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■オープニング本文 ●朝廷へ 酒天の部屋は、開拓者ギルドの最深部にあった。 形式的なものではあるが、一日中部屋の外に誰かが待機し、監視と用聞きを兼ねている。もっとも、それは前述の通り形式的なもので、酒天はちょくちょくと部屋を抜け出してはいるのだが。 その部屋で、大伴と酒天が向かい合って座っている。 大伴の隣には、職員見習いの少年が肩を小さくしていた。 「貴殿を迎えるよう、遭都より命が下った」 「へぇ、何だ。磔刑でも決まったのか?」 「しゅっ、酒天さま!」 素っ頓狂な声を上げた少年を手で制して、大伴は言葉を続けた。 「和議に向けた動きは進んでおる。修羅と天儀数百年のわだかまりを考えれば簡単なことではあるまいが‥‥の」 「そうだろうな」 が、和議を結ぶ為には酒天がおらねばならぬ。その為にも酒天の身柄は必要であり、これからはこれまで程に無断行動に目を瞑るわけにはいかなくなるだろう。一路遭都へ。移動は精霊門。陸路では時間が掛かる上に、安全面にも不安が残るからだ。 もっとも、酒天としては「船」に乗りたかったようだが。 ●神楽の都 都の街道をずるずると。護衛兼監視の志士に引き摺られ、酒天童子は飲み屋から連行される。 「無断行動はダメと言った傍から何故消えますか! 出立準備で忙しいとあれ程言ったのに!」 「五月蝿いなぁー。戻ってこれるか分からないから、一人静かに最後の盃を味わってただけだろう」 志士は二十歳そこそこ。朝廷から使わされた監視の中では一番若い。にも関わらず融通が利かないのは、性分なのか。 「最後の盃なんて、滅多な事言わないで下さい。準備が整ったからこそ、大伴様だってお呼びになったんですから」 聞き捨てならぬと酒天を諭す。 「磔は否定されたからなぁ。となると鋸引きか車裂きか。手っ取り早く暗殺準備か?」 「違います!!」 真剣に考える酒天に、志士は力強く否定。 「あ‥‥あの‥‥」 往来で騒ぐ彼らに、声がかけられる。 年の頃は十代半ば。おさげ髪にまん丸眼鏡。顔を真っ赤にして俯き、緊張で身を硬くしている。 「すみません! チョコなんです! 貰って下さい!」 精一杯の勇気を出して、暖色の小さな風呂敷で包まれた可愛らしい小箱を差し出す。 「へ? 俺?」 目の前に差し出されたので、思わず受け取ってしまった酒天だが。 弾かれて顔を上げた少女は「しまった!」という顔をしていた。 面識の無い相手。ここは事情を問うべきである。 「‥‥。チクショウ! リア充なんて死んじまえー! 俺は‥‥俺は、馬になって人の恋路を蹴ってやるぅー!」 「待て、馬が蹴るのは人の恋路を邪魔する奴っていきなり何だーっ?!」 しかし、その暇無く。 志士は酒天の襟首を掴むと、滂沱の涙流して疾走。 少女が呼び止めたが、声は届かず立ち去っていた。 ●開拓者ギルド 「気になったんで、後でその女探し出したら。渡したかったのは護衛の奴の方で、俺は間違いだった訳。何でも、先日ゴロツキに絡まれてる所を助けてもらった礼がしたかったんだとよ」 開拓者ギルドにて、ギルドの係員に説明を入れる酒天。 「結局、中身は毒見と称してあいつが全部食ったんで、まぁ目的は果たせたと言っちゃ果たせたんだろうけど。それってやっぱり違うよなぁ? という訳で、しきり直しだ。やり直させろ」 「事情は分かったが‥‥。だからといって女の子を気絶させて連れてくるか?」 座敷では、布団に少女が横たわっている。何があったか、眉間に皺寄せてうなされっ放し。 「だって事情話したら、食ったんだったらもういい、って逃げようとするんだぜ! ここに連れ込もうにも、騒がれたら他の監視はともかくあいつにも見つかるし。撒いてきた意味無くなるじゃん」 「それはそうだが」 和議を控えた今、問題を起こせばそれは破局に繋がる。 でなくとも修羅襲撃の醜聞が世間を騒がせ、勘違いした誰かが襲ってくる可能性もある。 というのに、無断で出歩き。事情を知らない監視役は、悲鳴を上げて探し回っている最中である。 「お前さんの方から事情を話して丸く治めればいいじゃないか」 「礼なんだろ? 間違えた事も含めて、自分で言うべきじゃないのか?」 「あ、あのぉ」 そっと声が入る。少女が気付いたようで、俯いたまま思いを述べる。 「本当にいいんです。身分とか違いますし‥‥もうすぐ遭都にお帰りになるなら‥‥お会いすることだってもう無いでしょうし‥‥。恋人だっていらっしゃるかも‥‥。渡したら迷惑されるのとか考えないで‥‥」 「恋人ならいないぞー。あいつクリスマスにミサトちゃんに振られたばっかだから」 「ああ、あの」 さらりと告げる酒天に、得たりと係員が手を叩く。 「精霊門使えばすぐなんだし、大伴の関係ならギルド関わりで用事もあるだろ。‥‥っていうか、なんで恋人の有無が関係して来るんだ?」 昨今の風習には疎い酒天に、係員が説明。 「バレンタインと言ってな。隣人にプレゼントを贈るジルベリアの風習を取り込んで、好きな異性に贈ったりするんだ。大抵は女性が気になる男性に告白の為に贈るが、男性から女性にもあるし、友人同士とかも最近流行りだしてるな。ただ、ホワイトデーには三倍返しがあるので注意が必要。贈物はチョコレート菓子を使うそうだが、そこらはちょいと万商店の陰謀臭いな」 「へー。とすると、チョコがケモノの血を凝結して作った呪い的菓子というのはやっぱり違うな。ちっ、皆知らないと思って嘘ばかり」 酒天の境遇に、係員はそっと涙。 「ち、違います! 告白とか三倍返しとかそういうのじゃなくて! 義理というか本当にお礼で、なんです! チョコって珍しいし、喜んでくれるかなーって‥‥。後、ケモノの血も入ってません!」 少女が真っ赤になって否定する。怒ってるのではなく、どうやら照れている。 「見つけたぞ、酒天童子!」 そこにギルドに響く大喝。周囲の視線が入り口に向いた。 噂の当事者である監視役である。 「勝手に出歩くなと何度何度言えば分かるかなぁ。廊下の歩き方に部屋の入り方。出立の日まで礼儀作法を徹底的に学びやがれ! チョコを貰う暇なんぞ与えるものかー!」 「‥‥なんかうざさが増してるんだよなぁー。よく分かんねーけど、丸く収められるなら頼む」 猫のように酒天の首根っこを掴むと、そのまま邪悪な笑顔で引き摺っていく。 抵抗する気力も無いのか。為すがままに、酒天退場。 そして、ふと気付くと少女もいない。 どこにいったかと見回してみれば、卓の陰に隠れていた。シノビもびっくりの素早さだ。 「あの‥‥本当に、いいんです。‥‥ありがとうございました」 そそくさと立ち去ろうとする少女を、今度は係員が首根っこを捕らえて留まらせる。 「という訳で、事情は聞いてただろう。誰か付き合う奴いないか」 ギルドの中には暇な開拓者も一杯。聞き耳立ててただろう彼等に、係員は協力を申し出た。 |
■参加者一覧
柚乃(ia0638)
17歳・女・巫
九法 慧介(ia2194)
20歳・男・シ
村雨 紫狼(ia9073)
27歳・男・サ
琉宇(ib1119)
12歳・男・吟
无(ib1198)
18歳・男・陰
羽喰 琥珀(ib3263)
12歳・男・志
春陽(ib4353)
24歳・男・巫
雪刃(ib5814)
20歳・女・サ |
■リプレイ本文 ギルドの奥へと引き摺られていった酒天童子。 程無く出された『面会謝絶』の札からは、何やら怨念めいた気配が漂う。 「バレンタインらしい、微笑ましい騒動だねぇ‥‥」 経緯は語られた通り。巻き込まれた酒天は災難だが、九法 慧介(ia2194)始め、聞いてた面々は口元が緩むのを止められない。 「ばれんたいん? 最近耳にしたばかりで‥‥よく分からないけど放ってはおけないよね?」 柚乃(ia0638)は事情をうまく飲み込めないが、とりあえず何か変事が起きたのは分かる。 「あ、あの‥‥では、私はこれで‥‥」 ギルドに残された少女一人。丸眼鏡をかけている辺りそこそこ裕福そうだが、着物からして出自は庶民。おさげに編んだ髪が素朴さに輪をかけている。 無理矢理引っ張ってこられたが、その酒天はいなくなり。 もう用は済んだと、少女はそそくさギルドを出ようとした。 「待って。それで本当にいいの? あの志士さんはチョコを食べたといっても、それは横取りしただけ。別に貴女から受け取った意識じゃないでしょう?」 「それは‥‥そう、ですけど‥‥」 雪刃(ib5814)が呼び止める。 銀狼の凛とした姿勢に鋭い目線。見つめられた少女は、いたたまれないのか目線を外してもじもじしている。 「そう硬くならずに。とりあえず、これどうだ? 俺たちだってアヤカシと戦ったりする時、怖くて逃げたいって思う時あんだよな。そーいう時これ飲むと勇気出てくんだぜー」 落とした目線の先に、羽喰 琥珀(ib3263)が潜りこむ。少女の目が丸くなったのを見て、虎の耳が愉快そうに動いた。 差し出したのは甘酒。促されるまま少女は少し口を付ける。 「本当に礼がしてーんなら、本人に渡さないと意味無いぜ? 折角勇気出したのに、想いが伝わらないってのは悔しーだろ? 間違えた事も含めてさ」 「は、はい‥‥そうです、けど」 僅かな酒気と甘味が気を紛らせたか、幾分落ち付いた様子。それでも、頑なな態度はなかなか変わらない。 「まぁまぁ。そう一度に言わず。紹介遅れましたが、私は无と申します」 「こちらこそ、はじめまして」 困惑した様子の少女に无(ib1198)は丁寧に自己紹介。釣られて少女は頭を下げる。 「でも、彼らの言う事は間違っていないのでは。大切な事なら直接伝えた方がいいのではないか? 誤解されたままでいいのかい? これも一つの機会。乗ってみてはいいのでは?」 「それは‥‥そうです、けど‥‥」 无から説得されて、少女は口ごもる。 彼女とて分かっている。今の状態が良くない事。もう一度、きちんとやり直すべき事。 ただ、その勇気が持てないだけ。 「ありがとうときちんと言わないとお礼にはならない‥‥私達も手伝うし、チョコも渡さなくていいから、『ありがとう』を言いに行こう?」 言って、雪刃はおさげに手を伸ばすと、片方を解く。 「うん、こっちのがいいんじゃない? 普段の自分じゃなきゃまた渡しやすいかも」 少女が赤らんだのは酒気のせいでもない。 「まー、話を聞くだけでもややこしいZE! とにかくここでのんびりしてるのはちょいとまずい。何の拍子で志士さんがこっちに来るか分からねー。今のまま会っても、ぜってー気まずい雰囲気に! という訳で、きっかけが必要! それを俺たちが作ってやるぜ!」 「は、はい。お願いします!」 いつでもどこでもひたすら前に。そんな村雨 紫狼(ia9073)の勢いに乗っかり、思わず少女が頭を下げる。 流されただけだが、これで一応少女の了承も取った訳で。 「では、噂の志士さまは皆様に任せて。こちらは少しお買い物と行きますか。服装とかは詳しくないけど、手伝いはできるでしょう」 また後ろ向きになられる前に、にっこり笑ってやや強引に連れ出す慧介。 「確か、図書館で呉服店の番付が置いてあったな。‥‥人見知りの直し方とか、少し当たってみよう」 无は書物から知識を得るべく少し寄り道。 「少し志士さんの事‥‥知っておく必要があるかも?」 少女には後から行くと伝え、柚乃はギルドへと目を向ける。 「お話が見事にかみ合わなかったと言うか、駄目な方向にかみ合ってしまったのかな? ‥‥にしても、依頼人の酒天さん。お話した事は無かったですが、根はとてもいい人なんですね」 こじれた所で無関係なのに。 わざわざギルドまで相手を連れ込み、関係を修復しようとする姿勢に、春陽(ib4353)は穏やかに笑う。 「それだけ礼儀作法教室が嫌なのかもしれないけど」 ギルドの奥で何が行われているのか。 ふと息を吐くと、雪刃は少女の後を追う。 ● 「ま、面会謝絶で特訓中という事で」 ギルドの奥。酒天童子の仮住まい。会いに行くと、苦笑交じりに拒否された。 遭都への移動準備で、慌しく監視や連絡係が出入りしている。 特訓なんて志士の暴挙とは分かっている。が、他の監視たちにすれば、酒天に出歩かれる方が厄介なのだ。 縛り付け、かつ、その監視を志士が一手に引き受けてくれるなら、仕事に専念できる。 「程ほどにしておいて下さいね。余りに酷いと、事の次第を大伴さまに御報告しますから」 「心得ておこう」 件の志士の好みを調査がてら、微笑んで注意を促す柚乃。監視たちも笑顔を返した。 他の監視役に断りを入れた上で、春陽は奥に進む。 応対に出た例の志士は、険悪な顔で手を振る。 「面会謝絶、と伝えたはずだ。帰ってもらおうか」 「いえ、会いに来たのはあなたにでして。酒天さんがチョコを受け取ったという相手は、とても可愛らしい方でしたね。チョコはどうで‥‥し‥‥た?」 最後まで言葉を出すのも引けるほど。 殺気に怨恨。恨み辛みに嫉妬の炎。アヤカシも逃げそうな真っ黒い陰鬱な気配で睨みつけられる。 覚悟はしていたが、それでなお怯みそうだ。 「実はその女の子から貴方の事を聞かれ、助けてもらったお礼がしたいと言われたのです」 「お礼?」 気を取り直し、春陽は少女の事情を素直に伝える。 疑ってはいるが、満更でもない様子。話の真偽を決めかねつつ、可能性は少し期待したいといった所か。 「では。そういう事があったと、お伝えしておきたかっただけです」 立ち去る春陽を、不信の眼差しで見ている。が、剣呑な雰囲気は消えている。 「今はこれで上々。さて、向こうの準備はどうなったでしょうね」 若干態度が軟化した手応えはあり。少女の方はどうなっただろうと思いを馳せる。 ● 志士が、野暮用で席を立った機会を見計らい、春陽は自身のもふらを接触させる。 頭に角がある人が見ていた、と言えば、志士とて無視できない。 ましてもふらさまは、饅頭目当てに張り切っている。対応に悩んだ志士を有無を言わさず街中まで引っ張り出していった。 「よしよし、行ったな」 志士がギルドから離れたのを確認。琥珀はギルドの奥へと向かう。 残った監視役たちは大寄せに誘うが、さすがにそこまで遊ぶ暇は無いとの事。だが、茶会に関しては了承をもらえた。 準備をする為、奥に向かうとそこには死体っぽいのが一つ。 額には角。酒天童子である。 「ふ〜ん、俺たち神威人とあんま変わんねーんだなー」 角を持つ獣人は、例えば春陽もそうだ。 だが、水牛の特徴を持つ彼に比べ、獣らしさはなく。やはり獣人とも違うのだと感じる。 「うっせ。見世物にするなら酒持って来い」 観察する琥珀に、畳に転がったまま酒天が睨みつけてくる。明らかに機嫌が悪い。 一体どんな特訓だったか。 思いながらも、琥珀は誘いをかける。 「なぁ、ちょいとしたイタズラしてみたくねーか?」 「‥‥内容によるな」 悪戯な笑みに、酒天は面白そうに身を起こした。 ● ギルドから遠く離れ、街中までひっぱり出されても、まだもふらは鼻をひくつかせ、志士を離さない。 いい加減志士も怪しいと思い出した頃、唐突に解放された。 そのままもふらさまは御褒美を貰いに春陽の元に戻ったのだが、志士はそこまでは分からない。 突然、放り出されて半ば呆然。そこに琉宇(ib1119)たちが声をかける。 「こんにちは。酒天さんの特訓についてちょっとお話が」 「特訓‥‥。そうか、脱走の為の罠か!」 「違う違う。待ってよぉ」 話題を出して気を引こうとした琉宇だったが。 逆にその一言で我に返り取って返そうとした志士を、慌てて引き止める。 「実は女の子から貴方宛てにこれ預かってる」 雪刃が渡したのはチョコレート。 柚乃の指導で少女自身が作ったものだ。既製品と違い不恰好だが、その分心がある筈。 「酒天に渡したのはそもそも間違いで。以前助けられたお礼に、本当は志士さんに渡したかったんだって」 「さっきもそう聞いたが‥‥しかし」 改めて琉宇から事情を説明されるも、やはりどことなく信じきれない様子。 「論より証拠。あの子だって、本当はきちんと礼がしたいんだぜ? でも、その勇気が無い。なのであの子に俺たちが絡み、志士さんが助ける! 状況をもう一度作ってやれば、あの子だって謝りやすいはず!」 紫狼は志士を説得。何となく、表情が悔しそうなのは気のせいでもない。 考え込む志士には気付かれぬよう、琉宇は周囲を見渡す。 「まぁ、僕たちが言いたいのはそれだけ」 「上手くやれよー、あの子の為に!」 時間通りに相手が来たのを確認すると、志士に礼を告げて開拓者たちはその場から去る。 少女の方はといえば、開拓者たちによって身形を整え。 眼鏡は無いと見えないとの事。なので、主にその他の箇所を。 今の流行も取り入れ、かつ魅力を壊さないよう。髪型を結い上げ、着物は明るめな色に。志士さまの好み向けに軽く化粧も施す。 雰囲気はずいぶん明るくなったものの、慣れない格好に少女は落ち着き無い。 通りを歩きつつ、必要以上に人目を気にして気まずそうに視線を彷徨わせている。 「あの、私、やっぱり‥‥」 臆する彼女を、柚乃が引きとめる。 「聞いて‥‥。朝廷に仕える志士も、私達開拓者と同じ常に危険と隣り合わせにある、明日をも知れぬ身。まして不穏な噂が絶えない時勢。だからこそ、手を伸ばせばすぐ届く『今』という時間はかけがえのないものなの」 少女の手を握り、優しい口調に強い思いを乗せる。 「もし本当に彼を想うなら、手放しては駄目。あなたには真っ直ぐ前を向いて欲しい‥‥」 後悔だけはして欲しくない。 そう思うが、少女は俯いてしまう。 「まぁ、機会なんて都合よく来るものじゃないでしょ? 例え、悪い事でも良い事でも悪い事でさえも。上手く算段が整えば、後は生暖かく見守るだけ」 「そう、後は貴女の気持ち次第」 「え?」 きょとんとする彼女の背中を、无と慧介は軽く押す。 数歩前に飛び出す形になり、少女は通りの角に出た。そこで誰かにぶつかって止まる。 「すみません!」 「キミは例の」 謝った相手が、例の志士なのは何の偶然か。いや、偶然である筈がない。 「え? ええ!?」 混乱して少女は開拓者たちに助けを求めるが、その頃には付いてきていた彼らの姿は綺麗に消えている。 いや、現れた開拓者もいる! 「ふうーははー、俺たちノーモアバレンタインのしっと団だー!」 高らかに声を上げて、現れた変人‥‥いやチンピラは紫狼。 俺たちとは言っちゃったけど、他の開拓者はなんとなく生暖かい目で一歩離れてる。出来れば違う関わりでいたいかのように。 「今年も無かったよアレ! 憎しみの炎がーしいーっとおお!!! 野郎の為なんかじゃない! 可愛い彼女の為に! そのチョコよこせー!」 「てい」 どす黒い眼差しを向け、妙に気合の入った態度で志士につっかかる紫狼。 だが、相手もさすが渦中の修羅警護に選ばれただけある。面食らっていたが、それでも流れるような動きで紫狼を捕まえ捻り上げる。 「いたたたた! ギブギブー! 参りましたぜー」 紫狼とて腕前十分。でも、そこまでやり合う必要は無い。 解放された所を、すかさず春陽が回収する。 「あの‥‥ありがとう、ございました」 「いや、こちらこそ迷惑をかけたようで」 互い、紫狼の狂言に巻き込んだと思っている。それぞれに詫びを入れるも、その後が続かない。 少女の告白の機会としては十分。なのに、体が強張ってしまっている。 志士にしても、少女が何も言わないのでは態度に困る。 「うーん。踏ん切りがつかないのかな?」 陰から見ていた琉宇は、口笛を吹く。気持ちを和ませる優しい曲で、気持ちを後押し。 「それでは、私は仕事がありますので。‥‥それでこのチョコですけど」 帰ろうとする志士に、ようやく少女は思い切って顔を上げた。 「あの! 先日は、失礼をしました! 以前に助けていただいた、お礼もできず申し訳ありません! その、お詫びもありますが、そのチョコ貰って下さいませんか!」 通りを行く人が振り返る程の大きな声ではっきりと。 渾身の思いが込もった言葉に、二人揃って顔を赤らめ。 開拓者たちは互いに顔を見合わせ、にっこりと笑う。 ● 一足先にギルドに戻り茶会の準備。春陽がお菓子やお弁当もこしらえ、なかなか本格的。 「バレンタインー?」 「ただの友チョコ。喰わねーんなら俺が喰うけど」 「そういう事なら遠慮なく」 琥珀が配るチョコに、眉間に皺寄せた酒天だが、納得するとあっさり受け取る。 「何を考えたのやら」 无からはバレンタインについての書物を少々。易しい読み物だが、酒天は興味深げに目を通している。 「私もチョコレート。うん、初めて知った習慣だからやってみたくて」 労いと誉める意味で雪刃もチョコを渡す。彼女の為、行動したのは酒天も同じ。 「柚乃は‥‥大変な時だから、無事に戻ってこれますようにって‥‥」 言って渡したのは、以前作った根付のお守り人形。 「修羅についてまだ知らない事が多いもの。それに‥‥あなたをもっと知りたい‥‥」 「修羅はともかく。俺の事なんざ、知ってもつまらんぜ?」 肩を竦め半ば呆れながらも、酒天はそれを受け取った。 やがて帰ってきた志士は、誤解も無事解け上機嫌。 酒天の礼儀作法を示し、面会謝絶を解いてもらう予定が、披露する間もなく二つ返事で解除。 掌を返した能天気ぶりに、振り回された酒天は勿論、同僚も一緒になって叩きにかかる。 「ったく、上手くやりやがって」 「僕も滞在中に頑張るんだった」 他の監視役も加わり、茶会はいつの間にやら呑み会に。春陽の料理もチョコも、肴代わりに消費される。 「志士はとびきりのチョコを受け取ったんだから渡す気無かったけどさ。他の監視たちはどーよ」 「いーじゃん。なんなら後で返してもらえ」 予定外の参加者に首傾げる琥珀に、あっさりと酒天は答える。 貰う貰わないで悲喜交々。 いらぬ恨みも買う事あれど、所詮幸せ者の勝つ日である。 |