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■オープニング本文 ●召還成功? 「お待ちしておりました、当主殿。‥‥それにしても、中途半端な時期にご苦労なこったな、十音(とおん)?」 慇懃無礼な態度を途中で崩し、人好きのする笑顔を向ける大男。飛空船から降りてきた十音は、それを見るなり顔を顰めてぼやいてみせる。 「やっと朱春での祭りが終わって平時に戻ろうという矢先。序試の準備を始める時期だというのは、史禅(しぜん)殿も良く分かっているだろうに‥‥ 震羽(しんう)、お前がもう少し抑えに回っても良かったのではないか?」 少し恨み言っぽくなるのも、目の下に浮き出るくまの濃さを見れば、逆に気の毒になるくらいではあるのだが。 「俺には被害がないとでも? もう少しで仕官断ったのを後悔するくらいには、心を痛めているんだぜ?」 手を変え品を変え、最近は情にまで訴えてくる始末だよと、苦笑いを返す震羽だった。 開いた口をしばらくそのままにしていた十音は、深々とため息をつくと力なく首を振った。 「この忙しい時期に人を呼びつけて何かと思えば‥‥ 勝手に遺跡を発掘しておいて、学問所に改装するから人と金を出せと?」 正気の沙汰とは思えないと、言っている傍から次第に熱を帯びてくる十音を前に、史禅は暢気に茶など啜っている。 「これから忙しくなる、の間違いじゃろう。今を逃しては、次は一年後じゃ。『鉄は熱い内に打て』とは『三書』にもあったじゃろうに」 色々略しすぎですと机を叩いて立ち上がる十音の激昂にも何のその。 「お前も優秀な人材が少ないと泣き言を零していたじゃろう? まあ、待て。金を払って即戦力で補うのも構わんが、それにも限界があるんじゃ。先を見据えた投資というのも、必要ではないか?」 十音を一旦遮った表情は思いやりに満ちており、そしてその言葉は十音が常々感じていた懸念でもあった。 「分かってくれたか? ‥‥ふむ、なら少しのんびりと構えて体を休めていけ。年末を迎えたら、休みなぞ取ろうと思っても取りようがないからの」 諦めて座り直した十音は、卓に出された茶の香りにようやく気付くと。確かに気を張り過ぎていたかなと、まずはゆっくり、それを味わい始めるのだった。 ●実は、お膳立てはこれからで 集まった面々を前に、伊鈷(iz0122)はがたりと椅子を鳴らして立ち上がった。 「先生、これこそ好機到来だよね? ‥‥こんな滅多に無い機会、掴みきれなくてどうするの、あたし!」 一人盛り上がる様子に水を差すのは、若干十四歳だがこの家の主である計名(けいな)。 「諸侯当主の、何をどうやって掴むんだよ。こんな寒村の接待、高がしれてるだろうが」 痛い所を突かれてむぐっと言葉を詰まらせた伊鈷は、だからこうやって集まってるんじゃない、とびしりと計名に指を突きつける。 「そうでござるよ、計名殿。『三人集まれば孔鳴にも勝る』というではありませんか」 したり顔で頷いて見せるのは、計名に仕える身である土偶ゴーレムの錫箕(すずみ)。 「それでも、白霞寨再建となると‥‥ 中々の大事ですよね?」 事後処理の一件で再び村を訪れていた東湖(iz0073)が呟けば、皆一様に黙り込んでしまう。 一年のほとんどを霧に閉ざされる近くの山。そこから梁山泊時代の砦『白霞寨』が発見されたのは、つい最近のこと。その辺りは獲物も少なく村人たちにも敬遠されていたのだが、「勉学に相応しい静かな環境」と錫箕が案内して見せたのだった。途中に絶叫草というアヤカシが確認されていたりもするのだが、目下の懸念事項は寨の中にある建物『雲龍舎』の改装である。この辺り、雪は滅多に降らない地方とはいえ、やはり冬は寒い。本格的な追い込みが始まる前に、何としても最低限の防寒対策は施しておきたいところだった。 ‥‥幸い外観が一面蔦に絡まれている割には、保存状態が良いとは言えたが。流石に片翼が百メートルもあると、生半可な対応では、それこそ年が明けてしまう。 「ふむ。やはり学ぼうとするものが、自発的に動くことに意味があるのでは無かろうかの?」 史禅が視線を向ければ、首を傾げる伊鈷に東湖が助け舟を出した。 「私が通っていた寺子屋では一年に一度、学芸会というのがありました。親を呼んで、色々して見せてましたよ?」 ちょっと長めの詩を暗記して皆で朗読してみたり、劇なんかもやってましたと継げば、伊鈷は腕を組んで考え込み始める。 「まあ、科挙試験に暗記力は必須だし、そういうネタなら『四経三書』に山ほどあるけど‥‥ 聞いてて面白いかなぁ?」 「なら劇にするか? 梁山時代に曹孫劉・割拠時代、最近なら震羽の義眼の話もあれば、雷鳴鬼ってのも出たんだろ?」 明るく顔を上げた計名は、あ、でも絶叫草は勘弁な、と手を突き出して嬉しげに伊鈷が乗り出すのを押し留める。 「それでも脚本から起すとなると‥‥ 何人参加するかから検討となると、人手も時間も足りんのう」 演技指導や披露する為の場の準備もある訳じゃがと呟く史禅の視線の先では、東湖が苦笑いしている。 「あくまで開拓者さんには裏方に回ってもらうという形なら、逆に人手は集めやすいかも知れません」 えっと、確証は無いですけど、と小さく付け足す東湖に、思わず場が和む。 「じゃあ、開拓者にお手伝い全般を頼む、っと。その先生、先立つものは?」 悪びれずに問う伊鈷に、まあ何とかして見せようと苦笑いするしかない史禅だった。 |
■参加者一覧 / 深山 千草(ia0889) / 皇 りょう(ia1673) / 千古(ia9622) / 不破 颯(ib0495) / 琉宇(ib1119) / モハメド・アルハムディ(ib1210) |
■リプレイ本文 ●準備は始まれど 諸侯を招くには『白霞寨』こそ相応しいと、集まった開拓者たちは短い打ち合わせを終えて早々に寨へと向かおうとしていた。斧や鋸、縄や竹で作られた仕掛けを抱え、それに埃を被った楽器を調律しながら談笑する一行。伊鈷は笑顔でそれを見送ったものの、史禅の家へと駆け込む頃には今にも泣き出しそうな顔になっていた。 「先生、どうしよう‥‥ 折角開拓者の人たちは集まってくれたのに、肝心の生徒が集まらないよ」 史禅は劇の台本を作るべく、錫箕から様々な話を聞きだしては書付を作っている最中だった。計名は開拓者の手伝いに行ってしまったし、東湖もギルドとの交渉にと「大典・回上」まで出掛けている。説得は自分がするしかないと、村を駆け回ってみたものの、子供は試験の話なんて聞こうともしないし、興味を持った者がいても「お山には何があるか分からない」と場所を聞いた途端に首を振る始末。 「子供は遊びたい盛りじゃし、親御は声が聞こえる場所にいても子を心配するもの、か。‥‥中々厄介じゃのう」 考えこむ史禅と顔を俯かせていた伊鈷に、涼やかな女性の声が掛けられた。 「原因が分かっているなら、それに応じて対策を立てれば良いのでは? 危険が無いというのなら、自分の目で確かめてもらえば済むではないですか」 盆に載せて運んだ湯呑みを史禅と伊鈷の前にそれを置くと、そのまま興味無さそうに水場へ戻ろうとする。 「先生の‥‥ お孫さん?」 こそりと聞いた伊鈷に、まあそんなもんじゃと応えたままふと考え込む。 「史南(しなん)、伊鈷を手伝ってくれんかの? お前も暇じゃろうし、ほれ、どうせなら震羽にも声を掛けて」 後輩が困っておるんじゃ、罰は当たるまいとの史禅の言葉に。伊鈷は目を白黒させながらも、史南があっさり了承したことに思わず更に口まで広げてしまっていた。 ●まずは白霞寨へ 結局子供が十名に大人八名、まずは白霞寨の見学をしてからその先を考えるという運びに何とか落ち着いた。子供たちには秘密基地に案内する代わりに、ちょっとした宿題を考えてくるようにという約束を。大人たちには震羽や仙人骨持ちの開拓者が協力的であるという安全性、それから同じ年頃の子供たちを集めることの利点を説いて回った結果だった。最初こそ、史南や震羽がそれを意見してみせたものの、最後は直接問われるまでは後ろでのんびりと雑談を交わしていた。それが殊更、必死な伊鈷への好印象を与えていたのだが‥‥ どこまでが本意だったかどうかは、人を食ったような震羽の笑みと史南の素っ気無さからは読み取り様が無い。 そして迎えた当日。山の麓に集まった村人たち一行は、霧の深さを不安に思う前に陽気な『口笛』の挨拶に出迎えられる。 「えっと、本日はお日柄も良く‥‥」 「何を今更、畏まってんだっ?!」 一行を待ち構えていた伊鈷の挨拶は、余計な突っ込みを入れた計名への踵蹴りで引きつった笑みに固まってしまう。だがそれに思わず吹き出す者が出れば、肩に入っていた余分な力も一緒に消えてしまったらしい。 「それじゃ、早速出発しようか? 皆で手を繋いで、一緒に行くんだよ?」 リュートを掻き鳴らしながら進み出た琉宇(ib1119)が、小さな子から順に自分と同じくらいの少年にまで笑みを向ければ、顔を見合わせたのは束の間。群がる子供たちを引き受けると、他の皆には目線で合図をしつつ機嫌よさそうに受け答え、あるいは煙に巻きながら。子供たちの楽しげな声と陽気な音楽と共に、先頭に立って山へと入っていく。 「ナァム。これは確かに良いサダカ、喜捨となる大仕事のようです。アーニー、私も琉宇さんをお手伝いしましょう」 透かさずモハメド・アルハムディ(ib1210)が軽く手を振って合図をすると、一行を安心させるように子供たちの後に続く。 「私たちも参りましょうか。木の枝に目印を付けておりますので迷う心配はありませんが、足元にはお気をつけくださいませ」 千古(ia9622)が指差す先には、鮮やかな端切れが木々から垂れ下がっていた。一度に二つ三つは見える間隔は、道を進んでもさほど変わらず続く。足元を見やれば下草は刈られ、人が通ることで踏み固められた道らしきものも出来かけている。中段の先頭に立った伊鈷が、前に声を掛け後ろを振り返りつつという道中になれば、その賑やかさに驚きながらも、一行は奥へ奥へと分け入っていく。 「これなら、敢えて道を外れない限りは迷うこともない‥‥か」 目を細めて左右の霧をみやりならが、史南はぽつりと呟いてみせた。言外の意味を察した千古が貴重なご意見ありがとうございますとそっと返すのは、二人の他には殿を務めていた震羽しか聞いていない。 「最初はそんなことにならないように、俺たちが目を光らせるってことだろうな。そんなに心配することはないさ」 そう願っておこうと呟く声は、やはり素っ気無く霧に紛れて消えた。 ●道中も和やかに 「へぇー、縄で縛ってからとはねぇ。あんまり暴れるんで古酒で酔わせようとしたんだけど、そうすると食べられないって奴がいて困ってたんだよねぇ」 棒で叩くのも可哀想だしさ、と不破 颯(ib0495)は『朽葉蟹の調理法』について、奥様方と話を弾ませている。 「沢の蟹は、やっぱり良く火を通した方が良いね」 「逆に良く洗ったのを生のまま古酒に二週間も漬けておけば、『酔払蟹』っていう、これが酒飲みには堪らない肴になるんだよ」 それは是非、作り方を教えてもらわないとねぇと重々しく颯が頷けば、よし、味見は引き受けてやろうとと顰め面で混ざる親父。二人の視線が合うと、周りを含めて一斉に笑い声が湧き上がった。それが木霊になって返って来れば、先を行く子供たちの驚きも少し遅れて響いてくる。 「そうだ、もっと早くに聞いておきたかったのだが。‥‥伊鈷殿は『六開の儀』の後、体調を崩されたりしなかっただろうか?」 集団の後ろの方で、皇 りょう(ia1673)が錫箕に話しかける。そこから霧に見え隠れする伊鈷が元気一杯跳ね回る様子は、少し無理をしているようにも見えなくは無い。 「怪我は全く無かったようでござるが‥‥ ああ、心配はご無用。むしろ『良い薬』になったようでござるよ」 思い悩むのは若者の特権でござる、と一人で納得してしまう錫箕に、りょうは不思議な顔を返すしかない。 「史禅先生、台本の進み具合はいかがでしょうか?」 思い出したように深山 千草(ia0889)が問えば、聞きなれない言葉に周りの大人も史禅を向く。 「梁山時代の演義は決まりじゃな。蹴鞠が得意な大臣が横暴を尽くしておったそうじゃからの、主役には適任がおる」 先頭を歩く伊鈷を眺めつつ千草へ振り向くと、澄まして片目を瞑ってみせる。 「その時代に激しい戦いがあった訳では無いようじゃが、そこはそれ。劇には演出は付き物じゃしのう、見せ場の稽古は期待しておるよ」 「それは構いませんけれど‥‥ その、侯の機嫌を損ねることになりはしないでしょうか?」 失礼にならないように言葉を選びつつ尋ねる千草に、考えもしなかったと目を見張る史禅。だがそれに続いたのは、肩を震わせつつ零した含み笑い。 「そんなことを気にするたまではないが‥‥ まあ、そうじゃの。詰まらぬ誤解は招かぬ方が賢明じゃ」 確かに確かにと満足げに頷くと、その辺りは事前に説明しておくとしようと簡単に請け負ってみせた。 途中で一旦休憩を挟み、およそ二時間。目印の間隔が狭まり始めると、それは唐突に途切れた。子供の上擦った声が二つ三つ上がるが、不意に途切れて歓声に変わった。それを追って丸太で足場が組まれた斜面を降りる最中、大人たちの視界もいきなり晴れる。一旦沢を降りる必要があるため、まだ思った以上に距離はあるのだが。向こうに聳える山と、目線と同じ辺りを囲む武骨だが堅固な石造りの外壁。実際に目の当たりにすると、開拓者を除く一行の誰をが黙り込み、続いて唸り始める。 「ほう、あの奥の白いのは『雲龍舎』かの? ほほう‥‥」 一度訪れている史禅までもが感嘆すれば、一同は目線を合わせて笑みを浮かべてみせる。 (「龍を使っての『雲龍舎』外壁掃除。‥‥色々壊してしまったのは、せめて今回は気付かれませんように」) ‥‥内心といわず背中に冷や汗を垂らす者もいたのだが。どうやら誰にも気付かれた様子は無い様だった。 ●それぞれの取り決め 白霞寨の門を潜った先も、少々様変わりしていた。荒れ放題の雑木に飲み込まれていた道は掃き清められていたが、その行く手を阻むように丸太で組まれた舞台が作られている。屋根は勿論、書割も壁すらない完全な露天だが、その両脇には一対の、見事に赤い葉をたたえた楓が二本、彩りを添えていた。 「さてと、まずは腹ごしらえってねぇ。お茶入れて来るからさぁ、まあ舞台に上がって弁当広げててよ」 村人を含む手伝いの申し出はきっぱり断った颯だったが、伊鈷にだけはこっそりと目配せをする。それに思わず得意げに笑ってしまえば、史禅や開拓者も思い当たることは一つしかない。 「えっと、子供たちはお手伝いした方が良いと思うんだけど‥‥ 駄目かな?」 ぶらぶらと天幕の張られている一角に歩き始めていた颯を追って、子供たちが駆け出すのを不思議そうに見送る村人たちと、思わず苦笑を浮かべる開拓者たち。 「まあ、子供がいないところで話した方が良いこともあるじゃろうしの?」 とはいえ、まずは腰を落ち着けてからかと暢気に史禅が呟けば。正面からは楓に隠れるように作られた階段を登り、一行は茣蓙を引いた舞台の上で車座になった。 舞台に残った村人たちの境遇は様々だった。自身が科挙合格を目指す若者もいれば、そろそろ息子に文字を覚えさせようと考え始めた若夫婦がいる。腕白が手におえないと嘆くおばさんに、逆に本ばかり読んでいるのが心配の種だと答えるおじいさん。だがその誰もが、道中子供たちが笑い声を上げる度に顔を綻ばせていた。年頃の近い友達は良いものだと何度と無く口にしていたのだが、無邪気な笑い声と一緒にそんな気持ちは何処かへ行ってしまったように暗い顔を見合す大人たち。それでもしばらく待って零れ始めた言葉は、ぽつりぽつりと辛気臭い上、不鮮明でじれったい。 いい加減に声を上げようとする史禅の裾を引いたのは、りょうだった。無言で視線を合わせたのは短い間。それでも史禅が力を抜いて先に視線を逸らすと、まずは聞き役に徹することにする。取り出した手帳にりょうが要点を書き出し始めれば、モハメドと琉宇も心得たもの。場が荒れることの無いように穏やかな旋律を爪弾き始め、千古と千草も丁寧に相槌を打ちながら辛抱強く話を引き出す。 (「‥‥要約すれば、『寨まで遠い・子供も働き手・読み書き以上の勉学が役に立つのか』というところか?」) すっかり場の主導権を奪われた史禅は、これ幸いと村人側に立って質問を投げていたりする。 「ラ、そうではありません。旅をすることでしか得られないことがあるように、書を読むことでしか得られないものは確かにあるのです。そこに書かれたのは文字ではなく、書き手の想いなのですから」 「そうよね。『試験』というから皆身構えてしまうのではないかしら。そんな勘違いで未来や可能性を摘み取ってしまうのは、とても勿体無いことだと思うわ」 頷く千草に、モハメドはショクラン、ありがとうと目を細めながら口角を上げる。 ずっと黙ってそれを聞いていた史南は、同じく一切口を挟まない震羽に肩を叩かれ、二人連れ立って静かに舞台から下りる。 「もう片方も、見ておいた方が良いんじゃないかと思ってな?」 視線だけで行く先を問われた震羽は、天幕の入り口で甘酒を啜っている颯を親指で示してそちらに歩き始めた。 「‥‥‥‥‥‥すげぇ」 一番年嵩の少年が、木刀を地面に叩き付けてしばらくしてから呟いた。決して硬くは無い地面だが、自分が用意した得物では数センチの窪みを作るのが精一杯だった。その脇にある跡は、その子の足よりも顔よりも大きく穿たれた穴。確かに上から何かを叩き付けた様に縁が盛り上がっていて、そして底には鋭く深い斬撃が残っている。 「ほら、踏み込みの跡もまだ残ってるんだよ? 使った木刀とベルは粉々になっちゃったけど‥‥ あたしは向こうの端まで吹き飛ばされたんだから」 摘み上げた何かに息を吹きかけ土塊を払うと、ほら、と差し出して見せる。歪に潰れたそれは手の平を転がるだけだったが、代わりに真新しい腕飾りの鈴がリンと鳴る。 「なあ、伊鈷。ここで修行すれば、俺にもこれくらい出来るようになるんかな‥‥?」 ようやく体を起して伊鈷に向き直った少年は、それまでの表情を改めて真剣に問う。颯が差し出す甘酒に美味しい不味いと言い合いを始めたり、『天辰』で抉られた穴を覗きこんでは転げ落ちそうになる子供たち。その面倒を見ていた伊鈷と計名は、少年の言葉に見合わせた顔を少し困らせる。 「えーとね。‥‥多分大人は『無理だ』って言うと思うの」 「ああ。震羽もこれ見て『俺には無理だ』ってはっきり言ってたしな」 何を言っているのか分からないと顔を顰めた少年は無言だったが、言いたいことは確かに二人に伝わった。 「アヤカシを追い払う震羽もね、開拓者にはならなかったんだよ? 理由はね、『開拓者は科挙に受かっても官僚になれないから』だって」 勿論、仙人骨持ちじゃないってこともあったはずだけど、と続ける伊鈷の言葉を遮って、少年は驚きの声を上げる。 「何でだよ! そんなの‥‥ そんなの、だって変だよ!」 「じゃあ、『何が』『どう』変なのか、言ってみろよ」 頭を掻きながら、面倒くさそうに応える計名の足を踏みつつ、戸惑う少年に声を掛ける伊鈷。 「何が変かを考えるっていうのも、勉強の内に入るんだよ? それが『宿題』の答えにもなるし、やっぱり一人じゃ出来ないこともあるんだって、最近思い知らされてばっかりだし」 だから、手伝ってくれないかな、と首を傾げて問う伊鈷は、少年からの返答を辛抱強く待った。 ●紅朽の誓い 水は手を切るような冷たさながら、手繰り寄せる綱の重さに期待が膨らむ。その先に括られた竹籠に黒い何かが動くのを認めれば、一斉に子供たちから歓声が上がった。 「仕掛けたのは今朝でしょう? 一匹も獲れないかもって覚悟はしていたのだけど」 千草が振り返って子供たちにの喜びに笑みで応えて見せると、それを手伝う千古とりょうも軽く頷いてみせる。 「話が長引いた‥‥お陰、というと変でしょうか?」 「いや、皆も胸のつかえが取れた様子。その上大漁となれば、喜んでも構わないだろう」 浮き立つ気持ちを敢えて咳で払ってみせるりょうに、二人は賛同の笑みで応えて見せる。 定期的な合宿と、家庭ぐるみの宿題。辿り着いた結論に戸惑いつつも、史禅の言には村の大人も納得する。 「何も学問は子供だけのものではないよ。むしろ科挙から離れなければ分からないことも多くての? 『学問を楽しむ』など、その最たるものじゃ」 そして最初の焦点だった子供たちも、神妙な顔をして戻ってくるなり『知りたいことならたくさんある』と口々に言い始めた。相手は付いてきた保護者だったり、科挙試験を受けようとする青年だったり様々。勿論色々な楽器を自在に操る琉宇や、不思議な言い回しをするモハメド、転んだ傷の手当を手際よくしていた千古や、剣の型を教えてくれと頼み込まれるりょうに、千草は弓の扱いと礼儀作法を教えて欲しいと二手から挟まれる。そんな混乱を収めたのは、数人の子供を従えた颯。 「ありゃ、食後の甘味には、ちょっと早かったかねぇ?」 手に湯気の立つ蒸篭を運んでくると、思わず顔を見合わせた誰かのお腹が大きな音を立てて鳴った。大笑いが巻き起こると、一旦は除けられていた弁当を広げなおす。再び温かいお茶が配られると、いただきますの大合唱をしてから食事を再開し、そしてそれでも話を止めない子供たちに苦笑しつつも、大人たちは胸を撫で下ろすのだった。 「こんなに清々しい紅を見たのは、初めてのような気がする」 周りの明るい笑顔を見ながら呟いた史南の言葉に、片眉を吊り上げて先を促す史禅。 「日を浴びて、水を飲んで、秋を迎えて、冷気に触れる。どれもが必要ですが‥‥ いえ、その根を張る土があってこそ、木は、いえ人は育つのだなと」 紅葉もやがては朽ちて土へと還る。その流れが言葉になったと思えた瞬間、それは自然に口から零れていた。 「ふーん。『桃園の契り』ならぬ『紅朽の誓い』か。語呂も縁起も、良いんじゃねえか?」 頬張っていた肉まんを飲み込んだ震羽が、天を振り仰いで笑みを浮かべる。 「あ、面白そうな話してる! ねぇ、その詩に曲を付けて、歌にしても良いかな?」 良い宣伝にもなると思うんだと早速楽器に手を伸ばしながら、モハメドにも声を掛ける琉宇の仕草に。史南は面食らいながらも、小さく笑みを浮かべて頷いてみせた。 |