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■オープニング本文 ●薪集め かじかんだ手は、そこらに広がる落ち葉よりもささくれ立っている。香苗はなけなしの息を手に吹きかけ、一時だけ冷えを遠ざける。 しきりに手を擦りあわせても、その暖かみは保てない。すぐまた手に冷えが戻り、指の先から震えこみ上げる。 今年は特に、寒く乾いていた。 理穴の北武、魔の森に呑まれていない辺り。香苗はせっせと薪を集めていた。例年ならばこの時期にはそれほど薪を必要としないのだが、今年はまだ森で集めてこなければならない。 それは他の村人も同様だ。皆も薪を集めに森に入っている。そのせいで、もう村の近くの森にある薪になりそうな枝は、あらかた取り尽くしてしまった。 香苗の家には、病身の母がいる。冬の始めにこじらせた風邪が、まだ治らない。そんな母に、今年の寒さは覿面に堪える。 「もっと、薪がないと‥‥」 母の容態がもっと悪くなってしまう。医者に見せられるのならそれが一番だが、日々の暮らしで手一杯なため、そんな余裕も無い。 だからといって、まさか炊事洗濯をほっぽり出して、遠くの山まで行くわけにもいかない。 香苗は森の向こうに目を向けた。日光を通さぬ針葉樹が立ち並び、暗い影が覗いている。この奥の森ならば、まだ薪が取れるかもしれない。何せ、誰も立ち入っていないーー。 そこはより魔の森に近い場所である。誰も好んで立ち入ろうとするわけがない。だから薪になりそうな枝も、たくさん残っているはずだ。 抱えている薪と、森の入り口を、香苗は交互に見やる。たったの五本。まるで足りはしない。 少しくらい、入るだけだ。少し取って帰るだけだ。危ないことはしない。ただ枝を拾って帰るだけなんだ。香苗はしきりに自分へ言い聞かせ、おずおずと踏み出した。 ●枝節の蠢き その森にはやはり、薪になりそうな枝がたくさんあった。片っ端から取り上げて、香苗は両手に抱えていく。これだけあれば、当分は持つだろうというところまで集め終わったところで、ようやく彼女は周囲の暗さに気がついた。 日が落ち掛けて、赤く滲んでいる。昼過ぎくらいには帰ろうと思っていたのに、どうやら薪拾いに相当夢中になっていたようだ。 「いけない。早く帰らないと」 両手に薪を満載して、香苗は走る。こっちに向かって薪を取っていたのだから、反対に走ればいいだけのことだ。 「大丈夫、すぐよすぐ。帰ったら、母さまに重湯作んなきゃ」 背に這い寄るような怖けを努めて無視して、香苗は森を走り抜ける。 そんな彼女の胸の中で、もぞもぞと蠢くような感触が沸き立つ。心の動揺よ割り切って目を向けぬようにしていたが、それはすぐに無視し得ないほどのものとなってしまった。 ちろりと目を差し向ければ、香苗の胸に抱えられていた枝の束が、身をくねらせて踊っていた。 「ひ、ひいいい!」 思わず枝を放り出し、香苗は腰を抜かしてその場に尻餅をついてしまった。 枝ではない。節が曲がって、毛が生えて、色が付いて、艶が浮かんでいる。それはまるで、虫の足のように見えて――。 「嘘、嘘よ。こんなの嘘よ!」 このような超自然の怪異をおいそれと受け入れられるわけもなく、縋るように叫びながら、香苗は腰を抜かしたまま後ずさる。その後を追うようにして、枝だったものが地面を掻きながら迫ってくる。 まるで森の影が足を生やしたように、八本の枝は節を曲げながら迫ってくる。足の付け根は見えない。否、見たくはない。 ただ薪が欲しかっただけなのに、母のために暖を取りたかっただけなのに――。 ようやく腰を上げて、香苗はなりふり構わず走る。とにかく今は、あの化け物から遠ざかりたい。 そんな涙ぐましい抵抗までも、取り上げられる。 影の向こうからずるりと伸びる白い舌が、香苗の足首にしっかりと巻き付いて離れない。 よく見ればそれは舌などではない。一本一本が白く煌めく、それは糸であった。 「キシャアアアアアアア!!」 けたたましい声とともに、さらなる糸が吐き出される。白い糸が瞬く間に体を包み、香苗の視界さえも煌めく糸に包まれてしまった。 ●ギルドから 受付の青年は、静かに依頼書を机に置き、深く息を吐く。 「娘さんが薪を取りに行ったきり、帰ってこないそうです。その村は魔の森に近いので、ぜひ開拓者に捜索してもらいたいと」 アヤカシは魔の森において頻繁に発生する。行方不明の娘がそこに近い場所へ行ったなら、アヤカシにおそわれた可能性は十分に考えられる。 「捜索が依頼ですが、魔の森が近いので、アヤカシの可能性は十分に考えられます。準備だけは怠らぬようお願いいたします」 青年からの忠告を受け、開拓者たちは村へ向かうことにした。 |
■参加者一覧
天津疾也(ia0019)
20歳・男・志
鴇ノ宮 風葉(ia0799)
18歳・女・魔
只木 岑(ia6834)
19歳・男・弓
和奏(ia8807)
17歳・男・志
浄巌(ib4173)
29歳・男・吟
長谷部 円秀 (ib4529)
24歳・男・泰
翠荀(ib6164)
12歳・女・泰
りこった(ib6212)
14歳・女・魔 |
■リプレイ本文 ●理穴の森にて 木々の隙間を塗って、乾いた風が奔る。切れそうなほど鋭く音を立てる風は、まるでそのまま人の心を引き裂き、入り込んで寒からしめるほどに冷たい。 まだ冬の明けが感じられない理穴の北部の森に、開拓者の一団が向かっていた。 「やれやれ、なんや、たいてい森で行方不明になるとアヤカシの仕業やなあ。まえにもにたようなことあったし」 天津疾也(ia0019)は如何にも面倒そうに肩を叩きながら、億劫そうに言った。 今回の依頼は、森に入ったまま行方の知れない村の娘を探すこと。ただでさえ魔の森に近い場所である以上、アヤカシの関与を疑うのは当然のことだった。 「薄気味悪い森‥‥。怖いなぁ、早く帰りたい、けど、ここで迷子になってる人の方が、もっと怖いんだろうね。早く見つけてあげないと!」 りこった(ib6212)はぐっと拳を握って自身を奮い立たせると、強い眼差しで森の奥を見据えた。 背の高い木が茂る森は、昼の時分であっても葉に光が遮られている。さすがに完全な暗闇ではないが、むしろちりちりと僅かに差す日の光が薄ら暗いことを浮き立たせてくれる。 「かの王が魔の森を退けたと聞くが、世は並べて事もなしとはいかぬものよな」 そう言ってくつくつと笑うのは、浄巌(ib4173)。彼の言うとおり、理穴の王である儀弐王は、『緑茂の戦い』において大アヤカシを滅し、天儀史上初となる魔の森の縮小に成功した。 とはいえ、未だ魔の森は確実に存在し、理穴の国土を侵食している。人里に近い部分にまで広がっているとなると、今回のような事例を当然のように起こり得る。 アヤカシの関与が濃厚であればあるほど、攫われた娘の安否が心配となるだろう。 「むすめさん、はやくさがさないとねー。ま、なんとかなるっしょ」 ともすれば森の見た目と共に陰鬱になりかけていた雰囲気を、翠荀(ib6164)の明るい声が払ってくれる。 ここで無駄に心配し、焦ってみても得るものはない。希望を捨てず、諦めず、落ち着いて事に臨むことこそが開拓者には求められるだろう。 「さて‥魔の森も近いということですし‥急いで探すとしますか。蜘蛛には要注意ですが‥多少の危険は織り込んで探しましょう」 他の者達を見渡しながら、長谷部 円秀(ib4529)は落ち着いていながらも、どこか飄けた声音で語りかける。 今回彼らが向かっている森では、蜘蛛に酷似したアヤカシの出現が報告されていた。もしかすれば娘はその蜘蛛アヤカシに遭遇し、攫われたという可能性も否めない。 まずは娘の救出を第一に考えるのが前提だが、蜘蛛アヤカシにも注意しておいて損はないだろう。 「蜘蛛のアヤカシ、ね‥‥相手をするのはこれで三度目だっけ」 暢気に指折り数えて呟いたのは、鴇ノ宮 風葉(ia0799)である。 これから行く森には蜘蛛アヤカシが出るとのことだが、既に鴇ノ宮は三度ほど同じような手合いと出会っている。処し方を心得ている以上、物腰に慣れが浮かぶのも当然だった。 鴇ノ宮としても、やはり娘の救出が第一義だが、出来ることなら件の蜘蛛アヤカシまで倒しておきたいところだった。人里の近くにいるアヤカシなど、百害あった一利無し。行き掛けならぬ救い掛けの駄賃に、退治してしまっても構わないだろう。 「娘さんを助けて、森も安心して入っていける場所に戻せるといいんだけど」 只木 岑(ia6834)もまた蜘蛛アヤカシまで倒してしまいと考えていたらしく、得物である弓の張り具合や鏃の吟味に余念がない。 蜘蛛の形をしたアヤカシならば、その挙動も蜘蛛に似ると考えるべきだろう。ならば大人しく地面にいるばかりではなく、幹や樹上に貼り付いて、こちらの隙を窺うようなことをあるかもしれない。 そうした場合、いち早く攻撃を届かせる弓矢は重要な意味を持つだろう。 「何やら蜘蛛のアヤカシは枝に化けるらしいので、騙されないよう気をつけたいですね」 人形のように整った顔で、和奏(ia8807)は薄っすらと呟いた。 森にいる蜘蛛アヤカシは、小枝などに擬態する能力を持つことが確認されている。ただでさえ見通しの悪い森の中、擬態までされては一目で判断が付かないことだろう。 改めて注意が必要だと感じ、和奏は気を引き締める。依頼にあった魔の森に近い辺りは、すぐ目の前に迫っていた。 ●娘を助けて そこはこれまでの森に、輪を掛けて薄暗く気味の悪い場所だった。瘴気の操作に長けた陰陽師でなくとも、樹間に漂う禍々しい気配を察してしまう。 皮膚の出た部分を何かがそろりと撫で上げたかのように、図らずも粟立ってしまう。 このような場所に、人は長く居留まるべきではない。 「それじゃ、あたしたちはあっち調べるから、あんた達はあっちをお願いね」 言うに早いか、鴇ノ宮は和奏、浄巌、翠荀の三人を連れてとっとと森の奥へと分け入ってしまった。 「結界って割と疲れるんだから。ほら、さっさと歩く!三分以内に見つけなさい!」 鴇ノ宮が好き放題に言って他の者を急かすなか、翠荀は自慢の鼻をひくつかせていた。 「くんくん‥こっちだねー♪」 森の瘴気とは違う匂いを感じ取った翠荀は、一目散に匂いのする方向へと飛び出した。鴇ノ宮も瘴策結界をなるべく崩さずに着いていく。 するとそこには、真っ白な繭らしきもの包まれ、木の枝から吊るされている人の姿があった。 駆け寄った和奏はすぐさま繭の端を刀で切り裂き、落ちてきた人を下で抱きとめる。確認した人相は、依頼にあった村娘で間違いはない。 「大丈夫ですか?」 和奏が呼びかけると、僅かに身を揺すって娘は反応を返す。些かやつれてはいるものの、血色はそれほど悪くない。 「よし、さっそく――」 「待たれよ」 すぐに娘を連れて帰るべく支度を整えた和奏を、浄巌が呼び止める。そして首を巡らし、鴇ノ宮の様子を窺った。 彼女もまた考え事をするように、額に手を添えたまま黙然としている。 「二十、三十‥‥。何コレ? 小さいけど、どんどん増えてく」 程なく、彼女の不安の種がその姿を現した。 樹上や地面をびっしりと埋める、掌ほどの蜘蛛の群れ。皆きちきちと小枝のような節足を鳴らし、こちらににじり寄ってくる。 「嬉しや嬉しや、当たりとは。さあいざ語部として騙ろうぞ」 浄巌は屈託のない声音で言うと、懐に忍ばせていた符を抜き放った。 「怨嗟を胸に叫びを喉に、その身を刻め声音と共に‥」 放たれた符はすぐさま形を失い、不可視の刃と化して小さな蜘蛛アヤカシの群れを容赦なく引き裂く。 「よーし! いっくよー!」 浄巌によって開かれた戦端に、翠荀は素早くその身を分け入れた。木の幹さえ砕きそうな『疾風脚』でごっそりと薙ぎ払ったのをきっかけに、独楽のようにくるくると目まぐるしく立ち回りながら、拳足を叩き込んでいく。 翠荀が先導する形で蜘蛛アヤカシの群れを分断し、他の三人がそれに続く。 上から横から飛び掛る蜘蛛アヤカシを、和奏は片手に携えた刀で丁寧に切り払う。彼は背中に娘を抱えている以上、思い切った攻勢には出られない。『白梅香』にて精霊の力を纏わせた刀で、一匹一匹退けていくのが精一杯である。 「ああもうめんどくさい! みんな燃えちゃいなさいよ!」 あまり堪え性のない鴇ノ宮が全方位に『浄炎』を放ち、周囲にいた蜘蛛アヤカシを根こそぎ焼き払う。包囲の輪が緩んだところで、一気に駆け抜けようとするが、どこからともなく沸いて出る新手に囲まれてしまう。 敵を払っては逃げ、逃げては払うの繰り返しが続く。 ●枝蜘蛛現る 「それじゃあ、僕達も行きましょうか」 残された只木、天津、長谷部、りこったら四人も準備を整え、他の者達とは違う方向へと歩き始める。 只木はさっそく弓を構え、矢も番えずに弦を弾いた。当然、打ち鳴る弦の音が森の中に木霊する。 その音をゆっくりと聞き終えて、只木は頷いた。この辺りにアヤカシの気配が無いという合図だ。 弓術師の技法にある『鏡弦』によって放たれた弦音は一帯に染み渡り、範囲内にいるアヤカシの存在を音として返す。弓術師はその微小な差異をその耳で聞き分けることが出来る。 天津もまた『心眼』の技法を用いて細部に注意を払い、娘の痕跡を見逃さないようにしている。そのまま彼らは森の中を練り歩き、ひたすら捜索を続ける。 「はあ〜。なかなか見つかりませんね〜」 「そうですね。早く助けてあげないと‥‥」 りこったの言葉に上の空気味に答えながら、只木はまたも『鏡弦』を放つ。 今度もまた不発かと安心しかけたそのとき、これまでとは異なる音を只木の耳が的確に捉えた。 それは聞き間違いようのない、アヤカシの音。 「ハッ――」 音だけを頼りに、只木は矢を番えざまに背面へ放つ。流れるような速射だが、手応えはいちいち見るまでもない。 一拍置いて、どさりと重い何かが枯葉の敷き詰められた地面に落ちる。 「ギャヒイ!」 間髪居れず、その何かは意味の分からぬ呻きを上げて、鞠玉よろしく跳ねて飛び掛ってきた。 「セイヤ!」 既にその動きを見切っていた長谷部が前に出て、鞘から走らせた勢いを殺さず、そのまま刀を横薙ぎに叩きつけた。 刀に払われ、からからと音を立てて散らばったのは、細かな木の枝だった。そして長谷部の払った先にいたのは、蜘蛛らしきアヤカシであった。 木の枝を散らした体は、やはりというべきか、全てを木によって構成されている。何もせずに佇んでいれば、木の人形だと誤解してしまうだろう。 娘の救出より先に、厄介ごとを抱えてしまった四人は、まとめて渋い顔をした。こうなれば娘の救出は他の四人に任せ、こちらはなるたけ迅速にこのアヤカシを退治しなければならないだろう。 「痺れちゃえ、サンダー!」 離れた場所に陣取っていたりこったが、お返しとばかりにいきなり雷撃を杖から放出する。空気を爆裂させながら突き進む雷鳴が、蜘蛛の足を四本、根本から砕いてみせる。 痺れるどころか身動きも取れず、足の失せた体で蜘蛛は億劫そうにもがいている。 「これでしまいや!」 とどめに天津が刀を振りかぶったそのとき、蜘蛛はその口から白い幕を吐き散らした。 「ぬあ!? なんやこれ!?」 いきなり視界を塞がれた天津が、たまらず飛び退る。幕のように広く吐き出された糸を切り払い、粘つくそれを忌みしげに除けていく。 その間に離れた蜘蛛アヤカシの体からは、既に八本の節足が生え揃っていた。口端が大きく割れた口を震わせている。 「キシャアア!」 またも蜘蛛アヤカシは口吻から糸を吐き散らし、四人をまとめて絡め取ろうとする。 「もう効かないよ、ファイヤーボール!」 即応してりこったが火の玉を放ち、糸の群れに激突させる。細く絡み合い、空気をふんだんに含んだ糸は一瞬にして燃え広がり、そのまま吐き出していた蜘蛛アヤカシの体を飲み込んだ。 耳苦しく呻きながら、蜘蛛アヤカシが身を悶えている。自分の糸を燃やされ、それに絡め取られているのだから、自業自得というものだろう。 「これならもう外さん。往生しいや」 悠々と歩み寄った天津が、鞘に収めた刀を一気に抜き放った。渾身の『秋水』は蜘蛛アヤカシをものの見事に断ち割って、その体は燃えながら瘴気へと変換されていった。 ●依頼を終えて 和奏たちを取り囲んでいた小さな蜘蛛アヤカシたちは、いきなりその気配を希薄にして、単なる小枝の固まりへと変じてしまった。 「どうやらこいつら、眷属だったみたいね」 恐らくは主人であるアヤカシを、他の四人が倒したのだろう。そのために体を維持できず、皆一様に消え失せてしまったのだ。 鴇ノ宮が一人納得していると、遠くから声が聞こえてきた。 「みなさーん、大丈夫ですかー?」 鈴を転がすようなりこったの声が、皆を安心させる。 和奏が駆け寄って背中に担いだ娘を見せると、後から来た四人は驚きつつも、無事依頼を完遂したことに対する満足が浮かんできた。 「蜘蛛退治も救出も終ったことだし、村に帰るとしますか」 長谷部が大きく伸びをして言うと、皆もそれに同意して森の出口へと向かった。 彼らを見送る森の様子は、来た時よりも日差しを明るく取り込み、奥まで見渡せるほどに澄み渡っていた。 |