|
■オープニング本文 この日開拓者ギルドに出勤したある職員は、職場の休暇率にひどく戸惑い、そしてその直後、このごろの暦を思い出した。そうか、お盆だからか。そういうことならば、休みが多いのも頷ける。 彼は次男坊で、家のすべては兄が引き受けてとりしきっていた。そのため、神楽の都に出てきてからは実家に帰ったことがない。彼は毎年、この季節になると望郷の念に駆られることもあわせて思い出し、ひとり苦笑いを浮かべた。 それにしても、と彼はギルドを見渡した。この時期は来客が少なく、時間の流れが遅くなったような感じさえした。また、外では茅蜩が鳴いており、典型的な暑夏の終わりを表現していた。 さて、開拓者はといえば、彼はギルドの奥を見回したが、普段とほとんど変わらない活気にあふれていた。人数は少なくなってはいるはずだが、そもそも開拓者は実家に帰れるものばかりではないし、ジルベリアなどではお盆の習慣すらないのだ。彼にとっては、その陽気が、いまはちょっとありがたかった。 神楽の都には、秋の足音が聞こえてこようかというところである。実りの秋になれば祭りなどの催事には事欠かない。それまでは、奮発して北面の新米でも食べてようか、などとぼんやりと考え、彼は、少しだけ気楽な日常業務へと戻っていった。 北面は時を同じくして、壱師原では、これから収穫期を迎えるにあたっての取り決めを定めるのに大忙しであった。各集落の取れ高を算出するだけでなく、それによって年の瀬までに、それを使い道ごとに振り分けなければならないのである。 もちろん、北面国に対しては石高ぶんの義務を負うため、好き勝手にするというわけにもいかない。これらの勘定はすべて、領主配下の志士たちが、みずからの足と頭と算盤で数字を積み上げていくのである。それは代々その家に伝わる、技といえば技のひとつであった。 「よろしい。承認する」 その数字の束を並べた帳面を長時間眺めたのち、祁瀬川景詮は冒頭に花押を記した。これで、補正はあるにせよ来年への示しはつく。帳面をまとめた久賀綾継は、ひと段落に安堵した。 「ご苦労。しばらくは肩から荷が下りよう。盆は、朱藩には帰らんのか」 ねぎらうでも問い質すでもなく、景詮は尋ねた。綾継から返ってきた答は、肩をすくめて放った、自嘲じみた笑いだった。 「実家には勘当されておりますゆえ」 気のないふうで、それ以上景詮は問わなかった。その無言の隙にふと思いついた彼は、主君にちょっとした意地悪をはたらいた。 「それよりも、帰りたがっているお方のことは」 ふん、と景詮は鼻を鳴らした。私は知らぬ。 漁から上がった直後の冷えと、強い日差しから来る暑さの双方に晒され体が混乱したのか、あづちは急に身震いした。きゅんと肌が縮こまるのが、蛟の水着の上からでもはっきりと見てとれた。夏風邪など患ってしまってはなにを手伝いに来たのかわからなくなってしまうため、あづちは今日の漁獲を桶に抱えて、急いで、世話になっている漁師の母屋へ急いだ。 ところが、道すがら、おかみさんが藁束で火を焚いているのを見つけ、あづちは早足を緩めた。手ぬぐいで髪を乾かしつつ、なにをしているのか尋ねると、迎え火だという。 「お盆だからね。一緒に燃やすかい?」 そう言われて見回し、あづちは各所に同様の焼け跡が残っているのを発見した。そうか。お盆なんだ。ご先祖様を呼んでいるんですね。おかみさんは大きく頷いた。 あづちは、しかし、余所者であることを理由におかみさんの誘いをやわらかく断った。こういった家の行事に首を突っ込んでしまうのもよくないことだし、また、自分が迎え火を焚くなら、それはやはり実家でやらなければけじめがつかないような気がする、そんな理由からだった。 久々に帰省したい気持ちは、あづちには多少なりとも残ってはいるのだが、それよりも、依頼でよく訪れる開拓者ギルドのかまびすしさを、彼女はまたぞろ思い出していた。ギルドにはいろいろな人がいるから、お盆もいろいろな過ごし方があるだろう。たとえ旧来と同じことをするにも、それ以外の選択肢があるのとないのとでは大きく違うというのが、彼女の持論であり、開拓者に心惹かれる遠因でもあった。 おかみさんと帰路につき、暗がりの中こうこうと燃え上がる藁を見遣りつつ、彼女は、あした、わけもなく開拓者ギルドを訪ねてみようかと考えていた。 |
■参加者一覧 / 音羽 翡翠(ia0227) / 薙塚 冬馬(ia0398) / 礼野 真夢紀(ia1144) / 倉城 紬(ia5229) / 樹咲 未久(ia5571) / からす(ia6525) / 和奏(ia8807) / 咲人(ia8945) / 静人(ia8946) / 赤鈴 大左衛門(ia9854) / ミノル・ユスティース(ib0354) / 无(ib1198) / 御鏡 雫(ib3793) / シータル・ラートリー(ib4533) / 羽紫 アラタ(ib7297) / ハシ(ib7320) / 天照 大神(ib7462) |
■リプレイ本文 開拓者ギルドは、街の静けさをよそに、ざわめきが絶えなかった。依頼の掲示板に張り出される紙の更新は日ごろほどではなかったが、開拓者たちはいつもと変わらない様子で、入れ替わり立ち替わり、掲示板を眺めたり依頼の手続きをしたりしていた。 受付の事務職員への負担も、当然のことながらいつもと変わらない様子であった。彼は職員の減った事務室で、ひとの流れが途切れる合間を見計らい、ふう、とひとつ伸びをした。 もちろん、この時期に開拓者が全員普段と同じというわけではないことを、職員は知ってはいた。ただ、開拓者自体の人数が多いため、ギルドの建物ではほとんど飽和状態になってしまっているのだろう。実際のところ、里帰りを果たしている開拓者の数は、相当数いるはずである。 樹咲 未久(ia5571)と3人の義弟たちも、そのうちに数えられていた。彼らが向かった実家はすでにあるじを喪い、まるで時間が止まったかのように、ひっそりと静まりかえっていた。こういった空き家は荒れ放題になっているのがほとんどである。しかし、長男である未久がしょっちゅう手入れをしに帰ってきているため、樹咲家は、落ち着いたたたずまいをことのほか維持していた。 しかし、残りの3人については、里帰りはまばらであった。これは唯一、おっとり然の長子が気にかけていることである。具体的な未久の怒りはお小言となって、いちばん不精している咲人(ia8945)へと矛先を向けていた。かたわらでは、薙塚 冬馬(ia0398)と静人(ia8946)が、まるで他人事のようにそれを眺めている。 「咲君? 静君の面倒ちゃんと見てくれていますか?」 「もちろん」 「たまには家に帰って、顔を見せて下さいね」 「わかってるって」 だから帰りたくなかったんだ。まるで瘴気を帯びているかのような、未久の凍った笑顔を前に、咲人はただひたすら、そのお小言が鳴り止むのを待つことしかできなかった。そばのふたりに、助け船を心の中で求めたが、それが通じるはずもなく、冬馬は袴姿の静人を、猫をあやすように頭を撫でていた。 「無理言って連れて来たけれど、これでよかったのかな」 不憫に思い、咲人に聞こえないよう小声で、静人は冬馬に訊いた。 「しょうがないよ。静はひとりで帰って顔見せてくれているんだから。それに、また4人で揃いたかったんだろ?」 「――そうだね。頑張って迎えに行ってよかった」 この差は、昼から墓参りをしたときさらに顕著に表れた。樹咲家の墓には未久の実親と実姉が弔われており、それぞれが冬馬と、咲人、静人の養親となっていた。墓への花の添え方で、義兄弟でも大きく差異を生じたのだ。これはそのまま、故人に対する想いの強さの表れであった。4人揃うと、やはり凸凹である。そう思いつつ、冬馬は苦笑いし、花を供えた。 たしかに、一緒にいることは間違いないのだが、深夜になるとその懸念の通り、兄弟は別々の行動を取った。すでに寝入った静人はさておいて、未久と冬馬は明日の予定を話しつつ、まだ互いに杯を酌み交わしていた。咲人はといえば(こっそり抜け出したつもりであるが)、冥越への方角、北の空が望める丘にて、実親の名前を記した紙を藁束で燃やし、ひとり法要を営んだ。 ひと旗落ちた。それを彼は、伝えたかった。 兄弟でなくとも、故郷が同じであれば、一緒に里帰りすることもある。音羽 翡翠(ia0227)は、祭りの警護の依頼のため帰郷が盆過ぎとなった礼野 真夢紀(ia1144)に付き添っていた。翠は普段から故郷の離れ島で働いているので、盆は普通の行事とさして変わらなかった。そのため、滅多に帰ってこない幼なじみの真夢紀を連れて帰るのが、なによりの楽しみでもあった。 家をとりしきるふたりの姉と墓参りを済ませたあと、真夢紀は翡翠とともに、実家である神社の社を綺麗にしようと思い立った。頼みの騎龍は、姉たちの龍とつかの間の再会を満喫しているため、ふたりでなんとかしなくてはならない。ただ、日ごろの掃除は、翡翠が行っていたため、それほどの重労働ではなかったのだけれど。 「毎日お掃除していますよ。このところ、姫巫女様、具合が芳しくないようですので」 「そうなんですけど、姫神様をお守りするのは、あたしの家の仕事ですしね」 境内を掃き清めたり、埃をはたき落としたり、ひととおりの作業はしつつも、ふたりは他愛のないおしゃべりと、開拓者としての情報交換に努めていた。真夢紀と対照的に、翡翠は大がかりな作戦の手伝いで駆り出される以外は島に残るため、外の国ぐにの様子のほとんどは、彼女の土産話を通じて得られたものである。 「――姫、今度はいつ帰る?」 「また、年の瀬かな」 翡翠の問いに、真夢紀はちょっと考えたあと答えた。これからも、ふたりが顔を合わせて何か特別なことが起きるわけではなかった。ただ、自分たちは、これくらいの温度でいいのかなと、そう思って、翡翠は一番の仲良しを見遣った。 開拓者は、それぞれに再開を果たしていた。无(ib1198)もそのはずだったのだが、彼の場合は、ちょっと遠回りをしなければならなかった。 彼と、彼の管狐を迎えたのは飼育小屋のケモノであった。両親が天儀中を巡って仕事をしているので、彼の生家、実家と呼べるものは実質、祖父の家ということになる。 懐かしい道をたどり、彼はただいまと戸を開けたが、昼間でありながらひとの気配はない。静かな廊下を通り、祖父がいつも篭もっている書斎に足を伸ばすと、黒板に目立つよう『山』と、ひと文字だけ書かれているのが无の目に入った。 山、とは祖父が近くの山腹に構えている研究室のことを指す。いつ帰ってくるかはとんと見当がつかないため、彼は待たずに研究室を訪ねることにした。相変わらずばらばらの場所から届く、机の上で散らかっている両親からの手紙も、いまは見て見ぬふりを決めこんだ。 祖父に会うことを、ことさらに待ち望んでいるのは彼よりもむしろ管狐の方である。研究室に近づき、祖父の気配を察すると、无のふところがやけにもぞもぞしはじめた。祖父が親代わりとして世話されたことを考えると、それも当然のことではあろう。もちろん、実際に再会すると、无もつい表情をほころばせるのは間違いないのだが。 「どうだ、都会には慣れたか」 「まあね」 祖父も孫の持ち帰る話は楽しみであり、今年は酒を携えて彼の帰りを待っていた。ほれ飲め、と祖父が注ぐのを、目を細めて彼は見ていた。 とくに彼の所属する、陰陽寮について、祖父は興味を示したようだった。五行国が直に運営する教育機関は、他の国でもあまり類を見ないものである。話の終わりには、寮の学生さんにも飲ませてつかあさい、と桃の酒を預けられ、无は照れ笑いを浮かべた。さすがに寮の中ではまずいから、ギルドで振る舞うことにしようか、と彼は思った。 和奏(ia8807)の家族は、残念ながら、それほどざっくばらんな盆の過ごし方をしようとは考えていないらしかった。法要に顔を出さないわけにもいかないし、彼の家柄が家柄だけに、それは仕方ないと割り切るしか、なかったのかもしれない。そうとしても、彼の帰省は、ちょっと居心地が悪いものだった。 彼の目論見としては、開拓者として自立して生活するよう成長した自分の姿をお披露目したかったのであるが、それは実家の雰囲気には全く歯が立たなかった。 「まあ、和奏ちゃんもこんなに大きくなって――開拓者? すごいのねー」 まるで招き猫のように座敷に配置され、中元を持ち寄る来客の相手をした、というよりは母親の、できのいい息子の自慢に付き合わされるようなものである。猫かわいがりとはこういうことを指すのかどうか、彼には知るよしもない。唯一の幸いは、彼が母親にどう言われているか、お世辞のたぐいをさっぱり理解していなかったことである。 耳が右から左の弟を見、彼の兄は同情を禁じえなかった。法事とはいえ、わざわざ毎年帰ってこなくても、そこまで問題にはならないとは思うのだが。母親のかしづき癖をなんとかするためにも、その方がよいのではないか。それでも、これを直接和奏に伝えることはいつもためらうのだった。まだまだ、兄も弟離れが済んでいないようである。 今回は、からす(ia6525)は、先祖の墓を訪れたというわけではなかった。 彼女が訪れたのは、ジルベリア南部、リーガ城からほど近い街道沿いの戦場跡である。今からおよそ1年と半年前、ここで帝国に反旗を翻したコンラート・ヴァイツァウ率いる反乱軍と、正規軍が激突したのである。いくさにはつきもののことであるが、双方の陣営から多くの犠牲者を出した戦いのあと、この地には戦いを記念し、また戦没者の冥福を祈るため、石碑が建てられることとなっていた。 石碑を訪れるものは少なく、この短期間の間で、雨風によりめっきり汚れてしまっていた。彼女は天儀での墓石同様、これを磨き清めて、仕上げに百合と薔薇を献げた。供えものは、向こうから持ってきた酒と水である。帝国のものを挙げた方がよかったかもしれないが、今回は調達できなかったため、次回以降の課題ではあろう。 ジルベリアでの『墓参り』を終えた彼女は、ふと思い立って、近くの木の枝に天儀の風鈴を結びつけた。安らかに眠りたまえ。この涼しげな音が、きっと英霊を慰めてくれるにちがいない、そういった考えからであった。 道行く旅人が、その一部始終を見てからすに尋ねた。いったいなにをしているのですか、と。 「盆、というのがありまして」 彼女はこれが天儀に伝わる行事だと答えた。毎年この時期になると、私たちの国では死者の魂を弔うのです。 「では、逆賊の魂も含むのですか?」 彼の素朴な問いに、軽く笑ってからすは言った。 「死者に貴賤も陣営もなし。生前の宿敵は、転生後の兄弟かもしれませんね」 転生できるかどうかはまったくの願望でしかなかったが、その答に、旅人は納得がいったようだ。からすはまた笑って、碑に軽く礼をしたあと、霊騎にまたがり颯爽とその場を去っていった。次の機会は定かではない。しかしまた、自分はここに帰ってくるだろう、という思いを残して。 盆の行事を、初めて体験するものもいる。天儀の外からやってきたものにとって、初めてなのは当たり前であり、そんな開拓者が、どのように盆を過ごすかも、十人十色であった。 シータル・ラートリー(ib4533)はこの風習があることを知り、友人の倉城 紬(ia5229)へ、無理を言って彼女の里帰りへ同行させてもらった。時間の節約のため、石鏡まで騎龍に乗っての長旅をすることは彼女の経験にはあまりなく、それだけで彼女の知的興味は興奮を覚えるのだった。 前もって、実家には紬からの連絡が行き届いているため、異邦人であるシータルの受け入れは難なく行われた。お互いの礼儀作法を尽くしつつ、倉城家の一員として、彼女は数日を過ごすこととなったのである。 盆という存在に、見るもの全てが新鮮に映るシータルは、質問を欠かさなかった。天儀の人びとにはもはや当たり前となったこの行事を、1から説明するのは、紬にとってそれはそれで難儀するものであった。盆の天輪教における宗教的行事としての成り立ち、先祖の魂を招くことと精霊馬について、そして迎え火と送り火もしくは灯籠流しについて。紬が厨房仕事で忙しいときには、彼女の父が代わってこの難題を引き受けていた。 ひとしきりの興味が満たされると、縁側にて、ふたりは涼んで夜を過ごすことにした。天儀の着物もあつらえてもらい、気をよくしたシータルは、思い切って、友人に誘いをかけてみようと思い立った。 「紬さん、今度は、ボクの故郷においでになりませんか?」 故郷に帰ろうとはおくびにも考えていなかったので、そんな台詞が出てきたことにシータルは自分自身でも驚いていたようだったが、紬は是非に、と、喜んで彼女に答えた。 倉城家の父母と4姉妹にひとり加わった今年の盆は、それぞれにとって貴重な体験となったのは疑いのないところであろう。有意義な日々を過ごし、また神楽の都に帰らなければならないことが、シータルにとってはとても名残惜しく感じられた。 同様にハシ(ib7320)も、盆は初めてではあったが、彼はさらにアル=カマルから天儀へ来たばかりであり、それはまさにおのぼりさんの様相を呈していた。 開拓者となってから日も浅く、頼るあてがないため、彼はギルドの受付に、観光案内をしてくれないかしら、とせがんだ。それは勤務時間内のことでもあり無理な願いであったが、彼の立場に理解を示した職員は、盆についての概要をこと細かく説明し、散策を勧めた。ハシはその礼として、受付の机越しに職員を抱きしめ、初めての盆、そして神楽の都を味わうため、街へ繰り出していった。 やはり初めて見るものには弱く、店での売り物が故郷とは全く違う天儀に、ひとつひとつ可愛い、と反応してしまう彼であった。しばらく観光という名の買い物を続けると、盆で慌ただしく街を巡る僧が彼の目に入った。 僧が身につけている錦の袈裟は、アル=カマルにはない色使いであり、それに彼はいたく興味を示した。彼の趣味の大部分は、その服装に反映されているのだ。 「あらやだ、この衣ステキじゃないー、なに、坊主っていうひと?」 しかし、僧にとっていまは年末に次いで忙しい時期であり、次の檀家に行かなければなりませんので、とやんわりとハシをあしらい、そそくさと雑踏の中へ消えていった。ただそれだけでは心ないので、僧は彼に、うちの寺で、夜に盆踊りをやりますからどうですか、と誘った。彼がこれに乗らないはずもない。 「お寺? 盆踊り? 行く行くー。お囃子もあるの? じゃあ伴奏もしちゃうわよー」 彼の笛の腕が披露できるとあって、彼はひときわ喜んだ。開拓者となって初めて、彼はその、自分の判断が間違っていなかったと自覚していた。 盆とはいえ、普段と変わらない生活を送っていけない法はない。御鏡 雫(ib3793)の営む診療所は、名目として盆休みのための休診を標榜してはいたが、その実は、普段と変わらない作業に追われていた。ただ、診療所を訪ねる患者がいないだけの話である。 普段手の行き届かない細かな部分や、薬品、器具の補充、整頓をこなしながら、彼女の意識は、これまでに自分が診てきた患者に向かっていた。また、自分の技量、また精霊の加護も及ばず命を落としたものに対し、このような不幸が起こらないよう、誓いを新たにし、また冥福を祈るのであった。 昼も過ぎると、休診であるにもかかわらず、急に体調を崩した患者が診療所の門を叩いた。熱に中ったり怪我だったり、大半は急を要する症状であるため、患者が来るなり彼女は、休む間もなく彼らを受け入れた。 ここに限らず、天儀の至る所で、同様のことが起きているにちがいない。炎天下の診療所で、彼女は東房で見た、老医者の小さな診療所を思い出した。この暑さと忙しさで、体調を崩してなければいいのだけれど。 休みのところすまないね、と患者に言われ、雫ははっと我に返った。いけない。医者に感慨は禁物である。 「馬鹿を言っちゃいけないよ。病人怪我人が助けを求めててそれに応えないやつの、どこが医者だって言うんだい。ほら、礼はあとでいいから、いまは治すことに気を遣って」 ギルドでは、武天にて新たな戦雲が湧き上がっている話で持ちきりであった。いずれまた、いくさは起きるのだろう。そのときには、これまで以上に手厚く看護してやろうと、彼女は準備に余念がなかった。盆という単語は、もはやすでに彼女の頭の中から消え失せていた。 長男(双子であったため、自分が兄となっている)に振り回された経験を持つ羽紫 アラタ(ib7297)は、実家に帰ることには消極的な考えの持ち主である。家業である医者を継ぎたくないと言って家を出たあげく、やはり継ぐ、と戻ってきてしまっては、いくら仲がよくても頭に来てしまうのは抑えられない。自分が家のためやってきたことが無駄になってしまうのが、何とも腹立たしかった。 里帰りしたところで、家族の邪魔になってしまうだろうし、これといって受ける依頼もないため、彼は河原にいい場所を見つけ、そこで余暇を過ごすことに決めた。大きな木が作り出す日陰と、川をそよぐ涼しい風が、避暑にはもってこいである。騎龍を連れ、アラタは読書にいそしんだ。 しかし、暇というものはそう簡単に消費できるものではない。持ち込んだ本をあらかた読み終わってしまうと、彼は思うところあって、術式の練習を始めた。 彼の使う術は、かけ声をおもに2通り、使い分けていた。ひとつは一般に九字として知られている『臨兵闘者皆陳列在前』であり、もうひとつは、もともと命令として文末に用いられていた魔除けの呪文『急急如律令』である。またそのほかには、『オム・マニ・ペメ・フム(慈悲と知恵により悟りの境地へと導かれる、の意)』という、天儀からではない由来の呪文もあり、符の用途に分けて無数に用意されていた。 彼は疲れるまで術の練習を行い、間に休憩を挟み何度も行った。集中を維持できるぎりぎりまで術を使い込むことにより、さらに集中力を高めることに役立たせる練習である。まとまった時間のとれなかった彼には、この疲労は肉体的、精神的にもいい刺激となった。そしてなにより、木陰の涼しさがまたたまらないのだ。もうすこしだけ、などと二度寝の心境に陥りつつも、彼は充実した余暇を送ったはずだ。 ジルベリア出身のミノル・ユスティース(ib0354)が、街の人出の少なさに気づいたのは、父親がかつて、彼に盆の習慣を話していたことを、ふと思い出したからだった。神楽の都で買い物をしつつ、彼は、天儀のひとは盆に故郷へ帰るのが一般的であることを考え、それから、自分の故郷はどうなのかな、と思いを馳せた。 家を継ぐはずだった姉と天儀へ来てしまったため、今さら故郷を思うのもおこがましい、という声が頭の片隅で繰り返していた。なにを言っても言い訳にしかならないことは彼も重々承知の上である。それでも、こういうときは感慨深くなってしまうものなのだ。 家に残した父母、祖父、そして知人は元気にやっているだろうか。彼はしみじみとその顔を思い浮かべた。父母の顔はどうやっても笑顔にはならなかったが、その懐かしさは、天儀で開拓者を続けることを、いくぶんは助けてくれそうではあった。 たしかに、故郷に帰ることは無理かもしれない。しかし、金輪際帰宅しないということでもないのだ。たまには姉と、ジルベリアの郷土料理を食べてみよう、そう思い、彼はまた夕餉の具材を買いに、夕方の都へ溶けこんでいった。いまは気持ちだけでも、実家に帰るのを味わいたい、それくらいしてもいいだろう、というはかない願いが、そこにはあった。 跡取りでかつ、天儀へ修行に出てきた赤鈴 大左衛門(ia9854)は、また複雑な気持ちを整理しなければならなかった。村を発つとき、修行が終わるまでは帰らないと誓ったため、帰りたくても帰れない、というのが彼の正直な内心である。しかたなしに、彼は形だけ、故郷の方角を向いて、軽く南無南無と、拝むことによって法要を適当に済ませていた。 戻れねェのは仕方がねエだス。ただ、盆であっては大声を張り上げて修行をするわけにもいかないので、いかがすべきかと彼は開拓者ギルドにて、頭を悩ませていた。 あづちを見つけたのは、そのときである。つい思わず、彼はいつもの延長でまたアヤカシだスか、と訊いてしまったが、今日のあづちはそうではなかった。お盆だし、特に理由も意味もない、と彼女はばつが悪そうに話すと、大左衛門はちょうど今晩の、盆踊りの話題を持ち出した。 「盆踊りァ付き合わねェだスか? お詫びに屋台でなんぞ奢るだスよ?」 いつものあづちであれば、丁重に断っていただろう。いまは、しかし、彼女は自分の役割から離れたい一心で、結果的には大左衛門の誘いを容れた。 「遠慮せずどンどン食うだスよ」 広場いっぱいの屋台を前に、ふたりはあれやこれやと食べ巡った。彼なりの気遣いで、金魚すくいや射的など、景品の出るものは勧めなかった。手伝い人という立場では、お土産を持たせるのはあまりよろしくないだろうから。 腹ごしらえも終わり、ふたりは盆踊りの輪へ加わった。いつもと違い、囃子がやたら陽気な、異国情緒あふれるものとなっていたが、これはハシの葦笛が原因である。大左衛門の見たところ、踊るあづちの動きはきびきびとしてい、それほどどじだとは思えなかった。しばらく踊り続けても、彼女は彼と同様に、肩で息をするほどに疲れてなどいなかった。 夜も更け祭りも終わって、大左衛門はあづちを村近くまで送ることにした。まだ熱気がおさまらない中で、彼は感想を尋ねた。 「久しぶりで、楽しかったです」 それから、彼女はぽつりぽつりと話し始めた。故郷での盆踊り、そして両親の記憶。彼は彼女の表情を横から眺め、今は、それがもうなくなってしまっているものだということを、暗がりの向こうから悟った。それはまた、強い諦めと決意の表れであった。 彼女は彼女。彼女のやることには、私は口を出せない。しかし、私のやることは、私が決めるのだ。もしそれで、彼女がなにか申し立てるのならば、そのときはそのとき――つまり、それまでである。 それぞれの想いの上に、夜は平等に闇のとばりを下ろしていった。次に昇る太陽は、これまでよりも日差しは柔らかくなってい、また暮れるのも早い。 盆が明ければ、9番目の月、そして秋はもう目の前に迫っていた。今年ももう、3分の2は過ぎ去っているのだ。 光陰矢のごとし。盆を過ごした開拓者は、いっそうそれを強く感じたことだろう。 夏は終わりを迎える。 |