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■オープニング本文 ● その領地には、町が3つあった。 それぞれどれも大きな町とは言えなかったが、比較的穏やかな気候と比較的肥沃な地にあって、人々は平穏に暮らしていた。その3つの町が遠くに霞んで見える小高い丘の上に、屋敷が一軒建っていた。門構えも屋敷も庭も、貴族の隠居地に相応しい佇まいをしている。丘の上の屋敷には、この領地の領主が暮らしていた。既に老齢で、病で床に伏せており、次期領主を決める頃合であろうとは、領民の間でも噂されている。 かつて、この領地では今も『禁忌』とされている出来事があった。『革命』である。今でこそ平穏であるが、先代の頃‥‥現領主が若かりし頃、人々は明日をも知れぬ危機感を抱いた。良質な鉱山があり、質の良い装飾品を加工する職人も多く抱え、栄えていたこの領内だったが、それらは時と共に産出量を減らし、次々と閉鎖せざるを得なくなったのである。経済は悪化し、人々の生活水準は、急激に下がった。数年その状態が続き、人々は遂に立ち上がったのである。何の対策も出来ない領主を追い出し、新たなる貴族を迎えよう。いっその事、自分達でこの領内を取り仕切り、民の為の政が出来るようにしよう、と。 革命を叫ぶ者達は、何時しか真紅の薔薇を旗印とした。『紅橙の薔薇』と名乗り、その勢いは一時、領主の屋敷を脅かすまでになった。衝突が繰り返され、多数の死傷者を出してようやく、領主は皇帝に助けを求めた。他の貴族云々はともかく、平民が会議制をうたってそれを実行する事は、皇帝としても見過ごすわけには行かない。勿論、領主は代々皇帝に全面的に服従し続けている。 結局、国の力を借りてようやく、半年に及ぶ革命は沈静化した。その後、息子である現領主が後を継ぎ、必死で領内を立て直して今の平穏な日々がある。 若い間は身を粉にして領内の為に働き続けた為、彼が結婚したのはだいぶ後になってからであった。既に60歳を過ぎているが、長男は24歳。長女が18歳。次女が14歳である。しかも、彼の最初の妻は、政略結婚のようなものだった。それなりに由緒ある貴族の家から貰った娘は大層気がきつく嫉妬深く、彼は早々に結婚生活に疲れ果てて密かに愛人を作った。今の彼の妻は、2人目である。 その、2人目の妻となった女性の子供は、ミルヴィアーナと言う名前であった。次女である彼女も、次期領主候補の一人であり、14歳ながらにひとつの町を任されている。 その町は通称、『群青の町』と呼ばれていた。 ● 「‥‥ニーナに愛情が不足している‥‥。それは、確かかもしれん‥‥」 先日、開拓者達に長女ニーナについて調査を依頼した年老いた領主は、ベッドの上で深く溜息をついた。 「わしはあれの母親を愛せずに居た‥‥。それでもわしは、母親の事を考えずに精一杯、あの娘を愛したつもりだ。素直で明るく、母親に似ず育った娘だった‥‥。成長するにつれ、外見は母親に似てきたが‥‥。だがわしも、ニーナの明るさに救われてきたものだ。母親を離縁したわしを恨まず、よくぞ真っ直ぐ育ってくれたものだと‥‥」 「ですから旦那様は、ニーナ様が2ヶ月毎に相手を変えても目を瞑っておられたのですね。その程度は仕方がないと」 「‥‥開拓者達が調べ上げてきた事も、概ねわしが安堵できるものだった‥‥。民に慕われる事が、何より領主の器量と言えるもの。後は、優秀な官吏がおれば何とでも‥‥」 領主は言いかけて、ふと気付いたように俯く。 「‥‥いや‥‥あれの傍で町を仕切っておるのは、母親の郷里の者ばかりだ‥‥。大した器を持つ者もおらん‥‥。何とかして引き離さねば‥‥。それに‥‥」 領主の為に水差しを小卓に置いた執事が、静かに主人の話を聞いていた。 「一つ、気掛かりな事も言っておった‥‥。ニーナの私室に、相当の手練か、志体を持つ者が居た、と」 「護衛で御座いましょうか」 「開拓者の気配を察知して殺気を出し武器を抜いた‥‥。それが只者でない事は間違いあるまい‥‥。ただの護衛ならば私室にも入らぬだろう‥‥その点が気がかりだが‥‥」 「旦那様。まだ充分時間は御座います。事を急いてニーナ様とお決めにならずとも」 「無論、イチル、ミルヴィアーナの事も開拓者に調べてもらうつもりだが‥‥」 呟きながら、領主は窓の外を眺めた。ここからではその色も形も見えない、あの町がある方向を。 「‥‥だが‥‥あの娘の母親は賢母であると言うのに‥‥何ゆえ、ミルヴィアーナはあのように曲がってしまったのかの‥‥。やはり、ニーナ同様、わしの責任か‥‥」 「旦那様‥‥」 「思えば、あれの母親も多大な苦労を背負い込んだ‥‥。ミルヴィアーナを産む為に命掛けであったと‥‥。その苦労を娘に話すとは思わんが、どこからか噂で聞いたのだろう。わしを恨んでいても可笑しくない。それ故に曲がってしまったのであろう。‥‥次期領主には到底向いてはおらんが‥‥だが、あれの傍に居る者達も、『現正妻の娘が次期領主になるべきだ』と煩い‥‥。調査の名目で開拓者を遣わせ、何とかミルヴィアーナを‥‥まともな道に導いてくれないものか‥‥」 呟き、領主は何度目かの深い溜息を、ついた。 開拓者ギルドに、ミルヴィアーナを調査する依頼が届いた。 ミルヴィアーナは黒色が大好きで、以前は淡い青色に彩られていた町並みさえも黒く塗り潰すよう指示を出した事がある。結局それは嘆願書が領主の元に届けられて実施されなかったが、町長の屋敷は群青色に塗り潰された。それに伴い、町の屋根も群青色に染められていく。結果、『群青の町』と呼ばれるようになった。 彼女が出した指示はそれだけではない。庭の薔薇さえも黒く塗れと言ったり、使用人が黒い服を着ていない事を怒鳴り散らした事もあった。子供と言えば子供なのだろう。だが彼女の私室には、特定の者しか入る事が出来なかった。その者達ですら、彼女の私室については一切口に出さない。中には恐ろしいものがある。それを使う事があるのかと思うとゾッとする。かつて、そう述べた者が居たが、その使用人は数日後屋敷から姿を消した。 我が儘なだけではない。彼女にはその姿も相まって、不審な噂が付きまとう。金の髪を黒いヴェールの下に覆い隠した、『魔女』。そう、呼ぶ者も居る。 多くの町人が、彼女が町長の座を降りてくれる事を願っていた。 だが、領主は。 ● 話は、数日前に遡る。白緑の町での調査を終えた開拓者達が、来た時同様にばらばらにその地を離れようとした時だった。 一人の開拓者が、夏の暑い最中にありえないだろうという格好をした者を町外れで視界に入れた。 黒い日傘。黒の手袋。黒のドレス。そして、黒いヴェール。ヴェールの下には明るい色の髪が見えた。まだ、若い。一人、佇んでいたその者は、開拓者を一瞥した後、町の中に向かって歩いて行った。 |
■参加者一覧
カンタータ(ia0489)
16歳・女・陰
黒鳶丸(ia0499)
30歳・男・サ
フレイ(ia6688)
24歳・女・サ
アルセニー・タナカ(ib0106)
26歳・男・陰
レートフェティ(ib0123)
19歳・女・吟
ハッド(ib0295)
17歳・男・騎
カールフ・グリーン(ib1996)
19歳・男・騎
万里子(ib3223)
12歳・男・シ |
■リプレイ本文 ● その日も、領主はベッドの上に座っていた。 「どうかお1人で背負わないで‥‥。その為に、僕達が居るのです」 そっと傍で腰を屈め視線を合わせてカールフ・グリーン(ib1996)が優しく話しかける。 「私に話せる事ならば何でも話そう」 「出来ましたら、奥方にもお目通りを願いたいのですが」 アルセニー・タナカ(ib0106)は穏やかな佇まいだ。 「妻は体調を崩し、気候の良い場所で療養している。領地内には居らんのだ」 「何や。おらへんのか‥‥夫婦揃って病とは難儀やな‥‥」 娘にどう接しているか、子供が跡継ぎとなる事を望んでいるのか尋ねようと思っていた黒鳶丸(ia0499)は、壁にもたれ掛かった。 「お嬢さまの生育環境が知りたいわ。幼少時の様子、親から見てどんなお嬢さんだったのか、転機の切欠があるはずだもの」 「そうだね。昔から黒が好きだったのか、兄弟仲はどうなのか、よく外に出るのかそれとも引き篭もりがちなのか。そういう事も知りたいよね」 レートフェティ(ib0123)の言葉に、万里子(ib3223)も頷く。 「これを人目に晒すのがちょっと嫌で、ボクは普段からこんな恰好をしています」 そっとフードを外して尖った耳を見せたカンタータ(ia0489)は、再びフードを被りなおした。 「全身を覆って過ごされるのは似た様な理由かなとも想うのですが、思い当るところは有りませんかー? 宜しければ、お母様に掛かった苦労というのも聞かせて下さい」 「言いたくないなら聞かないけれど、ニーナのお母様ってどんな人なの?」 白緑の町の町長館ニーナの私室で、フレイ(ia6688)は本棚を眺めていた。 「母‥‥ですか? そうですね、とても‥‥」 「とても?」 「こんな事を言って私の事、嫌いにならないで下さいね?」 言われてフレイは頷く。 「大丈夫よ。慕ってくれている子の事、無碍にしたりはしないわ」 「良かった。母は‥‥一言で言えば、とても嫉妬深い人でした。その為に人を殺す程に」 「‥‥誰を、殺したの?」 「‥‥父の、愛人を」 「ニーナの母親、つまり私の最初の正妻は嫉妬深い女だった。私はその女から逃げるように別の女と愛を育んだのだが、妻はその女を殺したのだ。勿論私もしばらくは妻の仕業だったと気付かなかったが‥‥。それでもようやくニーナが出来た。それからしばらくして、妻が過去に私の愛人を殺したのだと分かり、私は離縁を決意した。その頃には私も心を許す新たな女性が居た。それが、ミルヴィアーナの母、今の私の妻だ。だが彼女も又、命を狙われた。そこで妻の実家へ全ての話を打ち明け、妻を実家へ帰らせた。この苦労を今の妻がミルヴィアーナに話しているとは思えないが‥‥妻が数年前から療養している事で、ミルヴィアーナが精神的に不安定になっているかもしれないとは思う」 幼少時のミルヴィアーナは大人しいが優しい子供だった。比較的まだ歳の近いニーナについて回り、穏やかに過ごしていたものだ。だが2年前に彼女の母が療養の為に町を離れ、彼女の身に町長という椅子が回ってから、彼女は激変した。徐々にではなく、急にだ。急に黒を好み始め我が儘を言い出し、町を変えようとし始めた。元々家で大人しく裁縫をするような娘だったが、益々家に閉じこもって出てこなくなり、その2年で彼女には町人からの『魔女』という烙印が押されたのだ。 「そう。‥‥ニーナは、それでお母様の事‥‥寂しく思っているのでしょうね」 「いいえ。母は、色々な事を私に教えて下さいました。私、もう大人ですもの。親からは自立しないと」 微笑むニーナを複雑そうに見ながら、フレイは気になっていた本を一冊取って開く。 「‥‥ご主人様? 革命の事‥‥お調べですの?」 「あぁ、違うのよ。前に来た時話に聞いて、気になっていただけ。象徴が薔薇なのね」 「‥‥えぇ。昔の、話ですわ。紅色の薔薇‥‥今は、禁忌の」 「そうなの?」 「はい。この領内では、紅色の薔薇は禁忌です。育てる際は届出を出す事になっています。‥‥昔の話なのに、今も」 ● 「なんじゃかの〜‥‥」 ハッド(ib0295)は、黒く塗り潰された屋敷を眺めていた。そんな彼も、黒の礼服の胸に黒い薔薇を挿し、黒い帽子を被っている。王たるもの、エレガンテを忘れてはならぬ、らしい。 その日、群青の町に領主から依頼を受けて調査団がやって来た。 近くの町で調査依頼が出ているから受けるけど一緒に来るかとフレイに問われて、やってきたニーナも含まれている。 「私は、ベルマン家に仕える執事でございます。フレイ様も、先日の闘技大会はさぞかし凛々しく美しく立ち振る舞われた事でしょう。我が主が既知の事でしたら、総動員で横断幕を掲げて」 「‥‥何で居るの、アルセニー」 「ニーナ様はフレイ様と親しい間柄。私にできることがあれば申しつけくださいませ」 内心フレイとまるで新婚のようだと沸々したアルセニーだったが、そんな会話が繰り広げられた後、一行は街中で一通り調査に回って、館を訪れた。 黒蔦丸が主に回って聞いた話では、町民は皆、ミルヴィアーナの振る舞いに辟易しているようである。それでも2年前に彼女の母親が居て町長を務めていた頃が懐かしく忘れられず、その頃は大人しいが愛らしかった娘であるミルヴィアーナを思い起こす者も少なくないようで、もし戻れるなら元の愛らしい娘に戻って欲しいと思う者も多いようだった。領主一家の家族仲、兄弟仲は、殆ど町民には知られていない。兄弟たちは全員母親が違う為、各々幼少時より母親と共に町で暮らす事が多かったからだ。 「お母様は賢母との事でしたので、お母様と自分を比較して自暴自棄になっておられるのかもですね〜? もしかしたら、お母様に帰ってきて欲しくて行っているだけかもですが〜」 一行は、屋敷内に部屋を与えられる。内装の壁や床まで黒い中、唯一白を確保できている客間だった。 「私、こう見えて忙しいの。あなた達の相手なんてしていられないから、好きにやって頂戴」 皆の前に姿を見せたミルヴィアーナは、噂に違わぬ全身黒でヴェールも被っていた。手には扇を持っている。高めの声で皆に言い渡すと、彼女は広間を出て行ってしまった。見た感じ、白緑の町で見た黒衣の人物に似ているように思えたが。 「あの。良かったら、庭をお借りできないかな? それで、できれば一緒にお茶会を」 だが真っ先にカールフがその後を追った。 「レーズンが入ったクッキーを持って来たんだ。紅茶に入れて食べると美味しいよね」 領主が唯一知っていた、彼女が幼少時に好きだったお菓子とその食べ方だ。 「あなた達、何なの?」 「調査団。でも‥‥調査するだけなんて、寂しいでしょう?」 ● そうして、お茶会が庭で開かれた。 ここぞとばかりに側近達が同席しようとしたがそれを断り、いつもの格好で席に着いた町長を庭の見える館内から遠巻きに眺めている。 「何でも、好きな事聞けばいいわ。答えるとは限らないけど」 クッキーを紅茶に含みながら、ミルヴィアーナが口を開く。 「まずは、お茶と音楽をお楽しみ下さい」 レートフェティがハープを手に取った。薄手で裾の長い黒のワンピースを着、黒い椅子に腰掛ける。 「ハープはお好き? オカリナは如何? 楽器を聴いたり歌ったりする事はありません?」 「無いわ。興味ないの。でも、弾きたいなら勝手に弾けば?」 ではと弦を爪弾きながら、レートフェティは娘の表情を窺った。興味ないと言いながら、しっかりと音楽は聴いている。 「音楽に興味が無いなら、普段はどんな事をなさっているんですか?」 「さぁ? 別に趣味もないもの。あ、使用人を鞭打つのは好きね。所詮弱者は強者には勝てないものよ」 「でもいつもでは無いのでしょう? 紅茶とクッキーがお好きで‥‥ここに飾ってあるお花は色とりどりですけれど、これもお嬢さまが?」 「確かに綺麗だね。青薔薇は存在しない花だけど、もし在るならば美しい花になるんだろうね」 カールフの読みはこうだ。幼くして町を統べる位置に就かされ好みすら否定された彼女が、そんな不安や孤独を隠す為の影の色‥‥。即ち、黒で自分を隠しているのだ、と。本当は淡い青色が好きなのに、それを否定しているのではないか。 「花は使用人が選んでいるのよ。私は花なんて興味ないわ」 「しかし、庭の隅に梅の木が御座いましたな。あれは‥‥?」 役人風の格好で髪を束ねた黒蔦丸が、それ風の喋り方で問う。お茶会の前に使用人達から話を聞いていた彼は、町長の私室から見える位置に梅の木が1本だけ植えてあったのを目撃していたのだ。 「‥‥知らないわ」 「春先には白梅か紅梅か分かりませんが、さぞ可憐に咲くのでしょうな。ジルベリアで見る事があるとは思いませんでしたが」 「あなた達、何なの?」 眉を顰める娘に、カンタータが傍に座って真っ直ぐに彼女を見た。 「領主様は、ミルヴィアーナさんの素行を自身の至らなさの為ではないかと気に病まれています。ボクは他者を遠ざけなければならない理由があって、わざと無理を言っているのかなと感じました。手伝えることがあれば今後お力になりたいです。お父さんを安心させてあげられませんか?」 「よければ、領主候補としての素直を気持ち、打ち明けてみてくれないかな‥‥?」 カールフも微笑みながら尋ねた。 「貴女は父君の後継者として在る事を望まれますか?」 「決めるのは父だし、父の事なんてどうでもいいわ」 軽く黒蔦丸を睨むと、町長は席を立つ。 「まぁまぁ、座るがよかろ。プレゼントを用意したぞよ」 のんびりとハッドが言い、子供の喜びそうなキラキラした宝石箱と、大人向けの宝石のついたネックレスを見せた。 「どちらが好きかの?」 「‥‥いらないわ」 一瞬、彼女の目が宝石箱に向けられたのを、ハッドは見逃さない。子供っぽいが故にそれに興味を引かれたのか、或いは本当は可愛らしい物が好きなのか。 「そうは言うがの。淑女たるもの、紳士からの贈り物を受け取ってこそ、であるぞよ」 「私は淑女じゃないわ」 「子供扱いされるのが好きであるのかの?」 「もう、私の事は放っておいてくれる?」 「ごめんなさいね、しつこくして」 ハープを奏で続けていたレートフェティが、離れた所から声を掛ける。 「ただ、知りたかったの。貴女が‥‥本当に、今の生活を好んでいるのかな、って。町長で居たいのか。好きでもない事を無理矢理させられていないか、心配だっただけ」 「心配?」 「そんな風に孤独に生きようとして、人を寄せ付けないようにして、その生き方を否定はしないわ。でも出来れば‥‥もっと楽しんで生きて欲しいの」 「そうだよ。良かったら、一緒に買い物に出かけない? 別に華やかな衣装じゃなくてもいいんだよ。本当に黒が好きなら、黒でも。顔を隠すヴェールを外すだけでも、世界が変わって見えるはず」 「では私からも余興を」 静かに皆の給仕をしていたアルセニーが、立ち上がって人魂を出した。 「町に合わせた群青色にしましょうか、それとも黒が好きですか?」 優しい群青色の蝶がひらひらと舞う。皆は一瞬、それに気を取られて見つめた。 「分かったわ。行ってあげる。外に」 幾つかの小動物を出すアルセニーの手品? を眺めた後、ミルヴィアーナは静かに呟く。 そして。 ● その頃万里子は、1人潜伏調査をしていた。 「最低限、みるびあーなの私室につながる経路が判ると助かるんだけど‥‥」 外からでは分からないので、こっそり忍び入る。まずは側近達の内情調査だ。彼らだけで居る時に、建物の外から超越聴覚でもって聞き耳を立てる。 側近達も、子守はもう嫌だとか、このままじゃ次期領主の座は不利だなどいう話をしていた。一応町長を支持する立場なものの、仕事だから、彼女の母親に仕えていたから、などの理由で町長を支えているだけらしい。そこには忠誠心の欠片も見当たらなかった。陰口を聞けると面白いと思っていたが、陰口だらけである。それらを手帳に書き込みつつ、彼は町長の私室へと向かった。 (あの気配はない、か‥‥) ニーナの私室に居た志体持ち。まさかここまで来ているとは思えないが居ないかどうかを常に警戒しておく。 (で、ここが‥‥) 皆の茶会時を狙って、そっと私室に忍び入った。 (あれ‥‥?) 室内も黒で纏められていたが、奥のほうのベッドのシーツは桃色だった。枕元には、赤色熊ぬいぐるみが置いてある。一応シーツも捲って中を見てみたが、特に変わった所は無かった。 そして、奥にある鉄製の扉に手を掛ける。ゆっくりと音を出さないよう気をつけながら開いて‥‥。 「え‥‥?! コレって‥‥」 話は少し遡る。 カールフとミルヴィアーナは、町の商店街を歩いた後、花畑に来ていた。花を育てて出荷する為の野原である。 「うん、可愛い」 その頭に花冠を載せ、カールフは微笑んだ。 「町長や領主は関係なく、君はもう小さな子供じゃない。甘えてばかりではいけないよ」 「別に甘えてなんていないわ」 「そうだね。少しづつ変われば良いんだ。だから今は‥‥」 一番愛して欲しい人の代わりにもなれないけれど。そう心の中で呟きながら、彼はそっと娘を抱き寄せようとして‥‥。 「やめて!」 突き飛ばされた。勿論娘の細い腕では、力を入れても軽く動かす程度にしかならない。 「‥‥お姉様の夫になろうとした男が私に触らないで!」 そして、彼女は花冠を捨て叫んだ。 「存外普通よの」 町長達が出かけている間に、ハッドは私室を見せて貰っていた。『どうせ拷問器具でもあるのであろ?』と側近に尋ねて、渋々開けて見せてもらった鉄製扉の奥の部屋は、確かに拷問器具満載の部屋である。 「普通‥‥でしょうか」 アルセニーも中に入って、ひとつひとつ確かめた。 「じゃが使用した形跡がないのぉ。何処かに呪いの道具でも無い物か‥‥」 呪い用品は無い。 「つまりこの部屋は、ただの器具収集部屋という事でしょうか」 「新品ばかりじゃから作らせておるの」 この部屋が作られたのは1年ほど前の話らしい。つまり1年の間、一度も使用されず置かれたままという事だ。 その日の夜、万里子は庭に隠れて少し離れた所で会話している姉妹を眺めていた。 フレイとニーナは一行とは別に改めて訪問しており、夕食前にやってきたばかりである。フレイは、ニーナの友人として挨拶をしていた。 (ふぅん‥‥。これって、何だろ‥‥。姉妹仲が‥‥って事かな‥‥?) 会話の後に走り去っていく妹を眺めながら、万里子は残されたニーナを見つめる。 ● 結局、一行がミルヴィアーナと仲良くなれた、という事は無かった。 彼女自身が心を開くには、もう少し時間が掛かるのかもしれない。 「また来ても良い? ミリーと呼んでも良いかしら」 帰り際、レートフェティが尋ねた。 そう。そんな些細な糸口から、始まるものなのかもしれない。 |