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■オープニング本文 その森には潤いというものが感じられなかった。木々には葉が、地には草が茂っている。だがそれらは露を滴らせる代わりに、淡く軽やかな、雪としか思えないものを降り積もらせていた。吹き上がった風に粉雪が舞う先、覗いた空は透き抜けるように青く、雪が降るような要素は何一つ無い。 ‥‥ただ一つ、人気の無い森に似つかわしくないものが木の虚に引っかかっていた。蓋の開いた木箱と、白磁の壷らしきもの。その広口は鮮やかな千代紙が赤い紐で縛られていたが。その底にはひびが入っていて、封が役に立っているようには見えなかった。 西渦(iz0072)は戻ってきた申請書に目を通すと、そのまま机に叩きつけていた。一枚目に朱書きで「大人数の動員には時期尚早」と記されている。だが調査自体の続行許可は出ており、陰陽寮から調査隊派遣の申し出まで添付されていた。後手に回るつもりは無い様だったが、それでも今一つ、積極性に欠けるとしか思えない。 (「問題は人手なのよね。単独が危険なのは勿論だけど‥‥ 最低でも四人一組。少なくても同時に三カ所、いや四カ所くらいは‥‥」) 通常依頼に倍する開拓者を集めたいのだが、理由に目的と費用、そして肝心の落とし所が決まっていない。 ふっ、と肩から力を抜いた西渦が、机に腰を下ろし掛ける途中でその紙片を見咎めた。 (「二次会? 披露宴? 場所と企画の募集? ‥‥これだ!」) がたん、と蹴った机がたてる音にも足の痛さにも気付かぬ様子で西渦は目を輝かせた。 「出会いの場に付き物の吊り橋理論! 少し危険と隣り合わせの宝探し、世にも変わった新婚旅行、そして御祝儀に罰ゲーム! いける、これなら人が集まる!」 誰にも聞かれなかったことが幸いだったのか不幸だったのか。間もなく高級料亭兼旅館の宿泊券が「景品」として用意され、そして早速、庶務方掲示板に募集要項が貼り出されたのだった。 「あれ、結夏さん。どうしたんですか?」 コクリ・コクル(iz0150)の不思議そうな声に我に返って、結夏(iz0039)は表情を緩めた。 「いえ、その‥‥ おめでたいのは良いのですが、悪ふざけが過ぎるのではないかと思いまして」 依頼書に「魔の森」という単語があるのは分かる。だがそれが庶務方掲示板に、そして半分重ねられるように「宝探し」の依頼書が貼られていると、訳が分からず首を傾げてしまったのだった。 良く見れば、期日も場所も同じ。結夏が知る限り、その辺りは長閑な農村地帯のはずだった。‥‥少なくとも、この春先までは。 「あ、やっぱり西渦さんの依頼? 得意の捜索だし、ボクも頑張っちゃうんだから!」 「俺も声を掛けられたんだが、気楽な依頼と平行ってのが気になってる。二人は何か聞いていないか」 掛けられた声を見やれば、珍しく鎧を着込んで荷を背負った橘 鉄州斎(iz0008)が足を止めて二人に尋ねていた。 「西渦を探していたんだが、ギルドにはいないようだな。見掛けたら一足先に偵察に言ったと伝えてくれ」 荒縄やランタン、それに糧食と言った重装備を見て、コクリは驚いていた。その様子を見た結夏は、誰にともなく呟いてしまう。 「‥‥少し、装備を多めに用意しておいた方が良いみたいですね」 え、と聞き返すコクリから、結夏が新大陸に行っていた間に起きたことを聞き出すと。とにかく西渦を探そうという結論にたどり着き、行き掛けてから「魔の森探索」の依頼書を上に貼り直し、そして駆けだした。 |
■参加者一覧 / 恵皇(ia0150) / 桔梗(ia0439) / 天河 ふしぎ(ia1037) / 礼野 真夢紀(ia1144) / からす(ia6525) / 和奏(ia8807) / 劫光(ia9510) / 琥龍 蒼羅(ib0214) / 羊飼い(ib1762) / 久坂・紅太郎(ib3825) / 長谷部 円秀 (ib4529) / 十 砂魚(ib5408) / 山奈 康平(ib6047) / 黒木 桜(ib6086) / 不知(ib6745) / リカルド・ソルダート(ib6873) / 山羊座(ib6903) / 羽紫 稚空(ib6914) / 射手座(ib6937) / 魚座(ib7012) / シャハマ(ib7081) |
■リプレイ本文 ●分乗前 真夜中に精霊門を潜った一行は、理穴の都「奏生」に着いていた。氏族「冬葛」の地に発生した魔の森までは、小型快速船で約半日と言ったところ。今すぐ出発すれば、朝の内にたどり着けるはずだった。 だが飛空船を待たせても確認したいことがあると、受付に多くの者が詰めていた。理穴の詳細な地図を借り出し、捜索する地域を確認し始めたのは久坂・紅太郎(ib3825)だった。 「配られた地図って、縮尺が結構いい加減だろ? 大体でも、互いの位置を確認しといた方が良いと思うんだよな」 「それだけじゃ、なくて。ギルドで把握していることがあるなら、少しでも、聞いておきたい」 桔梗(ia0439)は職員を捕まえると、思った通り、より分けられていた『雪』に関する走り書きを、十 砂魚(ib5408)と一緒に洗い直す。 開拓者の目的は、それ以外にもまだ合った。 「隊長も、宝探しと聞いたら黙っていられる訳ないでしょ? でも僕だって負けないんだから!」 びしりと天河 ふしぎ(ia1037)に指を突きつけられたコクリ・コクル(iz0150)は、ちょっと困ってしまいながらも心が沸き立つのを認めない訳にはいかない。 「あ、鉄州斎様〜 何かおもしろい、や、新しいことが分かったりしませんでしたかぁ?」 羊飼い(ib1762)は橘 鉄州斎(iz0008)を見つけると、出来る限り殊勝に呼び止めた。良い男を、いや正確な情報を征することが、依頼の解決には不可欠であるという信念に従ってのことだった。 「出発は今日だったのか。‥‥確かに、すぐ伝えておいた方が良いこともあるな」 神楽の都で書類にするよりは優先度が高いと判断すると。鉄州斎は羊飼いを促し、地図を広げる一行と合流する。 「ちょっと、いいか?」 恵皇(ia0150)が、風信術でのやりとりを終えた結夏(iz0039)に声を掛けた。 「えっと、明日の探索の件ですよね? 今ので手配も終わりました、何とか一日なら大丈夫です」 螺鈿の櫛で髪を纏め上げた結夏は涼しげだったが、恵皇は逆に顔が火照るのを感じていた。 「その、なんだ。‥‥えー、返」 おい、とリカルド・ソルダート(ib6873)が呼ぶ声がそれを遮った。がくりと肩を落とす恵皇に、リカルドは素直に済まないと真顔で謝る。 「お受けしても良いですよ、お付き合い」 脇をすり抜ける結夏の口から、小声がこぼれた。締まらねえと無言で首を振っていた恵皇が慌てて視線を上げると。振り返った結夏は真っ赤になりながらも、静かに微笑んでいた。 「何気にやる事、結構あるよなぁ‥‥」 他の班の面々と、不知(ib6745)は広げた荷物を指さし確認していた。ごつりという鈍い衝突音に罵詈雑言が聞こえてくるが、そちらを見ずにため息をついてしまう。 山羊座(ib6903)はそれに気づいた様子はなく、ずっと無言で何度も荷を確かめていた。付き添っていた射手座(ib6937)はその背を、いきなりばしばし叩いてみせる。 「山羊さん♪ 緊張するの、少し早すぎるんじゃな〜い♪」 「そういうきみは、少し無責任な気がするな。ほら、山羊座さんを困らせるなよ」 魚座(ib7012)が助け舟を出すが、山羊座は変わらず目を白黒させるしかない。 「そもそも開拓者に吊り橋理論は無理があると思うけど、この面子では更に難しいだろうね」 からす(ia6525)に声を掛けられても、礼野 真夢紀(ia1144)は意味が良く分からず首を傾げてしまった。 「何も危険が無くても、人が出会えばそこに縁は結ばれるものですよ」 シャハマ(ib7081)の言葉は柔らかかったが、その芯には筋が通っていた。からすは言葉にこそ出さなかったものの、それを邪険にすることなく頷いてみせると。二人を誘いつつ、ギルドの水場へ向かった。 ●雪積森 一の地図には、冬葛の早瀬にほど近い一帯が描かれていた。東から西へと流れる来見川、その南に広がる平原。そして小さな社らしき建物を表す記号が書き込まれた、小さな森。一行がたどり着いたその森には、薄くではあったが『雪』が積もっていた。 「うーん、これは当たりってことなのかな♪」 射手座は問うが、それには誰も答えない。紅太郎は地図と辺りを見比べては顔をしかめながらも書き込みを続けている。魚座と真夢紀は何かを感じ取ろうと目を閉じたり意識を集中させたりしているが、結局顔を見合わせて互いに首を横に振っていた。 「これを『魔の森』といって良いのかな。いや、普通でないのは分かるんだけど」 「そうですよね。瘴気を感じるのも確かですが、アヤカシがいるようには思えないと言いますか‥‥ その、気のせいかも知れませんけど」 最初に動いたのは、それまで一言も発していない山羊座だった。手綱を引いていた相棒を一瞥すると、心得たように姿勢を下げた甲龍の背に、ひらりと跨る。 「社があるのだろう? 空から見つけて降りるのが早いだろう」 事もなく言い放つと、えくすかりばんの首筋を叩く。飛び立とうと身を沈めたところを、別の手と声が抑えた。 「そう慌てる必要は無いんじゃねえか?」 「『雪』がどんなものか、調べてからでも遅くありません。それに周囲から探った方が、手間は掛かるかも知れませんけど安全です」 紅太郎と真夢紀の言葉を吟味する山羊座。射手座は肩を竦めて、連れてきている龍の鞍に寄りかかっている。魚座はどちらに話が転んでも良いように、持ってきた道具を広げ始めていた。 (「危険には思えないのだが‥‥ 先達の言葉を無視するのは、得策ではないのだろうな」) 言葉にしては分かったとだけ告げると、山羊座も荒縄と旗など、測量に必要な道具を取り出す。そして皆で地図を囲んで、改めて作戦を練り始めた。 ●蝉鳴路 二瀬川から、しばらく南に進んだ森の上空。龍に乗っての道行き故、日差しは強いが風は涼しい。 目指す先は、眼下の森が途切れる更に先。森を迂回する二瀬川からの道が、灯実川と早瀬を目指して分かれる三叉路。その二つの道の間が、二の地図に書き込まれた捜索範囲だった。 「理穴は緑が濃いとは聞いていたけれど。‥‥まるで何処も彼処もオアシスみたいね」 シャハマの言葉に連れのナディアも、実を付けた果樹を見つける度に、それを取りに行きたそうに鳴く。 「そろそろ、だな。見える範囲で雪は降っていないが‥‥ どうする?」 このまま進むか、と振り返ったリカルドが大声で皆に問う。 「一旦降りても良いんじゃねえか、急いては事を仕損じるっていうからな。基点の確認を兼ねて一休みってのも悪くねえだろ」 応えた恵皇は、結夏と視線が合うと思わず頬を掻いてしまうのだった。 三叉路には、大きな椚の木が立っていた。些か気の早い蝉が数匹、一声鳴いてはしばらく休み、またしばらくしてから声を上げている。 「この辺りは、大丈夫そうですね」 和奏(ia8807)が緊張を解いた様子に、シャハマはそこで初めて、目の前の相手が張りつめていたことに気付いた。 「確かに雪は降っていないし、虫の気配もあるわよね。それでも、何か気になることがあったのかしら」 シャハマの問いに、和奏は改めて首を傾げた。 「いえ、特にこれという訳では無くて。‥‥その、何となくですが、違うかなと」 言葉にならないもどかしさを、だがシャハマは信じることにした。 「そういうことにしておきましょう。魔の森で無いなら、宝探しと一緒に自然の恵みを頂くのも悪くないというもの」 あとはそうね、集落も気になるわよねと指折り数えるシャハマの楽しげな様子に。最初は戸惑った和奏も、一緒になって笑みを浮かべていた。 ●崩地面 「お前等、ここが魔の森かも知れねえって事、忘れてねーよな?」 黒木 桜(ib6086)の朋友、管狐の伯尾が鼻をひくつかせて木の幹を駆け登る。それを心配そうに見上げる桜の肩に、羽紫 稚空(ib6914)が手を置いて声を掛けようとした所だった。頭上から投げつけられた何かが稚空の頭に命中し、景気の良い音を立てて転る。そして今日既に三度目になる喧嘩が始まったのだった。不知は宥める前に、大きなため息をついてしまう。 「ん? ‥‥もしかして、これか‥‥?」 不知の前に転がってきたのは、手のひらに収まるくらいの、紙の封緘が解かれた木箱だった。中には白磁の壷らしきものの残骸が詰まっていて、蓋の裏には中々立派な箱書きもされている。 「賞品割ってどうすんだよ。頼むから、もう少し後先考えろっての」 「てめぇが桜に手を出そうとするからだろうが!」 白熱する応酬にも慣れてきたのか、桜が間に入るのを幸いと、木箱を調べる不知に砂魚と劫光(ia9510)が近付いた。 「これ、少なくても今回の賞品ではないですの」 封緘を調べた砂魚が断言した。そこには意匠が施されてはいたが、『智里』と読める文字が署名されていた。他にも何か書かれていたが、滲んで良く分からない。‥‥辛うじて、鉢、という文字だけが読み取れた。 「随分と瘴気も染み着いているな。動き出さないのが不思議なくらいだ、割って正解だったかもな」 瘴気を測っていた劫光が唸ると、伯尾が得意げに稚空を見下ろす。だがそれを聞く余裕のない桜は、おろおろしながら二人に声を掛ける。 「伯尾もそれくらいにして? 一緒に謝ってあげるから」 「「そんな必要ない!」」 変なところで、伯尾と稚空の声が重なった。それが互いに気に入らないらしく、険悪な雰囲気は収まる気配がない。 「智里というアヤカシが『溶けない雪』を集めていたって話があったのですの。それに確か鬼が暴れ回っていた時、瓦礫に陶器の欠けらが混じっていたって話もありますの」 「ここに詰められていたのは『雪』で、それが騒動の原因に関わっていると?」 考えられないこともないなとは呟きながら、劫光は腑に落ちない様子で考え込んでしまった。砂魚と不知は顔を見合わせると、劫光の思索を邪魔すまいと、苦笑いしながら騒ぎに目を向けた。だが桜の足下に日差しが反射して見えた瞬間、二人は声を掛ける前に互いの得物を構えていた。 「きゃっ?!」 桜が本気でたしなめようと、腰に手を当てて両足を少し開いた時だった。踏み出した左足が空を切り、思い切り体勢を崩した。慌てて手を伸ばす稚空がその胸に桜を抱き寄せると、その足下の穴にはを砂魚の放った銃弾に続いて、不知が抜き放った苦無が消えた。 「‥‥あん?」 稚空の頭突きも後回しに、穴をのぞき込んだ伯尾が惚けた。真っ赤になって硬直している二人を横目に、猫又の白虎がゆっくり穴に近付く。確かに先ほどまで地面があったように思えたその場所には、大人が足を揃えたよりも大きな、膝ほどまでの深さの穴が開いており。そして底には一匹の蜜蜂が、弱々しく羽を震わせていた。 ●風流雪 四の地図は、白牧とはまばらな木立を挟んだ反対側にある平原を示していた。 「上から見た限り、『魔の森』という感じはしないな」 琥龍 蒼羅(ib0214)が声を掛ければ、山奈 康平(ib6047)も大声で応える。 「ああ。だが杞憂に済んだのなら、それも良いだろうさ。後はアヤカシにさえ気を付けて、存分に宝探しを楽しむってな。‥‥どうした、羊飼い?」 中央を飛ぶ羊飼いは、既に目的を果たしたかのような清々しい笑みを浮かべており、康平には親指を立ててみせる。 「あの丘なら見通しも良いだろう。羊飼い、調べてもらえるか?」 鉄州斎の指示に我に返った羊飼いは、式を放って走査した後、瘴気を回収して場の安全度も測る。 「大丈夫、普通くらいですのん。下草に隠れているのも、東に灌木、西に少し水たまりのような沼くらい。なかなか探し甲斐もありそうなのね」 それは有望だなと頷く康平に、蒼羅は戸惑ってしまう。だが、視界の端に動くものに気付いた時には、既に柄に手を掛けていた。 「ありゃ?」 羊飼いの声に被せたように、蒼羅は刀を抜き打っていた。振り向いた先には綿のような、白いもの。だが不思議なことに、捉えた矢先に形は消え失せ、わずかな手応えさえも残らなかった。辺りを見やれば、まだ数片だが同じものが舞っている。蒼羅は厳しい目線を緩めない。 「風に乗って、流れてきたのだろうか?」 康平は口に出すと、羊飼いに視線を向ける。瞬き一つの間を置いて再び式を編み始めると、一行はしばらく黙って成り行きを見守る。 「わー、この雪! 溶けないくせに、触れない〜」 羊飼いは式を通して間近に観察した『雪』を、回収しようとして驚きの声を上げた。式に掴ませても何ともない『雪』は、羊飼いが構えたヴォトカの空瓶の手元で、跡形もなく消えてしまう。幾度か試してみるものの、結局どれ一つとして瓶に入れることは出来なかった。 「どうする? 風上に向かうか?」 蒼羅の問いには、誰もが否と応えた。 「今回は偵察が優先だろ?」 「地図は、五枚も用意されていますぅ。各々の持ち場を堅守するのが、正しい役割分担というものでぇすよぅ」 康平と羊飼いの表情に、鉄州斎は頭を抱えてしまうが。正論には違いないと呟く仕草に、蒼羅も苦笑するしかなかった。 ●霞平原 五の地図は白牧の一画だった。遠くから見渡す平原は、豊かな牧草に覆われている。合間合間には緑以外の、蓮華の花や木苺といった初夏の風景が覗いて見えた。 「おやつ、確保」 「軽く洗って、お茶と一緒に冷やしておこうか」 人妖の琴音が摘んできた実を受け取ると、からすはギルドの水場で分けてもらった、氷を入れた袋に収めようとした。 「この辺り、少しだけど瘴気が流れてる」 桔梗の言葉に、え、と声を上げたのはコクリだけだった。からすは辺りに気を配りながら、機械式の弦を巻き始める。ふしぎも足を止めると、右手を剣に掛けながら片手で印を結んだ。 「‥‥ほんとだ。この辺り、普通じゃないよ。生き物の気配がない」 慌てるコクリの言葉に、ふしぎが眉をひそめた。からすもそれに気付く。 「動くモノがいない、という訳では無いようだな」 驚き通しのコクリは、瞬きすら出来ない。 ふしぎが何かを見定めたように、左手で斜め前を指し、自分の足を指してから指を三本立てた。 その先は、腰ほどもある草が風に揺れているのみ。目線を向けられたコクリと桔梗も、意識を凝らしたようだったが、首を横に振る。 軽く手を挙げて注意を引いたからすは、視線を落とした。琴音は落ち着いて頷くと、その身を小鳥に変えて宙を舞う。ふらふらと進む小さな影は、だが存外直ぐに、主の元へと戻ってきた。 「木箱! ‥‥符で包まれてた?」 「ううん、封はしてあったけど。あと、聞いていた話より大きめで、多分このくらい」 琴音が一抱えほどあることを示すが、ふしぎには別の事が気になったらしい。 「確かに、何かが草をかき分ける音が聞こえたんだ。間違いないよ」 そうは言っても、確認する術のないからすは首を傾げるのみで、コクリも判断を付けかねていた。桔梗には思い当たることがあったが、それが何を意味するのかが分からない。 「なら、いぶり出すしかないね。木箱を目印に出来ると楽なんだけど。‥‥景品かもしれないと、勿体無いと思うかな」 からすの何処と無くうれしそうな問いに、ふしぎも桔梗も、迷いながらも首を振った。 しばらくの間、無言で緊迫した時間が流れた。目を瞑ったふしぎの手がしばらくして上がり、振り下ろされる。それを合図に放たれたからすの一撃は、一抱えもある牧草を抉って突き抜ける。直ぐに木箱が露わになって吹き飛ぶと、中に収められていた白い壷が、何かにめり込んだように宙に浮かんだまま動きを止めた。そしてそのまま、徐々に何かに覆われていくように、音も無く形を失い始める。 ふしぎの投げた苦無は、それをすり抜けた。からすの狙い済ました一撃も、空を切る。 「それならっ」 桔梗が解術を試みると、その先の景色が一変した。のどかな牧草が広がる一帯にぽかりと切り取られた風景。その先は雪が吹き荒ぶ、真冬の枯れ野があった。溢れ出る瘴気も、半端な密度と量では無く、平衡感覚が狂って視界が傾くのを止められない。身体が前のめりに倒れこむのを覚悟した一行は、だが唐突に感覚を取り戻して踏みとどまっていた。戻した視界の先には、まるで何事も無かったかのように平和な草原に戻っている。 ‥‥それでもそれが偽りの証でもあるかのように。数片の雪が空から降り、それも地に着く前に消えてしまった。 ●了準備 「『雪』は精霊力に反発するのかなって。式は何とも無かったのーよね」 「でもある程度の量が集まると、耐性が付くみたいだね♪」 羊飼いの報告に、射手座が突っ込みを入れる。一の地図に積もっていた『雪』は、踏み歩くと確かに幾らか減りはするものの、完全に消えはしなかった。しかも毒性が生まれるらしく、早々に瘴気に酔ってしまった一行は、その中心部まで探索を終えることが出来なかった。 「二と四の位置には、魔の森はないと見て間違いない。規模はまだ小さいということだろう」 蒼羅が指摘すれば、康平もそれに頷く。 「規模が小さいのは、そうなんだと思う。けど数に関しては、一概には言えない、かも」 「幻か蜃気楼か‥‥ ちょっと厄介だな」 桔梗の呟きに、恵皇が唸る。 「あとは、罠‥‥というには稚拙なんだがな。鬼が落とし穴を掘るとは思えん」 「私の思い当たりにも、陰険さが足りないと思いますですの」 劫光に相槌を打つ砂魚は、逆にその無目的さに首を傾げている。 「それから、人やアヤカシを魅了して操ると。これだけあれば、申請も通る筈。‥‥見てなさいよ、今度こそまともな依頼で追い込んでやるんだから」 ああ、自覚はあったんだという生暖かい視線には気付かない振りをして。西渦は依頼調役としての署名を加えた賞金首の申請書を、意気揚々と陣代に突き付けに向かった。 |