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■オープニング本文 ●嵐よりの帰還 絶え間ない風雨が、激しく叩き付ける。 雷光が閃き、鈍い振動が大型飛空船を振るわせた。 「三号旋回翼に落雷! 回転力が低下します!」 「意地でももたせろ、何としてもだ!」 伝声管より伝えられる切迫した報告へ、船長が叱咤する。 その時、永劫に続くかと思われた、鉛色の雲壁が。 ……切れた。 不意の静寂が、艦橋を支配する。 一面に広がるは、青い空。 そして地の端より流れ落ちる青い海をたたえた、天儀の風景。 美しい……と、誰もが思った。 夢にまで見た故郷を前にして息を飲み、拭う事も忘れて涙を流す。 帰ってきた。彼らは、帰ってきたのだ。 嵐の壁を抜け出し、帰郷を果たした無上の感慨にふける事が出来たのは、ほんの僅かな時間。 「物見より報告、前方上空よりアヤカシの群れが……ッ!」 絶望に彩られた一報が、緩んだ空気を一瞬で砕いた。 天儀へ帰り着いた飛空船の進路を塞ぐように、巨大なアヤカシが文字通り、影を落とした。 「かわして、振り切れるか?」 「宝珠制御装置に異常発生。無理です、出力が上がりません!」 「二号、六号旋回翼の回転数、低下!」 悲鳴のような報告が、次々と上がる。 「動ける開拓者は?」 重い声で尋ねる船長へ、険しい副長が首を横に振った。 「皆、深手を負っています。満足に戦える者は……」 答える彼も、片方の腕はない。 それでも、帰り着かなければならない。 旅の途上で力尽き、墜ちていった仲間のためにも。 ●墜つる星 それはさながら、幽霊船のようだった。 嵐の壁を調査すべく、安州より発った『嵐の壁調査船団』三番艦『暁星』。 第三次開拓計画が発令されたと聞き、「我こそは」と勇んだ朱藩氏族の一部が私設船団を組んで探索に出発したのは十月の事。 その船団に属するらしき一隻が、嵐の壁より帰ってきた。 朱藩の南、香厳島から届いた知らせでは、「傷ついてボロボロになった大型飛空船が、アヤカシに囲まれながら飛んでいる」という。 「このままでは海か、あるいは朱藩国内へ墜落すると思われます」 居室より外の見える場所へ飛び出した朱藩国王の後を、説明しながら家臣が追った。 襲っているのは中級アヤカシ『雲水母』以下、それに追従する下級アヤカシ多数。 更に「付近の海にもアヤカシが集まりつつある」という情報も、届いていた。 まるで獲物が力尽きるのを待つかの如く、方々よりアヤカシどもが群がってきている。 「……何をしている」 「は?」 「ギルドへ急ぎ伝えろ! 朱藩、安州よりも可能な限りの小型飛空船を出す。『暁星』を落とすな!」 「すぐに!」 興志王の怒声に、ひときわ頭を深く下げた家臣が踵を返し、すっ飛んでいく。 手をかけた欄干が、ミシリと音を立てた。 大型飛空船の位置はまだ南に遠く、安州の居城から確認出来ないのがもどかしい。 何としても、無事に帰り着かせなければならない。 長く過酷な旅路を、彼らは帰って来たのだから。 ●通達を受けて 「‥‥やっと帰ってきたと思えばっ!」 浮んだ喜色はまさに一瞬。机に叩きつけた掌と共に吐き出される言葉は激しく、そして苦い。良い知らせを伝えに来たつもりの小者は、慌てて表情を引き締め、直立不動の姿勢をとる。 「素直に喜んではどうですか。『暁星』といえば、弟君が乗り込んだ船でしょうに」 室内にいたもう一人の初老の男が声を掛けながら、小者を労い下がらせようとする。 「待て。‥‥今動かせる船は?」 机に手を突いて立ち上がった姿勢のまま、まるで問い詰めるかのように初老の男を睨みつける。 「小型の飛空船が‥‥ 二隻、ですかな」 はい、中型は昨日から改装中ですから、と初老に視線で尋ねられた小者はおずおずと答える。 「好都合だな。すぐに出港準備を始めろ。‥‥まだだ、砲術隊にも伝令を回せ」 小者は目を白黒させるが、畳み掛けるように命令が続く。 「試作の大筒も用意しておくよう伝えろ。隊長は準備が整い次第、ここに出頭だ」 その一喝に震え上がった小者は、初老の男が止める間も無く、敬礼一つする間も惜しんで部屋を飛び出す。開きかけた口を閉ざして主に視線を向けるが、何か言おうとする前に遮られる。 「氏族の暴走は真実、その責は甘んじて受けよう。だが、いやだからこそ。我々が果たすべき責務というものがあるだろう。‥‥ギルドに助力を請うて終わり? ありえないだろうがっ!」 それは面子の間違いではとも思ったが、確かに真理である。武力を持って仕えている氏族が有事に貢献できなくて、どう申し開きをしようというのか。 「‥‥なれば、何としても『砲術士による痛撃』を見せしめることが必要、という事ですな」 勿論、と答える主を前に、男は考えを巡らせる。 「現場の状況を鑑みるに、砲術士に志体持ちを当てるのは必須となりましょう」 その言に何を当たり前のことを、と口を挟もうとした主は、何かに気付いてそのまま沈黙する。その様子に、慎重な面持ちのまま、初老の男は頷いてみせる。 「開拓者の力をお借りになってくだされ。何、結果さえ出せれば、多少の辻褄は合わせて見せます」 数瞬、迷った表情を覗かせはしたものの。 「そういう手筈ばかり得意というのもどうかと思うが‥‥」 思わずという風に憎まれ口を叩いてみせるが、一言頼むと呟き初老の男の頼もしい笑顔を見送る。 「私もまだまだだな。何もかも足りん」 一つ吐いた溜め息に全ての不安を吐き出すと。顔には決意のみを漲らせ、主もまた己の戦場へと向っていった。 |
■参加者一覧
沢渡さやか(ia0078)
20歳・女・巫
高遠・竣嶽(ia0295)
26歳・女・志
花脊 義忠(ia0776)
24歳・男・サ
鬼啼里 鎮璃(ia0871)
18歳・男・志
シエラ・ダグラス(ia4429)
20歳・女・砂
新咲 香澄(ia6036)
17歳・女・陰
バロン(ia6062)
45歳・男・弓
一心(ia8409)
20歳・男・弓 |
■リプレイ本文 ●星を取り巻く嵐 流れる風に逆らわずに今来た空を見やれば。いつの間にか暖かさを感じられるようになっていた日差しが、静かに穏やかに、空と海を照らしていた。 「もうすっかり春ってなぁ。うむ、名を上げるには絶好の日和だ」 小型飛空船の甲板に上がった花脊 義忠(ia0776)は、その風の強さを物ともせずに仁王立ちしてからから笑う。近くを飛ぶ朋友の松風が気をつけろと言わんばかりに一鳴きするが。そちらにはびしりと親指を立てて笑って見せれば、気心が知れた同士、それ以上は干渉も無い。 「どうかな、義忠さん。そろそろ見えてきても良いはずだけど」 手すりに捕まった新咲 香澄(ia6036)が顔だけ外に出して問う。それに気付いた相棒のトゥバンへは笑顔で手を振っておいて、改めて義忠を見上げる。 「空は快晴、海も静か。まだ異常は‥‥ あー、あれだな」 見えねえよ、と笑い飛ばそうとした義忠の口調は、前方を振り向くとそのまま強張った。青空の一角に蚊柱のように立ち上る何かが見て取れる。距離があるため小さく遠く、まだ個々を見分けることはできないが。目指す『暁星』とそれに群がるアヤカシが、確かにあそこにあるのだろう。 「‥‥ねえ、あの小さいのが飛空船かな?」 前を見やった香澄が、自信無さそうに義忠に問う。まだ豆粒のような人工物は、既にその数倍の規模の何かに包囲されているように思える。 「俺らが一番乗りって訳ではねえ様だ。ならもうしばらくは持ち堪えるさ」 風に乗って流れる微かな剣戟を捉え、義忠は何とも言えない表情で息を吐いて見せる。 (「まあ、一番槍はくれてやるさ。今回の目的はそれじゃねえからな」) だがそんな表情はすぐに消すと。ほれ、他の奴らにも声掛けねえとな、と香澄を促して一旦船内に戻る義忠だった。 もう一隻の飛空船では、沢渡さやか(ia0078)と高遠・竣嶽(ia0295)が砲術士と打ち合わせを続けていた。 「ふむ。やはり頭では分かっていても、中々感覚とは一致しないものですね」 竣嶽は顎に手を当て考え込む。火薬がもたらす距離の優位性は分かるのだが、日頃零距離で戦う身としては些か掴みにくい。 「実際にアヤカシを撃っていただいて、こちらの認識を修正するしかありませんね。大砲も射程は同じ程度ということですから、そちらも鉄砲に合わせることにいたしましょう」 さやかも考え込むが、そうとしか言い様が無い。何より砲術士の立ち振る舞いに練度不足は感じられない以上、信頼しない理由も無いところ。 「どこまで接敵するかも、その後で検討かな?」 さやかの肩に乗る沙良も、場の雰囲気に飲まれてか神妙な雰囲気と表情で相談に加わっている。その振る舞いに誰もが和みを感じていたが、指摘して機嫌を損ねるのを避けるくらいの分別は持ち合わせていた。 「では二号艇にも連絡を。開拓者には私から伝えましょう」 竣嶽は甲板に待機している常磐の元へ向かうと、一気に船内は慌しくなる。 (「あの方々の邪魔はさせません」) そう心の中で誓うさやかの額にぱちんと、小気味良く掌を打ちつける沙良。 「人の心配も重要だけどさ。自分の身もしっかり守ってよ?」 ま、いざという時はボクが守ってあげるけどさ、と少々視線を逸らしながら言う相棒に、さやかは思わず笑みを浮かべてしまうのだった。 二隻の小型飛空船が並走する中、朋友に乗る者がその上空に集り、最後の打ち合わせを行っていた。 「分かりました。砲術士の一斉射撃を持って開戦という訳ですね」 微妙に機嫌の悪いパトリシアをあやしながら、シエラ・ダグラス(ia4429)が声を張り上げる。 「中々粋な計らいではないですか」 鬼啼里 鎮璃(ia0871)も目を細めて頷く。一撃を持ってまずは証を立てるという心意気、露払いを買って出る甲斐があるというもの。相棒である華燐も同じ意見であるらしく、気の強そうではあるが嬉しげな鳴き声を上げている。 「分かり申した、お二方は存分に露払いを。援護はわしら二人にお任せくだされ」 逸る若者に苦笑交じりの言葉をバロン(ia6062)は返す。主の言葉を受けて、ミストラルは周りの朋友を興味深そうに眺めやる。視線を向けられた一心(ia8409)もバロンにはしかと頷き、その龍には笑いかけてやりながら賛成の意を告げる。 「あそこまで連れて行けばいいのでしょう。この弓に懸けて、護り抜いて見せます」 相棒の珂珀も、その言に応えるように短く嘶く。皆は視線を合わせて一つ頷くと、所定の場所にて接敵を待つ。 ●先陣を切り裂いて 大柄な砲術士が自分の肩ほどの長物を構え、銃座代わりに垣楯を並べてその影に構える。甲板のほぼ中央に四人の砲術士が並べば、些かどころか窮屈なほどの圧迫感を醸し出していた。 だがそれよりも何よりも。一行は目の前に広がる光景に、思わずごくりと喉を鳴らしてしまうほど圧倒される。 「こりゃ酷え」 まだ数百メートル離れているにも関わらず、『暁星』はその変わり果てた姿を露わにしていた。嵐の壁に挑んで無傷で済む筈は無いとは承知していても、自然現象とは思えない傷があまりにも多い。船体には爪や牙を思わせる細かい傷は数知れず、幾つかは貫通しているであろう大穴すら見て取れる。そして必死に飛ぶその姿を嘲笑うかのように、巨大な水母のアヤカシが後ろから追い縋っていた。大型飛空船に匹敵する体躯やそこから伸びる無数の足は、もはや悪夢としか言い様が無い。 「ああいうのって‥‥生理的に苦手、です‥‥」 思わず身を震わせるシエラにパトリシアは励ますかのように勇ましい鳴き声を返すのだが、救うべき飛空船と一行の間には、更に様々なアヤカシが溢れていた。小型の魚が群れを成して翻るたびにその銀色の腹を光らせると思えば、大きな蜥蜴が皮翼を羽ばたかせて耳障りな喚き声を撒き散らし。人の頭ほどの水母は数十匹の群れを作り、陽光を浴びながら空をゆらゆらとたゆたう。幻想的と評しても良い光景ではあるのだが、その全てが飛空船を狙っているという事実はあまりにも厳しい。 「思った以上に数が多いですね‥‥ これらを突破した後で雲水母に対する余力を残せるのでしょうか?」 柄を握り締めて呟く竣嶽の独り言に、軽い破裂音が続いた。その先を見やれば、百メートルは離れた皮翼竜の頭部へ火線が一発、二発。そこで動きを止めて墜落するアヤカシを尻目に、その隣に浮んだ二匹の水母へ続けて一発ずつ。隣の飛空船からも四発の火線が、皮翼竜のほか、群れから逸れた飛突魚をそれぞれ一撃で落としてみせる。 「御見事! ‥‥砲術の冴え、見せていただき申した」 一撃の威力と、何よりその連携・精度に思わずバロンは唸る。気心が知れている部隊であることを差し引いても、一発たりとも無駄なく効率よくアヤカシを落とした技は信頼に足ると言うしかない。 「まだ射程に余裕があるようだけど、この程度の距離が適正というところかな」 一心は己の五人張りの射程に納まる距離であることを見て取ると、ならばと、全体を見渡せる飛空船後方に位置を決めて陣取る。 「戦力を温存する余裕はありませんし、かといって全てを任せる訳にも行かないようですね」 勿論そのために私たちがいる訳ですが、と鉄砲に弾を込め直す砲術士の手際を見つめながらさやかは呟く。 (「小さなアヤカシの群れは少なくとも十体以上。下手に呼び寄せても殲滅できる機会は限られるということですね」) 落ちてゆく皮翼竜から視線を切り、竣嶽は早速今見た戦力を組み込んで計画を練り直す。可能な限りアヤカシの群れは避けつつ、少なくとも彼我の距離を半分にまで縮めることが可能であるのか。 「難題には違いありませんが、ここで『暁星』を落とさせるわけには参りません」 動き出す鎮璃とシエラに合わせて、二隻の飛空船も足並みを揃え始める。既に覚悟は決めた身、後は死力を尽くすのみ。 待ちわびていた常磐に一つ頷き騎乗する竣嶽は、甲板をさやかに任せ宙に飛び出した。 そうして乱戦が幕を開けた。 最初こそ、こちらの先陣を切る鎮璃とシエラが巧みに雑魚を誘導しては蹴散らし、大物の足を止めては砲術士の援護を得て順調に距離を詰めていたのだが。『暁星』へと続く道は限られており、囮となるような異物は他になく。本能のみで動くアヤカシは何物にも惑わされること無く、間も無く小型飛空船へと群がり始める。 「ちぃ、下がれ松風!」 己の身を挺して魚の大群を止めて見せた甲龍は、強化していたに違いない鱗に幾本も魚の角を生やしてなお、アヤカシに立ち向かおうとする。義忠はそれを諌めながら咆哮を上げてアヤカシを引き寄せれば、瞬時に大群のアヤカシ共の視線が、一斉に自分へ向くのを感じて冷や汗を流す。 (「まずい!」) 体の脇に立てていた斬馬刀を前に翳し直し、急所だけ庇った直後に角を生やした魚が雨の如く降り注ぐ。幾本かは体に突き刺さるが苦も無くその角をそのまま残し、悔しいほど軽やかにアヤカシは空に舞い戻る。 「義忠さん!」 「大丈夫だ! そら、デカイの来るぜっ!」 体をずらして射線を通せば、上空から急降下してきた空飛ぶ蜥蜴を火線が穿つ。だが音は一つのみ、断末魔の叫びを上げながらもくねらす尻尾が義忠を甲板へと打ちつける。 すかさず飛んだ符が蜥蜴を切り裂き沈黙させるが、放った香澄も思わず膝を付いてしまう。吸心符で体力を回復しながら戦ってはいるが、蓄積し始めた疲労は無視出来なくなってきている。 「ちっ、格好つかねぇなぁ」 苦笑しながら立ち上がった義忠は、成敗っ、とまだもがく皮翼竜に止めを刺して振り返る。砲術士に親指を立てて見せるが、それに答えるのは二人のみ。既に二人は銃を折られ傷を負い、飛空船の中に退避している。 「あれ‥‥ 急に静かに」 不意に翳った日差しに辺りを見回した香澄は、蜘蛛の子を散らすようにアヤカシが引くのを認めた。そしてその瞬間、何かが振り下ろされる音を聞いた気がした。 ●乾坤一擲?! 「ちっ!」 振り上げられた雲水母の一際長い足が、己の乗る飛空船を狙っていた。まさかアヤカシがこちらの射程外から直接攻撃を仕掛けてくるとは夢にも思わず。義忠は思わず舌を打つが、咄嗟にどうするか判断に迷ってしまう。その様子に気付いた一心は叫ぶ間も惜しんで朔月の如き一撃を打ち込み、そして続けざまに矢を放つ。全て狙った一点に吸い込まれる連撃も、雲水母の巨大な足を貫くには火力が足りない。それでも、義忠は振り下ろされる雲水母の足が僅かではあるが逸れるのを見て取った。 「ありがてぇ!」 香澄を突き飛ばして砲術士の前に飛び込んだ義忠は、踏み込んだ足を甲板にめり込ませながら歯を食いしばり。巨大な足が振り下ろさせる瞬間、斬馬刀を持ってその側面を打ち落とす姿勢をとっていた。 「きゃあぁっ!」 一瞬早くさやかの口から思わず悲鳴が上がるが、竣嶽にそちらを振り向く余裕は無かった。バロンが衝撃波の一撃で皮翼竜の一群の体勢を崩した刹那、その好機に桔梗突を通して群れの頭を潰す。だが残心の間に轟音が続けば、止めを見届ける間を惜しんで振り返った先に。竣嶽は甲板に巨大な足が打ち付けられた二号艇を見つけて絶句する。 そのまま雲水母の足が絡み付き始める様を見て一号艇は大砲をそちらに向けようとするが、それを見越したように当の二号艇から怒鳴り声が響く。 「おら、千載一遇の機会って奴だぜ! アヤカシに一泡、噴かせるんだろ?」 直撃だけは避けられたらしく、足ならこっちの大砲で狙うからよ、と雲水母の足の影から義忠の声が飛ぶ。射撃の音が続いて重なれば砲術士も無事ということなのだろう。義忠の声はすぐ唸り声に変わったが、目を転じれば雲水母の側面には何時の間にか大穴が開いていた。今捕まえた獲物を飲み込むための口に違いないそれは、確かに急所に違いなく、格好の的である。 「鬼啼里様!」 竣嶽が声を掛けて上空を見やるが、鎮璃はただ首を振るのみ。砲撃に合わせて一撃を入れる心積もりであったが、まだ接敵できるほどの距離ではなく、残念ながら距離を詰める猶予も無い。だから二人は近くのアヤカシに多少強引ながらも攻撃を当てて己に引き寄せ、可能な限り射線を確保する。 「大丈夫ですか、義忠さん!」 龍から甲板に飛び移ったシエラは、無理な姿勢で雲水母の足と力比べを続ける義忠の前に踊りこむ。その勢いのままに刀を突き刺して掛け声と共に力を篭めれば、刹那青白い光がその切り口から零れて大きく雲水母の足を抉った。しかし数メートルある足を貫くには至らず、そして傷口は見る間に盛り上がり始める。 「もう一撃頼む! ほら香澄もだ!」 一瞬唖然としたシエラに、お陰で体勢を立て直せた義忠が斬馬刀を構えて檄を飛ばす。 「良いか、当てたらすぐに避けるんだぞ? せーのっ!」 何々、と慌てる香澄も、掛け声が始まればそれに合わせて符を飛ばし。後ろを振り向いて大砲がこちらを狙っていることを確認したシエラは、目標を見据えたまま、相棒を呼ぶ。 まず義忠の斬撃が雲水母の足を深く切り裂き、その傷を香澄の斬撃符が抉り、さらにその奥をシエラの刀が突き通す。シエラの身が隠れるほどの深みまで達した連撃だが、それでも漸く足の半分といった所。だが躊躇せずにすぐさま後ろに飛びのいたシエラは、そのまま滑空してきた相棒に飛び移り、飛空船から離れる。それを見届けて振り返った香澄は、覆いかぶさってくる義忠に文句を言う間も無く押しつぶされる。 直後に轟音が二つ響いた。一つは二号艇の大筒が、自身の甲板を巻き込みながらも絡みつく雲水母の足を打ち抜き。もう一つは、一号艇の大筒が、大きく開いた雲水母の口の真ん中を見事に貫いていた。一瞬動きを止めた口は、すぐにそれを閉じて外から見る限り見分けが付かなくなったが。その内側では明らかに何かが壊れたかのように、ごぼごぼと勢い良く音を立て、直ぐにその場をしぼみへこませ始めた。 ●戦線離脱 務めを果たした一行だったが、歓声は上がらなかった。 「殿は僕が務めます。撤退に移りましょう!」 鎮璃は弓を構えて戦線の離脱を皆へ促す。『暁星』のためには少しでもアヤカシの数を減らしておきたいところであるが、こちらも二号艇は満身創痍といって良い状況である。傷を治せる練力が尽きぬうちに、少なくとも安全圏まで移動しておくべきとの判断は間違っていない。 だからといって、アヤカシ側もみすみす獲物を見逃しはしない。群れの一部が雲水母から離れると、執拗に二隻の飛空船を追撃し始める。そしてそれは、数時間に渡りアヤカシが全滅するまで続くことになるのだった。 「やっと‥‥ 終わり申したか」 残り少なくなっていた矢筒から手を離し、長々と息をつくバロン。辺りを見回しても『暁星』は影も形も無く、その安否は杳として知れない。だがまずは、任務の達成と皆の無事を祝うことにしても良いと思うことにする。 「どうしましょう。一旦着水しますか?」 声を掛ける一心も、安堵と疲れを隠せずに苦笑いしている。 「そうしたいのも山々ですが‥‥ 一旦停めても機関を再起動できるものでしょうか」 二号艇を見ながら答える鎮璃。二隻の甲板には人が集まり始め、お互いの無事を確認し始めていた。逃避行が終わったことを漸く実感したのか、笑い声も聞こえ始める。 「うむ。何があるか分からぬものじゃ、少しでも早く陸に近づいていた方が良いでしょうな」 自分で言っていて顔を顰めてしまうバロンだったが、鎮璃も一心もそれを笑い飛ばすことはせず。まずは速やかに朱藩を目指して帰投することにしたのだった。 |