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■オープニング本文 ●提灯が照らす池 真っ黄色に色づいた月が照らす朱藩の林中を、一人の男が歩いている。既に時候は夜半を大きく回り、葉影がおどろしく月光を隠す中にあって、男の足取りに危なげなところはない。 それもそのはず。男は手に提灯を携え、足元を照らしているのだ。 ぼんやりと浮かぶその姿には、びくに釣り竿が見受けられる。どうやら男は釣り人らしい。 時たま光に群がる虫を手で払って、男はこの先にある池へと向かっていた。 こうして夜中に提灯を持って釣りに出かけるのが、男の日課であり、数少ない楽しみであった。明日の畑仕事がつらくなるとはいえ、これだけはやめられない。 ようよう池へと着いた男は、波一つ立てぬ水面を窺うように覗く。提灯で照らした範囲はともかく、池の大部分は黒々として判然としない。 それもいつものことである。男は提灯を水面近くの木に引っかけ、その明かりの下に座り、早速池に糸を垂らした。 そして数分と立たず、水面が音を立てて飛沫を散らし、まず今日の一匹目がびくの中へと吸い込まれた。 この釣れる瞬間というのは、幾つになっても男にとっては快感であるらしい。さも楽しげに二投目を放てば、たちまち魚が懸かってくれる。 この入れ食いの様は、男の実力でも、餌の力でもない。偏に彼が持ってきた提灯のおかげである。 斯様な夜半に光を水面に当てると、魚たちは虫たちと同じく、それに向かって一斉に群がってくる習性を持つ。その群のなかに餌を垂らせば、釣れるのは自明の理である。 昼間だとこうはいかないため、男は敢えて夜を選ぶのは、魚の習性を利用してのことであった。 今日もまた大漁だったようで、びくはすぐにいっぱいになった。 そろそろ引き上げる頃合いか。明日に備えるなら、今から家に向かわないと殆ど寝る時間が無くなってしまう。 釣り竿を片づけ、池に浸けていたびくを引き上げようとした男の手が止まる。引き上げるには、余りに手応えが重すぎる。 畑仕事で鍛えた男の腕力でも、容易に持ち上がらない。こんなことは、釣りをしていてこのかた有り得ない。そもそもいっぱいに魚を詰めたとして、びくに入る量はたかが知れている。 水草か何かに引っかかったのだろうか。今度は腰を入れて、無理矢理にびくを水面から引き抜いた。 つっかえが取れたようにびくが持ち上がり、勢い余って男はひっくり返って背中を打ちつけた。 「あいたたた・・・・・・。全く、何だってんだ?」 そうして手に持ったびくを上げてみると、底の方が大きく破けている。中に入っていた魚はすっかり外に飛び出し、懸命に跳ねて水の中に戻ろうとしている。 「このっ、待ちやがれ」 せっかく釣り上げた成果を逃すまいと、男は手で魚をかき集めていく。そうして川の縁まで達したとき、ようよう彼は、提灯の光が何か妙なものを映し出しているのに気が付いた。 それはまるで水が立ち上がったかのような光沢を有し、どす黒い水面にあってぬらぬらと瞬いている。 既に男は、魚を拾う手を止めていた。拾おうにも、既に体が痺れきってしまい、うまく動かない。 「ぎょ、ぎょ、ぎょ・・・・・・」 もはや舌さえ自分の思い通りにはならない。甘い痺れが口の中に充満して、怖気と吐き気を催させる。 ぬめりはそんな男に頓着せず、べたべたとした粘い液を引きずって、岸に上がって近づいてくる。 せめて後ずさって逃げ場を求めた男だったが、提灯の光を求めるように下がったため、それを掛けていた木に背を阻まれてしまった。 提灯の鈍い明かりに近づくにつれ、ぬめりの正体が如実になっていく。男はその様子を正面から、間近で観察させられた。 それは一見して、人と呼んでも構わない形態を取っていた。食い違いがあるとすれば、全身を魚の鱗が覆い、水でも掻くかのようなひれが満載しているところくらいだろう。 その人がましいぬめりは、男の首に手をかける。 「ああ、ああ、うああああ!!」 男の絶叫が、天高い月にまで至らんほどに絞り出される。そのまま己の存在さえ霧散させてしまったように、跡形もなく消え去ってしまった。 後に残ったのは、事の次第を映していた提灯だけであった。その光が照らす水面には、男のものと思われる着物が浮いていた。 ●定かならぬ出発 「釣りに行ったきり戻らないそうで、ええ、誤って池に落ちたのかも知れませんねえ」 思ってもいないことを軽い調子で青年は言うが、それは有り得ないと言うことをきちんと心得ている。 「アヤカシに襲われたと思われます。それ以上の事は何とも。不明な点が多いので、準備の方を怠られないよう、お願いいたします」 慇懃に礼を言う青年は、どこかもの悲しげだった。危険な調査に開拓者を送り出さねばならぬのが、気を咎めているのだろう。 しかし、こうした事態でこそ求められるのもまた、開拓者である。 それに応えるべく、彼らは出発した。 |
■参加者一覧
桔梗(ia0439)
18歳・男・巫
水無月 湧輝(ia0552)
15歳・男・志
橘 天花(ia1196)
15歳・女・巫
村雨 紫狼(ia9073)
27歳・男・サ
Lux(ia9998)
23歳・男・騎
クルーヴ・オークウッド(ib0860)
15歳・男・騎
ベルナデット東條(ib5223)
16歳・女・志
ファルシータ=D(ib5519)
17歳・男・砲 |
■リプレイ本文 ●池まで はらはらとした落葉を仰ぎながら、桔梗(ia0439)はそのうちの一枚を掌で受け取る。 しかしその目つきは如何にも鋭く、それでいてぼうと焦点を合わさずに虚空を見つめる。 瘴索結界を張り巡らし、微細な瘴気の凝りを見逃さぬように歩く。 「桔梗くん、そろそろ……」 橘 天花(ia1196)に話しかけられ、ようやく桔梗は交代の時間が来たことを察した。 池までの道程までを二人で交代しながら探るはずだったが、桔梗一人で随分と歩いてしまった。 「それじゃあ、お願い。天花」 首筋に垂れる汗を拭い、桔梗は天花の後ろに下がった。 程なく、橘は大きな瘴気の凝りを察知し、それに導かれるようにして歩いた。 着いた先は、事前に村人に聞いた池の場所と相違なかった。 「おや、この提灯……それと破れた着物? ああ、そうですか。よりによって最悪ですね」 先に池のほとりに踏み入ったLux(ia9998)は、そこに落ちていた品を拾い上げて、ぽつりと呟いた。 これでいよいよ、この池が事件の現場であると言う確証がついた。 「ふ〜ん、何かに引っ張り込まれたのかなぁ?」 水無月 湧輝(ia0552)は池を見渡して言った。 池は昼だというのに、黒々とした濁りに満たされている。流れが殆ど無く、水の入れ替えが行われないのだろう。 しかし、それだけではない。 「これは、藻でしょうか?」 クルーヴ・オークウッド(ib0860)は長槍の柄で池を浚うと、石突の先に付いたものを気味悪そうに眺めていた。 深い緑が寄り集まって、底も見せない水面を形作っている。 「ひどい匂いね。それ」 ハンカチで口を押さえながら、ファルシータ=D(ib5519)はクルーヴの浚った藻を興味深そうに観察している。 何かの成分が揮発しているのだろうか、腐臭にも似たものが藻から放たれている。魚は好みそうだが、人の鼻にはどうにも合わない。 「そんじゃ、モンスター退治と行こううかね」 言いながら、年長者の村雨 紫狼(ia9073)は、携えた二刀の目釘を確かめる。魔術巫術の類を使えない彼が役に立つには、この二刀を振るったときのみである以上、万に一つでも不都合があってはいけない。 「まずは、日中のうちにやれる事を済まそうか」 ベルナデット東條(ib5223)は既に歩き出しており、戦うに易そうな場所の見繕いを始めた。 ●池から 結局、池は何の変化を見せず、とうとう夜になってしまった。松明を持参したものは、松明を持参した者達は、それを片手に池の周りの哨戒を続けている。 クルーヴと橘が池の周りを歩いていると、ぴしゃりと一匹、池の水面た音を立てた。 最初は、藻が魚に揺られているのかと思ったが、それは徐々に水面から競り上がり、丸みを帯びた頭をこちらに向けてきた。 二本の腕に二本の足。正にそれは人間の形である。しかし注意深く関節してみれば、手足の先には鋭い爪と、水かきのようなものが窺える。 アヤカシが池から上がる頃には、既に得物を抜き払って構えていた。 事前に瘴策結界で気配を読めたのは良かったが、これほど接近されるのは如何にも拙い。 橘は杖を体の前にかざし、一応は構えを取る。しかしやはり焦りは抑えられない。 そんな彼女の前に、クルーヴが立ちはだかる。 長槍の穂先を高く上げて防御の型を取り、すかさず柄を自身のオーラで包み込む。 クルーヴの威嚇にも何ら反応を示さず、そのアヤカシはずんずんと踏み込んでくる。これ以上近づかれては、長柄武器のアドバンテージが失われてしまう。 「えいやッ!」 高く上げていた穂先を、その首筋に斜めから振り下ろした。 穂先が、アヤカシの皮膚にさえ届いていなかった。体中に絡んだ藻に阻まれ、全く刃筋が立てられない。 何と切りつけようと、クルーヴは躍起になって穂先を押し込む。依然アヤカシは何ら痛痒にも感じていないらしく、ゆったりと槍の柄に手を伸ばした。 途端、弾かれるようにクルーヴは槍を戻した。何ら力感を感じさせない動きだが、掴まれたら恐らく大変な状況となる。ただでさえ今は二人だけで対峙しているのだ。他の仲間はつくまで無理をしてはいけない。 すでに緊張感だけで息が上がり、呼吸が荒くなってしまう。 「ぬ、ぐ……」 突如匂ってきた腐臭に、クルーヴは思わずむせる。すぐに片手で口を塞ぐが、口内にわだかまった異様は感触は、そのまま喉の辺りまで下りてきて体を痺れさせる。 堪らず座り込みたい衝動を抑えることが、クルーブの精一杯だった。そうなれば、アヤカシの鈍重な所作が、まるで恐怖を煽るための演出なのではないかと疑いたくなってしまう。 そんなクルーヴの背中に、何か暖かな感触が現れた。 ひたと当てられた橘の掌から、何かが流れ込んでくる。足先まで伝わっていた痺れが、徐々に体の外へと抜けてくれる。 「無理をしないで、退きましょう。ここは引き付けるだけで十分です」 既に運足の回復したクルーヴは、立場なの後に続いて池のほとりをなぞるようにしてアヤカシから距離を取った。 その決して速いとはいえない転換を、アヤカシはゆっくりと首を巡らせて追う。どうやらその鈍たらしい動作は、三味線を弾く類のものではなく、そのような生態に由来するようだ。 「おっしゃああああ!」 咆哮と共に橘たちを飛び越えて現れたのは、二刀を携えた村雨であった。跳躍の勢いを殺さず、彼は交差させた刀をアヤカシの顔面に叩きつけた。 全体重を乗せた鋭利な斬撃を浴びせられ、堪らずアヤカシは後方に倒れこんだ。どちゃりと重たい水音が立つなか、空中で器用に体を入れ替えた村雨は向き直って地面に降り立つ。 決死の一撃を見舞ったと言うのに、彼の表情は苦々しく歪んでいた。 「おいおい、文字通り刃が立たねえぞ」 のっそりと起き上がるアヤカシの頭部に、先程の斬撃の痕は見て取れない。 「藻です。藻が邪魔なんです」 クルーヴの助言を受け、村雨が頷く。 「なるほどな……ってくさ!」 思わず顔を覆って村雨が飛び退く。遅れて到着したLuxは、入れ違いにアヤカシの懐に入った。 「オオオ!」 得意の接近戦に持ち込んだLuxは、近間から太刀でアヤカシの体を撫で切る。しかし削げるのは藻ばかりで、やはり中の鱗まで刀身が届かない。 要は、藻をどうにかすればいいのね」 いつの間に近づいていたのか、ベルナデットはするりとした身のこなしでLuxの隣をすり抜けていた。 「炎魂、縛武!」 爆ぜる刀身が火を吹き、夜気を荒々しく切り裂きながら振るわれる。相変わらずもっさりとした動きしか見えないアヤカシに、松明のように燃え上がる長巻を叩きつける。 しかし藻と堅牢な鱗に覆われた体表面には、傷一つ付く様子がない。それでも藻は焼き払われ、徐々にその量を減じさせていく。 「ならば、僕も!」 押っ取り刀で到着した水無月は、抜き払った刀を腰溜めに構え直し、正面から突進した。 アヤカシは若干仰け反りはしたものの、水無月の突進を、その体で全て受け止めた。それで刺さったのは、あくまで切先だけである。とどめには程遠い。 自分の胸元にいる水無月に向かって、アヤカシがゆるりと腕を振り上げた。 「燃えろ、炎魂!」 空かさず、水無月は前蹴りを放ちながら、刺さった切先を擦過させるように斜めに振り下ろしながら切り裂いた。途端、炎が尾を引くようにアヤカシの胸元から飛び出した。 ようやく炎によって乾かされた藻に延焼し、見る見るうちに炎がアヤカシの体躯を包み込んだ。 「ギシャアアアア!」 突如アヤカシは今まで上げたことの無い悲鳴を上げ、ぞんざいに体を振るった。それは今までの、あの鈍重な印象を裏切って余りあるものだった。 間合いの内にいた水無月とベルナデットが、揃って薙ぎ払われて後方へ退く。突然の行動に驚いたものの、何とか得物による防御が間に合い、大事には至らなかった。 「ゴゴガアアガア」 稲妻を鳴らすようなくぐもった音を立てて、アヤカシは二人を突き飛ばして開けた穴から脱出を図る。 「桔梗さん、頼みます!」 すぐさま立ち上がった水無月とベルナデットが、一様に桔梗を見つめる。それだけで、彼女には彼らの意図するところが余すところ無く伝わった。 軽調な囃子と共に披露された素早い舞は、神楽舞『脚』。呼び出した精霊の力を対象に付与することで、その行動を飛躍的に速める。 二人は術の掛かりを確信すると、即座にその場から走り出した。 既に遠ざかりつつあったアヤカシに追いつきざま、ベルナデットが長巻の長い射程を活かし、アヤカシの足を払った。その間に水無月がアヤカシの前方に回りこみ、炎を纏わせた刀を横薙ぎに叩きつける。 藻による防御の失せたアヤカシの鱗に、前後から怒涛の勢いで攻める。それにクルーヴや村雨も加わり、いよいよアヤカシを取り込む。 「全く、まだ死なねえのか」 如何にもうんざりとした調子で村雨が呟く。やはりこの敵に対して、刀などの刃物は分が悪いらしい。 しかしこのまま取り逃がすわけにもいかない。さてどうするべきかと皆が手に詰まったとき、後方の草むらから声が届いた。 「そう、そこ。皆さん、動かないでくださる?」 その場にいた全員の驚愕を置き去りにして、暗闇を引き裂く銃口炎と、ほとりの静寂を掻き乱す爆裂音が轟いた。 それと同時してアヤカシの頭部が、がっくりと弾かれる。その現象を総合してようやく、皆は何が起きているのかを把握した。 爆音は少し間を置いてから連射され、先に打ち込んだ箇所へ寸分違わず、次々と弾丸が捻じ込まれてゆく。 数え五発の弾丸を撃ち終わった頃、アヤカシがその場にくずおれる。堅牢を誇ったアヤカシの脳天に、巨大な孔が現れた。 そのまましゅうしゅうと音を立てて、体が瘴気に変換されていった。 「あれだけ鈍ければ、外すのが難しいわ」 マスケットの銃身を手入れしながら、にんまりとファルシータは呟いた。 燃え殻までも風に攫われ、池のほとりは月光以外の光が消え失せ、再び静寂に包まれた。 |