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■オープニング本文 ●火回る道 武天の外れにある、山間の村に暮らす人々は、今日も仕事に精を出す。 そんな村へと続く、昼とて暗い森の坂を、牛と人が歩いている。 背の高い木々が競って枝葉を伸ばし、それは図らずも坂を覆う天蓋を形作っていた。 畑仕事を終えた牛飼いにとって、激しい日差しを慎ましい煌きに変えてくれる葉の洞窟は、働いて火照った体を冷やすのに丁度いい塩梅だった。 「きたぞ」 ふと呟きが聞こえ、牛飼いは立ち止まる。連られて牛も歩みを止め、鼻を鳴らして牛飼いを見る。 「きたぞ」 またもどこからか、呟きが聞こえる。遠くからのようであり、自分の耳元のようでもある。 すぐにどこから聞こえるのか判ぜられるほど、確かな音量ではない。葉擦れの音に紛れてしまいそうな、か細い音声だ。 「きたぞ」 しかしそれも、三回目となれば話は違ってくるだろう。 「誰だ、誰かいるのか?」 問いかけても、返事はない。ただ暗い葉の裏に、声が吸い込まれてゆく。 返事がないのだから、誰もいない。誰もいないなら、ここに留まることもない。 努めて自分にそう言い聞かし、牛飼いは足早に坂を登りだした。 自分の飼っている牛の歩みに苛立ちながら、鼻輪に繋いだ縄をしきりに引っ張り急かす。しかし牛は飼い主の焦りなどまるで知らぬ風で、相も変わらず牛歩である。 「人が一匹」 「牛が一匹」 「たったの二匹」 三つの呟きが、各々異なった場所から届く。先ほどよりも確かに、それらは牛飼いの耳朶を叩く。 声に押されるように、牛飼いは汗だくになりながら坂を登る。また先ほどのように立ち止まって問いかけることなど、彼には出来ない。 「うまそうなのがきたぞ」 「人を食らうは久しいぞ」 「牛は脂が乗っているぞ」 心胆はこれほど寒々と凍えているのにもかかわらず、体は今にも蕩けてしまいそうに暑い。 おかしい。何かおかしい。自分はただ、帰路を辿っていただけなのに。 そして何よりおかしいのは、僅かに坂を登っただけなのに、尋常ではない量の汗を流していることだ。 「焼くか」 「煮るか」 「炙るか」 三つの声に呼応して、ぽつぽつと森の中に明かりが灯る。それは白く眩い日の光ではない。熟れた果実のように、爛れた赤い火の光。 赤光が獣の目玉に似た活発さで蠢き、牛飼いたちを取り囲んで踊っている。 「さて、どれか」 「さて、何にしようか」 「さて、どれが良いか」 暑いはずだ。蕩けるはずだ。汗もかくはずだ。これだけ多くの火に囲まれれば、おかしくもなるはずだ。 無数に漂う火球の内、特に大きいものが三つあり、それが血のように赤々とした炎を垂らし、殊更に熱く牛飼いを撫ぜる。 もはや牛を引くことも忘れ、彼はただ呆然と火炎の森で立ち尽くす。 「いずれも試そう」 「そうしよう」 「そうしよう」 沸々と湯が煮たつような笑い声が、そこここに木霊する。牛飼いが上げるはずだった甲高い悲鳴は、彼の肉を焼く音にかき消された。 ●村へ 「アヤカシですね。どう見ても」 開拓者ギルドの本部が置かれている神楽の都に張り出された依頼を見て、受付の青年は苦々しい口ぶりで言う 「この坂は村にとって生活の要所です。利用するものも多い。すぐにでも退治してください」 事件のあった坂道は、山間深くにある村と外界を繋ぐ、大事なへその緒である。 ここが使えないとなれば、大きく迂回し、険しい山道を何日もかけて越えねばならない。この依頼を届けに来てくれた若い村人の憔悴しきった体を見れば、その不便さもありありと伺える。 「このアヤカシは、坂の途中に住み着いているようです。始末するには、森に分け入らねばならないでしょう。つまりは奴らの巣の中で戦うことになる。たかが火の玉と侮れば、怪我では済みません」 巣の中に等しい森で戦うと言うことはつまり、地の利はその火の玉アヤカシに取られているということだ。森の外におびき出すか、あるいは追い立てるにしても、まずは森のどこにアヤカシがいるのか調べなければならない。 「では頼みましたよ。くれぐれも用心してください」 受付の青年の忠告を聞き終え、開拓者たちは早くも件の坂へ向かうことにした。 |
■参加者一覧
犬神・彼方(ia0218)
25歳・女・陰
福幸 喜寿(ia0924)
20歳・女・ジ
只木 岑(ia6834)
19歳・男・弓
茜ヶ原 ほとり(ia9204)
19歳・女・弓
朽葉・生(ib2229)
19歳・女・魔
煉谷 耀(ib3229)
33歳・男・シ
羽喰 琥珀(ib3263)
12歳・男・志
プレシア・ベルティーニ(ib3541)
18歳・女・陰 |
■リプレイ本文 ●鳴る森 「火の玉アヤカシか……。村の困窮、看過はできぬな」 鬱蒼と茂る木々に隠された坂の前で、煉谷 耀(ib3229)は義憤も露に呟く。 「人間様ぁの焼ける臭いが好きたぁ、胸糞悪いアヤカシだぁねぇ……」 応じるように、犬神・彼方(ia0218)は肩を竦めて言った。 「では、髪の毛をあぶっておびき寄せるとしましょうか」 言い差し、朽葉・生(ib2229)は取り出した刀子《とす》で、自身の髪を切り始めた。 生き物の、特に人の焼ける匂いを好むアヤカシということで、まずは森の外から匂いを出し、おびき寄せて一網打尽にする寸法だ。 「ボクの髪も、使っていいですよ」 朽葉と同じように髪を切り分けた只木 岑(ia6834)が、黒い束を差し出した。 これら人の髪を炙り、人の焼ける独特の匂いを再現しようというのだ。 「なーなー、早く焼こうぜ!」 既に焚き火を準備し終えた羽喰 琥珀(ib3263)が、何故かうきうきした声で急かす。 そこには既に購入しておいた鳥や豚の肉が串に刺され、じゅうじゅうと脂の弾ける音を出し始めていた。 その中に、朽葉と只木は自分達の髪の毛を投げ入れた。 「気分の悪くなる匂い……」 煙が立ち昇って早々に、茜ヶ原 ほとり(ia9204)がぽつりと洩らす。しかし文句はそこそこに、律儀に焚き火の煙を森の方へと扇ぐ。 「人を焼くアヤカシなんて、許さないんだよっ! ボクがぺんぺんお仕置きするからねっ!」 尻尾を振り振り、団扇をぱたぱたさせながら、プレシア・ベルティーニ(ib3541)は決意を新たにする。一見して肉を焼いて食べようとしている風にしか見えないが、この行動がアヤカシ退治、ひいては村の平和への一助になると思えば、その気合の入りようは半端ではなかった。 「火の無い所に煙は立たず、迷惑を起こす煙の元を断つんさねっ!」 プレシアの隣で煙を扇ぎながら、福幸 喜寿(ia0924)も同意する。今まさに自分達が煙を出している最中なのが、象徴的と言えば象徴的だった。 煙は風に運ばれて、順調に坂のほうへと流れてゆく。入り口にある木々があんぐりと口を開け、芳しい匂いを飲み込んでいる。 そこへふいに、一際強い風が吹く。 ざわ、と一本の木が揺れ始める。木が互いの身を寄せ合い、音叉のように葉擦れの音が広がってゆく。 見える限りの木々が、ざわめいている。 ぐらぐらと揺れる枝葉が、まるで餌を乞う獣の顎のように蠢いている。その向こうは、昼でもなお暗い木の住処である。 そして今は、アヤカシの住処でもある。 「出てこぬのなら、こちらから出向くほかあるまい」 森の哭く様を見た後で、煉谷の意見に反対するものは皆無だった。皆一様に覚悟を決め、各々の得物を携える。 「只木さん、これ使ってほしいんさね」 「ありがとうございます。使わせてもらいます」 福幸から受け取った弓を握り、感触を確かめる。それま問題なく、只木の手に馴染んでいた。 そして彼らは四人づつに分かれ、探索を開始した。 ●探る坂 茜ヶ原、煉谷、朽葉、犬神の班は、煉谷と茜ヶ原が主に策敵を行っていた。煉谷は耳をそば立て、森の中の如何なる音も聞き漏らさない所存だ。 茜ヶ原が、真っ直ぐに立てた弓の弦を、強かに弾く。まるで音を矢に見立て放ったかのように、音響が森へと浸透していく。 その音に聞き入るためか、茜ヶ原が瞑目する。聞き親しんだ弓弦の音の、微かな差異によって周囲のアヤカシの気配を察知する、弓術師ならではの妙技である。 音の差異は、無し。周囲にアヤカシの気配は、無し。 静かに目を開いた茜ヶ原の視界の片隅を、ぴょこぴょこと黒いものが跳ね回る。 それは煉谷の耳だった。黒く艶のある獣耳がせわしなく動く様子をときたま横目で見つつ、茜ヶ原は器用に索敵していた。 「…何か視線を感じるが、そんなに気になるか?」 いい加減茜ヶ原からの視線がきつくなってきたので、煉谷は軽く諌める。 「す、すみません……」 それでもまだ気になるのか、物欲しそうに見上げてくる茜ヶ原を見て、 「まあ、あとで触ればよかろう」 「はいっ」 煉谷の許しが出て安心したのか、きりりと顔を引き締めて、茜ヶ原は捜索を再開した。 羽喰、プレシア、福幸、只木の班も、同じように探索を行っていた。プレシアの操る人魂と、只木の鏡弦の二段構えである。 「福幸さん、助かりました。いつも、ありがとうです」 鏡弦を行った只木は、弓を福幸へと返した。その意味することころは、一つである。 「アヤカシ発見です」 超越感覚を用いている煉谷に聞こえるよう、只木は慎ましく呟いた。 これで早々に煉谷たちが合流し、めでたくアヤカシ共は一網打尽となるだろう。 只木の誘導で、三人はアヤカシの近くに身を潜める。挟撃の位置取りを済ませ、あとは四人の到着を待つばかりだった。 繁茂の向こう、僅かに覗く炎の揺らめきを見ているだけで、目に乾きを覚える。気づかれぬよう距離を取ってなお、このような熱を感じるのだから、これがより近く、より明確に向けられればどうなるのか。 そんなことを考えるだけで、四人は一様に喉がひどく乾く思いだった。。それにじりじりと、夏の日差しを浴びるように頭が暑い。 いち早く気がついたのは、人魂を放っていたプレシアだった。 彼らの直上に、太陽よりも赤く照らす光が浮いている。その中に浮かぶどろりとした黒目が、プレシアを見つめている。 呼子笛を取り出すのと、火の玉が落下してくるのは、ほぼ同時だった。 笛を吹く暇もあればこそ、それは滴るような速さで、プレシアの頭に落ちてくる。 ●躍る火 致命的な熱波とプレシアの間に、黒い壁が割り込む。 それは、福幸の鉄傘だった。 降り注ぐ火の玉を受け止め、福幸の鉄傘が熱を帯びる。 「鉄傘! 傘殴りっ!」 持ち手が焼け爛れる前に、は傘に乗っかっていた火の玉を強烈に弾き返す。鞠の如く跳ね飛んだ火の玉は、ふわふわとした機動で他の二つと合流した。 「賢し」 「賢し」 「賢し」 湯が煮立つように耳障りな声で、アヤカシたちが話し始める。 「獣人がおるぞ」 「珍し。はて、如何な匂いか」 「人の匂いか、獣の匂いか」 そんな声にいちいち応えず、無謬の挙動で羽喰が火の玉へと迫る。踏み込みざま、背に佩いた刀にてアヤカシの一匹を両断せしめ、勢いを殺さず通り過ぎる。 今しがた斬りつけたアヤカシを見て、羽喰が苦虫を噛み潰す。 「やっぱこいつら、刀で切れねーじゃんか!」 誰に対する文句なのか、じんわりと熱くなった刀をぶんぶんと振り回す。 そんなことをしているうちに、アヤカシたちは眷属である火を呼び集め、開拓者目掛けてばら撒き始めた。 「危ないっ!」 向かい来る炎に、プレシアは呼び出した式に冷気を吐かせて対抗する。傘を盾に見立てて前に出る福幸の周囲を包み、熱波からその体を守る。 しかし、攻勢に出るには心もとない均衡である。 攻めあぐねる福幸の横を、後ろから来た黒い塊が過ぎった。それはアヤカシの赤い体に吸い込まれていった。 「あぐがあああああっ」 射抜かれたアヤカシが、耳障りな哄笑を上げてのたうつ。 「よかった。これなら効くようですね」 矢に黒き靄を纏わせ、またも只木が射抜く。放っている靄とは対照的に、晴れやかな顔でアヤカシや炎を牽制する。 ●乱れる火 「ウオアアアアアッ!」 均衡を破る怒声が、森に響き渡った。挟撃の位置取りを終えた犬神たちが、反対方向から走り寄る。 さらなる一団の登場で、アヤカシの動きに濁る。どちらを焼き払ったものかと、炎の穂先が明らかに鈍る。 虎の獰猛さで獲物の鈍りを嗅ぎ取り、羽喰がまたもアヤカシへ突進する。 刀でアヤカシを切りつけようとも、炎である彼らの体をすり抜けてしまう。 しかし今度は、状況が違った。 「フリーズ!」 朽葉もまたアヤカシの動揺に付け込み、その内の一匹を見事な氷付けにしていた。さらに煉谷が羽喰を追い抜く形で、既にクナイを投げ放っていた。 煉谷のクナイと羽喰の刀を食らい、凍ったアヤカシが歪に砕ける。 「ぎいっ」 アヤカシの呻きを寸断したのは、茜ヶ原の矢だった。氷のひび割れを巧みに潜り、中にいたアヤカシを串刺しになっている。 程なく、氷漬けにされたアヤカシの炎の勢いが弱まり、ふうっと消え去ってしまった。 「人の焼ける匂いがお好みのようですが、ご自身が凍る匂いはいかがですか?」 残りのアヤカシを威嚇するように、朽葉が毅然と言い放つ。 その掌中には、新たな冷気が宿っていた。 プレシアが放つ氷柱を後押しする形で、朽葉が吹雪をアヤカシにぶつける。二重の冷気はさすがに応えたらしく、アヤカシが苦悶の声を上げる。 追い討ちとばかりに犬神の呼び出した式がアヤカシに殺到し、アヤカシの炎を散り散りに引き裂いた。 身も凍らせる冷気に中てられ、アヤカシはそのまま千々に乱れて消し飛んだ。 「貴様ら、よくも……」 残ったアヤカシが人がましく、開拓者達を睨む。 「焼いて、煮て、炙って、灰も残さず食ろうてやろうか」 最後のアヤカシがさらに炎を纏い、一塊の火球へと姿を変じた。 アヤカシのあがきに、開拓者は全力で応える。 さらに激しく放たれる熱波を、福幸の鉄傘とプレシアの冷気が和らげる。それでもなお身を焦がす熱さへ、福幸は猛然と突貫する。 その後ろに控えているのは、羽喰と煉谷だった。 福幸の開いた道を進み、アヤカシに肉薄する。 それを追うように放たれた只木の黒き矢と、犬神の式による斬撃が先んじて到達する。 的が大きくなった分、攻撃が満遍なくアヤカシの体を抉る。 熱波が僅かに、その威を弱める。 岩が衝突したような音響が鳴り、アヤカシの熱波が嘘のように鳴りを潜めた。 朽葉はアヤカシの隙を見逃さず、体積を増した火の玉を、さらに包み込む氷の壁で覆ってみせた。 この氷が解ける前に勝負をつけるべく、満を持して羽喰と煉谷が前に出る。 クナイを雨霰と打ち込み、刀で深々と切り抉る。 その合間を縫って迫る、必中の一矢。 「……アレグロモデラート《軽やかに速く》」 跳ねる指で弦を爪弾き、茜ヶ原はたおやかな所作で弓を仕舞う。既に命中の程は、見ずとも分りきっていた。 ぽっかりと穴の開いたアヤカシが、その空洞からぼろぼろと崩れ落ちる。僅かに解けた氷は残ったが、火の玉は影も形も残らなかった。 ●坂の帰路 「安らかに、お眠りください」 アヤカシの犠牲となった人々を供養するため、プレシアは線香を焚き、熱心に祈りを捧げている。人の髪を焼いた匂いに比べてよほどにマシと思ったのか、他の皆もプレシアに倣って手を合わせた。 「あっ!?」 清らかな静寂を、羽喰の快活な声が破る。 「肉置きっぱなしだった。取ってこなきゃ!」 そんなことを言い残し、羽喰は一目散に坂の出口へと駆けて行った。 「よし。それじゃあ、帰るとしようかあね」 犬神がのんびりと声を掛け、一行は坂を下り始めた。見送りに来た村人の声を、その背中に受けながら歩く森は、本来の涼やかな気配を取り戻していた。 |