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■オープニング本文 ●猫と楽士 ろうそくのかそけき明かりが、ぼうっと照らす部屋の中。フィラ・ボルジェバルド(iz0167)は静かに聞き耳を立てていた。 彼女は諸国を旅し、歌を集める吟遊詩人。ときおり珍しい昔話の噂を聞きつけては、こうして足を運んでいる。今日もそのために、理穴の村にいる老人の家に泊まらせてもらっていた。 「昔、たいそうな悪さを働いた猫がおったそうな。その体躯は熊を超え、気性は虎よりも荒く、吼え声は獅子のそれを凌ぐものであったという。山に潜みて旅人を食ろうたり、夜な夜な村に下りては残虐の限りを尽くしたりと、その悪行は国中に広がった。幾人もの武芸者が討伐に乗り出したが、みな帰ってはこなかった」 口を潤すために、老人が茶を少し含んだ。フィラもそれに倣い、茶碗に口を付ける。 「その化け猫の討伐に名乗りを上げたのは、一人の楽士であった。その者が言うには、自分が猫をしとめた暁には、その猫の皮を剥ぎ、弦として用いたいとのことだった。王は戯れに、楽士の申し出を受け入れた」 「それで、どうなったのですか?」 「楽士の奏でる音は、それはそれは玄妙を極めていた。その音色は化け猫をも酔わしめ、ついに眠らせてしまった。その間に彼は化け猫の首を切り落とし、それを王に捧げた」 めでたし、めでたし。そう締めくくって、老人は残った茶を喉に流し込んだ。 「楽士は、どうなったのですか?」 「猫の首を落とし、楽士はそのまま消息を絶ったそうな。色々と噂はあるがの。さる国の宮廷に召し抱えられたとか、今でも天義を巡り、猫の皮よりこしらえた弦の音を弾き鳴らしているとか」 そして老人は含むように笑い、 「化け猫より作られた弦は、その猫と同じく血を欲し、楽士の奏でる音色に酔わせて誘い出しては、化け猫の最後と同じく首を断たれてしまうそうじゃ」 と、おどろおどろしく言い聞かせた。 「まあ、恐ろしいこと」 くつくつと小さく笑いながら驚いてみせるフィラに、冗談はよせとばかりに老人は肩を竦めた。 「おぬし、開拓者じゃろう。そんな化け猫とて、恐れ怯むことはないじゃろう」 否定も肯定もせず、フィラはくつくつと笑うばかりだった。 ●怪弦音 その日の夜、フィラは夢うつつの中で、とある音を聞いた。 どこからともなく弦楽の調べが、嫋々と響いてくる。まるで地の底から這い寄るような、小さいながらも心騒がずにはいられない音である。 なら恐ろしいのかと聞かれれば、そうではない。眠りへと誘うように優しげで、耳を閉じることを許さないほど鮮烈で、虚ろと現を行き来する異邦の心地は、陶酔を伴って頭頂の辺りから体中に滴り落ちてくる。 ふいに、けたたましい騒音がフィラの頭を叩いた。 それは自分の弦楽器が、立てかけられていた壁から倒れる音だった。その際に弦が揺らされ、でたらめに音を掻き鳴らしたのだ。否が応でも目が覚めて、フィラは楽器に身を寄せた。 「俺の演奏を邪魔するのは、誰だ?」 そのとき、弦楽の内に鋭い声が混じった。さくりさくりと土を踏む音と共に、夢想の弦がこちらに近づいてくる。 やがて、からりと音を立てて引き戸が開け放たれた。現れたのは、一見して目鼻立ちの整った、美丈夫であった。その瞬間、目を奪われそうになったフィラは、すぐに我に返った。 戸口に立つ男の、戸の上にある隙間から、金色の目玉が覗き込んでいた。まるで猫の目のように、すっと縦に一線を引いた細い瞳孔が、フィラを定めた途端にぐわりと両側に広がった。 「貴様、楽士か?」 「……吟遊詩人でございます」 猫のように爛々と瞳を輝かせて、男はフィラに問いかける。彼女は僅かに声を震わせて、それに答えた。 男が口を開くたび、鼻を背けたくなるほど臭ってくるのは、明らかな瘴気。目の前の男自体もアヤカシか、後ろのそれにとりつかれているとしか考えられない。 フィラが自分の弦楽器に知らず知らずのうちに描き抱いたとき、男の口がきゅうっと端をつり上げた。じりじりとせり上がるその隙間から、真っ赤な舌が垣間見える。 「聴かせろ、お前の音を」 狂気を孕んだ声と目で、男は要求してくる。しかし、こんな状況で奏でろといわれても、おいそれとできるわけがない。 フィラはただただ自分の楽器を抱きしめて、せめて動きを見逃さぬようにと、男をしっかりと見つめているだけであった。 「腰抜けめ。ここぞというときに弾けねば、楽など成り立たぬわ」 アヤカシもどきの男が放つ言葉が、痛烈にフィラを打ちのめす。しかし男はなおさら興が乗ったらしく、楽しげな仕草で指を鳴らした。 「機会を、やろう。近いうちに、また来る。そのときは、聴かせろ。でなくば、この村を喰らう」 恥ずかしげも無くぶち上げられた虐殺宣言に、フィラの顔は一層強張った。 「やる気が出たか? 吟遊詩人。何なら、仲間も呼べ。多い方が楽しかろう、宴というのは」 哄笑を残して、男は去っていった。金色の目をもった猫もそれに続き、のしのしと地を踏み鳴らして遠ざかっていった。 これから、忙しくなる。事情を村長に説明し、ギルドに連絡を取り、開拓者を寄越してもらわねばならない。だが今は、それよりも優先すべきことがある。 今この場で命があることを喜び、フィラは愛おしく楽器を抱きしめた。 |
■参加者一覧
三笠 三四郎(ia0163)
20歳・男・サ
桔梗(ia0439)
18歳・男・巫
Lux(ia9998)
23歳・男・騎
シャンテ・ラインハルト(ib0069)
16歳・女・吟
クラウス・サヴィオラ(ib0261)
21歳・男・騎
燕 一華(ib0718)
16歳・男・志
アルマ・ムリフェイン(ib3629)
17歳・男・吟
ルゥミ・ケイユカイネン(ib5905)
10歳・女・砲 |
■リプレイ本文 ●夕陰の村 理穴の村に、夕闇が迫る。山陰がずるりと長く伸び、村を覆っていく。日が落ちる前に、村は暗澹に包まれる。しかし周りは未だほの明るい。まるでこの村だけ、黒く切り取られてしまったようだ。 今宵この村に、アヤカシがやってくる。確信めいたものを、フィラ・ボルジェバルド(iz0167)は感じ取っていた。 楽士に言われたとおりに仲間を集め、準備を万全整えた。それは恐らく、あの楽士に余すところなく伝わっているだろう。 ぶるりと昇る怖けを払うために、フィラは楽器を握りしめた。 そのとき、ぱちんと耳元で何かが打ち鳴った。驚いて向き直ると、そこにはアルマ・ムリフェイン(ib3629)がにこりと微笑んでいた。 「僕達が一緒、だからね」 アルマはそうしてフィラの緊張を解すと、優しげな笑顔を崩さず、村の広場にいる子供達の輪に加わっていった。 「伝承と酷似したような楽士の方、ですね‥‥もし伝承に語られていた楽士なのなら、元は人の為に戦われた方、なのですよね」 シャンテ・ラインハルト(ib0069)は悲しげに眉根をひそめながら、フィラの横に立つ。口にしたフルートから流れる音もまた、もの悲しげである。その調子はまるで、鎮魂の曲のそれであった。 「へえええ、でか猫ちゃんといけめんのコンビアヤカシなんだ〜 よーし、あたいがその綺麗な顔を吹っ飛ばしてやるんだから! ‥最初に狙うのは楽器だけどねっ!」 ルゥミ・ケイユカイネン(ib5905)はシャンテの曲に耳を傾けながら、得物である銃の照星を確認しては、少しずつ調整するを繰り返している。 狙うは楽士の楽器。射程距離に強みを持つ砲術士ならば、アヤカシや楽士に気づかれぬ位置からの狙撃が可能となる。僅かな隙を突いて命中させるには、銃身や照星の僅かな歪みが命取りになってしまう。 ルゥミが神経質なまでに確認するのも、当然のことと言えた。 「その楽士、昔話の人物と同一なのか? だとすれば、ヒトをやめてどれ程の月日が経っているんだろうな。 アヤカシに食らい尽くされた楽士か…その悲しい物語、ここで終わらせてやる」 クラウス・サヴィオラ(ib0261)は、手持ちの盾と剣の手入れに余念がない。幻惑されぬよう、気付け用のダーツも懐に仕舞いこんだ。 「元凶はやはり、その化け猫のアカヤシでしょうか。うまく立ち回れればよいですね」 三笠 三四郎(ia0163)も長得物の三叉戟の穂先を確認している。 槍ならば、体躯の大きいアヤカシが相手だとしても、近い間合いを保ちながら牽制・攻撃することが出来る。 これで化け猫アヤカシを押さえ、楽士と効果的に分断出来れば、戦いは優位に進むだろうと、三笠は考えていた。 そろそろ夕暮れが夜陰に成り代わり始め、子供達は親に連れられて各々の家に帰ってゆく。そんな光景を、桔梗(ia0439)はひたすらに見送っていた。 親がいる幸せ。幼少に母と死別した彼には、それが痛いほど分かってしまう。その幸せを、アヤカシに奪わせるわけにはいかない。 「‥‥皆さんの心に笑顔と華を咲かせるために、ボクも頑張らないとですねっ」 着々と容易を済ませつつあるほかの者達を見て、燕 一華(ib0718)も気合を入れなおした。 「やることは変わりません。いつものお仕事です‥‥。見過ごせない点といえば村人様に危害が及ばないことですか‥‥。やるにしても多少怪我をしないといけないですかねぇ? 楽士さんの奏でる音も怖いです‥‥ナイフで腕でも切って痛みで対策しましょうか。なんにせよ、ちょっとばかり怪我を覚悟で挑みましょう」 どこか白々しい口調で、Lux(ia9998)は皆に語りかける。もうあと少しで、夜が来る。人の時間は終わり、アヤカシにとって好ましい時間が始まる。 ●猫楽奏 月が天頂に至り、広場に屯する開拓者たちの姿を浮き彫りにする。月光を遮る雲がないため、明かりがいらないほどだ。 早速、吟雄詩人であるシャンテ、フィラ、アルマの三人は、携えた楽器を奏で始める。つま弾く音が玄妙の度合いを高めるが、元より居た開拓者以外に、聴きに来るものはいない。 その辺りの因果は、十分に言い聞かせてある。 今宵は何があろうと家に籠もっていただくようにと、村人にお願いしてある。耳に優しい楽が響こうと、幻惑をもたらす音が聞こえようと――。 三者三様の音色に、異なる音が混ざり始める。吟遊詩人の三人はそれに気づきつつも、緊張を面に出さず演奏を続ける。 しかし幾らかは伝わるようで、他の皆も俄かに顔つきを険しくする。 そして絶妙に調子を崩さず、三人の曲調が移り変わってゆく。 シャンテのフルートが霊鎧の歌を紡ぎ出す。淡く発光する霊力が、音と共に皆に宿っていく。 フィラは武勇の曲。勇壮で荘厳な音色が戦意を鼓舞し、アヤカシに立ち向かう力を与える。 アルマは天鵞絨の逢引。なめらかなビロードを思わせる音色は、精霊の加護となって味方全てを包み込む。 三つの音はそれぞれ解けながら絡まりあい、震えながら混ざりあう。 「ほう。中々に聞かせてくれるじゃないか、吟遊詩人」 噎せ返る瘴気をまといながら、一人の男が歩み来る。その手には弦楽器。ほろほろと掻き鳴らしながら、広場一体に音を広げていく。 彼の後ろには、一匹の猫。月より明るく爛々と照り輝く目玉を転がして、開拓者達を眇めている。 楽士の音が開拓者たちに届き、漸うその体に沁み込み始める。 「く‥そう簡単に眠ってたまるかよ‥!」 早速クラウスに、変化が現れる。眠気と言うのは余りにも荒々しい塊が、いきなり自分に圧し掛かってきた。 しかし、備えは既に整えている。クラウスは懐からダーツを取り出すと、それを手の甲に思い切り突き刺した。 手の甲から立ち昇る痛みが、眠気を根こそぎ跳ね飛ばす。途端に体が元の重みとなり、クラウスは腰の剣を抜き払った。 他の皆も薄荷の葉を齧ったり、ナイフで腕を切ったりと、思い思いの方法で覚醒していた。 「凄い演奏ですねっ。でもお兄さんの演奏で咲かせる華は、何だか周りの華を枯らしてしまいそうですっ」 いの一番に飛び出したのは、燕。元・雑技衆ならではの軽業で飛び上がると、いきなり猫アヤカシの頭上から薙刀で切りつけた。 「ウオオオオオ!」 続く三笠が、猫アヤカシに向かって咆哮する。さらに三叉戟に込めた剣気を発揮し、猫アヤカシを威嚇しながら突き入れる。 「ふん。数の理を取るとは、浅薄だな」 クラウスとLuxに挟まれて、しかし楽士は弾く手を止めず、その揶揄さえ抑えない。 「まあいいさ。皆、俺の音を聞けば良いのだから」 楽士が掻き鳴らす手に一層の力を込め、音を放つ。瘴気を伴う演奏が、吟遊詩人たちの音色を飲み込んでいく。 吐き気さえこみ上げてきそうな広場の中で、耳から瘴気に侵されてしまいそうだ。 シャンテがえずき、フルートの音が途切れる。弦の弾くフィラの手が、先から震え始める。アルマの持つバイオリンの弓がずり落ち、弦に対して直角を保てない。 このままでは、演奏が出来ない。 「癒せ、神風恩寵」 そのとき、涼やかな声と共に、一陣の爽快な風が吹き過ぎた。侵し汚す瘴気を押しのけ、それは開拓者達を優しく包み込んだ。 桔梗の神風恩寵が皆を癒し、瘴気に蝕まれた体を賦活する。シャンテのフルートを吹く口が、フィラの弦を弾く手が、アルマのバイオリンの弓が、再び力を取り戻す。 一層に強まる演奏が、今度は楽士のそれを圧倒する。三人の厚みのある音が、楽士一人の生み出す音とぶつかり、砕け、飲み込んでいく。 「ぬう!?」 三人の演奏を受けて、僅かに楽士が怯み、奏でる手の動きを止めてしまった。その一瞬を、待ち望んだ者がいた。 演奏に無理やり入り込んだのは、空気を裂く甲高い音。次いで響いたのは、砕け落ちる弦楽器の音。 楽士の視線は、今しがた自分の大切な弦楽器を破壊した根源へと向けられている。そこは一見して、単なる家と家の隙間にしか見えない。 家の脇、暗い影にしか見えないその場所に、ルゥミはいた。小さく可愛らしい顔を黒く塗り、上から黒い布を被り、完全に闇を偽装していた。 「キサマアアア!」 途端、楽士の纏っていた瘴気が膨れ上がり、その禍々しさを倍化させる。そのまま彼は、ルゥミのところへを狙いを定めて走り出した。 そんな突進が、半ばで無理やりに停止する。空かさず回り込んだクラウスが盾を突き出し、楽士の体を押し返そうとする。 「どけえ!」 楽士は右腕を振り上げ、クラウスを体ごと薙ぎに来た。しかしそれもまた、不発に終る。 正に振るわれんとする一瞬、楽士の右腕は主人を見放したように空へ舞い上がっていく。 先に伸びているのは、銀色の一閃。背後より忍び寄ったLuxの剣が、楽士の腕を切り離していた。 「シッ――」 短く呼気を吐き、Luxは返す刀で楽士の背を斜めに切りつける。 「グガア!」 呻きを上げて反り返る楽士を他所に、クラウスは実に落ち着いた素振りで剣を構え直し、狙いを定める。 「ここがきみの物語のエンディングの場所だぜ? 楽士さん」 そしてするりと、剣を楽士の心臓へ突き入れた。 ばつんと、ひどく弾力のある何かが千切れ、楽士の体が萎むように崩れ落ちていく。傷口から瘴気として解け、ばったりと倒れ伏せるころには、人の形を保っていなかった。 楽士の消滅と同時して、猫アヤカシが動きを止める。縦に裂かれた瞳孔を開き、内から立ち昇る痛みをこらえるのに精一杯なのか、目に見えて挙動が鈍重になる。 「さあさあっ、元・雑技衆『燕』が一の華の演舞をご覧に入れましょうっ!」 燕が薙刀を激しく旋転させる。風切り音が高まり、その刃先はすぐに判然としなくなる。 「首を上げさせます。その隙に、頼みますよ」 三笠はそれだけ言うと、三叉戟を携えて猫に対して低く踏み込む。そして下から抉るように、猫アヤカシの胸を突き上げた。 三叉の刃がざっくりと胸郭を抉り、たまらず猫アヤカシが身を仰け反らせた。 角度の開いた首に、大身の薙刀が入り込む。ずぶりと肉に沈み込んだかと思えば、すぐさま向こう側から飛び出してしまった。 ごとりと如何にも重たそうに、猫の首が地面に転がった。呻き声の一つも上げず、猫は煙に巻かれて夜空に溶けていった。 |