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■オープニング本文 前回のリプレイを見る ● 「この度はご迷惑をおかけしました」 無事保護された空木屋店主穂積の息子稔の第一声がそれであった。父との再会を喜ぶでもなく、怖かったと泣くでもなく謝罪である。 朱藩、伊勢原にある開拓者ギルドの一室に稔、ギルド職員大河原、そして稔を救った開拓者達がいた。稔の父穂積と犯人三人はそれぞれ別室である。 稔の誘拐は開拓者が睨んだ通り裏があり、被害者の稔と加害者の康介、清太、佐吉が協力しての偽装誘拐であった。 「理由を話して頂けますか?」 開拓者の一人が促すと稔は今回の事に到った経緯を話始める。 父、穂積が去年の春に再婚した。相手は長い付き合いがある店の旦那の紹介で知り合った初という小唄の師匠。 「亡くなった母の事を思えば諸手を挙げて賛成というわけにはいきませんでしたが…」 妻を喪い塞ぎ込んでいた事を思えば父の再婚は歓迎すべきことだと反対はしなかった。 再婚して間もなく、稔の周辺でおかしな事が起きはじめる。例えば上から物が落ちてきたり、卸したての草履の鼻緒が切れたり、遊びでよく登る庭の木の枝がいきなり折れたり。 一つ一つは普通の事故だが立て続けに起こることはおかしい、と義母の初が邪魔者の稔を消そうとしている可能性も考えた。だがさすがにそれは物語の読みすぎだろうと思いもした。ある日、算塾の帰りのことである。通りを駆ける早馬の前に稔はいきなり突き飛ばされ大怪我を負う。 「その時、義母の元に出入りをしている戸坂という小間物屋を見かけたのです」 初に疑念を覚えた稔は、試しに遊びに行くと初に偽りを伝えてみた。すると教えた場所にガラの悪い男たちがやってきて自分を探すではないか。そして此処に来て初の妊娠である。 「いよいよもって殺されるのではないかと怖くなりました」 父に話しても初の仕業とは信じてもらえないだろう。ギルドに相談することも考えたが、父が息子の思い過ごしだと言ってしまえばそれまでだ。周囲に訴えようとも、新しく来た母に嫌がらせをしていると思われる可能性が高い。何せ初は愛想が良いので評判も良いのだ。 ともかく此処から逃げ出し、身の安全を確保しなくてはと思い立った。 だがそれには先立つものが必要だ。店の金に手を付けるわけにもいかない。どうしようかと思案していたところ稔を康介、清太、佐吉の三人と出会った。初の差し金かとも疑ったが、志体持ちとはいえ子供の稔にあっさりと返り討ちにされるお粗末さ。目的を聞いてみれば空木屋に騙され妓楼に売り飛ばされた娘を取り戻すための金が欲しかった、と。 そこから四人で話した結果、康介らは空木屋を名乗る誰かに騙されたようだということが判明する。 「なんでも戸坂が彼らの村に『空木屋』と名乗ってきた男にそっくりなのだそうです」 村に現れた商人田所と小間物屋戸坂は同一人物らしい。 「その後、三人は途方にくれた様子だったので、今度は僕の方から提案しました」 そして今回の偽装誘拐となったのである。 「そういえば…取引の時一人目つきの鋭い方がいたと思うのですが…」 初が穂積の護衛にと連れて来た角野のことだ。 「義母さんに嘘を教えた際、やって来た男の一人だと思います」 頭巾で顔を隠していたが、あの鋭い視線には覚えがある、と稔は言う。 「お願いです、僕に出来るお礼ならばいたします。僕達を助けて下さい」 稔が開拓者達に頭を下げる。僕達とはどうやら康介達も入っているようだ。 ● 康介、清太、佐吉は憔悴した様子で、とても子供の誘拐なぞできるような雰囲気ではない。実際彼らはそれに関しては反省をしていたし、罰を受ける覚悟もしていた。ただ娘達だけはどうか助けてやってくれと開拓者達に縋る。 「落ち着いて、何が起きたか教えてください」 三人を代表して康介が村で起きた一連の出来事について話した。 「それで薬代を払うために空木屋の田所さんの紹介で望月家に娘さんたちを奉公に出した、と…」 「だというのに娘達は遊郭に……」 康介が膝の上で拳を握る。 「田所さんを紹介してくれた旅人とはどんな方でした?」 「相馬殿と言われる方で、アヤカシとの争いに巻き込まれたとかで顔に刀傷が…」 右目の上から顎辺りまで一文字になぞった。 「近くの村から呼んだお医者様はその後どうなったのでしょう?」 「お医者様にもお薬をと思ったんですがね、村に帰ったら数日も経たずにケロっと治っちまったようで」 「村でも症状が軽い人と重い人がいらっしゃったんですよね?」 「うちはばあちゃんが軽くかかっただけで他は皆無事だったな」 清太が頷く。 「そういえば清太の組は元気な人が多かったなあ。俺んとこは全滅だ。ちょっと良くなったと思ってもすぐに酷くなって…」 村は使用する水場ごとに組を作り、何か起きたときに互いに協力して事にあたれるような仕組みになっているらしい。清太の組は一番被害がなく、最初に発症した家が同じ組にある佐吉のところは尤も酷かった。 「うちのばあちゃんの茶飲み友達に症状が酷い人がいたからなあ、そこから貰ってきたのかもしれない」 「酷い方でも薬を飲めば一発で?」 「体力戻るまでは時間がかかりましたがね、一晩…いや二晩過ぎた頃には症状は治まってました」 街についてからの経緯は稔の話と同じである。 娘を妓楼から買い戻すためにまとまった金が欲しかった。自分達を騙した空木屋からならば多少頂いたところで問題ないだろう、と。ただ稔を傷つけるつもりはなかったらしい。 ● 「病ってそんな直ぐに治るものなのでしょうか?」 廊下で大河原がぽつりと呟く。 「小さな村だというのに無事な家族もいるというじゃないですか」 あれから大河原は康介達に村のどのあたりに患者が多かったかなど確認していた。 「お医者様も来てすぐに感染するほど酷い病がね…。それに薬があるってことは他でも流行しているのでしょうか」 それから声を潜める。 「多分開拓者さんが小間物屋を見たという妓楼『梅青楼』が村の娘さん達が連れて行かれたところだと思うのですがね、悪い噂が多い店なんですよ。強引な手段で人買いをしているとか年端も行かぬ娘に客を取らせたりとかね」 伊勢原では成人前の子供が客を取る事を禁じている。ただ証拠がないので奉行所も踏み込めないのだ。 「稔さんのことはともかく、証拠がないんですよね…。康介さん達の言い分には…」 最初から妓楼に売るという話の可能性も無いとは言い切れない。何せ康介たちは口約束だけで証文を交わしていないのだ。 「初さんに関しては皆さんが稔さんを殺害して欲しいと言っていたというのを聞いているので強引に話を聞くこともできるのですが…。初さんが捕らえられたら、梅青楼は警戒しますよねぇ。となると…最悪…」 娘達を殺害しどこかに捨て、知らぬ存ぜぬを通すかもしれない。 「できれば梅青楼は奉行所の協力を得て一網打尽にしてしまったほうがいいのかもしれません…」 |
■参加者一覧
佐上 久野都(ia0826)
24歳・男・陰
朱華(ib1944)
19歳・男・志
羽喰 琥珀(ib3263)
12歳・男・志
カメリア(ib5405)
31歳・女・砲
佐長 火弦(ib9439)
17歳・女・サ
トリシア・ベルクフント(ic0445)
20歳・女・騎 |
■リプレイ本文 ● 早朝、竈に火を入れる頃、トリシア・ベルクフント(ic0445)は空木屋を訪れた。 「坊ちゃまが無事で良かった…」 トリシアがまだ開拓者ギルドにいる穂積や稔の様子を話すと女中頭いとは安堵の息を吐く。 「ところで角野さんがどこにいるか知りませんか? 昨夜の礼をと思いまして」 「用心棒さんならしばらくしたら空木屋に戻って参りますよ」 初が、稔がギルドに留めおかれているという事はまだ何かある、心配なので当分角野に稔の護衛をお願いしたい言っていたらしい。 いとに礼を述べトリシアは去って行く。 開拓者ギルドの一室、佐長 火弦(ib9439)が今後の予定を稔に説明する。 「稔さんには囮をお願いする形になります」 青梅楼と初が繋がっていると分かった以上、相手に悟られないように同時に攻略する。そのために稔に襲撃者を誘き寄せる囮になってもらうのだ。 真剣な面持ちで頷く稔に佐長は鎧を渡す。なめした革を何層かに重ねて作った動きやすいものだ。 「飛び道具もあるかもしれないので…重いでしょうが…」 念のため、ギルドから出る際は服の下に着込んでもらいたいと。近づけば着物の下に何か着込んでいることがわかってしまうだろう、遠目からは誤魔化す事はできそうだ。 「それと、お願いしていた手紙はできておりますか?」 稔が初に宛てた手紙を差し出す。 佐長は「失礼して」と手紙を確認する。挨拶に始まり、今の状況、帰宅の時期に触れ、本当に心配かけて申し訳ございません、といった母への言葉で締められていた。佐長が頼んだ通りだ。 ギルドからも稔の帰宅について連絡がいくように手配した。稔の手紙は撒き餌の一つ。稔が初を信用している、逆に初のことを怪しんでいる、どう受け取ったにせよ仕掛けてくるだろう。 手紙は今日街を発つと偽った佐長が初に手渡した。稔から預かってきた、と。 カメリア(ib5405)は囮作戦の下見。当日一番稔に近いのは彼女だ。そのために襲撃しやすそうな場所、稔を隠せる場所の確認は念入りに行う。不自然ではない程度に人通りの少ない道を選んでいる。だが… 「できれば此方で誘導したいところですよね」 カメリアが神社へと続く石段を見上げた。 羽喰 琥珀(ib3263)は康介達の協力で作成した戸坂、相馬の似顔絵を手に初を穂積に紹介したという店に向かっていた。 老舗で商いの評判は悪くない。ただ主人は女遊びが激しく、都度妻に怒られていると専らの噂だった。 「この人ならば時々仕入れにやってくるよ」 戸坂の似顔を奉公人が指差す。戸坂は複数の妓楼に化粧品を納品している関係で花街にも詳しく主人が懇意にしているそうだ。 「じゃあさ、初さんって小唄の師匠は?」 稽古ごとをしたいという主人に戸坂が紹介したらしい。 「戸坂が初さんをか」 奉公人と別れたあと羽喰は呟く。 ● 夜、髪を黒く染め、黒の着流しに長羽織り、裏地は紅の梅。いかにも遊び慣れた商家若旦那風を装った佐上 久野都(ia0826)が梅青楼に客として訪れる。背後に控えるのは護衛に扮した朱華(ib1944)。 見かけぬ客に当初番頭も怪しんでいたが、彼の金払いの良さを知るや否や掌を返し歓迎する。 座敷から響く女達の三味線や歌声。 佐上は専ら芸妓同士戯れを見て楽しむ。時折近くに呼ぶのは若い娘達ばかり。 「いいね初々しい花は…」 掲げた杯越に娘を見つめうっとりと目を細めた。 そのうち「縁側で月見酒も悪くない」と女達を引き連れて外へと出る。 佐上の掌から飛び立つ羽虫に気付いた者は誰もいない。 「お飲みになりませんの?」 残された朱華に一人女がしなだれかかる。 「若い子が好きなようで妬けますわ」 女が醜くならない範囲で頬を膨らませた。 「ああ、旦那様は…な」 含みを持たせた言い方。今日は次に件の娘達と会うための布石。そのため此方が上客であること、そして若い娘を好むことを印象付ける必要があった。 「最近、新入りとかいるか?」 「貴方も若い娘が好きなの?」 「俺は子供と遊ぶ趣味はないな」 そう機嫌を取ると「五人ほど」と答えが。 「この仕事って大変だろうな…」 「泣いてばかりでねえ…」 尤も売られたばかりは皆似たようなものだと女が苦笑を零した。 「此処は大店なんだろう?」 女が「まさか」と笑う。そこでとある筋から此処の話を聞き、今日訪れたのだとカマをかけてみた。 「どなたの紹介かしら?」 「さあ?」 意地の悪い返答に女が幾つか名を挙げる。 夜更け佐上は「近いうちにまた来るよ」と言い残し店を出た。 ● 昼時には稔の顔馴染みの甘味処にて情報を交換する。その要となったのはトリシアだ。彼女は全員の行動予定を把握し、自分達の顔を知っている角野と遭遇しないよう調整する。此方の意図、特に梅青楼の調査は悟られたくは無い。 いざとなれば監視の事実を角野にそれとなく知らせ、稔の件で探りを入れていると圧力を掛けることも考えていた。 戸坂、陰穀出身と彼の身辺を洗っていた朱華が手帳に書く。情報のやり取り常に筆談。どこで誰が聞いているかわからない。トリシアも佐上から得た、村に残っていた薬は、シノビがよく使う毒の解毒剤だという情報を書き記す。 佐長の調査で戸坂が出入りしている問屋のうち薬などの材料となる植物を扱う所もある事が判明している。 (「色々見えてきたな」) ふむと小さく頷く。情報交換の時間は必要最小限に留め彼らはそれぞれの役目に戻る。 羽喰は朱華に頼んだ梅青楼を利用している有力者の一覧を持って奉行所に向かった。大河原から紹介された役人に一覧を手渡し作戦決行まで此方の情報が流れないようにしてもらいたいと念を押す。また捕まえて騒ぎを起したくないので泳がせて欲しいという事も。 日々お得意様の御用聞きに回っている戸坂がその日は別の場所へと向かった。向かった先はギルド…の脇の小路。佐長はカメリアと稔に外で様子を伺っている者がいると伝えにギルドへ入った。 カメリアと稔は互いに視線で確認しあう。 「帰宅の前に川上神社に寄りたいのですが?」 稔が日頃からお参りする神社に助かったお礼を言いたいと言い出した。川上神社は、高い石段を登った先にありあまり人目につく場所ではない。 「お家までの遠回りになりませんか?」 稔がこう行けば近道だと道順を伝える。ならば、とカメリアは神社に行くことに同意した。 トリシアが監視をしている角野は空木屋で戸坂と接触した後、稔帰宅時に使用する予定の道を辿り始める。 どうやら此方の情報が上手い事伝わったらしい。案の定戸坂は神社を念入りに調べていた。 (「当日の下調べかな。狙い通りに行けばいいが」) ● 宣言通り佐上は再び梅青楼を訪れた。今度は友人だという頭巾を被った男を連れて。恰幅の良いその男は奉行所の役人だ。 「水揚げ前の子を呼べるか…」 護衛役の朱華が番頭に告げる。 「街の決まりで成人前の子は……」 勘弁してください、と頭を下げる番頭に凄む朱華を佐上がやんわりと止める。 「子供を出せなんて、無理を言うものではないよ」 そして扇子で口元を隠す。 「ただね私は青い実が食べたいと…。そうだね手垢のついていないまっさらな実がね」 店の名前の通り食べさせてくれるのでしょう、と囁く。金に糸目はつけない、と付け加える事も忘れない。 頭を下げる番頭に「一つきりだなんてケチな事はいわないね?」と念を押した。 座敷に五人の少女が連れてこられる。皆怯えた様子だ。着飾ってはいるが容姿の特徴も名前も聞いていたものと一致している。 一番幼い子を呼び膝に乗せる。 「歌を一つお願いできるかな?」 歌い終えた娘の袂にご褒美と称し金平糖の包みを入れる。助けに来たこと、そして当日店の裏口を開けておいて欲しい、など書かれた手紙とともに。 「お店の人には内緒だよ」 人差し指を唇の前に立てる。 「五人まとめての身請け?」 身請けを渋る店側に、朱華が金の包みを番頭の前に置く。全部で三万文。 「手付金です」 目の前に大金を積まれれば店も頷かざるを得ない。 「では証文を確認させてもらおうか」 高らかに音を響かせ佐上が扇子を閉じた。 ● 作戦決行当日。 出発前、カメリアは徐に自分の頬を引っ張った。 (「悪い人っぽく…ニヤリ」) 彼女の役目は稔の護衛、そして襲撃者達の隙を作ること。頬を捏ねるカメリアを心配そうに見上げる稔と視線が合った。 「身を挺しても、必ず護ります、ですよ 」 安心させるように微笑む。 ギルドを出発した二人を挟むようにトリシアと佐長が姿を隠し同行する。 道中転んだり、迷子になりかけたりカメリアは相手を油断させるための芝居に余念がない。 神社までは何事もなかった。賽銭を投げ入れた直後、現れたのは二人の頭巾の男。うち一人は角野だ。カメリアのことを馬鹿にしているのか刀を抜いてすらいない。 そんな男達が動くよりも早くカメリアが銃声を響かせた。 「私、見かけより強いんですよ?」 白煙の上がる銃口を角野の頭に合わせ、もう一方で強引に稔を引き寄せる。 「二対一だ…」 「お互いに消耗は避けられませんよねぇ」 カメリアは唇の端をあげて笑う。練習していたニヤリだ。 「条件次第で、協力できなくもないかなぁって思うんですけれど」 「条件?」 「お金次第ってことです」 顔を見合す角野と黒頭巾。 いきなり眩い光が炸裂した。カメリアの閃光弾。稔が指示された社の階段下に身を隠す。 「ちょっと痛いと思うですけれど…。足の一本、二本…我慢してくださいねぇ」 敵の視力が回復する前にカメリアが続けざまに引鉄を引く。二発の銃弾が角野の足を穿つ。それでも膝をつくに留まったのは褒めるべきだろうか。 「この悪どい亡八稼業、ここで終わりにしてやろうじゃないか」 トリシアが槍を構えカメリアと逆側に立つ、そして男達と稔の間に躍り出た佐長が角野の利き腕を狙う。 「……っ」 男達の背後の茂みから銃撃。咄嗟に刀で弾道を逸らす。 「狙撃手は私に任せてください」 先日は遅れを取ったが今回は…。カメリアが茂みに狙いを定める。 もう一人の黒頭巾が稔へ走ろうとする。 「相手は私ですっ」 佐長の咆哮が大気を轟かせた。地面を擦るように半円を描いた太刀の切っ先が、足を止めた男から血飛沫を上げさせる。目的は捕縛、殺すことではない。 佐長の胴を狙い水平に振るわれた角野の刃を、トリシアの槍が受け止めた。 角野が刀を引き体勢を整える前に振り返った佐長の刀が肩を抉る。 まず倒れたのは角野だ。対峙する佐長も前衛二人の攻撃をほぼ一身に受け満身創痍。流れる血で滑る柄を握りなおす。 黒頭巾と佐長、交差する二人の視線。 トリシアが腰溜めに槍を構える。男の視界に彼女の姿は入っていなかった。 短い気合と共に穂先に纏った気を放つ。死角からの攻撃に男が体勢を崩した。そこに身を屈め佐長が飛び込む。素早く太刀を逆に持ち替えると、抉るように柄を鳩尾に。呻きと共に黒頭巾が崩れ落ちた。 逃亡を試みた狙撃手はカメリアの銃弾を受け、石段を転げ落ちる。 「梅青楼はどうかな?」 トリシアが空を見上げた。 ● 夕暮れ時、花街は準備の時間だ。酔っ払いを装った同心二人が梅青楼を訪れ「座敷に通せ」「芸妓を呼べ」と暴れる。表に注意を引きつけ裏から娘達を救う手筈だ。 周辺には同心達を配置済である。 「裏が動き始めたら一気に突撃な」 羽喰が何時でも飛び出せるように爪先に力をこめた。 そのうち野次馬が現れるほど騒ぎが大きくなり、奥から用心棒達が現れた。 表の騒ぎが大きくなる頃を見計らい、朱華と佐上は裏から梅青楼に忍び込む。裏口は、娘達により閂が外されていた。 だが入ってすぐの土間に下働きの年嵩の女達が数名いた。 「悪い。少し黙っていてくれ」 突然現れた二人に悲鳴を上げかけた女の口を朱華が塞ぐ。 「悪いようにはいたしません。皆さん、静かに外へ出てくださいませんか?」 この際、多少脅しのようになっても仕方ない。佐上が目立つように指に挟んだ符を閃かした。顔色を失った女達が外へ出て行く。 五人の娘達が走ってくる。 「早く外に。奉行所の皆さんがいますから」 奥から異変に気付いた男達が現れた。先頭の男の顔には刀傷、相馬だ。 「侵入者だ!」 朱華と佐上が娘達を庇うように裏口を背に構えた。 裏の騒ぎに数名が店の中に戻ろうとしたその時。 「今だっ」 羽喰が背負った刀に手をかけ、一気に飛び出していく。それに続く同心たち。 「怪我したくなきゃ邪魔すんなよ」 羽喰は小柄な体を活かし用心棒の懐に飛び込んでは鞘から抜き放った一撃を食らわす。よろけた所を足を引っ掛けて転ばし、腹を踏んで次へ。捕縛は同心達に任せ先に進んでいく。 目指すは帳簿など重要書類のある部屋だ。二度の訪問の際に人魂を使い内部を調べた佐上のおかげで妓楼内の見取り図は頭の中に入っている。 鈍い音をたて、朱華の刃が相馬の一撃を受け止めた。相馬の一撃は予想以上に重い。片手で受け止めきれずもう一方の手を添え支える。 がら空きの相馬の胸、一突きすれば勝敗は決する…はずだ。 だが生け捕りを目的としている朱華は攻撃に甘さが出る。それに彼の逆刃刀「仇華」の刀身の長さが室内戦において不利であった。大きく振り回せば、物にぶつかってしまう。実力は拮抗、だが苦戦を強いられる。 相馬は朱華が急所を狙えないのを理解していた。そのため攻撃が大胆で激しくなる。 相馬の連続攻撃を後ろに下がりながら受け流す。 (「利き腕…もしくは足…」) 引いた足を軸に体を回転させ相馬の利き腕側に回る。相馬が視線を向けるより早く白刃を旋回させた。肉を割く手応え。だが浅い。 その朱華の背後に迫った男を佐上の式が乱杭歯のような棘が並ぶ葉を振り上げ襲った。しかし別から攻撃を喰らい、佐上自身が地に転がる。 飛び掛る男に符を投げつける。霧の蛇に絡みつかれ怯んだ男の一撃を横に転がり避けた。肩にぶつかる壁、これ以上は逃げられない。 男が逆さに持った刀を掲げた。 「お待たせっ。表はだいたい片付けた」 羽喰が男の脳天に一撃食らわせる。峰打ちだが、頭部への強い衝撃で男の足元がふらついた。その足を払い、手から転がった刀を蹴飛ばす。 そしてもう一人の男に向き直る。 佐上は転がったまま符を構え相馬を狙う。 符は再び霧の大蛇となり相馬に絡みついた。驚いた相馬が蹈鞴を踏む。 朱華の刀が一閃。桜色の燐光が残す真一文字。 相馬の肋を砕く鈍い感触が手に伝わる。 「多少、痛い想いをするが…それで済むなら、安いものだろ」 燐光の名残が桜の花弁のようにはらりはらいと舞った。 梅青楼の悪事は暴かれ、娘達は親達の元に戻る事ができた。連座し、梅青楼にて子供を買った役人たちも捕縛される。角野は初の企みを白状し稔の身の安全も確保された。 だが同心が空木屋を訪れた時に初の姿はなかった。そして小間物屋戸坂の姿も……。 |