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■オープニング本文 ●故郷 久しぶりに踏む地面の感触は、記憶とそう変わりはしない。 そう思っていたけれど、今目の前に広がる土地は、かつての地形そのままではなくなっていた。 地上世界よりもはるか上空に浮いていたはずの儀の数々、そのうちのいくつかは、こうして地上に降りて、地上世界の一部となった。 きっと、かつてはそうであったように。 急激な速度で落ちるのではなく、ゆっくりとした降下。 それでも、地上に触れるその瞬間に起きる変化は止められなかった。 (それもそうだよね) 何十年、何百年という月日ではないのだ。何千年‥‥自分が目覚めていた時間よりもずっと長く、地上と儀は離れ離れになっていたのだ。 離れる前の形なんて、お互い覚えているわけがない。 離れていた間に、それぞれ多くの変化があった。大きく違いが出来てしまった両者が一つにつながる時、何も起こらない方がおかしいのだ。 それでも、この地に辿り着いて、思うのは。 (戻ってきたんだな) 懐かしいという感情が胸の内に宿る。 生まれて‥‥そう、目を覚ましてからずっと過ごしていた故郷、長い時間を共に過ごした箱庭に。 (ううん、箱庭だった場所) 始めこそ人の意思で始まったこの土地は、次第にあるがままの姿を自ら模索して、小さいながらの自然をつくっていた。 長らく人の存在がなかった場所だからこそ、そう在る事が出来たのだ。 箱庭が地上の一部となったのは、つい最近、ここ数年の事だったはずだ。これから少しずつ、内に宿した生命を種を、この地上に広げていくはずだ。瘴気の晴れた土地から順々に、そしていつかはこの星の地上全てへと。 いつか、かつての世界派が願った通りに。箱庭の役割を果たしていってくれるのだろうと思う。 空を仰げば、まだ降下しきっていない儀が作る、大きな影を見ることができた。 そしてもっともっと上空、あの雲よりももっと高い場所に‥‥先ほどまで自分も暮らしていた、天儀がある。 (たくさんの人と出会った場所、私に大切なことを教えてくれた人たちが暮らす場所) 開拓者。そして、その末裔たち。 私を箱庭から連れ出してくれた人たち。 私をただのからくりではなくて、緑(iz0320)にしてくれた人たち。 日々を過ごすために、開拓者達と同じように過ごした。 たくさんの事を覚えるために、記録するためにと天儀の文字を覚えた。 そして新しい記録を取り始めて‥‥気付いたら600年、経っていた。 長い時間眠ったり少しだけ起きたりしながら、記憶をよすがにひとりで過ごしていたとてもとても長い時間と、疲れを取るための休憩を取りながら、大勢の中で過ごしていたとてもとても濃密な時間と。 (どちらも、比べられない大切な時間) かつて暮らしていた小屋へと龍を駆けながら、緑はこれからの予定を改めて思い返していた。 天儀で暮らし、文字を覚えてすぐ。始めたのは、開拓者達の暮らす天儀の歴史を学ぶことだった。 それぞれの儀の文化や、風土。箱庭で過ごしていた時には、あまり意識を向けていなかったこと。 天儀で暮らすことになってはじめて、興味を持って、知りたいと思った沢山の出来事。 天儀に残されている記録をさらい終えて、そして自分の歩みと共にいくつもの出来事を積み重ねて。 自分で見聞した時代を書き留めて。 開拓者という言葉の意味も変わっていって。 自分自身の力も弱くなっていって。 (もうすぐその時が来るのかもしれないな) 箱庭が降りたことは、一つのきっかけに過ぎない。 (今あるすべてを、ひとつに纏めなおしたら) かつての主たちとの記録を、天儀の文字にかきなおして、天儀の歴史の前に。 自分が見聞きした出来事を、起きた通りに纏めなおして、天儀の歴史の後に。 (もう十分、たくさん、あの方達が大事にしていた希望と未来を、記せたと思うから) そうしたら、私は―― ●振り返るために 「開拓者さん達の記憶とか、思い出とか‥‥何でもいいのですけれど」 ご先祖様の武勲、大師匠の明言、最期の一言、得意だった奥義‥‥例えば、と挙げるのは難しい。人によって、その受け止め方は様々だから、どんなものが一番か、と言うことはきめつけるものではなくて。 「思い出深いからだとか、大事だったからだとか。昔から伝えらえていた記憶、もしくは伝えられてきた記録でも、とにかく、古い物語であれば、どんなものでも構わないのですが」 もし、そう言った大事な出来事を、ご存じの方がいらっしゃるのであれば。 「どうか、教えていただけませんか?」 どうして、そんなことを? 「私、開拓者さんに昔、色々とよくしていただいたことがあって。そんな皆さんの事を、本にして、残しておきたいんです」 私の自己満足だという事は、分かっているのですが。 「お暇な時間があれば、で構いません。もし、何か覚えていること、知っていることがあれば」 黒髪に緑の瞳を持ったからくりが、ぺこりと頭を下げる。 「どうか、教えてくれませんか?」 ※注意 このシナリオは舵天照世界の未来を扱うシナリオです。 シナリオにおける展開は実際の出来事、歴史として扱われます。 年表と違う結果に至った場合、年表を修正、或いは異説として併記されます。 参加するPCはシナリオで設定された年代相応の年齢として描写されます。 ※後継者の登場(一部可) このシナリオではPCの子孫やその他縁者を一人だけ登場させることができます。 後継者を登場させた場合、PC本人は登場できません。 |
■参加者一覧 / 羅喉丸(ia0347) / 天河 ふしぎ(ia1037) / 明夜珠 更紗(ia9606) / 針野(ib3728) / 戸隠 菫(ib9794) / 蜂矢 ゆりね(ic0105) / 鏖殺大公テラドゥカス(ic1476) |
■リプレイ本文 ●空を流るる調の先に 弓の弦をぴんと弾きながら話す少年、彼が紡ぐ言葉はどこかゆっくりとした調の様に響いている。 書き取りやすいように緑の手元を眺め、時折仰ぐように空へと視線を投げる。 天儀の在る高さは遠く高く、その目に留めることはできないけれど。 (今日はあそこか) 昼の月を見つけるのはうまくなった。 それが長く続いた一族の歩んだ証だとも思えて、語る言葉に熱がこもる。 「僕は一族の中でも久し振りの志体持ちでしてね」 先祖にも何人か居たらしいんですが、今は珍しいばかり。ただ志体があれば後世にも伝わりやすく、先祖の話は何度も親にせがんで聞いたほどだ。 「中でも一番語られているのが、600年前の先祖のことです……」 空を駆け風を感じることが好きなのは風を読み調を乗せることを得意としていた母譲り。大きな戦の度に相棒の龍を駆る明夜珠 更紗(ia9606)は、戦場が落ち着いた後、もしくは作戦の前、懐に忍ばせたオカリナの感触を確かめるのは何かの儀式のようになっていた。 その度に思い出すのは母が言っていたといういくつかの言葉。 『純粋な音だからな』 あまり好きという言葉を使わない人だった。‥‥確かに私も好きだよ、この音。 『何より扱いやすい‥‥軽いし』 あまり体力のなかった母らしい逸話だ。自分はそこまででもないけれど‥‥戦の時にもこうして持ち歩きやすい。 「‥‥確かに便利だ」 土で出来たその表面を撫でる。幾つもの戦場を共に駆けてきたオカリナは、今はもうただの形見ではなくなっていた。 今居るのは、最後の戦場となった場所。大局を終えた後だから、いつもと違う感傷に浸りたくなったのだろうか。 『音で時を繋ごう』 母の声が記憶から呼び起された気がした。同時にどこか懐かしい音色も浮かぶ。 (間違いない、こいつの音だ) 弾いた覚えも教わった覚えもないけれど、記憶の中に眠っていたメロディをなぞる様にして奏で始める。 手は迷いなく動いた。 温もりがよみがえる気がするのは‥‥母の腕の中で聞いた音だからだろうか。 (‥‥置いて行こうか) ただの思い付き、それにしては随分と思い切った考えだと自分でも思う。 けれどこの場所は、いつかきっと遠い未来、人がすめる場所になるはずだ。 自分の血を継いだ子供達がいつか、この地に降りることだってあるだろう。 その時に見つけてもらえたら。 この曲を奏で伝えていけたら。 長い年月が必要になるだろうけれど、とても大きな流れを作れる気がした。 (‥‥だからしばらくの間、お別れだ) 奏で終えたオカリナを両手で抱きしめるように胸にあてる。曲を心で奏でて、力と想いと一緒に込める。 「待たせて悪かったな天河、あの場所に飛んでくれ」 昼でも月が見える高台を目指し、相棒を駆った。 「……そして、それを果たしに来たのが僕である、というのは運命なんでしょうかね」 地上世界の瘴気が一部とはいえ晴れて、人が行き来しやすくなったからこそ、かつての先祖と同じ弓術師となった少年はこの地へ足を踏み入ることができた。 どうしてかと不思議そうに首を傾げ先を促す緑に微笑んで、答え合わせの言葉を紡ぐ。 「彼女の相棒の龍の名は『天河』‥‥そして僕の名も『天河』と言うんですよ」 昼の月に呼ばれる様に高台に辿り着いた少年がオカリナを手に取ると、胸の内に懐かしい音色が響いた。 かつて更紗が込めた精霊力、想いの術が届いた瞬間である。 ●たなびく風に乗るために 「伝説の空賊団の話、知ってる?」 目をキラキラと輝かせる少年は浮鴫と名乗った。その名前の響きに懐かしい記憶を思い出す緑だけれど、今はまず彼の話を聞こうと微笑みを浮かべるに留める。 「かつて儀の空から空を股にかけ、活躍していたんだって‥‥その名も『夢の翼』!」 その旗頭の名は天河 ふしぎ(ia1037)だと伝えられている、なぜならその名は希儀の最西端にある夢の岬、そしてそこに今もたっている翼灯台の名付け親として開拓史や歴史書等に明確に記録されてもいるからだ。 僕の憧れの人なんだ! 誰かに聞いてほしくてたまらない、憧れの人の事を知ってほしくてたまらないその表情はどこまでも純粋で。どうしてだろうかと首を傾げる緑に気付いて、待ってましたとばかりに頷く。 「僕もね、今空を目指しているから」 それは空を飛ぶことに限らない。空を駆けて、空に住んで、空が見守り包む地上の為に新しい可能性を見つけ出して。 いつもとは違う場所で、もしかしたら新しい何かを為せるかもしれない。 それは発見だったり、成果だったりするけれど‥‥それこそ冒険の醍醐味! 誰かの役に立つことなら間違いなく素敵だし、自分の中にだけ芽生えたことでも、やっぱり成長の証は素敵だから。 憧れることも目指すこともやめられないんだ! 「砂の世界の古の巨大船でも、他の勢力を出し抜いて空賊団員皆で大立ち回りしたんだって!」 空賊は一人じゃなくて、仲間がいるから進んでいける。僕もそんな信頼できる仲間を集めて、大冒険に出かけたいんだ。 「勿論協力するだけじゃなくて、お互いに助け合ったり、大変なときに守ったり‥‥そうやって皆と仲良くなれたらいいなって思ったりもするけど」 何を想像したのだろうか、ほんのりと頬を染める少年。恋に憧れるお年頃ということだろうか。 「大事な子が出来て、夢を一緒に追いかけてくれて‥‥そんな関係も素敵だよね?」 今はまだだけれど、そんな子が出来たら絶対大事にするんだと意気込む。 「‥‥あっ、今のはその、忘れて!」 個人的な事過ぎたかなと反省しながら別の話を思い出す。 「今‥‥そう、今港で流行ってるセーラ服喫茶も、元は夢の翼がお祭りで広めたらしいんだ」 そういう浮鴫もそれに似た格好をしている。四角の襟が風にたなびき、風の存在を知らせてくれる。空を読み風を読むためには必要なもので、お洒落にも通じる実用デザインだ。 「その夢の翼だけどね。一人の少年が立ち上げたとか、所属しているのが全員女性だったとか、嘘かホントかわからない話もあるらしいよ」 そういう浮鴫も中性的な印象が強く、性別が分かりにくい顔立ちをしていた。 「‥‥本当に、そっくりですね」 あのふしぎさんに。聞いた話を書き留め終えた緑の言葉に跳ねるように顔をあげる浮鴫。 「会ったことあるのっ!?」 その食いつきっぷりたるや。 「はい、私が天儀に行く切欠となった、お友達のなかのひとりです」 「どんな人だった?」 更にきらきらと輝かせた瞳が緑を捉える。興味のある何かを見つけた時の表情もそっくりで、もしかしたらこの少年は本当にその血を受け継いでいるのかもしれないと思った。 「今の貴方と同じように、空に向かっていつも羽ばたこうとして‥‥」 浮鴫の瞳に、確かに、かつての友の面影を見つけて、緑が微笑む。 「新しい場所に向かって、私の‥‥そして、誰かの道標にもなるような方でしたよ」 ●縁を繋いだ絆の証 いくつかの房を三つ編みに、後ろで合わせた髪型に見覚えがある。 「あたしは、乗鞍 榊。戸隠 菫(ib9794)の子孫だよ、よろしくね」 けれどどこかが違う気がすると首を傾げた緑にそう告げて、黒髪の少女は隣に腰を下ろした。 「ずっと会ってみたいと思っていたんだ」 「光栄です‥‥桐さんは、お元気ですか?」 懐かしいからくり仲間の名が上がるのは、菫が健在の頃に幾度か親交もあったからこそ。 「あまり動けないから、同行させられなかったけど。よろしくって」 「ずっと一緒に過ごされているんですね」 菫の子、その孫、‥‥ずっと見守っているのだろう。それもまたからくりの一つの道だ。 「緑さんも、その」 大丈夫なの? 碧の瞳が様子を伺ってくるけれど、緑は小さく微笑んで話を促した。 「そういうお願いだったね。それじゃあ‥‥」 菫はとにかく武僧であることに誇りを持っていた。 天輪宗の教えを広め心の支えとなり、様々な場所に手を貸して人の支えとなることを本当に大事にしていた。 自分の暮らす僧院での活動が基本だったけれど、「生成姫の子の家」の運営に人手が必要なときには手伝いに向かったし、猫又神社にも相談役として発展のための力添えをした。 「最初の分社はここにするって決めてたんだよね」 僧院の敷地の一角に第一号を建立したのは、それまでに培った縁があったからこそだ。 (最初の一歩だけど、これからも広げていけたらいいな‥‥) しみじみと社を眺めていたら、院で暮らす子供達が菫の真似をして社の前に並び始めた。皆、身寄りがなく、菫が引取り僧院の仲間達と育てている大事な子供達だ。 はじめは寺子屋だけだった僧院も、少しずつ規模を大きくしている。その内分院も考えることになるだろう。 (‥‥でも、その前に) 菫としては外せない、大事な行事が残っていた。 「恵ちゃん、この中なら誰がいい?」 目の前にいくつもの釣り書きを並べて迫る菫に、晶秀はほんの少しだけ怖気づいた。 「ちょ、ちょっと待って菫ちゃん‥‥お見合いの相談に乗ってくれって話、菫ちゃんの事じゃなかったの?」 「それもあるんだけど。結婚するなら恵ちゃんも一緒がいいなって思って」 いつだったか夢で見た気がする、おぼろげなその記憶も、自分が動けば実現できるのではと思ったのだ。 最初に自分の見合いの話を持ち込まれた時はまだ実感がわかなかったけれど。少しずつ考えていた将来が形になってきた今なら共に歩む人も定められる気がする‥‥そう思った時に、恵の存在は切り離すことが出来なかったから。 「恵ちゃんに相応しい旦那はあたしがしっかり見定めるからね! だから恵ちゃんも‥‥どうかな?」 結婚しても、子供が出来ても親友のままで、ずっと仲良くしていきたいという意味で。 「‥‥前に好みの話、したわね」 そう言って晶秀も釣り書きの一つを手に取った。 「その上で、家族ぐるみの付き合いも得意そうな、仲良くなれそうな人‥‥本気で探さないと、みつからないからね?」 「大丈夫、人を見る目は鍛えてるでしょ?」 かたや開拓者、かたや受付嬢‥‥たくさんの人に接してきているのだ。 「素敵な人を見つけたら、三豊さんのところで合同結婚式しなきゃね」 「‥‥そうね」 他でやったら泣かれそうだ。 「‥‥結果、あたしは恵の子孫でもあるんだ」 にっこりと微笑む榊の仕草に覚えがあって、なるほどと頷く緑。彼女達は最適な伴侶を見つけて、友情を絶やさずに過ごして‥‥子供達はどこかでそれを愛情として引き継いだということか。 ●心の強さを発条にして 「おばあさま‥‥ですか?」 見知った面影が重ならず首を傾げる緑に気付いて、虹霓はくしゃりと笑う。 「婆ちゃんの名前は蜂矢 ゆりね(ic0105)っていうんだけどさ」 生憎血は繋がっていなくてねと、その仕草と口ぶりでなるほどと頷く。 「失礼しました。おばあさまという事は、貴女は」 「そうさ、古代人の血が入ってる」 長寿命ゆえの世代の近さにも納得だ。 まずはこちらの話をしないとねと、自らの知る祖母について話そうと口を開く。 「この箱庭以外にも古い遺跡があるんじゃないかって言ってたらしくてさ‥‥」 世界派の遺跡が他にもあるのではないか、箱庭が浮いたままで居られる方法は残っているのではないか。 (当たるとも限らない賭けだねぇ‥‥) それでも可能性は捨てられなくて、仮説のままで終わらせたくなくて。彼女は開拓者家業の傍ら噂や伝承を集めてはその真偽の確認に勤しんでいた。それこそわき目もふらず、人の手を借りるのは必要になった時だけ、けれど出せる手は差し伸べる‥‥そんな日々。 何も得られないかもしれないとわかって始めた暮らしだけれど、ゆりねは大切なものを手に入れていた。 「おかえり‥‥か、母さん」 出迎えるのはまだ幼さと照れの残る声。 (家に帰ると出迎えてくれる誰かが居るってのも悪くないのかもね) 出先で出会った子を養子にするなんて自分でも思い切ったことをしたと思ったが。今はそれが当たり前になっている。子の方にまだ遠慮があるのは仕方のないことだ、そのうち慣れるだろうと自然体で接するに任せる。 「今日の味噌汁は、母さんの味にできたと思うんだ」 「あたしの採点は厳しいよ?」 冗談めかせば肩の力が抜ける、あと少しだろう。 「‥‥今日もあの人と、一緒だったの?」 最近ゆりねがよく組むのは古代人の開拓者だ。 「そうだね、あいつも大分頭が柔らかくなってきたと思うよ」 いい傾向だねえと笑えばそうだねと頷かれる。はじめこそ古代人への恐怖があった子だが、ゆりねの話を聞くうちに意識を改めるようになったらしい。 (あんたもだよ) 優しい目で子の顔を見る。しかし自分から話しを切り出すなんて珍しい。 「母さん‥‥自分の事は気にしないでいいからね?」 「何がだい?」 「‥‥あの人と、結婚したいんでしょう?」 だからいつも一緒に仕事に行くんだよねと言われて驚く。そんなつもりはなかった。むしろあっちの方がいつも同じ仕事を選んでくっついてきているのだが。 「じゃあ、あの人が母さんを好き、とか‥‥母さんも、嫌いじゃないんでしょ?」 それにね。 「結婚したら、古代人の子も、養子にしやすいって、思う」 「あんた、気付いてたのかい」 「母さんと暮らしてれば、わかるよ?」 古代人にも身寄りのなくなった子はいて、ゆりねはその子らも養子として育てたいと考え始めていた。しかし今居るこの子が拒否するなら無理だと半ばあきらめていたところだった。それなのに。 (全く血の繋がらないのに、けれど家族ってやつも、いいのかもしれないね) 「‥‥子供だってその気になれば作れたのに、作らなかったんだよ、婆ちゃん達はさ」 心の方が大事だからって。 「ま〜、親父にも、今は死んじゃってる爺ちゃんにも、あたしの性格は婆ちゃん似って言われてるんだけどさ」 身内の欲目じゃ信用できるわけないだろ? 「だから教えておくれよ、そんなに婆ちゃんに似てるかい?」 茶目っ気のある笑顔の虹霓に、似ていますよと答えながら、緑はかつての思い出を返礼にするのだった。 ●天への希望を写し取り 少女の短めのポニーテールが風になびく。 「綺麗ですね」 琴吹の青みを帯びた黒髪の中に、光を反射して光る黒い髪飾りが見えたと思ったからだ。 「ああこれ? ありがとうございますさー」 一度首を傾げ手をやって、何のことかと理解する。少しだけ混じっている鱗のことかなと気づいた。髪を結うには少し手間があるけれど、綺麗と言われて悪い気はしない。 「はっ、ご先祖さまの話するんやったよね。それじゃ弓術士の国理穴国の話にしようと思うんよ‥‥」 天儀歴1026年、北部に広がる魔の森の焼き討ちがほぼ完了したとの報せに理穴国は沸いていた。 国土の復活、そしてアヤカシにおびえる必要が格段に減ったことは国民にとって非常に喜ばしいことだったのだ。 そんな世の喜びと、これから先の未来に託す意味合いを合わせ、理穴女王儀弐重音の名のもとに記念式典が開催された。 「こんな晴れの舞台に呼ばれるなんて、光栄なことっさね」 式典に組み込まれた大きな行事の一つ、その参加者達がひしめき支度を整える中に針野(ib3728)はいた。 (じいちゃんもばあちゃんも驚いてたっけねェ) 参加を求める書状を片手に一度田舎に戻った時の祖父母の様子は筆舌に尽くしがたいものがあった。 勿論すごく喜んで貰えたし、針野自身とても誇らしいことだ。祖父母孝行がまた一つできたかな、そう思ったものだ。 (式典の参加までは無理させられんかったけど) 二人ともだいぶ高齢だ。だから今日この日見た景色や知った出来事をたくさん、土産話に出来るようにしなければ。 「――!」 時間だという声に呼ばれ、弓術師達が舞台へと移動を始める。その波の一つに乗りながら、針野は愛用の弓柄をぎゅっと握りなおした。 魔の森がなくなった事を祝うために。 瘴気が晴れた土地がこれから先、実り多かれと祈るために。 国中の弓の名手、大戦で名を連ねた開拓者‥‥皆それぞれが特別に用意した矢を支度してきている。 聖別されたものであったり、特別な素材を使っていたり、好きな色を施してあったり‥‥その種類は様々だ。 針野もその一矢を番えた。 (わしのこれは皆で作ったことに意味があるっさね) 家族のように過ごす朋友達と、素材採集から皆で協力して作り上げたうち、一番出来のいい一本。作り上げる間の記憶が脳裏を流れていくうちに、その時が来た。 理穴ギルド長の大雪加香織の号令が、その合図だ。 ヒュン‥‥! 合図に合わせ、空に放つ。 周囲の射手達も特別の一矢を空に放っている。 空気を切る音は様々で。 多くの色が一斉に登っていて。 (すっっっごい、綺麗なんよ) 瞬きの間、ほんの少しの時間の事だというのに。それ以上の想いがこの場に集まっているのが感じ取れたから。 (一晩じゃきっと足らなくなるっさぁ‥‥) どんなふうに伝えようかと考えながら。数多の矢が消えていった空を見上げていた針野の頬には一滴の涙が流れていた。 「‥‥空に登る雨みたいな、すっごく大きい虹みたいな! とにかくすっごいキレイだったって話なんよ!」 興奮して話す琴吹の様子に緑が微笑む。 「琴吹さんもきっと、特別な景色を見つけられますよ。私が自由という言葉を知った時、見つけた外の世界みたいに」 針野さんの血が私と再び出会わせてくれたみたいに。 「あれ、緑さんってもしかして、うちのご先祖さまと面識あったりするんですさー?」 「お友達のひとりでした。私の名前は、針野さんの案ですよ」 「‥‥うおっ、マジで!?」 そういうところがそっくりですねと、緑が笑った。 ●駆け抜けた道の跡をなぞり 一通り話を聞き終わった緑は、少し前まで手に取っていた記録帳を開いた。 この家に帰って来てからはずっと、天儀の記録を一つの流れに纏める為の作業に時間を費やしている。 天儀で過ごしていた間はただ、聞いた順に書き連ねていただけだから。一つ一つの出来事を、年月の順に並べなおさなければならないのだ。 (今日聞いた話も後で、きちんと書きなおさないとな) けれど今は、途中まで進めていたこのお話を‥‥ 天儀歴1085年に出会った青年は両義玄斗と言った。羅喉丸(ia0347)を開祖とする流派の名でもあり、羅喉丸が特別得意としていた奥義でもある両義の名を付けられた彼は師を尊び、その背を追うように生きている男だった。 「俺の命はあの人に助けられたものだから」 物心つかないうちから羅喉丸を師と呼び父と呼んでいた玄斗は当たり前だと笑う。そこには恩義以上の尊敬と、思慕と、そして憧れが籠められている。 羅喉丸は玄斗より前にも何人もの子を引き取っていた。中でも武の素養がある者には玄斗と同じように両義の性をつけていた。その日から玄斗は兄姉弟子達と共に心身ともに鍛錬を重ねる日々を送ることになる。 玄斗を迎え入れてからの羅喉丸は遠出をやめた。それは自身の年齢を鑑み、後輩を育てる事がより多く、後の侠を為すことに繋がると考えたからだろう。 「それでも。あの人ほど、多くの依頼を受けた開拓者はいないんじゃないかな」 天寿を全うした師について尋ねられると、玄斗はいつもそう答えるところから始める。 賞金首、上級アヤカシ、大アヤカシ‥‥多くの敵に挑むことは勿論のこと。ただ相手を武によって斃すことだけに拘らない。ほんの些末なお使いごとであろうと、それが人の助けとなる事だとひとたび判断すれば手を貸し物事の解決を目指した。それによって助けられた人の数は、きっと羅喉丸本人も正確に把握していないのではないだろうか。 「だがそれは、私が師を尊敬している理由にはならない」 それはあくまでも結果としてあるだけだ。ただ助けるだけならきっと、他の者にだってできる。今の自分であっても。 「あの人は最期まで『武をもって侠を為す』という自ら選んだ道を貫き徹していたからな」 それは玄斗だけでなく、弟子達にとって常に目指すべき存在であり続けた証。諦めることも、挫けることもなく、ただ真っ直ぐに羅喉丸が目指すものを追い続けた軌跡。 「そして私達弟子にもよく『己の道を見出し、貫け』と言っておられた」 羅喉丸は武だけでなく、心根の拠り所を見つけるという道を教え、示そうとしていた。 間際の言葉もその二つだったのだ。弟子達、子供達の帰る場所として道場を作り、道を切り拓く力を伝え、生きる意味を見つけるために背を押し続けた男の大往生だったそうだ。 「‥‥だから私も道を見出そうと思う」 師の背中を見つめ、追う事もまた道だけれど、それは本当の意味では違う。 心根は師の教えに合わせ、その道を辿るけれど。 「師に胸を張って誇れるように、己の全てを懸けられる、自分だけの道を」 (‥‥両義流、最近も耳にした気がするな) 羅喉丸の教えを伝えてきた者達だ、地上にも率先して降りて活躍していたはずである。実際、玄人と出会った以降は、緑も両義流と聞く度に記録を増やすようにしていた。 あの玄斗青年もきっと、羅喉丸のように大往生したのだろう。今は幾代にも渡って生きた弟子達が、開祖たる羅喉丸に様々な報告をしているのかもしれない。 ●永き輝きの小さな留まり木 編集作業をする合間に聞こえたノックの音、そしてとても懐かしい声が続いて、緑は弾かれたように駆け寄って扉を開き、鏖殺大公テラドゥカス(ic1476)を出迎えた。 「ありがとうございます」 「まだ何も言っておらぬのだが」 面食らった空気、と言うのも珍しいかもしれない。その様子に少し笑ってから緑が答える。 「尋ねて来てくれて嬉しいと思う事くらい、ありますよ?」 初めて会った頃に比べると、とても人らしさが増えた、今では古なじみとも呼べる間柄だ。 「‥‥緑よ」 だから、疑問を確信に変えるために尋ねた。 「汝は再び、この箱庭に住むつもりなのか?」 素直に頷く様子にやはりな、と繋いで。 「‥‥1人は寂しかろう。わしでよければ話し相手ぐらいにはなるぞ?」 かつての朋友ビリティスが風に還ったその時から何百年か、テラドゥカスも孤独のなんたるかを強く意識するようになった。 (いずれはわしも機能が停止するのであろうが) 定まった寿命の無いからくりの身、まだ自分にその兆候は表れていない。 久し振りに会う緑は、どこか答えを見つけたような雰囲気を纏っていた。 「私こそ、お願いしたいと思っていました」 今までもずっと忙しそうな貴方に、私から頼むのは憚られましたけど‥‥そう言ってくれるのなら。 「少し、甘えてもいいですか」 「わしに出来ることならな」 「私の大事な人になってくれませんか」 「!?」 さすがにテラドゥカスも驚いた。 「ずっとじゃなくていいんです」 話し相手をしに来てくれる時だけで構わない、この場所に、近くに居る間だけ、と。 「言ってみたい言葉もあるんです。‥‥『おかえりなさい』って」 「‥‥」 一番言いたかった相手はもうこの世に居ないとわかるから、緑の話すままに任せる。 対等な誰かと同じ時間を共に過ごすこと。それは一度も経験したことがなくて。 「誰かと共に歩むことが叶うなら‥‥私は貴方がいいと思ったんです」 大スターの独り占めなんて、贅沢なお願いですけどね。 その日から、テラドゥカスは時間のとれる時は地上に、緑の居る家を訪ねるようになった。 「ただいま帰ったぞ」 その言葉の他に、土産話として伝えるのは、それまでの己の活躍の数々。 「この世はわしに征服されんでも、人の力で世界平和を実現できるのかもしれぬ」 総合格闘家としての活動を中心に据えた理由。 「あの映画はもう見たか? わしが初めて監督した記念すべき作品なのだ」 俳優としての抜擢、そこから始まる娯楽産業への参入とその覇道。 「鏖殺大公たるもの、政策がうまくいかぬ等と言っていられないからな」 知事を務めた際の密かな裏話を、もう古い過去の話だからと零したり。 様々に挑み、体験し得てきた知識やそれにまつわる物語は多岐に渡った。 「あなたの話には、いつも驚かされてばかりです」 「まだあるぞ、これからも命ある限り、新しいことに挑んでいくつもりだからな」 (ビリィの奴は、わしが新しい事を始める度に喜んでおった‥‥) 思い出しながら、いつものように締めくくりの言葉を紡ぐ。 「楽しみにしています」 緑もその度に笑顔を浮かべた。 テラドゥカスが家に通い始めてから数年の後、緑の編纂作業が今の時間に追い付いた。 いつもより長めの休暇を取っていた彼は、かつて箱庭だったその土地を二人で散策して過ごした。 巡り終ったその夜、寝台で休む前に緑が口にしたのは、いつかと同じ。 「ありがとうございます」 いつも笑顔をくれた貴方に―― |