれないよう、あづちを横目で眺めていた。以前の依頼の際も似たような表情を見せていたため、気がかりに感じていたのだ。よくよく見ると、やはりひとの視線がないときには、深く息を吐いたり、肩を落としたりしている。ただ、彼にはあづちの普段の様子がこうであると確信できていないため、彼女に直接なにかをするというようなことは、慎重にならざるをえなかった。 あづちのよくわからない言動に対し、踏み込めた態度を取ったのは鳳珠であった。これまでの様子から、あづちになにをどう伝えるべきか考えに考えた彼女は、彼女なりの頓智を働かせた。 「これは私の独り言ですが――」 周りに人がいない時を狙って、鳳珠はあづちに近づいていた。あづちがなにか返そうとしたのを遮って、鳳珠は続けた。 「なにかご存知のことがあれば先にお話願います。あづちさんにも事情があるでしょうからひとりで問題を抱え込むなとは申しません。が、私は開拓者ですから依頼者をお助けしなければなりません。少しは周りに頼ってもいいのではないでしょうか」 独り言と前置きしてあったが、彼女の目はまっすぐあづちを見据えていた。まったくの正論に、あづちは打ち抜かれて言葉が出なかった。 「判断はお任せしますが、あづちさんの行動に喜んだり悲しんだりする方もけっこういらっしゃるので、心に留めていただければ幸いです」 きついひとことに、思わずあづちはその場でしゃがみ込んだ。彼女の返事を待たず、鳳珠はまた、聞き込みの作業へ戻った。 開拓者たちの聞き込みは午後いっぱいまで続いた。はたして大きさと場所がだいたいわかり、退治のため残された船の手配は、ディアズイが漁師に頼んで貸してもらえることになった。相手の大きさから、船が転覆させられたり、破壊されたりする可能性すら考えられたが、漁に出られなければないも同じ、というさばさばした漁師の心意気により、代表して漁協長が船を出してくれるという。 アヤカシらしきものの退治については、夕方も近くなってい、今からでは漁に向かない、という漁協長の判断もあって、明朝に出発する段取りとなった。宿泊する場所も、組合の計らいにより、用意してくれるという。 開拓者はただ休むだけでなく、きたる洋上での戦いに備えていた。和奏はその空いた時間を使って、ギルドから急遽騎龍を連れ出す許可をとりつけた。空から別働隊として、船への意識をそらす囮の役割になろうとする計画であった。 ジークリンデはいざという時のため、空気を入れた革袋を縛って浮き袋にし、縄でそれぞれをつないだ。これに掴まれば、海面に落ちたとしても溺れることはない。そして羅喉丸は、漁師に手伝ってもらい撒き菱を樽いっぱいに詰めたものを用意した。船にかみつきそうになった際には、代わりにこれをかじってもらうためである。口に咬みさえすれば、壊されるにせよそうでないにせよ、効果は見込めるはずだ。 翌朝、といっても夜明けを先に控えた未明の朝、開拓者たちはあらためて港へ参集した。船上で武器を振るう羅喉丸とディアズイは、念のためあづちにならい、鎧ではなく水着姿をとっていた。 すべての準備が整い、一行は船で、和奏は騎龍で出港した。聞き込みの場所はかなり広く特定できるものではなかったが、朽葉の提案により、できるだけ水深の浅い場所を目指すよう、船頭の漁協長へお願いした。海底が見えるほど浅ければ、彼の魔術により丈夫な鉄の壁が立てられるのだ。船が大きいため囲いを閉じることは難しいが、これを利用しない手はない。 この辺かね、歴戦の漁師でもある漁協長が浅瀬の真ん中で船を停めた。海底には甘藻が繁茂しているのが見えており、今回の作戦にこと足りる浅さである。船が動きを止めたのを機に、和奏の騎龍が高度を上げ、偵察とおびき寄せの作戦を実行した。 彼が提案した作戦はじつに単純なものである。水中では匂いが重要となるため、あらかじめ用意して老いた鶏の生き血を、餌代わりに流すだけであった。こういった獲物の匂いに反応し、肉食の魚や水生動物は狩りをするのである。 それでも、作戦の効果はてきめんだった。血が海面に広がっていき薄く消えてしまう前に、そのものは姿を現した。和奏の手信号が船上に伝わるのとほぼ時を同じくし、鳳珠の結界にも反応があった。 「来ます。――やはり1体ですね」 鳳珠がひとりごちた。そのものは、形こそ似てはいるものの、獲物に寄ってきた鮫でも、ひとの味を覚えた鯱でもない、その瘴気をまとう姿は紛うことなきアヤカシである。すぐ、船上からでもその姿を確認することができた。悠然と、ひれを水面からだし、まっすぐ船へと向かってくる様子は、恐怖心を駆り立てるにはぴったりの情景である。 アヤカシの方向を確認できると、すぐさま朽葉が壁を準備した。この壁は現実の鉄と同じものであるため、アヤカシでも突破するには相当の時間を要する。これで3方囲んだ場所にアヤカシをおびき寄せ、動きを封じるのだ。 しかし、その作戦にはひとつ、誤算があった。実際のアヤカシの速力が早く、壁を作るまで狭い場所に留まらせるのが困難なことである。距離をおいての魔法と、空からの牽制で様子を見ていたが、これではらちがあかないため、開拓者たちは船を寄せることにした。船とアヤカシの間に船体の高さまで壁をたててしまえば、向こうが飛び上がらない限り船は守られる、そう踏んでの作戦変更であった。 「来いよ、とびきりのごちそうだ」 これが浮くようには思えないため、正確に口に投げ込む必要があった。鉄で満たされた樽を持ち、羅喉丸はアヤカシを待ち構えた。アヤカシはしばらく壁に手こずっていたようだが、急に目標を空中の和奏に定め、水中に引きずり下ろそうと、龍めがけて飛び上がろうとした。その機会を羅喉丸は逸しなかった。 大きく開き、牙だらけの口に、獲物ではなく樽が飛び込んだ。アヤカシはその樽をいともたやすく噛み砕いたが、中の撒き菱までは処理することができなかった。ひとしきり暴れたが、いくつもの鉄が食い込んだ口は、もう使い物にはならないようだった。 口を封じられたアヤカシは、その腹いせのためか、その灰色の巨体を船にぶつけようと方針を変えた。正面からの体当たりが使えないため、下からでは効果が薄く、壁を飛び越えてきたため、ディアズイの大盾によってかろうじて防ぐことができている状態であった。 しかし、海上に姿を現したときは、開拓者にとっても絶好の位置である。戦況は、船がもともにアヤカシの攻撃を受けるか、その前にアヤカシを討ち果たすか、短期決戦の様相を呈することとなった。 アヤカシは防御を捨て、大きな腹部を剥きだしにするため、羅喉丸の気功や、朽葉の魔法の矢はほぼ当て放題のありさまである。腹に入った撒き菱もじわじわと利いているようで、ディアズイより先に、アヤカシの動きが鈍りだした。そのディアズイも、鳳珠にそのつど癒しの術を受け、その差は広がるばかりとなっていた。 しびれをきらせたのか、力を振り絞り、アヤカシがひときわ大きな跳躍をした。高さを利用し、ひと思いに船をぶち破ろうとしたのだろう。しかしそれは、開拓者たちに格好の的を提供するものでしかなかった。空中で待ち構えていた和奏の間合いに入ったアヤカシの頭は、居合抜きでしたたかに斬りつけられ、また水面から完全に浮いた体は、ジークリンデが渾身の力を込めて放った電撃の威力を余すところなく受け止めた。そしてその跳躍を、最後のものとした。 はたして、それは力を制御するすべを失い、そのまま船を飛び越えて反対側の舷へと落ちた。鱶だか鯱だかよくわからない形をしたそのアヤカシは、海の藻屑と消えた。 これで事件は解決したのだが、あづちの様子がおかしい理由は、開拓者たちにはとうてい理解しがたいものであった。自分のせいでアヤカシが現れてしまうのでないかと常々疑っていることを、彼女はついに白状した。 そう気にすることではないですよ、アヤカシはどこにでも現れるのですから、と言おうとした和奏は、言いかけて口をつぐんだ。それがわかっていれば、そもそもこうはならないのだ。言葉では理解してはいるのだろうが、心の底でなにかわだかまりを感じているのかもしれない。 「それは、私たちも一緒ではないでしょうか」 かわりに、ジークリンデが慰めの言葉をかけた。アヤカシと戦う開拓者は、アヤカシがいなくなったときにはその存在価値を半ば失うのである。そういった因果な立場は、開拓者と手伝い人では、そう違いはないように思えた。 「そう‥‥ですか」 朽葉がくれた甘酒をちびちびやりながら、あづちは思いを巡らせた。鳳珠の叱咤。開拓者のこと。そして、これまでとこれからのこと。 「ありがとう。道が見えたような気がします」 手伝い人の表情には、明るさが戻ったように感じられた。 |