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■オープニング本文 ●事情聴取 「重要なことです。推測でも構いませんから、思い付く限り挙げてください」 東湖(iz0073)の真剣な問いに応えて、伊鈷(iz0122)はこめかみに拳を当てながら、目を瞑って考え続けた。 「意外としっかりした石造りだよ、修理って言っても漆喰を塗り替えるくらいだったんだよ」 教室には何もないと思うと唸る伊鈷を、東湖は筆を構えたまま辛抱強く待った。 「‥‥えと、二階の広間の壁にね。大きな宝珠が埋まってるけど‥‥ それだけだと思うんだよ。錫箕が変な素振りをしていたことも無いんだよ」 伊鈷は詰めていた息を吐いて首を振った。筆を動かした東湖は、そのまま手帳をしばし捲っては考え込む。 「分かりました。念の為に職人も当たりましょう。案内していただけますか」 東湖はぱたんと手帳を閉じると、頷く伊鈷を伴って部屋を飛び出した。 ●不沈の見通し 理穴の氏族「冬葛」で行われた戦いを、西渦は報告書から検討していた。 「三名が重体か。成功とは言い難いけど、でも対策の目処は立ったわよね」 西渦は呟きながら自分に言い聞かせるように、紙に書き付けながら報告書を捲る。 「宗樹と早瀬はもう大丈夫。上空も制圧出来たみたいだから、白牧を残すのみ、と。念の為に巫女さんに至急監視を始めてもらうとして‥‥」 黒幕と呼べそうなアヤカシはいない、というのが西渦の判断だった。智里と言うアヤカシが関わっているにしては、ここ最近の行動が適当すぎる。尤も開拓者と顔を合わせる頃には既に常軌を逸していたとの証言はあるから、どこまで思惑通りに進んでいたか、真相は闇の中ではあった。 「元々アヤカシが少ない地域だったし、集まったアヤカシも蹴散らした所だし。あとちょっとで、何とかなりそうね」 そろそろ休暇でも申請しようかと考えた矢先に。智里の置き土産が発覚したのだった。 ●依り代 「年中霧に包まれた山奥に、白霞寨って学問所が出来たんです」 風信術から聞こえてくる東湖の声に、西渦はそれは知ってると応えて先を促した。 「霧が晴れることがあるにはあるんですが、一週間続けてってのは珍しいという話です。その上、最近『雪』が降り始めたって」 『泰国中部』の『夏』に『雪』と、嫌過ぎる符合に西渦は頭痛を思えて息を詰めた。 「『雪』といっても冷たくなくて、触っても溶けなくて。周囲の村では体調を崩し始めている人もいるみたいです。それで姉さんの話を思い出して、過去の依頼を色々調べたんです」 続けて、と覚悟して先を促した西渦は、それでも思わず呻いてしまった。 「しばらく前に朋友運搬の飛空船が落ちる事故がありましたが、智里という商人が関わっていたそうです。行方不明になっていた人妖は救出されたのですが、ミズチ一体はまだ見つかっていません。それから重要参考人として探していた錫箕さん。えっと土偶ゴーレムさんなのですが、この人もしばらく前から行方不明なんです」 それと、とまだ続く言葉に、とにかく西渦は目を閉じて息を整えた。 「少し前に近くの洞窟でからくりが見つかったんですけど、その回収がまだ終わっていなくて‥‥」 最悪の事態を想像して、西渦の目の前が真っ暗になった。だがそれも一瞬。それらを全て振り払うと、頭の中で優先事項を組み直した。 「結夏さんはそっち? なら捕まえてから‥‥ いえ、こっちに待機してて貰った方が良いわね。白霞寨の見取り図は? 霧を発生しそうな装置があったりは?」 「見取り図はあります。それらしき宝珠もあるみたいですが、元々制御していた様子はありません」 「そう。なら後は付近に出そうなアヤカシと、侵攻路の選定ね。あ、山には入らないように、必要があれば村人も避難させるように」 筆を走らせる音に混じって、返ってきたのは分かりましたという短い言葉。それを聞いて西渦はあっさりと風信術を切った。 「さて、と。ねえ、誰か結夏さん見なかった?」 美味しい珈琲も長期の休暇も、白牧の事も一旦忘れることにして。はっきりしない同僚の答えも脇に置くと、西渦は下書きもなしに新しい依頼書を書き出した。 |
■参加者一覧 / 恵皇(ia0150) / 葛城 深墨(ia0422) / 柚乃(ia0638) / 鬼啼里 鎮璃(ia0871) / 礼野 真夢紀(ia1144) / 皇 りょう(ia1673) / 和奏(ia8807) / 无(ib1198) / 十 砂魚(ib5408) / 羽紫 稚空(ib6914) / 神鳥(ib7276) |
■リプレイ本文 ●進攻準備 「おや、浮かない顔ですねぇ。そんなに『雪』の検査結果、良くなかったのですか」 ふと目を上げた鬼啼里 鎮璃(ia0871)が、難しい顔をしていた无(ib1198)に尋ねた。无は歩みを止めて紙束を机の地図に放ると、考える風に宙を睨んだまま応える。 「あれはアヤカシの残滓ではないか、とな。大した検査も出来なかったという事なんだが、思い当たる節はある」 鎮璃は一目見ただけで資料を扇子で押しやると、無言でその先を促す。一緒に卓を囲んでいた柚乃(ia0638)も、そっとそれを脇に避けて无を目で追う。 「幾つかの容器に分けて持ち帰った『雪』だが、そのほとんどが『消えて』しまっていたらしくてな。確実なのは精霊術にはほとんど耐性が無く、式には反応自体が無い。要は瘴気の塊りだってことだな」 それは確かに、と鎮璃が口を挟んだ。地面の雪は瘴索結界を張った後に消え始めたような気がするし、容器に詰めた『雪』は何度か『閃癒』を浴びているはずだった。 「透明な奴の解明には程遠いと。なるほど、確かに悩ましい結果ですねぇ」 「‥‥でも白霞寨ってところ。まだ魔の森ではないんでしょう?」 柚乃がゆっくりと問えば、无と鎮璃は不意を突かれたように顔を見合わせた。 「だったら、アタシと柚乃に任せておけば良いのよ!」 管狐の伊邪那が柚乃の肩から机に飛び乗ると、得意げに左前足を鼻先で振り回して見せた。 「経路は、やっぱり水路と陸路になるのかなぁ」 葛城 深墨(ia0422)は白霞寨と周辺の地形が書かれた地図を眺めながら呟いた。なら俺は陸路かな、と羽紫 稚空(ib6914)は猫又の白虎と細かい打ち合わせをしている。 「少ない人数を、更に二手に分けてしまわれるのですか?」 礼野 真夢紀(ia1144)のびっくりした声に、皇 りょう(ia1673)が落ち着いて応える。 「戦力の集中は基本だが、時と場合にもよろう。悪路であれば尚更、適度に分かれた方が危険も分散出来ると言うものだ」 目を丸くする真夢紀の背を軽く叩きながら、りょうは深墨に目を向けていた。 「錫箕殿は博識な御仁だ。出来れば事前に話を伺っておきたかったのだが‥‥」 りょうは自分が最後に話をした内の一人と聞いて、そのどこか憎めない知人を案じていた。 「何々、空路は使わないの? 飛空船で直接乗り付けるのも可能なのよ」 途中から話に加わった西渦が、素っ頓狂な声を上げた。 「もっと人数が多ければ、それもありなんだろうな。‥‥あっしとしては、誰かに空路の監視くらいはしてもらいたいもんだが」 神鳥(ib7276)の苦笑交じりの声に、和奏(ia8807)が首を傾げて素朴な疑問を口にした。 「飛空船って、そんな簡単に使わせてもらえるものなのですか」 「どうせ朱春から近くの村までは移動に必要なんだし、その辺は権限とか予算とかでどうとでもなるのよ。‥‥でもまあ、戦闘用のは少し難しいかな」 最後には何とかなると開き直る西渦に、和奏はただそうですかと、にっこり笑った。 「時期も動機も何もかも。‥‥全然合わないですの」 智里の足取りを追っていた十 砂魚(ib5408)は、深い失望を味わっていた。理穴と商人の接点は幾つか掴めたものの、泰儀となると手掛かり一つ見つからない。白牧との共通点という線も、智里という黒幕が絡むと途端に錯綜し始めた。 「‥‥ここは思い切って、逆に考えてみますの」 智里が関わっているから共通点が出てこないとするならば。もし智里が関わっていたこと自体が想定外の出来事だったとしたら。 そう考えると、過去泰儀で起きた幾つかの事件が繋がった。問題は、その共通点。 「現場というか、あの付近では一定方向に風が吹いていたりしませんですの?」 「風、なぁ。‥‥森の方は居ついてた奴だったし、飛空船は甲板にいたから向かい風だったし。どうだったかな」 問われた恵皇(ia0150)は考え込みながらも、同じ現場にいた結夏に話を振った。こちらも難しい顔をしていたが、結局分かりませんと首を横に振る。それでも砂魚は、しばらく考えを検証し続けた。 「現場に着けば分かること、とりあえず置いておきましょうですの」 一応気にして置いてくださいですのと二人には念を押しつつ、砂魚は遅れていた準備に取りかかるのだった。 ●涼やかなせせらぎ 絶叫草とは、冬でも蓬のような葉を茂らせているらしい。だが険しい岩場が続く渓流には、それらしきものは見当たらなかった。 「居ないみたいですねぇ」 「その方が断然良いんじゃないかなぁ」 残念そうな鎮璃の声に、深墨の苦笑いが続く。 一行は次瓶の村に着くと、二手に分かれて進攻を開始した。 手薄になる空路には、あくまで監視として、高空に飛空船が留まることになった。勿論、一般人である船員・西渦以外に、陰陽師の結夏と、砂魚の話を考慮して『あまよみ』が使える実祝が同伴していた。 「状況が変わったらそれを伝えることくらいは出来ると思うわ。大丈夫よ、無理なんかしたくても出来ないんだから」 殊勝なことを言いつつも主砲の撃ち方を船長に聞いている辺り、西渦も中々油断ならない。 「判断は私がしますから」 不安そうな一行は結夏に宥められると。その辺りは割り切って、早速白霞寨に向かうことにしたのだった。 沢は細い分、大した水量ではなくても勢い良く流れていた。不意にそれが恵皇の目に入ったのは、偶然だった。 「なぁ。あの辺り‥‥ ちょっと視てくれねえか?」 わずかに現れる波紋。穏やかな湖面であれば目で追った先にアメンボでも見つけるところだが、ここは急流。しかもその場を動かずに跳ねている様に見えてくれば、それは確実に不自然だった。 不安げに杖を振った柚乃は、そこに瘴気の塊りが跳ねているのが視えた。それだけでなく、先にも同じような反応が幾つかある。 「います。その先にも三つ、四つ‥‥ もう少しいるかも」 「いるね。少なくとも五つ。その場で跳ねるだけ、動く気配は無いみたいだけど」 伊邪那がどうするのよと尋ねる前に、恵皇は踏み込んで拳を突き出していた。真っ赤な波動が水紋の手前で弾ける。ぼろり、と何かが崩れた中には硬質な黒いものが覗いて、そして流れに落ちた。 「‥‥蟹か?」 「あ、この辺りの名物らしいですよ、朽葉蟹。旬は秋って聞いたことがあります」 和奏の場違いな解説を聞きながらも、恵皇は素早く流れてゆく蟹と柚乃を交互に見やる。その黒い小蟹から視線を切って首を振る柚乃を見て、ようやく誰もが息をついた。 「手加減はいらねえみてぇだな」 ごきりと拳を鳴らす恵皇の迫力に、真夢紀は声を掛けそびれてしまった。 一行は恵皇と和奏を先頭に、透明な球を払いながら先に進んだ。少し大きな天然の石壁を登ると開けた場所に出る。そこには水草に覆われた、小さな池が覗いて見えた。 「古酒に漬けてから‥‥ えっと茹でるんだったでしょうか、そのまま食べるのだったでしょうか」 「えーと、柚乃さんに伊邪那さん? さっきは反応、五つって言ってなかったかな」 和奏は最後の跳ねる球を払うと、確かに聞いたはずの朽葉蟹の調理法を思い出そうとしていた。その後ろで、深墨が柚乃と伊邪那に話を振る。水面に動くものは、もういない。だが微かに、辺りで『雪』が舞い始めていた。 「アタシは『動くものは』っていったでしょ。随分移動したし、さっきので五つだし」 間違ってないわよと踏ん反り返る伊邪那を、深墨と柚乃は一緒に宥める。 「まあ、やることに違いは無いだろう。目標は、まあ『雪』が舞う辺りということで」 「はい、无さん」 无は懐から狐のようなケモノを覗かせながら、真夢紀を顧みる。真夢紀はその仕草に軽く吹き出しながら、扇を構え直して前に出た。 符から放たれた透明な式と、扇から打ち出された精霊力。それは互いに別々の塊りを捉えたが、同じことが起こった。透明な何かがぼろりと剥がれ落ちると、弱々しく爆ぜる雷の塊りが露わになる。今にも消え入りそうで、動きは鈍い。 だが一行が動き出す前に何かが、その光景を幾つかの透明な何かが横切った。その後には雪が引き、わずかにその向こう側の景色を歪ませる。 そして場は、更に混迷を極めた。一度動き出したそれらは、互いに互いを狙って水面を飛び回り始めた。 「‥‥このまま、先に進むか?」 共食い結構、と振り返った恵皇に、无は首を振った。 「そうも行かないだろう。最後に残ったアヤカシは、結局こちらに向かってくるものだ」 「瘴気が‥‥ どんどん濃くなってる」 柚乃の言葉に視線を戻すと、その透明な何かは濃密な瘴気を纏い、ゆっくりと捻れながら形を細く長く変えてゆく。 「どうも知性の欠片も感じないのですが‥‥ 手強そうなのは間違いないようですねぇ」 鎮璃が刀を抜き放つと、それを合図に皆は一斉に散開した。 ●洞窟に待ち受けるもの 「絶叫草とは恨みが残っているところに生えるものだと、以前伊鈷殿に聞いた覚えがあるのだが‥‥」 「真夏の山道じゃあ、あんまり役には立たねぇ話だな」 困惑気味のりょうに、稚空は人事のように笑う。 「今回に限ってはそうでもなかろう。あそこをちょっと探ってみろ」 稚空の肩に飛び乗った白虎が指さす先には、かすかながら『雪』が舞っていた。その先には夏草が茂る中、不意にぽっかりと地面が露わになっている。 「この辺りで、以前絶叫草が出たとは聞いていませんの」 砂魚が地図を見ながら、一応問いの形で皆に確認する。 「一回退治すれば恨みも一緒に消えるのか、それとも別の場所に瘴気が集まるのか。あっしには皆目、見当もつかねぇが‥‥」 神鳥の問いに、稚空とりょうは同時に頷く。 「極端に気配がねえ、当たりだろうなっと。確か根っこを抜かなきゃ、害は無いんだっけか」 「そうでないと、志体持ちは大変なことになるという事だな。仕留めるなら一撃でと、助言いただいている」 慎重に草をかき分けて進む三人の後ろで、砂魚は銃を構えて呟いた。 「災いの芽は早めに摘むに越したことはないですの。でもこれは少し、時間が掛かりそうですの」 近くの木立に残った白虎は、仕方なさそうに肩を竦めてみせた。 一行は洞窟にたどり着くまでに、相応の時間を掛けることになった。それでも、都合五体の絶叫草を大した消耗もなく退治していた。 「少し慎重すぎたか? 水路組に先を越されちまうかな」 「軽口はその程度にしておけ。これからも桜を守るためには、生きて帰ることが最優先だろうが」 白虎は稚空の頭をぽかりと叩いて戒める。 「あ、松明はあっしがもちやす」 洞窟の中も霞は晴れていたようだったが、流石に奥までは見通せない。前衛にりょうと稚空と白虎、後衛に砂魚と松明を持った神鳥が並ぶ。 半ばにある広間まで、洞窟に不審なものはなかった。霞にさらされていたためか、前回の報告にはなかった苔の類がわずかに見られるくらいだった。 「‥‥はぁ?」 最初に声を上げたのは、稚空だった。広間の中程に、何やら凹凸のある鈍色の球体が現れた。しかもどうやら、それは腰ほどの位置に浮いている様に見える。 「錫箕殿!」 神鳥が松明を掲げ、砂魚が狙いを付ける中。稚空が振り返る前に、りょうは思わず声を上げていた。それは確かに、土偶ゴーレムの後ろ頭に見えなくもなかった。だがその首から下は何もない。いや良く見れば、何やら光を反射させる透明な球体の上に、土偶の頭が乗っているようだった。 それはゆらゆらと揺れ始めると、透明な球体だけが転がりながら、奥へと奥へと進み始めた。 「‥‥どうすんだ?」 「話を聞く!」 呆れた様子の稚空に反して、りょうの反応は早かった。皆が止める間もなく、それを追って駆け出している。慌てて残る一行もその後に続く。 「錫箕殿、錫箕殿?!」 前後左右に揺れながらも前進を止めない土偶は、りょうの言葉に一切反応を見せなかった。だが通路を抜けて次の間に着くとその場で止まり、くるりと皆を振り返った。しばらく待つが、やはり反応はない。 「ほー、あれが噂の『からくり』かい」 広間の奥には、泰国風の衣装に身を包み、生活の一部を切り取ったような様子で六体の人形が佇んでいた。 だが、何か違和感があった。 「手足? というか体の一部が欠けていますの」 手前のからくりから順に、右肘から先、右足膝から下、頭、左手首から先、左踝から下。そして一番奥の人形は四肢は揃っているのに、その胴体が無かった。どれも部分が欠けているにしては、その姿勢に不自然さはない。それがかえって不自然だった。 その表情はうつろ。わずかに動きは見えるが、感情は読みとれない。 「あっしが思うに、さっさと‥‥」 「そんなことは出来ない! 錫箕殿、返事をしてくだされ錫箕殿!」 やがて。最初は錫箕から、次いでからくりの欠けた部分から、『雪』が舞い始める。 「どうする? 見えないところを狙えば良いのか?」 稚空の言葉に、砂魚の銃声が重なった。弾けたからくりの見えない右手が、その手を振りかぶらせようとしたところで唐突に固まる。ぼろりと何かが零れると、やはりその中にはからくりの手が透けて見えた。 「皆、人を襲うのは本意では無さそうですの!」 弾を込めながら砂魚が檄を飛ばすと。一行はその見えない何かに狙いを定め、刃を振り下ろした。 ●城門前で 雷霊モドキとの戦闘は、終始開拓者側優位に進んだ。分裂はするが簡単に砕け、何より動きが鈍い。それでも地に刺さって砕けた凍る雷槍の一撃は、地を伝って広範囲に炸裂した。予想外の反撃は直撃で無かったからこそ、逆に一行を大きく煽ったようだった。 「氷なのに痛いより熱いって、変なアヤカシだったよねぇ。‥‥深雪さんも悪いね。危ないとこに付き合わせて」 「全くだわ。この貸し、高く付くから覚悟しなさいよ?」 毛繕いに余念がない猫又に、深墨は苦笑を隠せない。 「学問所には不釣り合いな城壁ですねぇ。ほら結珠さん、川はもう終わりですよ」 背中に爪を立てないでくださいという鎮璃の哀願に、一行は思わず表情を緩めてしまう。だが、それもすぐに引き締められた。 沢を登ってようやく見えた城門には、蔦が絡み付いていた。幾本かは地を伝って小鬼らしきものを捕らえ、また幾本かは空に伸びて眼突鴉を貫いている。どれも不格好に不安定なまま、蔦も獲物も薄く凍り付いていた。 そして門の中央には、蕾が一輪が垂れている。まだ小さく固く見えるものの、既に蜜をたたえたかのように透明な滴をこぼしていた。 「こいつは『徒花焔』か? 蔦には覚えがねえが‥‥」 動き始める氷の蔦は、やはり動きが鈍い。だが背後に回り込むような素振りに、恵皇は息を呑んだ。透かさず警告を発する。 「蔦より足下だ! 虎挟みなんか目じゃねえ、根こそぎ搾り取られるぞ!」 蔦とは反対、門の正面に当たる地面に向かって、恵皇は紅砲をたたき込んだ。変哲もない地面が弾けると、音を立ててその跡が氷に覆われた。 「余分な荷物があったらばら撒け、足場になる!」 恵皇の一喝に、无が指に挟んだ幾枚もの符を放つ。広範囲に散った紙片は、その片端から氷に蝕まれ始めた。 「足場にはちょっと頼りないですが、目印にはなりそうですねぇ。深墨さんもお願いできますか?」 鎮璃が足下に刀を突き立てながら促すと、和奏もそれに倣った。二人は素早く、真夢紀と柚乃の手を引いてそこに庇う。 「深雪さん!」 「分かってるわよ。足場に遠すぎるところを狙えば良いんでしょ?」 深墨の肩口に陣取った深雪は、風の刃を遠くの符から早速狙い撃った。 「なかなか手強いですね」 そうは思っていないような口調で、和奏が呟いた。鎮璃も笑みを浮かべながら否定しない。 足場は少しずつ広がっていた。だが少なからず地面からは煌めく破片が舞い、地を穿つ刀や手足にまとわりつく。気がつけばそれは、小さな葉や蔓を形作っていた。 払えば崩れるほどの脆さではあったが、触れられる度に精気を奪われるのが端からでも感じられた。それでも、アヤカシまで回復する恐れのある閃癒は使えない。だから柚乃と真夢紀は歯噛みする間を惜しんで援護に徹した。 「柚乃さん、次は!」 「瘴気が濃いのは‥‥ 右から二番目の符の辺りです! 伊邪那も」 「分かってるわよ、任せなさいって」 伊邪那が答えると同時に、精霊の加護を受けた雷撃は符ごと地面を抉り取っていた。 蔦を払いながら、恵皇は拳の痺れを気合いで吹き飛ばす。 「あと一間合い、なんだがな」 「焦らなくても大丈夫だ。最初よりも動きは鈍くなっている、確かに効いている証拠だ」 无の励ましは嘘では無かったが、楽観すぎた。枝垂れていた蕾が、徐々に天に向かって華を開き始めていた。それはやはり、焔の花弁。広がる炎は、だが絶えず揺らめいては凍り付き、不思議な燐光を放っていた。 「これが見せ物なら、風流なんですけど」 あながち冗談でもない口調の和奏の言葉に、无も同意して見せた。 「良い肴になりそうだがな。このままでは少し、騒々し過ぎる」 違いねぇ、と恵皇が蔦を捌いて嘯いた。 「花びらも飛んでくるからな。燃えるか凍るか分からねえ、ちゃんと避けろよ!」 「難しい注文ですねぇ。僕は少し、迎撃に回りましょう」 鎮璃は二刀を構え直すと、結珠にも声を掛けて巫女二人の前に立ち塞がった。 ●見極め違い 「こっちは色々面倒な事に手間取っちまったからさ。てっきり先を越されたと思ってたんだけど」 決まり悪げに頬を掻く稚空に、无が古酒片手に応じた。 「何、こちらは花見をしていたところだ。惜しかったな、これが結構乙だったんだが‥‥」 どちらも途中で口を噤むと、互いの惨状に肩を竦めた。 城壁は相変わらず堅固で、開いた城門の奥には真白く優雅な雲龍舎が覗いていた。だが肝心の門の扉は打ち壊されていて、辺りの広場もそこかしこに大穴が開いている。花見にしては、随分雅に欠ける有様だった。 「きみらも手当が必要だろう? 進退はその後で決めるとしよう」 少し離れた場所から驚きの声が挙がった。そちらでは水路組が傷の手当てを受けていたが、ようやく現れた陸路組も大概ぼろぼろだった。 「まずはそうさせていただこう。お互い、交換する情報もあろうしな」 りょうは駆け寄って来ようとする柚乃と真夢紀を手で制すると、砂魚と一緒に稚空や神鳥に肩を貸して、茣蓙の敷かれた一画へと足を運んだ。 「からくりと土偶さんは助かるかも知れないのですね?」 実際には意識もなく、身体の一部を破損しているとのこと。だが宝珠の輝きは失われていないと聞いて、柚乃は手当てを続けながらも、ほっと息をついた。 「それは早いところ、また何かに憑かれる前に麓に引き上げるべきかもしれないなぁ」 深墨の口調は軽かったが、言外には余裕がある内にという意が込められていた。都合七体の脱力した人形は、平時でも重荷に違いない。 「あたしも柚乃さんも、まだ余力はありますけど‥‥」 真夢紀は怪我こそ治ったものの、傷み消耗した装備を見やって心配そうな声を上げる。鎮璃はそれを、結珠の背をゆっくりと撫でながら次いだ。 「そうは言っても、依頼の本命はこの先ですしねぇ。冬葛の事を考えても、時は惜しむべきだと思いますよ?」 「子供の使いじゃねえんだ、少なくとも様子見ぐらいしねぇとなぁ」 合わせる顔がねえとは、しかめ面の恵皇の言。 「同感だ。まずはご尊顔を拝してから、その先は臨機応変にといったところだろう」 无が杯を干して立ち上がると。他の皆は様々な表情ながらも、間を置かずに腰を上げた。 雲龍舎は城門の奥、広場の更に先の山肌に沿って、左右に翼を広げるように佇んでいた。中央部は三階建て、両翼は意図的に部屋を小さくしているために、見た目よりも意外とすぐに玄関に着いた。 入り口の真上には寝そべる龍の像が、一行を見下ろしていた。小さな明かり取りの窓が幾つか見えたが、人が入れそうな大きさではない。 建物に入ると正面に階段が、左右には手前側に扉の付いた通路が延びていた。 「左右は教室と寝起き用の部屋。階段は二回折り返して吹き抜けに突き当たっている。そこまでに宝珠の類は無かったと思うのだが‥‥」 りょうが記憶を思い起こす中、柚乃と伊邪那が交互に通路の左右を探る。二人は顔を見合わせてから、一行に向けて首を振った。 「気をつけろよ?」 白虎の注意に、稚空は無言で相手を小突く。 踊り場でりょう、和奏、稚空の三人が順に注意を払いながら、一行は階段を登った。三つ目の階段を登りきると、少し明るい空間に出た。正面には両開きの扉。背後には高い位置にある小さな窓より日が射している。 吹き抜けは、一行が踏み込んでも十分な広さがあった。先頭を歩く恵皇と稚空が扉にたどり着き、手を掛けたところで重い音が響いた。振り返った者は、階段を塞ぐように現れた氷の壁を目にする。その煌めきを疑う前に、空からも何かが降ってきた。雹と言うには大きい、拳大の氷の固まりだった。 「瘴気なんて、感じなかったわよ?!」 「良いから飛び込め!」 怒ったような伊邪那の叫びを、恵皇が扉を蹴り破って遮る。そのまま飛び込む恵皇と、それに続いた稚空と和奏が、唐突に目の前から消えた。 その後に続こうとしていたりょうは、三人が左右の壁に叩きつけられたのを見て取ったが、吹き飛んだ理由には見当が付かなかった。 ●血戦 思い起こすのは冬の朝。あの痛いまでに冷えきった、透明な空気。だが部屋の敷居を跨いだ瞬間感じたのは、息苦しいほどの瘴気の圧力だった。 「なんと禍々しい‥‥」 りょうは言葉を失うが、我に返って反射的に太刀を叩きつけていた。何とか衝撃はそらせたものの、そのまま絡み付いて巻き落とそうとする何かを、慌てて地に向けて振るい落とす。 「何だって‥‥ がっ?!」 踏み込んだ神鳥が、また視界から消える。宙に浮かんだ身体が、今度は勢い良く床に叩きつけられた。 「何が起こっているんですか!」 鎮璃は刃先が透けだした刀を手放しながら小刀を構え直す。 「分からん! が、退路は絶たれたようだ」 「ちょっと大きな雹くらい‥‥」 无の言葉に、振り向いた深墨が絶句する。階段を塞いでいた氷壁がゆっくりとではあるが、身じろぎしながらにじり寄ってくる。 「多分、何かの術です! 閃癒は使えますから、怪我した人は下がって来て!」 「雹はあたしが払ってあげるわよ! でも瘴気は我慢してよね」 雷撃を放つ伊邪那を、真夢紀は頼もしげに見上げた。 「気分が悪い人はあたしに合図してくださいね! でもとりあえずは」 「ああ。あの大宝珠を狙うべきだろうな」 无と真夢紀は頷き合うと。奥の壁に埋め込められた、人の背丈ほどもある宝珠に向かって狙いを付け始めた。 押され通しの、一方的な暴力が吹き荒れていた。広間の奥行きは三十メートルほど。志体持ちにとっては決して長く無い距離だが、踏み込む端から壁に叩きつけられ、何かに捕まれ振り回され、足下から突き上げられて宙を舞う。辛うじて受け止めても、そこから何物かの浸食が始まった。そうなった得物は手放すしかなかったが、幸いなことに人以外は獲物を見なさないらしい。すぐに放り投げられたが、それでも部屋の隅では取り返す術がなかった。 「このままじゃあ‥‥ どっちにしろ、壁につぶされることになりそうだね」 深墨は既に吹き抜けの半ばまで迫っている氷壁と、幾つものへこみと血痕が滴る広間の壁を見比べて独り言ちた。 「そんなの私は御免だわ。さっさと何か考えなさいよ!」 深雪は風の刃を放ちながら叱咤する。深墨は苦笑いしながら、黒髪を靡かせる式を織りあげつつ思案を続けた。 次第に雪が舞い始めた。決して気のせいではなく、息苦しさが増す。それでもようやく、相手の正体が分かり始めた。 雪が浮かび上がらせたのは、氷煌めく巨大な『手』だった。その握り拳は相手を床に叩き伏せ、張り手は軽々と壁まで吹き飛ばす。抜き手は鎧を突き破り、摘まれた得物は凍り始める。 「切りがねえ!」 恵皇が握り拳を避けながら蹴りを叩き込む。その足にまとわりついた氷を裏拳で剥がした。 「それより効いているんですかねぇ。『手』の動き、全然変わらないんですけど」 鎮璃が雷の刃を降り下ろすが、『手』の表面を滑ると、わずかに削っただけで床を穿ってしまう。 「悠長に『手』から、って訳には行かないみたいだな」 「だからといって、宝珠を狙うには『手』が大きくて速すぎます」 无と真夢紀は、最初から大宝珠を狙っていた。『手』が見えるようになってからも、宝珠から延びた二の腕が、そのほとんどを阻んでいた。 「力比べに持ち込むしかないのか?」 「止めておけ! 足食われ掛けただけで瀕死になるんだ、取り込まれたら干からびるのが落ちだぞ」 りょうが覚悟を決めようとするが、恵皇の体験がそれを許さない。 「けれども、このままでは‥‥」 『手』と己の一撃は一瞬しか拮抗しない。和奏の言葉に乱れはないが、焦りが覗く。 その刹那、それまで沈黙したいた銃が鳴った。数瞬だったが『手』の動きが止まる。 「見つけましたの、宝珠の上縁! 他は任せますの!」 皆の視線が集まる先には、確かに両の手のひらに収まるくらいの氷玉が、大宝珠から下がっていた。銃弾の跡には薄く、ヒレのようなものが見えていた。 砂魚のこめかみを、雹が撃ち下ろす。だが既に呼吸を整え終えた姿勢は、寸分も崩れない。 「行きますの!」 小気味良い連射に、先ほどよりも長い沈黙が降りる。それが壊れるわずかな合間に。残る誰もが広間に踏み込み、宝珠に向けて得物を降り下ろしていた。 ●晴れ渡る空 雲龍舎を出ると、雪は勿論、辺りには霞の欠片もなかった。誰からとも無く、石段に腰を下ろす。そこまでが限界だったかのように、誰も動きもしなければ、言葉も出てこなかった。 相当しばらく経ってから、鈍い振動が空から伝わってきた。聞き覚えのある音は、次瓶の村まで乗ってきた飛空船のもの。誰もがそれを理解しながら、一人として顔を上げない。それほどに疲れきっているようだった。 「ちょっと皆さん、大丈夫ですか?!」 飛空船から転がり出てきた実祝は、慌ただしくも一人一人を見て回る。その場で出来る限りの手当てが済んでいることを確認すると、ようやく安堵の息をついた。 「ミズチも助けられたのね? 白牧の方も片が付いたって連絡あったところよ」 上機嫌に降りてきた西渦は、錫箕とからくりの話を聞いて更に相好を崩した。 「大成功じゃないの! 何、湿気た顔してるのよ。賞金首討伐よ、帰ったら賞金山分けじゃないのよ! えと、経費は引かせてもらうけど!」 興奮を隠しきれない様子に、それでも一行は苦笑い以上の反応が出来なかった。 「あの、一つ気になっていることがあるの。ミズチさんと錫箕さん。それからからくりさんたちって、どうなるんですか?」 ぐったりとしたミズチを抱えていた柚乃が、億劫な様子を堪えて西渦に尋ねる。 「そうね‥‥ まずは瘴気感染の疑いがあるから、洗浄処理かしらね。場合によっては廃棄の可能性もあるけど、多分大丈夫だと思うわ」 びくりと体を振るわせた伊鈷を撫でつつ、西渦は笑って続ける。 「誰かに引き取ってもらえるのが良いんだけど、こればっかりは私の一存じゃ決められないのよね」 あなたたちの誰かが適任だとは思うのだけど告げる西渦は、まだ不安そうな伊鈷と目線を合わせた。 「そうそう。霞を晴れちゃったし、寨の名前、新しく考えないとね」 本当だ、と初めて気づいたように驚く伊鈷に。一行はやっと、柔らかな笑みを浮かべることが出来たのだった。 |