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■オープニング本文 ● 新月の晩、闇に一つ灯が燈った。 ラーイーヤー… 伸びのある艶やかな掛け声とともに舞台の端から灯が燈っていく。 淡い光に照らされ、舞台を覆う紅葉が映し出される。 シャン…シャン… 華やかに着飾った女達が神楽鈴を手に舞台の袖から次々と現れた。 『華踊り』…朱藩のとある港街に昔からある神楽舞を祖とする舞踊のことだ。最近では歌劇なども含めた女だけの舞台そのものを指すようになった。 役者は美人揃いで歌も踊りも劇も一流、幻想的で華やかな舞台は男女共に人気がある。 舞台に立つには、『梅座』『桜座』のどちらかの劇団に入り、厳しい訓練を得て認められなくてはならない。 ここ数年の人気は看板役者梅ヶ枝のおかげで梅座が優勢であり、桜座は押され気味であった。 公演は普段は屋内で行われるのだが、桜や紅葉の季節には特別に屋外の舞台で行われる。 今夜は紅葉興行と呼ばれる公演の梅座初日。 舞台の上方に灯が燈る。看板役者登場の合図だ。 「おぉっ……」 客の男が感極まった声を上げる。男の名は邑智六朗、花嫁衣裳から鎧までなんでもご用立て!を旨としている『九十九屋』の主だ。 暗がりから煌びやかな衣装を纏った女が現れた。舞台は二階建だが、暗がりではよくわからない。従って女は天女の如く空を飛んでいるように見える。 「まってましたー!うめ…あれ?」 六郎が首を傾げる。現れた女は梅ヶ枝ではない。 人気の若手真鶴だ。修行時代は梅ヶ枝の付き人をしており、次の看板との呼び声が高い。 「梅ヶ枝はどうしたんだ…」 首を捻る六朗を体格の良い男達が囲む。 「九十九屋の店主だな…」 六郎が返事をする前に「ちょっと来てもらおうか」と腕を取り連れ去って行った。 ● 「六郎様が拉致された?」 九十九屋番頭鈴代はその秀麗な顔を顰めた。心配しているというよりも「厄介ごとを増やしてくれて」そんな呆れが混じった表情だ。 「はい、お助けしようかと思ったのですが、六朗様も抵抗するご様子がなかったので…」 現場を目撃していた奉公人の小鞠が「申し訳ございません」と頭を下げる。 「それで正解。謝罪の必要はないわ。私達は目立つわけにはいかないからねぇ…」 六朗達はとある有力者に仕えるシノビの一族である。六郎はその一族の幹部であり鈴代はの腹心。諜報活動を主たる任務とし、九十九屋というのは表の顔だ。 小鞠は仕事を抜け出した六郎を迎えにいったところ、拉致現場に出くわした。 「理由はなに?」 「梅ヶ枝の白粉に毒を混入した疑いだそうです」 九十九屋は梅座に舞台用の白粉を納品している。梅ヶ枝がその白粉を塗ったところいきなり肌が爛れ呼吸困難に陥ったらしい。 「幸い命に別状がなかったようですが、それは塗った量が少なかったからだと思われます」 白粉の肌馴染みを確かめるために腕に少量だけ塗ったのが幸いした。もしも顔に塗っていたら役者生命どころか命も終わっていたかもしれない。 「それで六朗様が、桜座に頼まれて看板役者を亡き者にするために毒を盛ったと。開演前に梅ヶ枝の楽屋で六郎様の姿を見たという者も…」 「あの馬鹿様はなにをしてるのかしら? ま、命の危険を感じたら逃げてくるでしょう」 でも、と煙管をぎゅっと握り締める。 「その悪評で商売にケチがつくのは別の話…」 鈴代は自他共に認めるお金大好き人間だ。 「小鞠、ちょっと調べてきてくれないかしら?」 ● 役者は共同生活を送っている。当然看板役者もだ。 「梅ヶ枝、気分はどう?」 「花香実さん…」 梅ヶ枝の部屋を一人の女が訪ねた。梅ヶ枝の看病をしていた真鶴が立ち上がる。 女は元梅座の役者。花香実といい、梅ヶ枝と同期で白梅、紅梅と人気を博していたのだが、人気絶頂の時に引退し結婚をした。ちょうど梅ヶ枝の看板就任の時期と重なったため色々と憶測が飛んだものだ…が本人たちは未だ親交がある。 「それにしても命に別状がなくて良かった。それに顔も…」 花香実は、舞台の初日には必ず花を持って応援にやってくる。当然昨夜もだ。梅ヶ枝が好きだという白百合が珍しく手に入ったと持ってきた。 「でも…」 梅ヶ枝は包帯の巻かれた左腕をそっと押さえる。肌は爛れ赤紫に変色している。 「潮時なのかしら…」 舞台には鉛の混じった白粉を使う。肌への密着が良く、亀裂も入りにくいからだ。しかし長いことを使用していると鉛の毒に侵され病を患う。そのため役者達は二十代前半で引退することが多い。梅ヶ枝の年齢は二十七。両座あわせて最年長だ。 梅ヶ枝は恋もお洒落も娘らしい事全て犠牲にし華踊りに打ち込んできた。華踊りを愛していた。可能ならば限界まで舞台に立ちたいと望んでいる。しかしそれは自分の我儘かもしれない。自分の存在を疎ましく思う者もいるかもしれない。 そんな弱気を察したのか真鶴が身を乗り出した。 「そんな、私は梅ヶ枝さんに憧れてこの世界に入ったんです」 真鶴が梅ヶ枝に縋る。 「それに梅ヶ枝さんが引退したら死んだ兄も悲しみます」 真鶴には年の離れた兄がいた。梅ヶ枝のことを新人時代から大変贔屓にしていたらしい。 「そうよ。貴女はまだ舞台に立つ夢を見る私にとっての希望よ」 花香実は、私はもう舞台を降りてしまったけどと微笑んだ。 盆に茶器を載せた小鞠がやってくる。梅座に下働きとして潜り込んだのだ。 梅ヶ枝の部屋に茶を運んだ後、小鞠は玄関先でウロウロしている女性を見かけた。凛とした美人だ。 「雪洞さん?」 先日引退した桜座の看板雪洞だ。雪洞は小鞠に気付くと寄って来る。 「見習いさん? 梅ヶ枝の調子はどうかしら?」 どうして?と問う小鞠に雪洞は苦笑を零す。 「うちと揉めているのは知っているわ。確かに私の代では梅座に勝てなかった。でもね卑怯な手段使って勝ったところで嬉しくもなんともないのよ。後は私の後輩達に託したの」 雪洞は後進の育成を始めたらしい。花束を小鞠に押し付ける。季節外れの白百合。街の園芸家が育てていたものを譲ってもらったとのことだ。花粉の始末もしてある。 「これ見舞い。渡せたら渡して」 それだけ言うと去っていく。 「あら、その百合どうしたの?」 花束を抱えていると真鶴に声をかけられた。事情を説明し座長に報告しに行くと伝えれば「新入りはそうそう座長に会えないわよ。私に貸して」と請け負ってくれる。 その日の夜、再び梅ヶ枝が倒れた。全身が爛れ、呼吸もままならない。 今回も命は取り留めた。 小鞠が部屋を覗くと百合が飾ってあった。昼間、茶を持ってきた時にはなかったものだ。 「花粉?」 そっと忍び込み台に落ちていた粉に触れる。ヒリっと肌が痛んだ。 鈴代は六郎が囚われている時に二度目の事件が起きたのだから、六郎は無実だと訴えたが無駄であった。 「真犯人を捕まえるしかないかしらねぇ…」 自分達ではなく第三者に頼んで。世話が焼ける人だわ…と文句を言いながら開拓者ギルドに向かう。 |
■参加者一覧
黎阿(ia5303)
18歳・女・巫
羽喰 琥珀(ib3263)
12歳・男・志
サフィリーン(ib6756)
15歳・女・ジ
音羽屋 烏水(ib9423)
16歳・男・吟
源三郎(ic0735)
38歳・男・サ
白隼(ic0990)
20歳・女・泰 |
■リプレイ本文 ● 依頼の顔合わせ前夜、黎阿(ia5303)は華踊りの客席にいた。 高嶺の花を自認する舞い手としての純粋な興味、また事件の舞台となった華踊りの世界や舞い手達の想いを直接感じることはできないかと思ったのだ。 手にした扇を閉じる。 舞台に立つ女達は指先、視線にまで気を配り夢の世界を客へ届ける。妥協や手抜きは一切見えない 今宵も看板役者として真鶴が舞台に立つ。 若手の一番手と評される真鶴の舞は黎阿から見ても見事であった。しかし時折客席に向ける顔に笑顔以外の何かが混じる。 それは不本意な形で看板となってしまったためか。 「それとも…」 別に理由が…黎阿の呟きは湧き上がる拍手にかき消された。 ● 「此度は大変なことになりましたな。心中御察ししやす」 梅座、事務所。既に動き始めている仲間達を代表し源三郎(ic0735)が座長達へ挨拶に顔を出していた。 「頼りにしておりますよ」 口調は穏やかだが、二度も起きた事件に怒り収まらずといった様子だ。 「調査と言うことで、目障り耳障りなことも有るかとも思いますが、どうかご容赦下さい」 愛想よく源三郎は頭を下げ、つきましては…と渦中の一人である六朗への面会を取り付ける。 座長の部屋を辞した源三郎を黎阿が待っていた。彼女は梅ヶ枝の治療に向かったのだが、表情を見るにどうにも芳しくなさそうだ。 「梅ヶ枝さんの様子はどうでありやした?」 「顔は女の命、治せずして何が巫女よ…と思ったのだけど」 毒は中々に手強く、酷い腫れは引いたが完全には治すことが叶わなかった。ただ梅ヶ枝が自ら鏡を手に取るほどまでにはなったということだ。 「ある程度回復したことは秘密にしておいて貰う事にしたわ」 犯人は、白粉に毒を混ぜたり役者としても彼女を終わらせようとしているように思えた。無駄に挑発をしたくはない。 「舞台の裏で渦巻いているのは如何なる怨嗟か、或いは妬心か…」 源三郎が頭を掻く。 「どうにも、切った張ったとは勝手が違ってやり難うござんす…」 ただわかるのは華やかな舞台からは思いもつかぬ、心の痛くなる事件であるということである。 「そういった次第でありやして、宜しく願いやす」 源三郎と黎阿から事の次第を聞いた六郎は話し相手もいなく退屈していたところだと快諾する。 「開演前に楽屋に行ったのは事実? 行ったとしたら理由は何かしら?」 「梅ヶ枝さんは初日に新しい白粉を開けるんだがね、在庫がないから急いで届けてくれって」 「梅ヶ枝本人から?」 「下働きが店までやって来たかな。そういやぁ付き人が病かなんかで里に帰っているとか言っていたか…」 「楽屋に行った時間帯と、そん時誰かにお会いしやせんでしたかね?」 「時間は夕七ツ頃。楽屋だからなぁ…そりゃ色々な人がいるさ」 六郎は暫し考え込んでから、花香実と入れ替わりだったと思い出す。 「百合の花束抱えていたな。知ってる? 百合は梅ヶ枝さんの…」 話が長くなりそうなので源三郎が途中で止めた。 「他に何か気付いた点とかございやせんでしたかい?」 「元付き人だからかな。真鶴ちゃんがね、自分も忙しいだろうに梅ヶ枝さんの支度をあれこれ手伝っていたね」 梅座下宿所の廊下に三味線の音が響く。 (「役者を、芸をこのような卑劣な真似で傷つけるとは許せんものじゃなっ!」) 肩を怒らせた音羽屋 烏水(ib9423)が三味線を鳴らす。芸に携わる者として今回の件は見逃せなかった。 女達の「可愛い」だのなんだのという声に気付かず、梅ヶ枝倒れた部屋に向かっている最中だ。 「犯人を必ず捕まえてみせようぞっ」 ぐっと拳を握った音羽屋にやんやと喝采が送られる。周囲を見渡せば娘ばかり。此処は華踊りの役者達が暮らしている場所なのだ。 (「怒りで忘れておった…」) 誤魔化すように咳払いを一つ。何事もなかったかのように近くの少女に声をかけた。 「梅ヶ枝が倒れた時、最初に発見した者は誰じゃろうか?」 真鶴だと、と少女は答える。 白隼(ic0990)は稽古場にいた。 (「華踊りの世界は、私達の立つ世界と少し違う世界なのかしら?」) 研鑽を積む姿は自分と同じように見える。 (「でも少なくとも私達の世界で汚い手で舞踏の場を穢してまで、自分が脚光を浴びようとしたりする人はいないわ」) 舞とは祈りと感謝の気持ちを体を使い表現するものであり、己の心の発露でもある。だから競いあう相手も舞踏を愛する者として互いに認め合っている仲間なのだ。 (「舞踏は舞い手、観客皆で分かち合い楽しむもの…」) 誰かの足を引っ張るものではない。 (「この事件が、舞台の脚光で生まれた影や澱みだとしたら、悲しいな」) 「皆さん、手はちゃんと洗ってね」 朝稽古を終えた舞い手達に石鹸を差し出す。 「流行病に手洗は基本だから」 不思議そうな女達に今回の件は毒虫や流行り病の可能性もあると説明した。 「だから梅ヶ枝さんに接した時の服は念のため消毒するので渡して欲しいの」 と、呼びかけた。それから手帳を取り出す。 「皆さんの中で梅ヶ枝の食事の内容や、見かけたこと無い虫を見たという人はいないかしら?」 呆気に取られた視線に気付いてふと微笑む。 「舞を愛する人が、自ら舞を穢すような事する訳ないじゃない。だからきっと疲れが出て、病に罹っただけなんだと思うの」 そう思うでしょ、と音羽屋に呼ばれ稽古場から出てきた真鶴に同意を求める。 それは犯人を油断させるための演技であったが、白隼の本音でもあった。 「梅ヶ枝が倒れた時、何か言っておらんかったかの?」 音羽屋は現場で気付いたことは無いかなど質問を重ねたが、真鶴は「慌てていたので良く覚えていない」の一点張りだ。 「そういえば華踊り、昨夜初めて見たけどなかなかね」 中央で踊っていたのが貴女でしょう?と黎阿が二人の間に入ってきた。 「緊張してた? 時々浮かない顔をしてたけど」 真鶴は困惑の表情を浮かべる。 「それとも梅ヶ枝の容態が気になった? ねぇ、貴女にとって梅ヶ枝っていうのはどんな女?」 「尊敬する先輩です」 躊躇いのない答え方は見本のようだ。 「梅ヶ枝に憧れて芸の世界に入ったとのこと、その先輩の一大事じゃ。心配なのは当然じゃろう。手間を取らせて悪かったの」 助け舟を出した音羽屋が、部屋に戻ろうとした真鶴の背中に「そういえばお前さんの兄だが…」と声を掛けた。真鶴の肩が強張る。 「兄もまた梅ヶ枝を懇意にしていたと聞く」 「はい、兄と一緒によく華踊りを見に…」 「…っと、すまん。亡くなった方のことを思い出させるのは酷だったじゃろうか」 足早に去る真鶴の肩の力が抜けたのを二人は見逃さなかった。 源三郎は舞台周辺で関係者に聞き込みを始めた。 「些細なことでいいんです。何か気付いた点はありやせんかね」 「怪しい人物は見なかったな」 皆快く話しに応じてくれるのだが、内容は誰も似たり寄ったり。 「花香実の旦那さん?」 古参の裏方が「あぁ」と手を打つ。 花香実の夫は彼女にベタ惚れで毎日花を届けに来たという話を教えてくれる。最初は鬱陶しがっていた花香実もその情熱に絆されて嫁ぐ決心をしたらしい。 でもね、と裏方が声を潜める。梅ヶ枝との競争に負け座を去ったという噂もある、と。 「ま、何年も前の話だからね」 そう言って仕事に戻って行った。 真鶴の兄については思わぬ所で収穫があった。この紅葉興行の舞台の提供者である。彼は梅座、桜座の後援者でもあった。 「彼は熱狂的な梅ヶ枝贔屓だったね」 真鶴の兄、惣一は幼い頃から体が弱くもの静かな青年だったと言う。 「毎日花を届けたりとかですかね?」 「勿論。だが梅ヶ枝は何時も稽古、稽古でどんな男の誘いにも乗らなかったね」 「彼が亡くなったのは病が原因で?」 「風邪を拗らせて、と聞いたが葬式で遺体と対面できずに、首を吊ったのではないかと専らの噂だったよ」 「首吊りとは穏やかじゃあございませんな」 源三郎の神妙な物言いに男も頷く。 花香実の嫁ぎ先である呉服屋には客を装った羽喰 琥珀(ib3263)が顔を出していた。 「これはどーかなっ」 取り上げた反物を自分に合わせる。 「お客様でしたら此方の色味のほうが…」 呉服屋の主、孝雄は羽喰を子供だと馬鹿にせず客として接するような男であった。 「そーいやさ、さっき店の前ですっげー綺麗な人とすれ違ったんだけど…」 花香実の事をさり気なく話題に乗せる。すると孝雄は「私の妻です」と照れる。 「てっきり華踊りの女優さんだと思ったぜ」 驚く羽喰に孝雄は妻が梅座に居たことを話す。そして熱心に通いつめ嫁に来てもらったことも。 (「どーやら夫婦仲は悪くないみてーだなぁ…」) 念のため近所で噂を聞いてみたが、仲睦まじいらしい。花香実がおめでたであるという話も出た。 サフィリーン(ib6756)は下宿所の外で梅ヶ枝の見舞いに来る花香実を待っていた。 先ほどまでいた準備中の会場を思い出す。開演前の胸躍る独特の雰囲気。 (「悲しいな、素敵な舞台なのに…」) 百合の黄色い花粉が付いた指先を擦った。 梅ヶ枝の楽屋には花香実からの百合があった。花の盛りは過ぎ蕾はない。花弁が花粉で汚れている。 花香実の姿を確認すると深呼吸を一度して、声を掛ける。 依頼を受けた開拓者であることを名乗り、六朗を見かけた時間や百合について尋ねた。百合は本数や蕾の有無など楽屋にあったものと矛盾は無い。 「梅ヶ枝さんは踊りにまっすぐすぎて、何か問題を抱えていなかった…かな?」 「私が看板役者争いに負けて結婚した…って噂は聞いている?」 花香実は溜息混じりに話し出す。梅ヶ枝に対する思いを。 結婚した当初は舞台で舞う梅ヶ枝を見るたびに胸が苦しくなった、と。 「でも今思えば負けて当然。私は梅ヶ枝のように全てを捨てて打ち込むことはできなかったの」 それが私の弱さ、と花香実は自嘲する。 「弱くない。花の盛りに引き際を決めるのは勇気がいったと思うの」 身を乗り出したサフィリーンに花香実は目を丸くした。 「それに旦那さまだけの花になるのもとても素敵」 胸の前で両手を組む少女に花香実は「ありがとう、今は幸せよ」とそっと腹部に触れる。 「梅ヶ枝は舞台一筋だったから、泣いた男性も多いはず。熱烈な人がいて稽古場まで来られて酷く怒ったこともあるわ」 ● 一日の終わりに皆で情報を交換する。 「新しい情報はあるかの?」 音羽屋が時系列ごとに情報を纏めていく。 「雪洞は一回目のとき、稽古をしていたと桜座で証言を取れたわ」 黎阿の情報が新たに追加される。 「皆の証言に時間の矛盾は見当たりませんな」 源三郎が同じ時間帯の証言を照らし合わせた。 「ねぇ、雪洞の百合には白い花粉がついていたのよね」 黎阿の問いにサフィリーンが頷く。 「でも花弁を汚すからと花粉は取除いたと雪洞から聞いたわ」 黎阿は雪洞と会った後、百合を譲ってもらったという園芸家の元にも訪れた。 「園芸家のところで見た花粉は黄色…」 花香実と雪洞に譲ったのは同じ品種。 「私は真鶴さんな気がする」 サフィリーンが呟く。 「此処まで来ると雪洞の可能性薄いよな」 羽喰は「罠を仕掛けてみよーか」と提案した。 ● 翌日、花香実と真鶴がいるのを見計らい、羽喰は皆から預かった着物の入った駕籠を運ぶ白隼へと寄って行く。 「悪ぃ、消毒ちょっと待ってもらえるか。ギルドから頼んでおいた染料が明日届くって連絡があったんだ」 わざとらしく声を落とす。周辺では仲間がそれとなく皆の様子を探っている。 「使われた毒に反応するやつ。ほんのちょっとでも反応するから、明日には犯人分かるぜ」 羽喰は悪戯を考え付いた少年のような笑みを浮かべる。 「今日の夜、一旦ギルドに戻って経過報告しておくか」 「梅ヶ枝さんの警備は?」 「犯人もまさか明日捕まるとは思ってないだろーから、油断してるだろ」 羽喰が去ったあと「良かった」と安堵の声があちこちから上がった。内緒話はうまく皆に聞こえたらしい。 その頃サフィリーンは梅ヶ枝の部屋にいた。 踊りの話しとなり、サフィリーンが軽く踊ってみせる。 「踊るの大好き、お客さんが喜んでくれるともっと嬉しいもの」 梅ヶ枝の拍手に応え優雅に一礼をし顔を上げる。 「私も喜んでもらえると嬉しいわ」 梅ヶ枝も調子は大分良くなっているようだ。 「梅ヶ枝さんは体調が戻ったらどうするの?」 質問に梅ヶ枝が表情を曇らせた。 「あ…ごめんなさい」 慌ててお見舞いと称してお香を渡す。 「心配で眠れないかなって。お香を焚くと少し気持ちが楽になるんだって」 お香には『暗くなったらこっそり窓を開けて部屋に入れてください。それまで誰も部屋に入れないで』と書いた手紙が入っている。 皆が寝静まった頃、梅ヶ枝の部屋の襖が開かれた。布を被った人影が忍び込む。懐から小さな袋を取り出すと、その中身を香皿に空けた。 ピーッ 高く細い笛の音と同時に、隣室の襖が開き、羽喰達が現れる。源三郎は毒が飛び散らないように香皿に濡れた布を被せた。 慌てた犯人は懐から短刀を抜くと布団に向かって振りかぶる。しかしいきなり跳ね上がった布団に驚き、呆気なく羽喰に捕えられた。 布団にいたのは黎阿。梅ヶ枝はサフィリーンと共に押入れから現れる。 「邪魔をしないで」 羽喰に捕らわれ叫んだのは真鶴だ。 「どうしてこんなことしたんだよ」 「兄さんの仇…貴女が兄さんを殺したのよ」 真鶴は香皿へと手を伸ばす。それを音羽屋が止めた。 「これ以上芸を傷つけることは許せん」 梅ヶ枝贔屓の惣一は、ある日、次の看板役者選定に向け只管稽古に打ち込んでいた梅ヶ枝を尋ねる。梅ヶ枝にとって看板役者は夢であり目標だ。その稽古の邪魔をされた梅ヶ枝は惣一に「もう二度と自分の前に現れるな。顔を見たくもない」と言い放つ。 その言葉が原因で気鬱の気があった惣一は悩み、そして首を吊ってしまう。 「貴女があんな事を言わなければ」 呆然としている梅ヶ枝にさらに言い募る真鶴を源三郎と白隼部屋から連れ出す。 「どうして? 皆同じ舞台や踊りが好きじゃないの?」 解るけど、解らないよとサフィリーンが頭を振った。皆が少しずつ相手を思いやることができていれば防げていたかもしれない。 「私のせい?」 「ここまで高嶺であり続けたのでしょう。必要なのは誇りを持ち続けられるかよ」 梅ヶ枝に黎阿は言葉を掛けるが手は差し伸べない。 「引退するのもしないもすぐに決める必要はないけどさ、迷いを持ったまま舞台に立つのはどうかと思うぜ」 真鶴が落とした短刀を羽喰は拾い上げた。 夜が明け、全てを説明してから一行は梅座を去る。 「芸によって傷付けられた者が居りゃどうすれば良かったんじゃろうな…… 」 音羽屋の呟きにサフィリーンが振り返った。 梅ヶ枝は再び華と咲くのか閉じるのか、まだ解らない。 (「…私は何処で、何時まで咲けるかな」) ともかく六郎は無事無罪放免となった。 |