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■オープニング本文 白無垢の着物の袖から伸びた細い腕。 震える指が朱塗りの艶めく杯を取り上げ、躊躇うように唇をつける。 一瞬の空白。 諦めたように紅を引いた唇を開き、それを飲み干した。 隣の男が哂う。 倍ほどにも年の違う男。かたく拳を握り締めた。爪が掌に食い込む。 おめでとう、ひどく青ざめた顔で、父が言った。幸せにね、震える母の声が遠く聞こえる。 しかたがないと自分に言い聞かせて、必死に理性を保つ。いっそ狂ってしまえればいいと思っても、両親を思うと、それもできない。 小さな小さな商家なのだ。将来を誓い合った幼馴染もいた。小さなそこで、その小さな世界で、自分の人生は完結するのだと信じていた。 ――なのに。 目をつけられた。町で有数の商家であるこの男へ、逆らうすべなどひとつもなかった。身一つならば逃げられる。力があれば覆せた。けれど、どちらでもなかった。 大事な人は多すぎて、捨てられるものではなかった。 ――たすけて、圭市郎さん。 求める言葉を、幾重にも封をして、胸の奥底に沈め込んだ。 食べものを胃が受け付けなくなった。無理に飲み込んでも吐き戻し、熱が出て、見舞う人もなく――彼は、瞳を閉じた。 動かなくなった彼は、しかしむくりと身体を起こす。 はらがへった。 そして、その意識の中にこびりついた怨念。 ――あの屋敷が、憎い。 月のきれいな夜だった。圭市郎と蛍を見るのに抜け出した夜もこんなだった。 「遺志霞」 男は哂う。手が伸びる。 涙はとうに枯れていた。 ぼんやりとそれを見つめ、諦めと共に目を閉じる。 びしゃり、となにかが顔にかかった。むせ返るようなにおい。目を開くと、目の前に男の顔はなかった。身体は変わらずそこにあるのに、彼の頭はなくなっていた。 むせ返るような血のにおい。男の身体がゆっくりと倒れると、男の背後に立つ人に気付いた。月明かりにてらてらと濡れる刀。見慣れた手がその柄を握り締めている。見上げた顔はなつかしくて、涙が一筋、こぼれた。 「圭市郎さん」 まるで、呼びかけに応えるように。その切っ先が胸を貫く。 ――終わるんだ。 歓喜に胸が震えた。これで終わる。終われるのだ。自分の悪夢は幕をおろす。 ――ああ、でも。 踵を返す男の背中を、見つめて思う。 ――彼はまだ、終われない。 こふ、と小さく咳き込んだ。血が口からこぼれ出る。生暖かいのを感じたが、指先はもう冷え切っていた。すぐに終わる。すぐに。 「だれ、か‥‥」 ――だれか、彼を終わらせてあげて。 開拓者ギルドに顔を出した開拓者たちに、緊急の呼びかけがかかった。 ある町の屋敷の住人が全滅。犠牲者はアヤカシと化し、人々を襲っている。取り急ぎ向かい、討伐および町人の保護をするように、と。 |
■参加者一覧
羅喉丸(ia0347)
22歳・男・泰
露草(ia1350)
17歳・女・陰
喪越(ia1670)
33歳・男・陰
ブラッディ・D(ia6200)
20歳・女・泰
ハイネル(ia9965)
32歳・男・騎
風和 律(ib0749)
21歳・女・騎
西光寺 百合(ib2997)
27歳・女・魔
アルマ・ムリフェイン(ib3629)
17歳・男・吟 |
■リプレイ本文 「もしや‥‥、開拓者の皆様ですか」 町の前で待っていたのは、自警団と思しき男であった。 「そうだけど。自警団の人?」 ブラッディ・D(ia6200)の言葉に、男は頷く。状況を知らずに来てしまった、通いの商人を追い返すためにいるらしい。渡りに船と、開拓者たちはこぞって男を質問攻めにした。特に町の地理を根掘り葉掘り聞きだしたブラッディは、まだ話し込む面々をよそに先行偵察に行く。 蔵を避難場所に、と提案され、男は苦々しい顔を晒した。 「残っている蔵の持ち主は、多いとは思えません。蔵があるなら、町を出ても暮らせる程度に金があるでしょうから」 蔵ではないが、ある程度広い家屋や施設ならいくつか使えるという。ただ一箇所二箇所で済む人数でもないし、各避難候補先はまとまった地区にあるわけでもない。だからこそ「町内のどこも大差ない」という依頼の資料だったようだ。 「比較的でもいい、頑丈な建物に避難してほしい」 風和 律(ib0749)に、そこまで言うのなら、と男は頷いた。指笛を吹いて合図すると、幾人かの男たちが走ってくる。巡回中かなにかだろう。 「どうした?」 「開拓者の人達だ。残った町人をできるだけまとめて、可能な限り頑丈な建物に避難させたいって。できるか?」 「別に路地にアヤカシが溢れてるわけじゃない。開拓者が護衛に立ってくれるなら、いい線行くんじゃないか。上に話つけてくる、あっと、あんたら避難に協力してくれるんだろ?」 当然とばかりに、迷わずハイネル(ia9965)は頷いた。 「確然、民の平和を護るが私の務め」 ならたぶん通せる案だ、と彼らは走り去る。 待つ間に一班と二班の担当区分も話し合う。そこへブラッディが戻った。 「このへんにはいなかったな。もう少し先も見ておくか?」 「あまり無理はせぬほうが良いだろうな」 喪越(ia1670)の勧めに、ならそうする、とさして疲れていない身体を休めた。 「ところで、なぜこのようなことに? いきさつがよくわからないのですが‥‥」 露草(ia1350)の疑問に、男は眉根を寄せた。 「私も当事者ではないので‥‥。ただ、結婚の決まっていた娘を例の屋敷の旦那が強引に嫁にした、ということくらいしか。娘の婚約者が怒って屋敷を襲ったと聞きますが、いつアヤカシなんて話になったのか‥‥まったくわからないのです。ただ、その婚約者‥‥圭市郎という男は一般人ですから、彼自身の力では旦那の首をああも綺麗に落とせるとは思えませんが」 「あまりにもやりきれないな」 羅喉丸(ia0347)の言葉に、まったくです、と頷きが返る。 「せめて圭市郎を倒し、彼の凶行を止めよう」 「‥‥終わらせましょう。せめて、安らかな眠りをもたらして」 ゆっくりと、露草も言葉を紡いだ。 結果的に自警団は避難を快諾した。ただ一度に全員をどうこうできないということで、地区を振り分けて細切れに避難するのなら、と条件をつけられたが。初めに二班の担当するエリアから行うと言うので、一班は先に自分たちの受け持った地域を掃討しに出た。 一班の先頭。なにげなく十字路を進んだブラッディの鼻先を、槍の穂先がかすめた。 「――、来た!」 瞬間的に身をかわし、がら空きの胴めがけて膝を入れる。まともに入り、一体が民家の壁に激突した。即座にブラッディに並んだ律が、二体目の攻撃を受け止める。あとから出てきた三体目をひらりとかわした瞬間、砕魂符がそれへ直撃した。 むくり、と蹴り飛ばされたのが起き上がり、ふたたび槍を振りかぶる。西光寺 百合(ib2997)がサンダーを放ち直撃させるも、まったく怯む様子もない。 「屍人ね‥‥」 足を狙って蹴りつける。手ごたえは確かだが、倒れない。 「ったく、胸糞悪ぃし、とっとと終わらせにいこうか。‥‥楽にさせんのも、依頼のうちだろうしな」 振り回される棍棒を避け、脇腹に肘打ちを叩き込む。どっ、と倒れたそれに追撃をけしかけた、刹那。 別の二体が背を向け、ばらばらに駆け出した。 すい、と十字路の一方に露草が立ちふさがる。あらかじめ気を配っていた彼女が一番早かった。振りかざされた槍。柄を握って受け止めた。 (動きは、鈍重) そのまま砕魂符を放つ。直後に力任せに槍を振り払われて、掴んでいた手を離した。 「露草! 足もいだらそっち行く。平気だよな」 十字路の真ん中で、ブラッディが屍人の足を蹴り払ってたずねる。待っています、おちついた声が返った。 三分された残りひとつ。律と百合は十字路のひとつで残るアヤカシに追いつく。間髪入れず、律の大剣が腕を切り裂いた。 「守りに徹する予定だったが」 そうも言っていられなくなった。分断されてはやむを得まい。突かれた槍を鎧で受け止め、真一文字に切りつける。剣の大きさからしては意外なほどの鋭さを見せ、たしかに脇腹を掻っ捌いた。振りかぶられる槍を受け止め、 「西光寺!」 放たれた雷は、たがわずアヤカシを貫いた。 「‥‥しぶとい、わ」 「術は控えたほうがいいかもしれないな。あとがもたない」 戦いはまだ、始まったばかりだった。 二班の面々はぞろぞろと家々から出てくる人々の誘導をしつつ、アヤカシへも気を配るのが当面の役割となった。 ふと、アルマ・ムリフェイン(ib3629)はその瞳を伏せる。 ゆらゆら、瞼の裏で重なる思い出。どんな記憶かは、きっと決して語らないのだろう。抱えたリュートを慣れた仕草で爪弾く。ぽろん、静かな音が、ざわめきの中に消える。切り替えは、早かった。 「あっ、おばあちゃん、足元気をつけてね! 君家族の人? 手を繋いでてあげなよ!」 まるで祭りかなにかの会場係よろしく、違和感があるほどに明るく振舞う。そうするよ、少年が祖母の手を引いた。今はまだ、その違和感も慌しさの中で埋もれる。 「見える範囲にアヤカシはおらん、ここは大丈夫だろう」 屋根の上から、近道兼周辺の把握をしていた喪越は告げた。仲間が動くのを視界の端に、自身も移動する。 ひらり、長屋の屋根を渡り歩き、遠くへ近くへ目を配った。 ――相も変わらず。 胸のうちで呟く。 ――相も変わらず、浮き世は不条理な不幸に満ちているな。だからこその憂き世なのかもしれんが。 風がひんやりと過ぎる。眼下に槍を持つ、血を流したものたちが見えた。考えるまでもない、傷を庇うふうもないのだ、アヤカシだと知れた。すぐに上から容赦なく霊魂砲を浴びせかける。二撃、放ったところで。 くるりとアヤカシは背を向けて、一目散に逃げ出した。 「! すまん、逃げ出した!」 言うなり屋根伝いに追いかける。すぐ追いつく、うしろから声が追いすがった。追いかけつつ霊魂砲を放ち、追い抜き屋根から彼らの前に飛び降りる。 飛び降りざまに六尺棍で先頭の一体、首のないのをなぎ払った。背後から、真っ先に羅喉丸が追いついて切りかかる。続けてハイネルが、一気にスパートをかけて切り込んだ。 「既に人でなき者は護るに値せず」 きわめて薄い刃が抵抗なく屍人の肌を裂く。アヤカシたちは家屋の隙間に殺到した。わずかに遅れて着いたアルマが奴隷戦士の葛藤を歌い上げる。後方の二体がかかった。 隙間を通り追いかけると、さらに向こうの隙間に飛び込んでいく。一番後ろの一体、頭のないものの首根っこを引っつかみ、羅喉丸が引きずり出した。違わずハイネルが斬撃を浴びせ、喪越の棍が打ち付ける。それを確認もせずに羅喉丸は残りを追いかけた。一体でも逃すと、あとが悲惨だ。 細い道を曲がり、今までより開けた通りに出、塀に囲われた屋敷が現れる。アヤカシたちは迷わずそこへ飛び込んでいった。 「‥‥まさか、ここは」 「屋敷の門、だな」 振り返る。抜き身の剣を下げたまま、ハイネルがいた。 「二人は」 「思案、首のないものに、喪越が黄泉より這い出る者を使っていた」 「ああ‥‥わかった」 依頼の際に言われた、屋敷の主人だろう。事件の発端、と言ってもいいのかもしれない。 ハイネルも屋敷を見上げる。もとより多数を取る彼だ。一体のアヤカシより、より多くの災害を撒き散らす、多数のアヤカシを優先したのだろう。後衛二人で大丈夫だろうか、ふと心配になったところへ、アルマと喪越がやってきた。始末してきたらしい。ただ笑うのはアルマばかりで、喪越の表情はすこしも晴れてはいなかった。 「お、揃ってるな」 そこへ身軽にやってきたブラッディ。すぐに後方へ合図する。やってくる女性陣を交え、すぐに班は再編された。 町での護衛のため、ハイネルと律、アルマがもう一度町中へ戻り行く。ひとつの避難場所の付近に来たとき、通りの向こうで悲鳴が上がった。道はない。迷わず家屋の中を突っ切るハイネル。畳を踏み越え、アルマも武器を持ち替えた。路地に出る、棍棒を振り上げたモノの姿。キリ、と弓を引き絞り、射抜く。肩から矢が生えた。しかし――、怯まない。痛覚がないのだ。振り下ろされた、直後。 打撃音。 「ひっ――」 赤子を抱えた女は小さく蹲る。割って入り、盾で受け止め、逆に叩きつけてダメージを入れたハイネル。たたらを踏んで後退したアヤカシ。ぐ、と律が剣を握る拳に力を込めた。刃にオーラが集中する。 ざんっ 袈裟懸けに切り伏せた。しかしまだ――よろ、と動く。 「‥‥いつまでも、親しいものがアヤカシと化して徘徊しているのを、見せるわけにもいくまい」 刃を返した。不快な手ごたえ。そして、その身体は倒れた。二度と、起き上がらず。 一瞬の静寂。それから。 隣家の障子を突き破り、二体のアヤカシが出てきた。 開け放たれたそこには、何体かのアヤカシがいた。中でも目を引くのが、ただひとり刀を下げたもの。彼を取り巻くように、それぞれの獲物を手にしたものが数体。 相手が反応するより先に、ブラッディと羅喉丸がその真っ只中に身を躍らせる。喪越も後衛二人の前に出た。練力の消費が激しく、後衛では満足に戦えないためだった。 鈍い音を響かせて、拳を打ち込む羅喉丸。彼もまた練力切れが近い。よろめくところを深追いせず、上段から振り下ろされる刀をかわす。圭市郎を相手せず、手近な一体を蹴倒した。 ブラッディは身軽にアヤカシの間を縫い、もっぱら避けることに専念していた。たしかな隙だけを見極めて仕掛ける。前衛の薄さ対策にアヤカシの注意をひきつけようと臨んだものの、逃げるだけでは今ひとつ目立たない。槍の柄と棍とで鍔競り合う、喪越が中衛がわりに食い止めていた。 彼らの後方。百合が見回すと、圭市郎のそばに夜着の女性――いや。まだ、少女の域を出まい。姿かたちは知らないけれど、年頃からしたら――遺志霞、の可能性が一番高かった。 一瞬躊躇った。 (彼女は幸せな人生だったのかしら) なにもかも奪われた女は。 (‥‥でも、どちらにしろこんな姿でいつまでも生きていたくないわよね) 露草も気付いたのだろう。砕魂符が集中的に彼女を攻撃した。――せめてもの気遣いだった。前衛の面々のやりかたでは、遺体をきれいに、とは‥‥どうしても、いかない。アヤカシがタフだから、なおのこと。 「さようなら」 彼女の身体を電流が走る。本物は怖い、‥‥魔法の雷も、間違っても得意ではないけれど。 「生まれ変わりがあるのなら、次は幸せに‥‥ね」 ふらりと彼女はぐらつくき、音を立てて地面に倒れた。 高く遠く、秋晴れの空に笛の音が響き渡る。 ぴくり。銀毛で覆われた耳が反応した。直後に、ハイネルが最後の一体を切り伏せる。容赦なく切り倒されたものに、腰を抜かした女が肩を震わせた。その足に、槍のあとだろう。鋭い傷のあるのを見咎める。 「アルマ」 「ん」 伸びをしていたところをハイネルに呼ばれた。そのときにはもう、既に笑顔で駆け寄るアルマ。直前にも笑顔であったのかどうかは、誰の知るところでもない。 「彼女を頼む。風和、念のため見回りに」 「ああ」 騎士ふたりは、言葉少なにその場をあとにする。ストイックな彼らの背中に、女は慌てて礼を伸べた。 アルマはその女へ手当てを施してから、近くを通った自警団たちに預けた。自身はそこへと残り、死者の瞼をおろす。とうに冷え切った身体の傷に布をあて、見た目を整えた。 ほどなくして町の警戒態勢はとかれ、迅速に葬儀の準備が執り行われた。ようやく手元に娘の遺体を引き取った夫婦へ、百合は会いに行く。埋葬の手伝いにと、露草も共にいた。 ひどくやつれた、とても若い娘の親とは思えぬ夫婦だった。 「開拓者の、かたがたですか」 「‥‥ええ」 「終わったんですね」 震える、声だった。 「遺志霞はもう」 急ぐような、かみ締めるような、そんなふうに。 「泣かなくても、いいんですね」 「ええ‥‥もちろん」 ありがとう、万感の込められた感謝の言葉だった。夫婦が落ち着くのを待ち、百合はひとつの提案をする。圭市郎と遺志霞の墓をともに、と。 「大好きなひとと、ずっとずっと一緒にいられるのが、きっと‥‥遺志霞さんの願いだと思うから」 「ああ‥‥そうしましょう。圭市郎は、息子になるはずだったのだから‥‥」 幸いと言おうか。事件自体には否定的ではない。むしろあるべきところにおさまるのだと、どこか安堵したような顔をしていた。 「お手伝いします」 露草の申し出に、夫婦は助かります、と素直に手を借りる。 痛みの激しい遺体が大半を占めたため、どの家でも葬儀は手短に、迅速に執り行われた。 「‥‥おやすみなさい」 墓標に向けて、露草は告げた。アヤカシは消えた。眠るのはただ、犠牲者のみだ。静かなものだった。 「汝の魂に幸いあれ」 羅喉丸も言葉をかける。 「死してなお貫いたその執念、実に天晴れ」 喪越の言葉は、むしろ激励に近かった。片手で墓石に酒を注ぐ。とくとく、なめらかに流れて岩肌を濡らす。独特の芳香が漂った。新たな門出へとの、祝い酒だった。 「達者でな」 どこかから、歌声は聞こえないけれども。ハープの音がかすかに、そこからでも聞こえた。 「おいでくださった他のかたにも、お伝えください。本当に‥‥ありがとうございました」 深々と、白髪の多い頭が下げられた。 |