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■オープニング本文 ぱちん。 大きめの音を立てて、黒く枯れた大きな花の頭が落ちた。それを拾い上げ、籠に放る。最後の一輪だった。 月の明るい夜。手元の明かりに苦労はしない。それをひとつずつ崩し、ぽろぽろと落ちる種を集める。毎夜少しずつ種を集め、大きな麻袋三つがいっぱいになった。満足して口を縛り、床へつく。明日が楽しみであった。 久しぶりに馴染みの商家へ顔を出した。麻袋を渡すと、毎年のことなのに困った顔をされる。 「どうされました」 「いや、それがねぇ……。いつも使う道があるでしょう、あすこにアヤカシが出たってね」 「アヤカシ……ですか?」 「奥の通りの旦那が荷を運んでたら、どっからともなく鬼火が現れよって。まるごと焼いてしまったと言いなすって。旦那だけ命からがら逃げ帰って、今朝ね。だからこっちもどうしようかって、荷は送りたいけど、アヤカシじゃあねって」 「護衛を雇ってはいかがでしょう。私も急ぎはしませんが、あの道が使えないとみんな困りますから。他にも道を通る者で出し合ってはどうです」 「ああ、それはいい。生鮮物を扱う連中を集めましょ、そんならいい」 商家の旦那の笑うのを見て、思わずつられて微笑んだ。この男とのつきあいは何年になるか。毎年毎年、種を隣町へと運ぶのに、いつも頼っている。それも、きっと……、今年で終わりだ。 記憶はいつも、夕暮れの秋がはじまりだった。 なぜそんなところを通ったのか、今では覚えていない。父の仕事についていって、はぐれたか何かしたのかもしれない。細い路地だった。昼間の暑さとは打って変わり、どこで冷えたのか、冷たい風が体温を下げる。 泣き声が聞こえたのだ。子供の。 傾きかけた長屋の隅。へし折れた枝。踏み散らかされた黒い枯れた花。割れた種の殻の残骸。泣いている子供。 「どうして泣くの」 気遣いもなにもあったものじゃない、言葉だったと思う。語彙が少なくて、少ないなりに伝えようとするから、物言いが直接的にならざるをえない。 「たね、とられちゃったの」 「ひまわりの?」 こくん、とぼさぼさの頭が揺れた。太い茎は無残に折れ、大きな花は種を取るために真ん中から割られ、踏まれたのだろう。 「おかあさんに、あげようとおもったの」 「……たねを?」 「おかあさんにたべさせてあげたいの」 根気よく話を聞けば、父はいなく、お情けで長屋の端に置いてもらっているという。昼となく夜となく働くがあまり食べない母を心配して、向日葵を育てていたのだ。だが、大家の息子が横取りしていったという。 「おかねがないのにおうちにいるから、だから、かえしてっていえないの」 泣いていた女の子をどうにか慰めたくて、黒く枯れた向日葵の花を丹念に調べた。小さな種がひとつだけ、残っていた。 「……これ、ぼくがもらっていい? ぼくの家にはかきねがあるから、まもってそだててあげる」 「……うん」 いやだ、返して、という言葉を、きっと本当は言いたかったのだろう。今思えばそんな表情をしていたように思う。けれど当時は気付かなくて、ひとつきりの種を持ち帰った。翌年、父にせがんで隣町まで連れて行ってもらった。黒くなった一輪の向日葵を持って。 一輪渡して、二つの種を返された。次は二輪渡して五つの種を。そうしていくうちに仕事を抱える身となり、通えずに人に託した。いつも、種だけが返って来る。毎年すこしずつ、増えて。 それがまるで絆のようで嬉しかったけれども、それも、最後だ。 春には嫁ぐと、手紙が届いた。夏の終わりのことだった。 黒く立ち枯れた向日葵の下で、ひどく寂しい心地がした。 嫁いでゆくのなら、誰とも知れない男から贈り物を届けるわけにもゆかなくなる。恋と呼ぶには淡すぎた。あえて言うのなら、大事にしていた妹がいきなりいなくなるような心地だろうか。 大切だった、それだけは、たしかな感情だ。 最後の種だけは、間違いなく届けたい。そう、願っている。 |
■参加者一覧
柊沢 霞澄(ia0067)
17歳・女・巫
尾鷲 アスマ(ia0892)
25歳・男・サ
ジルベール・ダリエ(ia9952)
27歳・男・志
アッシュ・クライン(ib0456)
26歳・男・騎
音影蜜葉(ib0950)
19歳・女・騎
ルーディ・ガーランド(ib0966)
20歳・男・魔
ユリゼ(ib1147)
22歳・女・魔
鉄龍(ib3794)
27歳・男・騎 |
■リプレイ本文 それは、生鮮物の山だった。なるほどたしかに、と頷かざるをえない。 「そうね、生鮮品が運べないのは困るものね。 勿論、大事と護衛に力を尽くします。魔術師のユリゼ(ib1147)です。どうぞ宜しく」 「これはご丁寧に。こちらこそ、よろしくお願いします」 そう告げたユリゼの誠実な挨拶は、依頼人一同をほっとさせた。誰もが大事な商品を預けるのであって、不安がないと言えば嘘になる。 「依頼主方、まず幾つかお尋ねしたい。 積荷の仔細とどの荷車が何を担っているか、それに仕入れの品に関しての留意すべき項を確認させて貰いたい」 尾鷲 アスマ(ia0892)がたずねると、彼らはこころよく内容を伝えた。卵などの壊れ物は乗ってはいないが、白菜だのの野菜類が多い。 「湿った布で覆ったらどうかしら」 「ござかけとくのもエエんでない?」 もっともなユリゼとジルベール(ia9952)の提案。しかし。 「荷台を覆うくらいの大きさだと、調達に時間がかかりますので‥‥」 ないものはしかたがない。割り切って積荷を検分していたジルベールが、四台目の麻袋の口を解いた。 「向日葵の種がこんなに沢山‥‥」 横で見ていた柊沢 霞澄(ia0067)が目を瞬かせる。いったい何本の向日葵から採取したらこれだけになるのか。保存の利くそれは、積荷の中で異色だった。 「ああ。それは商品ではないんです。あるかたに届けていただくだけで構いませんので」 「こんな沢山の種、ただ個人に渡すだけなん? お金も受け取って来んでエエの?」 きわめて自然なジルベールの疑問に、説明をしていた青年はゆるく微笑んだ。 「ええ。見返りはなにも」 「相手って友達か何かなん?」 「友達‥‥? ああ、それはいいですね。友達かぁ‥‥。考えたこともありませんでした」 「なんじゃそら」 照れたように頬をかき、青年は簡単に事情を話す。 「もう何年も会っていませんし‥‥。約束だけは守らなければと、思っていまして」 「成程なぁ‥‥」 かすかに過ぎる寂しげな色を、吹き飛ばすように。 「よっしゃ、俺らに任せとき。ちゃあんとその子に届けたるからな」 あかるく告げられ、はい、と青年は頷いた。なごやかな雰囲気に、にこやかなままジルベールは次の言葉を投下する。 「何か伝言ないか? ついでにおにいさんの気持ちも運んだるで」 「え、‥‥でも」 「勿論追加代金なしや。安心しぃ」 なお戸惑う青年を、ユリゼがまっすぐに見つめる。 「種だけで、良いんですか」 「‥‥そう、ですね」 ならば、と告げられたのは、丁寧な祝辞であった。 私的な感情の含まれない、いっそ慇懃に聞こえそうなほど、隙のない祝辞。ひどく慎重に選ばれた言葉は、丸暗記するにはだいぶ長かった。いらない言葉で飾りまくられたそれは、実のところ結婚おめでとう、それだけの伝言だ。 「届ければ、悔いる事は無いだろうな。青年」 アスマの厳しささえうかがわせる言葉。ひたと見据える銀の眼差しに、青年はわずかに目を落とす。断ち切らねばならないほどの強い感情ではない。‥‥そんなのは言い訳だ、と、胸のうちで苦笑した。ひと呼吸分をおく。目を上げて、アスマと視線をあわせた。 「はい。‥‥すこし寂しい、だけですから」 (淡いものであってもそれは確かに存在して‥‥) 霞澄は、思う。 (なので‥‥たとえやりとりは絶えてもその想いはきっと心の中に残ると信じます‥‥) 「それでは参りましょう‥‥想いを届けに‥‥」 口の中で、小さく。呟いた。 秋晴れの高い空。湿度の低い、からりとした空気。動けばすこし汗ばむくらいの陽気だが、木々のつくり出す断続的な木陰が続き、彼らの体温を上げることはしない。 荷車の列より先行し、安全をたしかめるのはアスマと鉄龍(ib3794)であった。うしろに聞こえるがらごろと重い音。時折牛のひくい声も混じる。 通り抜ける風の中に、うすく灰のにおいを嗅ぎ取った。陽光の中でひときわ淡く思える銀と、なにひとつ色を侵食させない黒が視線を交し合う。足早に歩を進めた。後続との距離がやや離れ、目的のものを見つけ出す。 だいぶ激しく燃えたあとなのだろう。残骸はとうに炭だけで、黒ずんだ姿を晒していた。灰の舞い上がりを防ごうと、アスマが水を手にしたとき。 ごう、と横手から炎が吹き付けられた。 「――っ!」 周囲に意識を割いていなかったふたりは、まともにそれを浴びた。ゆらり、ゆらりと火の塊が脇からあらわれ、ふたりを取り囲む。間髪入れずに抜刀したはいいものの――。 「まずいな‥‥!」 飛び掛ってきた鬼火をかわし、波打つ刀身で切りつける。流し斬りで命中精度を底上げした攻撃。鬼火を切り裂く。一撃では消滅に至らない。その隙に横から火炎を放たれた。 アスマは剣気でアヤカシを怯ませつつ、二度斬りつけて一匹を下した。 (脆い。倒すのは易いが――) ジリ貧だった。いくらなんでも、たった二人では厳しすぎる。もうすこし索敵に気を配り、後続との連絡と距離に気をつかったほうが安全だったであろう。 それに真っ先に気付いたのは、ジルベールだった。深い緑色をした弓の弦を、幾度目かかき鳴らし――見つけた。 高い呼子笛の音が響き渡る。 はっとした一同が警戒態勢を強めた。 「状況は?」 先行した二人の姿はまだ見えない。たずねるルーディ・ガーランド(ib0966)に、ジルベールは手早く伝える。 「苦戦しとる可能性あるな、まだ反応が消えへん」 再度鳴らした弓は、変わらずアヤカシの反応を伝える。きれいな直線の道ではないから、木々が邪魔で道の先まで見通せない。瘴索結界を張っている霞澄が見つけられないでいるのは、距離が離れている可能性が高いだろう。 「お二人の安全の確認をすべきかと」 音影蜜葉(ib0950)がすかさず告げる。ルーディが頷いた。 「先に行く」 駆け出したルーディを、霞澄とユリゼが追う。着くなりいの一番で霞澄が閃癒を放つ。 「精霊さん、皆さんの傷を癒して‥‥」 治癒の光がひろがり、アスマと鉄龍の傷を癒す。間髪入れずにルーディとユリゼがフローズを放った。 「早くこっちへ!」 ルーディに促され、緩んだ囲みを突破する二人。傷が深く、一度の閃癒では追いついていない。その前衛をすり抜けて、炎がルーディめがけて放たれた。避ける、が、わずかに肩口を焦がす。 「火のアヤカシなら、氷で消すまでだ」 鬼火たちへ、容赦なく吹雪が吹きつけた。 「来たで」 ジルベールの言葉に、アッシュ・クライン(ib0456)は指し示された道の横へ立ち位置を変えた。ジルベールの攻撃ラインを邪魔しない立ち位置を、ごく自然に割り出して選ぶ。ゆら、と現れる鬼火たち。闇色をした大量のオーラを、その身に集中させる。 先頭の鬼火が、真紅の火炎を放った。避けようとして――。 (‥‥いや、無理か) 背後の荷車がある以上、できない相談だった。 「アッシュ!」 耳慣れた声が響く。蜜葉のものだ。意図も、察した。 「この程度の炎で、俺を焼き切れると思うな‥‥っ!」 放たれた火炎を全身で受け止める。同時に、手にした大剣を振り下ろした。熱の中で、わずかに手ごたえが返る。同時に真横を矢がかすめた。 炎のおさまったそこには、木の幹に刺さる矢。それを視界の端に確認して、次の獲物を斬りつける。 (二撃、あれば充分) 「消し飛べ‥‥!」 振りかぶった剣は、たがわず炎を切り捨てた。 一方アッシュよりいくぶん後方にいた蜜葉も、剣を片手にアヤカシを相手していた。スタッキングを使用して、やってきた炎へと肉薄する。 「立ち去りなさい。この天儀から‥‥」 力を込めて柄を握り込む。呼吸にあわせて一気に切りつける。刹那、そのまま鬼火の体当たりを食った。 「っ‥‥」 熱と痛みを奥歯で噛み殺し、剣で鬼火を貫く。炎が揺れた。 ごうっ、と火炎が放たれる。蜜葉にではない、その奥へ。 「ひっ」 御者の引き攣れた声。アッシュが振り向いて、蜜葉の相手取った鬼火を切り捨てる。ふわりと瘴気にもどり、空気に消えるアヤカシ。それを確認して、振り返った。 「大丈夫や、あんたらの髪の毛一本焦がさせへんで」 焼け跡の残る袍を軽く叩いて、御者に笑うジルベールがいた。 別れた一行が合流したのは、アスマとユリゼがちょうど燃えた残骸を片付け、道を通れるようにあけたあとだった。 汚れた衣服を払うものの、手も服も黒ずんで、そう簡単に落ちそうな汚れではない。 「洗わなきゃだめね」 たいして気にしたふうもなく、ユリゼは笑った。先行したメンバーの無事を確認してから、蜜葉は荷の確認にとりかかる。 「牛は暴れていませんでしたが‥‥」 「ええ、皆さんが早く終わらせてくだせぇましたから。ちょっとびくついてはいますがね」 何も落ちたりしていないのを確認すると、御者が笑った。おちつきなく尾を揺らし、足を踏む牛たちであったが‥‥われを失うほど怯えてもいない。 積荷の確認を手伝いつつ、ルーディはなんとなしに呟いた。 「あれだよな。アヤカシって、街道とかピンポイントに重要な場所を狙ってる気がする」 ギルドに並ぶ依頼には、街道関係の依頼は実に多いがゆえの疑問であろう。 (こう、誰の迷惑もならないところにぽつんと湧いたりしないかな) しかし、である。 (‥‥そしたら誰も気づかんか) 彼が自己完結したとおり、誰にも迷惑がかからなければ――ギルドの依頼として並ばない。 住み分けができるなら平和なことこの上ないものだが、残念ながら人間を食糧と見なすアヤカシである。人里離れたところに湧いても、食べ物探してうろつくうちに人間の生活圏内へたどり着く、というパターンもあるだろう。縁の切りにくい相手である。 ともあれ、荷の無事も確認して向かった隣町。御者たちは手早く取引先へと向かい、商品を渡し、かわりに金品を受け取ったり、言いつけられたものを仕入れたりする。そうして最後に向かったのは、傾いた長屋のひとつ。出てきた少女が、たくさんの種に顔をほころばせる。 「こんなになったの? すごい‥‥」 「どうしても届けたいって‥‥預かってきました」 ユリゼの言葉に、それを受け取る。続けて告げた蜜葉の祝辞に、不思議そうな顔をした。 「あなたたちは‥‥?」 ただの護衛、と簡潔に告げ、ジルベールは口を開き――。 「‥‥なんやったっけ」 無駄に几帳面な伝言が、きれいに頭から抜け落ちていた。同じく一字一句馬鹿丁寧な伝言を記憶の海から引っ張り出し損ねたアスマは、一拍ほど沈黙し。 「結婚おめでとう、と言付かっている」 「あら、それだけ? あのかた‥‥長ったらしく伝えたんじゃないかしら。やたらきちんとした人だと思ってたわ」 「時候の挨拶からはじまって、のを」 だと思った、と少女は笑った。町娘が嫁ぐには、すこし早めの年頃だろう。 「忘れてくれてよかったわ。あたし、堅苦しいの苦手なの」 「結婚するんやてね。貰った種はどうするん?」 「これ? ‥‥そうね」 ふとかすかに瞳がかげった。目ざとく見つけて、ユリゼが口を開く。 「この種の向日葵を‥‥咲かせてくれませんか? あなたの手で。そしたら‥‥届けさせて下さい」 その言葉に目を丸くして、そして少女は微笑んだ。 「いつもは‥‥食べてたの。 婚約者の家ね、庭なんて狭いけど‥‥できるかぎり育てるわ。返せるかどうか、わからないけど」 「そか。お母さん元気か?」 「‥‥死んだの。去年」 だからこそ、なのだろう。結婚を急いだのは。庇護者なしにひとりで生きるのは、なにもない少女にはすこし難しい。 「言えなかったわ。あのかたには。私的なことだし‥‥」 種を受け取る理由が母親のためだったとか、同情を誘うようで言えなかったとか、いろいろと言い訳はあるのだろう。けれど、なんにしても少女の選んだ人生だった。 「別れの挨拶になるのか、新しき繋がりになるのかは貴方がたの心次第ですけれど。産まれかけていた芽を、見えなかったことになさるのだけは悲しいですね」 少女は蜜葉をまじまじと見つめる。そして、小さく笑った。 「なんでわかったの? そう、夢見たこともあったのよ。あのかた、優しいから。ずいぶん小さなときだったと思う」 気にせず口に出せると言うことは、彼女の中ではもう昇華した感情なのだろう。少女にとっては夢物語、子供のころに憧れたもの。今も青年に思われていると知っても、戸惑うばかりだろうと予測ができた。 「でも不本意な結婚じゃないから。そりゃま、裕福とは程遠いけど」 「彼に伝えたいことがあれば聞くが」 「ほんとう? ならちょっとだけ待ってて。手紙を書くわ」 種を運ぶついでに引っ込み、ばたばたと物音がし、待つことしばし。 慌しく戻ってきた少女は、まだ墨も乾かない紙を鉄龍に押し付けた。乾いていない、つまり畳んでもいない。細かい字でびっしりとなにかが書き込まれている。わずかに視界に入ったのが、不可抗力で読み取れた。ひたすらな感謝の言葉だった。 「あたし、この種で食べつなげたの。母さんも‥‥ずいぶん長く生きられたと思う。でも、もう種をもらうのはこれでおしまい。じゅうぶんすぎるほど、助けてもらったわ」 まっすぐに告げられた言葉。その確かさを見て取って、蜜葉は――祝福を、のべた。 「来夏に咲く御二人の向日葵に、我が主の祝福があらんことを‥‥」 少女に見送られ、一行は来た道を戻る。 「ちょっとした、浪漫のある話‥‥なんだろうけど」 口の中で言葉を転がす。風が色の薄い髪を揺らした。 ――ハッピーエンドとは行かないか。 あとすこしづつ歩み寄れば、あとすこしずつ情熱があれば。 違ったのだろう。けれど、どちらもしっかりと引いた自分の一線を、越えようとはしなかった。 なにごともなく順調な復路をたどり、依頼人たちに出迎えられる。 「預かってきた。お前宛に」 鉄龍から受け取った手紙を読み、青年は微笑んだ。 「彼女らしいです。徹頭徹尾、ありがとうだの助かっただの。そればかり。繰り返さなくても伝わるのに」 「まるで定型文みたいなあなたの祝辞に対する返答にしたら、えらく素直だわ」 ユリゼの突っ込み。青年はなぜか驚いた顔をした。 「‥‥覚えていられたんですか、あれ」 「省略した」 「ですよね」 わかっていてあの長い伝言にしたらしい。それを遠慮なく省略するあたり、アスマであった。似ているわけではないのだろうが、どちらも微妙でややこしい性格かもしれない。 「今晩予定ないんやったら俺らと飲まへん?」 「喜んで、と言いたいところですが‥‥。お気持ちだけいただきます。あることないこと喋りそうなので」 気さくなジルベールに流されたのか。最後の一言が、青年の複雑な心情を露呈していた。 青年と別れて。紫煙をくゆらせ、鉄龍は呟いた。 「人生色んなことがある‥‥だからこそ面白いのかもな」 |