影から生まれた者
マスター名:御言雪乃
シナリオ形態: ショート
EX
難易度: 難しい
参加人数: 7人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2014/03/09 01:27



■オープニング本文


「ユリア」
 玉座についた傲然たる男がちらりと視線をむけた。
 男の名はツァーリ・ガラドルフ(iz0101)。ジルベリア帝国皇帝である。
 ガラドルフの視線の先、純白の制服をまとった女が顔をあげた。十七歳ほどに見える美麗な娘。わずかな隙も無いその佇まいはただものではなかった。
 それもそのはず、娘は皇帝の最強の剣であり、最後の盾であった。
 ユリア・ローゼンフェルド。皇帝親衛隊隊長である。
「はッ」
「どうした。顔色が悪いようだが?」
 ガラドルフが問うた。ユリアは内心の動揺を微笑に隠し、首を振った。
「いえ。昨夜は遅くまで執務室につめておりまして」
「寝不足か。帝国のため、忙しく働いていてくれるのは有難いが、お前は帝国にとって――いや、何よりこのガラドルフにとってはなくてはならぬ存在だ。もしものことがあっては困る。身体を厭うてくれ」
「有難きお言葉。肝に銘じておきます」
 ユリアは深く頭を垂れた。同時に胸の中に渦巻く厄介ごとに思いを馳せた。
 それは一年と二月ほども前のことだ。ヴァイツァウの乱に続いて武装勢力が蜂起した。規模そのものはたいしたことはなく、それはすぐに鎮圧されたのであるが、首謀者の一人である男が捕縛から脱し、逃走した。その男の名こそ、アルベルト・クロンヴァール。
 その後、ユリアはアルベルトを密かに追っていた。そして、ついにアルベルトの居所を突き止めたのである。
 そこは驚嘆すべき場所であった。こともあろうにアルベルトはバルトロメイ・アハトワが所有する幾つかの別荘のひとつに潜んでいたのであった。
 バルトロメイ・アハトワ。前皇帝親衛隊隊長であり、そのあまりの強さのために生ける伝説と呼ばれている男だ。
 いまだにガラドルフ皇帝の信任あつく、軍に対しても隠然たる影響力をもっている。バルトロメイがその気になればジルベリア軍の半分は彼に従うのではないかと噂されているほどだ。
 そのバルトロメイの別荘に武装蜂起者が潜んでいる。どのような経過でこんな事態におちいったかは定かではないが、これは由々しき問題であった。
 英雄であるバルトロメイの名を傷つけてはならない。帝国のためにも断じてそれは成し遂げられねばならぬことであった。
 煩悶した末、ユリアは十二使徒を動かさないと決めた。超エリートである皇帝親衛隊は目立つ。その皇帝親衛隊がバルトロメイの別荘を急襲したりなどすれば、どこから真相がもれるか知れたものではないからだ。
 かつユリアにはバルトロメイに対する遠慮があった。敬慕するバルトロメイに余計な負担をかけたくなかったのである。そのため、アルベルト捕縛は極秘にすすめなければならなかった。
 さらに懸念があった。仮面をつけた存在だ。暗躍するソレは人間とは思えぬ戦闘力を有している。それが此度も関わってくるかも知れなかった。
「……やはり開拓者か」
 小さくユリアは呟いた。


 視界が真っ赤に染まった。
 血だ。それは母親の身体からしぶくものであった。
 家族を守って戦った父はすでに殺されている。母も今倒れた。ジルベリア兵は次に妹に剣をむけている。
「や……めろ」
 少年は叫んだ。が、それは呻きに近い声であった。
 苦痛で身体が動かない。声すらまともに出すことはできなかった。
 その時、ジルベリア兵が妹に剣を突き刺した。助けを求める妹の眼がじっと少年を見ている。が、少年は動くことはできなかった。少年もまた斬られていたからだ。
 何て無力なんだ。
 少年は身もだえした。そして慟哭した。その時――
「力が欲しいか」
 声が耳元でした。それは部屋の隅の暗がりからしたようであった。
「欲しい。奴らを殺す力が」
 無意識的に少年はこたえていた。すると何かが笑う気配がした。瞬間、少年の意識は途絶えた。
 どれほど時が経ったか。
 再び少年は目覚めた。そして気づいた。部屋の中にはジルベリア兵の骸がころがっていることに。

 男ははじかれたように顔をあげた。どうやら転寝していたらしい。気持ちの悪い夢を見ていたようだが、あまり思い出せなかった。
 立ち上がると、男は裏口の鍵をかけた。そしてフードをはねのけた。現れたのは端正といえなくもない顔だ。ただ、その瞳は昏い。そして刃のように鋭い光がたゆたっていた。
「灯台下暗しとはよくいったものだな」
 男はほくそ笑んだ。そしてあらためてエントランスを見渡した。
 ある開拓者の手引きで入り込んだ別荘。あまりに広い邸宅であるが、それをバルトロメイは幾つも所有しているという。所詮、バルトロメイもまたエリート貴族の一人に過ぎないということか。
 男は管理人室にもどった。ベッドに横たわる。そして幾許か。
 むくりと男は身を起こした。
「ツモク」
 男は呼んだ。すると部屋の隅の暗がりで二つの眼が光った。
「何カ?」
「どうだ。別荘の周囲の様子は?」
「異常ハ、アリマセン」
「わかった。引き続き警戒しろ。まだ捕まるわけにはいかないのでな」
 いうと男はニタリと笑った。それはあまりにも魔的な笑みで。
 男の名。それはアルベルトといった。



■参加者一覧
孔雀(ia4056
31歳・男・陰
狐火(ib0233
22歳・男・シ
フレイア(ib0257
28歳・女・魔
マックス・ボードマン(ib5426
36歳・男・砲
高尾(ib8693
24歳・女・シ
エリアス・スヴァルド(ib9891
48歳・男・騎
ベアトリス・レヴィ(ic1322
18歳・女・魔


■リプレイ本文


 依頼書を見た瞬間、その女は一瞬、ほんの瞬きひとつの間だけ顔色を変えた。
 身体中からとろりと蜜が滴り落ちているかのように妖艶な女。名は高尾(ib8693)という。
 高尾は依頼を受けるでもなく、急いだ様子で開拓者ギルドを後にした。その背を見送るひとつの影。
 男である。が、顔には濃い化粧をほどこしていた。銀と銀をあしらった派手な衣装をまとっている。
「親衛隊隊長が居場所を探り当てたようねぇ」
 男――孔雀(ia4056)はニヤリとすると、
「あの女、アハトワの別荘に潜伏させるとは…フフ、可笑しくて。やる事に恥も外聞もありゃしない、此れだから女ってのはイケナイのよ」
 孔雀は独語した。この男のみ、アルベルトがバルトロメイの別荘に潜んでいた理由に気がついていたのである。
 孔雀はちらりと傍らに視線をむけた。一人の男がじっと依頼書を見つめている。どこか翳のある男で、狼を思わせる精悍な風貌の持ち主であった。
「確かマックス・ボードマン(ib5426)。‥‥ユーリと繋がりがあったわねぇ」
 呟いた孔雀の眼がこの時、ギラリと光った。まるで獲物を前にした毒蛇のように。
 ふたつの駒を前にし、孔雀の頭脳は高速で回転した。そして暗黒の答えを導き出した。
「ねえ」
 背を返したマックスを孔雀は呼びとめた。
「何だ?」
 マックスは足をとめた。ちらりと孔雀を一瞥する。
「さっきここから出て行った女。高尾というだけれど、あんた、放っておいていいの?」
「どういう意味だ?」
「アルベルトのことよ。バルトロメイの別荘に手引きしたのはきっとあの女。けれど高尾は私利私欲の為なら何でもする危険な女よ。そんな女が何の得もないのに他人を助けると思う?」
「……俺の知ったことではない。が、何故、俺にそのようなことを教える?」
 マックスが冷然と問うと、孔雀に楽しげに笑った。
「高尾が嫌いだからよ。だからあの女の目論見を叩き潰してやりたいの。お友達のユーリが悲しむ顔は貴方だって見たくはないでしょ、あの女をアルベルトから引き離さないと」
「余計なお世話だ」
 言い捨てると、マックスは足早に去っていった。


 スィーラ城城内。
 奥まった一室に親衛隊隊長執務室はある。
 その執務室のドアが開いた。姿をみせたのは二人の女である。
 一人は二十代後半。陽光を散りばめたような黄金の髪をもつ艶やかな美女だ。理知的な相貌の持ち主であるが、その面差しにそぐわぬ大きな胸をしている。
 もう一人は十八歳ほど。華奢で、やや勝気そうな美少女であった。
「フレイア(ib0257)と申します」
「ベアトリス・レヴィ(ic1322)です」
 娘と少女は名乗った。すると彼女達の前で机についた女が顔をあげた。
 気品に満ちた可憐な娘。ただその瞳は氷の光をうかべている。
 ユリア・ローゼンフェルド。皇帝親衛隊隊長であった。
「依頼を受けた開拓者だな。私に用があるそうだが」
「はい」
 フレイアは肯いた。同じように肯いたベアトリスであるが、落ち着いた態度のフレイアと違い、その様子はぎこちない。
 当然だ。彼女が相対しているのはジルベリアの騎士の頂点に君臨している存在なのであるから。
 が、臆する様子もなく、フレイアはユリアの前に歩み寄った。そして一枚の書類を差し出した。内容はアハトワに関してである。
 フレイアが想定する最大の難事。それはアハトワの介入であった。自身の別荘への襲撃。それを彼が座して見守っているはずがなかった。
「わかった。そちらの方は私が何とかしよう」
 書類を手にユリアは立ち上がった。

「ロラン殿ですね」
 問いかける声に、その男は酒の満たされたグラスをおいた。
 二十歳ほど。黒髪黒瞳の、端正な風貌の若者だ。
 名はロラン・ジュー。皇帝親衛隊の一人であり、十二使徒と呼ばれるジルベリア最強騎士の一人であった。
 振り向いたロランの眼前、一人の男が立っていた。これも二十歳ほどの美貌の青年。口元にやや皮肉そうな笑みをうかべている。
 その顔をロランは覚えていた。名は狐火(ib0233)。かつて彼の依頼を受けた開拓者である。
「お久しぶりです」
 挨拶すると、狐火は続けた。今回の依頼に関してである。
「なるほど。で、開拓者内に内通者がいる可能性が高いというわけか」
 ロランは頷いた。彼もアルベルト捕縛失敗の件は聞いていた。
 その一件だが、ロランにとっては他人事ではない。彼の友人であったクリスティーナが銀仮面の手によって殺害されていたからだ。
「で、俺にどうしろと?」
「それは――」


 ジェレゾ城下にあるアハトワ宅に高尾はむかっていた。その思考はある一点に収束されている。
 アルベルト…まだ何も為していない。まだ、これからって時じゃないか…。どうすれば切り抜けられる? 力になれる?
 さまざまな試行錯誤の末、ようやく高尾はある策を思いついた。それはアハトワを利用することである。
 どのような手を使ってもアハトワを別荘に向かわせる。それが成れば開拓者の襲撃は不可能となるだろう。襲撃者をアハトワが見逃すはずがないからだ。生ける伝説ならば必ずや開拓者を撃退してくれるだろう。
「待て」
 高尾は呼び止められた。ぎくりとして足をとめる。不覚にも考えに夢中になっており、高尾は周囲に対する警戒を怠っていた。
 振り向いた高尾の眼が不審に細められた。眼前にはマックスの姿がある。
「あんたは……何か用かい?」
「訊きたいことがある。お前……何を企んでいる?」
「企む? 何のことだい?」
「とぼけるな。アルベルトをアハトワの別荘に引き入れたのはお前だろう。目的は何だ?」
 マックスは問うた。高尾という女について、彼はそれほど詳しいというわけではない。が、金銭至上主義者であるという噂は聞いていた。
 高尾は顔をゆがめた。
「あんたには関係ない」
「とはいかん。お前を背後で操る者を知りたい。ラスリールではあるまいな」
「ラスリール?」
 高尾はくつくつと笑った。ラスリールとは南部の貴族である。そのような男を高尾は知らなかった。
「知るもんか、そんな奴」
「とぼけるなといったはずだ」
「おっと」
 高尾が跳び退った。マックスから放たれる凄絶の殺気を感得した故だ。
 その背後を一台の馬車が走りすぎた。中にいるのがユリアであることを二人の開拓者は知らなかった。
「あんた」
 逆に高尾が問いかけた。
「あたしのこと、どうしてわかったんだい? まさか誰かに――」
 高尾の脳裏に一人の男の顔が浮かび上がった。毒蛇のような男の顔が。


「あれか」
 木立ちの陰に隠れた男が呟いた。鍛え抜かれたしなやかな体躯の持ち主である。おそらくは四十代後半の年齢であろうが、いまだ若い野獣のような精気に満ちている。エリアス・スヴァルド(ib9891)だ。
 彼が見つめているのはアハトワの別荘であった。中にはアルベルトがいる。
 余人は知らず、エリアスはアルベルトを捕縛するつもりであった。建前は彼の持つ情報を入手するというものだが、本音は違っている。
 アルベルトの復讐を成就させてやりたい。否定しきれぬその思いが彼の身体を呪縛していた。
「女がいるわね」
 ベアトリスが指摘した。
 広大な別荘の敷地内。村の者らしい女が一人立っている。
「村の者ではないな」
 エリアスが指摘した。そして指である方向を指し示した。そこには老人が一人立っている。
「おそらくは見張りだな」
「そのようですね」
 望遠鏡で覗いていたフレイアが頷いた。のんびりと佇んでいるように見えるが、彼らの眼は油断なく周辺を探っている。
「それに人間ではありませんね」
 今度は狐火が指摘した。彼の超人的聴覚をもってしても彼らの足音、衣擦れ一つ聞こえない。唯一聞こえるのは別荘の中。おそらくはアルベルトのものだろう。
「ほう」
 ベアトリスは小さく声をもらした。三人の開拓者の手並みに感心したのである。
「では見張りを始末するのに遠慮はいりませんね」
 フレイアはララド=メ・デリタの呪文を唱えた。彼女の足元に真紅の魔法陣が展開、ゆっくりと回転する。
 擬似亜空間内において、フレイアは各種の精霊力を集め、混ぜ合わせた。完成する色は灰色。即ち混沌の色だ。
 フレイアは精霊力開放の座標を固定させた。一気に放つ。
 見張りの老人の背後。突如、灰色の光球が現出した。
 声すらなく。
 触れた老人が消滅した。
 そして女は――
 女のいた位置に狐火の姿があった。何時の間に移動したのかわからない。そして何時女を始末したのか。
 夜。
 狐火の操る秘術のひとつであった。

 見張りの女も始末すると、開拓者達は別荘めがけて殺到した。アルベルトのものらしき衣擦れの音は裏入り口近くにある。
 ドアに耳を近寄せ、狐火が様子をさぐった。そっとドアを開く。隙間から男の姿が見えた。椅子に座している。憂いをおびたその横顔は紛れもなくアルベルトのものであった。
「アムルリープ」
 フレイアは小声で呪文を唱えた。するとアルベルトの頭ががくりと垂れた。眠ってしまったのだ。
 するりと孔雀が忍び込んだ。血刀をたばしらせる。
 孔雀はアルベルトを殺すつもりであった。アルベルトを始末してしまえば裏切りの事実を闇に葬ることができる。
 と、血刀がとまった。孔雀の腕を掴んだ者がいるのだ。
「勝手な真似はやめていただきますよ」
 狐火がいった。冷たい眼で孔雀を一瞥する。さすがに孔雀は動けなかった。胸の内で大きく舌打ちする。
 刹那だ。アルベルトが突如はねおきた。開拓者達をじろりとねめつけ、ニタリと笑う。
「この男を眠らせてくれて助かったぞ」
 次の瞬間、人間とは思えぬ素早さでアルベルトが走った。瞬く間に窓に駆け寄り、ガラスを砕いて外に飛び出した。
「待て!」
 アルベルトを追って開拓者達も外に飛び出した。
 前方にアルベルトの姿がある。さらに左右から迫る影。すでに擬態を解いたその顔は蛇のそれであった。
「ゆけ。ここは俺に任せろ」
「私も残るわ」
 エリアスが黒色の刀身を持つ両刃の剣を鞘から抜き払った。ベアトリスは魔導書を掲げ持つ。
「俺は右を。左は任せた」
「任されたわ」
 エリアスとベアトリスが同時に左右に跳んだ。着地と同時に左方に回りこむ。ベアトリスはその場にとどまったまま。
 迫るアヤカシにむけてエリアスは横一文字に刃をはしらせた。ベアトリスは呪文を詠唱。眼前に浮かんだのは燃える魔法陣だ。
「これは得意なんだから。ファイヤーボール!」
 方位固定。虚数空間と現象空間接続。ベアトリスは一気に魔力を開放した。
 瞬間、魔法陣から火球が噴出した。着弾と同時にアヤカシを消滅させる。
 同じくアヤカシを消滅させたエリアスが振り向いた。すでにアルベルトと開拓者の姿はなかった。

 高尾とマックスはひたすら駆けていた。アルベルトのもとに。
 アルベルト! 死なないで!
 心中、高尾は叫んでいた。それは高尾らしくもなく無垢な叫びであった。彼女自身気づいてはいなかったが、高尾はアルベルトを愛していたのかもしれない。
 同じようにマックスもまた心中に叫んでいた。死ぬなアルベルト、と。
 彼の場合、真に憂慮しているのはユーリという娘であった。いつかユーリがガラドルフ大帝に対して力を示す時がくるだろう。その時に一番側にいて欲しいとユーリが思うのは他ならぬアルベルトであった。ユーリのため、絶対アルベルトは死んではならぬのだ。


 アルベルトの疾走速度は常人のそれを遥かに凌いでいた。むしろアヤカシのものに近いといえる。
「化け物め。逃がさないわよ」
 孔雀の手から符が飛んだ。
 術式開放。固定。符は虫と変じ、アルベルトの身体にとりついた。
 一瞬、アルベルトはよろめいた。式が送り込んだ神経毒が彼の身体を駆け巡っている。
「ちいいい」
 アルベルト――正確には彼に憑依しているチェーニはアルベルトの身体を賦活化した。治癒プロセスを操作、毒を体外に排出する。
「何なの、あいつ」
 さすがに孔雀は焦った。アルベルトは絶対に殺害しなければならない。
 孔雀は素早く印を切った。空間を破るように現出したのは怨念の集合体だ。
 怨念の集合体が辺りを駆け巡った。無差別に攻撃を加える。さすがにたまらず狐火とフレイアは足をとめた。
「何をするのですか!」
 フレイアがが孔雀を睨みつけた。が、孔雀は嘲るように薄笑いを浮かべている。
「仕方ないじゃなぁい。アルベルトを逃走を許したら報酬が貰えないんだから」
「くっ」
 唇を噛み、狐火は視線を投げた。すでにアルベルトの姿はなかった。

 獣並の、いや獣以上の速度でアルベルトは地を駆けていた。効力を高めた視力と聴力によっても追っ手の存在は感じとれない。逃走には成功したようだ。いや――
 突如、アルベルトはがくりと膝を折った。その場にしゃがみこむ。
 アルベルトの身体が真っ赤に濡れていた。身体に無理を強いたために毛細血管が破裂、流血したのである。
「ここまでか」
 アルベルトの身体から影のようなものが滑り出てきた。チェーニである。
 瞬間、アルベルトが倒れた。チェーニの憑依が解けたため、彼が賦活化させていた生命活動が停止。アルベルトは即死してしまったのだった。
「アルベルト。お前は良い玩具であったよ」
 嘲ると、チェーニはするすると物陰にすべりん込もうとし――突如、動きがとまった。地を這う異形の影の中心、一本の剣が突き刺さっている。
「狐火のいうとおりになったようだな」
 ロランが姿を現した。
 狐火が施した秘策。それこそロランであった。
 開拓者中に裏切り者あり。そう読んだ狐火はロランを密かに待機させていたのである。
「クリスティーナの仇、とらせてもらうぞ」
 剣で地に縫いとめられたチェーニにむかってロランは歩み寄っていった。


 高尾とマックスが到着した時、すべては終わっていた。
「遅かったじゃない、高尾」
 孔雀が高尾めがけて何かを放った。受け止めた高尾の眼がかっとむき出される。それは断ち切られたアルベルトの首であった。
「孔雀、貴様……」
 高尾がぎろりと孔雀を睨みつけた。狂おしいほどの憎悪を込めて。
 が、孔雀は平然と高尾を見返した。高尾が何もできないのは承知している。手を出せるわけがなかった。
「其の首をアハトワに持っていきなさいな、きっと彼…ンフフ、喜ぶわよ」
「アハトワ……」
 何故かその名がエリアスはひっかかった。
 皇帝親衛隊隊長ですら一目おく、生ける伝説の男。そのような男が偶然にしろ、こんな大事に巻き込まれるものだろうか。
 黄昏の空に、ジルベリアを圧するように立つアハトワの巨像を、この時エリアスは幻視していた。