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■オープニング本文 ● 地を走る影があった。 速い。例えるなら疾風。シノビである。 「早く……早く頭領にお知らせしなくては」 シノビが独語した。 その時である。突如、シノビがよろけた。疾走する速度そのままに地に叩きつけられる。 苦痛にシノビが呻いた。その左足首から先が消失している。切断されていたのだった。 「こ、これは」 その時に至り、ようやくシノビは気づいた。樹間に張られた目に見えぬほど細い糸に。 「鼠め。逃げられると思っていたか」 あざ笑う声がした。 刹那、シノビが跳んだ。片足一本のみにて。 シノビの身がましらのように空に舞った。そして、そのまま空に凝固した。 シノビの身に数条の糸が巻きついている。それは蜘蛛の巣にかかった蛾のようで。もはやシノビは身動きひとつならなかった。 「いっただろうが。逃がさぬと」 再びあざ笑う声が響いた。 次の瞬間である。シノビの身はばらばらに寸断された。 どれほど時が流れたか。闇の道にふっと人影がわいた。 人影は蜘蛛のように地を這った。その先にあるのは寸断されたシノビの死体である。 人影が死体の胴に刃をつきたてた。裂く。 びょう、と風が吹いた。 ● 諏訪屋敷。 蝋燭の炎が揺れる奥座敷に座しているのは怜悧な相貌の男であった。 名は諏訪顕実。上忍四家である諏訪一族の頭領である。 「うむ」 顕実は肯いた。その耳にはある声が届いている。 常人には聞き取ることのかなわぬほどの小さな声。が、顕実は常人ではない。 「これで四家か」 重い声で顕実は呟いた。 放ったシノビよりの報せ。諏訪に属するシノビ一族のうち四家が諏訪から抜けると宣言したという。 五十三家ではないとはいえ、四家は中規模程度の勢力をもつ。それが相次いで諏訪から抜けるとは異常事態であった。 問いただしたところ、返答はなかった。そこで四家のひとつである伊那一族にシノビを放ち、探索させたのであるが、そのシノビは生きて戻ることはなかった。無残にも身体をばらばらに寸断されていたのである。 放ったシノビは手練れであった。それがいとも簡単に殺られようとは。 が、収穫がなかったわけではない。ある紙片が入手できた。それはシノビが胃に飲み込んでいたものであった。 そこには「雷」と「木曽」なる文字が記されてあった。 木曽とは木曽一族のことであろう。そのまま読み解けば、次に狙われるのは木曽一族ということになる。 では雷とは何か。何としてもその正体を探り出さねばならぬ。 が、だ。諏訪のシノビにそれがなるか。 木に隠れ、地に伏し、人に紛れて情報を得るは諏訪シノビの得意とするところであった。こと情報を扱うにおいて諏訪は他の上忍三家を遥かに凌ぐであろう。しかし戦闘においては一歩を譲るところがあった。 「三家の力を借りるは困難。叛のしこりが残るうちは、連携は避けるべきか。どころかこの事、諏訪の秘中の秘としなければならぬ。ならば」 蝋燭の炎をゆらし、顕実は立ち上がった。 |
■参加者一覧
北條 黯羽(ia0072)
25歳・女・陰
大蔵南洋(ia1246)
25歳・男・サ
九法 慧介(ia2194)
20歳・男・シ
孔雀(ia4056)
31歳・男・陰
劫光(ia9510)
22歳・男・陰
ラシュディア(ib0112)
23歳・男・騎
レイス(ib1763)
18歳・男・泰
巳(ib6432)
18歳・男・シ
高尾(ib8693)
24歳・女・シ
乾 炉火(ib9579)
44歳・男・シ |
■リプレイ本文 ● 黄昏の光に、十の影が長くのびていた。 場所は木曽一族の里に続く道。荷車がやっと通れるほどの細いものだ。 「…相変わらずキナ臭ぇ国だな、ここは」 ぼそりともらし、その男は口から煙草の煙をぷかりと吐いた。がっしりとした体躯の持ち主で、どこか無頼めいている。乾炉火(ib9579)という名のシノビであった。 すると、ふふ、と薄く笑う声がした。 着流しの胸元を大きくはだけさせた若者。覗いているのは青白いといってさえよい胸で。これは名を巳(ib6432)といった。 「ここは昔からこういう国なのですわ」 巳がいった。ぎくりとして三人の男女が目をむける。北條黯羽(ia0072)、劫光(ia9510)、ラシュディア(ib0112)の三人だ。 「なんだい、その口のききようは? 仕事の前に大事なところを切断しちまったんじゃないだろうね」 黯羽が胡散臭そうに顔をしかめた。巳の口調は女のものであるが、彼はれっきとした男なのである。 「あら」 巳は大仰に驚いてみせ、次いで艶っぽく笑んでみせた。 「あら、そんな顔しなくても良いでしょう? それとも、普段と違うからって発情ですか?」 「誰が発情するか」 冷然たる顔で劫光が吐き捨てた。この若者、基本的に女にあまり興味はない。興味があるとするなら、それは護るべき者を護ることのできる力を得ることであった。 「ああら、冷たいのねえ。哀しいわあ」 巳がラシュディアにしなだれかかった。ぱっとラシュディアが横に飛ぶ。そして苦く笑った。 「ふざけるのはよしてくれ」 ラシュディアがいった。この快活そうな若者には護るべき者がいたのだ。 ラシュディアは表情をあらためると、 「そんなことより、里はもうすぐだな」 「諏訪の木曽一族、ですか」 女性めいた端正な相貌の若者――レイス(ib1763)は遠い目をした。 「シノビに関わると、厄介な事が多くて面倒なんですよね」 「だったら、どうしてこの依頼を受けたんだい?」 のほほんとした口調で問うたのは、飄然たる若者だ。名は九法慧介(ia2194)という。 「諏訪の頭領からの依頼だからですよ」 さらりとレイスはいってのけた。その女性的な顔立ちとは違い、その声音にはどこか刃の冷たさが滲んでいる。 「縁を作っておけば今後情報面で役立つでしょうからね」 「いうわねえ」 ニンマリと、その細身の男は笑ってみせた。白粉を顔にぬりたくり、唇に紅をさしている。 男――孔雀(ia4056)は毒蛇のように口の端を吊り上げると、 「欲望に忠実な男は好きよ。見ているだけでうずうずしちゃう」 「あいにく僕に男色の趣味はありません」 レイスが冷たく一瞥した。ふふん、と孔雀は鼻を鳴らす。孔雀にはレイスの正体が見て取れているからだ。 レイスという少年。すました顔をしているが、一皮むけば孔雀と同じ蛇であった。それも毒の牙をもった危険な蛇だ。 「木曽一族、か」 難しい顔で、その男はふうむと唸った。まさに無骨という言葉を体現したような男で、名を大蔵南洋(ia1246)という。 この時、南洋の脳裏ではある疑念が渦巻いていた。それは諏訪を抜けてどうする、という疑念である。 氏族により差はあるだろうが、余程の力でも無い限り己の一族のみで生き抜くことは困難であった。そのようにして滅びた一族を彼は知っている。 鴉一族。かつて夜叉一族に滅亡させられたシノビ一族であった。 これは噂であるのだが、力が全てである陰殻において、たった一氏族のみ独立独歩の立場を護り続けているという。それは葉隠一族であり、上忍四家ですら手出しのかなわぬ氏族なのだそうだが、これは特例中の特例だ。通常は一氏族のみに葉隠一族ほどの戦力はない。その戦力の意味においても四家が抜けたのは不可思議と考えざるを得なかった。 諏訪の頭領が噂通りのシノビであるなら、己の支族の戦力など把握していて当然。故に配下の死に様から、伊那の里にそれをなしうる程の手練がいないということも察したのであろう。だからこそ開拓者に依頼を出したのだ。 そこから導き出される結論はひとつ。諏訪以外の者が入り込んでいるのだ。 では何者か。易々とシノビ一族を手玉にとった存在とは。 「謀略の匂いがするね」 南洋の考えを読み取ったのではあるまいが、十人めの開拓者が呟いた。 人間ではない。修羅である。まるで全身から蜜が滴り落ちているかのような妖艶な女であった。 女――高尾(ib8693)は続けて独語した。 「諏訪を瓦解させることが目的か。それとも諏訪の持つ情報か。いや、武力に劣る諏訪を乗っ取り、他の上忍を狙うということも考えられるね」 高尾自身は知らず、その背は粟立っていた。それは恐怖と興奮によるものである。 いかに中規模程度のシノビであろうとも、里には防衛手段が講じられていたはずである。さらには手練れのシノビもいるはずだ。それを恭順させたのであるなら―― 「かなりの力を持つねぇ」 高尾の目がきらりと光った。その脳裏にある名が浮かび上がっている。 乱童、そして般若丸だ。恐るべき実力の持ち主で、追撃のシノビを悉く屠ってのけてと聞いている。のみならず、その身体に謎の紋様をうかばせた時、その戦闘力は上級アヤカシにも匹敵するという。 「もしかすると奴らが雷ということも考えられるねぇ」 高尾はニンマリした。 ● 木曽山。 その山裾に広がる村こそ木曽一族のシノビ里であった。寒村の多い陰殻においては比較的裕福そうな村である。 すでに夜。村はずれの小屋の中で、黯羽は囲炉裏の火に手をかざしていた。 「何て寒さだい、まったく」 黯羽はぼやいた。他の開拓者は里へと散っている。 小屋は里の者から借り受けたものだ。諏訪は他の上忍三家と比べ、余所者に対して寛容であるらしい。とはいえ見張りがついているのは覚悟しておかねばならないだろう。 「迦羅波、倶利伽羅――」 黯羽が鍵となる呪文を唱えると、符の術式が開放され、梟へと変化した。 「さあ、頼むよ」 黯羽が梟を放った。これで五度目である。が、未だ収穫というほどの情報は得られていなかった。 そもそも人魂の術の効果時間は短い。式で探ることのでぎる範囲は小屋の周辺だけであった。 同じ時、南洋と慧介は民家のひとつを訪れていた。食べ物を購うという名目である。当然金子は必要であったが。 囲炉裏の縁に座った南洋は汁をすすりながら問うた。 「叛のことだが。最後の叛にも関わった開拓者としては、やはりそのままには捨て置けなくてな。で、叛の前と後で陰殻は変わったと思われるか?」 「いいや」 老人は首を振った。 「やはりここは陰殻じゃ。叛がなくなったとて、そう簡単に何かが変わるということはない。何か大きな嵐でも吹いて、一度何もかも吹き飛ばしでもせんことにはな」 「大きな嵐‥‥」 南洋の背に、この時、異様な戦慄がはしった。それは南洋の武人としての予知能力にも似た感覚であったのかもしれない。 「陰殻というところは大変なんだなあ」 のんびりと慧介はいった。が、その態度とは裏腹に彼は超人的聴覚により周囲の音を探っている。 「うん?」 慧介の目がわずかに見開かれた。 遠く。苦鳴がする。 慧介が目配せした。素早く南洋が立ち上がる。 「馳走になった」 頭をさげると、南洋は戸口から飛び出した。 ● 「俺は男でもかまわねんだぜ」 炉火の手が巳の尻にのびた。その手をニッと顔に笑みを刻んだままで巳が振り払った。 「いくら貴方でも、外でのおいたは厳禁でしてよ?」 「おお、恐い恐い」 おどけてみせると、炉火は小さな居酒屋に入いった。席につく。そして周囲を見回すと、煙管を振ってみせた。 「いい店じゃねえか。なんか雷の意匠の物ねーかな。格好良いだろ雷、派手でよ」 「確かに派手かも知れないけれど、わたしは雷なんて嫌だわ」 巳が眉をひそめた。そしてちらりと居酒屋の娘を見た。一瞬だが娘の顔つきが変わったのを巳は見逃さない。ふふふ、と巳は冷たく笑った。 どん、とラシュディアは戸を叩いた。すると、ややあって戸が開き、迷惑そうな顔が覗いた。 「何だい、お前さんら?」 「旅の者だ。村はずれの小屋を借りている。ところがだ。食い物も油もないときている。譲ってもらえないだろうか」 ラシュディアはいった。先ほど会った里人から、この家が里唯一の万屋であると聞いている。 「客か」 男が顔を引っ込めた。劫光、ラシュディアに続いてレイスが中に入る。 「ほう」 レイスが物珍しそうに店内を見回した。油や小間物などが並べられている。 「良い店ですね。シノビの里にはこのような便利な店がどこにもあるものなのですか」 「ここは良い方だな。近くの山で狩りができるし」 「アヤカシなんかはいないのか」 ラシュディアが問うた。すると男は薄く笑った。 「おかげさまでな。この里にはアヤカシはでないよ」 「ラシュ、いやデニム」 ラシュディアをおしのけると、今度は劫光が口を開いた。 「ところでひとつ聞かせてもらえないか。里の頭領殿のことだ」 「道有様のことか」 「ああ。頭領殿はどのようなお人なのだ。できれば見知りとなっておきたい。仕事の助けとなるかもしれないからな」 「立派なお方よ。木曽一族随一の手練れでもあるしな」 「そうか」 劫光は木曽道有の名を胸に刻みつけた。 道有という男、なかなかの人物のようだ。逆に考えれば野心をもってもおかしくはない。諏訪を抜け、もっと有力な何者かにつくかも知れないということだ。 「お待ちを」 居酒屋の娘を巳が呼び止めた。振り向いた娘は怪訝そうに巳と炉火の顔を見つめている。 「お客さんだね。何か用?」 「用ってわけじゃねえんだが。俺は雷に興味があってよ。何か知ってるんじゃねえか」 「雷について?」 娘は首を傾げた。 次の瞬間である。娘はくたりと倒れた。 慌てて巳と炉火が駆け寄った。娘を抱き起こす。どうやら喪神しているようだ。 「おい」 炉火が揺り動かした。娘の目がゆっくりと開く。 「わたし……どうして」 「気を失ったんだ。何があった?」 「わからない。確か男の人が突然襲ってきて……それからは何も覚えていない」 「男が……」 巳と炉火はそっと顔を見合わせた。 ● 「ここが頭領の屋敷ね」 闇に沈む屋敷を前に孔雀は独語した。 「もし雷が離反を煽るなら、ここに現れるはずだけれど」 村の様子にさして変わったところはない。まだ雷は現れていないのだろう。 木曽一族がどのようなものか。多くの情報を孔雀は得ていなかった。諜報に長けたシノビ一族のことであるから、それも仕方のないことではあるのだが。 孔雀は思う。雷の目的は何であるのか、と。もしかすると先代が護大封印の解除法を知っていた様に、顕実しか知らぬ情報を引き出す為であるのかもしれない。 「北斗」 再び孔雀は独語した。その名を諏訪顕実に問うたのであるが、顕実は知っていた。 北斗は葉隠一族のシノビであったらしい。天才的なシノビであったが、斑一族なるシノビ一族に騙され、殺されたという。その斑一族は葉隠一族によって滅ぼされている。 その北斗の名を聞いた時、顕実ほどの男が嘆いた。もし生きていれば陰殻を変える男になったかも知れないと。 と、はじかれたように孔雀は振り返った。放った式が近づく影をとらえたのだ。人とは思えぬ速さで疾駆する何者かを。 咄嗟に孔雀は木陰に身を隠した。 同じ時、高尾は道有屋敷の離れにいた。男と共に。それは道有の孫であった。年齢は十五ほどか。 女の色香を使い、高尾は少年に接触した。少年を手玉にとることなど彼女にとっては赤子の手を捻るより容易いことであったのである。 高尾が身を起こした。驚いた少年が問う。 「どうしたの」 「しっ」 高尾が少年の口をふさいだ。 ● 「何者だ、うぬらは?」 愕然として老人が問うた。ここは木曽一族頭領屋敷である。そう容易く余人は近づけぬはずであった。 その老人――木曽道有の前にはふたつの人影があった。一人は十八歳ほどの若者であり、もう一人は仮面をつけている。 「雷」 若者がこたえた。 「雷?」 「そうだ。すでに見張りのシノビは片付けてある。騒いでも無駄だ」 「そうかな」 道有の目が光った。と―― いつの間にか道有の背後に若者が立っていた。 「ふふん。夜は俺には効かぬ」 「ぬっ」 道有は呻いた。彼は悟ったのである。天地間ほどもある彼我の戦闘力の差を。 「その雷が何の用だ?」 「我らの軍門にくだれ」 「馬鹿な」 道有があざ笑った。 「わしは木曽道有ぞ。うぬらの軍門になど」 道有が苦悶した。凄まじい激痛が彼の身体をはしりぬけている。 今度は若者があざ笑った。 「すでにうぬには術を仕掛けてある」 「これだ」 仮面の男が手をあげた。その手には蛇が巻きついている。 「うぬと里の者の身裡にはこれがおる。逆らえば死ぞ。――乱童」 「おお」 乱童と呼ばれた巨漢が跳んだ。音もなく離れの建物の前に降り立つ。 慌てて高尾が睦言を口にした。乱童が聞き耳をたてているのは承知している。もし乱童に不審を抱かれたら、生きてここから出るのは不可能であろう。 ややあって。 ちっ、と乱童は舌打ちし、再び跳んだ。 ● 小屋に戻ったのは南洋と慧介、そして孔雀であった。南洋と慧介は雷の痕跡を追い、道有屋敷の近くで行き会ったのである。 黯羽が顔をあげた。ニヤリと笑う。 「その顔は何かわかったようだね」 「ええ」 慧介は肯いた。超人的な聴覚の範囲ぎりぎりまで離れ、慧介は屋敷の内のやり取りを耳にしたのである。 気づかれればただでは済まない。孔雀の忠告によったのであった。 「雷の目的は陰殻そのものです」 慧介の顔からは飄然たる笑みが消えていた。 |