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■オープニング本文 ●嵐よりの帰還 絶え間ない風雨が、激しく叩き付ける。 雷光が閃き、鈍い振動が大型飛空船を振るわせた。 「三号旋回翼に落雷! 回転力が低下します!」 「意地でももたせろ、何としてもだ!」 伝声管より伝えられる切迫した報告へ、船長が叱咤する。 その時、永劫に続くかと思われた、鉛色の雲壁が。 ‥‥切れた。 不意の静寂が、艦橋を支配する。 一面に広がるは、青い空。 そして地の端より流れ落ちる青い海をたたえた、天儀の風景。 美しい‥‥と、誰もが思った。 夢にまで見た故郷を前にして息を飲み、拭う事も忘れて涙を流す。 帰ってきた。彼らは、帰ってきたのだ。 嵐の壁を抜け出し、帰郷を果たした無上の感慨にふける事が出来たのは、ほんの僅かな時間。 「物見より報告、前方上空よりアヤカシの群れが‥‥ッ!」 絶望に彩られた一報が、緩んだ空気を一瞬で砕いた。 天儀へ帰り着いた飛空船の進路を塞ぐように、巨大なアヤカシが文字通り、影を落とした。 「かわして、振り切れるか?」 「宝珠制御装置に異常発生。無理です、出力が上がりません!」 「二号、六号旋回翼の回転数、低下!」 悲鳴のような報告が、次々と上がる。 「動ける開拓者は?」 重い声で尋ねる船長へ、険しい副長が首を横に振った。 「皆、深手を負っています。満足に戦える者は‥‥」 答える彼も、片方の腕はない。 それでも、帰り着かなければならない。 旅の途上で力尽き、墜ちていった仲間のためにも。 ●墜つる星 それはさながら、幽霊船のようだった。 嵐の壁を調査すべく、安州より発った『嵐の壁調査船団』三番艦『暁星』。 第三次開拓計画が発令されたと聞き、「我こそは」と勇んだ朱藩氏族の一部が私設船団を組んで探索に出発したのは十月の事。 その船団に属するらしき一隻が、嵐の壁より帰ってきた。 朱藩の南、香厳島から届いた知らせでは、「傷ついてボロボロになった大型飛空船が、アヤカシに囲まれながら飛んでいる」という。 「このままでは海か、あるいは朱藩国内へ墜落すると思われます」 居室より外の見える場所へ飛び出した朱藩国王の後を、説明しながら家臣が追った。 襲っているのは中級アヤカシ『雲水母』以下、それに追従する下級アヤカシ多数。 更に「付近の海にもアヤカシが集まりつつある」という情報も、届いていた。 まるで獲物が力尽きるのを待つかの如く、方々よりアヤカシどもが群がってきている。 「‥‥何をしている」 「は?」 「ギルドへ急ぎ伝えろ! 朱藩、安州よりも可能な限りの小型飛空船を出す。『暁星』を落とすな!」 「すぐに!」 興志王の怒声に、ひときわ頭を深く下げた家臣が踵を返し、すっ飛んでいく。 手をかけた欄干が、ミシリと音を立てた。 大型飛空船の位置はまだ南に遠く、安州の居城から確認出来ないのがもどかしい。 何としても、無事に帰り着かせなければならない。 長く過酷な旅路を、彼らは帰って来たのだから。 ●飛空船と朋友で 神楽の開拓者ギルドでは、朱藩からもたらされた報せに慌しく緊迫した空気が張り詰める。 今しがた遠方の依頼から戻って来たばかりのサムライ・龍風 三雲(iz0015)は、事情を聞いて語気を荒げた。 「マジか! 人手がいるなら早く言えって! 俺が行って長槍で一突きに――」 「もー! だから話は最後まで聞いてよ!」 ばん、と受付卓を叩いたのは、高く結って流した銀髪に丈の短い着物を着た十四、五歳の受付係だ。いつもの無邪気な笑顔は影を潜め、真摯で大人びた受付係の顔で言う。 「相手は空の上。こちらは飛空船で接近する以上、近づきすぎると触手に絡めとられちゃう。術か射程の長い武器‥‥さらに効率を考えて、朋友を主力とした作戦になる。みっくん、龍以外の朋友連れてないでしょ」 「う‥‥高ぇんだよ朋友って!」 「お金あるだけすぐに使っちゃうからでしょ!? ともかく四葉が担当のこの依頼は、朋友連れじゃなきゃだめなのっ。行くなら龍連れの空アヤカシ討伐とか、船員救助の方に回ってよ」 言いながら、四葉はそちらの担当である同僚を眼で探す。 諦めきれない三雲は唸り声を漏らす。他の依頼も重要なのは重々承知しているが、そんな華々しい戦いを置いて他の依頼を受けるのは無念すぎる。大型飛空船と同規模の巨大アヤカシと戦うなど、そうあるものでは――。 「ん、飛空船‥‥? おお、いるじゃねぇか! うちに俺の『相棒』が!」 「お店の飛空船の事!?」 生家である龍風屋で、三雲は飛空船を使った遠方への運送や買付を行なっている。その商用の小型飛空船を戦場に連れて行こうというのだ。 「朱藩から出すだけ出すったって、戦力が多いに越した事ぁねぇだろ?」 「それはそうだけど‥‥」 「お前の言う通り遠くからちまちまやってたら『暁星』が持たねぇ。一気に近づいて、開拓者と朋友の攻撃で『暁星』と雲水母を切り離す」 「そんな事したら、みっくんの飛空船もやられちゃうよ!」 「開拓者である以上、危険は元より承知の上だろ? うちの飛空船に一緒に乗る奴だって、きっとそんくらいわかってるはずだぜ」 三雲を案じる四葉に、彼は真剣な眼差しを向けた。しばらくの睨み合いの末、四葉が折れた。 「わかった。個人所有船の参戦を各方面に通知しておくよ」 「じゃ決まりだ! 余計なもん降ろして、少しでも軽くしねぇとな‥‥乗る奴集まったら、こっち寄越してくれな!」 言いながら、ギルド内の人を分けて出口へ駆けて行く三雲。その背中に、四葉は身を乗り出して呼びかける。 「壊して怒られても知らないからねー!! もう‥‥ちゃんと、無事で帰ってきてよ‥‥」 祈るように呟く四葉の大きな碧色の瞳が不安に揺れた。 ★朱藩船籍の大型飛空船『暁星』救出の為の連動シナリオ、【墜星】。 シナリオ全体としては『暁星』を無事朱藩沖合いに着水させる事が目的。【墜星】タイトルのシナリオ一つ一つの成功が、連動シナリオ全体の成功に繋がります。 ★リプレイは、前方に雲水母を中心とするアヤカシの群れが見え始めた頃から開始します。 |
■参加者一覧
鷲尾天斗(ia0371)
25歳・男・砂
天河 ふしぎ(ia1037)
17歳・男・シ
乃木亜(ia1245)
20歳・女・志
巴 渓(ia1334)
25歳・女・泰
レフィ・サージェス(ia2142)
21歳・女・サ
火津(ia5327)
17歳・女・弓
白蛇(ia5337)
12歳・女・シ
以心 伝助(ia9077)
22歳・男・シ |
■リプレイ本文 ● 火津(ia5327)は自らに結んだ荒縄の逆端を甲板にきつく結び、数度引いて具合を確かめる。 「完全後衛型のまろには邪魔にならんじゃろ〜安全第一じゃ〜」 先んじて龍で空域の確保を行った開拓者達の活躍により、小型の空アヤカシは数を減らしていた。遠く影に見えていた『それ』は、近づくにつれてより明確に見て取れるようになる。 「しっかし、『雲水母』とはよく言ったものだ。でかいなぁ」 つまらなさそうな表情で、鷲尾天斗(ia0371)は呆れと感心の入り混じった声を出す。 「‥‥クラゲの親玉っすね、こりゃ」 その赤髪に友から借り受けた楼港頭巾を被っている以心 伝助(ia9077)は好奇心旺盛で様々な知識を求めているが、これほどに大きな水母はさすがに見た事がない。 まだ距離があるにも関わらず見て取れるその大きさ。百メートルゆうにある『暁星』の上に、それとほぼ同じ大きさの巨大水母が覆い被さっている。 「飛空船での闘いは初めての事。雲水母も初見で御座いますね‥‥ご主人様への良い土産話となりますでしょう」 そう言うレフィ・サージェス(ia2142)はその姿が表すようにジルベリアにてハウスキーパーとして仕えていた。本国で待つ主人の為に開拓者として見聞を広めること。それが今の彼女の仕事である。 「あんな大きなアヤカシが空を飛ぶなんて‥‥」 乃木亜(ia1245)は身体の震えを押さえようと、命綱を結んだミヅチの藍玉を抱きしめる。 アヤカシへの拭い去れない恐怖。だが驚異に立ち向かうためには怖れる自分に打ち勝たなくては。船に乗っている人達には待っている家族がいる──自分と同じ境遇には、させない。 「藍玉、力を貸してね?」 彼女の腕の中、藍玉はその意志に応えるように頬を寄せた。 同じくミヅチを連れた白蛇(ia5337)は自身同様オトヒメにも命綱を結ぶ。 「船から放り出されないためだから‥‥我慢してね‥‥」 白蛇が吹く笛の音が縁を繋いだオトヒメは、笛に似た声で返事を返した。 「幽霊船のような船‥‥その損傷は‥‥あの嵐の壁を生き残った証‥‥無駄には‥‥させないよ‥‥」 意志を秘めた静かな白蛇の声に、天河 ふしぎ(ia1037)が力強く頷く。 「うん。やっと帰ってこれたんだから、無事故郷の土を踏ませてあげたい‥‥それに、この大空を汚すアヤカシは、絶対許さないんだからなっ!」 太陽の光をふしぎのゴーグルが反射する。愛用のそれは、幼い頃出会った憧れの空賊船長から譲り受けたものだ。それ故に、彼の旗にはドクロが描かれていた。彼の言葉に傍らの土偶ゴーレム・花鳥風月は双眸を光らせ同意を表す。 「飛ばされるなよ」 天斗の呼びかけに炎を揺らめかせるのは鬼火玉の焔霊だ。亡き師から引き継いだ相棒は、天斗が命綱を結びつけやすいようにじっとしている。 「三雲! しっかり運転しろよ。触手はこっちでしっかり相手すっから」 伝声管を通して届いた天斗の声に、三雲が返す。 「わかってるって、そっちこそ振り落とされないようにしろよ」 船は加速し、朱藩の船団から抜け出て雲水母を目指す。 「この船は店の備品だしな‥‥墜とさせやせんさ。弁償出来んしなぁ」 巴 渓(ia1334)は飛手を填めた両拳を打ち合わせる。龍風屋には以前手伝いで訪れた縁もあった。 「状況は厳しいが、あの時の闘いよりゃましか。頼んだぜ、相棒!」 鬼火玉のヒートは相棒の気合いに応えて纏う炎を強めくるりと回って見せた。 ● 火津は理穴製の藍弓「朏」に矢を番える。 「弓術師じゃから射程と命中精度はあるからの〜」 雲水母の触手は『暁星』に絡みついているものの、本体と船体とはまだ距離がある。狙うは二つを繋ぐ無数の触手の内の一つ──。 限界射程に入ると同時に、火津は弓弦の音を響かせた。 空を滑る矢が百メートル近く離れた触手に突き立つのを待たずに、火津は矢筒から引き抜いた矢を番える。この船に弓術師は自分一人。距離の離れている間に敵の体力を削れるのは自分しかないのだ。 巨大な身体に比べ触手は細く見えるが、太さは結構なものだ。それでも矢が突き立てば『暁星』船体に伸ばされる触手は少し本体側へ撤退する。 火津に遅れて、射程で劣るレフィと乃木亜の二人も白弓を用意する。 駿龍のレーヴァテインしか持たないレフィは単身闘いに臨む。 「大変申し訳ありませんが‥‥不慣れな武器ですので、気休め程度で御座います」 「いえ、そんな‥‥私の方こそ、役に立つかどうか‥‥」 乃木亜は恐縮しながら、雲水母を二人に任せ周囲に群がる雲水母の縮小版めがけ矢を放つ。 数は減っているとはいえ、まだ雲水母の周囲には水母アヤカシが飛び交っている。乃木亜の矢をくぐり抜けて甲板に飛来した水母が火津に迫った。 「柴丸!」 伝助が踏み込み刀を一閃すると同時に、忍犬が飛びかかった。返す刀で斬りつけるのと同時に柴丸の剛鉤爪が水母の暈を裂くと、水母は瘴気へと崩れ去る。 矢を放ちながら遠巻きに『暁星』と共に北上する雲水母の側面──『暁星』の右舷側へ回り込む。 「行くぜ!」 伝声管から響く三雲の声に、緊張が高まる。 船首が雲水母を向くと同時に速度が増す。近づき迫る壁面の如き雲水母の暈。接近する新手に気づいた雲水母の触手が迎え討たんと起きあがる。 「触手の攻撃圏内に入る‥‥ここからが本番だ」 渓の言うとおり、触手の届く範囲に入れば矢の牽制だけでは道を拓くに追いつかない。 「一気にいきやす!」 甲板の柵に絡もうとした触手に、伝助の気力を込めた斬撃が触手の先を分断する。切り口から先が瘴気へと変じ、雲水母はコポコポと澱んだ水が泡立つような音を立てる。 「いくよ‥‥オトヒメ‥‥」 白蛇に応えオトヒメは胸元に藍の水球を生み出し放つ。高い位置から甲板上へ迫ろうとしていた触手は水弾に弾かれうねる。直後、時間差で白蛇の打ち出した焙烙玉が炸裂した。 「も〜少し働くかの〜」 火津は番えるのも目に留まらぬ内に三本の矢を連射する。後の事を考えて錬力は温存しておきたい。進路を確実に塞ぐ、皆の届かない触手を狙っていく。 無数の触手の中から表皮に棘を持つ触手が下から降り上げられる。 「右に振るぜ!」 三雲の声が聞こえるが早いか船は右に大きく傾ぎ、船のあった位置を棘触手が上へ薙いでいく。 「──っ、他の触手で絡め取ってから来ると思ったけど‥‥」 黒く細身ながら力のある花鳥風月の多腕の一つに支えられながら、ふしぎは体勢を立て直す。 「邪魔をするなっ!」 再び水平になった甲板を数歩蹴り、進路変更により右舷に接した触手へ七尺強ある斬馬刀を横に斬りつけた。花鳥風月も黒い双刀を振るいふしぎを補佐する。 白弓から近接武器へと持ち替えたレフィは船首側へ向けて駆けた。 「道をお譲りいただきます!」 肉厚な斧刃を、長柄の遠心力を生かして振るう。脇から甲板に巻き付く触手を切断する。 既に皆の攻撃で傷んでいたそれは、ぶつりと嫌な音を立てて分断した。先端だけを断った時とは比べものにならないほどの泥濁音が轟き渡る。 「身体の大きさに見合う──悲鳴、と申して宜しいのでしょうか‥‥?」 鼓膜がじんと痛むが、レフィはそれに構わず長柄斧で自らを捕らえようとする触手を受け流す。 「さぁ! どんどん来い! っとも言ってられん状況だからなぁ」 天斗も船首側で長槍「羅漢」を大きく振るい進路に押し寄せる触手を退ける。 白蛇の風馬手裏剣と伝助の飛苦無が水母を穿ち、甲板に落ちたそれに乃木亜が珠刀「阿見」を突き立て止めをさした。 棘触手をかいくぐり左右上下に振れる船は、無数の触手に阻まれながらも着実に本体へと近づいていく。 太い触手はそう簡単に斬り落とせない。断つよりも、まずは怯ませての進路確保を優先する。 軟らかい触手に打撃は効きにくい。ヒートと共に触手や水母の攻撃から仲間や船を護るのに従事していた渓が言う。 「見えたぞ、『暁星』だ!」 船縁から見える斜め下方、蠢く触手の狭間からみえるそれは紛れもなく『暁星』の甲板だった。 ● 三雲は『暁星』の進行方向に沿わせる形で面舵を取りつつ、船窓から雲水母の触手を窺う。『暁星』を捕まえてる触手の一部を、新手の獲物を捕まえる為に離しはじめていた。 「船員救助の船も『暁星』接舷に成功してるみてぇだ。なるべく間隔を一定に保つようにすっから、任せたぜ!」 「承知したでやす!」 返事をした伝助が投じるのは飛苦無三本。そこに鉤爪の一撃を加え、触手を蹴り傍らに着地した柴丸と視線を交わす。二人が相手取る触手は三雲のいる操縦室付近を狙うものだ。 「動力部が落ちたら元も子もないっすから。あっしらで守るでやすよ」 その時火津は甲板と船内を繋ぐ扉の内側にいた。陰陽師である弟が作ってくれた召還符を、僅か開いた扉から放し錬力を送る。 「ケロンタ〜後は頼んだのじゃ〜」 符から放たれた光は三メートルもの蛙へと姿を変えた。身体の大きさはさるものながら、その顔はどこか愛らしささえ感じる。 元来、接近戦を苦手とする火津の前衛を務める護衛役として作られたジライヤである。ケロンタは剛鉤爪を構え果敢に触手へと向かっていく。 「伏せろ!」 天斗の声に、皆身を低くする。飛空挺がぐっと一段下がったその上を棘触手が横薙ぎに掠めた。 速度のある攻撃とは裏腹に、緩慢な動きで元の位置に戻ろうとする棘触手に焔霊が双角骨と自身の角を掲げて攻撃を加える。 焔霊が離れたのを見計らって放たれた白蛇とオトヒメの二本の水柱。さらに炎を纏った天斗の長槍が大上段から打ち込まれる。 再び耳障りな悲鳴と共に、雲水母の触手が一本瘴気へと散った。 「焔霊、よくやった。まだまだ来るが、また頼むぞ」 相棒へ声を掛けながらも、勢いを増す触手の攻撃に備える。 渓は触手の間から甲板に飛び込んで来た小水母に裏拳を当てながら舌打ちする。 「フィールドは甲板、相手は並の大きさじゃない上に伸縮自在‥‥やりにくいな」 触手が締め付けているのか、船体そのものの限界が近いのか、自船の下からは常に『暁星』の軋む音が聞こえてくる。 その音が、さらに増した。触手を数本奪われた雲水母は身体を僅かに回転させ、まだ健在な触手を三雲の船に送り込んで来たのだ。 ふしぎは最も触手が過密な部分で、花鳥風月と共に刃を振るう。 「くっ──三雲、一旦離れて!」 「やってるって! もちっと触手切り離してくれ!」 皆が全力で触手を引き離し、船が距離を取り始めた時。甲板に垂直に伸ばされた触手の前に乃木亜がとっさに割って入る。 「藍玉、退がって‥‥っ」 ガードを主軸に防御重視の構えでいたのが幸いし、何とか受け止め切ったと安堵したのもつかの間。触手はそのまま乃木亜を締め付け持ち上げる。 「あっ!?」 彼女の悲鳴に、ふしぎが即座に反応する。 「花鳥風月、シザーハンドアタッチメント‥‥行けっ、大裂断!」 眼から強い光を放ち第一腕に握った大蟹鋏で斬りつける花鳥風月にレフィと伝助も加勢する。 「乃木亜様、今お助けいたします!」 「こいつ、離すでやす!」 断裂するまで後少しという所で、ふしぎは船縁に迫る触手が仲間に近寄らないよう相手取りながら命じる。 「強力招来‥‥花鳥風月フルパワーだ!」 花鳥風月が複数の腕で掴みかかって引きちぎり、乃木亜は無事解放された。 「す、すみません‥‥助かりました‥‥」 乃木亜は蒼白になった唇を噛みしめ、気遣う藍玉にぎこちないながらも微笑んで見せた。 「‥‥皆、あれ‥‥!」 異変を感じ取った白蛇は精一杯の大声を出した。雲水母の棘触手が四、五本、一斉に突き進んで来たのだ。そのうちの一本は甲板を狙っている。 「‥‥お願い、効いて‥‥っ」 白蛇の水遁とオトヒメの水柱が棘触手を下から煽るように打ち上がる。二本の水柱が触手の軌道を逸らし、反動で船が振動した直後。 どん、と身体が浮き上がる程の衝撃が船を襲った。 ● 命綱をつけていなかったふしぎと渓は甲板の柵に掴まり、船外に投げ出されながらも落下は免れた。 「大丈夫か、ヒート?」 とっさに腕に抱え込んだヒートを先に甲板にあげ、渓は足元に視線を送る。棘触手が掠めた船体の一部が下へ落下していく。しかも二本は未だ船体に突き刺さったままだ。やや傾いだままの船体は微動だにしない。 「まずいな‥‥まずあれから切り離すぞ。紅蓮翼!」 甲板前方に刺さった棘触手が動き出す前にと、天斗は燃える穂先を流れるような軌道で打ち込んだ。 「承知いたしました」 続けてレフィも雲水母に面した柵沿いを駆け、伸びてくる触手を受け流し、払いながら棘触手の破壊に臨む。 「火事は‥‥起きてない、ね。‥‥邪魔、しないで‥‥」 「藍玉も、お願い!」 白蛇とオトヒメ、藍玉は水柱で押し寄せる触手を牽制し、乃木亜も棘触手に斬りかかる。 「三雲さん、大丈夫っすか!?」 「今、触手を壊すからっ」 伝助とふしぎ、花鳥風月が操縦室付近に刺さった触手を討ちに向かい、芝丸、渓、ヒートが触手の追撃から船を護る。 船内では、振動で階段から転げ落ちた火津が身を起こす。 「酷い目に遭うたのじゃ〜。ケロンタ、まろは大丈夫じゃ〜頑張って触手を壊すでおじゃる〜」 ケロンタが大きく両手を広げ、迫る触手を威嚇する。その気迫に動きを鈍らせた隙をついてヒートが突進する。高速で飛翔する彼女の双角骨が右から突き刺さった。 「いいぞ、ヒート! ──はっ!」 左側、より根元に近い方へ渓が放った気功派が炸裂する。反撃してくる触手をかわし、さらにもう一弾。 たまらず上昇し逃れようとした所へ、ケロンタがぐっと身を屈め跳躍した。その勢いのまま突き出した鉤爪で触手を討ち破る。 「やれやれ、こっちも片づいたぜ」 船首側で棘触手を破壊し天斗が息を吐くが、彼の声は雲水母の激しい泥濁音にかき消される。操縦室に突き刺さった棘触手も、ふしぎが突き入れた刃と伝助が打剣で放った飛苦無に崩れ去った。 「これでどうだっ!」 「やったっす!」 ケロンタの巨体が甲板に着地した刹那、船体ががくんと落下した。再び階段から落ちそうになった火津は何とか持ちこたえる。 「なんじゃ〜ケロンタの重さのせいじゃろか〜?」 船はそれ以上落下する事はなかった。下にいる『暁星』にぶつかる直前で雲水母の触手が絡め取ったからだ。 「三雲!?」 ふしぎが穴の開いた操縦室に呼びかける。その声に被せるように、遠くから大筒の発射音が鳴り響く。朱藩の砲術師を乗せた船から雲水母への砲撃だ。 「──ってぇ〜‥‥くっそぉ、こんな大穴開けやがって!」 身を起こし三雲は頭を振った。突っ込んできた棘触手に接触した衝撃で強く打ちつけたのだろう。少しの間気を失っていたようだ。大きな棘が掠めた脇腹からは血が流れ出しているが、気にも留めず舵を取る。 「動力は‥‥やられてねぇな。悪ぃ、そっちどうなってる!?」 「各所からの攻撃で、雲水母様の注意は散漫になってるみたいっすね。今が絶好の機会でやす!」 伝助が伝声管越しに言う通り、雲水母は救助船や砲術師の乗った小型船二隻。『暁星』と併走する形で洋上を行く興志王の超大型飛空船『赤光』からは、砲術師五十人による遠距離射撃も行われている。 「俺達もさんざん触手を傷めつけたからな。そろそろ参ってもらわなきゃかなわんぜ」 渓の言葉に、天斗が苦笑する。 「こっちも結構やられてるけどなあ」 戦い始めてから、一時間はゆうに過ぎている。皆身体の各所に傷を負っている。 「皆で一カ所を狙えば‥‥素早く引き離せると思う‥‥」 白蛇の言葉に乃木亜が頷く。 「ええ。タイミングを合わせて行きましょう!」 折しも自船は『暁星』を捕まえている触手のすぐ脇。痛手を受けて力が籠もっているのか、音を立てて右舷に二つ並んだ旋回翼が弾け飛んだ。 「それ以上の『暁星』への狼藉、お断り申し上げます!」 レフィは振りあげた長柄斧を、その刃の重みと自身の全力を込めて叩き込む。 白蛇もオトヒメと共に水柱を浴びせ、バスタードソードの斬撃に繋げる。 ふしぎが精霊力を通した斬馬刀に紅い燐光が宿る。 「あの船の中では僕の大切な人が、乗員の救助に当たってるんだ、お前なんかに負けるわけにはいかないんだからなっ。‥‥輝け紅き燐光、烈風閃紅斬!」 横に一閃された紅葉散る刀身が放つ真空の刃が触手に刻まれる。 藍玉が水柱で攻撃している間、乃木亜は自らの刀に気力を集中させた。 「お願い、離れて‥‥っ!」 強い想いを込めた一閃に、『暁星』の右舷を捕らえていた最後の触手は瘴気へと還って行く。 「マッタク‥‥いい加減飽きてきたが逃げるのはもう少し後か」 天斗はうんざりした様子で甲板に絡みついた触手に長槍を向けた。 ● 『暁星』右舷の触手は、龍風屋の船に絡んだものを残すのみだ。 しかし触手はゆっくりと船を自身の下へ引き寄せている。その締め上げに船体はずっと悲鳴を上げ続けていた。 三雲はいつでも出力を上げれるよう待機しつつ呟く。 「後少しだ、持ちこたえろよ‥‥!」 甲板からは雲水母本体の下部──触手の根本の向こうに巨大な口が備わっているのが見える。この飛空船程度なら簡単に飲み込んでしまうだろう。 「喰われてなるものかってな」 符水を飲み干しいくばくか傷を癒し触手に駆け出す渓に続き、ヒートもまだやれると言わんばかりに触手に挑みかかる。 天斗と焔霊もまた。 「もうひと仕事、やれるな? 焔霊」 「クラゲ様は、私が防ぎますゆえ‥‥皆様方は攻撃に専念を!」 雲水母を守らんとしてなのか、甲板に集まる小水母にレフィが向かう。 「あっしも助太刀するでやす。行くっすよ、芝丸!」 伝助の呼びかけにひと吠え答え、芝丸は水母を迎え討つ。 「まろの分まで頑張れケロンタ〜」 火津が送り続ける練力を受けて、ケロンタも皆の援護に回る。 「精霊よ、この刃に力を‥‥!」 乃木亜の霊力に青白い光を灯した刃が触手を斬りつけ、その傷に重ねるように刃を突き立てたふしぎが頭上を指さす。 「見て、あれっ!」 それは引き寄せられるに従い近づく触手の根本。離れて見える大きな口とは別に、直径数メートルの口が備わっていた。 「もしかして、あっしらから喰っちゃうつもりっすか!?」 伝助が言うと、花鳥風月が眼から拒否を表す赤い光を発する。 「‥‥その前に‥‥切り離さないと‥‥」 白蛇も手にしたバスタードソードを振るう。焙烙玉が使えれば効率が良いのだが、ここで使っては仲間や船体にも被爆してしまう。 「このままじゃ間に合わん! ハイパーモード、一度しか出来ん芸当だが‥‥」 渓は呼吸を整え身体を覚醒させると同時に甲板を蹴った。 「仲間は俺が、守る!」 甲板に絡んだ触手を踏み台に、渓は触手の根本と口の境を狙った攻撃に気力を注ぎ込む。 三連打が命中し、雲水母は悲鳴を発しながら身を捩る。そのせいで渓の着地点から甲板が逸れて行く。渓は命綱をつけていない。 「届けっ」 伸ばした指は甲板の柵を掠め、離れた。 「‥‥渓‥‥っ」 柵を乗り越えた白蛇が船体を蹴り、落下する渓めがけ跳んだ。 「白蛇! 渓!」 後を追って柵に取り付いたふしぎが身を乗り出し下をのぞき込む。 その先に見えたのは、雲水母から解放されゆっくりと高度を下げていく『暁星』の船影。『暁星』と自船の間には命綱の先にぶら下がる白蛇と、彼女の手をしっかりと握る渓の姿があった。 「悪いな、助かったぜ」 渓の言葉に、白蛇は気にするなという風に首を横に振る。 白蛇を見上げる渓の眼に映るのは雲水母ではなく、青空に漂う夥しい量の瘴気だった。あれだけの巨大アヤカシを倒した達成感に、周囲の船々からも歓声が上がる。 空での激戦を終えて朱藩に戻る船団の後を追うように、龍風屋の飛空船は神楽へと船首を巡らせる。傷ついた船体は遮る物無く注ぐ陽射しを受けて、誇らしげに輝いているように見えた。 |