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■オープニング本文 ●霧に鳴る 波穏やかにして風僅か。先日まで続いていた嵐がようやく過ぎ去り、その日は待ちに待った快晴となった。絶好の漁業日和である。 漁師連中はさっそく網を担ぎ、まだ朝靄も晴れぬうちから、我先に沖へと向かう。 旅の中途、朱藩の港町に立ち寄ったフィラ・ボルジェバルド(iz0167)は、黎明の光に向かって漕ぎ出していく漁船の一団を、宿の窓際から見送っていた。 高台に立てられた宿の、さらに二階からフィラは遠く沖合までを見渡している。ささやかに吹き寄る海風が、麦穂のような彼女の髪を撫ぜる。 僅かに解れた髪を手で梳きながら、さらに下へ視線を移すと、砂浜で女たちが干物の干し台を並べているのが見えた。こうした宿を営んでいる者や、その宿泊客以外は、何かしら漁業に関わる仕事を、朝の早くから行っているらしい。 魚船は既に沖合へ到達し、各々がこれぞと思った場所に網を落としてゆく。 それぞれが長年蓄えた勘と知恵によって海流を読み、なるべく魚が多いであろうと当たりをつけているが、やはり序列や強弱のようなものが存在するのだろう。中にはうろうろと所在なさそうに、いつまでも漂っている船もある。 こうした日々の営みが、その人の人となりを形作り、やがては固有の文化を形成していく。その発露として、童話民謡や昔話、果ては神話伝承へと連綿と繋がってゆく。 自分でも気がつかぬうちに、フィラはハープをその手に抱えていた。どうやら今見ているこの情景を、曲にしろと言うことらしい。 まるでハープにせっつかれるようにして、彼女は弦に指をかけ、一音爪弾いた。 強い塩気の中に、音が溶け入ってゆく。その後は指の赴くまま、弦の示すままにフィラは奏でてゆく。 その運びが玄妙の程を高めていった丁度そのとき、彼女の耳は、自分のハープの音以外のものが混じり始めたのを聞き取った。 思いの外強く耳を揺するそれに、フィラは思わず演奏を止めて聞き耳を立てた。それがうるさかったのではない。彼女の耳には、それが歌のようなものに感じられたのである。 しかし、それははっきりとした音程や発音があるわけではない。海鳴りか何かだろうと言われれば、否定しきれないほどの淡い気配である。 その歌らしきものの出所は、どうやら沖合。それも漁の一団から遠く離れてしまった、未だ網を落としていない漁船からである。 さては船長が手持ち無沙汰のあまり、歌でも歌っているのだろうかと思ったが、ややあって、フィラは驚きに目を剥くことになった。 そのぽつねんとした船の周りから、にわかに霧が立ちこめたかと思うと、たちまち船体を覆い隠してしまった。 不自然なまでに局所的は霧は、まるで根を生やしたように船の周りで止まり、風に靡かれようともしない。 白昼堂々と行われる奇怪な現象に、フィラの総毛が逆立ってゆく。 彼女は取るものも取りあえず、宿を飛び出して港へと向かった。 ●鳴りをひそめて 果たしてフィラが港についた頃、既に船体を包んでいた霧が晴れ、洋々こちらへ巡航している最中であった。すわアヤカシかと焦った彼女だったが、何事も無かった様子に胸をなで下ろした。 「にしてもあいつら、どこさ行っちまったんだろうなあ」 近くを通りかかった漁師の一言に、何か不穏なものを感じたフィラは、つと彼に尋ねた。 「もし。やはりあの船、何かあったのでしょうか?」 漁師でもない人間がそんなことを聞いてきて、漁師の男は少し訝しんだものの、程なく大げさな身振り手振りで教えてくれた。 「何かあったなんてもんじゃない。あの船に乗ってた野郎、霧に隠れている間にどこかへ逃げちまったのさ。しっかたねえから、ほかの奴らが乗り込んでこっちに向かわせてるとこよ」 「しかし、船は確か沖の方で漁をしてたはず。逃げる場所など・・・・・・」 「そこが不思議だと、皆も言ってんだ。泳いで逃げるにしても、秋の海は冷たかろう」 「よほどカカアが怖かったんでねえか? 夜逃げならぬ朝逃げよ」 仲間の冗談に漁師たちが笑うなか、フィラの顔はぐっと強ばりを宿していった。 「村長のお家は、どこにあるのでしょうか?」 「んあ? 網元の家ってえと、あの高台の宿の向かいだよ」 「ありがとうございます」 礼を済ませると、フィラは早々に高台にある村長兼網元の家へと向かった。 「何だったんだあ?」 その後ろ姿を、漁師たちは首を傾げながら見送っていた。 ●門出を鳴らして 「漁に出ていた船が遭難ですと。いえね、船が消えたわけじゃあないんですよ。海の真ん中で、船だけ残して船員が消えてしまったと言うんです」 まったく不思議なことが起きるものですねえ。暢気に漏らす受付の青年だったが、次の瞬間には顔を引き締めた。 「丁度その事件に立ち会った開拓者が、村長に上申して依頼することになったそうです。その人が多く事情を知っていると思うので、協力しながら事に当たってください」 では、ご武運を。そう言ってにこりと笑い、青年は開拓者を見送った。 |
■参加者一覧
柊沢 霞澄(ia0067)
17歳・女・巫
葛葉・アキラ(ia0255)
18歳・女・陰
深山 千草(ia0889)
28歳・女・志
村雨 紫狼(ia9073)
27歳・男・サ
アリスト・ローディル(ib0918)
24歳・男・魔
琉宇(ib1119)
12歳・男・吟
リリア・ローラント(ib3628)
17歳・女・魔
御影 銀藍(ib3683)
17歳・男・シ |
■リプレイ本文 ●鳴る前に 「船員さんら、無事やとエエねんけど……」 葛葉・アキラ(ia0255)は港について開口一番そう言った。 「不思議な霧か……アヤカシで無ければ、助けられる可能性も在るでしょうけれど」 伏目がちに深山 千草(ia0889)は言うが、やはり期待薄であることを自身でも感じているのだろう。 「アヤカシかもしれないけれど、事件や事故のにおいもするよね。音楽にも関係していそうだし……」 その音楽――フィラ・ボルジェバルド(iz0167)の聞いた音にこそ、琉宇(ib1119)は興味があるようで、何とはなしに耳を海の方へ向け、事あるごとに聞き耳を立てている。 「モンスターの野郎、なんでこんな季節はずれに事件起こしやがったああ!!」 村雨 紫狼(ia9073)は何が納得いかないのか、一人海に向かって頻りに叫び続けていた。 「人が消え、船は残った……興味深い、実に興味深いな。不明な点ばかりだが、その中に分け入ってこそ賢者への道が開ける」 アリスト・ローディル(ib0918)もまた思うところがあるようで、興味深そうに水平線を見つめている。 「フィラさんが聞いた音……どんな音だったんだろう。私達にも……聴こえる、でしょうか。」 リリア・ローラント(ib3628)もまたフィラの聞いた音とやらが気になるらしく、常に耳を澄ましている。 「海の上で神隠し……ですね」 御影 銀藍(ib3683)は神妙な面持ちで、件の船を見遣る。この船の人員の一切が、たちどころに消えるというのは、如何にも神隠しと言うべき現象だろう。 「人を惑わすアヤカシが、船員達を連れ去ったのでしょうか……」 それもまた可能性のある話である。柊沢 霞澄(ia0067)は冷静に言うと、何かを惜しむように船体を撫でる。そこからいなくなった人達の面影を感じ取ろうとするかのように――。 「皆さん、お待たせいたしました。船の用意が出来ましたよ」 フィラは一行を呼びつけ、調査船へと誘う。これより開拓者一行は沖へ行き、この超自然の怪異を調べに行くところであった。 ●鳴り終われば この時期は波が穏やからしく、甲板に立つにても、走るにしても支障は無い。 念には念を入れ、開拓者の皆は互いに腰を縄で結びあり、万が一海の中に引きずり込まれても大事の無いよう備えていた。 船員が奇特そうに見る目が痛いものの、自分達の命には代えられない。 琉宇とフィラは舳先の近くで、何やら互いに歌を披露していた。 フィラが鼻歌のような音を奏で、琉宇がそれと同じものを返す。やはり同じ吟遊詩人として、通じ合うものがあるらしい。 二人が歌っているものこそ、フィラが聞いたという、船員が消えてしまう寸前に聞いたという歌らしき歌である。それを忠実に再現すれば、もしかすれば怪異の元凶を呼び出す助けになるのではないかと、二人は懸命に曲を奏でていた。 他の者達が思い思いに周囲を哨戒するなか、柊沢は船の中央に陣取って瘴索結界を展開していた。 これによって探れる範囲には限度があるものの、アヤカシの出現に対して機敏に反応することが可能となる。 柊沢が拡げる結界網が、僅かにちりちりととした反応を返す。すぐに辺りを見渡せば、狙い済ましたように、船の周囲の水面から濛々と霧が立ち込める。 皆が各々の得物を携え、柊沢を囲むようにして甲板の中央に集まる。流宇もフィラも集まり、何者かの出現に備える。既に歌を奏でていないにも関わらず、二人の口ずさんでいたものと酷似した音が霧の中に充満している。 「瘴気を感じます、大きな塊がいくつか……」 柊沢がさらに気を研ぎ澄まし、その在処を探ろうとした時、突如として水面が爆ぜ割れ、飛沫が盛大に甲板に掛かる。 「だはあっ、しょっぺえ! ったく、何だってんだ!?」 モロに海水を被った村雨の目の前には、その海水と共に甲板に落ちた何かが佇んでいた。 一見して、海草か何かが絡み合って出来たゴミに見える。 村雨は好奇心に耐え切れず、刀の切先でちょんちょんとその物体を突付いて、反応を窺った。 中には芯に当たる感触は無く、力を入れれば抵抗無くするりと刀身が入っていきそうである。 何だか大仰な登場の割には、本当にただのゴミだったのか。村雨ががっかりしながら刀を退くと、やおら海草のようなものが立ち上がり、ぐわりと身を拡げて襲い掛かってきた。 「あわわわわ!?」 間の抜けた叫びを上げた割に、村雨は引いた二刀を返して、きっちりとその海草らしき物体をたちどころに細切れにして振り払っていた。 「ふむ。随分と柔い。これならば殊更に心配はないか」 村雨がアヤカシを惨殺する様を見て、興味深そうにアリストが呟いた。その間にも飛沫は立て続けに上がり、甲板にその海草アヤカシが届けられる。 「……前言を撤回しよう。これは、骨の折れる作業だよ」 今や甲板に所狭しと並ぶ海草アヤカシを見て、アリストは呆れ気味に言った。 「それでもやらな、帰れんでェ。食らいや、雷閃!」 アリストに応じる葛葉の放った符が、白き雷となり、海草アヤカシたちの間に迸る。水気を大いに含む彼らには、殊の外効き目があるらしく、攻撃を浴びた多くがぶすぶすと焦げ臭い煙を吐いて崩れ落ちた。 「奔れ、桔梗」 ちりんと涼やかな鞘鳴りが、数え五体のアヤカシをたちどころに両断する。深山はすぐに刀を納め、間髪居れずアヤカシたちに切りかかる。その度にカマイタチが甲板を走りまわし、触れたものの悉くを切り刻む。 「前に出ます。援護、頼みます!」 言うに早いか、御影は甲板から水面に飛び降りると、まるで地面を行くとの変わらぬ所作で、飛沫の上がる場所へと走っていった。 忍法『水蜘蛛』による水上移動を用い、アヤカシの出現元を断とうという魂胆である。 「弾けよ、雷火!」 御影は素早く印を結ぶと、その掌中に雷を発生させ、それを手裏剣に見立てて打ち放った。無数の雷火手裏剣が水面に着弾し、ばちばちと煮立つように爆ぜる。 そうして水面にいたアヤカシたちは、すぐに焦げ臭い匂いを放つようになった。 アヤカシ出現の波が収まり、皆が一息つく中、フィラは一人、懸命に耳を済ませていた。 まだ、あの海鳴りのような音が、聞こえていた。 「……来る。大きいのが、来ます」 柊沢にも感じ取れたらしく、その緊張の含んだ声で、辺りが張り詰めていく。 そうして一際大きな水飛沫が、船の真横で上がった。ぐらりと船体が揺れる中、何か重苦しいものが船の縁を軋ませて、こちらに上がってくる。 それは水飛沫と同じく、輪を掛けて大きな海草アヤカシであった。 「当たって、サンダー!」 すぐにリリアが、そのアヤカシに対して仕掛けた。彼女の手から迸る雷は過たず、敵の体を打ち貫いて焼け焦がす。 しかしアヤカシは、焦げる体に頓着する様子なく、その大きな手を開拓者達に向けて振り落とした。 「いけない!」 咄嗟の判断で深山は桔梗を放ち、振り上げる最中だったアヤカシの腕を付け根から切り落とす。あんなものが船体に当たれば、まず沈没は確実である。 何とか防いだかと安心したのも束の間、斬られた箇所にうねうねと海草がにじり寄り、すぐにその代わりを為すための形へと変化してしまった。 「なるほど。子分達とは出来が違うと言いたいようだ。ならば、こういうのはどうかね? フローズ!」 手掌と連動して唱えられた呪文が、アヤカシの足元に作用する。ばきばきと氷が形作られる時の破裂音が、アヤカシの足元から聞こえていた。 「それじゃあ、私も。ブリザーストーム!」 今度はリリアの魔術がアヤカシの体を満遍なく包み込む。 ただでさえ水気の多い海草である。冷気を当てれば凍ってしまうのが道理だ。 しかしそれでもにじり寄るアヤカシを、流宇の持つヴァイオリンの調べが阻む。 「響け、グラビティロア!」 腹の底まで揺さぶるような重低音が、文字通りアヤカシを上から押さえつける。 「おっしゃあ! 極めるぜ!!」 我先にと飛び出した村雨が、二刀を振りかざしてアヤカシに切迫する。 閃光が二つ、霧の中に瞬いたかと思うと、既に村雨は刀を納め、アヤカシの後ろに立っていた。 そしてびしりと音を立て、氷漬けと化していたアヤカシの体に、致命的な二条の亀裂が走り、そこを基点として、体の隅々まで砕け散った。 「ふん。精々あの世で、ワカメでも育てるんだな。とっとと消えろ」 村雨に言われるまでも無く、アヤカシの惨殺体はあれよあれよと言う間に瘴気へと変換され、もはや人の目には判然としないほど細かく分解されてしまった。 それは決め台詞としてどうなのだろうという皆の疑念とは裏腹に、村雨は清々とした顔つきで、いつまでも穏やかな海を眺めていた。 |