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■オープニング本文 水面にぽつりと白く、蓮の花ひとつ。 あ、と湧太は声を洩らした――木の間がくれの沼の水面には、枝間からこぼれる日の光が時折ちらちらする。午を過ぎ、つぼんだ睡蓮の花の姿は何処やら、助けを求める子供のてのひらにも似たような。 (そんなわけない、か) 湧太はことし、数えで八つ。年の割にはしっかりした方で、その日も父母から使いをまかされ、首尾よく帰ってきたところ。暑い日ざかりの道をふうふう歩くのに疲れ、ついつい木陰の涼しい沼の方を通る道を選んでしまったのだった。 沼に近づくと、水の匂いを含んだ風が、さあっと頬をなぶって過ぎた。降るような蝉の声とかんかんの日照りの中を歩いてきた子供の身体には、やはり抗いがたいほど心地よい。こんなに涼しいのだもの、今度皆で鮒でも捕まえて遊ぼうか‥‥ そんなことを考え考え涼んでいると、何か、音がした。 「だれ?」 強いて言うなら、沼を覆った蓮の葉の上で蛙が跳ねた、そんな感じの。けれど湧太は、人の気配、だと思った。 「だれかいるの?」 手伝いを終えた村の子達だろうか。姿が見えないのはかくれんぼでもしているのか、それとも、後ろからわあっとおどかしてからかうつもりか。 その手には乗るもんか、自分が見つけて、逆に驚かせてやろう。 そう思い、二歩三歩と沼に近づく。水に生えた蒲の穂ががさ、と音立てて鳴った。なあんだ、ほら、やっぱりいた。 「よっちゃん? 源ちゃん? そこにいるのだれ?」 遊び友達の名を呼びながら近づいていく。 降るような蝉の声が、ふいに途切れた。茂みの影に見えたものを湧太は、すっかり人影だと信じ込んでいた。沼の岸辺に座り込んだ子供ほどの背丈、黒い髪に赤みを帯びた肌。よその村の子かもしれない。近づきながら声をかける。 「きみ、だあれ? いっしょに遊ぼうよ」 その子は顔をあげ、湧太の言葉尻をとらえて、そっくりの声で真似をした―― 「 あ そ ぼ う よ 」 ぞろりと開いた口に並んだ、無数の尖った歯。 瞼のない、魚めいて丸い眸と目が合ったのは、ほんの一瞬だ。 悲鳴は挙がらなかった。 一瞬にして水中に引き込まれた子供の手足がもがく激しい水音は、悲しいほどにあっけなく止んだ。 そして暫く、ひしひしと肉を啖う音。沼の淀んだ水に暗く、血の色の帯が混じってはほどけてゆく。 やがてはその音も止み、それ――アヤカシはたった今殺したばかりの、子供の声音を繰り返す。鸚鵡や九官鳥が、人の声音を真似るのに似ていた。 「 あ そ ぼ う」 じり、と一声たてて、また蝉が鳴き始めた。 水面にはぽつりと、白い子供の手のような蓮の花。 湧太が消えた。 夕べから帰ってこない湧太を呼んで、おじさんもおばさんも声をからして探し回ってる。おれたちも湧太を探すんだ―― 餓鬼大将の与一はそう言って、ずんずん森の中を歩いていってしまう。一番年下の七海は後ろから、か細い声をはりあげた。 「よっちゃあん‥‥帰ろうよ。怖いよぉ‥‥」 帰りたいなら帰れ、といわれると思っていた。だからぼすん、と立ち止まった背中にぶつかったときはびっくりし、そしてあらためて怖くなった。 ‥‥何で、こんなに静かなんだろ? 今までずっと、蝉の声がしていたのに。 「‥‥今、声がしなかったか?」しんと広がる森の静寂。与一の声に続いて、「なんか聞こえたよな」「湧ちゃんの声だった」などと皆がひそひそ囁き交わす。確かに聞こえた。 ――『遊ぼう』。 湧太の名を呼びながら、与一が駆け出す。沼の方へ、声の聞こえた方へ。 そこに、子供がいた。 否。子供のような姿をしながら、明らかに人と異なる。 ぎざぎざの歯の生えた口が開いた。笑ったように見えた。 「 あ そ ぼ う 」 湧太の声だった。 口々に挙がる悲鳴。「にげろ!」と、叫んだ声が与一のものだったのは覚えている。子供のもののような、水かきある赤い手がまとわりついて、その頭を沈めるのが見えた。 ――湧ちゃんの声だった。あれは湧ちゃんの声で、遊ぼうって言った。 やがて村の大人達に保護され、仔細を尋ねられても七海にはそう繰り返すことしか出来なかった。その場で髪を振り乱し泣き崩れたのは、湧太の母だった。 「行っちゃならねえ! あの子はアヤカシに取られたんだ」 「でも、あんた、あの子が。あの子の声がって!‥‥」 影絵のように揉み合う父母の姿を、七海はぼんやりと、うつろな目で眺めた。‥‥ ほどなく、神楽の都近くの農村から届けられた依頼は、次のようである。 近来我らが村の沼にアヤカシ棲みたり。 子供の声を真似、人を取りて喰らう。 既に喰われたる幼子の数五人を数え、一刻も猶予ならぬ由。 至急助け手を乞う。―― |
■参加者一覧
沢渡さやか(ia0078)
20歳・女・巫
那木 照日(ia0623)
16歳・男・サ
国広 光拿(ia0738)
18歳・男・志
月城 紗夜(ia0740)
18歳・女・陰
孔成(ia0863)
17歳・男・陰
鬼灯 仄(ia1257)
35歳・男・サ
喪越(ia1670)
33歳・男・陰
レフィ・サージェス(ia2142)
21歳・女・サ |
■リプレイ本文 ●畦・午後 青い稲穂の揺れる畦を、女がひとり。 ほつれ髪にうつろなまなざし、裸足のままの足取りは右へ左へ、よろめくように覚束ぬ。曇天に暑さと湿気が重く淀む午後、にも関わらず顔色は青ざめて血の気なく。 「‥‥何処へ行かれる!」 息せき切って駆けてきた若者が、その腕をぐいと引いた。黒髪にしなやかな体つき、北面の武家らしいよそおい、彼の言葉に女は茫洋とした表情のまま、それでも幽かな光を目に浮かべ、 「――沼へ。子供が遊びに行って、帰りませぬので」 声が。 声がするのだと、嗚咽のような声を洩らす。若者の白い面が一瞬、奥歯で苦いものを噛んだように歪む。息を吸って、吐き、疲れているのだろう、と諭した。「沼に落ちでもしたら危ない。俺達が探してくる。帰ってくる時の為に、飯を用意してやってくれ」 「‥‥そう。そう、ですね。お武家さま」 ささげの煮物に、胡瓜の漬物。筋を取って、甘辛く煮付けて、たんと御飯を炊きましょう。‥‥ 子守唄を歌うような節回しで並べられるのは、死んだ子供の好物だろう。 おおーい、と後ろから声がかかった。苦味走った壮年の男がひとりの農夫の腕を引いて追いついてくる。せんの姿が見えぬと聞かされたのは、彼ら開拓者の面々が依頼人でありせんの夫である溝太に案内され村に到着した、その矢先の出来事であった。 「ほら! ‥‥自分の嫁の面倒ぐらいしっかり見てろよ」 ばん、と背を叩いて、鬼灯 仄(ia1257)が溝太を前へ押し出す。 若者――国広 光拿(ia0738)はほっと息をついて、せんを夫の手にあずけた。妻のうつろな呟きに涙ぐみながらもしっかりと支え直し村の方へと戻り始める、その背を見送って、 「‥‥すまん」 言葉すくなな謝罪に、鬼灯は懐から取り出した煙管をくわえる。 「何。追いついてくれなきゃ、おっ母さんがそのまんまアヤカシに喰われてたかも知れん。親子二代でなんざ、流石にぞっとしねえな」 少し、風が出てきたようである。煙管の煙が、吹き流されて横に流れた。二人、どちらともなく目を向けた道の先には遠目にこんもりとした森の姿。そこに沼はあり、アヤカシはひそみ、死んだ子供の声が響く。 ――遊ぼう、と。 ●沼・夕刻 木の下闇。 日暮れ近く、残照が不吉に水面を染める時刻。 葦の葉群と蒲の穂が葉をさしかわす澱みに、ぷくん、と泡粒が立った。 「あ そ ぼ う よ」 呼びかけられたのは、まだ子供のようにも見える。長い黒髪と瞳の大きな顔立ちも相俟って、少女めいた姿の少年。こくん、とうなずき、一歩、二歩と沼の方へ歩み寄ってゆく。 「はい‥‥遊び、ましょう‥‥」 沼岸のぬかるみに、ブーツの踵が沈む。その足首へ、水中からさしのばされる手は細く、赤味を帯びて、指の間には水かきがあった。 只の子供であったなら、のべられた猿臂はたやすくその足を掬い、その体を水底へ沈めたことだろう。だが少年――那木 照日(ia0623)は小柄な体つきに似合わぬ大力で、己を引きずり込もうとする手の主と競り合った。 やがて浮かび出てくる二の腕、肩、頭。肉食魚のような歯を持つ口が、ぎぃ、と獣じみた威嚇の声を発する。浮力と、水の抵抗と、逆の方向に引き合う腕力。 一瞬の拮抗。 動きの止まったその間隙に式が打たれた――地から這い出る無数の手には血なく肉なく皮なく、ただ骨のみがあって蠢き、アヤカシを呪縛せんとする。陰陽師のあつかう呪縛符。孔成(ia0863)は最前から仲間とともに、この沼のかたえに身を隠していたのであった。「せめて、僕に出来ることを‥‥」 藻掻き、暴れる手足がぬかるみを叩き、激しい飛沫を散らす。時を得たりと、那木は腰のうしろに据えていた縄を引き抜いた――水にひそみ、水を領域とする敵への備え。縄をかけて陸へと引きずり上げる為の、那木は囮役であった。 「皆さんっ‥‥お願い、します!」 「お任せ下さい――周りにご注意願います!」 答えたのはレフィ・サージェス(ia2142)。ジルベリアのつややかな侍女姿、たおやかな手に似合わぬ荒縄の先を、彼女がしっかと握りしめている。縄は一瞬、蛇のようにのたうち、たちまちにぴんと張った。 アヤカシは首を打ち振り、更に藻掻く。縄に括りつけられた短い刃物は肉を裂き、魚の口にかかった釣り針のように喰い込んで離れない。骨の姿の式からは逃れたものの既に身体を自ら引き揚げられ、瞼のない目がせわしく動く。 刹那、沼岸の茂みから矢が放たれ、その鏃は炎を纏って赤く尾を引いた。炎魂縛武―― 「逃がしゃしねえよ」弓を構えた姿をのぞかせて鬼灯が嘯き、アヤカシは更に、更に藻掻く。 死に物狂いのその力に縄が激しく左右に振られ、レフィが足を取られてよろめき、一瞬後、縄が切れた。「きゃ!?」存外に可愛らしい悲鳴とともに尻餅をついてしまう。 正面には既に珠刀を抜いた那木、頭をめぐらせ、水辺へと回り込もうとするアヤカシを疾風めいた踏み込みが襲った。 「遊んでやろう。‥‥陸の上でな」 白鞘から刃を鞘走らせ、静かな声音に滲みわたる怒気。沼に逃げ込もうとするも、国広は巧みに退路を断って容易に道をつけさせない。振りかざされる爪と牙が刀剣と火花を散らす。 てのひらの縄目の痕から血を滴らせるレフィに、巫女である沢渡さやか(ia0078)が「大丈夫ですか?」と駆け寄った。治癒を受け、優雅に一揖し、彼女もまた戦線へ向けて長柄斧を構える。 木の間がくれの沼に、鮮血の色の夕映えがぎらつく。陰鬱な沼の風景、剣戟の響き。その戦場を、ふ‥‥と蝶が過ぎった。 「相容れない。だから、討つ。それ、だけ」 人とアヤカシ。アヤカシと人。 白い手からその髪のように黒い蝶を放ち、月城 紗夜(ia0740)は詠うように呟く。見目麗しい蝶の翅が刃のように敵を切り裂いた。アヤカシに遺恨もつ彼女は、依頼を受けた当初からことに冷静に、容赦なく皆に指示を出していた――縄に刃をとりつける工夫も、彼女がした。 アヤカシが噛み合わせた歯の間から一際高く、軋るような声を挙げた。むじゃきに遊びに誘う子供の声とはまるで似つかぬ、異形の絶叫。 珠刀と白鞘をかいくぐり、アヤカシはひときわ高く跳躍しようとする――水から生まれ、せめても水に還ろうというのか。 「もう日も暮れる。‥‥遊びは終わりだよ」 紙を切ってつくられた人形が指の間で青白い、燐のような光を放つ。喪越(ia1670)の霊魂砲に撃ち落され、水かきの破れた手は力なく、乾いた地面を這った。 「あ ‥‥」 アヤカシの口から、隙間を吹く風のように、声が洩れた。子供の声だった。 知性のあったならば、その声で哀れみを乞うたかも知れぬ。だが肉食魚めく口は真似る以上の言葉を口には出来ず、それをなぞって動いた。 「あ‥‥そ ぼ う よ‥‥」 抜き放たれた那木の二刀が、その口もろとも、その頭を割る。 血が水にほどけるように、瘴気が空中にほどけてゆく。那木はうつむき、疲れた吐息とともにそっと口唇を動かした。「可哀想に、ね」 死んだ子供の声が消え、宵闇迫る沼の上には、ただ静寂。 ●沼・後日 水底をさらうにはアヤカシの始末ののち、およそ三日を要した。広さはさほどでないがぬかるむ足場と、それなりの深さのゆえである。 討伐ののち休息を取り、ささやかながら心づくしのもてなしがあり、馳走の献立にはささげの煮物などが混じった。せんがこしらえた、死んだ湧太の好物。国広はそれを黙って食した。食べ終わり、「旨かった」との一言に、母親はほほえみながら、ほろほろと泣いた。 いまは沼のかたわらにはひっそりと、素朴な石塔がつくられてある――沼から引き揚げられた、遺髪や子供らの着ていた服の切れ端などが弔いに納められた。沢渡やレフィの思いつきである。異国の侍女のものめずらしいよそおいには最初こそ遠巻きであったが、七海や生き残りの子供らもすっかり打ち解けて、ものやさしげな巫女とともにまつわりつく子供は絶えぬ。 「さやかおねえちゃん、お手玉しようよ、教えたげる。いーい? 一つひよどり、二つふくろう――」 「こう、ですか? あら、あらら」 細い指先から色とりどりのお手玉を二つ、三つと投げようとしては取りこぼす。朱袴の上にてん、てん、と落ちるのを拾い直し、恥ずかしげに笑みを浮かべる沢渡に、七海は「もう」と口唇をとがらせる。 「こう、だよ。一つひよどり、二つふくろう、三つ――」 そんな風景を横目に煙管をくゆらせつつ、鬼灯はぶらぶらと、沼へと向かう畦道を歩く。片手には緒をつないだ朱瓢箪。沼での一戦の前、お守り代わりの目印にと那木に渡したものである。縄の束とともに腰に提げられていたものが、今日返された。 ――えと、お守り、すごくよく効きました。有難う御座いますっ。 はにかんだ笑顔と、ぺこりと下げられた頭を思い出し、柄にもないと肩をすくめる。風に揺れる木洩れ日が緑の斑を落とし、樹々の間で沼のあたりは、今日も涼しい。 石塔の前に花のかわりに瓢箪を置くと、あれぇ、と気の抜けた声――先客は乾いて気持ちよい落ち葉の上に腰をおろし、見るともなしに水面を眺めていたようだった。喪越の縮れっ毛とひときわ高い身の丈は、座っていてもよく目立った。 「またお前か」と鬼灯は毒づく。お互い強面で子供の相手ができないで沼さらいにばかり精を出した三日間、二人仲良く肩を並べていたのだった。 「何でこんなとこに。‥‥近頃はお前だって餓鬼どもに人気だろうに」 嘘ではない。でかい図体に飄々とした雰囲気、一見芸人ともとられかねない言動。その後ろをひょこひょことついて歩く五色の紙人形――彼の式である――の後ろを面白がって、更にひょこひょことついて回るのは最近の村の子供らの流行りだ。 「いやいやいや、まあそのね。俺もたまには陰陽師らしく瞑想? に耽ってみたりなんかしちゃおっかなー、と」 大仰な動作で左右に手を振って見せるのに、鬼灯はため息とともに煙を吐いて図星を指してやった。 「月城か」 「‥‥うん、まあね。ママンと話し込んじゃって」 せんのことである。 「まじめだからな」 「そう、まじめだから。‥‥まあ、それがいいところっちゃいいところなんだがなあ」 彼女がアヤカシに家族を失ったらしいことは肩を並べた仲間同士、何となしに察せられた――それで殊の外、せんのことを気に掛けていることも。 ――わかっています。わかっています。それでも、あの子はいない‥‥! 他意は、きっと無い。それでも子を失ったばかりの母親に、何を為すかと問うても詮なかろう。泣きくずれる母の手に、そっと手を添えるぬくもりが、幾ばくかの助けとなれば良いのだが。 「誰が生きててもまあ、死んでる奴が死んでるってことは変わりねぇからな。それがてめえの餓鬼なら尚更‥‥酒のまずくなる話だが」 鬼灯は垢抜けた仕草で、煙管からぽん、と灰を落とした。 あー、と声を挙げ、喪越はそのまま後ろへ寝転がる。やるせない吐息は、木洩れ日に溶けた。 これもこの天儀にごくごくありふれたこと。 誰が死んでも夜は明け、何変わりなく日は続き、哀しみも怒りも、その行く先を誰も知らぬ。 そして静かな沼の水面には、今は花ひらいて子供のてのひらのような睡蓮が一つ、二つ、三つ、四つ、五つ。 |