山の幸は何色?
マスター名:ほっといしゅー
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: 普通
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2010/09/09 00:58



■オープニング本文

 硯と帳面を前に座して、その商人は頭を悩ませていた。仁生の目抜き通りにある彼のよろず屋は日が傾き、夕方になっても絶え間なく客が訪れていたが、奥ではその活気とは正反対の空気が、部屋の中を満たしていた。
 どうしたものか、と彼は唸った。考えなしに筆を動かしてみても、当然のことながらうねうねと蚯蚓がのたくるだけで、助けがすらすらと出てくるわけがない。選択肢は『する』か『しない』かのふたつにひとつしかなかったが、目の前の墨の染みがどんどん大きくなっても、彼は答えを決められずにいた。
 彼が迷っているのは、何のことはない、アヤカシ退治についてである。ここ近年、この時期になると、彼は北面で収穫されるたくさんの新米と引き替えに、東房の山奥にある小さな村で山の幸を仕入れるのだが、悪いことに、その村までの道にアヤカシが出るという噂が立っていた。行商がその村に出かけたきり帰ってこないなど、間接的な証拠は示されているから、何もないということは考えにくい。彼は道が地滑りで崩れたとか、別の理由だったらいいのに、と思ったが、思って事実が変われば誰も苦労はしないのだ。何もしなければ、そのまま秋を迎え――運が悪ければ、道すがら自分が餌食となるだろう。
「旦那、そろそろ店じまいにしますよ」
 若い番頭に呼ばれ、彼は日が暮れかけていることを初めて悟った。ああ、よろしくお願いしますよと声をかけ、油皿に火を入れると、また彼はどうしようどうしよう、と煮え切らない態度を決め込んでいた。5枚の紙を無駄に黒く塗りつぶしたあと、彼はようやく考えを変え、それぞれ起こりうることについての評価を始めた。まず、自分がアヤカシとご対面することだが、命あってのものだねであるから、これは論外だ。こうならないためには、アヤカシを退治してもらうか――あるいは、今年の仕入れを止めるか。
 いやそれもだめだ、と彼は否定した。色鮮やかな干し柿や干し無花果、山菜をはじめとする山の品物は、都市部では品薄なのでみな飛ぶように売れるのだ。この商機を逃すと、その年の儲けの何分の1かが、あっさりと吹っ飛んでしまう。それに、かなり悲観的だが、次の年までアヤカシが退治されずにいたら、おれはどうするのだ。また同じように悩むというのか? ばかばかしい。
 もちろん、単なるアヤカシ退治ならば、彼も頭を痛めることなく、進んで開拓者ギルドに助けを求めたであろう。裏を返せば、彼にはそれができない、よんどころない事情があったわけである。商人の、表沙汰にできないもの、とくれば誰でも思い至ってしまうので、彼は煙すら立たないよう『身ぎれい』にするのに、いつもひどく腐心していた。彼がギルドに頼みかねているのも、その理由からである。もしも、仮にごく一部の開拓者にだとしても、事実が外部へ漏れることがあったら――開拓者には袖の下ですら役に立たないのだ。その可能性を考慮すると、彼の胃袋は不安でちくちくと痛んだ。
 とはいえ実のところ、彼にとっては、とあるお得意様にどう言い訳するか、の方がまだ厄介であった。アヤカシに怖じ気づいて仕入れに行けなかったと聞いたら、壱師原のとの様のことだ、いったい何を言われるか(言われるだけで済むなら、まだましかもしれない)わかったものではない。――やらなきゃだめか。彼の脳裏にお得意様の冷ややかな視線が蘇り、天儀のいち市民である彼の肝は、それだけで縮み上がった。
 はたして、彼が重い腰を上げ、開拓者ギルドに依頼することをようやく決心したのは、それからまた数日後のことであった。


■参加者一覧
犬神・彼方(ia0218
25歳・女・陰
篠田 紅雪(ia0704
21歳・女・サ
赤鈴 大左衛門(ia9854
18歳・男・志
将門(ib1770
25歳・男・サ
セゴビア(ib3205
19歳・女・騎
言ノ葉 薺(ib3225
10歳・男・志
田宮 倫太郎(ib3907
24歳・男・サ
ドン・シルクハット(ib4106
19歳・男・シ


■リプレイ本文

 依頼者の商人について、何も怪しむべき点がなかったのが却って怪しかったのかもしれない。言ノ葉 薺(ib3225)と田宮 倫太郎(ib3907)は彼の店にて依頼の詳細を聞いたとき、てっきり護衛を頼まれていたものと考えていたため拍子抜けしてしまった。危険は件のアヤカシがすべてというわけではないのだが、荷物自体を運ぶのに開拓者の手助けは要らないのか尋ねると、アヤカシ以外は店の用心棒で何とかなるという。依頼者に自分の剣さばきを見せられないことが、倫太郎にとって残念でならなかった。
「私はこれから、米の買い付けをしなくてはなりませんので」
 彼は加えて、同行できない理由をこのように語ったが、運ぶ商品もまだ仕入れていないとは。彼の商売の流れがどうなっているか開拓者たちには知るよしもないが、犬神・彼方(ia0218)はこの微妙な時期に依頼をされるのが、どうも腑に落ちずにいた。もっと早くギルドへ話を持ち込むか、あるいは、薺や倫太郎が言うおりに護衛を依頼しても、報酬にかかる金額はさして変わらないのだ、そちらの方が理にかなっている。よほど予算に余裕がないのかというと、のちのち用心棒を雇わなければならないということもあり、見た感じではそうは思えなかった。
 となると、あとはまた別の理由があるのだろうが、彼方はそれ以上は、あえて考えることはしなかった。依頼はアヤカシ退治であり(もし噂が本当なら、の話だが)、彼の素性はこの際関係ない。それに、これは依頼者だけにとどまらず、街道を利用する全てのひとの利益となるのだ。‥‥ま、とりあえずはぁみんなに安心してもらうかぁな。
 篠田 紅雪(ia0704)も彼方と同じ考えであった。ただ彼女の場合、依頼者自体に対する関心が薄く、店内の商品や、棚と壁に貼られた広告をぼんやりと眺めながら、紫煙をくゆらせ道中の様子を思い描いていた。
「ところで、そのアヤカシに目撃情報がないんだが、本当にアヤカシなんだろうか」
 将門(ib1770)は退治の相手も気になるものであった。今回依頼に集まった6人についてだが、全員が全員、前に出て直接相手とやり合うつもりでいたからだ。彼方はもともと式神を繰る陰陽師ではあったものの、近頃は気分を変え槍を振るうことにしていた。もし噂が間違いで、盗賊相手だったとしたら問題はないが、アヤカシによっては苦戦するかもしれない。商人に渡された地図をもとに、隊列や作戦などこまごまとした話を詰めたあと、赤鈴 大左衛門(ia9854)がみなを見渡して、出発の音頭をとった。
 仁生から山の麓に向かうまではしばらくの間、何もない平坦な野道が続いている。ここはまだ人里のうちであり、アヤカシの現れる気配もなかったから(出ていれば噂では済まない近さである)開拓者たちは思い思いに歩みを進めていた。道の周りではもう水も乾いた水田が広がっており、農夫があちらこちらで草取りに精を出しているのが見えた。稲は早くも実りの時を向かえてい、早生のものは見事な黄金色に色付いて頭を垂らせていた。このぶんでは、すぐに刈り取りを始めることも不可能ではなさそうだった。
 故郷の新米の味を思い出し、歩きながら大左衛門はしばしの間郷愁に浸っていた。田舎育ちの彼にしてみれば、山の幸がそんなに高く売れるとは露ほども思っておらず、商人の話を聞いたときに驚いたことも理由のひとつであった。もし売れるんなら、うちの婆っちゃにも知らせねぇとなあ。
「山のもんは確かに美味ェだスが、珍しくもねェだスに、そったらなあ‥‥」
「街だとひとが多いですからね。農家の方たちがたくさん作っても、すぐ売り切れてしまいますよ」
 薺さぁの言うとおりかもしれねぇだスな、と大左衛門は頷いた。確かに、人口は農村がいくつ集まっても足りないくらいあることは間違いなく、神楽の都のギルドなどでは彼の目にはひとの絨毯のようにも映った。それが全員、彼と同じ田舎を持っているわけではないのだ。
「あとは、本当にそこにしかない特上品か、それとも――」
 その横で、将門が意味深長な考察を述べた。遭都の王朝に献上されるような素晴らしいできのものであれば、市井でとんでもない値が付くことは想像に難くない。ただ、そこまで質がよければ名物として評判にはなるだろうから、今回の依頼に関わる荷物はそこまで上等なものでないようであった。
 もしも、商人がご禁制のものを運んでいるとしたら? 倫太郎がぽつりとつぶやいた。当の本人が聞いたらきっぱりと否定しそうな仮説ではあるが、思いを巡らせるだけなら、お咎めなしである。とはいえど、かねてからの噂などはあるはずもなく、全くの徒手空拳での想像のため、答は村を見ないことには決められそうになかった。人身売買など、明らかに目に見える非人道的なものでなければ、冒険者ギルドは国の内情までは口を挟まないから、伽羅、沈香、麝香や霊猫香など嗜好品のたぐいならば、ああうまいこと手に入れたなあ、で済むのだが。
 一同が暇をもてあまし、憶測を交わしながら進むと、道は遭都あるいは北面の境へと向きを変え、いよいよ山へ伸び始めた。ここより先は標高が上がる一方であり、特段険しいというわけではないが山道であることに違いはない。
「さぁて、ここからかぁ。何が起こるかぁわからねぇし、油断だけぇはしないようにしねぇとな」
 彼方が、槍から穂鞘を外し、軽く振り回して山歩きの準備をした。途中の沢にアヤカシが出るということは根も葉もない噂であるため、道中では始終警戒しなくてはならない。彼方と大左衛門が前方、倫太郎と紅雪が左右に気を配り、薺と将門がしんがりを固めることにし、開拓者たちは夏の天儀の山々へ挑むこととなった。偵察に誰か先行させればよかったのだが、6人の中ではそういった技能を持ち合わせたものがいなかったため、この案は渋々諦めた。
 相変わらずの夏の天気であったが、木々の影はちょうどよい涼を開拓者たちに提供していた。街での猛暑にうんざりしていた倫太郎にとっては、ちょっとした役得である。警戒しながらも、開拓者の興味は件の沢に移っていた。地図を見ると、南北に通る道と川がちょうど重なり、しばらく並行している場所が確かに読み取れた。
「アヤカシを退治できたら、沢で休めるといいですね」
「さて、どうだろうな」
 倫太郎の背中越しに、紅雪が答えた。彼がどういう意味なのか質すと、沢の前にも後にも、アヤカシは潜んでいるかもしれないから、と素っ気ない解答が帰ってきた。
「なるほどね。でも篠田さん、あなたも休んでみては?」
「要らんよ。私は村でゆっくりさせてもらうから」
 彼女の中では、煙草は向こうに着いてからと決めてあるのだ。人付き合いには元来拘らないから、真面目なかたなんですね、と倫太郎が皮肉っぽく返しても彼女はさして気に留めなかった。
 峠をいくつか越えると、山道は西から北へと進路を変えた。ここから村までは、距離はあるにせよ真っ直ぐの道のりである。
「これはぁ、アヤカシが出るってぇ噂も、あながち適当じゃぁなさそうだぁな」
「そう、だスなぁ‥‥」
 峠を示す道しるべの前で、先頭の二人がまず立ち止まり、先へ進むのをためらっていた。植生がここだけ違うのは、山から清水を運んでくる川の影響があったのかもしれない。峠から眼前に広がる景色を見、噂どおりだ、と誰ともなくこぼした。山肌を覆っていたのは樹海と言っても過言ではない森林で、本当にこの中を迷わず通ることができるか、開拓者たちの胸中に、ささやかながら不安が芽生えていた。
「よくもまあ、こんな道を考えたものだ」
 将門はぼやいたが、しかし、ここはアヤカシさえ出なければ普通の街道として扱われるのだ。依頼者のあの商人も、積み荷と一緒にここを通っていたに違いない。アヤカシから見たときに、人間を不意打ちするには絶好の場所、というだけである。
 薄暗い森の道は湿気が多く、その湿気といつアヤカシが現れるか分からない緊張感から、先ほどとはうってかわって、6人はかなりの汗を流さなければならなかった。道が曲がりくねったり、大きな木の陰になってよく見渡せないときには、大左衛門と薺が交互に、心の目で周囲を見渡していた。いつどこから襲われたとしても、不意打ちになることだけは避けておきたかった。
 張り詰めた神経に、不意にせせらぎの音が聞こえ、一行は足を止めた。耳を澄ますと、確かに川の流れる音がするのを、みな確認した。この暑さで参った旅人が河原で休んでいるときに、不意を打ったということも考えられるため、河原へは臨戦態勢で、前後左右に陣を組みじりじりと少しずつ歩みを進めることとなった。
 森の中で、その河原だけは空が開けており、白い石ころが眩しく照らされていた。そのところどころに、ごみのようなものが落ちているのを大左衛門は見て取った。
「ありゃあ、やっぱり。襲われた跡があるだスよ」
 もともとここは憩いの場で、かつては旅人や行商の荷物として使われたに違いないであろうそれを指し示し、彼は注意を促した。先程まで聞こえていた鳥や虫もいまはなりを潜め、風と川と、石を踏む開拓者たちの足音だけが、河原に残っているのみであった。
「見えました!」
 森の奥から、樹木に扮したアヤカシが数本、枝をまるで腕のように大きく揺らしながら近づいてくるのを捉え、薺が叫んだ。向き直り迎え撃とうとしたとき、視界の端、川の向こうにやたら大げさに動く木を見付け、大左衛門はそちらへ矢をつがえた。
「まずいだスな、あっちらからもお客さぁのお出ましだスよ!」
「それとわかれば、斬るだけのこと。赤鈴殿、悪いが客のお相手を頼む。――残りは正面から行くぞ、挟み撃ちに惑わされるな!」
「合点承知、そったら両方とも岸に上げさせねぇだス」
 現れたアヤカシは森から3体、川から2体。紅雪がとっさの判断を下し指示を飛ばした。川を渡るアヤカシを大左衛門の弓に任せ、水際で抑える間、数の優位を活かし、先に叩いてしまおうという作戦だった。アヤカシの3体に対し開拓者は5人なので、2人が2体を引きつけているうちに残り3人の速攻で1体を沈めてしまえば、あとは勢いに乗っていけるはずだ。
「田ぁ宮、言ノ葉ぁ、将門ぉ! 篠田と俺がぁ引き寄せぇているうちによぉ、先にカタぁつけてぇくんなっ!」
 攻撃は最大の防御なり、の戦訓もあって彼方が直接攻撃勢に加わろうとしたが、経験のまだ少ない薺と倫太郎を差しで当たらせるのは心配だったため、急遽、彼女は陣形の指示を変更した。攻撃面では少し不利にはなるかもしれないが、だからといって3人の打撃力はけして低くなく、また時間稼ぎにも余裕が出るだろう。
「揺らめく炎に意志を――灼狼、参ります!」
「言ノ葉さん、やりますね。私も負けては!」
 彼方の判断は吉と出た。ふたりにはそれぞれよい刺激となったようで、また、薺の長刀に纏う炎が、アヤカシの振るう枝や葉を次々と焼き払っていったからだ。丸裸に近くなるとアヤカシは自らの幹ごと折り曲げて叩きつけようとしてきたが、それは将門が身体ごと飛び込ませた刀で難なく受け流した。3人の猛攻の前に、アヤカシはもはや打つ手を見いだせなかった。そして、倫太郎が基本の袈裟切りを見舞うと、燃えさかる幹は斜めにあっさりと切り離され、火の粉を大量に吹き出したのち、そのまま動かなくなった。
 あとはこれを残る4体に繰り返すだけである。一時大左衛門が2体を抑えきれず、川に押しこまれそうになる場面もあったが――大左衛門は最近海へ落とされたばかりだったので、川へ引き摺り込まれるのはなんとかして阻止したかった――将門が助太刀に入ってからは危なげなく役目を果たすことができた。
 増援が来るまで攻撃をせず、ただ避けて回るだけであれば手練の開拓者には難しくない。旅人を屠り、商人を怯えさせた、この5本の木が全部焼き尽くされるのには、もはやそれほどの時間を必要としなかった。最後に幹を切り落としたのは、川に飛び込むくらいの勢いでアヤカシの懐を払い抜けた、将門であった。刀が翻ったかと思うと、最後の1本が、落ちるように倒れていった。
 道を塞いでいたのは、はたして、その5本の木であった。ほかにアヤカシが現れないことをじゅうぶん確かめ、河原での休息の後、開拓者たちはまた暑さの中黙々と、村までの山道をこなしていった。彼らがその村に到着したのは、仁生を出発してから4日後の夕方である。村の衆はアヤカシを退治したという開拓者の報告を聞くと、大いに喜び、お礼にと山の幸を夕食にごちそうしてくれた(大左衛門にはお馴染みのものであったが、それはそれで彼にとっては収穫である)。そして、この村に伝わる隠れた特産物を、紹介してくれるという。
 すわ悪事の露見か、と色めいた開拓者たちだったが、しかし、幸いにもその予想ははずれた。村人が見せてくれたのは、きれいな黄色を呈した、湯の花だった。説明では、この村から歩いて半刻ほどの山腹に温泉が湧いており、そこから採った湯の花は、依頼者のような商人をはじめとする、通好みのものたちに卸しているとのことだった。――ただし、今回の依頼者にとっては、湯の花そのものを手に入れることが商売の目的ではない。彼はこの湯の花のうち、大部分を構成するこの黄色い塊に着目していたのだ。黄色い塊とは、すなわち硫黄である。これ自体はご禁制の品ではなかった。
「おめら温泉さ、へえっていぐかね? あっついど(あなたたちは温泉へ入っていきますか? 熱いですよ)」
 夕食の席上、村人が一行に提案した。悪くない申し出ではあったが、標高が高いとはいえ蒸し暑いこの時期に温泉へ入るのは、いささか忍耐を必要とする行為である。乗り気の倫太郎を差し置いて、紅雪が丁寧に辞退した。
「遊びに来たんじゃないんだ。目的は、既に果たしているだろう?」
「そ、そんなあ」
 せっかく来たのに、と彼は肩を落とした。厚くもてなされた開拓者たちはさらに村で一晩ご厄介になって、おみやげに貴重な湯の花を少量分けてもらい、仁生への帰途についた。
 商人からの依頼でないとき、秋か冬には、今度は開拓者がお世話になるかもしれない。