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■オープニング本文 理穴、緑茂が妓鵬山のふもとの村の一つ。 かつて、アヤカシが出る前は温泉場として栄えていたが、その繁栄は今となっては見る影もない。 さびれた村の夜。周囲は蒼い闇だ。村外れのさびれた道に浮かびあがっているのは小さな提灯の火。なんの拍子かふっと消えた。 「‥‥お先、真っ暗とは良く言ったもんだ」 道の途中で、はぁ、と嘆息するのは提灯の主の男。まだ若い。片手には伝家の宝刀である刀を担いでいる。村の温泉宿をやっている家の嫡男で、今年の冬で二十歳になる青年である。 最近はアヤカシの被害が多いので村の青年達で徒党を組み村内の見回りをしてから別れ、家へと帰る所だった。 青年は刀を置くと、懐から火打ち石と薄い紙を取り出して火を起こそうと試みた。再び提灯に火を灯す為だ。だが、見回りで疲れているせいか、いらいらしているせいか、常のように上手く火がつかない。 「くそっ‥‥! なんだってんだ、くそっ!」 最近、何もかもが上手くいかない。頑張っても生活は楽になるどころか、アヤカシは日に日に増えて苦しくなる一方だ。家の蓄えは既に底をつきかけている。今年の冬は無事に越せるだろうか。解らない。俺はもしかして、二十を迎える前に死んでしまうのではないか? そんな予感が胸中に忍び寄ってくる。 「畜生、くそっ! ふざけんじゃねぇぞ、ふざけんじゃねぇぞ、ふざけてろ! くそっ! 火すらまともにつかねぇ! なんだってんだ! 月のバッキャロー!!」 苦労して石を何度も叩き、ようやく紙に火を灯す事が出来た。灯篭の中にその火を入れる。炎は赤く燃えていた。 提灯と刀を手に立ち上がる。 薄闇の向こうに村の灯りが見えた。ちっぽけな村だ。 「俺は、こんな所で一生を終えるのかな‥‥」 何処か別の場所へ流れようか、そんな事を思う。 だがそれは出来ない。 先祖代々受け継がれてきた店と、最近めっきり身体が弱くなってきた両親がいる。歳の離れた弟や妹もいる。彼らの面倒を見なければならない。ふらりと一人で何処かへ行く訳にはいかないのだ。 それは仕方がないと解っているけども。 「おもてぇよなぁ‥‥‥‥」 家が、村が、故郷が、青年を縛る。 青年が深々と嘆息した時――その時、不意に声が聞こえた。 『だったら、燃やしてしまえば良いんじゃない?』 するりと、心の奥に声が入って来た。 甘い。 甘い。 女の声だ。 「燃やし‥‥」 火をつけるの。 火をつけるの。 とっても赤く、火をつけるの。 何もかもをも焼き払って。 全てから君は解き放たれるの。 それはとっても気持が良いのよ? 「解き、放たれる‥‥」 そう、解き放たれるの。 鮮烈な赤へと解き放たれるの。鮮やかに、赤に。鮮やかに、炎に。全てを、赤く、焼き払うの! 「全てを、赤く‥‥‥‥」 青年は茫洋とした瞳で呟き、提灯を地へと落とした。めらめらと提灯が燃えてゆく。青年はじっとその炎を見つめた。 青年の背後の闇からするりと狐の耳を持った艶やかな少女が現れた。豊満な肉体を着崩した着物で身を包んでいる。狐娘はそっと青年の背中に身を寄せるとその耳元で囁いた。 「そう、全てを焼き払いに、いきましょう?」 青年はゆらゆらと手を彷徨わせ、そして刀の柄を掴むと稲妻の如く逆手で抜き払い、後方へと猛然と突き出した。 狐娘が後方に飛ぶ、青年は身を翻し刀を持ち直して逆袈裟に一閃させた。 娘は少し吃驚した表情を浮かべながらも後方に回転しながら跳躍してかわす。 「えぇい面妖な! 貴様、アヤカシだなっ?!」 青年がざっと八双に太刀を構えながら叫ぶ。 「あら、びっくり。あんた、ただの人間よね? どうして抵抗できたのかしら?」 「うわはははははは! この寅一様を舐めるなよバケモノ! 可愛い家族が家で待っておるというのに、そんな事をするもんかバカモンガァッ! つーか、俺は年増女になんぞ興味はないわッ!! ケバイんだよおおおおおッ!!」 「‥‥‥‥殺すわ」 ぶわっと無数の尾が娘の腰から出現する。女は爪を振りかざして弾丸のように駆けた。 「う、うぉおおおおおっ?!」 燃える提灯が映し出す影が二つ、月下の夜に交差した。 ● 「‥‥‥‥これは、寅一、なのか?」 翌日の朝、村外れの道端で滅多斬りにされた男の死体が発見された。周囲では子供達が泣き叫び、人々が悲しみに暮れていた。 「ああ、奴の愛用の刀が、落ちていた」 村の娘が半ばから真っ二つに折れた刀を見せ、言う。青年は刀を受け取り確かめる。確かに、寅一のものだ。 「そうか‥‥ひどいな‥‥アヤカシの被害は出ていたが、皆、抜け殻みたいにはなっていたが、ここまで滅多斬りにされたのは初めて見る」 「何かきっと、虎一のことだから、何かきっと、アヤカシを怒らせるようなこと、言ったんじゃないかな」 くっと激しい嗚咽を漏らしつつ目頭を押さえ、娘が言う。 「言うって、アヤカシに?」 「だって、刀が、折れてたって、事は、戦ったって、事だろ? あいつ、中途半端に、凄かった、から‥‥」 「そうか、確かにあいつ、中途半端に凄かったから‥‥一方的にはやられなくても、結局死んじまっちゃ、なんて中途半端な‥‥っていうか刀抜く暇あったら逃げろよ‥‥どうせまた中途半端に調子に乗ったんだ‥‥あいつ‥‥」 「あり、える‥‥」 「寅一だからな‥‥」 なんだか呟いていたら涙が出てきた。 「トラにいちゃん! トラにいちゃん! うわぁあああああん!!」 寅一の妹がズタズタにされた死体にすがりつき大泣きしている。 「花、寅一は、もう‥‥」 「にいちゃん!」 弟の方が青年の裾を掴み上げて言った。 「カタナ、かして!」 「‥‥ナヌっ?」 「おれが、かたき、とって、やる! おれが、トラにいの仇討つ!」 「だ、駄目だ! 駄目だ! お前、そんなの無理だ! 絶対駄目だ! そんなんじゃお前にはこの刀は渡せんよ! 渡せんとも! 寅一に怒られちまう!」 「じゃあにいちゃんが仇討ってよ! お願いだよ! あんまりだよ! こんな、こんなのっ!」 言ってびえぇぇえええんと少年は泣き始める。 縋り付かれた青年は苦虫をつぶしたような顔で所在なさげにしていたが、やがて場に並ぶ顔ぶれに見知った顔を見つけると、その者達の元へと駆けよった。先日、理穴の王様がよこしたという開拓者達だった。 「皆さん、一つ、頼みたい事があるんですが良いでしょうか‥‥?」 いや、結局、今までと頼む事は変わらないんですがね、と前置きしつつ、 「仇を‥‥とってやってくれませんか? 勿論、俺も出来る事があったら、手伝います」 青年はそう言った。 |
■参加者一覧
天宮 涼音(ia0079)
16歳・女・陰
鷺ノ宮 夕陽(ia0088)
14歳・女・陰
水鏡 絵梨乃(ia0191)
20歳・女・泰
国広 光拿(ia0738)
18歳・男・志
十河 茜火(ia0749)
18歳・女・陰
花脊 義忠(ia0776)
24歳・男・サ
酒々井 統真(ia0893)
19歳・男・泰
厳木美雪(ia0986)
14歳・女・サ
羅轟(ia1687)
25歳・男・サ
伊予凪白鷺(ia3652)
28歳・男・巫 |
■リプレイ本文 「仇‥‥討つ。‥‥しばし‥‥待たれよ」 泣いている弟妹の頭を撫ぜながら笠を目深にかぶった大男が言った。羅轟(ia1687)だ。 (「仲‥良き‥兄弟‥失う‥悲しき‥事」) 兄を奪われた弟妹の悲しみを多少なりとも和らげる為にアヤカシの討伐を成功させよう、と男は思った。 ● 辰次からの言葉を受け開拓者達は決意も新たに、アヤカシを討つ為の作戦を練る事にした。 十名は村の青年団と共に茶屋に集まり相談する。 「‥‥アヤカシの事件は変わっているものですが、これまた一層風変わりな事件でございますね」 白虎の面をかぶった男が言った。伊予凪白鷺(ia3652)である。血と精気を抜かれる、惨殺されるという二つのやり方があるのは珍しい。それは少しばかり彼の興味をひいていた。 「そういえば、若さを保つために若い人の生き血を啜るって話、聞いたことがあるわ」 銀髪の少女が言った。天宮 涼音(ia0079)だ。 「若さを保つ為に、ですか」 虎頭の男はふむ、と呟く。 「本当にその類だとしたら‥‥醜い話だけど」 涼音はぽつりとそう洩らした。 「そうだな‥‥とりあえず、皆、現状を把握したいので分かる範囲で教えてくれ」 国広 光拿(ia0738)が卓上に硯を用意し白紙を広げつつ、辰次や見回り組みの青年達へと視線をやって問いかけた。 辰次達は吶々と口を開き知りうる事を話し始める。光拿は耳を傾けながら、白紙の上に筆を走らせて行く。黒い墨が滑らかに村の地形を描いた。 光拿は「何日にどこで遺体を発見したのか」もまた辰次達に問いかけた。答えを受けて日時と共にその場所を地図に記入してゆく。 「‥‥村の中心部、ではなく、外れで起こっているようだな」 やがて記された八つの印をざっと見やって光拿は呟いた。これ以上印を増やさない様にしなくては、と思う。 辰次達の話によれば、夜にひとけの無い所で殺され、朝になると発見されるという場合が多いようだった。 多くは血液と精気を吸い取られ抜け殻のようにされて殺される。被害者は一様に二十歳未満の若い男女。若者が狙われるようだった。かつ、一人でいる場合に多く狙われるようだ。 「若い男女か‥‥はっはっは! ま、俺は対象外だな」 花脊 義忠(ia0776)が苦笑して言った。まぁ彼とて若者ではあるが、二十歳未満には見えない。 青年団から話を聞くに「狐の耳と尾を生やした若い女の姿をちらりと見た気がした」という言葉もあった。 「あれ、もしかしたらアヤカシだったんでねぇかな」 村人の一人がそう言う。 「お狐はんどすか‥‥」 鷺ノ宮 夕陽(ia0088)が愁眉を深めて言った。彼女は狐が大好きだ。それが凶行に及んでいるとなると可愛さあまって一層に憎くなる。倒そう、と思った。 開拓者達は人気の多い場所にはアヤカシは現れない事から、年若い少年に見える酒々井 統真(ia0893)を囮とし、敵をおびき出す事に決めた。昼の間に周辺の地理を確認し、村人達の農作業を手伝って出来るだけ仕事を早く終わらせる――もっとも十河 茜火(ia0749)などはさぼって午睡を取っていたが。 また一同は村人達に対し夜は一人で出歩かないようにと呼びかけた。 「不自由を強いる形となりますが、どうかご理解を‥‥」 白鷺が言う。村人達は立て続けの殺人事件に恐怖しており、また誰も進んで死にたくは無い為、この言に素直に従った。ただ虎頭の面をつけている事に関しては怪しくないと説明しても怪しがられた。 日が西の彼方に往き、辺りは茜の色に包まれ、やがて蒼い闇の色に変わった。 「初日でかかってくれると良いんだが」 茂みの奥に隠れている水鏡 絵梨乃(ia0191)が古酒の瓶口に口つけてその液体を嚥下しながら呟く。長年熟成されたそれの味わいはまろやかで深みがある。良い酒だ。夕陽、義忠、白鷺もまた物陰に隠れている。 一方の統真は村人達の見回りに混ざり、あれこれ雑談をかわしながら帰途の途中で集団を一人ふらりと外れた。村外れにある寅一の温泉宿への道へと入る。男は刀を手に提灯をぶらさげ闇夜の道を行った。その後方から厳木美雪(ia0986)、涼音、灯華、光拿、羅轟の五名が距離を置き無灯火で追跡する。 やがて――何も起こらなかった。 無事に温泉宿までついてしまった。 結局のところ、一日目はからぶりだった。 そこで開拓者達は一芝居打つ事にした。次の日の晩、村の十字路に集まる。 「‥‥演技‥‥下手‥‥」 羅轟が統真へと言った。 「村人らしく見えぬのだ」 美雪もまた言う。開拓者達は口々に統真を非難した。演技である。仲違いしたふりをしてアヤカシを釣りだそうという作戦だ。 「なにぃ? じゃあ、てめぇらだったら上手くいったのかよ!?」 統真は憤慨したふりをして言った。口論をかわす事しばし。 「結果だけ見て文句言う奴らと一緒にやってられっか!」 男はがしゃんと手に持つ刀を地面へと叩きつけ、飛び出して行った。 「もう少し分別のある人かと思っていたが‥‥」 やれやれと美雪はこれみよがしに嘆息してみせる。 統真が飛び出していった先の闇は深く、提灯の明かりだけが頼りなさそうに浮かんでいた。 ● 「俺は悪くねぇぞ、もう知るか」 統真はぶつぶつと文句を呟きつつ提灯片手に道を歩いて村を離れて行く。 少しの時間が経った後に、くすくすと笑い声が聞こえてきた。 ――だったら、逃げる前に復讐してみない? きた、と統真は思った。 気力を解放して精神をガードしつつ、提灯を取り落とす。 「な‥‥なんだっ?」 事態が掴めていないふりをしつつ、周囲を忙しなく見渡す。アヤカシの姿は見えない。 風が吹き、甘い香りがして、くらっと一瞬、目眩がしたような気がした。 ――君、ちょっと普通の人間じゃないわよねぇ? 瞬間、統真の背中を柔らかいものが包み込んでいた。闇の中から白い指が生え、統真の喉元を撫でている。 演技抜きに背筋がぞくりとした。背後を取られている。統真は、素人ではない。かなりの使い手だ。彼の能力をしても、気配をまったく掴めなかった。 (「何かの術か?」) と男は胸中で声をあげつつも、 「‥‥普通の人間じゃないだって? だからなんだってんだ?」 言って、肩越しに首を捻り後背をみやる。 ぴたりとすぐ後ろに、狐の耳を生やした艶やかな少女の顔があった。 ――そうねぇ‥‥だから‥‥ 女は右手で統真の喉元を撫でながら、背後からその腹へと左手を回す。瞳が、強く妖しく、輝いた。 「本気でいくわ。手は抜かない」 甘い何かが、統真の身の中へと滑りこんできた。 ● 「おおおおおおっ!」 統真は気力を爆発させると身をよじって振り払った。息を荒げながら間合いを取り、振り返る。傍らの地では提灯がめらめらと燃えていた。 「あら、頑張るわね」 下方からの炎に照り返されて、狐の女の頬がオレンジ色に輝いていた。びっくりしたような表情をしている。何故か、統真の目にはそれがとてもとても愛おしいものに見えた。 「‥‥色気のつもりかしらねぇがなぁ! クドいんだよ、ケバ女ッ!!」 呻きつつ、感覚を振り払うように怒声を叩きつける。 「な、なんですってぇ?!」 狐少女が怒りの叫びをあげた。 「どいつもこいつも‥‥もういいわ! あんたも八つ裂きにしてあげるぅっ!」 ちょっと涙目になりながらも、狐少女はジャキンと両手の爪を伸ばし、疾風のごとく飛びかかって来る。統真は咄嗟に練力を解放しガードを固める。だが、身体の動きが妙に鈍い。脳裏に潜む何かが、この生物を傷つけてはいけないと言っていた。 (「くそっ‥‥どうなってやがるっ?」) もう一人の自分が危機の声を叫ぶ。男は感覚に抗いながら常よりも鈍くなった手足を動かす。動かなければ、死が待っているだけだ。狐の爪がガードの上から連続して叩き込まれる。鈍い衝撃が腕から伝わり全身を貫いてゆく。統真の身が切り裂かれ血飛沫があがった。 「うふふふふ、ちょっとはかかってるみたいね! あんた可愛いわよ!」 狐女は哄笑をあげながら爪で薙ぎ払う。統真は右足を引き半身に身を捻るも胸元を切り裂かれた。反撃できない。狐の女は上体を揺らめかせながら両手の爪で嵐のように猛攻を繰り出してくる。統真の生命力が急速に削り取られてゆく。一方的な展開だ。だが不意にアヤカシが後方に飛び退いた。 闇の中から着物姿の女が快速一番、飛び出してきた。絵梨乃だ。 「苦戦してるみたいだな!」 統真に言って、地を這うように低く追尾し、踏み込む。練力を解放し、鋭く蹴りを繰り出した。女のすらりと伸びた足が鞭のようにしなり、狐女の足に直撃する。狐女の身が弾かれ、風車のように回転しながら転倒し地面に激突した。 「おかしな術を使う、気をつけろ!」 絵梨乃の後背から統真の声が飛んできた。彼は攻撃に移れないようだった。絵梨乃は地に倒れた狐女を踏みつけるべく、酔拳の構えから足を振り上げる。仰向けに倒れているアヤカシの瞳が輝いた。何かが絵梨乃の心の底に滑りこんで来る。絵梨乃はこの狐の少女を傷付けてはいけない、と不意に思った。 (「‥‥なんだ、これっ?」) 湧き上がって来た感覚に女は戸惑う。狐女が跳ね起きた。竜巻のように爪を振るう。絵梨乃は爪撃を体をスウェーして間一髪で避ける。反撃すべく拳を固める――彼女を殴るなんてとんでもない! 前に出ようとする意志と後ろに下がろうとする意志がぶつかる。動きが止まった。ばすっと鈍い音を立てて爪撃が袈裟に入った。絵梨乃の着物が裂かれ、肩口から脇腹にかけて血飛沫が噴出する。 痛みを堪えながら後退する。それでも依然として目の前の生物がとても愛らしいものに見えた。反撃できない。狐が連撃を繰り出して来る。爪を腕で払って落とし、身を逸らして避ける。防戦一方だ。絵梨乃は押されるままに後退し、しかし、狐アヤカシも後方に大きく飛び退いた。身を翻す。 「おっと、どこへいくんだ? これからが楽しい時間なんだぜ?」 闇の彼方より到着した義忠が咆哮をあげた。狐女が忌々しそうな顔をしながら振り向く。かかった。男は言いながらも八双の位置に太刀を握り突進する。 「チェストォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!」 いざ間合いに踏み込み、裂帛の気合と共に太刀を袈裟に振るおうとした瞬間、狐女の目が輝いた。義忠の意識の中に何かが滑りこんで来る。攻撃、できない。動きが止まる。 狐女は腕を内側に捻り込みながら義忠へと爪を繰り出す。回転する爪先が男が防御に掲げた刀身をすり抜け、装甲の隙間を貫き通した。爪が引き抜かれ、赤い色が宙に引かれる。 光拿は義忠が交戦している間に脇を走り抜け、背後を取ると刀を振り下ろした。アヤカシが首を振る。刃が頭部から逸れ、肩に炸裂した。押し当てながら引き斬る。赤い飛沫が舞った。女は斬られつつも横に跳ぶ。 「態々1人で来るとはご苦労なことだ。仲間はどうした」 光拿はそれを追尾して走り、踏み込み、刀を振り上げ言う。だが刀を振り下ろす前に狐少女の眼が輝いた。光拿の動きもまたピタリと止まった。 瞬間、闇の宙空から真空の刃が飛来し狐女の足を深々と切り裂いた。 「途中で遊びから降りるのは無しよ。ズタズタにされる気分タップリ味わってねー」 若い女の声が響いた。茜火だ。闇の中から現れた女は言いつつ符を翳した。銀身に紅眼を持つ鎌鼬が虚空に出現する。命名してツムちゃんだ。 「貴女、やりすぎたのよ。代償は命で払ってもらいましょうか」 もう一つ声が響いた。涼音だ。彼女もまた虚空へと符をかざし、式を出現させる。翼が刃と化した燕と鎖状の蛇があらわれた。鎌鼬と燕の式は真空の刃と化してアヤカシへと襲いかかり、鎖状の蛇が唸りながら飛んだ。蛇は狐少女の身に絡みついて動きを鈍らせ、真空刃が次々に切り裂いて鮮血を噴出させてゆく。 「義忠殿、光拿殿、力を抜いてくだされ」 白鷺は到着すると印を切り、様子がおかしい義忠と光拿へと解術の法を発動させた。淡藍の光がサムライと志士を包みこむ。二人の胸中から奇妙な感覚が霧散した。 「そこのアヤカシ、動くな!」 美雪が刀を振り上げて迫る。狐女がそれを睨みつけ眼が――輝かなかった。力がついに尽きたのだ。爪を構える。術から解放された義忠が横合いから袈裟に一閃させた。不意を突かれたのかアヤカシの首筋から鮮血が勢いよく迸る。背後から迫った光拿が切っ先を繰り出し、狐女の背から左胸へと根元まで刀を貫き通した。迫った美雪が鋭く踏み込んで打ちこみをかけ、小柄ながらも全身のバネを使い重量のある刀を振り下ろす。唸りをあげて放たれた刃は、見事狐女に炸裂し、その面を真っ向から叩き割った。 だがそれでもアヤカシは動いていた。額から血を噴出させながらも、後背の光拿へと肘を繰り出す。男は鎧が薄い。肋骨が嫌な音を立てた。 暴れる狐少女の足を青白い手が掴んだ。 「もう、観念なはれ!」 夕陽の呪縛式だ。黒髪の女の手から符が焼失し、狐女にまとわりつく死者の手が増えてゆく。 刀に貫かれ、蛇に絡まれ手に捕まれ、動きを止められた狐女へと、笠をかぶった大男が短刀を抜き放って肉薄した。羅轟だ。 男は両手をかざし、狐少女の喉元へと刃を突きこむ。銀色の刃が狐少女の白い首へと吸い込まれてゆく。入る。鈍い手ごたえを男の手に伝えると同時に、銀の刃が柄元まで埋まった。 「この村‥‥出現‥‥アヤカシ‥‥汝‥‥?」 羅轟が問う。狐女はそれでも反撃しようと震える腕を伸ばす。 「なれば‥‥悲しみ‥‥絶望‥‥報い‥‥享受‥‥せよ‥‥!!」 男は言って手首を捻り突きこんだままの短刀を回転させた。身を捻るようにして身体全体で刃を横に払う。赤い華が闇に咲いた。 狐女の目から光が消え、刀から抜け落ちながら前のめりに地面に倒れた。 風が闇からきて一陣、吹いた。 狐の尾がそれを受けてなびいた。 しかし、アヤカシ自体は、もう二度と動かずやがて霧散した。 後日。 「まぁ、そーゆー訳で、アヤカシは退治された訳よ」 寅一の墓前でにこにこと笑みを浮かべながら語る女の姿があった。茜火だ。傍らには美雪の姿もある。 あたしの活躍は微妙だったけどねー、一匹をタコ殴り状態だったし、などと呟いているその姿からはそれが茜火なりの弔い方なのか、特に深くは考えてないのかは余人には図りかねた。 美雪は手を合わせて黙祷を捧げている。 やがてすっと黒瞳を開いた。 「当面のアヤカシは消えた。とりあえずは、安心して眠ると良い」 二人は視線を合わせると踵を返した。 涼やかな風が一陣はしり、女達を抜けて周囲を薙いでいった。茜火はふぅ、と息をついて、彼方をみやる。 大地は大分、秋の色を深めていた。 「もう秋も終わるわね」 「そうだな」 季節は晩秋。理穴において、巨大な炎が燃え上がろうとしていた秋(とき)であった。 了 |