狂い咲きの桜
マスター名:桐崎ふみお
シナリオ形態: ショート
危険
難易度: 難しい
参加人数: 6人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2014/03/25 21:12



■開拓者活動絵巻

■オープニング本文


 理穴のとある街の外れに桜の古木がある。街の玄関の役割も果たしている木だ。
 節くれだった太い幹に大きく広がった枝。花の季節ともなれば屋台も並び、大勢の花見客が訪れる。
 また街道の傍にあるせいか駆落ちの待ち合わせ場所として使われたり、娘達の喜びそうな恋の物語の舞台となることも多々あった。

 真夜中。日付は既に変わっている。固い蕾をいくつもつけた桜の下に一人の娘が立っていた。長い黒髪に真っ白い肌、伏せた睫は頬に影ができそうなほどに長い。見るからに育ちの良さそうな美しい娘である。
 娘は両手に風呂敷包み大事そうに抱え、着物の上から白無垢を羽織っていた。いかにも訳有りといった風情である。
 娘の名は紺、この街でも名の知れた呉服屋『花岡屋』の一人娘だ。
「政孝さま…」
 紺は夜空の半月を見上げ呟き、それから街へと顔を向ける。
「お父様、お母様…親不孝な娘をお許し下さい」
 目に浮かぶのは涙。彼女は今宵、恋人の政孝と駆落ちをする。そろそろ約束の時間だ。

 紺は裕福な家庭で両親に愛され何不自由なく育った。いずれ親の決めた相手と結婚し店を継ぐ、そのような人生に疑問を感じたこともないほどに世間知らずの箱入り娘であった。
 ある時紺は、お茶の稽古帰りにチンピラに絡まれてしまう。これ見よがしに刺青をちらつかせ脅す男達。誰一人助けてくれる者はなかった。
 無理矢理暗がりに連れ込まれ、このまま男達に乱暴され殺されてしまうのだと絶望に襲われた紺を助けてくれたのが政孝だ。
 それは紺の人生全てを覆すほどの出会いであり、彼女はたちまち政孝に恋に落ちた。
 日に日に政孝に対する想いを募らせた紺は、彼と再会した際にその想いを告げる。当初政孝は博徒の自分とは関わるな、と紺を諭したのだがそのうち絆され二人は恋仲となった。
 博徒と大店の娘、許される仲ではない。だが紺は幸せであった。本人はヤクザ者だと言うが政孝は優しい。借金をした者達に対しても彼らにも家族がいると無理矢理取り立てることができずに兄貴分から怒られることも多々あるほどに。そのような時は紺がひっそりと店の金を持ち出して工面してやる。その度に政孝は此方が恐縮するほどに感謝してくれた。紺はそれが嬉しかった。
 だが店の金を持ち出し過ぎたのだろう。二人の仲を両親が知るところとなった。怒りつつも、娘の身を心配した両親からはそんな男と別れて欲しい、と何度も説得される。それでも頑として首を縦に振らなかった紺は部屋に閉じ込められてしまった。
 ある日こそりと部屋を抜け出し、政孝に会いにいく。そして両親にばれてしまったことを告げた。
 その数日後の夜中、家族が寝静まった頃紺の元を政孝が訪れる。初めてのことだ。彼は白無垢を携え「俺と駆落ちして別の街で所帯を持とう」と紺に手を差し出した。勿論紺は彼の手を取った。

 政孝が姿を見せる。
「紺、待たせたな…」
 いいえ、と応える声は震えている。これからの事を思えば不安で胸が押しつぶされそうになる。だが政孝がと一緒ならば怖くはなかった。
「ところで金は用意できたのか?」
 落ち着かない様子の政孝に紺は風呂敷包みを差し出す。それは政孝が組を抜けるために必要な金。金を納めずに組を抜ければ、面子を潰したと追っ手を差し向けられ殺さると聞いた紺が「そこまで甘えるわけにはいかない」と言う正孝に、半ば無理矢理、用意をするからと約束した金だ。
 親には駆落ちのこと、店の金を持ち出したことを謝罪する手紙を残してきた。それで許されるとは思えないが。それでも紺は政孝と行くことを決めたのだ。
「ありがとう、紺…」
 政孝が風呂敷包みを受け取り中の金を確認する。
「政孝さま、これで晴れて私達は…っ!」
 どん、突然背後から強い衝撃を感じた。胸の中央から突き出た刀の切っ先。真っ赤に濡れたそれは月光を浴び怪しく輝く。
 紺は最初何が起きているかわからなかった。
「ぁ…あ……」
 政孝に手を伸ばす。だがその手は届かなかった。
 まず熱さを感じ、そして襲ってくる酷い痛み。白無垢がみるみるうちに紅に染まる。
「まさ……」
 喉を遡ってきた血のせいで彼の名前も言えない。
 刀を抜かれ一歩二歩、よろけ背後の桜に寄りかかった。
「これで晴れてお前は用無しだ」
 紺を刺した男に風呂敷包みを投げ渡すと、政孝が口を歪めて笑うのが見えた。

 ど  し、て?

「お前はいい金蔓だったよ」
 政孝が抜いた刀を振りかぶる。

 一緒に 逃げようって 愛して る って  うそ、だったの?

 政孝の一閃が紺の肩から腹までを襷掛けに切りつける。紺に、桜に、政孝に、地面に血が飛び散った。

 ど  し  て

 それでもまだ伸ばされる手。政孝は「しつこい女だ」と腕を切り捨てた。
 血に転がる紺の腕。

 呻き声の代わりに口から血が溢れる。

 どう、して ど、 して  ど  し……

 政孝様――

 溢れてくる嘆き、悲しみ、怒り……そして絶望―――
 紺の視界が暗転する。

 アアア アア アアア…… 

 女の唇から漏れる慟哭。

 そして血のように赤い桜が狂い咲いた……。


 娘の書置きに驚いた紺の両親は寝巻き姿のまま開拓者ギルドへと駆け込んだ。そして駆落ちした娘を連れ戻して欲しいと窓口で懇願する。
「そこまで思いつめていたならばもっとよく話を聞いてやるべきだった。その男とも会ってやればよかった」
 嘆く夫妻を落ち着いて話を聞かせて欲しい、と職員が二人を宥めた。
 丁度その時、複数の男達がギルドに飛び込んでくる。一様に皆青ざめ、中には怪我をしている者も。
「アヤカシが出た」
「街外れの桜のところに…」
 男達は口々に叫ぶ。
 どうやら街外れの桜にアヤカシが取り憑き人を襲っているらしい。
「この火傷は?」
 職員が顔や手足に火傷を負った男に尋ねると、飛んできた花弁に触れた部分がこのように焼け爛れてしまったということだ。
「それに…」
 男が頭を振る。
「なんだか…女の酷く悲しい泣き声が頭に響いて、響いて……」
 酷い頭痛や眩暈に襲われて逃げるのがやっとだったという。
「すみません、そこに、そこに若い娘はいなかったでしょうか?!」
 話を聞いていた紺の両親が男達に詰め寄った。
「え…なんだぃ…って花岡屋さんか……」
「ですから、うちの、うちの娘は……」
 紺の父に揺さぶられて男の顔色が青くなる。
「お宅の娘さんかはわからないけどな…若い娘が桜に捕まっていたような…」
 それと若い男が二人枝に絡め取られ引き摺り寄せられていたとも、男の答えに紺の母はとうとう声を上げて泣き出した。
「あぁ…紺……私達がお前の話を聞かなかったばかりに……。どうか無事で…無事でいておくれ…」
 受付前はかなりの騒ぎになっている。
「開拓者さま、お願いします、娘を…助けてやってください……」
 紺の父がやってきた開拓者に気付くと縋りついた。


■参加者一覧
玖雀(ib6816
29歳・男・シ
ケイウス=アルカーム(ib7387
23歳・男・吟
御凪 縁(ib7863
27歳・男・巫
ゼス=R=御凪(ib8732
23歳・女・砲
白鷺丸(ic0870
20歳・男・志
朔楽 桜雅(ic1161
18歳・男・泰


■リプレイ本文


 外れとは言え街中にアヤカシが出現。その事実に開拓者ギルドは俄かに騒がしくなった。
 各国首都にあるような大規模なギルドと違い此処には精霊門は設置されておらず、風信器で近隣のギルドに呼びかけたとしても移動だけで時間が掛かってしまう。開拓者達が居合わせたのは不幸中の幸いだった。
「奉行所に頼んで馬を用意しましょうか?」
「そこまで行くより俺達が駆けた方が速い」
 桜の位置を確認していた玖雀(ib6816)が地図から顔を上げて答える。浮き足立つ職員達を落ち着かせる意味も込めて声は少々大きめだ。

「桜のアヤカシに、駆落ちした娘の捜索か……」
 次から次へと…、軽く米神あたりを揉み解しながら白鷺丸(ic0870)はアヤカシ騒ぎで放置されている紺の両親の元へと向かった。
「開拓者様、娘を……」
「その娘の特徴を教えてもらえないか?」
 縋りつく両親の肩に手を置き、顔を覗きこむ。
「紺は色の白い長い髪の…」
「分かった。では此処らで、待ち合わせ場所や…もしくは、人目を忍べる場所というのはあるか?」
 やはり心当りとしては件の桜ということだ。
「他には娘さんが好きな場所は? 思い出の場所とかな」
 桜からアヤカシの事を思い出し取り乱す両親だったが、詳しく尋ねるうちに昂ぶっていた感情も鎮まってくる。
「申し訳ないが、アヤカシの討伐が急務だ。だがそれを終えた後必ず娘は探し出すから此処で待っていてくれ」
 二人が落ち着いた頃を見計らい、有無を言わせぬ口調で両親に伝える。

「こんな真夜中に何の騒ぎだ?」
 ゼス=M=ヘロージオ(ib8732)との梅見の帰り通りかかったギルドを覗き込んだ御凪 縁(ib7863)が右往左往している職員を捕まえて尋ねた。
「アヤカシ? まぁ時間もある事だし行ってみるか」
 御凪が隣のゼスを振り返る。
「桜か…」
 思うところがあるのかゼスの視線が少しの間遠くを見た。それから受けない理由はない、と頷く。
「それにしても見知った顔が多いな」
 ゼスの視線が玖雀、そしてたった今入り口に顔を覗かせたケイウス=アルカーム(ib7387)へと注がれた。
「あ…れ、ゼス、縁。思わぬところで会ったね」
 切迫した空気にそぐわない笑顔を浮かべて友人二人との再会を喜ぶ。
「玖雀もいるのか…いや本当に奇遇だなぁ。さっき桜のアヤカシが出たとか出ないとか騒ぎを聞いてさ…」
 ゼスの視線に気付いたケイウスが途中で言葉を止めて頭を掻いた。
「…退治に協力しようとも考えてたよ」
 バツが悪そうに泳ぐ視線。
「…俺はまだ何も言ってないんだがな、ケイウス」
 呆れた調子のゼスに「信じて」とケイウスは自分の胸を叩く。
「断じて好奇心からけんが…あ……」
「本心はそれか?」
 ゼスの語尾に溜息が重なる。

「灯が欲しい。篝火とかねぇかな」
 朔楽 桜雅(ic1161)が御凪達を横切り、職員と共に倉庫に走って行く。

「威勢のいいのもいるこった」
 駆けて行く背中を見送った御凪達はギルドの奥へと進んでいく。
「状況を教えてくれ」
「あぁ、アヤカシが現れたのは街外れ。少なくとも三名囚われている。此方の戦力は…」
 ごく自然に御凪は玖雀に並び地図を覗き込んだ。玖雀も当たり前のように状況、戦力などを説明する。
「捕まっている人がいるのか。それは暢気に見学ってわけにもいかなくなったね」
 ケイウスの表情が引き締まった。


 アヤカシ出現の話に寝巻き姿の人々が通りに顔を出し始めた。中には見に行こうとする者も。
「見世物じゃないからな…気になるのは分かるが、避難をお願いしたい」
 桜へと向かう途中、白鷺丸は人々に声をかけては避難を促す。心配ならばギルド辺りまで下がっていて欲しい、と。
 街外れに近づくにつれ、低い耳鳴りのような音が次第に女の慟哭へと変わっていく。
「あまり心地が良いもんじゃあねぇな」
 篝火を抱えた朔楽が頭を左右に軽く振るう。神経を直接触れられるようで、先ほどから落ち着かないのだ。
 間もなく桜が見えてきた。

 アァア…ア…アア……

 直接頭の中に響く嘆き。それは開拓者達の心を絡め取るように纏わりつく。

「怖いくらい綺麗ってのはこの事だね」
 ケイウスが桜に背筋を震わせた。
 夜空に咲き誇る緋桜。樹木を覆う花はカガチの目のように赤く息づく。

 御凪が慟哭に対抗するため精霊の加護を与えようと篝火を抱える前衛三人を呼び寄せた。
 時折花弁が飛んでくる程度の、囚われているであろう人の姿もしかと確認できぬ距離だというのに慟哭は重く圧し掛かってくる。だからこそ御凪の技はありがたい…はずなのだが玖雀が微妙な表情を浮かべた。
 引き攣った笑みを浮かべる玖雀と口元に人の悪い笑みを浮かべる御凪の視線が交差する。

「何かあったの?」
 こそりと尋ねるケイウスにゼスは「さぁ」と首を傾げた。

(真っ赤な、桜…)
 朔楽の視線は桜に吸い込まれてしまったがごとく動かない。
(女の、悲しみに満ちた声…)
 脳裏に閃く何か。
 それが何か分からない。だが何故か桜から目が離せなかった。
「朔楽殿?」
 腕を取られ揺す振られた。
「大丈夫か?」
 白鷺丸の顔の上で焦点が結んだ。
「え…あぁ、桜がちょっとすげぇなって思って」
 大丈夫、大丈夫と繰り返す。

「ほら、行って来やがれっ」
「…ぐっ」
 高らかな音を立て御凪は玖雀の背を思いっきり叩く。精霊の加護を付与するには体の一部を接する必要があった。以前、顔面をがっつり掴んでやった教訓からか警戒していた玖雀のがら空きの背中を狙ってやる。恨みがましい視線に前と同じじゃつまんねーだろ、と涼しい顔。朔楽、白鷺丸の二人も背を軽く押してやる。
「相変わらず俺にだけは容赦ねぇのな!」
「後ろは気にするな」
 笑っていなす。
「気にする方が失礼だろ。遠慮はしねぇよ」
 玖雀が振り返るとニヤリと口角を上げた。

 三方から篝火が桜を照らす。

 篝火を設置した朔楽は軽くその場で飛び跳ねる。体が少し軽くなっていた。ケイウスの調べが女の慟哭に調和しその絶望の響きを中和したのだろう。
「まずは…」
 地を蹴ると同時に如意棒を伸ばし勢いを利用し一気に桜まで駆け抜ける。降り注ぐ花弁はそのままに更に如意棒を使い枝へと。
 花の内側から見渡した桜には、下肢が樹木と同化してしまった女、その傍に樹木に取り込また男と、少し離れた所に足を捕らわれた男がいる。男二人は意識はない。女だけが双眸を見開き唇を戦慄かせていた。
 囚われているのが三人だけであることを確認すると玖雀、白鷺丸と入れ替わり一度桜から離れる。
「三人だ。まだ息があるかは分からねぇ」

「役に立ったみたいで、何より」
 ケイウスの竪琴から流れるのは精神の平穏を齎す調べだ。これと御凪の加護により慟哭の効果はかなり弱まっていると考えてよかった。だが一つ問題があった。
 その調べが届く範囲だ。ぎりぎりまで下がっても、桜の花弁が届く。
 桜の慟哭は途切れることなく続き、一度下がるということもできない。
 ケイウスの斜め前でゼスが銃を構える。銃弾は撓る枝を粉砕し幹を抉った。本来なら花弁の届かない位置から桜を狙うことだって可能だ。だがケイウスの前に立つということは…。
 ならばケイウス自身、己に出来る事を全うするまでだ。
「ありがとう、頼りにしてるよ」
「ああ。俺もお前を頼りにしているさ」
 調べを奏で続けるケイウスに銃を手にゼスが視線だけ寄越した。
 その横顔に花弁が―……。

 花弁がゼスの頬に赤い傷を着ける前にそれは御凪の手によって阻まれた。
「俺はそう動く様なこともねぇし壁代わりだ」
 回復と加護、御凪はこの戦いの要と言っても良い。その彼が前に立つなど、とゼスが何か言おうとする前に御凪がその言葉を遮った。
「加護が切れたら無理せず一旦俺のとこに戻れ」
 被害者の確認をした朔楽が戻ってくる。

 白鷺丸は槍で枝を払いつつ、桜に囚われている女の姿を確認する。
「紺…?」
 容貌は似てはいるが、女の肌は蝋のように青白くそれでいて、瞠った双眸に爛々とした光が宿る。唇から漏れる慟哭は近づけば近づくほど圧力を高め白鷺丸を捕らえようとした。
 着物は緋は血だ。胸の辺り花が咲いたかのように緋が広がっている。
「アンタは紺じゃないのか?!」
 女は白鷺丸を一瞥することもなく虚空を見つめていた。

 白鷺丸の紺を呼ぶ声。玖雀は彼に襲いかかる鞭を棍で弾き飛ばす。
 彼女が助からないことは経験上理解していた。彼女の纏う瘴気は既に人のものではなく。それにあの傷…
 玖雀は思わず双眸を眇めた。喩えアヤカシを引き剥がすことができたとしても……。

「紺!」
 一際大きく白鷺丸が呼ぶ。やはり紺は反応をしない。
「もう…手遅れ、か…」
 白鷺丸が顔を伏せた。槍を握りなおす。ならば…と紺を狙った一突きは枝が一閃、弾かれ体勢を崩す。追撃する枝と白鷺丸の間に玖雀が割って入る。


 真っ赤な真っ赤な桜。血のように炎のように己を包み込む緋色。

 魂を己の存在全てを震わせ発しているような嘆き。

(「俺は、この光景を、見た事がある」)

 この桜を見たときから朔楽の脳裏に何かが浮かんで消える。まるで泡のように。掴みたくとも掴めない何かが。
(「…如何してだろう」)
 まっすぐに構えていたはずの如意棒の先が力なく落ちた。花弁が朔楽の肌を髪を焼く。肌に広がる桜と揃いの緋色。
(「知らない筈なのに…」)

「右上から枝がっ」
 ケイウスの警告。朔楽は桜に魅入られたままだ。枝がまっすぐに朔楽を狙う。

 咄嗟にゼスが狙いを定めて撃つ。銃弾は枝を捉えたはずだった、だが枝が鞭のように撓り避ける。その瞬間、銃弾が直角に曲がり枝を弾き飛ばした。

 桜が身を震わせる。大気がざわめき一斉に花弁が散った。
 朔楽の視界一面に広がる緋色。
「戦闘中だ。ぼさっとするな!」
 玖雀の鋭い声。緋に包み込まれる瞬間、突き飛ばされ後方へ転がる。

 朔楽を庇った玖雀が花弁に包み込まれた。花弁は口腔から体内に入り込み内からも身を焼く。
 頭の中ぐわんぐわんと鳴り響く声は容赦なく玖雀の意識を切り裂いた。
「ぐっ……」
 思わず片膝をつく。口端から垂れる血を拭う。駆け寄ろうとする御凪を視線で止め朔楽の回復を任せる。強張り真白になった指先が土を抉り、棍を支えに立ち上がった。

 花の合間覗く男の顔が土気色に変化したのに気付いたのは、後裔の前に立ち迫る枝を打ち払っていた白鷺丸だ。
「っ…! まずい」
 桜は人の生気を啜っているようだ、と叫ぶ。早く決着を着けねば命が危ない。

「ゼス…」
 玖雀が身を低くし飛び出し、白鷺丸もそれに合わせて横に展開する。
 玖雀の意図を察したゼスが銃を構えた。桜の背後、地を照らすのは半月。掌に浮かぶ汗。
(「満月でなく助かった…」)
 フードを目深に被り、花の向こうの紺に照準を合わせた。今は標的にだけ意識を集中しろ、と言い聞かす。

 枝が玖雀を強か打ち据えた…
「そうそうやられっ放しってわけにはいかねぇよ」
 …が、その姿が掻き消える。既に玖雀は桜の懐に。手首を軽く捻る、棍の接続部が解け、枝を絡み取る。
 逆では白鷺丸の槍が枝を打ち払い、花に隠れた紺の姿が露わになる。

「…っ」
 ゼスが引鉄を引く。
 轟く銃声、遅れて紺の額から瘴気が渦巻き溢れ出した。

 アァアア……

 響き渡る悲鳴。

 弾丸の如く飛び出したのは朔楽だ。狂ったように舞う花弁が御凪の治癒により塞がれた傷を再び広げ、そして体内に入り込み肺を焼く。
 明滅する視界。
「俺もお前も、桜になんか囚われんなぁっ!!」
 だが気合とともに如意棒を桜に叩き込む。一気に散った花弁が大気へ還る。

 それでもまだ桜に囚われた女が肘から下の無い手を懸命に伸ばす。何か繰り返し呟きながら。
「ごめんな、こんな形でしか助けてやれなくて」
 玖雀が瞬きを忘れた女の双眸を手で隠し、その胸に暗器を突き刺した。



 桜を振り仰ぐ朔楽。花は一片も残っていない。
(…聞こえる、気がする)
 視線を地に落とす。
 さっきとは別の、女の子の声……
 そこで朔楽の意識は途絶えた。


 支えを失い落下した紺は地に激突する寸前で瘴気となり霧散する。残ったのは着物だけ。
「…ごめんね」
 助けてやれなくて、ケイウスが着物を拾い上げる。
「息がありゃ治してやれたが…」
 せめても骸があれば綺麗にして帰すことも出来ただろうに…御凪が亀裂の入った桜の幹に触れる。
「好きな人と一緒になる幸せの絶頂でアヤカシになる事もあるのか…」
 ケイウスの疑問はその場にいる皆が思ったことだ。
「男から事情を聞けば良い」
 白鷺丸は助け出した男を御凪へと渡す。
 囚われていた男のうち、半分体を飲まれた方は既に事切れていた。
 男は御凪に治癒を施され意識を取り戻すと「俺のせいじゃない。俺は何も知らない。ただ頼まれたんだ」と逃げ出そうとする。
「捕まる程近くに居たってことは何か知っているだろう。まずは一緒にギルドに来てもらうとしようか?」
 御凪が男の襟首を引っ掴んで引き寄せた。

 桜の根元、何かを玖雀はみつける。女の腕、血で汚れたそれに伸ばした指が強張った。
 恐怖を覚えたからではない、紺の身の上に起きた事を思ったからだ。腕を布で包む。彼女の両親に事実と共に渡すために。

 紺の両親は変わり果てた娘の姿に泣き叫び、腕と遺品を差し出した玖雀のその逞しい体を何度も叩く。
「どうして…娘を…。どうしてっ……」
 紺の母が投げた金が玖雀の頬に傷を残した。
「花岡屋さん…」
 見かねた職員を止めたのは当の玖雀だ。玖雀はただ黙って両親の言葉を聞く。やり場のない怒り、悲しみ…出口のないそれらはやがて心を壊してしまう。
(「ならば俺に全部…向ければ良い」)

 救出された男は同じ事を繰り返すだけで話にならない。
「その約束の時間、教えてもらえる?」
 ケイウスの申し出で精霊の記憶を呼び起こすこととなった。

 爪弾かれる曲に乗せゆらりと立ち上がる蜃気楼。
 紺が深い絶望と共にアヤカシへと転ずる様が再現される。

 紺を騙した政孝は桜に生気を吸い取られ命を失った。それは紺の執念が為した心中なのかもしれない。


 皆が戻ったあと残ったゼスは、幹を割かれ枝が折れた桜へと向けた双眸を細めた。
「ゼス…」
 振り返えった先には御凪が立っている。
「とんだ花見になっちまったな…」
 宿る哀惜の念は紺に向けたものか。
「桜は天儀の人間を狂わせすぎる…」
 呟きは風に消えて御凪まで届かなかっただろう。
 ゼスの胸のうちを過ぎるのは天儀に来て間もない頃に受けた依頼。そこで少しの間共に過ごした兄弟達。彼らの母の墓も桜の近くだっただろうか……。
(「元気にやっているといいんだが…」)
 懐かしさと共に彼らの顔を思い出す。
「ちと胸糞悪ぃもん見ちまったトコで悪いが」
 手を出せ、と。ゼスの掌に置かれたのは梅の香。梅見の時に渡し忘れていたらしい。
「さてと帰るか」
 踵を返した御凪にゼスが並ぶ。
 明け方の空気に梅香が混ざる。桜にはまだ少しだけ早い季節―…。