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■オープニング本文 ● まだ新しい墓の前で一人の女が佇んでいた。 「……さま」 呟いた声は風に千切れて消えてしまう。額には朱で描かれた文様、女はからくりであった。 墓に眠っているのは彼女の主。近江玄という開拓者……だった男だ。 からくりの名は『藤娘』。髪と瞳が藤の花のようだ、と玄がつけてくれたのだ。 主の友人達は「もう少し凝った名前をつけてやれなかったのか」と苦笑したが、藤娘は自分の名が好きであった。 そしてこの名を付けてくれた主のことも。 夏の熱気を孕んだ風が、着物の右袖を翻弄し抜けていく。 藤娘には右腕が無い、それどころか着物の裾から覗く左足も人に似せて作られたものではなく擦り切れた棒であった。 一ヶ月程前、主と共に右腕と左足を失ったのだ。 玄と藤娘は盗賊退治の依頼を受け白糸村という村を訪れた。白糸村は玄の故郷、秋川村に近い。なので解決後、神楽の都に戻る前に久々に家族に会いに行こうと玄が提案する。秋川村には質の良い温泉が湧いているから、山賊退治で負った怪我の療養にも丁度良い、とも。その日は白糸村で一泊し、翌日秋川村へ向け出発することにした。 しかしその夜……。 アヤカシが白糸村を襲ったのだ。 悲鳴に二人は宿から飛び出した。人の流れに逆らい走っていた先では、巨大なイノシシのようなアヤカシが手当たり次第建物を壊し人を襲っている。 玄は藤娘に「村人を安全な場所まで避難させろと」命じ、自分は刀を抜きアヤカシへと向かう。 しかし藤娘は玄の傍を離れる事を躊躇った。アヤカシは一匹、だが怪我を負っている玄には多少荷が重い相手のように見えたからだ。 「開拓者の使命はなんだ!」 力強い玄の叱咤の声が響く。その声に弾かれたように藤娘は村人を連れその場を離れた。 そして村人を避難させ戻ってきた藤娘の目に映ったのは、全身に傷を負った玄の姿。足元に血溜まりができ、刀を握り立っているのが不思議な程だ。 藤娘が加勢に加わってなおアヤカシは手強く、彼女自身も右腕と左足を奪われる。それでも最後は玄の刀がアヤカシを貫いた。 塵となり消えていくアヤカシ。その全てが夜の闇に溶け込んだのを見届けた玄は倒れ、そのまま目を開けることは二度と無かった。 藤娘が墓にそっと手を置く。 「玄さま……」 墓石を撫でる。玄が亡くなり間もなく四十九日。 秋川村では死者の魂は四十九日かけて死者の国に行くと信じられている。 「間もなく私も其方に参ります」 彼の相棒として玄が無事、死者の国に辿り着いた事を見届けたら自分も後を追おうと決めていた。からくりである自分が人間の玄と同じ場所にいけるかは不明だが。 ● そんな藤娘を見ている少年がいた。年の頃は十ほどであろうか。玄の弟の武である。玄の家族は弟の武と母の寧の二人だけ。父は武が生まれたばかりに亡くなったらしい。 開拓者にあまり縁がない二人は、当然からくりにも縁が無い。なので二人にとって藤娘は人間の娘となんら変わらない。それどころか玄の嫁という認識すらあった。特に寧はその思いが強い。だから「貴女はまだ若いのだから、玄の弔いが終わったら新しい人をみつけてくれ」と多少見当違いの気遣いもみせていた。 ともかく武も寧も藤娘が塞ぎがちなのを気にしていた。壊れた腕や足も「もう必要ないから」と藤娘は修理を拒む。そんな様子であるからひょっとしたら藤娘が玄の後を追うのではないか、と心配していたのだ。 だから今日も武は一人墓地へ行こうとする藤娘を見つけ後をつけて来た。そして先ほどの呟きを耳にしてしまう。 「藤姉ちゃんが…!」 嫌な予感は的中した。慌てた武は寧に相談する。 「息子が開拓者になった時から、見送るたびにもう二度と会えないかもしれないと思っていました」 寧の手には藤娘が玄の亡骸と共に届けてくれた形見の刀がある。 開拓者は常に危険と隣りあわせだ、何時死んでもおかしくはない。亡骸と対面することもできないだろう、と覚悟も決めていた。 「でも貴女は、息子を連れて帰ってきてくれた。それだけで十分です。あの子もお藤と一緒に過ごせて幸せだったでしょう」 玄の亡骸と共に現れた藤娘の姿は酷いものであった。陶磁器のような肌も着物も血と土で汚れ、失った足の代わりに棒を括りつけているためにまともに歩く事もできず、片腕もない。最初兄の相棒であった藤娘だと気付かずに、襤褸をまとった案山子かと思ってしまったほどだ。 そんな姿になってまで息子を此処まで連れて帰ってきてくれたのである。感謝の言葉をいくつ重ねても足りない。だからこそ彼女には幸せになって欲しいと考えていた。 「だから息子の事は忘れて、新しい道を行きなさい。玄は後を追われても決して喜ばないでしょう」 二人で藤娘を説得した。しかし彼女は曖昧に微笑むだけで決して「後追いはしない」と誓ってはくれなかった。 「どうして分かってくれないんだよっ!」 耐え切れず泣き出す武に藤娘が「申し訳ございません」と返す。 「どうしてもあの人と共にいたいのです」 迷いの無いまっすぐな瞳であった。 ● そうこうしているうちに四十九日が近づいてきた。 どうしたら藤娘を思いとどまらせることができるか。武はここ数日ずっと同じことを考えている。 「兄ちゃんが助けた村に連れて行ったら、どうだろう?」 兄が命に代えて守ったものを見れば、兄が自分のために死ぬ事を望んでいない事が伝わるかもしれない。しかし武がその村に藤娘を連れて行くことを寧が許さないであろう。 折りしも村の宿に開拓者が来ているという話を耳にした。仕事帰りか湯治のためか目的はわからないがともかく開拓者がいるのだ。 自分や母では藤娘を説得できなかったが、兄と同じ開拓者ならば…と考えた。兄の形見の刀を手に開拓者がいるという宿に向かう。 「藤姉ちゃんを止めてください」 武は開拓者に頭を下げ頼み込む。 「兄ちゃんは困っている人を助けたくて開拓者になったんだ。それなのに自分の大切な人が自分のせいで死んだらきっとすごく悲しむよ」 開拓者に兄の形見だという一振りの刀を差し出した。 本当ならば息子の事は忘れて新しい道を歩んで欲しい、でもどうしても息子を忘れられないというのであればせめてもこの刀を息子と思い、この刀とともに生きて欲しいという寧の願いである。 「兄ちゃんは藤姉ちゃんを置いていったわけじゃないんだ。きっと姉ちゃんの事見守っている。だから……」 藤娘と兄のことを話しているうちに感極まってきたのか、目尻に涙が浮かんでくる。 「…だから、後を追うなんて止めさせたいんだ」 涙が流れる前にぐいと手の甲で拭った。 |
■参加者一覧
菊池 志郎(ia5584)
23歳・男・シ
明王院 浄炎(ib0347)
45歳・男・泰
薔薇冠(ib0828)
24歳・女・弓
サフィリーン(ib6756)
15歳・女・ジ
庵治 秀影(ic0738)
27歳・男・サ
ウルスラ・ラウ(ic0909)
19歳・女・魔 |
■リプレイ本文 ● 主の墓の前で佇む藤娘に声が掛かる。 「あんた、主とずっと一緒に居たいんだってなぁ」 振り返った視線の先に立っていたのは、飄々とした雰囲気の背の高い男。庵治 秀影(ic0738)だ。 「よぉ、からくりの嬢ちゃん」 葉巻を持った手を軽く上げやって来る。 「一緒に土の中にでも入るのかい?」 「ずっとお側にいます、と約束しました」 庵治は「なるほど」だか「ふぅん」だか曖昧に返すと、葉巻をふかす。視線はゆるりと上がる紫煙の先を見てるようであった。二人の間に流れる沈黙。 「なぁ、知っているかい? 人間ってぇのは死んじまったら肉体から離れるんだぜ」 「離れてどちらに?」 「どこに居るか…」 庵治が藤娘の顔を見る。 「あんただって知っているとこさ」 そう言うと庵治は来た時と同じように片手を振り去って行った。 「私も…知っている?」 藤娘の呟きが風に攫われる。 帰宅した藤娘を武が納屋から顔を覗かせて呼ぶ。納屋には武と見知らぬ大柄な男が一人。「明王院 浄炎(ib0347)さん、藤姉ちゃんの体を直してくれるって」と武は嬉しそうに男を紹介した。なるほど明王院の足元には工具や木材から切り出した手、足のようなものが並んでいる。 戸惑う藤娘に明王院は、その厳しい面持ちに笑みを浮かべる。彼の温かさが滲み出るような笑みであった。 「何時までも傷付いた姿のままであったと知れば、主はどのように思うであろうか」 明王院が静かに問い掛ける。 「己が情けない姿を見せたが故に、その様な傷ついた姿であり続ける事を選ばせてしまった…と、己に恥じて悲しむであろうよ」 「玄様は情けなくなど…」 反論は着物の裾から覗く擦り切れた棒に尻窄む。主を失った日のまま、確かに酷い姿であった。この姿を見て主が己のせいで自分が傷ついたままだと自身を責める姿は見たくはない。 「見知らぬ男に身を任す不安はあろうが、治させては貰えぬかな」 視線からも声からも彼の真摯さが伝わってくる。 「主が知る健やかな姿に戻せるとは約束できぬが、それでも手を尽くし、主を辱めぬ程度にはしよう」 何より玄に対して気遣いが感じられる。藤娘は己より大分高いところにある彼の目を見て頷いた。 明王院の背に隠れて武が安堵の息を吐く。 明王院が自ら削り出した手足は木目が露わで元のものと比べ無骨な外見だ。しかし心を込め作ってくれたのであろう、柔らかく丸みを帯び、触れると温もりが伝わってくる。 「明王院殿」 武と入れ替わりに凛とした佇まいの女が顔を見せる。 「部品が足りなければわしの持ち合わせの分も使ってはくれぬか?」 礼を述べる明王院に布に包まれたからくりの部品を渡す。それから藤娘に向き直った。 「おぬしが藤娘か。なるほど…まさしく藤の花のようじゃな」 目を細め笑む女は薔薇冠(ib0828)と名乗った。 「後ほど身形も整えようぞ」 どういうことか、と藤娘が問う前に薔薇冠は「用があるのでまた」と出て行ってしまう。 「では足から直そうか」 明王院が工具を手に取った。 ● 「馬は無事借りれた?」 サフィリーン(ib6756)は菊池 志郎(ia5584)を見つけて駆け寄る。 「はい、一頭お借りすることができました。サフィリーンさんも首尾良く行ったようで何よりです」 菊池 志郎(ia5584)が足を止めて振り返り、彼女の手にある風呂敷包みに視線を向けた。 風呂敷包みから覗いているのは柿の苗木だ。村の農家から分けて貰ったものである。 武の話を聞いた開拓者達は藤娘を玄が守った白糸村に連れて行こうと計画していた。彼が遺したものを彼女に伝えようと思ったのだ。 「後は玄さんのご実家の菊を分けてもらおうかなって」 サフィリーンは武の家の方を見る。 「無事、修理させてもらえてると良いね」 「そうですね。そこは明王院さんにお任せいたしましょう」 菊池も同じように視線を向ける。 納屋では丁度足の修理が終わったところであった。 「立ってみてくれないか」 明王院に請われ、藤娘がゆっくりと立ち上がる。 「違和感などないか?」 一歩、二歩、藤娘が歩く。走るのは難しそうだが歩く分には問題なさそうであった。 「次は腕だな。片腕がないと均衡が取りにくかろう」 藤娘を座らせ肘から下を失っている腕を取る。 「玄殿とはどのような漢であった…」 「あの方は…」 藤娘がぽつぽつと主との思い出を語る。困っている人を見ていると放って置けない性格だったこと、そのためによく厄介ごとに巻き込まれてしまうこと。そして最期の夜のことも。 「玄殿の志、行いは何とも尊く、気高いものだと俺は思う」 作った腕と彼女の腕を合わせ調整する。 「その様な漢が、後を追い死を選んで欲しいと願うであろうか…」 核心を口にした。藤娘も彼らが武か寧に頼まれたのだということに気付いていた。 皆の気持ちは嬉しく思うが、それ以上に玄を失った心の穴が大きい。 「俺には妻と子がいる」 何気ない口調であった。 「俺は玄殿同様に志半ばで死したとしても、心安らかに眠れるだろう」 何故と問い掛けるような藤色の瞳と視線を合わせる。 「妻子が己が志を継いでくれると信じているからだ」 声に込めれたのは確固たる自信。 「そして俺は…」 妻子が健やかに幸せであるように常に側に寄り添い続けようと思っていると、僅かに顔を綻ばせた。 人は死後、肉体を離れて何処に行くか……藤娘の脳裏に庵治の言葉が浮かぶ。 「だからもしも妻が後を追ったとなれば、情けなく、そして悲しく思う」 関節の螺子を調整し、締める。 「完成だ。物を掴んだりはできないが、咄嗟に体を支えるくらいはできるだろう」 そっと袖を手首まで下ろした。 そんな二人のやり取りをウルスラ・ラウ(ic0909)と庵治は外で聞いていた。 「全く健気な嬢ちゃんだねぇ」 俺ぁ嫌いじゃぁねぇけどな、と笑う庵治にウルスラは軽く肩を竦める。 「蕾のほうがいいかな? それだけだと寂しい?」 庭先で武と共に菊を選んでいるサフィリーンの姿がウルスラの視界に入った。 彼女が武の話に乗った理由は他の者と少しばかり違う。 作られた人形に感情のようなものがあることに興味を覚えたのだ。 からくりは初期起動の際に見た人物を主人と認識し、忠誠を尽くすように作られている。だから主人の後を追おうとするのも、他の者の言う事に聞く耳を持たないのも不思議ではない。 でも藤娘には、忠誠と献身だけではない生々しい感情が見え隠れするのだ。 墓地へ行くと言っていた薔薇冠が手に荷物を抱えて戻ってきた。納屋の側にいる二人に気付く。 「好いた相手に会いに行くのなら少しでもめかしこみたいのが女子じゃろうて」 自身の荷物から着替えにと用意した着物などを持ってきたようだ。 「恋慕…か」 呟くウルスラに庵治が「だから健気って言っただろう」と返す。 コアさえあれば永遠に生きる事ができる、それは感情のある者にとって幸せなのか、不幸なのか。 何度も主人を見送る宿命。その度に再起動を繰り返し忘れた方が楽なのかもしれない。 ウルスラは納屋を見上げる。 薔薇冠は武の家の一室を借り藤娘の身形を整えてやる。 「折角明王院殿に手足を直してもらったのだ。身形も整えようぞ。その方がきっと玄殿も喜ぶだろうて」 後追いに関しては触れない。傷ついた藤娘の心を少しでも癒すために笑顔を向け、明るい気持ちにしてやろうとする。 玄から送られたという着物は丁寧に畳み風呂敷に包む。そして肌の汚れを拭う。 新しい手足は馴染んでいるようであった。 持ってきた小袖を着せて帯を締める。白磁のような肌に薄い桃色が映えた。 「綺麗な髪じゃのう」 一房髪を掬い取り、櫛で梳く。 「玄様は…」 この姿を見て喜んでくれるだろうか…と、袖を揺らす。 「もちろんじゃ」 顔に掛からないように側面の髪を結い上げ簪で止めて出来上がりだ。 兄と一緒の頃の藤娘の姿を知っている武ですら驚いたほどに見違えた姿となった。 ● 薔薇冠に連れられ家を出ると、開拓者が全員揃っていた。 菊池が馬の手綱を引いて前に出る。 「白糸村に行きましょう」 菊池の言葉に、藤娘の表情が強張った。 「ごめんね」 小さな謝罪の言葉。お別れした場所に行くの、辛い…よね、とサフィリーンが目を伏せる。 「開拓者の使命はなんだ」 輪の外にいたウルスラが藤娘の前へ進んだ。 「彼はそう言ったんだろう?」 彼にとっての開拓者とは力なき人々も守る存在なのだろう、と。 「彼はそれに従って守ってみせた。あんたがそれに気付かずに失ったものにしか目がいかないのなら」 トンと藤娘の胸を叩く。 「彼の相棒の資格はないよ」 次に手は額へと伸び、からくりの証である朱色の紋様に触れる。 「なら再起動して新しい主を見つければいいんじゃない? 忘れてしまえば、きっと楽になる。 ただ―」 言いかけて言葉を飲み込む。 「まぁ、主が見ようとして見ることが出来なかった光景を見に行ってみようじゃねぇか」 庵治が藤娘とウルスラの肩に手を置いた。 「あんたぁ考えることができるんだろ? 主が何を見ようとしたのかじっくり考えんのもいいんじゃないかぃ」 日が傾きかけた頃、白糸村についた。 手綱を引いていた菊池が馬から藤娘を下ろす。 主が命を落とした場所へと向かう藤娘に開拓者達は着いて行った。 サフィリーンは胸の辺りをきゅと握り締める。 大事な人がこの世からいなくなる痛みを、彼女はまだ知らない。それでも藤娘の強い気持ちが伝わってくる。 だからこそ生きて欲しいと願う。 村の外れで藤娘の足が止まった。しゃがみこんで、そっと地面に触れる。主が命を落とした場所なのであろう。 暫くそうしていた藤娘が何かに気付き視線を上げる。 道の傍らの木の根元に供えられた花。花はまだ瑞々しい。村人が玄のために供えているものであった。 「死者は生者の記憶の中で生きている……さっきの続き。手垢のついた言葉だけどね」 ウルスラが花にちらりと視線を流す。 「だから藤娘さんが死んじゃったら、お互いが大好きで大事だった事が全部…」 なくなってしまう、とサフィリーンがまっすぐ藤娘の瞳を見つめる。 「ねぇ、それでも玄さんの後を追いたいという強い気持ちは何処から来るの」 枯れないように濡らした和紙で包んだ菊を強く抱いた。 「玄さんと一緒に居たから、生まれた気持ちでしょ。玄さんはまだあなたの記憶の中で生きているの。だから後を追ったら…」 続きを口にするのを躊躇うサフィリーンの後をウルスラが受ける。 「玄の二度目の死に一つ近づくってこと」 二度目の死においやりたいの?ウルスラの青い瞳が問う。 「玄様を私が……」 藤娘の瞳が揺れる。からくりは涙を流さない。しかし泣きそうな顔であった。 不意に藤娘の目元を菊池の手が覆う。 「大切な人の姿を思い浮かべてください」 静かな声が告げる。 「これから後を追う、と伝えたらその方は嬉しそうな顔をしてくれますか?」 少し間を空ける。 「そうなら、俺はもう止めない。でも逆に悲しそうならば、貴方の選択は望ましいものではないということです」 藤娘の肩が微かに震えた。 「貴方が後を追ったとしても、彼はずっと悲しい顔のままです」 大切な人を悲しませるのは本意ではないでしょう? 子供を諭すような優しい口調だ。 「玄殿は己が分まで天寿を全うし、健やかに過ごして来た日々を土産話に携えてくれることを願い、側で見守っているのだと思う」 明王院の言葉に菊池が頷く。 「そうして会いにいったら、きっと近江さんは笑って迎えてくれます」 嗚咽が漏れる。 「今は悲しみを我慢しないで、大声で寂しいと言っていいんですよ。寧さんも武さんも俺達も…皆、貴方を支えたいと思っていますから」 「玄さ、 まっ……」 からくりが涙を流さずに泣く。 藤娘が落ち着くのを待ちサフィリーンが菊を差し出した。 「玄さんのお家から頂いてきたの。一緒に供えてあげようよ」 あと柿の苗木も、と風呂敷包みを持ち上げる。 「柿はね手入れがあまり要らないんだって。きっと何年かしたら実がなって子供や小鳥がやって来て楽しんでくれたらって…」 寂しくないでしょ?と。 菊を供え、村人の許可を得て近くに柿を植える。 「ね、藤娘さん…、人はこの世からいなくなってしまっても、消えたりはしないと思うの」 「覚えている人がいれば…?」 藤娘の言葉にサフィリーンは笑顔を向ける。 「だからきっと会いにきてくれると、思うんだよ」 掘った穴に苗木を置く。 「此処にも、藤娘さんにも」 二人は苗木に土をかける。 その様子を仲間たちが見守っていた。 「どうやらわしの大芝居は必要なさそうじゃの」 残念だとぼやく薔薇冠の顔は嬉しそうだ。 白糸村に出立前、薔薇冠は玄の墓を尋ねていた。もしも藤娘の説得が失敗した場合、玄の墓を荒らすことの許可を求めていたのだ。勿論、墓を荒らすことは本意ではない。 だが玄の墓を荒らせば藤娘はきっと自分を憎むだろう。憎しみというのは時として大きな力を生む。それこそ生きる原動力になることもある。 だから悪役を演じてでも藤娘を思い留まらせようと決意していたのだ。「お主が死ねば近江殿を守る事はできぬのじゃ」と。 「どんな名演技が見れたのでしょう」 問う菊池に薔薇冠は片目を瞑る。「お蔵入りじゃ。永遠にな」と。 「今はまだ…ううん、若しかしたらずっと辛いかもしれないけど…」 サフィリーンは、藤娘のこれからの事を考えていた。 「あのね、新しい主は探さなくていいと思う。そんなカラクリがいたって良いよ」 汲んできた水を苗木にたっぷりとかける。 「玄さんを心に思っている武くんや寧さんと一緒に居ることだって」 「稲穂は頭を垂れ、夕餉の準備をする煙が立ち上がり、子供達が走っていく」 唐突な藤娘の言葉。これが主が守った風景。 「主が見たことねぇ光景を見に行くってぇのはどうだ」 庵治がやって来る。 「庵治様、あの時の答えは…」 藤娘が胸の上に手を置いた。「なんのことだったかねぇ」庵治はとぼける。 「天儀は広ぇ」 葉巻で遠くを指した。 「今度はあんたが主を連れて天儀を歩けばいいじゃねぇか」 「はい。私は主の意志を継ごうと思います。玄様に胸を張って報告できるように…」 それは開拓者を目指すということ。 藤娘はサフィリーンを見た。これが先程の彼女の言葉に対する答えなのだろう。 「では本格的に手足を修理する際には良い技師さんを一緒に探しましょう」 菊池は開拓者になりたいという思いを受け止める。 「そしていつか貴方と同じ思いをするどなたかに出会ったら、今度は貴方が支えてあげてください」 「これを…」 藤娘に明王院が精霊が掘られているブローチを手渡した。旅立つ者にお守りとして渡されるものだ。 「今度は神楽の都で会おうね」 サフィリーンが藤娘の手を取る。 風が藤娘の髪を巻き上げ吹き抜ける。藤娘は玄の声を聞いた気がした。 |