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■オープニング本文 「半丹、用意できたか」 向阪膳六の問いに、半丹丸は音もなく頷いた。二人の目の前には、大八車と、それにほぼ満載され、縛り付けられている木箱が鎮座していた。膳六は幌布に手を伸ばすと、木箱の上から、それを覆い始めた。半丹丸がすかさず手を貸した。 知り合いの僧から、膳六が北面での報せを受けたのは、正月気分がまだ覚めやらぬころであった。驚いて東房の対応を問うと、その僧は言葉を濁した。 「実はまだ、具体的に決まってなくてね」 東房の僧たちがハト派とタカ派に分かれていることは、膳六も聞いたことがあるが、知人の話によると、静観を決めこんだとのことだった。やはり、意見の一致をみたとしても、積年の仇敵を積極的に助けようという方向へは向かいにくいのかもしれなかった。 確かに、北面との軋轢については、膳六も理解してい、ことあるごとに隙を伺う隣国について快く思えるものではなかった。しかし、と彼はみずからに言い聞かせた。この戦いで一番苦しんでいるのは、他ならぬ民なのだ。 私は行く。しばらくの思案ののち、膳六は知人にそう伝え、ひとりの町医者として北面に赴くことを打ち明けた。知人は驚きながらも、止めも推しもせず、このような状態だからなにも力になってあげられないことを、素直に詫びた。 それから数日かけて、膳六は診療所のあらかたの荷物をまとめ上げた。いぶかしがる周囲には、診療所の建て替えをすると言い繕い、それでしばらくの暇を許してもらった。 膳六と範囲丸は、こしらえた荷物を黙って眺めていた。あとはこれと、自分たちが北面に向かうだけである。道中どのようなことが起こるかは皆目見当がつかなかった。アヤカシと鉢合わせてしまうかもしれないし、双方の兵に止められるかもしれない。 それでも、と彼は考えていた。膳六はすでに、開拓者に護衛を頼んであった。こういうときに動けるのは、開拓者ギルドをおいてほかにない。彼らなら、万難を排して、困っているものの助けになってくれるからだ。 |
■参加者一覧
滝月 玲(ia1409)
19歳・男・シ
月酌 幻鬼(ia4931)
30歳・男・サ
トカキ=ウィンメルト(ib0323)
20歳・男・シ
明王院 玄牙(ib0357)
15歳・男・泰
无(ib1198)
18歳・男・陰
御鏡 雫(ib3793)
25歳・女・サ
リィムナ・ピサレット(ib5201)
10歳・女・魔 |
■リプレイ本文 大八車に重さの限界ぎりぎりまで乗せられていた積み荷は、大人ひとり子供ひとりの、ふたりの荷物としては破格の多さだった。しかし、おもな中身である膳六の商売道具は、保護のための緩衝材を念入りに詰め込まなければならなかったため、これだけの嵩になってしまうことは避けられなかった。 これは逆に言うと、大きさの割に重さはそれほどでもないことになるため、その点では開拓者たちの懸念を払拭することとなった。荷車が軟弱な路面にはまったときの苦労は、生半可なものではないことが容易に予想できるからだ。 「いや、頭が下がります。俺には真似できませんよ。真似したいとも思いませんしね」 これが挺身奉仕の精神ってやつですか? いちばん嫌いなものの範疇であり、臆面もなくトカキ=ウィンメルト(ib0323)は言い放った。ただ、その言葉に秘めたものを知ってか知らずか、膳六が意気込んだため、彼はちょっと鼻白んだ。 「いいじゃない。膳六さんも医師として、できることをしようとしているんだ」 御鏡 雫(ib3793)が割って入り、膳六の擁護をした。雫はこの北面での合戦でも戦地へ赴き、実際の光景を目の当たりにしていたため、彼の行動には全面的に賛成の立場でいた。 雫以外にも、おおむね開拓者は東房と北面の壁を越えようとする膳六を支持する向きである。しかし、膳六は護衛以上の支援を受けることは頑なに拒んだ。大八車も自分で牽くと譲らず、また彼の志に賛同した雫が支援物資の提供を申し出ても、それは自身で役に立てて欲しいと穏やかに固辞した。 「それが自分の仕事ってやつかい?」 ま、いいんじゃないかねえ。とは言っても、俺は護衛の仕事が苦手なわけだが……。そう呟きながら、月酌 幻鬼(ia4931)はこの頭の硬い老医師を眺めていた。扱いにくそうだな、と玄牙が思っていた矢先、ふと、膳六の傍らにいる少年と目があった。 「ん? おまえもなんか言うかい」 開拓者が依頼人を訪ねたときから、半丹丸はずっと押し黙っていたが、幻鬼が促しても彼はだんまりを貫くようだった。なにを言わんとしているのかまったくわからなかったが、半丹丸が自分を気にしていることはなんとなく感じられた。そういや、前も同じような顔してたな。あのときみたいにまた鬼がでてくればいいんだが。 「そうかいそうかい。まあ、心配するな。なんとかなる」 それだけ言って、彼は半丹丸の肩を軽く叩いた。 膳六と大八車が北面へ向け出発したのは、それからまたしばらくあとのことだった。無用な危険を避けるため、経路を念入りに選ぶ必要があったからだ。また、もしも双方の兵に遭遇したときは、どうやり過ごすかで無事通過できるかどうかも変わってしまうため、街で得られる最新の情報は道中欠かせなかった。 「双方が困らないで済む方法を模索したいですね」 明王院 玄牙(ib0357)の手には、きょう頒布されたばかりの瓦版が握られていた。『大賞金首・冥越八禍衆の弓弦童子誅滅さる』の見出しがでかでかと踊ってい、北面は東和平野での合戦が開拓者の優勢に決したことを報せるものである。その中には、膳六の間接的な助けとなるであろう、東房の援軍についても言及されていた。 歓喜に沸き立つ瓦版は楽観的な空気を一同にもたらした。しかし、勝負はあったとはいえ油断はすることはできない。もしものため、滝月 玲(ia1409)は丈夫な毛布を持参し、大八車の荷物をこれで包み直した。速度を上げて突破を計るときには、この毛布が中身を荷崩れから救ってくれることだろう。 「絶対、北面に送り届けますから!」 抜かりないよう、加えてリィムナ・ピサレット(ib5201)がギルドや旅商人から、この時勢に通行可能な街道の聞き込みを行った。北面からやって来たものはほとんどいなかったが、宮野や壱師原など、一行が目立つ主要な拠点を避けて清和まですり抜ける道筋は、十分にはっきりと示すことができた。 ここまで計画ができれば、あとはアヤカシと出くわさないことを願うばかりである。无(ib1198)は経路の確認のため、地図を人差し指でなぞった。ちょうど道が北面と東房の境目に差し掛かったところで、彼は指を止め、懐の狐に呟いた。 「国境越えね。でも今回、越えるは国境だけじゃない」 大きな合戦があったにもかかわらず、道中は静かだった。アヤカシに破壊され住民が退去した街を横目に、開拓者と大八車は順調に道を進んでいった。 大八車をずっと牽き続けている老体の膳六は疲れたの言葉一つ漏らさなかった。心配した雫とリィムナが頃合いを見て休憩を勧めないと、いつまでも彼は休もうとしなかった。 「みんな苦労はしてるんだ、あたしだってこのくらいは骨を折らないとね」 とは膳六の言いであるが、そこまでしなくても、というのが開拓者の正直な気持ちである。膳六はさらに、開拓者へ言い訳を続けた。 「なにかしようと思った。それだけさ。好きにさせてつかあさい」 「……そうやって覚悟が出来ていれば、俺たちはその後押しをするだけだ」 そこまで堂々と言われると、開拓者としてはそうですかと答えるほかなく、トカキなどはただ、しょうがないね、とばかりに肩をすくめた。玲が持ち前の熱血漢を発揮し、老医師を励ました。表には出ていなくとも、疲れは確実に溜まってしまうだろう。それを少しでも和らげようとしていた。 「こんな素晴らしい方も居るんですね」 玄牙は正直に気持ちを伝えた。東房にこういう人がまだ残っているのなら、命を落としたあの僧の祈りも、無駄にはならないだろう。 膳六の密かな熱気に押され、粛々と目的地に進んでいた開拓者たちの歩みは、しかし、予想通りに国境で一端止まることを強いられることとなった。大八車がかろうじて通れるほどの小さな街道ではあるのだが、僧兵とひとめでわかる5人ほどの大男が、開拓者たちに誰何すると、そろそろと近づいてきた。 お互いが、これからどのような展開になるかわかってしまったので、ぎくしゃくした雰囲気があたりを包んだ。しかし、それに臆せず、僧兵のひとりがおきまりの台詞を述べた。 「この街道は封鎖されている。引き返してくれ」 僧兵たちは、開拓者に劣らない体躯のものばかりだったが、もちろん、それに臆する開拓者ではなかった。まず玲が口火を切った。 「話を聞いてくれ。俺たちは護衛だ。医師を北面まで連れて行くことになっている」 「この先は危険だ。なおさら通すわけにはいかん」 「危険なのはわかっている。だから開拓者が護衛についたんじゃないか」 「開拓者は構わん。だがそれ以外のものは通すなと仰せつかっている」 僧の言い分も、理解できないことはないのだ。ここ数日だけでも、合戦がすべて終結したと思いこみ国境を越えるものがあとを絶たないのだ。そのうちひとりの商人が、アヤカシに遭遇し命からがら引き返してきたが、そのほかは北面に辿り着いたかどうかも定かではなかった。開拓者だけの行軍でもなければ、襲われて難なく通過できる可能性は、限りなく少ないと考えられていた。 はやる膳六をなだめて東房に引き戻せば、ことは丸く収まるのかもしれない。しかし膳六の姿勢に心打たれていた開拓者は、そんなことはしなかった。僧兵達に正面から、猛然と抗議を始めた。 「苦しんでいる人々を救うのに、北面も東房も関係ないですから!」 「あなたの立場もわかる。なれど、近しい者が犠牲になったとしたらどうだ。少しでも救いたいと思うなら、その心音俺達が預かろう。だから今だけは」 リィムナと玲がまず情に訴えれば、次に雫は医師の重要性を説く。雫は実際合戦に参加したこともあり、話しぶりはあくまで現実的なものであった。そして少しずつ、あとになるに従い熱を帯びていった。 「実際に見てきたんだ。彼の地には、民も兵の別なく、医師や医薬品の不足で救われるはずの命が多数失われているんだよ。今この時も……ね。だから、あたいも膳六さんの志を知って、戦場への案内を買って出たんだよ。それがわからないなんて」 僧兵とて、わからずやではない。開拓者の意見に、頷きながら耳を傾ける者もいた。しかし、あくまで公僕たるこの僧兵たちは、あえて頭を硬くすることを選んだ。気持ちはわかるけど、規則を規則たらしめるために、例外を認めるわけにはいかない。それに東房にも、患者はたくさんいるのではないか。 この僧兵の台詞は、開拓者たちをいたく刺激した。 「おやおや、すんなりとは行かせてくれませんか……面倒ですねぇ」 ゆらりと、トカキが口を挟んだ。かれは人道的な理由であることを通り一遍語ると、一転して掌を返した。 「これで北面のだれかが治療を受けられなくて――」 亡くなったらあなたたちの責任ですよ。しかしその台詞は、无の鋭い邪魔にあい実際に発されることはなかった。无は僧兵達の主君の名を挙げ、その場を取り繕った。まだ、強行突破を選択する場面ではないと踏んだからだ。 「この医師がいままさにせんとしていることは、雲輪殿や天輪王の北面への行動そのものですよ」 「そう。雲輪殿も民のために立ち上がったのだぞ。仇とやらでその志に泥を塗る気か?」 立て続けに鋭い指摘が玲から放たれ、僧兵は背筋を正した。もちろん、彼らは北面に対しては言い感情を持っているとは到底言いがたい。しかしそれでも、開拓者と一悶着起こしてまで、それを貫こうとするものが存在しないのも、また一面の事実であった。 「それでもなお、判って貰えないって言うなら仕方がない……ね」 「面倒は起こしたくないんだがな」 後ろに控える幻鬼と雫が軽く威圧すると、ようやく僧兵達は気押されてひるんだ。このまま無理矢理にまかり通ることもできたが、開拓者という体面を考え、助け船を出すことにした。それはとりの玄牙の仕事となった。 「まあまあ、みなさん矛を収めて。僧のかたも、ここは誰も通さないようお役目を負っているんですからね。あまり無理も押しつけられません。ただ、戦場では北面のかただけでなく、東房から援軍に参加したかたもいるのはご存じですよね」 玄牙の問いに、僧兵たちは相互に顔を見ながら頷きあった。 「ですから、ここは――」 形だけ強行突破された風に仕立て上げてみてはどうか、と提案しようとしていた幻鬼であったが、しかし、それは突如聞こえたわななき声にかき消された。 「鬼が来たぞ!」 その声に真っ先に反応したのは幻鬼である。彼が太刀を構え、声の方向に駆け出すと、その後をすぐに他の開拓者が追った。 この切り替えの早さは、開拓者だからこそできることであった。一同に追随するのが精一杯だった僧兵に、无は後ろを振り返らず言った。 「精霊と共に歩み人々を守り導く、それが天輪教の教えと解釈しています。人を助ける、という精霊が対等と認める行いをすることも、その教えに沿うのではないかと思うのですがね」 餅は餅屋のごとく、開拓者は八面六臂の動きを見せた。この局面ではトカキも積極的に動き、膳六達が残る大八車へは、透き通る大鎌を存分に振るってアヤカシを近づけさせなかった。 「命を繋ぐ大事なしるしを、貴様らなんかに渡すかよっ!」 さらに玲が鬼どもの気を引きつけ、十分な隙を作る。そこを狙い澄まして叩き伏せるのは、アヤカシを長年相手にしてきた開拓者の真骨頂である。このときばかりはみな一致団結し、幻鬼の炎刀も、雫の薙刀も、太刀筋に迷いは微塵も見られない。 その意気は、後陣たるリィムナについてもなんら遜色はなかった。いかづちの狙いをつける研ぎ澄まされた集中力は、いかなる雑念の邪魔も受けなかった。隣にいる膳六と半丹丸を守ることだけが、いま彼女を突き動かしている原動力であった。 「酒の肴にもならないな」 幻鬼に言わせると、ちょっと手応えがなさ過ぎるほど、アヤカシはあっさりと塵芥に帰した。相手は合戦の戦線を離脱した敗残兵であり、それに開拓者がここにいることなど予想だにしなかったのだろうか。最後の1体は、玄牙の釵にかかり、国境の地へくずおれた。それを確かめると、玄牙は静かに宣言した。 「膳六さんの思いは、誰にも邪魔させない」 怪我人の手当をし、全てが片付いたあとでは、開拓者と膳六たちの前途を塞ごうとするものはいなくなっていた。僧兵のひとりが、代表して開拓者に伝えた。 「我らが規範を守るのは、目的でなく手段であったことに気づいたよ。形は違えど、目的は同じだったのだ。きっと王もわかってくれよう」 膳六が僧兵をねぎらい、あらためて大八車を牽くために、肩をぐるぐると回し始めた。 「無理聴いてもらって済まないね。やっぱり、話せばわかり合えるってもんだね」 最後の行程を安全に消化し、はたして、一行は患者の待つ東和平野へと到達した。合戦の後処理がいまだ続くこの地において、膳六の腕とその資材、そしてそれを守り抜いた開拓者たちは、喉から手が出るくらいに待ち望まれていた人的支援であった。開拓者の手伝いの甲斐あって小荷駄隊の一角に陣取った膳六は、ようやく、自分の出来ることをし始めた。 「今回彼らが越えたのは、人心の垣根、過去の遺恨、ね。さて……」 帰途につき、无は国境での出来事を思い出してひとりごちた。私らも『越える』よう精進しないとねぇ。 それにしても、と彼が考えていたのは、また別の越境者であった。一行が北面を進んでいる途中膳六に、今回と同様に国境を越えたものがいると話すと、それなら知っているよ、手紙ももらった、と彼は答えた。 「あづちっていってね。開拓者になって北面に行ったみたいだが、おまえさんたちの知り合いかい?」 知り合いもなにも、と、无とリィムナは顔を見合わせた。 「あたしも、あの娘と同じにいろいろ越えることができたみたいだよ」 この先、開拓者であろうとなかろうと、目の前に高い壁が立ちはだかることがあるだろう。今回の国境越えで得られたものが、きっと、その壁を越えるのに役立つにちがいない。 越えられたということは、しかし、壁などもとより存在していなかったのかもしれない。なぜならば、東房と北面を同様に覆い包む空は、いついかなるときも同じ色をしているはずだからだ。人間も、そしてその心も、そうであってほしかった。 もうすぐ、ふたつの国にひとしく、春の足音が聞こえようとしていた。 |