|
■オープニング本文 ●死霊の玉座 人骨を敷き詰めた寝床に、小柄な少女が寝そべっていた。 少女は気だるそうな表情を浮かべたまま、手元でハツカネズミを遊ばせている。 「封印されたと聞いていたが‥‥酒天め、いまいましい」 ふいにつぶやく少女。 その小さな手をきゅっと握り締める。ハツカネズミは血飛沫と共に肉塊へと変わる。 修羅の王――祭りの喧騒に誘われるようにして封印を解かれた酒天童子。かつて朝廷と覇を争ったとも言われる王が復活したとの報に、少女は不快感を露わにした。 それも、酒天は再度封じられるでもなく、開拓者ギルド預かりの身となったと言うではないか。朝廷との間に再び血の雨でも降ろうものなら面白いものを‥‥どうも、そういった様子ではない。 「ならば争わせるまでじゃ」 手元の肉塊を混ぜ捏ねるようにして放り出すと、ハツカネズミは再び腕を駆けはじめた。 「クク‥‥」 少女の口元に、凄惨な笑みが浮かんだ。 ●出発直前 「もし、そこの‥‥ そうそう、あなた様です。猫の神威人のお方」 唐突に声を掛けられた羅波(らなみ)が振り返ると、深く被ったフードを後ろに落とす女性が顔を上げ、そして控えめに微笑んでみせた。その頭には短い角、身にまとう筒袖が厚司織であれば、多分龍の神威人なのだろう。だがこの辺りに知り合いは少なく、その誰にも該当しない顔を見つめてから、羅波は自分を指して問う。 「それ、本当にあたし?」 「はい。羅波様ですよね、これからあの船に乗る」 後ろに向けた視線の先には中型規模の飛空船。見た目はかなり古いが、それこそ幾多の航海を無事に潜り抜けてきた証し。それに中身は特別製で、快適さはどの船よりも良いとの評判である。本来であれば羅波になど縁の無い話だったが、急な欠員が出た上に泰国出身、そして同行する開拓者に顔見知りがいたという幸運が重なって、今回の乗船と相成った。尤も扱いは世話係、報酬も雀の涙ほどではあるが、船賃が浮いたと思えば贅沢は言えない。 「これを船長に届けていただきたいのです。次の便に回していただいたばかりで本当に恐縮なのですが、私も『出来るだけ早くに』と言付かっておりまして」 昨日届いてさえいればと、唇を噛んで顔を俯かせる女性。だが羅波の視線に気付くと、恥ずかしげに表情を取り繕った。 (「そういえば、昨日そんな話があったね。金の払いは良かったけど、空荷で飛ぶのは矜持が許さんとか、船長も荒れてたっけ‥‥?」) 「あの、元々場所はとらない子なんです。倉庫の片隅でも何でも、餌さえ与えてくだされば大人しくしていますし、それもこの中に一緒にしてあります」 急いで付け足すように女性が布包みの箱を差し出すと、羅波はつい受け取ってしまう。慌てて突き返そうとする羅波に、今度は二通の書面を取り出して、その一通を広げてみせる。 「この通り、書類は揃っていたのです。出発前に船長に話をしていただければ良いですし、出発間際にもう一度お伺いいたします。もしどうしても駄目というなら、後に残る係りの者にお渡しくださって構いませんから」 確かに船長の発行した契約書を広げられると、商人としての良心が少々疼く。 「中には金魚鉢と餌の宝珠が入ってます。一日一粒で十分ですが、決して手は入れないでくださいね?」 同じ事が書かれたもう一通の書類も一旦広げた後、女性は嘆願するように羅波を覗き込む。特に不審な点は無いと踏んだ羅波は、にっこりと笑みを浮かべて頷いた。 「分かった、話はしてみるよ。駄目だったら、大人しく次の便を待ってよね?」 女性は書類一式も渡してよろしくお願いしますと頭を下げると、その姿勢のまま羅波を見送った。 ●奇妙な船旅 飛空船の名は『翔玄亀』。希少生物を専門に扱う、その道では有名な商船でだった。猫又やミズチ、場合によっては人妖まで運ぶこともあるというが、勿論相応の知能を持った朋友ともなれば、その扱いは『荷』ではなく『賓客』。船内を歩き回ることは流石に禁じていたが、個別に品の良い客室が用意されており、用事があれば世話係を呼ぶことも出来るようになっているという。そして実際のところ、点呼の際に行儀良くさえしていれば、部屋を出ることも黙認されているとのこと。 理穴の物流拠点『早瀬(はやせ)』を出発した翔玄亀は、そろそろ嵐の壁を抜けて泰国に到達しようというところだった。艦橋に顔を出した結夏(iz0039)は、難しそうな顔をする船長に声を掛けた。 「こんな順調な航海ですのに、どうかされたのですか?」 「‥‥順調すぎるのが、気になる」 ぽつりと呟いた船長は、不思議そうに首を傾げて先を促す笑顔から顔を逸らしつつ、言を零す。 「古い船には、鼠が住み着く。それが適度に肥えていれば、良い船だというのが俺の持論だ。勿論、この船は良い船だし、いつも航海の最中に、食料の一部が奴らを肥えさせる事も計算して荷を用意する」 船長は裸一貫から今日の評判を得た、船乗りであり商人であった。信用や噂が如何に重要か、それを得るために何が必要か、ずっと考え続けてきたから今があることを知っている。だから些細なことであっても、それが航海中であっても、考え込まずには居られない性分だと仏頂面でいう。 「今回は鼠の被害が少なすぎる。勿論、猫科のケモノが暇つぶしに狩りに勤しんでいるだけかも知れんが‥‥」 「船長? お客さんたち、こっちに‥‥来てないね。何処かに集めたり‥‥も、してないみたいだね」 顔を出した羅波が告げれば、船長の顔は厳しさを増す。 「あ、もう儀が見えるじゃない。えっと‥‥ 中部くらい? 目的地は朱春だよね?」 ここから北東に向かうんですよ、と結夏が話を引き継ぐが、船長は既に聞いていない。扉に手を掛けて船員に声を掛けようとして、あろう事か絶句する。振り向いて艦橋から覗いた甲板と空は、雲こそあるものの、日が差している。 「何があったってんだ‥‥」 顔を見合わせた結夏と羅波、二人が顔を見合わせてから廊下を覗くと。その先には微かにではあったが。「雪」が舞い始めていた。 |
■参加者一覧
恵皇(ia0150)
25歳・男・泰
芦屋 璃凛(ia0303)
19歳・女・陰
羅喉丸(ia0347)
22歳・男・泰
ヘラルディア(ia0397)
18歳・女・巫
葛城 深墨(ia0422)
21歳・男・陰
秋霜夜(ia0979)
14歳・女・泰
神凪瑞姫(ia5328)
20歳・女・シ
モハメド・アルハムディ(ib1210)
18歳・男・吟 |
■リプレイ本文 ●侵食される日常 どこまでも続くと思われた雲海の先に泰儀、ついで陸地を見付けると、秋霜夜(ia0979)は思わず安堵のため息をついていた。航路は概ね安定していたし、空賊も今の所襲ってくる様子は無い。だが念の為と設置されているグライダーを見る度に、落ち着かない気分にさせられていた。 (「勿論乗ってもみたし、空賊船に乗り込むとなったら躊躇しないけど。‥‥航路の途中で放り出されるには、心許無いよね」) その様子に頷いて見せたのは、同じく甲板に顔を出していた恵皇(ia0150)。 「連中も同じこと考えてるだろうな。少なくとも陸の上なら、行方不明でそれっきりってことにはならねえからな」 眉を顰めつつ乗り出して見た地面は遥かに遠く、「羽毛の宝珠」の効果を積極的に試してみたいとは思わないが。その危険と釣り合うだけの物があると、思う者がいるのも確かである。 「そうですね。気を引き締めていかないと‥‥ あれ?」 ほんの僅かであったが、飛空船が傾いた気がした。目印となる河は見えていたが、方向を変えるには未だ少し早い、はず。二人は顔を見合わせてお互いの勘違いでないことに気付くと、霜夜は艦橋へと繋がる伝声管の蓋を開けて交信の合図を送り、恵皇は縁に身を乗り出して船体に見える異常がないか、確認を始めた。 芦屋 璃凛(ia0303)は艦尾の柵に寄りかかり、のんびりと空を見上げて笑っていた。 (「さて、次はなんて聞いてみようかな」) 話が出来る朋友たちとは、お互いの退屈を紛らわす内に打ち解けていた。今では朋友同士も璃凛を通じて、簡単な賭け事をするまでになっている。 「っと、そろそろうちの当番だね。猫又さんとこに顔を出してから‥‥」 暇な時間もあと少し、惜しいかなと思ったのは束の間だった。向き直った先の光景を、璃凛は最初理解できなかった。倉庫へと続く暗い通路には、何か小さなものが舞っている。一つ二つと数を増やしてゆくそれは、だが床に積もることなく消える。ふわりと吹いた風に乗って艦尾の空に流れてきたのは、綿毛のように軽やかな、ただただ白いだけの小さな何か。それは目の前で空に溶けてゆく。 「これって‥‥ 雪? え、っと‥‥」 雪に見えるし、それが溶ける、というのも分かる。だが溶ける傍から宙に消えるとなると、何かが決定的に間違っている。通路も、その出口に設置されている伝声管も、今は『雪』が降っては消えてゆく最中にある。璃凛は躊躇わずに符を構えると、もう片方の手で呼子笛を探った。 『それ』は宙を舞うから、音は立てない。耳を澄ましても、何も感じることが出来ない。だから『それ』が自分の肩に触ったのを感じて振り向くと、顔に貼り付こうとしていた『それ』に自分から突っ込んでしまった。何か良く分からない『それ』は、確かにべたりと顔についているのに、視界を遮らない。だが息は出来ず、声も出せず‥‥ 「っ!?」 神凪瑞姫(ia5328)はそこで目を覚ますと、自分が船室で休憩中だったことを思い出した。ゆっくり体を起しながら、そこが女性陣に割り当てられた部屋であること、他に誰も居ないことを把握する。別に不審に思うことでは無かったのだが、念の為と用心して耳を澄ます。通路を挟んで船尾の方向に当たる客室からは、忍犬の暢気な鼾が聞き取れた。向かいの男部屋からは、無造作に扉の取っ手を回す音が聞こえる。 (「確かに、そろそろ交代の時間だ」) 気のせいかと苦笑いを浮かべた瑞姫は、羅喉丸(ia0347)の声に跳ね起きて扉を開ける。そこに僅かな『雪』が舞うのを認めると、躊躇わずに呼子笛を鳴らした羅喉丸と共に、まずは艦橋へと向かった。 ●目前の怪 一礼して羅波を見送ったヘラルディア(ia0397)は、体の前で軽く手を組み合わせた格好のまま通路を歩き出した。 (「夕食の仕込みを始めるには、少し早いでしょうか? ‥‥いえ、直ぐに取り掛かるべきですね」) 下拵えに必要な手間を考えていたから、踏み出した足を止めたのは、ただ何となく。だがふわりと流れた空気が気になった。通路の両脇には、先ほど羅波が覗き込んでいた小さめの扉。どちらも少し扉が開いていたが、人妖がいるはずの部屋から、微かな鳴き声が聞こえ、それが途切れた。 「失礼致します。如何致しましたのでしょう、ご気分でもお悪いのでしょうか」 そっと、ではあったが躊躇い無く扉を開けたヘラルディアは、床に転がる猫へ慌てず駆け寄った。 折角の倉庫探索も、葛城 深墨(ia0422)の表情は晴れないようだった。宝珠調整用らしき見慣れぬ工具の入った箱を前にしても、上の空で何事かを呟きながら考え込んでいる。 (「朱春か‥‥ 参ったな、事前にもう少し調べておけば良かった」) パタンとその箱を閉じて立ち上がったところで、呼子笛が鳴った。扉を出て右手に向かった深墨は、ほんの数歩進んだ四辻で立ち止まった。笛が鳴ったのは船の前方だが、その直ぐ目の前でヘラルディアが客室に踏み込んだのが見えた。そのまま艦橋を目指すのが取り決めで、途中ヘラルディアに声を掛け手を貸すというのは当然の選択肢と思った。だが右手の通路の先に、何かの気配を感じて向き直る。後ろでは船員らしきものが何かの点検をしているのだろう、場違いな鼻歌が聞こえていた。ヘラルディアが出てくるのを待つべきか、僅かに躊躇したものの。その先に伝声管があったことを思い出すと、深墨は慎重にその先へ進んだ。 呼子笛が鳴る少し前、モハメド・アルハムディ(ib1210)は艦橋で航路図を眺めていた。今のところ中部海岸線を北西に進んでおり、河口にぶつかったところで進路を更に北に向けると聞いている。この先は山岳地帯に難所こそあれ、嵐の壁とは比べるべくも無いとは船員の誰もが口を揃えていた。 (「ナァム、そうでしょう。これまでの旅路を考えれば、時間的にはあとわずかです」) だが羅波が訪れ船長が声を荒げると、ほぼ同時に呼子笛が鳴って瑞姫と羅喉丸が飛び込んできた。甲板に繋がる伝声管からも、交信の合図が送られてくる。そして船長が伝声管の蓋を開けると同時に、ヘラルディアと深墨までもがそれぞれ腕に何かを抱えて飛び込んで来た。 「ラ、どうやら、ここからが正念場のようですね」 モハメドは片眉だけ顰めてみせると、抱えられた猫たちの為に素早く卓を空けた。 ●判明 「船内で『雪』ですか? いえ、むしろ通路は暖かいくらいでございました」 「そういえば寒くは無かったな‥‥ いや、多分動力室に降っていたのは『それ』だと思う」 猫の様子を見る結夏と羅波が尋ねれば、ヘラルディアと深墨がそれぞれ見たこと・感じたことを告げる。羅喉丸と瑞姫も『雪』を見たのは一瞬。少なくとも今、通路で『雪』が降っている様子は無く、動力室の一つには何かが潜んでいるらしい。深墨は細い通路に倒れていた猫と、その先に降る『雪』を見て、単独での接触よりも手当てと合流を選んでいた。 「降ってないなら、とりあえず『雪』は置いておきましょう。まずは璃凛さんとの合流、それから船員さんとお客さんの安全を確保しないと!」 甲板は恵皇に任せて合流した霜夜が意気込めば、固い表情で瑞姫が頷く。直ぐにでも飛び出したい思いを握り締める手は、既に真白くきつく、固まっている。 「休憩中の船員は、途中で捕まえた人に頼んだから、もう来る頃だと思う」 動かない猫を抱えていた深墨は、用心深く反対側の通路で作業中の船員と接触した。だがその辺りの伝声管は直接艦橋まで繋がっていないと聞くと、船室に着くまでに緊急時の手順を確認した上で、一旦船室前で別れていた。そこに残りの船員がいた事も確認している。 「空賊が来ないことは祈るしかないが‥‥ まずは内部をどうにかしないとな。一方向になるかも知れないが、随時連絡頼む」 羅喉丸の問いに、モハメドは深く頷いて答える。 「ラーキン、それではそちらも合図を間違えぬように。そして最善を尽くしてください」 呼子笛とブブセラを軽く鳴らして互いに確認を済ませると、艦橋はモハメドと船長、羅波に結夏が固める。残る一行は、そのまま船内の探索へと移るのだった。 艦橋を出たところで、一行は当直明けで寝付いたばかりの船員たちと擦れ違う。念の為と船員に話を聞いて部屋も改めたが、特に不審なものは出てこなかった。開拓者が使う船室も、同じく何も出て来ない。 艦尾へ向かう一つ目の四辻は、左右には少々入り組んだ細い通路、正面には洒落た作りの扉が両側に五つずつ、賓客用の客室が並ぶ。右手一番奥が人妖のいた部屋。その向かいの部屋に、猫と蝶、金魚鉢が置かれていた。どちらも扉は開いているが、その隙間は細く、中は見えない。一見、何事があるかのようには思えず、事実何も起きていないようだった。皆が見守る瑞姫の耳には、規則正しい動力炉の稼動音、そして忍犬と猫又の規則正しい寝息しか聞こえてこない。 「ここから確認できる範囲に、異常はない。動力室はどちらも無人、忍犬と猫又も無事」 呟く瑞姫はまだ警戒を解かないが、一行は見合わせた、互いの安堵に勇気付けられる。直ちに各々扉に取り付き事情を説明するが、これまでの待遇が良かったためか、それとも単に生来のものか。どの朋友もおっとりした気性で、特に文句を言うでもなく一行に付き従う。だが続く扉に声を掛けたヘラルディアは、背中から羅喉丸とミズチとのやり取りを聞く前に、反応の無さに気付いて扉を開ける。 「失礼いたします。‥‥お客様? 緊急事態です、居られましたら返事を頂けないでしょうか?」 だがその部屋はもぬけの殻、瑞姫の耳にも生物の反応は感じられない。 「何か気になる音を聞いたりしなかっただろうか? こう、乱暴に扉を開け閉めするとか、争う様子とか」 羅喉丸が問いただしてみるが、朋友からの応えは芳しくない。先程羅波が声を掛けていったのが、人妖とミズチの部屋だというのが分かったのが収穫、と言えるかどうかは微妙なところ。 人妖の部屋にも何も無いことを確認して、最後の部屋を覗くと。ひしゃげた猫用の籠が二つと、木箱と一緒に割れた白磁の壷。そして柵に止まって羽を休める蝶が一羽いた。気配を察したのか何度か羽を動かすが、蝶は結局飛びはせず、そのまま動きを止める。最初に気付いてのは、霜夜だった。 「あれ? 金魚鉢割れてるのに、床が濡れてない‥‥」 「本当だ。‥‥うん、音は聞いてる、確かに水が入っていたとは思う」 羅波が餌をやるところを見ていた深墨も、それに同意する。なのに、割れた壷も、その中身が零れたはずの床も、濡れた様子が無い。 「‥‥気を付けてください。木箱の向こう側に反応があります」 近付こうとした羅喉丸が一瞬躊躇った隙に、部屋の端まで走り抜けた瑞姫が木箱の破片を掠め取って反転した。皆の視線を受けるそこには、革製の巾着袋が残っていた。 「それ、金魚の餌だって‥‥え?」 しずしずと歩を進めるヘラルディアが優雅に拾い上げた袋からは、小指の先ほどの歪な瑠璃色の破片が零れる。それを軽く指で摘んでみせると、軽い音を立てて実体を失ってしまう。一瞬黒い瘴気と化すと、それは直ぐに宙に解けて消えてしまった。 「これは、どういうことだ? 魚じゃないにしても精霊の類かと思ってたんだが‥‥」 「話の途中で失礼します。ですがまだ、他にも反応があるようです」 羅喉丸の言葉を遮って、ヘラルディアが奥の壁に眼差しを向ける。だが他の一行は、そこに何かを見ることは出来なかった。 ●尽きたとき 「そーだよな。優雅な空の旅で済むなんて、ある訳無いんだよ‥‥」 知り合った縁も依頼の渦中なら、その勘も信頼に値すると承知していたはず。完全に旋回を始めた甲板で、恵皇は伝声管に飛びついた。 「おい、どうした! 何か不都」 そこまで張り上げた声を止めて、他の伝声管の蓋も開けてから逆に耳を澄ます。全部で三つ、ラッパのような口が付いている金属製の管は、艦橋と左舷前方・右舷前方の動力室に繋がっている。最初に管を叩いて合図を送ってから、用件を伝えるのがこの船の慣わし。それを思い出したから、ではなく。恵皇は、出力を止めた動力室から音が聞こえてこないことに気付いた。向こうの蓋は何度言っても開きっ放しで、常に耳障りな音がしていたものだ。事実、左舷の動力室からは、風切る音、部屋が軋む音、重い物が回る音、様々な音が聞こえている。 「何だ? 宝珠が止まったって、聞こえる音ぐらい‥‥」 そこまで言ってしまってから恵皇は、勢い良く蓋を閉じた上に注意深く握り潰すと、そのまま艦橋に向かって怒鳴る。 「聞こえるか? 右舷の動力がやばい。伝声管に何か詰まっ、違う、何かが伝ってきてるかも知れねえ!」 もどかしげに返事を聞こうとラッパに右耳を寄せた恵皇は。指の形にめり込んだ伝声管から何かが染み出し、それを握り締めていた左手が包まれるのを、感じながらも見て取ることが出来なかった。 「ヤー、船長さん。どこか具合でも悪いのですか?」 艦内見取り図を広げて、伝声管の位置を確認していたモハメドが、相手の顔色が悪いことに気付いて声を掛けた。 「すまんな、これしきの頭痛で根を上げる訳にはいかん。伝声管はこの通り、長さに制約があって艦橋からは前方動力室と甲板だけだ。動力室同士は前後で繋がっていて、後部は艦尾とも繋がっているな」 縦に長い飛空船を思い浮かべ、思ったよりも小さな動力室だったとモハメドは口に出して呟いていた。 「何、その四つは推進用の宝珠だからな。浮力を得るための宝珠は分けると制御が面倒だからな、ここで制御している」 その船長の呟きと同時に、幾つかの事が起こった。 壁を振り向いて指差した船長が、その床に人妖が倒れているのを見つけて驚愕する。 声に釣られて視線を上げた羅波は、艦橋から外へと続く扉は閉まっていることを当たり前のことと受け止めた。 モハメドは、船長が指差した壁にある機器の隙間から、『雪』が零れて舞うのを見た。 結夏は、動力室へと繋がる伝声管の蓋を閉めようと手を伸ばして、不意の手触りに小さく声を上げた。 そして。艦内にいた全員が、絶えず船の中心部で振動していた浮遊宝珠が、その動きを止めたことを感じた。 「‥‥いてて。ってあれ、何かやけに静かだね?」 目を覚ました璃凛は、それ以上をいぶかしむ暇が無かった。 「璃凛! っ、話は後だ、早くグライダーの準備を!」 通路に目を向ければ、瑞姫を先頭に、五人の人影が手に手に朋友を抱えて艦尾に走り込むところだった。そして最終通告を示す、ブブセラが響いてくる。 「は? えと、何?」 聞きたいことは山ほどあったが、奥に舞う白いモノを見つけると、溢れそうになる言葉を飲み込んだ。そして他の皆と一丸となって用意を終えると、四機のグライダーに分乗して、とにかく空に飛び出すのだった。 |