蜘蛛屋敷掃討
マスター名:茨木汀
シナリオ形態: ショート
EX
難易度: 普通
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2010/08/17 23:34



■オープニング本文

 蝉の鳴き声が続く夕暮れ。鍋を抱え、少年はやや傾きかけた家に入った。
 からりと戸を開ける。土間が広がり、木の戸がその奥に立ち構えていた。
「じじぃー。いるー?」
 呼びかける。返事がない。何度か呼ぶも、返らなかった。
「おっかしいなぁ‥‥、おぉい、じじい。返事しろよー」
 夕暮れの日差しが背中に暑い。薄暗い玄関はいかにも涼しそうで、少年はそこに踏み込んだ。
「なぁ、じじい、くたばってねぇだろうな!」
 上げた声にも返すものはない。少年はため息をつき、鍋を抱えたまま家へ上がった。
 早くに妻を亡くし、子供たちも次々と――事故やらアヤカシやらで――亡くした老人の家。普段はそんな過去を感じさせない、口の悪い老人だ。
 跡継ぎもなく親類との折り合いも悪いため、老人は持っていた土地を近隣の者に分け与え、受け取った者たちで、老人の日々の世話を持ちまわっているのが現状である。
「邪魔するぜ、っと」
 草鞋を脱ぎ捨て、足で器用に戸を開ける。囲炉裏があり、左右に戸がある。右はほぼ使われていない台所で、左は座敷。居るとすれば、左の座敷のほうだろう、とあたりをつける。
「じじい?」
 やはり足で、その左の戸を開け、そして――息を呑んだ。
 狭い部屋。引かれたせんべい布団。転がる赤黒い――なにか。その上に覆いかぶさる、八つ足のそれ。
 蜘蛛だった。家にも森にもどこにでもいる生き物。ただ、大きさが問題だ。
 まだ十といくつかの、小柄な少年の胸ぐらいまである。常識的な蜘蛛はそんなに大きくないし、大きめの蜘蛛でも異常すぎる。アヤカシだ、と判じるには充分な大きさだった。
 それは、それの下にあるなにかに頭を突っ込み顎を動かしていた。視線を下ろせば、赤黒い床のものは灰色の頭をして、しわしわに痩せた腕を伸ばしていた。
 優しくはない人だった。よく怒る人でもあった。不機嫌そうに鳴らす鼻。腹が立てば拳が振る。けれど。
 物覚えが悪かった少年に、読み書きを教えた人だった。
「う、ぁ、‥‥」
 夢中になってがっついていた蜘蛛が、頭を上げる。
「わあああああっ!!」
 転がるように引き返す少年。蜘蛛が追いすがり、その背中に糸を吐き――、一瞬早く、少年は土間へと飛び出す。少年のいなくなった空間に蜘蛛の糸が落ちた。
 土間に下りた少年は、更に追い来る蜘蛛を肩越しに見る。赤く染まった足がせわしなく動き前進してくる蜘蛛。混乱しすぎて手放しそびれたていた鍋は、手の中にあった。
 もったいない、と思う間もなく。
 まだ熱いそれを、大きく振りかぶった。
 ばしゃんっ、と飛び散る煮物。蜘蛛の怯む一瞬の隙に、少年は玄関を飛び出し戸を締めた。
「はっ‥‥、はっ、はっ、は‥‥」
 屋敷から幾分離れ、乱れた呼吸を整える。振り返る屋敷は茜色に染められていた。蜘蛛が追ってくる気配はない。周囲に広がる青田。屋敷の北と東には風除けの大きな杉が、まっすぐに幾本も空へ伸びている。茜色の夕日を照り返し、細い杉の葉が光っていた。
「‥‥?」
 ふと、妙な心地になる。
 強い光を照り返せば、深い緑とて明るく輝くだろう。それはいい。それは、いいのだ。
 しかし。
 杉の葉はとげとげの密集したものだ。それが、なぜ。
 なぜ、杉の木々の間を結ぶほど細くて長い葉が、幾本も渡っているのだろう、と。
 まるで、そう。
 蜘蛛の糸みたく――。
「あっ――」
 杉の木の中ほどに、何か丸いものがいくつか動いた。
 すぐ、わかった。
 あの蜘蛛が、何体もいるのだ、と。


■参加者一覧
天津疾也(ia0019
20歳・男・志
鴇ノ宮 風葉(ia0799
18歳・女・魔
橘 天花(ia1196
15歳・女・巫
空(ia1704
33歳・男・砂
倉城 紬(ia5229
20歳・女・巫
宿奈 芳純(ia9695
25歳・男・陰
ジークリンデ(ib0258
20歳・女・魔
煤暮 三ッ七(ib3747
30歳・男・騎


■リプレイ本文

 さくり、と地面を踏みしめる。
 去年の落ち葉掃きをしていなかったせいだろう、杉の葉が足元で音を立てた。ところどころぬかるみ、でこぼこした地面は――ひとたび戦闘になれば、踏ん張りのきかない足場になるだろう。
「二体、ですね」
 宿奈 芳純(ia9695)が告げた。北側の杉の木を、小鳥の人魂に偵察させた結果である。一方、隣で瘴索結界を張った橘 天花(ia1196)は、曖昧な気配をなんとかより分けた。
「糸とアヤカシの瘴気の濃度は違うようです。はっきりとはわかりませんが、二体は確実ですね」
 アヤカシの吐く糸は、もちろん瘴気であちこちに張り巡らされた糸や巣、それがアヤカシ本体の気配をうやむやにする。なので、目を凝らしてあたりを見回す。
「宿奈さん、そこ、足元に糸が」
「本当ですね。ありがとうございます」
 礼と共に呼び出された式が、糸を喰らう。避けるより確実だった。
 甲班である彼らは、北側の杉の木へゆっくりと近づく。周囲に慎重に視線を配っていた天津疾也(ia0019)が、木の上にいる蜘蛛との距離を測る。――気付かれていない。
「やれやれ、家に蜘蛛が巣つくのはよくあることやが、こんなでかい蜘蛛やと面倒やなあ」
 ギルドからの情報の通り、蜘蛛は大人の腰までぐらいの大きさだろう。蜘蛛と言い張るには大きすぎるが、アヤカシとしては小型である。ちなみにそんな巨大な蜘蛛を前に、天花はけろりとしていた。見た目のわりにアウトドア派のようである。むしろその思考は蜘蛛よりも、
(準備はできましたが‥‥ここからだと、乙班の皆さんが見えないんですね)
 別の班に合図が送れないなと、作戦の一部を諦めた。
 かわりに疾也が刀を抜いた。それが雷電を纏うや否や、雷の刃と成して蜘蛛へと放つ。
 狙いたがわず直撃し、撃ち落とされた一体がその場で霧散した。
 残ったもう片方が、慌てて木を降りてくる。降りきる前に芳純の放った魂喰でその身体が大きく損なわれた。迎撃体勢に入った疾也のため、天花が地面付近の邪魔な巣を焼き払う。浄炎の炎が瞬く間に糸だけを飲み込んだ。
 その刹那。
 続いていた瘴索結界に、引っかかる気配。
 振り向く、よりも――一瞬早く。
「っきゃ‥‥!?」
 しゅるっ、と背後から、蜘蛛の糸が天花に巻きついた。
「橘!」
 降りてくる蜘蛛に背を向け、疾也は地面を蹴った。ぬかるんだ足場に一瞬体制を崩したが、ぎりぎり立て直す。
 蜘蛛が天花に足を振り上げた。
「伏せや!」
 迷わず地面に伏せる天花の上を、白刃が薙ぐ。
 一瞬の空白。
 真っ二つに切り伏せられた蜘蛛は、形をとどめず消え去る。
 二人の無事を肩越しに確認し、芳純は地面へ降りた蜘蛛へと向き直った。
 それが動き出すより先に、式は蜘蛛を喰い尽くした。

 芳純が瘴気回収をして、わずかな瘴気を残さず処理する。天花は立ち上がり、服についた杉の葉を払い落とした。糸はアヤカシが消えたせいだろう、一緒に消えている。
「ありがとうございました。呼ばれて来たんですね‥‥」
 天花は屋敷を見る。おそらく、屋根のひさしのあたりに居たのだろう。はじめは瘴索結界の範囲外にいた上、すぐそばの屋敷にまで注意を払っておらず――うっかり見逃してしまった、といったところか。
 瘴気回収と、さらに他の班の様子を人魂の小鳥で把握した、芳純がそこへ戻ってきた。
「どちらも終わったようです」

 東側の杉の木々の下には、乙班が集っていた。
 足場の悪さに注意して進むのは、倉城 紬(ia5229)だ。瘴索結界を張ったものの、特殊なアヤカシなのか本体と糸とをいまいち判別できず、紬は周囲を警戒しつつ進む。
 ジークリンデ(ib0258)が遠目に一体だけ確認しているが、その一体までの距離もまだあるためだった。煤暮 三ッ七(ib3747)もふにゃりと柔らかい足場を踏みしめる。巣はもちろん、糸やその先まで注視した。卵の存在を懸念して丁寧に確認したが、幸いそれらしきものはない。
(ハッ、此処での初依頼が害虫駆除たぁな‥‥くだらねェったらねーぜ)
 被害者にも興味はないようだが、もとより依頼は蜘蛛退治。問題ないだろう。
 ひたり、とジークリンデが後方で足を止めた。射程距離の問題で足場はよくないところしか選べなかったが、後衛の彼女には大きな問題はないだろう。直前まで使うかどうか迷っていたフロストマインを展開し、急襲に備える。杉の木に近づきたくはなかったが、近づかなければ倒せないためだった。
 アヤカシを狙撃できる位置と距離を確認し、ジークリンデはアークブラストを放つ。当たった――が、浅い。
「オラ来やがれ糞蟲野郎‥‥! 退屈させんじゃねェぜ」
 三ッ七が二刀を構える。地面へ降りた蜘蛛の吐き出した糸を、業物で絡め取った。
(捕まえたつもりだろうが、繋がれてるのはてめェの方だぜ?)
 ぐ、とそのまま逆に拘束するつもりが――、ぷちっと糸が切れ、思わずたたらを踏む。
 刀の刃で切れた――わけではない。
 どうやらこのアヤカシは、獲物といつまでも繋がっている気はないらしい。おそらく、獲物がもがいて勝手に力尽きるのを待ちたいたぐいだろう。
 ちらりと業物に目をやる。糸がガッチリ絡まっていた。防御にはまだ使えるかもしれないが、攻撃力は期待しないほうがよさげである。
 意識を切り替え、肉薄した。もう片手の朱天で切りつける。深く蜘蛛の胴を薙いだ。
 追撃をかけるように、紬が力の歪みを叩き込む。ぎゅっと蜘蛛の足が捻られた。間髪入れずジークリンデのアークブラストが炸裂する。その一瞬あとのことだった。
 ジークリンデの足元に封じ込められた吹雪が、その後方に向けて襲い掛かった。
「もう一体――来ました」
 フロストマインで一時的に固まった蜘蛛。
 一体目の蜘蛛が足を振り上げる。業物でそれを受け止め、がらあきの胴にスマッシュを叩き込んだ。蜘蛛が崩れるのを確認するや否や、三ッ七は踵を返して二体目に迫る。
 二体目の身体が捻られ、アークブラストが直撃し――ふにゃふにゃと頼りない足場をしっかりと踏みしめて、大きく身体をなぎ払う。
 最後に、力の歪みがアヤカシを捻り潰した。

 玄関には、丙班である二人がいた。
「四体――だなァ」
 心眼でアヤカシの気配をとらえた空(ia1704)。事前に聞き取った間取りに照らせば、玄関内にいるのは一体だけだ。からり、と戸を開く。薄暗い、土間の玄関。
 外の騒動で呼ばれて出てこないか、と待つ。ややあって、薄暗がりから一体のアヤカシが飛び出してきた。
 目の前の獲物。
 しゅっ、と糸が吐き出された。背後に鴇ノ宮 風葉(ia0799)がいないのを確認して飛び退る。糸はべったりと地面に張り付いた。
 直後に踏み込み、音もなく暁が振るわれた。黒い蜘蛛の表面を薙ぐ。ふわ、と白梅の香りが漂った。返す刀でもう一太刀、入る。
 怯んだように蜘蛛は一歩引いた。
 炎が地面の糸を一瞬で呑みつくし、あとかたもなく消えうせる。広々とした足場を踏みしめ、空は更に白梅香で切り込む。
 そのとき。
 ばきん!
 音と共に奥の戸――空の記憶に照らし合わせれば、台所――が破られ、もう一体、蜘蛛が現れた。
「『やられる前にやれ』っ‥‥突っ切るわよ、覚悟はいい?」
 風葉がドラゴンロッドを振りかざす。黄金の竜から吹雪が吹き付け、視界を白く染め上げた。そのまま、流れるように神楽舞「瞬」の舞へと切り替える。閃癒を持ってきていない以上、短期決戦は大前提だった。
「ギ、ッひヒヒャァハハッ!
 イイね、最高ダ!頭ガ溶けル程ニぃヒヒヒッ!!」
 吐き出された糸。匂う白梅。
 ざむっ――
 糸ごとまとめて切り伏せ、それが霧散するのを見もせずに。空は奥の蜘蛛へと肉薄した。

 玄関が静かになったあと、開拓者たちの一部はそこに来た。
 なにやら、どこかでなにかが行き違ったらしく――。甲班と乙班、どちらが丙班と合流するのか、人によってばらばらな認識だったのである。
 そのため、屋敷の周辺で警護に回ったのは天花と紬であった。人手不足故に芳純が加わり、後衛のみではあるが、逃げ出す蜘蛛がいないか警戒に当たっている。後衛とはいえ、三人いれば大丈夫だろう。今から班編成をしなおす時間もない。
 屋敷内は、蜘蛛を倒したせいだろう。玄関と囲炉裏、そして戸の破られた台所に巣はない。一歩ごとにぎし、みし、と不気味に軋む床を踏みしめ、最初の戸を開いた。
 白かった。
「‥‥鴇ノ宮」
「はいはーい」
 疾也に呼ばれて、気軽に浄炎を放つ風葉。ジークリンデも持参した斧で断ち切ろうとしたのだが、糸が絡みまくり、かえって外すのに手間取ったのだ。べたべたする糸なので、浄炎が一番手っ取り早いだろう。
 座敷の正面と横にふすま。手近な横に三ッ七が手をかける。が。
「開かねぇな」
「‥‥そういえば、傾いていましたわね」
 ジークリンデが思い返す。傾いた家。傾いた屋根。開かない戸。イコール屋根の重み。
 その後も半分しか開かない戸やら、部屋ごと巣な部屋やらを抜け、ついに四部屋目。
 進むに邪魔な糸を浄炎で焼き払う風葉。死角を確認するため、ジークリンデが部屋を見回し――
「そこにいます!」
 注意と共に飛ぶアークブラスト。
 ふすまの上、張り付いた二匹のうち、一匹がそれを食らって落ちる。
 部屋に踏み込みかけた疾也が、即座に落ちたそれを切り伏せた。みしめしっ、と畳が不気味に音を立てるが、幸い抜けはしない。
 残った一匹に苦無が吸い込まれ、天井に張り付いていられず、同じくぼたりと落ちる。そこへ三ッ七のスマッシュと、風葉の浄炎が容赦なく決まった。

 屋敷は静けさを取り戻した。
 夏の暑い日ざしが外を照りつけるが、中は閑散と、‥‥そして、侘しく薄暗い。
(衷心よりお悔み申上げます)
 老人の遺体は、残っていなかった。赤黒いせんべい布団と、ぼろぼろの着物だけが残っている。天花はそっと目を伏せた。
「これ、持って帰って‥‥供養しなくちゃ、ね」
「お寺に持っていっては?」
 紬の提案に、芳純は静かに首を振った。
「近くにはないようです」
 瘴気回収で片っ端から回収し終えたところだろう。倒したアヤカシの瘴気はごくごくわずかなものでしかないが、どこもかしこも巣が張られまくっていた。そのため、もしかすると多少、通常よりは残っていたかもしれない。
「弔いましょう。‥‥なにもなくても」
 ジークリンデの言葉で、埋葬の用意がされた。

 紬は第一発見者である少年のもとを訪れた。
「‥‥ありがと、おねーさん」
 真っ赤な目で出迎えた少年は、緩く微笑む。泣き疲れた顔だ。ぽつぽつと語られる少年の胸のうちを、静かに紬は受け止める。
「あのさ‥‥、埋めてってやってくれよ。あの家だけはじじぃのもんだから、そこに。‥‥残ってるだろ、なんかは‥‥身体じゃなくても、さ」
 おれは見る勇気ねぇから、と告げ、少年は開拓者の手にすべてをゆだねた。