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■オープニング本文 こんな夜中に出てくやつがあるかい、と言われたのが半刻ほど前のこと。 その制止もなんのその、勢いだけで家に帰ると温泉宿を出た半兵衛はいわゆる酔っ払いというものだった。 冷たい風にさらされ全身から立ち上っていた湯気は既になく、年甲斐もなく鼻水まで垂れてくる始末だったが、酒のせいで内側は温かいのか本人は気にしている様子がない。 提灯を持ち鼻歌まで歌いながら上機嫌に山道を歩いていた。 「秋の夜に虫の声とは風流だなぁ」 様々な虫の声が聞こえてくる草むらを見、へらへらと笑う。普段の半兵衛なら見向きもしないものだったが、今は素直に言った通りのことを思っていた。 と、折角楽しんでいたその声が消える。 まさに、フッ、っと蝋燭の火を消したかのように、突然の静寂が訪れた。 「なんでぇ。もう少し楽しませてくれても良いだろうが、ばっきゃーろー!」 興をそがれた半兵衛は感情のままに草むらを罵倒するが、もちろん返事がある訳がない。 本人もそのつもりだったのか、言うだけ言うとまた山道を進もうと足を前に出した。 がさり。 草を掻き分ける音だ。 酔っていてもそれだけは分かり、音のした方向――背後を振り返った。 まず木か何かが倒れたのだと思ったが、それならばあんな音がするはずがない。そう思いよくよく目を凝らしてみると、それは大きな蟷螂だった。 暗闇の中でそれははっきりとは見えなかったが、半兵衛の持つ提灯の明かりを反射するのは、蟷螂の象徴とも言える一対のカマ。 「ア、ア、アヤカシ、アヤカシだぁーっ!!!」 何度も息を吸っては声に出来ずにいた半兵衛は、やっと大声でそう叫ぶと一目散に山道を駆けて行った。 死に物狂いで家に戻り、開拓者たちに退治が依頼されたのは翌日のことである。 |
■参加者一覧
朝比奈 空(ia0086)
21歳・女・魔
瑞姫(ia0121)
17歳・女・巫
橘 琉架(ia2058)
25歳・女・志
杜夜(ia3933)
23歳・男・陰
バロン(ia6062)
45歳・男・弓
介(ia6202)
36歳・男・サ
からす(ia6525)
13歳・女・弓
忍(ia8139)
17歳・女・シ |
■リプレイ本文 ●集合した仲間たち 「温泉か‥‥悪くないな。最近は忙しいことばかりで疲れていたのだよ」 アヤカシが出るという道へと出発する前、介(ia6202)がそんなことを漏らす。 最近、動物の世話に子供の相手、その上山登りまでさせられたのだという。それは疲れるはずだ。 「早くアヤカシを倒して、ゆっくりとお湯に浸かりたいものですね‥‥」 「そうですね。ちゃきちゃき片付けて温泉に入りましょうか」 朝比奈 空(ia0086)の言葉に杜夜(ia3933)が同意する。風は緩やかだが、空気が冷たいのであまり長く屋外には居たくはない。 「せっかく疲れ癒すために来ているんだから、邪魔なものは速攻でどかして、温泉を楽しむわよ」 橘 琉架(ia2058)も風が入らぬよう着物の前を正しながら言った。 その隣では温泉という言葉に嬉しそうな表情を浮かべている忍(ia8139)が歩いている。 「温泉‥‥あ、いえ、もちろんアヤカシ退治も頑張りましょう」 取り繕うようにそう言ったが、その後に小さく「でもこんな依頼を見つけれてラッキー」と呟いたのは幸いみんなの耳には届かなかったようだ。 「アヤカシ退治と温泉、どっちが目的なのやら‥‥まあ、きっと温泉なのだろうなぁ」 「楽しみになるのも仕方なかろう。‥‥ただし油断は禁物じゃな」 仲間の様子を見て苦笑するからす(ia6525)にそう言って笑いかけるバロン(ia6062)だったが、最後に注意を促す言葉を付け足す。 防御力は低いが、攻撃には気をつけるべき相手が敵――油断してはならない。 その後には温泉が待っているのだから。 ●蟷螂との戦い 予定通り、昼にはアヤカシが出るという山道へと辿り着くことが出来た。 「ここで待っていれば出てくるんですね」 瑞姫(ia0121)が辺りを警戒しながら呟く。 道幅はそれなりにあるが、左右は木と草に囲まれており、奥がどうなっているのかは分からない。 温泉宿の付近にはそれなりに人が住んでいるらしいが、この辺りには民家もほとんどなかった。 最初にアヤカシと遭遇した半兵衛も、酔っていなければ夜中にこんな道を一人で歩こうなどとは思わなかっただろう。 ‥‥数分ほど待っただろうか。 一瞬風が止んだと同時に、少し離れた場所でガサッと草が揺れた。 「出たぞ!」 「ふふ、探さなくてもよいのはありがたいですね」 余裕たっぷりに言う杜夜。 道へと現れたアヤカシは確かに大きな蟷螂の姿をしていた。体は暗い緑をしており、もし光源のない夜だったなら闇夜に紛れて判別が難しかっただろう。一番大きな前脚はギザギザの付いた鎌になっており、昆虫の蟷螂とは違い、まるで刃物のような形状をしている。 「これは当たれば大事だな」 その鎌を見、怖い怖いと下がるからす。しかし本当に怖がって退いたのではなく、隊列のためだ。 動くこちらを目に捉えたアヤカシは、ぐっと背に力を入れる動作をした。 「飛んでくるぞ‥‥!」 「その前に止めましょう!」 後衛に位置する者たちに攻撃が当たれば不利になる。忍は木葉隠で回避率を上げ、前へと飛び出した。 「私も行かせてもらうわよ」 それに続いて走り出すのは琉架だ。 鎌はブンブンと風を切る音をさせて振り回され、その鎌により着物が破ける。しかし琉架はそんなこと気にもしていない様子だった。 着物だけでなく肌も切れて血が飛んだが、それを素早く介が神風恩寵で回復させる。 「まったく無茶をする‥‥」 「杜夜様、呪縛符をっ」 了解、と短く言って杜夜が呪縛符を放つ。呪縛符から出てきた式たちはアヤカシの脚に、鎌に、胴体に張り付き、その動きを鈍らせる。 その隙を狙い鎌に集中攻撃しようとするバロンだったが、さっきまでの攻防を見ればあの鎌が頑丈ということはよく分かる。なにせ盾のように防御にも鎌ばかりを使っているのだ。 『ッギィ‥‥ッ!?』 ならば、と影撃を胴体に命中させると、アヤカシは人とも家畜とも取れない耳障りな声で鳴いた。 「胴体を狙えば飛行阻止になりそうだな」 力の歪みを使い、介が攻撃をする。 アヤカシの胴体付近の空間が歪んだかと思うと、一気に捻られ脚の一本が真上を向いた。 『ギッ――ギィイィッ‥‥!!』 触角をめちゃくちゃに動かしてアヤカシが再度鳴く。だが中脚一本を失っただけではバランスを崩さないようだ。 この機会を逃さず一気に畳み掛けるため、からすが風撃を鎌に向けて繰り出す。 「効いているようですね」 「もう持たないでしょう‥‥終わりです!」 『ガッ‥‥ギギッ‥‥ギイイィィィ‥‥ッ!!』 後衛の空と瑞姫も順に力の歪みを駆使し、蟷螂型のアヤカシは断末魔を残してその身を地に沈めたのだった。 しばらくすれば消えるであろうアヤカシの骸。 その脇に立ったからすがぽつりと言う。 「私たちの目的を知ればどう思うか‥‥お主も哀れよの」 まさか今回の目的の大半が温泉のためなどとは、このアヤカシも思ってはいなかっただろう。 ●ここは温泉宿の男湯 その後、一行はアヤカシ討伐成功の報と共に、山道を進んだ所にある温泉宿へと訪れていた。 新しい建物ではないが、それが逆に趣のある宿だ。その宿自慢の温泉は、入ってすぐの廊下を右へ真っ直ぐ進んだ先にあった。 「最近は朝晩の冷え込みが厳しくなりましたからねぇ、腰が痛くて適いません」 足湯に両足を入れた杜夜が困ったという顔で言う。 「‥‥年寄くさいでしょうかね」 そう笑い混じりに続けると、肩まで温泉に浸かったバロンが快活に笑った。 「わしも寒くなると古傷が痛むからのう。互いに温泉に入れて良かった、といったところか」 「はは、そうですね」 先ほどまで手足の先が驚くほど冷たくなるような寒さだったが、温泉に浸かった途端こんなにもぽかぽかとしている。相変わらず吹いている風は冷たいが、今は温泉との温度差もあり心地よいくらいだ。 「ああそうだ、折角の温泉だからと天儀酒を持ってきたんじゃった。一緒に飲むか?」 「温泉にお酒‥‥いいですね、いただきましょう」 杜夜は盆の上の酒を受け取る。温泉特有の香りとアルコールの匂いは案外合うものだ。 「おぬしもいらんか?」 バロンは少し離れたところで温泉に浸かり、なにやら髪の長さを気にしているらしい介に声をかけた。 介は声をかけられて顔を上げ、少し考えた後返事をする。 「少量なら。‥‥今日は仕事をする気はないのでな、二人とも飲み過ぎるなよ」 職業が医者のせいか、妙に説得力のある言葉だった。 「もちろん。こう見えても俺、酔うとなかなかに厄介でして」 杜夜はお猪口を片手にニコリと笑う。 一体酔うとどうなるのだろうか‥‥気になったがなんだか嫌な予感がして、結局訊くことは出来なかった。 「そういえばさっき宿の主人に何か聞いてましたが、気になることでも?」 しばらくして、ふとそのことを思い出した杜夜が介に訊く。 「温泉の効能をちょっと、な。男湯は疲労に効き、女湯は美容に良いと謳っているようだ」 実際は男湯も女湯も成分は同じで、疲労や美容に良いという両方の面を持っているらしい。 商売のためにウケる要素だけを強調して前に押し出しているのだという。嘘をつかずに集客するとは商売上手だ。 「さて、そろそろ背中でも流すか」 バロンが湯気を立ち上らせながらザバァっと湯から上がる。 「それが終わったら定番のアレじゃな」 「‥‥アレ?」 「湯から上がった後の牛乳じゃよ、牛乳」 もちろん飲む時はきちんと手を腰に当ててな、とバロンは本当に楽しみだという顔をして言った。 ●一方その頃、女湯では 「あの‥‥じつは背中に大きな傷があるんです。驚かないでくださいね‥‥?」 脱衣所でもぞもぞしており、一人だけまだ着物を着た状態の瑞姫がそう前置きする。 理由があり出来た傷跡なのだろうが、本人もその理由を知らないし、知りたいとも思わないのだという。 それを聞いたからすがコクリと頷いた。 「大丈夫、驚きはせぬよ。傷など気にせずとも綺麗ではないか」 「き、綺麗‥‥ですか?」 その単語にしばらく目を瞬かせていた瑞姫だったが、からすが嘘を言っているのではないと分かると、ホッとしたような顔で「ありがとうございます」と述べた。 浴場への戸を抜けると、湯気に包まれた温泉が見えた。どうやら現在ここを利用しているのは自分たちだけらしい。 「他の客はいないみたいね。貸し切りみたいで得したかも‥‥」 琉架は掛かり湯をしてから湯にそっと足を入れ、ん〜っと腕を伸ばす。 「傷にちょっとしみるけれど、手足を伸ばせて良いわ。いい気持ち〜」 広々とした温泉では豪快に手足を伸ばすことが出来る。泳ぎたいと思う者が出るのも仕方のないことかもしれない。 と、そこへ脱衣所の方向から声がかかった。 「お茶も用意しましたよ。ゆっくりとお湯に浸かって――うわァっ!?」 各々温泉を楽しんでいた女性陣が一斉にそちらを見ると、滑って転びかけたが寸でのところで踏みとどまったらしい忍の姿があった。 「セ、セーフです」 前髪と湯気で視界が悪かったようだ。一同は本人と、そして盆の上のものが無事なことを確認し、胸を撫で下ろす。 忍は仕切りなおして湯に浸かり、盆を湯船へと浮かべる。 「みなさんもどうぞ、熱い温泉に冷たい和菓子‥‥美味しいですよ♪」 盆の上には様々な和菓子が用意されていた。 この和菓子は杜夜の差し入れで、脱衣所に入る前に女性陣のみんなへと手渡されたものだ。盆の脇にはちゃっかり忍の持参した羊羹も乗っている。 「ではお一ついただきますね」 ススッと湯の中を移動し、瑞姫は羊羹を一つ口に運ぶ。甘い味が口の中に広がった。室内で食べるのとはまた違った美味しさだ。 「ふう‥‥平和な光景ですね」 そんな面々を見ながら、空も温かな湯に身を沈める。 大きな戦いを終えた後ということを考えると、これは一時の休息だと言えるだろう。 それを無駄にしてしまっては勿体ない。次の戦いに備え、彼女もゆっくりと体を休めようと手足を伸ばした。 その向かいで冷茶を片手に持ちながら空を見上げているのはからすだ。 宿では軽食が振舞われ、その後の入浴となったため既に夕方を通り越して夜に近い。季節柄日暮れも早く、夕日の僅かな光が西に残っているのも構わずに、月が空の暗い場所に浮かんでいた。 もうしばらくすれば辺りは完全に暗くなるだろう。 「上がった後は手近な木に登って、改めて月見といくか」 湯冷めしないように温かい茶も用意していこう‥‥からすはそう考えながら目を細めた。 「ふう、いいお湯ね‥‥また来たいかも」 宿の主人が聞いたら一発で破顔しそうなことを琉架が呟き、開拓者たちの心休まる時間は過ぎていった。 その後のぼせてしまった人に対し、忍が冷たい羊羹をおでこに乗せて笑いが巻き起こったのは、また別の話である。 |